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街を 建てよう [夢]

この 力強い  振動

重機が 壁を壊して  街を 新しくする

笑って  笑って  どうしたんだ 君たちは

街を 新しくするんだろ? と聞いても

笑って  答えない  嬉しそう

いつの間に  大広場に 仮の家が 立ち並んで

街の半分が  裸になって  人々は  そこに集まる

瓦礫を 片づけるでもなく  雨と 風が 吹き抜ける

そのうちに  瓦礫の 一か所に 人が集まって

話しこんでいる ああだ  こうだと  言っている

道路は 広く 消防ができるだけ 広く、 と

そうすると  道路の走るような 道筋の瓦礫が

運び出され だした 

代わりに 建材が 運ばれて  一軒の奇妙な家が 建ち始めた

二階の壁から  鼻のように 通路が突き出て

それは  閉じられないまま

道路も その周りから 舗装されて  立派になった

そこだけ

不思議な そこだけの きれいな舗装道

やがて 二軒目が 建ち始めると  二階の鼻に

同じような鼻が  つながって  それは回廊に なったよう

つなぎ目が 別の素材 別の大きさ  なんとか 塞いではいたが

その不格好は  気にされていないよう

色も  別々に 好きに塗られて  まるで

君は君  僕は僕だ

広い道路で どこへでも 通じたが  細い路地も

それを つなげ始めた  そうすると

先に建てないと 建てるのが困難になる 家が  次々に

散散と あちこちで  始まった

尖塔の家も あれば  屋上が広い庭の 家もあった

屋根に土を盛って (菜園?) 崩れない屋根裏にしたり

見ていると 面白い  てんで 皆 好き好きに

家を 建てていたが  この街の 雰囲気が  残っていた

皆が  自分たちが 懐かしいとするものを  残して

街は 新しくは ならなかった

街は ただ  古さを 蘇らせた

これだけ  好きな家を めいめいが勝手に  建てて

暗黙の 了解が  あった

街を 壊して  もっと 自分たちの街に する、という

アンバランスなのに  色や 形  色合いで

どこかで  バランスを 取っていた  今も

普請中の 家でも  まだ  人が集まって

ああだ  こうだ と 騒いでいる

皆  それを 楽しんでいる  この先 5年,10年かかるだろう

皆が  残ったペンキなど 持って 駆けつけてくる

時々は  設計士が  代わって  新しい設計になる

そう また  壊しているのだ  この街の人は

手を抜く気は  ないのだろう

彼らは  人の家を 建てているんじゃない

この街を 建てているのだ  彼らの話題は

自分の街の  変りようを  夢見るように

話している

この街は  彼らの 夢なのだ

急ぐことはないのだ

皆で つくっている

一軒一軒 建つたびに  夢が 形になる

その喜びが  笑顔に

僕は  この光景を 見て来て

この街に 住みたいと  思った


ある朝  僕の足は  まっすぐ  彼らの

ああだ こうだの中へ  歩いて

入って行った

そうだ

僕の 家を  街を  建てよう !

想い描いた 家

想い描いた 街

好きにやれと 言いながら  遠慮しないで

ああだ こうだと 言ってくる人たち

僕は

一向に 進まない  ここに

夢を 見はじめている

ここに  建てよう、  街を!

僕の  街を !
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種と知性 (概知の~3.) [思考]

これは「概知の新天地に迷いこんだ 探るその3.」である。副題で「種と知性」

とした:-


日も落ちる頃、目覚める。 夜勤明けが隔日で続いたので、 なかなか疲れる。

書きたい気持ちが膨れ上がっているので、 ウズウズしているのがわかるが、

以前のように体調を考えずに、その日を全力全開で、それ、フルスロットルの

ことか、やってしまうとダウンしてしまう。そうすると3日が休養で無駄になり、

抑えながらやるほうが先へと進むことができる。もう数十年前に覚えた教訓だが・・。


外に出ると、西の丹沢大山方面だろう、空の底が明るい。山の裏に日が沈む、という

のはただ地球が自転しているから、なのだが。 知識には情緒が欠けたりする。

散歩コースは海老名市の北部公園までの道筋が決まっていて、それは20数年変らない。

目久尻川、一級河川だがまだこの辺りでは、川幅5mくらいだ。公園には桜並木が少し。

その一番手前にある樹は桜ではない。なにか知らない。その樹木に注目したのは、はじめ

動物のフンらしいものがたくさん散らばっていたから。拾ってみるのに、腰を落とすと

すぐにそれが種だとわかる。100以上、この樹のまわりだけなので、この樹の種だろう。

親指の第1関節くらい大きいので、実も大きいだろう。それで想像がつかなくなった。

そんな大きな実をつけていたら、今までの散歩の時に気づくはずだが、記憶にない。

梅干しの種の2倍ちょい大きいだろうか。ランダムに皺が入っていて、穴になった

皺もあるので、見方によって人・猿の顔に見えなくもない。

季節で花を咲かせれば、調べがつくだろう。

そうして種をひとつ指の間で弄びながら、自分に調べる気がないのを知る。どうして

だろう、いつもはすぐに調べて知識をストックするはずなのに。

どうしてどうでもいいのだろう。百科事典の知識に辿りついて、それをストックしても

百科事典以上にはなり得ない。そういうことなのか。

自分で知識を創出する、そういう態度を保持したかったのかも。それで特に何かを対象

にしてという目的があるわけではなかった。イメージは高等遊民なのだろう。

この「高等遊民」という言葉は杏(女優)がヒロインのドラマで、その相手の長谷川博己が

働かないで自らを称して言っていた。が、初めて聞いた言葉で、ずいぶん時代的だと感じた

が、実際その通りで、明治から昭和初期まで使われていたそうだ。

その意味ではないが、その意味での精神版というようなもののイメージなのだ。立場は

ニートと似ているが、もっと高尚で貴族的な生活態度なのだ。


既成した植物学におもねるのではなく、自分で植物の学を創成すればよい、という気分で

これは勢いのようなものだろう。今までの分類や解剖ではない見地から新しく作ればいい

のだ。例えば、「植物社会学」(ブラウン・ブランケ)は流行らなかったが、そういう

感じのものだ。

(ここで前回の記事で家にある在庫の本が400冊以上、というのを4000冊に修正。

 0がひとつ足りなかった。評論家でも数万冊は在庫があり、4000冊も少ない方

 なのだ)

