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天才と知性2. 深層意識からー1. [深層]

母が存命の頃、とてもショックだったのは、バスのステップから落ちて中野区の病院に

入院した時だった。聞けば右肩脱臼だったか、3度目でそれを知らせない父も父だった。

年齢とはそういうものらしい。

で、見舞いに行ったとき、病室で母が僕の顔を見て、言った言葉が「どちらさまでしょうか」

だった。時間が止まったのを感じた。半年か、1年か会っていなかったかもしれない。が、

名前は忘れても、顔を忘れるのはあり得ない(というのが、僕の自分だった)。  

少し話をして、ようやく思い出したらしいが、この時にもう母の認知症は記憶力の分野で

脳に損傷が進んでいたのだろう。まだ認知症に不慣れな頃で息子の顔を忘れるのが

信じられなかった。   

僕が名前を母に忘れられても、こんなショックは受けなかっただろう。名前に思い入れが

ないからだ。自分の名前がなんであってもかまわないという傾向がある。と、書いてみて、

これは九州人に共通した傾向と似ているのかもしれない、と思った。

かの西郷隆盛はそもそも隆盛は祖父の名で、政府の役人が名前を間違えて登録したが、

当の本人はそれが判明しても気にせず、祖父の名前で通した。名前では、吉之助(本名)

のほうが隆盛を名乗って有名になってしまった。名前で気にすることはないのだ。

自分の名前を忘れてしまいたいぐらいに思っているのは、ちと行き過ぎだと思うが、僕の

事実だ。それと同じに気づくのは僕が見たものを忘れないほうで、聞いたものより、見た

もののほうが断然、記憶力がいい。

これは子供のころからだから、これが人として普通のことだと思い込みやすい。世には

聞いたことのほうが見たことよりも、よく覚えている人がいて、そういう統計は見たこと

も聞いたこともないので、どれほどの割合の人がそれぞれにいるのかは、わからない。

だから、それだけで僕らの意識は「常識」というものが分かれていると言っていい。僕の

常識では、母がそれほど期間が経っていないのに、自分の息子の顔を(見たものを)

忘れるのは、考えられないことだから、ショックを受けたのだ。聞いたことのほうがよく

覚えている自分ならば、それほどのショックはなかったのだろう。これは激辛を好む人

からは、激辛が食べられない人の触感(味覚)がわからないのと、変わりないだろう。   

そこで天才の話題に移るが、天才の秘密には誰も一般的には触れようがない。

学力や努力にまったく関係がない、一般的な才能を超えてしまう分野だからだ。

したがって、誰も知らないことはそれを明かしても、誰も納得できない、という方程式が

成り立つ。わかる人が、極度に少ない。証明できない、となると、「ああ、そうかもしれない

ね」で終わりである。   

西郷隆盛が川に流れる下駄に挨拶しても、誰もそれに文句は言わない。おかしい奴だとの

批判もない。鹿児島には西郷神社があり、彼の明治維新への業績から、名声が先行して、

変な癖など相手にされないからである。

ブッダでも反抗的な仏教指導をしたリーダーを集会で叱責して恨みを買い、象の群れを

放たれて、足の親指をケガしてしまうが、よくも助かった、さすがブッダということで、

ブッダでも怒るのかという批判の種にもされない。   

天才という言葉も世間では使いやすい安直な言葉で、どこでも簡単に”××の天才”などと

囃(はや)され、ようは世間の評価としての役割が強い言葉なのだ。天才は現代では芸能

関係での褒め標語に堕してしまっている。   

例えば、ビートたけしは天才だ、と言われると、言われたりするが、否定はできない。

フランスで映画監督として最高賞は獲得しているし、日本での芸人としての才能、

バラエティでのエンターティナーとしてのアイディアは申し分ない。豊かな才能を

持っている。

だが、欠けているものがある。世界が変わっていない。お笑いの娯楽で危険なエンター

テインメントは斬新なものに改革したかもしれないが、例えば、今までにないお笑いの芸、

そのものを劇的に変えて、昔の漫才も落語も過去のものになってしまった、という、

例えばスティーブ・ジョブスの Macから iPhoneへ変遷のひとつひとつが

世界の通信機器の形・見せ方・操作方法を変えた革命が、たけしにはない。

それは真の意味での新しさがない、ということだ。彼は座頭市の焼き直しでフランスで賞

を獲っているが、審査員に「これは今までで最高の作品でしょう、(あなたの中でも)」

と言われて、言葉には出さなかったが、小さな驚き、(違うよ)という表情を浮かべた。

それからもたけしの映画が興行で大ヒットしたというのは聞かない。ヒットしたのは、

やくざものの暴力映画だったろう。

天才には世界を変える何かがある、と僕は感じている。僕はそういう新しい変革を求める

タイプだったので、初めから天才は興味の的で、研究対象だった。 

(前置きはこれぐらいで)    

天才の秘密は前回(「読書できないは病か?」)で指摘したように、創造という摩訶不思議

なものの中にある。これに遭遇することはあるだろうけれど、これまでの歴史の中で

それについて意識的に書かれたものはまずない、と言っていいだろう。   

ちょっと気になり、触れたとか、副次的に可能性として書き留めた文献は散逸しながらも

見られるかもしれないが、なかなか見つけることは難しい。

そういう状況だと、探してきた僕などには思えるのだ。だから、今回も意見を固めることが

できない”あいまいさ”を残したまま、語らざるを得ない。

天才の秘密はそのまま創造の秘密だと言っていい。歴史に名の残らない天才は多くいる。

現在でも数十万人はいるはずだ。そういう人たちは、精神、または神経障害者として病人

として扱われている。理由は社会に適合性を欠いているということからであるが、中でも

サバン症候群と呼ばれる人たちは、電話帳を1冊軽々と記憶してしまう。そして、忘れない

記憶力の天才だ。しかも年度が替わると、それを新しいものに記憶の入れ替えをして

しまう。これは全員が新しくなることではないから、最初よりも楽なのかもしれない。

それでも異なる個所を見つけるためには、全ページを検索しなくてはならないだろう。

これも名の残らない障害者だが、当時のコンピュータよりも速く天体の軌道計算が数秒で

できたらしい。天文学的な数字の羅列を数秒で計算して読み上げるのだから、脅威である。

本人もどうしてできるのか、わからないと答える。   

サバン症候群の人などがどうして社会に出てこないかというのは、彼らが社会に「適合性

がない」のではなく、同じことのようだが、「社会への対応・適応に欠けるから」だ。

家族の誰かが自分の言うことを代弁しないと、他人とはまったくコミュニケーションが

取れないのだ。

神経の所為なのだろうが、その病と同じく当てになる解明はこの50年くらいはなされて

いない。

(仕方がないので、製薬会社は向精神薬で症状を緩和する方向で新薬を出し続けている。

精神医は今度の新薬はどうかな、という具合に(明確な診断はないものの)適当な患者に

使ってみようかな、と試すのだ。まるでインスタントラーメンが新発売されたので、どんな

のかな、という具合に。)僕はその環境下にあったので、直接、その医師の言葉を聞いて

いる。

向精神薬はウツでも使われるらしいが、その副作用も見てきたので、怖い、というのが

実情だ。   これ以上批判すると、暗くなる。   


僕がモーツアルトの創造の秘密を大まかにでも指摘できたのは、そこに触れた(と感じる)

