SSブログ

コロナ最中に、アフリカとかふつうの話 [感染]

陽が落ちるのが遅くなった。この何か月前から、5時過ぎには暗くなっていた  

夕方が、まだ陽が落ちなくなって、日が延びたと思ったが、もう6時近い。  

それでまた1時間、日の延びが延長したと、計算してしまうが、日頃の  

感覚は同じで、5時だろうが、6時だろうが、それは関係ない。ああ、まだ  

明るい、日が延びたなぁ、というだけ。   

このもっと陽が延びたというのは、時計を見ない限り、気づかない。それで  

時間というのは自然とは、違和感がある。 例えば、学校で明日は夜中の  

0時から始まると教わって、暗いのに、明日になってしまうのだ、と最初は  

違和感をもったはずなのだ。小学生の頃だろう、もう忘れているが・・。   

アフリカが近代化するには一番遅手になった。国家になったので、時間も  

決めることになって、僕らと同じに0時から一日が始まるものと思いきや、  

6時からが一日の始まりに決まった。 彼らの感覚では始まりを6時間も  

ズラしたのではない。朝陽が昇るのは6時ころなので、それで6時に決めた

のだろう。 違和感がない、夜が明けるとともに一日がはじまるという生活の

習慣に従っただけなのだ。そういうことであるなら、彼らの方がよほど健全な  

対応をしているように思う。   地球の暑い地方や温暖な地方、寒い地方、  

凍える地方によっても生活への対応は変わってくるから、そこで感覚を  

重視するか、考えを重視するかという選択でも、かなり違ってくる。 僕の  

個人的意見としては朝は6時から始まるほうが受け入れやすい。いっそ  

6時を0時に国際的に変更してもらってもいいと思っている。 ただ世界が  

地方ごとにバラバラにそれをやれば、各地方で同時刻をその都度計算する

不都合が生じて、欧米の経済界・金融界では承認できないだろう。    


情報収集のために、いくつかメルマガを見ているが、中でコロナのデマ屋とか  

マスクの転売屋は、テロリストとせよ、というのもあった。この過激な発言は  

本人を知らないのでわからないが、考え方はふたつある。  

一つはネットでの炎上的なものを狙ったこと。それで自分のメルマガに人気が  

集まる可能性があるし、注目されれば成功、といったところ。 ネットでは  

ガセネタもあるが、ただ感情を煽って、誤った考えに導くガセな情報もある。  

質の悪い情報だが、彼がこれを本気でアップしているのが二番目だが、その  

場合は人々の迷惑を思い、その怒りから発信したとする。それはよくある社会的 

な正義感が根元にあって、むしろその正義感を擁護するために社会のためと  

誤って思っているだけだ。なぜなら、その正義はすぐに暴走しやすいし、すれば  

ちょうど”あおり運転”の根底と同じになるからだ。子供への虐待も同じで、子供の  

ためのしつけを隠れ蓑にして(本人は言い逃れと思っていない)、子供に暴力

(しつけ)を、あおり運転は社会正義のために「お前の運転をしつけているのだ」  

と心で言い訳している。  

多少、飛躍したが、テロリストが爆弾で数百人を死傷させるという、残虐な行為  

の現実と、マスクを高値で売って儲けるコソ泥行為を、同じ現実で同等に扱う  

ことはできない。そういう過激発言をメルマガで用いていることが、もう信用  

ならないのだが、どう思うだろうか?   

製造部門での工場生産では、同じ生産ラインで1日の生産の2%は不良品が  

出たものとして、生産予定を数えている。実際に機械は100%精確には製品を  

生産できない。特に食品や医療品では、生産物ではなく、そのラベルが1字  

でも間違えば、納入した全製品を工場に送り返してくる。銀行で計算が1円  

でも出入りが異なれば、夜までかかってもどこで間違えたのか、すべての  

預金出入伝票・手形・貸付・債務などを見直すのと似ている。 

僕はある工場で働いていて、誰かのミスでチョコレートの包み紙の生産工程で  

チェックの紙片を外すのを忘れ、もうチョコレート工場にロール紙が運ばれ、本  

生産がはじまってから気づいたという事件に出会った。生産した2000万円分  

のチョコレートが、確か明治チョコだと、無駄になった。それで工場の僕らも  

そのどこに紙片が包み紙に紛れ込んだかわからないチョコレートを2000円分  

(強制ではないが、雰囲気で)買わざるを得なかった。もちろん、市販よりも安い

から、2000円で段ボール箱が届いた。周辺に配分しても残り、食べきれなかった、

笑える思い出がある。  

僕は比較できないが、人間の生産=出産は機械で生産する製品よりも、もっと  

複雑で、出来損なう部分が大きい人間を生んでいるはずだが、それは表に現れ  

ないと思う。それはそれと同じ程度に、それ以上かもしれないが、子供が不幸な

環境にさらされることが多いからだと。  

品物は2%の不良を見込んでいるけれど、人間はいろいろな条件があるので、  

それをカバーする統計はないので、わからないだろう。  

それでもただの目安で、2%の10分の1で0,2%、100分の1で0,02%。  

人口1億人なら0,2%で20万人、0,02%なら2万人が身体障害を負い、 

虐待や疾患で精神や神経の心的障害を負うとすると、これらの内からおかしな  

連中がおかしな行為をするのは、その2割くらいだろうか?  

