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人生は翻訳できない [人生]

ドストエフスキーの小説の一部であると覚えて  

いるが、確かな記憶ではない。探したことが  

1回あったが、見つからなかった。 (「地下  

生活者の手記」か?) 

暗い空、暗い海に風が吹いている。そこに 

人がようやっと一人立てる岩礁があって、私は  

そこに立っている。どこへも行けずにただ立って  

いて、落ちないように耐えているだけ。いつまで  

こうしていられるかわからない。それでもこの 

暗い、寒い海に一人立ち続けなければならない、  

という孤独と絶望の形容だったと思う。ここに  

感心して、この文章の形容だけは記憶に  

しっかり残った。  

人はそういう自分への未来を、それは自分  

でも予想しない未来を希望して歩む道なのだが、  

なぜかそれを予知するかのように、その都度、  

その時に出会うことがある。  

まだ中学か高校生だったろう。もうひとつ、鮮明  

なのはテレビで映画の予告編かなにかで、冬山  

だった。吹雪の中にテントが張ってあって、男が  

中にいて絶望していた。どうも死ぬようだ。覚悟の  

キャンプらしい。男は作家で売れなくて絶望して  

いるのだった。それだけなのだが、僕は感心した。 

何に感心したのか。人生、負けて死ぬ、それも  

ひとつの生き方なんだと納得させられた気がした  

からだ。それは「それでもいいんだ」という生き方  

だった。成功に逆らってもいいんだ、という点に  

感心したらしい。反抗心が共鳴したのだろう。  

なので宮本武蔵もそういうスピリットの人間だ  

とわかった。武蔵の場合は絵だ。武蔵は  

絵を描く。江戸の瓦版が残っていて、江戸の  

絵師の番付が横綱から番付されていて、武蔵  

は3番目だから東か西の大関だっただろう。 

それほど、絵だけでも食っていけるだけの腕が  

あった。しかし、武蔵にとっては趣味以上の  

ものではなかった。その絵の中で有名なのが、  

枯木鳴鵙図(枯れ木に百舌が鳴く図)だが、 

細い枯木の立枝に、ちょんと百舌が止まって 

いるという水墨だろう、そこには背景が何もない。 

それが孤独な心象風景を感じさせ、非常な  

緊迫感を出している。これもドストエフスキーの  

文章と同じだと言っていいだろう。

その時僕は自分の運命を予感していたのだろう。  

そういうものが前もってわかるのは、どうしてかと、 

考えようとしている。まだ19歳になるには早すぎる  

年齢だ。それでもその体験の前のことだった。  

そして、無への落下を施行する直前に、統合失調症  

の女性に少女の頃から好きだったという本を贈った  

のだが、それは「アンネの日記」だった。ナチスから  

逃れて家族でアムステルダムの人の家の隠し部屋  

に隠れて住んでいた。 誰かの密告で逮捕され、 

姉と共に腸チフスで亡くなった。 

隠れ家ではないが、その彼女もクリニックの病棟で 

暮らすことになった。その頃は例え発症していたと  

しても精神分裂症と呼ばれていて、病気がまだ理解  

されていない頃だ。今でも原因は不明のままだが。  

彼女は何から運命をアンネの日記に感じたのだろう。  

僕がその本を彼女に贈ったのには訳がある。  

そこを辞める前にオランダへ行ったのだ。それも 

アムステルダムに。アンネ・フランクの家にも観光  

訪問するはずだったが、2回トライしても人が大勢  

並んでいて、諦めた。ところが、その近くの公園に  

アンネ・フランクの銅像があって、僕は偶然、そこを  

通った。何の気なしにその前に立った時に、悲しみ  

が押し寄せてきた。この前に立った人たちが寄せた  

アンネへの同情の悲しみだったのだろう。僕自身が  

悲しんだわけではないので、自分のものではない  

のはすぐわかる。これを話したことが、彼女に本  

を贈るきっかけになった。もうひとつ、3万人の  

ホロコーストの犠牲者に押しかけられたと思って  

相模川に(広い河原が適当だと)元の場所に帰る  

よう説得したと、前に書いたが、そのきっかけと  

したら、このことだろう。  

僕の中の意識がそういう記憶からホロコーストだと  

選んだのだ。僕らはこうして錯覚して、誤解する。  

なにかがあった。それは否定しない。その重さは  

説明できない、なにかだ。  また、簡単に霊とか  

魂とか、わかってもいない言葉で簡単に肯定して  

いいことではないことも、感じるのだ。安易な考え  

で決めつけて僕らは光の点をUFOに見たり、白い  

洗濯物を夜の幽霊に仕立て上げてきた。面倒  

なのは誰か少女が見たものを、一緒にいた数人   

の少女たちも(見ていないのに)見てしまうことだ。  

あそこに誰かいる、とでも言えば、誰もいなくても  

僕らの脳は一瞬で記憶からそれらしい映像を  

仮に見させるから。そして、そのあいまいさは  

当人にとっては視た、というしっかりした記憶に  

なってしまう。かくして、一人しか見た確信はない  