経験があるからだ。モーツアルトは一生において、残された手紙などから、その日常から

は天才らしい?ところが見られない。

隠しておけるものではないので、彼の言葉通り、曲はごちそうのように湧いて出て、あとは

それを写譜するだけで、決して忘れない。ただ、それは楽しいことだったのだ。晩年の3つ

の交響曲も同時に書いているが、それは誰かの注文もなく、勝手に出てきたので書いたもの

だった。  

晩年は貧しかったのに、まだ庶民が音楽会に来るような環境ではなかった、まだ実演という

ものが貴族の晩餐で行われ、オペラも貴族のためのものであった、そういう時代。作曲家

が独立して、飯が食えるのは、まだ先の時代であった。   

僕が詩(らしきもの)を書き続けながら、やがて、これがモーツアルトの楽しさに共通して

いると気がつくのも、時間のことだった。その時に、この深層意識との交流が創造の弦の

どこかに触れたのではないか、と思い始めた。その頃は詩は思いをつづることから始めると、

100行以上になるのは普通のことで、しかも時間を感じなかった。

言葉は考えるより速く出てくる。これは当然だと思っていた。それはこの現象が始まるより、

ずっと前に、まだ両親もいて、東京で一緒に暮らしている時に、その前兆のようなことが

あった。当時は白昼夢を見ることがあった。昼間、青空を見た時に、そこに龍の雲っぽい

映像が浮かんで、おおっと思ったことがあったが、すぐに消えて、ああ、白昼夢というのは

ほんとうにあるんだ、と感心した。その日に近かった。昼間、夕方だろうか、空は

明るかった。ご飯を食べようとして、箸を持った時にそれが来た。後ろに窓があったが、

そのほうでいきなり映像が流れだしたのだ。それも一つとか三つではない、二十くらい

の映像が細切れに、次から次へと瞬間瞬間と区切れてはいるが、確認できないくらいの

スピードで映像の行列が流れ去るのである。こんなのを見た人はまれだろう。   

もう後ろを向いたが、映像は見えているが、窓の空を半透明に流れ去るのみ。頭が映像

を目の前に映していた。はじめはなにが映っているのか、確認しようとしたが、間に

合わない。そんなことをしていると、他の映像をごまんと見逃してしまう。どうしたか

というと、見るけれど、一切見ているものを「見るだけにして」そこになにがあるかとか、

意識しない。そういうことをした。全体を眺めて、部分は無視するのである。もう箸を

持った手は止まって、両親はそれに気づいたら、何してんだ?と思っただろう。   


僕はその時に「内容はなくてもいいから、意識に上ったものだけを言葉にして意味不明だ

が、面白い文が書けるのではないか?」と新しいものを書く方法を見つけた気になった。

ところが、それは単なる発想に過ぎないので、記憶で書くので、5,6作書いてはみたが、

短編の小説までこぎつけたが、2作のみで続けられなかった(完成1作)。 苦しいことは

続けにくい。  

楽しく書くには、それから30年近い歳月の後、還暦を過ぎ、統合失調症患者との付き合い

からヒントを得て、深層意識にダイブして、さらに適当なバランスで意識全体で深層と

交流することが必要だった。


見ると、美しい夜明け。まだ書く。陽が昇り始め、まだ書く。

そろそろ通勤の人が歩きはじめる。

もう寝なければ、と思う。徹夜だったが、2時間くらいしか時間を感じない。

それから終わり方を考える。はじまりも終わりもないのだ。

それが僕の、創造とのハネムーン(蜜月)だった。  

あとからは、充実した豊かな時間を過ごした、と。それは他に類がない経験だけに、

甘い味がする。

が、それにはむなしさの絶壁に立ち続けるという、勇気や体力、というような気力

(精神)が代償として、また自然な側面として必要なことで、要求され続ける。今の僕

はそれをもっと緩やかな段階に下げてしまったらしい。 日常を楽しめるくらいに。

どちらも楽しむというのは僕には適応力がなかったのか、もともとそれはできない相談

なのか。  世界の仕組みがわかったら、いつかそこも教えてほしい。


もうひとつ、書いておかなくてはいけないことがある。

それは、長くないが、次あたりに。
                                      9.26


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天才と知性 [知性]

島へ来て、1冊は完読するつもりだった。そういう本を2,3冊リュックに。

その他、宅急便で10冊以上島に送った。資料読みのつもりなのだが、

ほぼ本の背表紙を眺めるに終わるのが常。  

いろんな考え、意識に浮かんだ過去の感想が浮かんで、まとめて言いたく

なる。できればだが。そんなことはできない。言葉とは順を追って概念を

ひとつにまとめる記号だからだ。そう言っても、言葉はその実物を想起させる

じゃないか、と言葉とリアルが同じレベルであるとして考えている人が多い

のも事実。それは混濁しているのだが。 

僕らはそういうように空想をほんものと勘違いして暮らしているが、そうしなけ

ればならない事情があるのも、事実。それは世間は誤解だらけだという事実

でもある。結果、僕らはマルクスとかいずれどの大思想家でもその意見に

共感したつもりになって、思想たるを話し出す。それはさまざまなパターンを

生み出している。自分と他人の思想との接点という、お互いの部分部分で

絡み合っているのだが、そこでは評価や関心・感心や共感といったものが

共通しているが、世間の下馬評的なものを出ない。それぞれが自分の

意見に照らし合わせて納得したものが土台にあるので、なんとなく共通して

いるが、厳密にお互いを意見でもすり合わせたら、とんでもない不協和音が

飛び出すだろうから、やめておいたほうがいい。この共通した認識が混濁

しているから、お互いの理解が得にくいという、目の前の現状をしっかり見る

ところから、僕らはなにかを語れる。

僕が書こうとしているのは、それがテーマではない。それにはまだ準備となる

前提が必要だ。

天才モーツアルトについて書くと、評伝や評論ぽいものを5,6冊読んだが、

秘密結社フリーメイソンとの父との、また本人との関係については読んで

いない。その天才の秘密とか謳いながら、肝心のことは何も書いていない。

それはそれほど大変なことじゃない。  

まずモーツアルトには大天才たる特徴があったことと、その音楽自体が

秘密であったことだ。この二点に絞られる。大天才の特徴というのは、

いつだったかモーツアルトの生誕二百年祭でだろう、「モーツアルトの

没後、彼ほどの天才は今後200年も出ないだろうと言われたが、200年

経っても出ない」と言わしめたほどだ。  

モーツアルトが特殊なのは、まず音の記憶力において絶対だったこと。

教会のミサ曲で門外不出のものがあって、年に一度だけ教会で演奏

される。モーツアルトがまだ幼少の頃、これを聴いて、1時間以上もある

曲を覚えて、帰ってきてから、家でそれを音符にしてしまった話がある。

そして、もうひとつは16分音符まで聴き分ける音感を持っていたこと。

それは音の長さ・音程にとどまらず、楽器も聴き分けた。そのために

モーツアルトは自分でピアノを自分用に改変までしている。現在の

ピアノのルーツはモーツアルトにある、と言う人までいるが、これについて

調べたことはない。  

その特徴に加えて最大の天才は彼の作曲にある。彼はそれを「ごちそう

のようだ」と言う。なんのことだかわからない。いいのだ、感覚の天才は

言葉には長(た)けていない。彼の子供のような性質から正直な感想しか

述べていない。そこから類推すれば、作曲はわずかな時間でできた。

作曲とは呼べないだろう。1時間以上もかかる交響曲を数秒か

10数秒かで聴いてしまうのだから。誰もそんな経験がないし、今まで

耳にしたこともないから、そこを尋ねないのが、面白い。僕らはわからない

ことに遭遇すると、かくもピントが外れてしまう。作曲は3分から5分だったかも

しれない。モーツアルトにとってその時間はないのとおなじだから、彼に聞いた

としても、はっきりしなかっただろう。

交響曲がそういうように、それも集中して、3曲同時期に生まれる。

異常である。だから天才なのだが、一度聞くとどんなに長くても絶対に

忘れない。これを証明するかのようにと、どの本かの著者は言っていたが、

作曲した楽譜がきれいなのだ。まるで写譜しているかのように推敲の後が

見られない、初めから清書の楽譜。これは現存しているから調べれば、ドイツ

のどこかの記念館に陳列してあるだろう。この3曲をモーツアルトは2週間で

作曲・完成させた、とある。それは理に適っている。わずかな時間で聴いても

楽譜に写すとなると、それぞれの楽器別の楽譜にもなって、相当な作業になる。

1曲を4,5日で書き写したのだから、さも3曲なら2週間になるだろう。作曲の

推敲なんぞの暇があるわけがない。  

彼の秘密はその作曲の秘密にある。その創造はどこから来るのか、どうして

なされたのか、という創造の秘密だ。彼が「ごちそう」だと言っているのだから、

彼にも供与されたものという感じがあったのだろう。だから、自分でも知り得ない

秘密だったのだ。

確認すると、彼は(例として)1時間の曲を1分(概定で)で聴いたのが事実

だったとしても、いや事実だったのだが、それは概念で構成できない。

だから、彼の言う”いっぺんに聴いた”が想像さえできない。知性の外にあると

言わざるを得ないだろう。


モーツアルトのことをもう一度書いたのは、この天才がどれほど見えにくいもの

だったのかを、書きたかったから。それは妻のコンスタンチェがそのまんまに

行動しているので面白い。コンスタンチェから見たモーツアルトは子供っぽい

大人のモーツアルトだった。弟子たちと話しながら、笑いながら楽譜を書いて

いるモーツアルトは日常の光景であったはずだ。コンスタンチェはこう思った

に違いない、天才は簡単!  

モーツアルトは貧しかったので、棺桶も下から2番目で、葬列もなかった。

家族葬のようなもの。それでも成功して羽振りがよかった頃もあった。まだ

父も生きていて、都会の暮らしを自慢したものだ。今で1000万円くらいの

年間収入があった。では、どうして没落したか。それは社会性のない

子供らしいモーツアルトだったから。そして、それがフランス革命と重なる

ことで、モーツアルトは貴族というスポンサーの庇護から脱却して、自活

できる、と思い込んだ。それで脚本家と手を組んで貴族を社会風刺する

オペラを書き続けた。フランス革命は成り、貴族はモーツアルトから手を

引いてしまった、一人を残して。かくしてモーツアルトは計画とは裏腹に

貧乏に落ち込んでしまった。

残されたコンスタンチェと息子は生活をなんとかしなくてはならない。  

そこでコンスタンチェは息子をお父さんのような天才にしようと思った。

まず、お父さんの名前と同じに改名(同姓同名)させ、大作曲家に教えを請い、

学ばせた。

コンスタンチェから見たモーツアルトはいつでもどこでも作曲していた。

話ながら、笑いながら、そんな天才ならつくるのも簡単でないわけがない!  