今のこのブログは既成知識の全体に言及するようなことを書いているが、書けばキリが

ない状態なので、まずここから幾分か詰める必要がある。例えば、教科書から始めよう

とか言ってしまうと、世界の教科書を翻訳しなければならないし、それだけでも大変

なのに、それを読むともっと大変なのがわかる。特に歴史については自国に都合のよいこと

が書かれていて、自国自賛なのだ。当然、関わった戦争についても負けたのに、勝った

というこじつけもあれば、経過を捻じ曲げたものもあり、中国やインドなど大陸なので

そのさまざまな民族が入り乱れて、他国からはうかがえない事情もある。

例えば、日清戦争は中国人との戦争ではなく、満州人との戦争であって、正確に中国と

戦争したわけではない。が、日本の教科書はそうなっていない。アメリカがもし、

アイヌ人が日本の半分を支配して、そこと戦争したとして、アメリカの歴史の教科書には

日本と戦争したと書かれていれば、僕らは違う、と思うだろう。それと同じ違いが日清戦争

にはあって、中国史を扱っている学者でもそこがわかっているのは、数人しかいない。

中国大陸にいれば皆、中国人になってしまっている。歴史認識の事実の違いはここにもある。

そして、くり返すが精神風土や宗教感情などによる認識の違いは、より甚だしい。

進化論は日本では常識かもしれないが、アメリカのカトリック教会のテリトリーでは、

地方に多いが、進化論は禁止されていて、聖書が正しく、人間は神が土から作ったものだと

教えられている。またアメリカは自由の国だと言われているが、9.11の後のアフガン

戦争開始に「戦争反対」を唱えたある一女子生徒は、クラスメートから、教師から、学校

から総ボイコットを食らっている。アメリカ大陸でも東と西は教育は違い、南と北でも

違う。


さて、そうしたら何を頼りにこの古い新天地という、この世を理解し始めればいいだろう

か?
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概知の新天地に迷い込んだ 探るその2. [思考]

僕らの理解の仕方という問題と、外側の煩雑な知識世界という問題を扱うのに進行は

その交互で行うことを前回で言った。次のことは起点をどこにするかだか、行うことは

山ほどあると言うよりも、一生をかけた時間でも足りないと、言ってもさして誤りでは

ないだろう。ではダメじゃん、とするのは誰でもする平凡なことだから、それは必ず

誤りを含んでいる。

まず、終わらないからやらないというのは、期限付きの仕事で、そこまでに完成しないと

もう役に立たない場合のみである。僕らの人生は死ぬまで続くし、いつ死ぬのか不明

なのでできるだけやる、というのがまともな考えだ。

千里の道も一歩から、という古い諺があるが、この正しさはともかくもやってみろ、

一歩も踏み出さないでどうのこうの言うな、というのが真意だ。それで、この諺は

今回のような場合は使えない。誤謬が含まれているからだ。

千里の道は直線を想定している。だから、一歩は一歩でしかない。ところが、全体を

追及しようという場合は、ある一か所を征服すると、その知識なり認識なり考え方を

使って、他の項目がより迅速に攻略できる。また、関連があれば省略も可能なので

これもより迅速に次に移れる手段になる。つまり、攻略地点が増えれば増えるほど、

僕らはそれらを見まわしながら、より速く、より効率的に全体を摑むことが容易に

なってくる。だから、千里の道ではない。この世という丸のなかをつぶしてゆく

作業なのだ。それで進めば進むほど、作業は楽になる。つまり、始めたもの勝ち

だということ。

範囲は、だが、広すぎる。のは、変らない。こういう時はどこから始めていいか

わからない。だから、どこから始めてもいい、ということなのだ。それは適当に

大雑把ないろいろの要素を取りそろえて、テリトリーを決めるしかない。

そして、決まった範囲からどれをピックアップするかで、条件は緊急と重要なもの

というのは、教科書的に言われているので知っているだろう。他の条件はなんだろう?

それは1.精神内部の理解について、2.外部の知識、3.資料を挙げておいて思うと

まず1.においての緊急と重要の選択(a)、同じく2.においての緊急と重要の選択(b)、

ここは読み流してかまわない、その(a)と(b)のそれぞれの関連に注目しておくこと、

また、そこから1.と2.との全体の関係性にも触れないと、別々の分野でことが進んで

しまうように見えて、すべてを「理解」するとは、どういうことかが鮮明にならなくなる。

3.の資料はそれぞれでチェックする。いつでも資料のどこを見ればいいのかが自明で

ないと、靴をはきたいのに、靴下を探して時間を取られることになる。

この準備で決定する作業は3日あれば十分と思うが、変則に仕事を依頼されて、明日から

3日ほどつぶれる。その後に3日なので、続きは24日以降になるだろう。


*その手前の問題は、他のブログを見に行く暇があまりないことだ。あまり、とは正確

 じゃない。ほとんど、に近い。家には4000冊以上の本があり、ほぼ数ページは見て

 いるが、読みとおしたものは10冊くらいだろう。それでも毎月本は増えている。

 本を見ると、それが何に関連しているかわかるので、ざっと読んで、詳しく知りたい

 となると、つい購入してしまう。、、、癖がある。
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概知の新天地に迷い込んだ 探るその1. [思考]

今夜も

自分が こんなに面倒なものに  関わりあっていると

再認識する。 例えば、この3000年の文化と 科学・歴史・学問の移り変わりを

どう説明するかということ、   どこから始めるかということ、

どちらも 難問に見える。  僕は まだ  その点には注目・集中したことが

ない。 Nothing!