正確な数字はわからないが、知的に優れてもおかしな奴というのはいる。  

上を総合してしまうと、4000人から4万人が反社会的行為をしている人数に

なるが、重要なポイントは健常な人でもおかしくなるから(その参加の仕方や、

年齢・機会などは複雑すぎて計算不能だろう)、半数としても、2000人から2万人

がいて、その多くはネットなどの炎上などに参加しているだろう、と想像がつく。  

治る病気もあれば、治りにくいものもあるだろう。 日本で年収が180万円に  

満たない貧困層が1000万人に達しているという情報は、本当だろうか?  

ちょっと調べてみる:::

日本の就業者数は2020年2月で、6687万人とか。そのうちの16,1%が  

年収200万円以下の貧困層だという。とすると、1076,6万人! このうちの

昔の統計では、40万人以上が若者で、生活がカツカツなので夢も希望もない  

状態。相当数?が結婚もできないのだから、むしろ戦争に行きたい、と。 

生きる方向が戦争というのは、もう絶望状態  ・・・・。

わからなくもない話だ。 実際にカンボジアに現金20万円だけ持って豚を飼う

という事業をしに海外に渡った女の子がいたが、すごいと思った。明治政府の  

海外へ渡った志士みたいで、養豚の「よ」の字も知らなかった。志士もフランス  

へ渡った時に、フランス語ができるという嘘をついてついて来た者しかいな

かった。その場でフランス語を学んだのだろう。驚きである。女の子も、日本へ

養豚業の本を注文で取り寄せる、というのだから、まったくその場で勉強する

という、ほとんど日本を脱出したかっただけではないか、と。あまりに日本社会

の資格や規律・決まったやり方に頼った、息が詰まりそうなシステムに愛想を

つかしたからではなかったか、 ― というくらいの思い切りの良さ。  


就業者の6人に1人が不満の貧困層を抱える日本って、危なくないだろうか?  

危ないよねぇ。だから、こうした時期には、息をのんで世の中の混乱のさまを

見ていた方がいいだろう。様々にこんぐらがった糸を少しずつ解きほぐして  

さらに解きほぐして視界がよくなってから、その残った条件から、世の中の  

なにが見えるのか?  つまらない正義感や、過激な意見は無視しておいて 、 

言わせておけばいいのだ。

だが、問題は出産は今までと似た条件の環境でされて、子供は成長する、  

ということだ。僕らは平均的に生まれてくるわけではない。様々な困難を  

処理するうえで様々な知恵をつけてきた。だから、この先も今まで以上に  

新しい困難が出るだろうとは、十分に予測される。いつでもそれに対応する 

そういう枠組みを作っておく必要があるだろう。  

それが今後の必要と認識するのならば、納得するのならば、相手をやっつける  

名札貼りとか、やっている場合ではないだろう。   それはまた、周囲の状況を  

利用するつもりで、結局は周囲のあおりの風に流されることでもある。そうして、  

煽っているつもりで、煽られ、それでさらに煽る。ただの悪循環なのだが、そこに  

はまってしまうと、気づけない。 今、出されている世界の国の状況を見ておく  

のも、このコロナの混乱の中でしておくべきことではないか、と僕は思う。  

生活のために動く、コロナ予防のために動く以外は、息を殺して見ている。  

うまくいかないかも。それはこの状況がそうすべきだと、感じ取れていないから。  

今までと同じ生活をしようと、”自分という心も体”も、今までの習慣で生まれた  

生活感覚で同じように継続して暮らしていこうとしているから。いろいろ生活の

変化に工夫しなければならないが、まず今の状況を乗り切るまでは、煽りの風に

近づいたり、気にしたりしないことだ。
 


ああ、暇だ。 ― (これでいいのだ、なんだか天才バカボンみたいだが)  

家ではレース編みの製品が何十枚も生産されている。独り言を言いながら  

レースを編んでいるうちの姿は、不気味だ。何気ない会話をしている自分も 

会話が気にかかり、その気にかかることが、なにか普通ではないような気が

して、一緒にだいじょうぶか、と思う コロナのこの頃である。   

猫は 喉を  ゴロゴロ。 やはり、変か。(笑)  



nice!(15)  コメント(0) 

nice! 15

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

愛を振り切れない野良猫がゆく ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。