平凡で苦労なく生活できた時代が長かったのか、彼女には天才を創る

ということが楽に見えたほど、モーツアルトとの生活は楽しく、しあわせな

ものだったのだろう。(この感想もくり返しで、新しいものではないが)


僕らは日常と常識とか自意識とかでは、天才の秘密たるものを見ることが

できない。ちょうど動物たちの超感覚を目の前にしても気づくことができない

ように。だから、少し論旨が戻るが、思想を通して、思考を比較しあって、

ある程度なりに共通の理解がある、と思えることはとても重要なことで、それ

は批判の的にはなろうけれど、世界の実際の広がりの不気味な巨大さを

思う時、小さな知性という村を眺めて、少しほっとするのである。


「パンセ」でパスカルは心を幾何学的な心と繊細な心とに、二つに分けている。

読めばそれは数学を扱う、原理を追及する知性であり、その他の感性を

まとめて、感情や感覚・直感など、繊細な心としている。同時代のデカルトも

あいまいにだが、誰にも備わった知性(=彼の言うのは理性)から物事の

原理へと迫ろうとしている。この17世紀の天才たちが生きた時代には、まだ

意識の問題は存在していなかった。意識はやはり、フロイトの精神分析から

想定されたものだろう。それは内層心理という新しい学問分野をもたらせた

けれども、ユングなども神話の夢からオカルト的になったし、フロイトも内奥には

性の歪んだ現象があると、それぞれ自分の夜の夢を追った。それはそれぞれ

のナイトメア(悪夢・夢魔)を作り上げてしまった感がある。心の古代を追うのは

一見ロマンチックだが、実際は魑魅魍魎の棲家を尋ねるようなものではない

のか。僕の経験では、闇は深い。それでは足りない、深すぎて何万年もそこから

這い上がれない。

(モーツアルトは子供のころから、うんこやおならの話が好きで、手紙に

プップッーとかの擬音をよく入れていた。よく言えば無邪気なのだが、要は

これほどの天才にはそれほどの無邪気さを必要としたのだろう、という小林

(秀雄)の書き方はあっているのかもしれない。誤解を承知で言えば、(感覚

の)天才というのはそれほど(子供のように)無知で、バカなのだ。

それでも、哲学の、晩年発狂してそのまま亡くなったニーチェより、または

同じ哲学者のアルチュセールは狂って奥さんを殺し、その後回復してまた

活動を再開したが、そんな悲劇の彼らよりはよかったのかもしれない。)


アメリカで精神分析を基にした心理治療が社会的地位を占めて、警察でも学校

でも、医療でももちろん、何かというと盛んにセラピーを受けろ、と言われるらしい。

これがドラマの受け売りならそれですむ話だが、アメリカは神という信仰に長い間

取りつかれている。(が、これについて最近、長く考えてきたことがあるが、そこに

触れてゆくと、この先が見えなくなってしまうので、これはここまで)  


「無意識はない」とユングは言った。

それは無意識は”意識が無い、というのではない”ことを示そうとした。だから、

僕らが無意識と呼んだのは間違いで、そのまま深層意識でよかったのだ。

無意識と呼ぶから余計な誤解を招く。僕らが無意識と呼ぶものも、意識の全体の

中にあり、僕らが自意識で辿れない領域を示す。そうだとすると、意識は不思議な

様相を示す。僕らの意識できるものが、自意識といういわば感覚なら、意識され

ない領域は僕ら人間にとってどういう意義や内容、意味を持つのか。こういう

書き方は僕らがその意識に対して無知であるのを前提にした言い方になって

いるが、まったくの無知ではない。伝達というだけなら、僕らは潜在意識とか、

仏教ではそれを「無」と言ったり、「空」と言ったり、「畢竟空」という言い方をして

いる。言葉を変えたり、増やしたからといって、それで何が明らかにされたという

わけではないが・・・。   

「天」や「永遠」や「無限」もそいう意味では共通していて、僕らはそれを共通して

直接見ることはできないにもかかわらず、イメージ概念としては比較的、自由に

使っている。言葉は役に立っている間だけは長生きする。中身のわからない言葉

であるだけに、抽象語は死語にならず、未だに生き残っているとも言える。   

生き残るからにはその言葉を使わないでは説明しづらい事象を扱うことが続いて

いる、またはそういう表現を使う書物が続いていることを示している。  

僕らにとって無意識との出会いはまったく予想を超えるものになる。僕の経験が

無意識なるものであったのなら、僕らの感覚(五感)はまったく伴わない。記憶さえ

伴わないと、初めは思えた。

だから、僕の感覚は多く、役に立たない。それは僕がどう表現しようとこの世で

通じるような役に立つ言葉にはならないということだ。ただ類推するだけに役立つ

かもしれない、というなんとも頼りないヒント程度の内容だとなる。   

その頼りないヒントから、またこれまでに辿って来た愛の解明とでヒントとして

できた仮説がある。

まず、19歳の時に投げ込まれたように感じた記憶のない時間を過ごしたわけだが

これは相当のショックだった。「無」というとぴったりくるので、それに続く「無感覚」、

「無感情」、「無限」という言葉のイメージが当てはまった。はっきり覚えているのは

もう人間が取りつく島がない、手がかりのない世界だというのがあまりに強い印象

だったことだ。初めから手が付けられないのだから、諦めであり、無関係な傍観

の世界だった、そういう印象だった、と言える。

ところが、ここで重要な言葉が加わる。声として聴いたのではない。そういう意味の

こととして、感じたのが「自分を信じてはいけない」という感じだった。これがはっきり

しているのが、今でも不思議なのだが、初めて聞く言葉であったし、まずその内容が

僕にはすぐに理解できなかった。言葉の意味はやさしいが、その意味は不可思議、

自分を信じないで、何を信じて行動なり、生活なりをするのか、基本は自分では

ないか。というのが、残された印象だった。

考えた。

自己喪失の体験という本があって、これは米国人の女性でキリスト教信者が書いた

自己体験だったが、とても面白い。、体から離脱した魂が ファンタジックと言える

ほどに現実の光景をチャンネルを代えるように浮遊する。読者はそう読むだろう。

ところが、僕は違った。ファンタジーではすまなかった。その文章の感じが僕の

体験の雰囲気と同じだと、すぐに伝わって来たから。「同じだ」と、これは不可思議

だった。僕は彼女のように映像世界を飛び回ったのではなかった。まったくの闇

だった。ところが、同じレベル、雰囲気、同質の、夢遊の世界と共通だった。  

彼女は神を信じるキリスト信者であったにもかかわらず、その体験から人格神と

いうものはない、と悟った。自己喪失と気づいていたのだから、自己に関連する

だろうが、彼女は意識しなくても、旧約聖書の神、ユダヤ教の神の顕現を否定

したのだ。少なくても、それは「神」ではない、と言った。しかし、新しい神の追及

をするのがこれからの私の旅になるだろう、と決意を語る。

彼女の自己喪失をここで取り上げたのは、大事な理由がある。それは僕らが

自己の内側である限り、つまり一般に普段の我々である限り、例え記憶を失う

ような経験をしても(気絶とか)、自分を信じないという発想はできない、という

ことだ。

僕らは自分が日本人であるのを信じるように、自分を信じる。だから、僕が19の

時に聴いた言葉は、僕が自分に発した言葉ではない。自分を信じる人が無意識下

でも、自分に「自分を信じるな」というのは、おかしい。すると、それは他から言われ

たことになる。これは僕の嫌いなパターンで、スピリチュアルとか、宗教とか、それは

幻想や神秘を呼び込んで、結果、この世からの追及を許さないものに変幻して

しまうから。

これは死(死というイメージだが、それだけではない膨大な心理?別世界?ゾーン)

と愛とが重なり合うのを感じた時に、そこから愛の芯*が発見ができた時に、そこから

派生しても起こった。詩を書いていて、誰かが僕に「人間になるのよ」と言った気が

したのだ。秒速の意識下でも、これが変な言葉だとはわかる。 

(* 愛の芯については、この項では説明しない。) 

人間になるもならぬも、元々僕は人間だからだ。これは心に引っかかった。その

影響で僕は「人間になる」とはどういうことをいうのか、を追求し始めた。それが物事

を考えるうえで大いに役に立ったのは、想定外の収穫ではあった。

この世の他の、コンタクトの取りにくい世界があって、というのは可能性が低くない

ことだが、それを想定するとたちまちコンタクトが取りにくい、ほぼ取れないのは、

その感覚が僕らは発達していないからだ、となる。生まれつき盲目だとすると、

その人に見えること、光や色ということを説明して、理解してもらうのは、ずいぶん

と困難なことだ。

有名な聴覚と視覚の重障害者のヘレン・ケラーは超霊能者のような人(スウェデン

ボルグ)の言葉がなければ生きられなかった、と言っている。これは面白い。

感覚の喪失下でもそういうこの世を超絶した世界のことを語る言葉には、共感を

呼ぶ要素があるということだ。

物質には3つの状態があると近代では言われてきた。個体、液体、気体がそれ

だが、現代ではマイクロ波照射などのある条件では、プラズマ体(電離した気体)