ともかく、始めるのはいつも 今からで その場で始めなければならない。

うまく どう進めるかが まとまるように考えられればいいのだが・・。

46億年の地球の誕生から始めるのは、よくない。わからないこと、知られて

いないことが多すぎて、結局は役に立たない想像や仮定ばかりの 知識になってしまう。

古いことほど新しい知識が多く、それは新発見によって覆されてしまうことが、 

よくあるから。

手塚治虫は過去の日本から始め、未来の日本を次に挟み、どちらも現代に近づけて

最後は現代を漫画で描こうとしたのが「火の鳥」だったが、趣向が面白いだけで

基本は同じことだ。  未来は予測できることが限定されているし、想定外で

すべての未来はひっくり返されてしまうので、新しい事態、今のコンピュータや

ネットは、誰も想定しなかった。そのように未来は不安定だ。

僕らの頭は固定的で、それは知が概念で区分けをして考えるからだが、 善悪に

代表される二元の対比・対立思考という癖がはなはだしく、そこから抜けるのは

容易ではない。

そこで、僕らの理解という内側の問題と、外側の煩雑な知識世界という問題とが

浮かび上がる。これをどうするか。

両方交互に混合させた書き方をしてやって、はじめはそれほど広がらないが、

でも広がるのに、時間はかからないだろう。それはそれで、またどうするか

考えて、まず一応それをやり方にして、次ははじめの起点をどこにするかだが、

う~ん、次にするか。緊急と重要と、他に選択するための要素がありそうで

今すぐには思いつかない。が、放っておくと痛い目に会うのはわかっている。

(明日は外出なので、パソコンに触れない)続きは19日の予定。
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この世が練習問題というもの [精神]

話してくれたね

世界の はじまりと 終わりの話を

それは 僕の生き方を  変えてしまったけれど

僕の 小さな 知 を 吹き飛ばしてしまったけれど

それは  背伸びをしたみたいで

世界の クローンをつくるに  とどまってしまった

それは それなりの冒険で

ジェットコースターの 詳しい記憶が  あるわけないように

自分が  そこにいたという  実感さえ 失ってしまった

We Got it !


話してくれたよね

愛の はじまりと  終わりを

終わりは まだ 始まらなかったけれど

僕から そこを離れたんだ

それは 語ることができないくらい

大きな  僕らの  膨大な物語

その洪水の 想いは  とてつもなさ過ぎて

わかるのは  語れないことだけ

死とともに ある愛というものも

その他の パターンも  あるとわかった

僕らには  どうしても  永遠に感じてしまうほどに

器が 小さすぎて  困ったことさえ  気がつけない

わからない

津波のように  海ごと 丸ごと  流されるんだから

上も 下も  ありゃしない

死は 死ではないと 言っても

それをなんだとも  言えないのだから

もっと 大きなもの  としか ・・

それを 現わす言葉は  今までなかったし

現わせないから  誰も

言葉に しなかったんだろう

そのくらいが  わかること


僕には  「世界」という言葉が

そのすべてを 現わして  想像が及ばない、 尽きない

世界の 広がりが  ある

そこに  僕らは  居られない

そうだろう  宇宙でさえ  個人では 長居は 無用だ

そこでの集中による 緊張を  解かれると

僕は  拡散してしまう  僕の心を

どうにか  まとめて これからを考えよう  とする

まだ 勇気が  残っているうちに

僕らは  百分の1  億分の1の自分に

穴を開けるだけで  死ぬほどの勇気が 必要だ

それは 今でも  これからも  いつでも

矛盾したことで  自分が壊れないようにして  

穴を 開けることができないし

自分を 壊すつもりでないと  少しの穴も 開かない

自意識の世界は  いつも こちら側で

無意識が  あちらの 対価になる

こちらの世界で こちらの中に いるのなら

対比できるものはないので  死を恐れる  

それより  方法がない

対価が 穴から漏れるから  対比して  はじめて

こちらが何か  わかる

光と影が  協力するから  ものの形も わかるが

どちらかだけなら  それは 映像にならない


わかればわかっただけ  そこから隠された

あちらの わからない部分が  あらわになるが

それは わからない形をしたまま

あると感じるが  それがなにかわかるとは  別のこと

わかれば わかるだけ  わからないことが増え

代わりに  この世で

自分というものの 善し悪しが見える

答えは 見えただけで それなりに

素晴らしいが     やがて  

答えを どう生きるかが  ほんとうの答えになる

生き続けて  最後まで行かなければ  それはない

僕らは  その矛盾を 越えられない

いつも これからも


もう それが  どうだということに  興味は少ない

どれだけ それの どこまでを 辿れるか

そこに 携わる 関わる  身を置いてみる

そういうことが  必要になる

期限を決めて  バーゲンじゃないが

わかっていることを  確認する必要は あるから

さて  話してもらおう

過去の書籍から  現在の 山盛りの研究に

どんな 途中の事情が あるのかを


結語は 書かない  これを説明していくには

これから  長いスペースが 要るから

それは 想像できないくらい 旅も 文化も

科学知識や 植物・動物も  関連する


もう 午前3時半に なった

よく寝られそうだ ・・



*その長い物語だけれど、ひとつを最後まで読まないと誤解が解けない仕掛けに

 なっている、というか癖に。それが欠点だね。
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小説を夢見る、忘れる、書く [夢]

