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原始の夜 2.瞑想 [瞑想]

夜というものが自然とともにある時、それは太古の形をしている。それは人間の文明という

雑音がない状態だからだ。文明以前とは、僕の島の家よりも、まだ未文明であった、蝋燭

もない頃。僕はそれを夜の底のように聞く。深さを聴く。  

夜の底には”原始の夜”があるように感じてならない。


メモ::  

(今、沈思すること10分くらい、大きな謎のひとつに仮説が立てられたことを、再確認

していたら、以前考えていたことがつながって、愛についての誤解がやはりあったこと

に気づいた。まず、大きな謎の仮説の検証には、前々から言っていた中東への

視察旅行が必要になる。その場所が答えになるかどうか、結果が得られるかは

わからないので、今の予想では一応の検証にとどまる。    

次に、愛についての誤解は、しあわせの体験の誤解があることで、すべてが誤解とも

思えないので、しあわせの洪水のさ中と、そうではない感じ方との差異から、新しく

確認が取れそうな情報を沈思してみたい。)  ::   
 

ことは難しい。これから説明しようとする僕がそう言ってはいけないのだが、ブルクハルト

なみに奇妙な言い方になりそうだ。まず、瞑想について、再度説明の必要がある。それは

なんであるのか、が、まずわからない。だから、なぜするのかも、わからない。

似ている現象から :