になることが知られている。もう眼に見えても光くらいしか感じないので、固体や

液体のようにある程度、定まっていないので素人目には区別できない。  

僕らの感覚が限定されたものである以上、それ以外の世界があっても、コンタクト

さえない状態ならば、それは僕らと無関係だ。

僕らの感覚に入って来ないので、生活には影響がなく、今の量子力学と同じ

ように科学の最先端以外では、国家世界のなにものにも(現在では)どんな

影響もないのと同じだ。

さて、ここでこの半世紀を費やした、僕が語ることができればと願って、挑戦

してきたことの正体が現れる。まだ時期尚早なのかもしれないが、時期は希望

に過ぎない。確実なのは、いくらやっても”むなしい”ということだ。無に始まり、

虚しさに終わるのだから、相応しい終わり方ではあるのだろう。それに終わり方

がすべての結果というのでもない。子供もいるし、詩もそれなりだが、作品に

なっている。その虚しさのバックを梃子にして、この世の誤解を解く問題は山積

しているので(細かいが)、死ぬまで5年、10年書くのに困ることはない。

だから、僕は「人間の取りつく島のない」という19の時の感覚・直覚は正しかった

のだろう。

本が読めなくなったのは十数年前、大ウツをやってから気づいた。ともかく字を

見るのも嫌悪ものだった。それを克服するのに一回に6ページを読む、できたら

30ページをという具合に増やしていって、1日に300ページを読めるまでに

回復したが、それも数か月の短い一時期で、またなんとなく読まなくなった。

初めは個人の違いがあまりにはっきりしているのに、生きる指針のようなものが

思想のような部分的な知性だけで表現できるわけがなかったので、その部分

からの批判だったが、本との出会いがある一般的なケースについては考慮

しなかった。人生(生き方)の勘違いが多いので、どのみちそういう本に惹かれて

しまうだろうから、その脱却を目指すのを第一としたからだ。

いろいろ他にそれらしい理由は挙げられたが、現在ではケガして暇な時間を

持っても、ともかく読んでみてと、5分も読んでみても続かない。以前は、取り上げ

さえすれば本は読めた、その気がなくとも。

本は情報という風景に変わってしまったみたいだ、僕にとっては。   


なぜだろう?千年前は言葉が違うので、今は学校で古典として古語を習わないと

書いてあることの意味さえ掴めない。これが厳然たる事実であるから、僕らは

千年過去の日本にタイムスリップしたら、まず言葉を身に着けるところから生活を

始めるのだろう。まるで外国人ではないか。さらに二千年前、それは今から

三千年前ということだから、もっと理解しがたいことがある世界だとみても構わない

のではないか。

例えば、法律が「汝、人を殺すなかれ」とかの簡単な箇条書きで10か条もあれば、

犯罪は起きない社会であったなら、その当時の人々のコンセンサスはとても

よかったに違いない。 

少ない法律は人々の多様化ではなく、単一化を示していただろう、それで簡単な

法律でも、皆がそれを承知してそれに類したことが起きても、意見の違いはほぼ

なかったのだろう。それは彼らにとってわかりきったことだった。現在の僕らは

社会の複雑さに合わせて、法律は何年も勉学して覚えなければならないほど

複雑怪奇なものになってしまった。「そこは堅く考えなくて」ということでは済まなく

なってしまったのだ。裁判然り、コンビニの釣銭も然り、もう僕らにそのコンセンサス

(共通意識・総意)はない。

だから、三千年以上前の世界に現れたブッダ・孔子・ソクラテスといった哲人は

僕らが慣れてしまった哲学とか科学とかいう概念もなく、学問は単純で、わかる

ことはとてもツーカーでわかったのではないかと想像するのだ。心理や精神分析

の思考がなかっただけでどれほど僕らと認識が違っていたかと思うほどだ。



以上だが、まだ新しい問題は発生している。考えるのに小休止は出来ても、区切り

が大きく着いた、ということはないのだろう。もう一つ、最近新しい問題では、夢を

見た。それはまた、次か、長くなったから。



                                     9. 16,17,・・19




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なにも なにも なにも [詩]

人は ブログを書く、 書いている  

これを 気にすると  少しだが、

少しではなく  だるい    

この重さが   取り払えない そんな繊維 を

感じるのだ    

少しの 気づかいで  胸に鉄板を  感じる  

そう言えば 喉も  痛い   

なにも 望めないのは  どうしようもない  状態  

なにもしたくないのだから  I have no idea  

そして  そして  言葉が  飛んでゆくようだ  

ああ 僕の  子供たちよ   

トランペットを  吹いてくれ   なにか  

伝えることが  あるかのような   知らせに  

眼が 覚めたなら    

窓から 刺さる光に  口笛を

吹こう    

小さな笑いで  いいんだね   

小刻みな リズムで  いいんだね  

起きて  目覚めはじめるには   ウフウ  

家具の 艶にさえ   触れたくなるよ   

僕に 聞いてもいいかい?   

君は  人間かい?   

聴いてみたかっただけで  答えまで  

期待しちゃいけない  ん だよね  

感じるよ  ホモ・サピエンス  You are

マフィン  サーイン  ナーフィン  

コン コン 木槌を  打って  

段階が というのが ある  登るんだね  

ボーーイ  ボーーイ   今 君は  ボーーイ

You は  B--oy   You  Bo--y  

医者は 控えてるよ   ピンクの 待合室  

君は  人間じゃない、と 言うかもしれない  

気にするな  彼も 患者だよ  

すぐよくなる   君が 医者だから   

Who’m  I    僕は  誰 

僕は  そう 誰だよね   

そんな質問がしたかった のだろう   

それも メロディの  気の 迷いさ  

気にするな  君も 患者さ  

君が コントロールするのは  自分じゃない  

もう そろそろ  治療のと 診断されるのと  

バトンタッチさ  

Sorry、  Sorry、   ア  都市  

Money,  Money,  ル  汚れた 夜だよ  

パカ  パカ  パカ  蹄(ひづめ)は  アフリカ  

産業  強盗  砂漠  なにか  話して  

靴の裏 なんか  気にしないで   

君の心の  波風を   

話して    

夜の学習は  気に入らないかい?  

鉛筆の  削り具合が  気になる?  おお(笑)   

Oh!  I think it  I know   

取り留め 神社   仮初(かりそめ) 御(み)大寺 

マービン ピラニア   カーソン 饅頭  

扱い不能の  迷子札  

サイズは  そっちで決めてよ  感傷の  

鞄に 入る  サイズを   決めてよ  

君は  気に入らないことが ある   

なら  それを   

いっそ  それを   

なんとも さ  それを   

そのままで いいの?   

かまってもらわないで  いいの?  

君のために  狂いたいの?  

君のために  ボーイッ  なにしてるの?  

バッド ガイなの?   無辜の さらし絵なの?   

はっきりしな!  北斎!   

聖徳太子!   どうなの?   

どうなの!  アメリカーナ!   

僕の名前  君の名前   バイバイ ガール  

そこまでとか   

それはない    

でも、 充電が   

電気は  使ってない  

感じて  それが  Me   You  

まだ だるい?  

そう  朝シャンでも  する?  

まだ  朝立ち  する?  

I need to  say !  

だんだん 笑うのかな   

ちょっとずつ   それがいい、 と 言えるのかな  

それが いい!  

なにも  

何も  

なにも  

なにもなくても   


それが いい   

それが  魅力  ボーイ  

キャップ  ライト   アフターヌーン  

ハスキーに 頬笑むよ  

そうすれば  

なにも  なにも  なにも  

ここに  

ここに  

ここに  あるよ   

・・・・

ウフウ  

・・・ 

ウフウ   


Somebody   ・・・


Finding  out  ・・・


Something  ・・・・・・







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自分で抜針する [抜針]

<自分で抜針かよ>が、正しい題だろうな。  

13日に島でケガした額の抜針をしたと、報告したが、16日には額に小さな

金属が光っているのを発見した。17日に帰宅なので18日は多忙で忘れ、

19日になって、自分でホチキスの針を抜く。まったくの病院の医療ミス。

だから、僕は医療と相性が悪い。

6日経っていたので、針もしっかり食い込んでいた。山屋なので、これ

くらいは想定内。それでも軽い力では抜けない。これは再び傷口が開く

とわかった。もちろん、想定内。引っ張り出すと、さっそく血が。

マーキュロで消毒して、バンドエイド。晩に処置したので、寝るまで

痛んだが、翌朝はふつうの傷に。

抜針の日、島で知人の車に乗せてもらう偶然があって、初めは医師が骨折

している話をしていて、専門医が来たら骨折していないと、若いのは

あてにならない、という話をしたら、その人も「だから、あの病院では

皆、手術をしたがらない。失敗が多い。」という話をした。恐ろしい話だが、

その時は聞き流していた。そして、この抜針忘れ、である。聞き流している

話ではなかったのだ。手術をするのでなくて、よかったと安堵する話だった。


昨夕から、かなり左ひざもよく曲げられるようになり、成田空港ではきつ

かった階段の下りも楽になった。だいぶ血だまりが抜けたらしい。

抜いた針を見た、測ってみた、幅6mm、針の長さ片道も6mmだった。

IMGP0001.JPG

よくもうすい皮膚に止められたものだ。あれから2週間が経った。

自然に気合が入るこの頃ではある。さすがに、生き抜いたという気が

してきている。
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堤防から半分妥協する [堤防]