昨日(12日)は仕事夜勤明けの日だったが、仮眠が取れたので寝なかった。それでも、

DVDのおまけを観ていて、よく瞬間に寝ていた。寝て、すぐ気がつくパターンだった

ようだ。

それで今朝も疲れが出たような感じで、幼稚だが、漫画ぽくて面白い夢を見た。

夢で一篇の小説を見るのは月に何回かあることなので、珍しくはないが肝心の部分が

思い出せないのは悔しく、残念だ。

午前中から書いているのはそんなわけで、書いておかないとどんどん忘れそうだから。


まだ体の芯に眠気が残っているのがわかる。肩も幾分、重い。

思い出せない部分から行こう。

コンクリの壁に隣の世界に通じるドアがある。安手の木製で大きさはホテルの部屋の

ドアと変わりない。それがピンク色に塗られている。少し古くなっていて、木目の

筋に影が見える。取っ手がない。指の爪先で開こうとして、ドアに隙間があり、

そこまで縦にビニテープが貼られている。それもピンクだ。

それは話し声が聞かれないようにだ、との夢の説明を聴く。ドアはうすく、2cm

ほどしかないで、すぐに手前にすーっとスムーズに開くが、開いてもそこに同じ

ピンクのドアが待ち構えている。これも話を聞かれないように用心したのだろう、

その2枚目も簡単に開き、その次に同じもので3枚目。それも開くと、6mくらい

暗い通路があり、その先に陽射しのある世界が覗いていた。やはり、このドアで

つながっていたのだ、と思う。実はこの前の場面が思い出せない。わかっているのは

このピンクのドアは刑務所か学校のような建物側から、こちらの世界に通じている。

はじめはその向こう側から俯瞰して、刑務所の異世界を上から眺めていたのだ。

その校庭のような中庭の上には中空にホログラムぽいネオンが浮かんでいて、

ネオンからは火花が飛んでいて危なそうである。このネオンをなんとか壊さねば

いけないのだが、それは刑務所内の電磁気プログラム指令室からコントロールできる

ようになっていて、そこでプログラムを書き換えればいいらしい。

そこで潜入がされなければならないのだが、もう潜入して帰りの段階だろう、それが

ピンクのドアになるらしい。こちらの世界でもいろいろなイベントがあって、そこが

ちと可笑しいのだが、夢なので内容を忘れて、印象だけが残った。

それでつながりは不明だが、お話になっている次の夢に行こう。


ここは学校の校庭で左手が3階建ての校舎になる。右手は低いコンクリの壁があり、

その上が植え込みでその裏手はもう住宅街になる。僕は校庭で空を見上げている。

はるか高くに黒い点が見えるが、僕が待っていたものだ。迎えに僕も飛び上がる。

空や中空を飛ぶのは僕には夢の中で常套手段になっている。その黒い点は近づくと

2人乗りのリフト座席で、あいつが女といっしょに乗っている。奴らしいパフォーマ

だ。僕はロケット風船のように近づくと、あいつが「よう、サスケ」と言った。

忍者佐助の名前で僕を下っ端のように侮蔑したかったのだろう。

リフトの先の終点に丸い車止めが中空にあり、ぶつかれば壊れるし(これも火花を放って

いた)、危ないので教えてやろうとしたが、あいつなら平気だろう、と馬鹿にされた

お返しに後ろを向いてしまった。やはり、平気だったようで後ろで何の音もしなかった。

あいつは言ってみれば、悪の王で世界の破壊者だ。もちろん、漫画の話だ。

僕は善を代表しているらしい。怪しいものだが・・。

僕は空を飛んでこの校庭の周囲で潜水服型のロボットが、なかに人がいるらしいが、

空から銃を持って構えているのを見た。銃の形だが、カメラだろう。あいつの手下か

大会のスタッフか誰かだと思うのだが、そこに警察の小型ヘリ、たぶん無人、が来て

パイプ状のものを伸ばして、先がそのロボットの腰のあたりに吸いついた。そのまま

なにか警告しながら、パイプはぐんぐん伸びてぬいぐるみロボットを地上に降ろし

てしまう。上空からの撮影を禁止したらしい。

さて、大会というのはあいつと僕とが最終決戦(ではないのだろうが、名目)で戦う

からだ。校庭に下りてくると、あいつが歩いてやって来た。勝った方が受け取るそれぞれ

の品を見せるためだ。あいつは織田信長のような不敵な面構えで、腕を差し出した。

そこに小さなひょうたん型の金属製のものを持っている。ひょうたんの先からは

これも金属片の帯が2、3枚小さく垂れている。僕も手を差し出すが、これはプラスチック

のおもちゃ風で5cmくらいの戦艦模型だ。どちらも世界をひっくり返すほどの神器らしい

が、ぼくのほうが安物に見える。ま、夢だ。

大会のプログラムはこうなっている。大将同志が制限時間ありで、初戦に出る。そして、

最後にまた2,3日の原則制限で最終決戦となる。これで最後にはならないと、僕は

初めから見ている。試合が長引いてあいつが負けそうにでもなれば、どんな汚い手を

使ってでも会場(校庭)や周辺に騒ぎや異変を起こして、勝負どころではない状況を

つくるのがわかっていたからだ。これは飽くまでも最終決戦の名を借りたパフォーマンス

なのだ。といって、わかっても避けるわけにはいかない相手なので、やっかいだ。


勝負の初戦が始まる。観客はいるのだが、その歓声も姿も聞こえないし、見えない。

勝負に集中させるためにホノグラムかスクリーンをかけているのだろう。この後は

僕の弟子たちとあいつの手下が精錬した者で個別に争う。

僕とあいつとの距離は150mか、もう始まっている。実際の体ではなく、自分を

ホノグラム化して膨張させ、お互いに適当な巨人になる。そこで互いに右腕を掴んで

力比べになる。それだけで気圧の風が校庭に巻き起こって、砂嵐を呼んでいる。

このホログラム化はまだ最新の技術で(なんの?と聞かれると困る)、僕は重大で

決定的な欠点を見つけていた。はじめはあいつも同じことをし始めたので、しめしめと

思ったのだが、そうではなかった。

これにはある微細な個所にホールがあって、これを利用するとホログラム化を崩す

ことができるのだ。巨大にホログラム化しながら別にその個所に行くと、なんと

あいつもやって来ていた。なるほど、やつも知っていたのか。で、そこでもミクロの

勝負になり、校庭の1ヶ所でショートしたような火花が飛び散った。すると、めんどう

なことにその刺激で新しいホールができてしまうという事態に。その異変はすぐに

わかる。あいつも僕も分身して、すぐにそのホールの確保に向かうのだが、実力は

伯仲している(懐かしい言い方)から、その激闘の小さな火花が校庭のあちこちで

飛び散りはじめた。

と、同時に巨人の距離がジリジリと縮みはじめた。分身たちの闘いにエネルギーを割かれ

たので、巨人の体積を縮小せざるを得なくなった。そのため、僕も相手に近づくこと

になったのだ。(いや、さすが小説、長いな。端折るをえない)


それで二人ともついには生身で対面して、右手同志が20cmまで近づいたところで

時間切れ、となる。観客からの火花への悲鳴も収まる。悲鳴はさすがに、その気を

二人とも感じていた。

と、ここで眠りを破られた(目覚めた)のだが、わかりやすいお話で空飛んだり、巨人化

したり、夢の中では夢による解説も面白く、しばし、寝床でそれを復習していた。爽快な

感じなので、これは書いておこう、と思ったり。

夢では夢占いで意味をひも解こうとか思って、項目を見つけてみるのだが、ない項目

が多くて。意味がよくわかったというのは、数少ない。潜水服もロボットも項目が

ない。ホログラムなどは絶対にないし、巨人も「精神的に幸運を。感情に流されると

無駄になる、」とか。象徴的なだけで、全体にどういうことか、わからない。

精神分析の二大草分けになったフロイトとユング。ユングも夢分析のために世界中

の書物を読まなければならなくなって、中国の古文書にまで手を伸ばしている。彼が

言うには、夢の、日常を越えて神話の意味で太古が現れることがあるが、それに

しても神話の区別にしても、20日以上連続した日のその数の夢の内容を分析しなく

ては、ほんとうのことはわからないそうで、夢には天才的な直感がある彼でさえ

そうなのだから、僕らが夢から実質的な意味を取りだそうというのは、無理な願い

らしい。

夢は面白い。おもろい、・・それでいいらしい。
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ふたたび失敗する快感を もっと! (詩) [詩]