のに数人が同じものを見たとなってしまう。  

その錯覚の心理劇を除いたら、僕らの誤解も  

少しは減らせるのだろう。  

そのクリニックを辞めることはその彼女がきっかけ  

になった。それで無の闇に全身で落下する決意を  

固めたからだ。3日しか悩まなかった。悩むという  

よりもそれでいいか、と自分に決行を促すという  

3日だった。

決行して、その時も脳は壊れず、死にもしなかった。  

運命は劇的にはっきりしたものになった。変わった  

のかどうかではなく、そのことが一番わかった。  

そして、それからはあいまいな霊的なことはなにも  

起きていない。僕は知性を捨てることを考えていた。  

自己と知との双児関係は、まだ先に気がつくこと  

だった。  


孤独と絶望が舞台だと思っていた時代は、確かに  

去った。それらは当然の自然の対応だった。僕ら  

はそれに慣れない。それに慣れることは真のもの

に触れることの一部だからだ。それで’自分’は 

自己防御のために、そこに死のイメージを与え、  

避けさせる。真のものに触れさせては、’自分’が  

からっぽの存在だと、いずればれてしまう。

それを空虚な精神である、自分自身がよく知って  

いるからだろう、潜在的に。だから、潜在的に  

僕らに気づかれないように操作して、瞑想から  

遠ざけたりする。僕らの自分はそういう意味では  

二重の存在である。それも、こことあそこという  

わかりやすい区分ではない。現空間にこの世と  

あの世(この世の小さな部分)とが同じ空間に  

存在するように、潜在と自意識在は区別できない。  

僕らが死なない(生きたままで死ぬ)と見えない、  

感じない、というそういう様相をしている。瞑想は  

頭をよくする体操やゲームではない。決して真似  

することのできないもの、だから、区別も定義も  

され得ない。飛び込んでみたら、気持ちが  

吹っ切れた、ということはある、それにやや似て  

いる。行動の後の結果でしかないし、予想が  

つかない、ということも。  

自意識はそこに死を植え付けようとする、怖い  

ことはしてはいけない、家(この世)でおとなしく  

していなさい、自分が傷つかないように暴れ  

なさい、と。もう、5,6000年も言われ続けて。  

ゴリラやオランウータンと通じれば、自分が  

人間だとわかる。そこに私の自分も知性も  

どういうようにあるのかも見つけるだろう。  


悲しみは根を張りやすい。そして、人は憧れ  

たいし、尊敬するものや人を求める。相手が  

なんでも、木や石でもそれを崇拝して、それに  

対して祈ってしまう。信仰と宗教ははっきり  

違うのだが、それは個人と団体の違いだと  

いうのも正解に近いだろう。 その、信じる  

ことができずに他のものに依存しようとする  

性向を拒むのは難しい。  

僕は自分を信じるようにさせられるかのよう  

だった。危機的な状況を超えた時に、自分  

だけではできなかったという感情が沸き起こる。  

それで人々のお陰と言う。それはでも、半分だ。 

残りはすべて、自分ではない。では何が?  

それは怪しいものでもない。それはその人  

本人が自分で確かめてくる他はない、と  

言えるものだろう。僕には僕の信じるものが  

ある。

”死ぬときはどんなことをしても、それは避けられ  

ない。そして、生きる時はどんなに絶望的状況  

でも、必ず助かってしまう。” この教訓は、それ 

をある程度翻訳したものだ。山で学んだ。  

そして、僕らはいつが死んでしまう時か、生かされる  

時か、それを知らない。だから、上の言葉は、それ 

がわかる人にしか役に立たない。言葉が人を  

活かすのではなく、誰が言ったか、誰に言わ  

れたか、何が言った(よう)か、何に言われた  

(よう)かが大事だ。僕らはほんとうのことは  

「わからないこと」を通して経験しなければ、  

わかるようにならない。生きることだけでは、  

半端な経験になる。

伊藤博文は女好きだったので明治天皇も  

嘆いたそうだが、彼が初めて洋行した時、  

(当時、飛行機もなく、船旅は命がけだった)

ふんどしと中途な辞書しか持って行かなかった  

という。無論、英語なんか喋れなかった。  

ふつうはお先真っ暗、という。 

  

 皆、自分の人間しかもっていない。それ  

で十分だということを知らなさすぎる。そう  

いうことを知らないように生きざるを得ない  

世の中だということも見えない。そして、潜在  

では感じている。  

言葉にできなくても、それだけは疑えない。  

だから、小説などではそれが書かれているが、  

それは一部の状況・人生・生活というものに  

それぞれの人の頭の中で、ストーリーという  

遊びに翻訳されてしまう。  

自分なら、この状況の時、どうするか。そう  

思い悩むほど考えてみるのも、なにかの練習  

になるかも知れない。 


  
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