<今、書いていたのだが、とても面白い。なぜなら、一筋縄でいかない、

という言葉があるように、簡単に書かせてくれないから。2回目に

書いたが、やはり手こずる。次は投稿するのだろう、と思うが。 >


別の稿を:-

僕は創造の扉に近づけなくなったみたいだ。天才と同じの、技術的な

マネをして詩を書くことができなくなった。言葉なんかいくらでも、

まったく無制限に、いくらでも出てきたのに、もうそんな創造との蜜月

の時期は終わったようだ。坐っていても、心が表現を求める詩のスタンス

にならない。楽しかった2年だか、3年だったが、まったくいい思い出に

なったなどと書く日が来るとは。  

それもなんらかの調整であり、必要がなくなるから終了したのだろう。


恐怖は克服すべきもので、はい、やっつけちゃいましょう、と言って

即、実行。それがこれまでの何十回から百回近い積み重ねであったが、

今回はそう行かなかった。恐怖に負けた気はしないが、結果にこだわる

なら、今回は負けたにしてもいい。  

というのは、堤防から5m下の海へ飛び込む時間を見つけたのだが、

予兆があって?そこからはやめてしまったのだ。と言うのは、恐怖が

まだ胸にあるのが、今までよりもよく感じた。それも飛び込めば終わり、

と堤防の縁まで行ったのだが、強風が吹いて来て、僕を押し戻すのだ。

ありゃ、と思って、一応忖度して、堤防をぐるり回ってまた縁から見た。

すると、下ではチョウチョウ魚が3匹、いて、また堤防下にも何匹か

いる。魚の迷惑になるだけで死ぬわけじゃなし、と思ったが、その真上

から飛び込むのも何だ、とまた遠慮して、もう一度回ってくることにした。

したら、また強風が。その上、真下にはチョウチョウ魚に加えて、黒っぽい

魚の群れも加わって、まったく魚どもの上から飛び込む形なのだ。

これで予兆が3回。岩場へ来た時の忘れものと同じ条件。だからこそ、

ここで飛び込めば、予兆も破って、恐怖も破れるのではと一旦、考えるには

考えたが、なんともただ魚の平和をぶち壊す、恐怖から逃れたいだけの

おじさんではないか。

それで5mはやめてしまった。そうしたのはフェイントで、堤防は突き出しが

半分、そこまでが低い半分で、飛び込もうとしていたのは突き出しの5m高

の分だ。そこで石段を下りて海まで2,5mの堤防に降りると、そこから魚も

いないのを見て、ザブンッと飛び込んでやったのだ。だから、ころんでも

ただは起きないって。  

全長70mほどの漁船が停泊していた。その先にはしごがあり、そこから

登れて、そこに荷物を置いて来た。海に飛び込んだ時、思ったよりも体が

痛かった。それとザブッ、フッーンという空気が海中をはしるような幻想的な

自分の重さを感じた。より深く沈んだ気がしたのだ。まるでプールに飛び込ん

だような気がした。

しかし、海だ。気持ちいい。やっと、初泳ぎ。そうして、背泳ぎと平泳ぎで

休みながら泳いだが、どうも進まない。気のせいだとは思ったが、気が

ついてみると引き潮だった。こんな小さな湾内でも体が沖に引かれている

のだった。たった100mの距離だったが、最後はクロールまでしたが、

疲れて届かず、平泳ぎに。

そして、誤算があった。梯子が今の潮位だとちょうど梯子の見えない部分から

段がなかったのだ。裸足である。割れた貝殻だらけの堤防の壁に足をかけて

登れることはできない相談だ。うーんとうなっても、やってみるしかない。

右足は曲げるができるが、左ひざはできない。どう組み合わせるか。

段を両手で掴んで体を持ち上げた。で、右足だけ下の梯子に足をかける。

しかし、まだ届かない。しかたない、左足で壁に足をかけ、次の段に片手を

掛けた。両手で掴んでこれで体を引き上げればいいのだが、体がやはり重い。

ほぼ全力で持ち上げて、ギリギリ。腕の力がヤバイ。危なかった。また海に

落ちて、やり直しかと。

もっとも、川まで泳いでいけば歩いて登れる場所があった。それはしたくなかった

が、ともかくも梯子を登り切った。

記念撮影。1枚目は首がちょん切れで、2枚目とつなげた。
IMGP0023.JPG
IMGP0021.JPG

場所はいつもの堤防。

IMGP0020.JPG
 手前に梯子段が3段見える

条件はもう一つ岩場と同じだった。誰も見ていないのだ。

背中を出して浮いていても、誰も知らないのだ。心臓マヒ

なんかになることはないのだが、・・・恐怖はそうは言わない。

負けてたまるか。と言ってる自体がその嫌なものを裏付けている。

言わないで、ちょいちょいとやってしまえばいいの。


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生きる前に恐怖とつきあう [恐怖]

この世の憂鬱から 逃れたい時に  

僕らは  清冽さを 求めるのだろうか  

恐怖に 打ち勝ちたい時に  知らず  

なにかに  身を寄せたい、と  

そうして  僕らが 神や 信仰を生んだのなら  

それを 否定できる根拠は どこにあるのだろうか  

それは わからない世界のことを 尋ねるようで  

こころもとないが  

その理由が 僕であっては いけないのだろうか  

生きて  生きている時だけが あるのは  

生きているから   

それを 知るのも  感じるのも  

生きている という  Now  

どこかの中点ではなく   全点である コマのように  

回りながら  広がり続ける   

それは  追いかけているのが  僕らの意識だからで  

あったりする   

広がる  意識   

広がれ  心  

そうなのだ   

まず  恐怖を  打ち破らなければ   

これから  生きるために   

死に損なった  岩場へ行って  

そう  ダイブしよう    

怖いけれど  海に 引っ張られる という  

根拠のない  不安に  取りつかれてしまう前に   

するべきことを   

一番したくないことを   

やろう   

できるか、とか  考える自分ではないのは  

よく 知っている   

暗闇の 堤防から 眼をつぶり  

歩いて  

5m下の 海に落ちたのも  

僕だった   

そのあと  また 目をつぶって  

堤防を  目標まで  歩いたではないか  

その恐怖の  わかりやすかったこと!  

真っ暗  真っ黒  ということ  

見えない  わからない  ということに  

過ぎない  

ただ  足がすくむ  その先に足場がなく 見える(思える)

ここが堤防の上だと  わかりきっているはずなのに    

考える    また 堤防から落ちたら!  

心配ない  死にはしないから  (なんだ、そうか)

今回も  たぶん   同じだ  

もっと 楽   

眼を開いて  飛ぶんだから  

ほら   

 

*昨日、病院で額の抜糸をした。3針だった。チクンと2,3回ものの10秒

くらいで終わり。あっけなかー(ここの方言?)。

額は楽だったが、膝はまだ半分曲げるのがいいところ。これでは岩場へ行けず。

時間を見つけて、堤防から5m下の海へ飛び込みたい。いかに?

IMGP0007.JPG

三角の島。これは少し遠い。位置ではその島のすぐ下に見える、海に突き出たのが、

その堤防。
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島で大事件 2. [事件]