どうなっているのか わからないというのは


とても あたり前のことで  悩むことはない


でも それは なにかこれだと 現にあるものの


ことではない


まだ  なにか起こる前の  未来を思う 時


それは ふわふわして  形もない


さあ 勇気をだして  とか


言われないで いる  サモアールの 蒸気のような もの


本の中の 人生のように


自分の経験の 分だけ  生活に触れてみる 


他に なにもないのを  見た


これからも  なにもない  仮の パスポートを


渡された のだろうか  


役に立たない  古い家具の 隅っこに


子どものように  隠れる 


灰色が ・・・




紀の川 サンジェルマン  ライントレーダー


内乱  アジビラ   動き  ムーヴ・ジェントリー


キティちゃん  コーカサス  黒い ドブ板  


バイ  ソフト  Now  燃える、燃える  燃える


さあ 握った世界を  こちらに 渡して


破れる レースのスカートを  釘に刺して


踊る 白い人形  ロシアのノーワンモア?


歯抜けおばさん 笑わないで


アーミーライフルを  僕の 脇に置いて



そうだ こうやって  ぐっと 拳(こぶし)で 


なにかを  キャッチ! その芯 ・もの ・根 ・真 ・呼ぶ


そのものを 握って  頭まで グッーになる


呼んで  呼んで   声を かけてよ


サバイバル  薔薇を 散り放つ 海よ  


そうだ ビーーン  To-night!


if you  if you  if you for  me !  


近づいて  近づいて  私の 顔を見て !



からまりゆく 空の  瓦礫(ガレキ)


シンプルで 一筋の 底を見る 竜巻


僕らの 符牒  アイドル・シャドウ


ハイ ハイ ハイ ハイ レオタード・ タワー



・ ・ ・ ・  ・ 雨粒 



。  。  。


静かな  朝  ・・  鳥?


ふり  カリ?  そり  ナリ?


ふたたび  ・・ん ん  鳥


君は  鳥?



そうなんだ  まただ  また


僕は  ここに  いるよ


国境の 医師団が  行進してゆく


僕も  安心するよ


星が  大量に 落ちて来ても


僕のヘラクレスが  背中で 受け止めて


それを  空へと  返すだろう


なにも ないことなんか ない


毎日 出会うもの


この 誰かの  なにかの  誕生日


その 祝うべき  一日は


ある


あるんだ


その 一日の モーメント


プレーン オムレツ


僕らは  うまくいかない


そんなこと ばかりを している


それでも  この一日が


壊れるわけじゃない


どうして  この一日が  さまざまなものと


生れたのかを  ほんとうに  知っているわけじゃない


それが  何?


知らないことは  この一日が


壊れるわけじゃない


そんなことは  起こったことがない


この一日の  丸ごとって


なんだろう?


この 大きな 恵みの  かたまりは


ここに  ある


どうしても


どうやっても


なにがあっても


とんでもないくらいに


笑っても


涙ぐんでも


しゃべり過ぎて  唇を なめても


なにを 忘れても


なにを 失くしても


誰を 亡くしても


それほど きつくても


窓を  開け放っても


ドアが 風で 飛んでも


洪水で  家が ダメになっても


僕らは  うまくいかない


でも


一日の 大きさには 敵わない


どうしても  


それなりに


やり直す時は  やり直さねばならない


その  深さ (のようなもの)


その 沁み込んでいる  大きさ (のようなもの) 


その  ・・・



これを どうやって  測るか なんて


考えたことはなかった な  


考えたら ダメだよ、ハハハ


終わっちまう よ


気分 台無しだぜ


ん~~ん、  イージーライダー


イージーミス


んん


イェ、 モーニング シー


せすと  れすよ  プリティ ぼんぼ


ん~  膝が  ふるえる


快感は  定理を  泳ぐ


それこそ  定理、 錨(いかり)かな?


ソワ グム とか気味悪い  フランス言葉


エックス  キス キス


漫画の 塵払い


揚子江の  水抜き


沈んでゆく  風呂桶よ よ よ


インサイド アウト


外に 出てよ  もう 来ないで


この デタラメな 気分  いぶん  らぶん  デブン


アウト ディクシュン


ラ ラ ドウタワニミション  カウナーゼ


人々に  言い聞かせて  プロ・ウーマン  


パーパラマ  ソウデカミクンデ  待っておくれやす


ビミビミ ラミ デパス ノーチク


踊ります?


いかが?


そう



手を取って


それを どうします?


・・


・・





*気づいたのは、言葉を意味のない交響詩(意識)だとみなすのなら、


 第1楽章や2楽章と続くだけで、本来終わらないものではないか、


 と言ってみれば、失敗してもそれらしく見えないことかも。




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自閉症の世界を読む [精神]