日本でも3000mとか高度のある山岳に登ると、頂上の小屋とかで雲海に出会うことがある。

雲がモクモクと絨毯のように、山と山との間に敷かれているのである。雲の上の、しかも

地面の上にいながら、それを見れるというのが不思議だ。いろいろな季節に同じ山を

登ると、その都度、山は化粧を変えて神秘な現象を見せることがある。冬の登山は

最も危険だが、雪と氷に覆われた山界は僕らの想像を超えた景色を見せる。命がけ

で登っていて、緊張も半端ないので、まず見逃さない。そして、そういう時こそ、感覚が

全解放されていて、僕らは無防備に感動してしまう。この無防備さが重要で、体も

思考力が弱くなるほどに体力が消耗している。それで見たものが潜在意識にまで

到達してしまうのである。それは無意識に、ということだから、本人はいつもの日常で

のようにいいものを見た、くらいにしか思わない。だが、もうその神々しさはインプット

されていて、山を降りて、ほっとして体力も回復すると、すぐに頭をもたげてくる。  

まだ帰ってきたばかりなのに、また山へ行きたくなるのだ。   

これはすばらしい景色に限らない。感性の強い人がそういうものに感動した時も、同じ

ように花とか、陶器とか、ガラス工芸とか、絵画に一直線にはまってしまうように。その

感動の強さによって、それが一生の行動や仕事を左右してしまうことも、まれではない。
   
登山は頂上まで、その行程は苦しみ以外のなにものでもない。それでもそれを思い

出さずに、何かわからない力(潜在意識への刷り込み)によって、行きたい、と強い

られるのである。ソワソワと、心浮き立つのである。

瞑想だった。
  

「瞑想は何をするのか」、と僕が問う。と、「左のカッコ内の文」を読んで疑問を感じなけ

れば、これを読む必要がある。もちろん、それについて新しい情報を知りたい場合で、

それに自ら考えるべく検証を加えつもりである場合も、である。

まず、瞑想ではないものは瞑想体操である。毎日、足を組んで座り、静かにする、

というのを日課にしている人がいるかもしれない。これは心を落ち着けるよい方法で

自分の気持ちが乱れていると感じたら、実行して役立つ方法である。そして、ただ心を

落ち着けるだけだったら、これは心の体操のようなもので、瞑想とはまったく関係がない。

瞑想は何もしないことであり、なにもしないのは、実にできにくいことである。目を閉じても、

耳は聞こえるし、鼻も匂う。肌も感じるし、感じれば、なにかしらそれについて、瞬間で

考えはじめる。ついては、それらすべてを停止しなさい、というのが瞑想の入り口であり、

もう出口なのだ。

瞑想は僕らがすべての恣意を捨ててしまうという意味で、僕らはただの精神的な存在と

しては無生物になることでもあるだろうか。ここは感覚で思っても困惑してしまうばかり

なので、観念でひとつの次元を作ってしまって、言うと、まず体の不思議なシステムに

その人間の死を感じ取ると、その死の苦しみ?を緩和させようとする。これが脳内麻薬

のシステムで、これは非常にリラックスして、なんでもできるという自由な自在感をもたらす。

個人差については、よくわからないが、愉悦感は誰にでも与えられるだろう。この実証は

スポーツや生命の危機に出会った時に訪れたのならば、マラソンならばランニング・ハイ

として経験されているし、僕もプールで500m泳いでから、これに会って、もう体が沈まない

と思った。そして、手足が自分の意志とは関係なく、勝手に動いて、いつまでも永遠に泳い

でいられる、という究極のスイマー感覚になったことがある。これはスポーツの場合。

瞑想でも慣れてくると、瞑想体操でもこれを経験した人はいるに違いない。

こういう得をしたと感じる経験も、瞑想とは無縁。

だが、瞑想には近い。なぜなら、体が自分のご主人様(体の本人のこと)がまったく動か

ないことに、死を感じてハイにしている、と考えられるからだ。それは体の条件の、動いて

いないを満たしている。体が動かないのを習得したら、次は心を消すことだ。動かさない

のはもちろんのこと、“意識があってはいけない”のだ。 

そんなことができるかできないか、誰もがやっているうちにできる。これは現実の事案の

問題ではないので、この世でこの世に会う、理解できる証明はない。これは結果が体験で

示してくれるが、その結果というのが「なにもないのだ」、ということなのだ。 

答えは瞑想は始まった瞬間に終わる。そういうものなのだ。どういうことかと言うと、僕らは

目覚めていれば、五感によって外界を感じて、知性がそれを判断して言葉や図形や様式

の映像、また思考の枠やその認識の積み重ねに換える。心を消すというのは、こういう

働きのすべてを止めて、さらに消し去ってしまうこと。心でそれを工夫することは、心を使う

から目的に適わない。知らない人は、誰からも習ったことも、聞いたこともない。そう、伝え

る方法が実際になく、個々に実践してもらうよりないのである。  

さて、瞑想は始まった瞬間に終わる、という意味であるが、僕らは、もしも、心を消すことが

できたならば、その時に僕らは睡眠に近い状態になっている。眠っている時に自覚はない。

この自覚が夢も見ないほどに深いのならば、自覚はまったくない。何も感じないはずだ。

さらに何も感じないのならば、時間の感覚はなく、“時が経った“という感覚が記憶に残る

はずがない。僕らは、謂わば空っぽになる。ただの「空っぽの心」という自覚もない器になる。

そこに瞑想が「入って来る」のである。何が?それはまだ、話が早い。

入ってきても、それを認識することはできない。僕らが体と心の認識作用を捨てたから、それ

が入って来たのだから、認識できる時は、瞑想になっていない。成立していないのである。

ここまでが瞑想の成立である。  

これからが難しい。瞑想の感覚は、目覚めてから来る。何も見ず、何も感じていないのを

時間の経過から実証できるからである。つまり、瞑想が来たかどうかは本人にはわからない。

瞑想が来てから、目覚めるまで、僕らは眠ってもいないし、気絶しているのでもない。が、

眼は覚める。だから、気づいたときは、寝て起きた時のように、どのくらい寝ていたのか、

意識がない。それと同じで、時計を見て、初めてその時間の経過を知る。瞑想の成立を

知るのは、だから一人だと正確に知るのは無理である。また、それをジャッジする人がいて

も、その人にも坐って目を閉じている人が、いつ瞑想に入ったかは、わからない。それでも

10分以上の経過があれば、だいたいわかる。僕は瞑想のためによく坐っていた頃は、

長い時で50分と思われた。その頃はそれが僕の標準だった。何回も経験すると、わかる

ようになる。

しかし、難しいというのは、そのことではない。僕らは生きているのだから、必ずなにごとか

動き、している。なにもしていないと、退屈する動物だ。動くのが生きるであれば、止まるのは

死ぬことだ。瞑想はまさにそういうことで、死ぬ訓練であり、死のゲームなのだ。  

やっても何の見返りもなく、ただ眼を閉じて、じっとしていろと。退屈この上ない。しかし、

3500年も前から、瞑想にやり方の迷いはなかった。不思議だ。インド人だからだろうか。

ということはないだろうが、退屈すれば、こんなことして何になる、と考えるし、ただ気がつい

てどこか意識が飛んでいた、とわかるだけでは、現代人はしないだろう。できないだろう。 

そうすると、僕の瞑想談義もここで終わってしまう。なので、他に本にも書いてあるが、その

説明も取り入れて、僕の経験を、その瞑想の先の認識を話してみよう。ここまで語れば、

もう僕はできることをしたことになる。あとは、あなた次第でどうぞご自由に、と言えるわけだ。   


まず、瞑想のために坐っていて、最初につまづきとなる現象から、本にもあるので説明する。


* 原始の夜2.(つづき)へ。
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