台風15号である。神奈川の座間は直撃コースだったが、直前で千葉のほうに

反れたので助かっているが、中学同期の友人の家がまさに木更津付近で、

大直撃だった。仲間から今朝電話があって連絡したが、つながらないと。

携帯のほうにかけてみてくれ、と。そうしたら、例の「電波の届かないところに

いるか、電源が切れている」とのメッセージ。停電だけでなく、携帯のアンテナ

まで被害に遭っているのだろうか。少し心配に。昨日まで自分の体の世話で

いっぱいだったので、座間の家以上に気が回らなかった。しかし、彼の千葉の

家は台風で壊れるようなやわな家には思えない。大丈夫だろう、明日連絡

してみよう。  


どこまで詳しく書いていいのか、あまり冗長にならないようにして、途中、読み

飛ばしもできるようにして書いてみようと思う。  

まずその日、6日だが、空気はぬるい風が吹いていて、台風13号の接近を

感じさせていた。来るのは晩からだし、天気はいいので泳ごうと思った。

この時変な予兆があった。「赤と黒」を書いた知事で作家のスタンダールは

前兆を気にする男で、確か赤と黒の中でも長めの文で前兆について書いて

いた。

忘れものをしたのだ。ふつうは取りに帰ってそれで済む。ところが、その次も、

またその次も取りに戻る羽目になる。もうずいぶん以前だが、3回忘れものを

したら、行かないほうが良いという予兆だから、出かけるのを一時中止する

という規則を考えたことがあった。もう忘れていたが、ほんの意識で少し

おかしいとは感じた。が、すぐに打ち消した。ともかく泳ぎたかった。  

いつもの岩場の入り江に行くのだが、スリッパのゴムサンダルを履いていった。  

もっとも足が固定されず、スリッパの底面が滑りやすいやつだ。  

カメラを持って行って、ブログ用に海に入るところを撮影した。   

IMGP0002.JPG

平和な絵だ。このあとのことがなければ・・・。   

カメラの電源を切ろうとして、岩場をカメラに近づいて行こうとして、  

アクアメガネを外していた、あっと踏み外したのがわかった。体勢が  

崩れ、体の重心が海側に引っ張られたからだ。目の前に太い枝と

細い枝の二股が見えた。すかさず手を伸ばして掴んだが、太いほうまで  

届かず、細いほうを、しかも枯れていてポキッと折れ、手の中で木片も  

砕けた。そのままでは、と思い体を左にひねり、海に正面を向こうと  

したらしい。たぶん、その時には落ちてゆく途中だったのだろう。正面を

ひねった体勢で向いた時に、岩で額を、すぐに顔面を打った。そして、また  

すぐに左膝に衝撃があった。この時、意識が変わった。いわゆるアドレ

ナリンモードというやつだろう。超集中モードになった。ああ、やったな、

とかのお気楽な感想は一切しない、できない。

その衝撃で多少はからだがバウンドしたかどうか、まったくわからない。  

海にザブンッと浸かった感覚。頭と膝の痛みの感覚。なにも見ていなかった。

見ているものを意識する暇がなかったのだろう。映像感覚はともかく海から

上がらねば、という海面から見えた岩場からはじまった。  

体の傷から想像すると頭と膝を打ってから、右のめりになって海中の浅い

岩に右腕と右脇腹をこすりながら、海の中へ滑っていったらしい。  

岩場にどうやって登ったか記憶がなく、がむしゃらに登ったのだろう、右腕に

海へ滑っていった傷と、登った傷とで縦と横に数十か所できていて、○と×で  

桝に3っつ並べるゲームならできそうである。  

まず死に至る関門のひとつを乗り切った。頭を強く打って、気絶もしなかった  

のは意識の切り替えを普段からしていたからだろう。海に落ちて目覚めたの

かも。  

次は第2関門。  

岩場に上がってから、眼の脇から、鼻の脇、顎からと、流れるぬるい液体を

感じて、すぐに血だ、と。膝はひどい。いくつも小さな穴が開いているようで  

岩の砂粒のようなかけらがいくつもはいっているだろう。そして、足が切り傷が  

ひどいので、血に染まっている。見ると足もとも額から流れる血で岩場が血に

染まっていった。「まず、血を止めないと」出てきた言葉はそれだけ。  

その時、出血多量の場合死に、という考えがチラッと。気が弱まる。気持ちが  

ふわーっとしはじめた。意識を失う、とその直前ですぐに気を取り直す。体の

どこか、気持ちのどこかに力が入る。  

右手を額に、左手の平を左足膝に当てて、手当てをはじめた。これは僕が

知っているたぶん、手当ての語源じゃないかと思うが、手の平から気が流れる

のは気功師が使うのでよく知られている。僕もこれがこういう非常時に使える  

ので、考えずにやっていた。そうしたら、短時間だろう、ドクドクと流れるようにも  

感じた血が止まった。速いので、少しの驚きを交えて、血の付いた手を岩の  

水気にこすりつけると、なにしろ携帯を持ってきていないので、大声出しても  

誰にも聞こえない、見えない岩場、帰り支度をはじめた。  

見ると、掴まろうとして届かなかった太い枝があった。掴んでみると簡単に  

折れてしまった。同じだったのだ、落ちるしかなかった。   

急がなければ、と思った。頭を打っているので、いつショック症状が来るか  

わからない。ここで倒れたら、アウト。野球じゃないから、次の回はない。   

岩場は三点歩法でしっかり体を支えた。岩場を抜け、防波堤の護岸から  

この足では5分歩かなければならない。しかたない、足を引きずりながら、  

家にもどった。   

考えた。知人に電話して病院へ運んでもらうか、タクシーを呼ぶか、救急車  

を呼ぶか。近くの知人に連絡するが、出ない。意外に留守だった。それで  

少しだけ、タクシー?と思ったが、それともこのまま自分で家で治療してみる

か、と危ない考え。しかし、頭を強打している、すぐに救急車に決めた。

救急車に随伴して乗ったことはあるが、当事者としては、ない。急にこういう

場合に病院に着くまでにどれほどの処置をするのか、見てみたくなった。

それには申し分ない状況だった。で、119へ。  

海パンが濡れていたので、簡単に血を拭いて、上下とも脱ぎやすいTシャツ  

と短ズボンに着替えた。あとは、健康保険証や財布、昼飯前なのでカステラ  

3個、水とカメラを準備した。カメラは記念撮影用だ。転んでもただでは起きない

タイプらしい。(笑)

サイレンが聞こえたが、ここまで入って来ない。入り口の公園あたりで停めた  

ようだ。車輪のついた、なんと言うんだろう、体を寝かせて運搬する押し車を  

伴走して3,4人で来た。まず状況を簡単に聴かれ、赤いビニカバーの人ひとり

寝られる板に寝かせられる。頭を打っているので早めに頭を固定させたいらしい。

ヘッドギヤのようなものがつけられ、もう横に向けない。その間にもどこが痛いか

で、ひとつひとつチェックしていく。あちこち体を押さえて、痛いかどうか聞く。

道が凸凹なので、救急車に着くまでは相当揺れた。スピードも必要で、ゆっくりと

いうわけにはいかないから、誰でもこんな扱いを受けるのだろう。意識が嫌に

なるほどはっきりしていた。救急車が曲がると、あの辺を曲がったのだろうか、

と想像した。その間も傷口をひとつひとつ洗い流す。摺り傷はひどく沁みるが、

額と左ひざは傷の痛みのほうが強く、液体の流れる感じだけ。  

病院に着くと、病院用のカートに板ごとよいしょっと移される。TVのドラマなどで

よく観るが、その時の想像の感じと同じ。そのまま緊急治療室へ。

喉が渇いて、なにしろもう3時間くらいは水分を摂っていない。救急車の中でも

「気分悪くありませんか」と聴かれて、

「喉が渇いた」と答えた。若い女性医師がインターンなのかどうか、あれこれ

指示していたが、病院では男の医師に代わった。CTをとる。ヘッドギヤは

外されず、ともかく首の内部損傷を気にしていた。首を曲げて骨が折れると、

あと肩から下半身が不随になる、とも脅された、事実だが。CTの結果が出る

までは頭の固定具はそのままなのだろう。水が飲めない!

しかし、点滴をはじめた。鎮痛剤が含まれるらしいが、これで水分の補給が

できて、のどの渇きも緩和される。  

面白かったのは、傷口などを洗い流す際に落ちる水分をどうするかというと、

オムツをあてがうことだ。大人のオムツを肩や首の下など、腕を洗う時は

その下に敷く。

「そういう使い方があるんですね」と言うと、大人のオムツは吸収性がよくて

(便利なんです)、とか答えていた。ともかく首は固定しているので、天井を

向いたままの会話だ。  

右腕は擦り傷がひどく、どうやったらこんな傷ができるんだという、縦横の

桝ができた傷だった。洗うと、非常に沁みる。我慢してもいいのだが、それ

なりに伝えないと、医者も体の状況がわからないだろうと、ひどく沁みる、と

痛そうに言った。

IMGP0005.JPG

<どう見ても痛そう>

手首を洗っていて冷たくて気持ちいいので、「気持ちいい」

聴かれてそう答えたら、看護士が笑う。医者はこれが痛くないですか、と言うと

石が入っていると、それを取り除いた。急に沁みて痛い。我慢できるが、なにか

我ながら受け答えが演出みたいに感じてきた。

以前、医者は専門バカで専門以外は誤診が多い、(特に僕は相性が悪い)と

いう話をしたが、膝のお皿が割れている、という話をしていた。看護士も

わかっているのかお追従か知らないが、見るからに3つ4つに凹んでいる、と。

それで足もCTを取る手配をする。こちらは天井を向いたままだから、信用して

しまい、足は松葉づえか、などと神妙なことを言った。

ところが整形外科の担当医が来て診ると、CTはキャンセルしてしまった。

レントゲンだけでいい、と。折れてはいない、もしかすると、小さなヒビがある

かもくらい。誰だよ、骨折だと言ったのは。

その整形外科医と男の医者が上から僕を覗き込んで、あいさつした時に

二人は頭がまだ若いのに、つるっパゲだった。眉がやや濃く、眼が小さくて

片方が眼鏡をかけている他は似ていた。  

「兄弟?ですか」と言ったら、看護士が笑っていた。違うそうだ。   

なにしろ二人の顔は上からのぞく形なので、一人は逆さま、もうひとりも

似たようなもので、逆さまから顔を見ると認知機能がよく働かないのを

知った。頭のギヤを外した後で、二人を見たら、明らかに男の医師の

ほうが若かった。年齢が識別できないのだ、逆さまだと。  

顔もより違いが見えたが、そこは兄弟でもおかしくはない。 

左ひざは骨は大丈夫だが、内出血していて、皿の下に血が溜まって

いるそうだ。自然に抜けるが、あまりに溜まるようなら抜くが、その処置は

痛いそうだ。

額には穴が開いて、まず麻酔注射を打った。これが打って数秒で感覚が

なくなるので、速いのに驚いた。それからは、今回唯一気持ち悪かった

ことで、傷口の砂をブラシでかき出す、と聞いたことだ。麻酔が効いている

ので痛くはないが、想像してしまい、気分が悪かった。頭蓋に到達している

と言っていたが、そうだろう。皮膚はうすい。 

額の傷口はホチキスで5,6回止めた。昔なら、5,6針縫った、という

ところか。 


子供のころからよくケガをしていた。20年も前だろうか、ケガではないが、

気管支喘息になったのを知らず、夜に大発作が初めてきたことがあった。

息を吸おうとすると気道が塞がれて息ができないのだ。当然、声も出せない。

下の階で寝ている家族を起こせない。行くこともできない。今、呼吸ができない

から。その数秒間は頭がこれ以上はない速度で回転した気がする。そこで

自分流にヨガの呼吸法を練習していたことを思い出した。長ーく少しずつ

鼻で息を吸って、口からまた少しずつ吐き出す、というやつ。(前に書いた)   