昨日は「自閉症の世界」という本を読む。10年ぶりで自分と関連が深い本

だったので、退屈な部分もあったが、先が知りたくて、200ページを

一気に読んだ。3分の1を読んだことになるが、予想通りで、内容が丁寧だった

ので満足した。こういうのは珍しい。大筋で自閉症が今までの発達障害の一種という

ものではなく、自分の世界として生まれ持ってくる、という僕の経験則にも

合っていた。よりはっきりと示してくれたことがよかったのだが、残念ながら

医学的根拠はまだ不足で(残り400ページを予想で)、それはこれからの

課題になるだろうが、今はこの見解を打ち立てた人たちがいたということで

満足したい、と思う。

著者は科学ジャーナリストで精神科の医者ではない。スティーブ・シルバーマン。


自閉症が現れた背景も、第1次世界大戦から2次世界大戦を通じての頃で、

ドイツのヒトラーの優生学推奨から、ユダヤ人への悲劇が始まった頃でその頃の

ヨーロッパやアメリカでも世の役に立たない劣勢因子を持つ人間は殺してしかる

べきだという講演が、当然のように医学界を、世間を席巻していたというから、

詳しくは知らなかったので、恐ろしい風潮で、同時に興味深い。


さて、困ってしまう。ここまで優等生みたいに書いたので、ここからその自閉症と

統合失調症やアスペルガー症候群との違いを説明したり、自閉症の世界を新しく

規定しようとした二人の発見者のことなど書かないと、お決まりの流れにならない。

どうやってそれを省略して、自閉症について書くことをどう紹介しようかと、相変わ

らずに斜めに構えている。

もう僕の流れになっている。これで大丈夫、僕は部分で自閉症的だ。だから、この世界

を半世紀にわたって生きて、しかも乗り越えてしまっているので、この本を紹介する

のに実に適した人間だと言えるだろう。

そして、親が医者に見せるほどには異常な行動をする子供ではなかったので、どこ

まで自閉症だったかなどは、変らずわからない。物心つく頃が10歳とするなら、

その頃トラックにはねられた。精確に言うと、渋滞している車の列から車道を横断

しようとして、同じく少し先の横道に入ろうとして渋滞から反対車線に出てきた

トラックに接触したのだ。横断歩道上ですぐにトラックに気づいたらしい(本人は

頭を打ったショックで記憶がない)。すぐに飛びのいたが間に合わず、トラックに

直接ではなく、サイドミラーに接触した。5m飛ばされて、ころがっていた処から

(気がついた)記憶がある。医者に連れて行かれ、野球帽を取った時に、中が血で

真っ赤で、はじめて頭を切ったのがわかった。5,6針も縫ったのだろうか。

それによって有為な脳的欠陥の症状がでたという記憶はない。一応、報告した。


200ページの、全体では未消化なままだが、二人の学者、一人は「放浪する学者」を

めざした?ハンス・アスペルガーともう一人はその権威になった有能な観察者であった

レオ・カナーによって自閉症は、自然にもたらされた自分のことを先に学習するように

先天的に生れてきた子供たちで、社会にも家庭にもなじまない、人と接するのが不得意

とみなされるいわば、新しい人間たちでこれは予想されたよりも、調査をすると多かった。

この正確な数字は割り出しにくいだろう。統合失調症の子も同じような特徴を示すので

担当医の観察力次第だからだ。少しは例をあげよう:-

「P114

普通の子どもたちが学習する主な動機は、先生に褒められることで(ポジティブに)、

感情的に一体化することにある。しかし、自閉症の子どもたちは、自分たちの強い

興味を追い求め、「自分のために学習」する。彼らは、先生たちが自分についてどう

感じているかは気にならない。ただ真実を知りたいだけである。アスペルガーが見た

ところでは、このような子どもたちにとって最適な先生とは、皆と同じように振る舞う

ことを強要せず、不完全なままで受け入れてくれる人物なのだ。  」


アスペルガーは彼の自分のテキストには続けてこう書く、「要するに、教師自らが「自閉症

的」にならなければならない」と。そして、その「現実の子どもたちの指導においては、

並大抵ではない努力と集中力が必要とされることになる」ので、そういうことを理解する

教師も実践しようとする教師も出てこないわけだ。現在でも、この自閉症への見解を

知っている教師はほぼいないだろう。そうして登校拒否や引きこもりという子どもが

現れても、親も教師も教育委員会もその例で、誰も理解できない。欠陥や障害として

しか見ない。ので彼が自分で克服するまで待たねばならない。

今、大ヒットを続けている音楽家(・他も)米津玄師も自閉症で、障害者扱いされている

が、この本では、くり返すが、社会や人間関係を理解できない持って生まれた性質で、

特別なことに集中力をもつ子どもで、やがて自分で克服するが、それまでは理解され

にくいのだ。

ほんとうに自閉症が精神障害・神経障害・知的障害というカテゴリーと、別の見方の

発達障害というカテゴリーから区別されるのかどうかは、まだ道のりがあるだろう。

でも、

ヒステリーという現象が一時代の障害現象であったことを思うと、自閉症も時代的な

一種の自己防御を必要とした人類的な発露であることも、可能性としては考えられる。

どう見ても世界的な現象であることは間違いない。発達障害も、だから、同じように

そう考えることもできる。

アメリカでの医学的根拠のない、詐欺同然のキレーション治療やらバイオセットなどの

治療はどの医者も勧める「いま自閉症を打ち負かそう!DAN!]という宣伝文句でその

治療のために食料品や大量のビタミン・サプリメントで毎月数千ドル(数十万円)が

子どもの将来に必要な経費だと、バイオ医療の世界は広がった。

親は子どものために目先しか見えなくなっている。が、医学的根拠のないことを知ると、

その親は医者に質問した。「水銀の毒性が低くても、あなたは勧めるのはキレーション

治療だと言うのですか?」すると、医者は「そうです」と。「では水銀の値が高くても、

お勧めの治療はキレーションですか?」と尋ねると、また頷いた。最後にまた

「キレーション治療が適用できない症例は何かあるのでしょうか?」と聞いたところ、

医者は「いいえ」と。それを聞いて、その親は二度とその施設へは行かなかった。

そりゃ、そうだろう。どんな症例でも自閉症なら、すべてにOKな治療など聞いたこと

がない。この医者とバイオセットの療法士は知人でお互いにお互いの患者の親を紹介

して、利益を上げていた。

このバイオ治療の世界の年間売り上げが330億ドル(3兆3000億円)に達し、

アメリカ経済の原動力にもなった。この波は日本にも来るのだろうか?まだ5,6年前

の話である。

僕も「認知症」をしっかり理解したのは、自分の親が健康保険証やら、銀行の通帳やら

やたら失くしはじめてからだった。初めはまだらボケで親が自分でおかしくなりはじめ

ているのを誤魔化せるので、子はまだ親がしっかりしていると思う。ところが、近所の

人には子が自分を殺そうとしていると親が話している、というのをそのうち聞いてしまう

のだ。まだ、10年くらい前のことか。

また、

統合失調症などの軽い患者が住むクリニックに世話管理人として、入らなければそういう

精神障害関係に詳しくなることもなかっただろう。学校の先生の半数が一度は精神科や

神経科のドアをノックする時代である。が、それでもそういうことはほんとうに、身近に

ならなければ知らないままだ。

わざわざそういう憂鬱になりそうな本を読むようには、人間はできていない。僕も自分で

克服して、自分に相応しい環境を生みだすことのほうが人生を無駄にしないと、学んで

きた。これが正しいという自信はなかったが、障害者とは違うのに、(社会的にふつうに)