ともかくも少しでも息を強めに吸うと、気道がくっついて閉じてしまう。非常に

ゆっくり、わずかずつ息を吸う。あやうくパニックになるところだったが、助けを

呼ぶ暇がないのですぐに落ち着く必要があったが、それができた。だから、

ヨガも思い出すことができた。たぶん、1分以内の出来事だった。  

その呼吸法で発作が収まるまで50分があった。発作は寝ている時など

深夜が多いそうだ。呼吸が楽になった時、助かった、と思った。気持ちも

ほっとしたが、拷問のような限界の呼吸をもうしなくていいので、体が

肩から力が抜けた。

あの時も電話もかけられず、パニクったらダメだったろう。なぜか、助かる方法を

事前に練習していただけだ。救急車も間に合わなかったはずだ。  


今回のことをこの4日間考えていた。理由があるはずはない。原因は体重が

重すぎだ。身長からはギリギリ肥満の一歩手前だが、現状は上半身は自分が

思う以上に不安定で、少しの重心の傾きでよろめいてしまうぐらいの。

それって重症だ。気がつきたくなかっただけだ、知ってはいたが。   

それと、また生きのびてしまったことだが、死なない。この死なない、という

ことに自然に感慨がある。感動を喜ぶ。   

運がいいとは思えない。死に損なった時に助かるのが、嬉しいようないいこと

だろうか。僕には死地を潜り抜けた経験が普通の人より、ちょっと多い。  

なので運がいいと言える資格があると思えるのだが、僕の気持ちは違う。

運がいいなどと思えるようなら、それは危険で、それに愚かなことで僕には

それは自信過剰になる前提に過ぎないだろうし、物事を甘く見る前提にしか

ならないという気がする。  

僕は冒険が好きだ。冒険は危険そのものではなく、矛盾しているが、危険を  

いかに安全にしていくか、その不断の試みであり、チャレンジであると思って

いる。だからと言って、危険のない冒険というものも、ないだろう。今回も

僕はアドレナリンが放出されただけでなく、脳内麻薬によって痛みを忘れる

ことができた。家まで足を引きずって、ショック状態にも脳内出血とかクモ膜下

出血にも見舞われなかった。その中で「いつ死んでもいい」とか「自分は運が

いい」とか「××のおかげだ」とか思うことは、一瞬もなかった。感じたことも

なかった。そういう”時”を過ごした後に感想してみると、そんなものはどれも

”余計なことを考える暇があり過ぎ”、または”知らずに言う迷いごと”だ、としか

思えない。命の大切さ、尊さ、というものって書いたり、人に言ったりするもの

じゃない、と。そういうものに恐れ戦(おのの)かないそういう人って、ほんとう

を知らない。


とか言っても、海にころげ落ちる迂闊(うかつ)な僕が言っても、説得力がないの

だろうけれど。  


そうして、満身創痍の僕は病院を後にした。  

IMGP0004.JPG

これほどの大ケガは初めてなので、記念撮影を

お願いします、と言って頼んだ看護士さんの趣味は

写真だそうだ。(笑) 笑えた。

事故後、4日目。朝から額の傷の周りがかゆい。夕方には寝ていて

膝の周りがかゆくてかゆくて。こういう傷の場合、治り始めがかゆくなる。

自己治癒力も申し分なし!



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島で大事件 1. [事件]

島で大変な目に会った。それから回復しつつある。が、まだ何が起きたか、

わかっていないようだ。(実は今、わかったつもりなのだが、まだ書く段

階ではない)

現実に起きたことははっきりしているので、それは書くが、なにしろ初めての

(たぶん、スキーで直滑降で左足を軸にして回転し、翌朝には歩けなくなって

いた20代以降の。そう言えば、小学3年の時にもトラックのサイドミラーに

はねられ、3,4mはね飛ばされたこともあったな)大ケガなので、その日の

自分は興奮からとショック状態でアドレナリンでハイになった。何が起きたか?

岩場へ泳ぎに行って、そこから足を滑らせて、1m下?の岩に額から顔面を

打ち付け、すぐに左足の膝を打ち付け、バウンドして海に落ちたのだ。なので

ここは僕の記事ではなくて、息子か娘による「バカな父が亡くなりました」という

訃報であったはずなのだ(笑、だが笑ってもいけないような)

その前に、前日書いた記事があるので、のんびりしたそれから :-



島の家で今までの自分とは違っていると感じる。それは今回は

自意識が顕著で、自分を見つめる自分がいることである。   

島に来ると、さしたる知り合いもなく、ひとりになれるので大抵は  

自分にのめり込んで思う存分、無意識との交流を図ろうとする。  

今日も水道課とのトラブルがスムーズに片付いて、やっと風呂に  

入れたのだが、雑用のメモを取ってまもなく、廊下の掃除を始めた。  

今まで初日に(翌朝だが)掃除をはじめた覚えはない。掃除は優先順位

が低いのでなかなか手につかず、後回しでやっつけ仕事にしてしまうの

がいつもだったのだが、今日は雑巾がけまでしてしまった。

そうしていて、当たり前に暇で「何をしに来たか」、と今まで島で考える  

こともなかったことまで考え始めた。何をしに来たかぁー、・・・天井を

見上げるがごとく、我ながら変なことを考えると思いながら、宅急便で

今日届いた本が並んでいる棚を物色するが、段ボールに詰め込んだ時

の本への感興は蘇らない。その時のその本を読みたい理由は思い出すが、

どうしてそれを選んだのか、その感じが思い出せない。

それは必要なのだ。なぜなら、その感興の行く先に、またはそれが発生  

した時にどう根源的なものに関わっていたかが、大事だからだ。これは  

知的なことではない。忘れたものを思い出そうと、クンクン鼻を鳴らせる

ような感覚の作業だからだ。このことで思い出せば、これも不思議である  

そういう一部がありそうだ、と。ちらっとこれは思い付きになるが、なにか

人間を離脱して動物に近づこうとしている行動かな?と。  

動物行動学はローレンツが家畜や野生動物と分け隔てなく共同生活を  

しながら発見したことが、新しい学の道になった。その影響は個人で十分

にあると思っている。街中でも川の側で変な声がするので探すと、野生の  

大型の水鳥だったことがあり、そういうように声をかけられたのでは?と思う  

場面がいくつかある。多くはないので何とも言えないが、魚が人の想いに  

反応するぐらいだから(これは機会も種も数も多かった。百匹の魚が寄って

来たことも)、鳥もなにか言いたいことがあるのだろう、僕に。島の港でも

トンビに頭を軽く掴まれたことがあったし、彼らは彼らなりに僕が彼らと共通

の感覚を持っていると知っているのだろう、知らないのは僕(人間)のほうなの

だろう、と僕は考えている。   

思えばそういう事件はあまり(詳しくは)書いてこなかった。その延長に  

アフリカがあると思っていたので、そんなことは大したこととは思って

いなかったからだ。 野生の猛獣の間で暮らしていけたら!   


眠くなってきた。2日目(5日)はこんなところで。






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まだ島に着かない、初日 [初日]

W i f i の都合で、8日まではブログを開けない。今、高速艇に乗っているので  

この1時間少しがフリーW i f i を使えるチャンスなので、船内のTVがうるさいが、  

書いてみる。   

まだ湾内を出ないのか、巡洋艦が並行して走っている。天気は予報が反対に  

なり、7日までが雨が、6日までが晴れ模様の曇りになり、台風一過の後は

晴れるのかと思いきや、雨続きの曇りもようになりそうだ。ともかく、島に到着

する今日が晴れたのは気持ちがよい。明日も晴れるようで、気温も31℃になる

というから、泳いでもいいかな、と。

佐世保港に着くと、すぐに潮の香りがした。匂いは世界観が強い。それだけで  

海への情緒からいろいろな情報が思い起こされる。歴史は感情である、という  

表題の本があったようだが、歴史には虐げられたものの恨みがたまりやすく、  

感情は強く作用する。表題はあながち間違いではないが、それだけだ、とは   

ならないだろう。デートの交際中に聴いたポピュラーソングはほとんどの人が

自分の青春の曲として、(音を)忘れないだろう。匂いは出会って思い出すという

チャンスが少ないが、情景から情緒から幅広さと深さで、意外な世界観を

思い出させる。僕らの個人史ではそういう感覚による記憶が歴史として残る  

ので、日記などでも書かれている内容よりも、その時の文字の勢いや形で  

当時の気持ちが甦ったりする。単なるメモでも書きなぐった文字が書かれて

いない他の情報をも思い出させたりする。   

それらを考察として鑑みるならば、昔の歌集や唄などがどのように詠まれて  

いたのか、どんな発音だったかというのは、とても大事な情報だと思うのだが、  

なんともそれらを回復させるのは、古典芸能にその一部とヒントがあるのみで  

ほとんどは謎として消失してそのままだ。そしてそれらがわかったとしても、

その頃の人たちの自然や社会や人間への想いというものは、僕はその

わずかなヒントのような藁を掴んだだけで、わかりようもない全体への憧憬が

広がる経験をしている。それは人々の歴史へのあこがれを増長して、歴史の

ロマンとかに堕落してしまうのだろう。ひどいことに、そんな偉人は存在しな

かったという説で世間の耳目を集めようというエセモノの区別も実際に結着

はつけられないという事情も発生してしまい、今は考えられなくてもいつかは

歴史が書き替えられる可能性も出てくる。  

と書いている間に、島が見えてきた。   

次は8日以降に。 




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島へ出発前と 天気予報と知の本能 [本能]

島に行く日が迫ったが、いつものように宅急便も荷支度もまだだ。  

もう慣れているので、これでも余裕があると思っている。以前のように

深夜になって始めて、出発の2時間前だ、なんてことはない。    

前回の5月では不用意に(これもいつもだが・・)島で闇に深潜してみて、

驚くほどの不調になったが、弱くなったものだ。  

今回は次の目的があるので、できれば必要なことを経験したいものだが、

そんなに調子のいいことができるとは思えない。思えないからと言って

なんでもできるのが根底の仮説なのだから、その記録を更新したい

だけだ。   

これは脳の構造に関係しているのだろうか?   

脳はともかく普請中だ。元の家を次から次へと建て増しして、一度も

根底から新しい方式に作り替えたことがない。それで学者は脳はいい

加減な作りになってしまった、のによく機能していると感心している。    

脳はいい加減にできている、それが社会の方式とよく一致している

のはまったくおかしなことだ。(可笑、可怪)   

島では「孔子伝」に集中しようかと考えていたが、「フォーリン

アフェアーズ」(定期購読のみの雑誌)という外交関連の雑誌を読ん

でいて、人工知能の記事があって、その未来予測が混乱している=

いろいろな意見があって、総意を見ないので、以前に「自分=自我」

と「AI」との関連で考えたことがあったが、それをしっかり思い出せ

ないほど。自我はAIでは成立しないとの考えも、もう一度考え直す

必要があると感じた。以前のその結論の出どころも確認したいし。  

それに強く、AIに対する意見、その元々のコンピューターの親の

チューリングにも惹かれる。どうなるか、いつものようにその場

その場で決める。行ってみないと、実際になにをするのか、わから

ない。7日までは島は雨だそうだから、本読みには好都合だろう。  


島へ行くことには興味を失くしつつある。そして、失くした。   

ただのひとりの静けさを求められる場所になった。もしも借りた場合の

宿泊費が交通費になり替わっていると思えば、交通費もネックでは

ない。1か月いてもわずかな光熱費のみだ。   

自称(小値賀島役場公認?)、無人島(一人、船の定期便の都合だろう、

登録島民がいる。山屋だ)の野崎島についても思い出したい。できれば

予約を取ってもう一度出かけてもいいのだ。また、無人のプライベートの

ホワイトビーチなのだろうな。浅瀬にエイがごろごろいるが・・・。    

9月と言えば、またアゴ(トビウオ別称)の捕れる季節で、すさまじい風

だろう。


*島とはそのまま、長崎県の離島のことだ。長崎市より佐世保市の

ほうがよほど近い。対馬は北方にある。飽きた面もあるし、もっと詳しく

見たい面もある。プランではまだ行っていない南方面を訪れるつもりだ。

いろいろあるが、来年に。  


< 天気予報と 知の本能 >


天気予報がこれからもますます当たらなくなる、という話。  

これは寓話である。そのままで進む物語ではない。機械の

技術発達で社会変化は起こるので、予報の形さえこの先

変わるかもしれないのだから。   

天気予報が比較的当たっていた時代は去ってしまった。

毎年、史上初の気温とか数十年に一度の台風、50年に一度の

豪雨などが発生する時代になってしまっては、四季が順当に

おだやかに変化していたようには、天気は安定してくれない。

天気予報は今までは過去のデータに頼って、似たような天気図

から次に起こる天気をその翌日の天気図に求めていた。

それで当たっていたのだが、こうして天気が不順になってみると、

今までは単に過去のデータに追随していただけで、予報の

なんたるかは追及してこなかった、ということだ。追従してきた

から、これまでの方法が通用しなくなると、特にゲリラ豪雨など

は範囲を広げて予報せざるを得なくなる。大雨になるかも

しれない、という不確実な予報なのだから、考えように

よっては誰でもできる予測だ。明日は晴れか、雨か、曇りです、

とか言うのに似てなくもない。それが予報となってみれば、

当たらなくなったと感じるのは当然な感想だろう。

一日で翌日の晴れの予報が雨に変わるという予報さえ、ちらちら

見えるこの頃でもある。もう当てる自信はないが、予報はしなくては

ならず、可能性ばかりが目立つ予報となってしまう。   

前にも書いたが、オーストラリアだったかの気象学者が1年後の

天気を予測するシュミレーション(正しくはシミュレーション)で

コンピュータにデータを打ち込んでいたが、数値を0,0001間違え

て打ったので、修正しようとして、その日の天気を見た。確認して

数値を正しく打ち込んで、その日の天気を見て驚いた。データの

一部で、しかもたった1万分の1の数値の違いで1年後の天気は

まったく正反対になってしまった、という。その学者は賢明にも、

予想が何の意味もないのを認めて1年後の天気予測はやめて

しまったそうだ。それほど地球上の空気と水との予測は複雑で、

またその因果関係についても知らないことが多すぎるということ

らしい。   

僕はこの知る、を発展させた文明社会において、現代では「知ること」

が本能の一つと認定されてもいいように思う。食欲、性欲、睡眠欲という

動物行動からの生まれつきの情動を本能ということが多いが、定義は

混乱していて、それは学問分野が多すぎて混乱しているからだが、

これといった共通の定義はない。

ともかくも、その本能に知りたい欲として、知求本能を加えてもいいの

では、と思う。それが強烈に中心になって人生を推し進めてゆくという

例は多いからだ。飲まず、食わず、眠らずに資料を読み、考え、研究

するというそれ以外に楽しみがないような学究の徒も古今に多い。

明らかに他の本能を上回っているではないか。

だからと言ってすべての学究の徒が品行方正というわけではなく、  

誤った考えからある理論を勝手な方向へ結び付けたり、持って

行ったりしてしまう人も見かける。  

どちらにしても知の操作が飯より女性より、好きなのだ。疲れるから

睡眠は摂るだろうけれど。  

知が本能になっているならば、これは高尚な趣味いうばかりのもの

ではなくなる。飯を食ったり、眠ったりが高尚な趣味ではないように

体がそういう行動に向かうからだ。そういう止むにやまれぬ生理を

示している。そういう人にとっては、人生を教えられたり、感動させ

られたりしたという経験が、知識を通してあるはずだ。日常では

TV(教養?)番組・講座などの雑誌・学術や人生論風の本・という

脳への刺激がたまらなかったはずだ。だから、それは知に傾いている。

20歳までに粗方、30までには職業上のノウハウ本を含まないで、

本からの知識は吸収してしまえる。社会に出てからは別な行動様式

が必要だと会社などで感じたはずだ。そして、それはそこにいる現役

の(過去の)同僚のマネをすることから、今に至っては日常の雑な忙しさ

から、新しい行動様式とかの必要は忘れ去られる、または忘れ去ら

れたのだ。

体の動きが職業になる能や歌舞伎役者などの人たちは、言葉少ない

が、知に傾かないある種の体感覚から得難い経験を体得している。

そこでは主に言葉はもっぱら比喩として使われて、直接の定義を

しようとする人はまずいない。つまり、言葉ではない世界を体得して

いるからだろう。しているからこそ、芸の奥が深いのを感じる。


天気でもある地方の年寄りの話が印象にある。彼はその村で  

観天望気をするのが得意で、空を見てはこれからの天気を占ったが、

一度も外したことがない、という噂だ。この話はありそうだ。毎日毎日

山からの雲の形や流れを見ていて、そこから全体が予測できる人が

いるのは事実だから。彼はその村の天気の膨大なデータを直感で

引っ張り出すことができたのだろう。また、湿度の感触がわかったの

だろう。僕も山を登っていたころは、天気の異変は雨のにおいで

気づくことができた。どうしてわかるのか、というのが面白いところで

気がつくとわかっていた、という感じで頭など使っていないのだ。

もうそういう人は観天望気も芸のうちなのだろう。   

僕らは年を取ると、体に引きずられて老化してゆくので、億劫(おっくう)

さと今までの取り得た知の方法だけでいっぱいで、それを守ろうとする。

今更新しい方法などごめんだ、というわけだ。かくして、本人が思った

以上に固くなってゆく。体も頭もコチコチに。なればなるほど気がつかない。

なるほど今の自分がそうなのか、と思える人は幸運の部類だろう。

アイデンティティ(自分らしさの勘違い)が必要なのは「自分」という「知」の

本能ゆえなのだろう。どうして君は自分をなにかに結び付けて、保証したり

存在を確かめなければならないのだろう?
  

言葉のない分野で生きている人は多くいるが、なにしろ伝える手段と

しての便利な言葉を使いづらいものなので、自然に以心伝心に

なってしまう。だから、直接会わないと、なにもわからない。今、伝える

べきが伝わりにくいのは、そういう事情もあるのだろう。TVやネットでは

ダメなのだ。(これ、覚えておいて)ほぼ、絶滅危惧種だから。



天気予報がこれからどれほど精密なデータを世界から取り寄せることが

できた(これはいずれにしても必要)としても、気象に即した考え方と

変化率を確立して、その地球の地域ごとの細分則から分析を行わなけ

れば、天気予報の未来は暗い。晴れの予報は当分の間、出ないだろう。

まず、発想を変えよう。

ニュートンがコペルニクスやケプラー、ガリレオの考えや天体観測、その他

の天体運則資料からプリンキピアを書いて導き出したようなものだろう、

天気の予測をより可能にするのは。

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