できることができないとは、感じてきた。そして、子どもたちはどんな障害もない。ただ、

孫の一人は反社会的にも見える夜中の行動など見られるが、僕から比べれば、それほど

心配するほどのこともない。十分にこれから変化して、自分でやって行くだろう。そう

感じるくらいの精神変化でしかない。周囲は、家庭はでも、変った子は手に負えない、と

考えるのだ。しばし、手をかけずに見守っていればいいだけのことだ。

そう言えば、僕は地震・雷・火事・親父の「地震・雷・台風」が大好きで、風で看板が

飛んでしまう中を遊びまわっていた。近所の人が親に、よく外に出しますね、と言った

らしいが、母は「言ってもきかないんですよ。飛び出してしまうんで」と言った言葉を

思い出した。天変地異に異常に興奮するタイプの子どもだったのだ。それで家では

放任主義になった。これもよくないのだが、僕の場合は特別にそれでよかったらしい。

まっすぐに育った。周囲も認めて、あるおばさんは、僕が26才で就職する歳まで

お年玉をくれた。社会性のない素直な僕は、それを当然のようにお礼を言って受け

取った。ふつう”もう受け取れない”、というのを知ったのは、まだ数年先だった(笑)。

さて、自閉症児たちの未来は、どうなるのだろうか。キャベンディッシュという

資産家の科学研究家がいたが、「データを共有することの大切さを認識していた反面、

発見によって名声を得ることには関心がなかった。争ったり議論したりするのを避け、

ただ平穏に自分の実験をしたかった」。

彼はオームよりも先にオームの電流の公式を発見していた。現代の電磁気の理論の

基礎となる法則は、シャルル・オーガスティン・ド・クローンの法則になっている

けれども、彼が最初に発見した。水は単一ではなく酸素と水素の化合物だというのも

ラヴォアジエが発見したことになっているが、これも彼。

彼は完璧な自閉症で、人生のすべてを実験を優先した。


それで思い出すが、クリニックを辞す頃にオランダへ出かけたが、帰って来て、最後

の日に、院長(女性)に死の体験などを話して、意見を聞きたかったし、どんな反応

をするのかも知りたかったしで、尋ねたが、落ち着いてよく話を聴いていた。

それで僕は結婚もしたし、ここまでやって来れたのだから、無の話などは、個性と

思ってそれほど気にすることはない、と話された。その時は、障害を指摘するには

年齢も年齢なので、遠慮して気休めを言ったのでは、と疑ったが、そう思ってみると

彼女の指摘は意外に当たっていたのだな、と思う。彼女自身も気がついていないの

だろうが、自閉症の人はやがて自分で自分のアイデンティティ(自己宛自己証明)を

決めなくてはならなくなるのだ。その場所はまだそれなりの地位を得ていないの

だから。


それで? 自閉症万歳!か、自閉症のために寄付を!か、まだわからないな。(少笑)



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バーミヤンのあとは物理学、あとは哲学と感傷 [果ての話]

えー?と驚いたのは、ブログでミスっていたこと。


下書き保存したつもりが、昨晩は眠くて中断したので、ボケて公表してしまっていた。


ブログ開けたら、なんで?である。偶々、区切りまで書いたので、確かにギリギリ


公表した形でもいいと。仕方ない、続きを書こう。と言っても、まったく話題は


切り替わってしまう。一応、「1.」も載せておく。読んだ人は飛ばして。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:

「今晩は若い知人が成長していたのに、少し驚いた。

バーミヤンで2時間半ほど話した。今まで同じ料理を頼んだことがないのに

同じ定食を注文した。これは相手と波長があっていると示す時に、出る行動

である。この8年で初めてとなれば、驚いてもいいだろう。

自分の考えた新しい考えも披露していた。これにも驚いて、「君の言うとおりだ」を

連発した。人が進んで、成長した姿に出会うと、まるで自分の世界が変ったように

感じる。でも、彼は仕事上で大変でアドバイスをもらいたいと、思っていたのだ。

成長する素直さが出て来て、自分の考えを述べるようになったら、ほとんどアドバイス

は必要ない。聞いたら、すべて前もって答えを得ようとする心配で、考え過ぎという

不安だった。やはり、アドバイスは必要ない。

人は失敗を恐れるあまり、未来の答えを現在に求めようとして、考えても仕方のない

答えの出す不可能を、考え出そうとする。

そういう心の問題はその場で答えを出せばいい、と。それだけだ。

その時までに自分の心や気持ちがどうなるかはわからない、いつでも、永遠に

わからないことだ、と。その時にその時の自分が答えを出すべきで、今の自分は

関係ないのだ。だから、つまらないことで悩む必要はない。


物理学の話はまったく出ない。彼には興味がないからだ。彼とは中国人による

中国史をやろう、ということで話が決まった。  」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:


このブログでは科学をやろう、と書いてあるので、中国史などの歴史はやらない。


話すのはこれもたまたま手に入れた本で、「光と物質のふしぎな理論」で文庫本だったが、


単行本になった。という言い方はおかしいので言い変えると、文庫本は紛失したので、


図書館で借りたが、単行本だったということ。


量子電磁力学について書かれている。Quantum Electrodynamics で略してQEDと


している。QEDでは quod erat demonstrandum のラテン語で「証明終了」の意味で


こちらのほうが有名かもしれない。漫画の天才学生の探偵もので「QED-証明終了」


もあるが、関係ない。


本の全体では量子電磁力学をとても長くなるが、矢印を1万本も使うことで、勉強に


4,5年もかかる数学を省略して、誰でもそれで理論の理解に導くということらしい。


安心してもらいたい。そんな退屈な話に引きづり込もうということではない。


入り口で著者のR・ファインマン博士が言っていることの意味を新しく捉え直したい


だけだ。量子電磁力学も量子力学を基本にしているので、極微粒子の動きを確率的に


説明して示そうとした理論だ。はじめの理論はポール・ディラックが作ったのだが、


光と電子の補正を計算すると、無限大になり、理論の欠陥になってしまった。それを


解決したのが、著者のファインマンとジュリアン・シュウインガーと朝永振一郎の


三人だった。それは実験の結果とごくごく微妙な差で、有意な理論の間違いは見られ


ないというものだが、なんと量子電磁力学が生まれてから、50年もいろいろな範囲


のものを試し続けて来たというのだ、半世紀である。


これは科学者の誠意であり、正しさの追求でもあるのだが、嫌味な見方をすると、


量子力学が正確な答えが出せずに、確率である以上、常に実験と照らし合わせる必要が


あること、それはファインマンにも疑いがある、ということだ。この講演でも「なんとか


皆さんをおどろかして、「なるほどこの説はホンモノだ」と思っていただこうとの魂胆から


なのです」と言っている。とても奇異な感じ。それで50年も実験をする?という。


でも、僕はこの極微のミクロの世界で量子力学によって、化学全般、物質のさまざまな


性質を解明するという偉業を成し遂げた。それが確率によるというのは、なんとしても


物質の根源については正確な答えは出せない、ということではないかという結論に注目


してしまう。これが限界とは思わないが、科学(理論)での解明の淵というものに近づ


いたのではないか、と。


例えば、感情の数式化を考える人はこれまでもいたし、これからもやる人が出てくる


だろう。それで感情のあらゆる面とそれらの関係を数式で結びつけることは、たぶん


失敗するだろう。それで感情は「感じることから」出て来て数式に情が移るとは思え


ない。だが、その追及の過程で人のなんらかの心理システムを解明するような理論を


発見することは、あり得ることだと思う。鳥にはなれなかったが、人は飛行機を発明


して空を飛んだように(毎度同じ比喩で、申し訳ない)。そう言えば、化学実験好きの


少年がただで道路工事のコールターをもらって実験していたら、偶然、素晴らしいブルー


が現れて、とても美しいので、彼は切り替えが速かった。そのコールターから染料を


つくる会社をつくって、その社長になった。世界で売りさばいて、儲かったという話を


聞いたことがある。


ここでまた、話題が変る。:-


根源、というのはむなしさを通して感じられた。この世という自分の世界にはないが、


死の地帯と呼んだ、人がそれを仮想とも実在とも区別ができない世界になる。ある、とは


言えない。それでは自身の認識で語ることになる。ややこしいが、その感じられないが


感覚はするのは、むなしさとして感じることでもわかる。自己は防衛本能からそこには


入らないように厳しくそこに恐怖をつくり、自分(その本人)に強い恐怖を感じさせる


ように働く。


丸一日歩いても闇ばかりが続くのであれば、慣れない我々は一歩歩くのもつらく、一日など


とんでもない、と思う。これは眼をつぶって簡単に実験できる。闇を歩く恐怖は最初は


想像以上だ。それで坐って確かめる。


それでも死と愛を境界から確認するだけで何年もかかり、そこから愛を見切って、死の淵


にまで行ってみたのは、つい最近のことだ。精神的に限界を一時?感じて一旦意識上で


戻ることにした。それは個人的に重要な発見だった。死に淵を感じたということは、


死の地帯にある境界があることであり、そこからさらに先が別のものがある、という


可能性が高いからだ。エベレストの空気地帯が人間の血液の酸素レベルを下げるの


だったか、そういうようなことで生理的に7000mより高い地域ではそのまま


人間が自然に息絶えてしまう地域なのだ。この世ではない世界でも同じような感じ


で、そこにいるのは現実の自分の肉体ではないにも関わらず、長居ができないのは


面白い。死の淵とはそういう世界であまりに広すぎるので、この銀河系とかの宇宙


がいくつも入っていてもおかしくはない、といういい加減な感想を抱かせられる。


根源とかいう言葉は、またすべての言葉という認識標識はここではまったく役に


立たない。闇の世界で「なにが見えますか?」と聞かれても答えられないのと同じ。


だから、この根源というのは僕のその世界へのかすかな郷愁なのだ。ノスタルジア


に過ぎない。人間のささやかな気持ちに過ぎない。


ニーチェの言うニヒリズムはちょうどそんな感じでこの虚無を捉えているが、それは


認識からそれを観察したような言い方(哲学)で、そのなかのどうしようもない実感が


言わせたものには、僕には感じられなかった。僕なりには、それが哲学的知の限界だと


思えた。


こうしてパソコンの前に坐って感じているのは根源への感傷なのだ。根源という言葉の


響きに想いを重ねるが、その先はむなしい空間が無限の彼方まで続いてゆく、という


想像しかできない。


そして、


僕はここにいるから、その窓の外からそれがずーっと


夜の果てまで一緒に続いている気がしてならない。不思議に心理や精神を歌うような


楽曲はどれでも似あう。響き合う。


アー、アー、ア  オウ    ( シンセサイザーっぽい 狼の声  だろうか










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バーミヤンのあとは物理学

今晩は若い知人が成長していたのに、少し驚いた。 バーミヤンで2時間半ほど話した。今まで同じ料理を頼んだことがないのに 同じ定職を注文した。これは相手と波長があっていると示す時に、出る行動 である。この8年で初めてとなれば、驚いてもいいだろう。 自分の考えた新しい考えも披露していた。これにも驚いて、「君の言うとおりだ」を 連発した。人が進んで、成長した姿に出会うと、まるで自分の世界が変ったように 感じる。でも、彼は仕事上で大変でアドバイスをもらいたいと、思っていたのだ。 成長する素直さが出て来て、自分の考えを述べるようになったら、ほとんどアドバイス は必要ない。聞いたら、すべて前もって答えを得ようとする心配で、考え過ぎという 不安だった。やはり、アドバイスは必要ない。 人は失敗を恐れるあまり、未来の答えを現在に求めようとして、考えても仕方のない 答えの出す不可能を、考え出そうとする。 そういう心の問題はその場で答えを出せばいい、と。それだけだ。 その時までに自分の心や気持ちがどうなるかはわからない、いつでも、永遠に わからないことだ、と。その時にその時の自分が答えを出すべきで、今の自分は 関係ないのだ。だから、つまらないことで悩む必要はない。 物理学の話はまったく出ない。彼には興味がないからだ。彼とは中国人による 中国史をやろう、ということで話が決まった。
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