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朝起きる時は起き、時は習慣にしたがう [習慣]

< ”時間の感覚” を知る >


朝、起きて 同じ一日を思う。  なにか食べてから、薬を。  その薬も

もう 終わっていた。  ご飯、 パン、 ラーメン、 そば、 お好み焼き。 

豊かより、貧しいほうが 選択に迷わずに 済む。  バナナも残っていたな。 

寝床から体を 起こす。  調子は、いいようだ。  今日は晴れている。  

階段を下りながら、 なにかを心に 探す。 挨拶の気持ちだろうか。  

晴れやかでも、 厳かでも ない。  朝は低血圧で 皆、 こんなものなのか。 

玄関裏まで 下りてくると、 頭の中で郵便受けに 届く予定のものはないか、  

習慣で チェックする。  出かける予定も ない。  静かに 見守ることになる、 

今日も 一日 自分を。  自分を数える一日、 その時だけ 時間がある。  

長そうだと、 考える時だけ。  あとは過ぎ去る 早い時があり、 決まった 

ように 昼になる。  

共同生活は いろいろと交換する。  特に 夫婦は お互いを 交換するが  

気づくことは、あまりない。  気持ちの交換は もちろん、 感覚も 選り好み 

で交換し  あまり交換しないのは  うちでは 知だ。  エネルギーは 

法則があるかのように  片方が疲れると もう片方が 補充する。  

それぞれの エネルギーの限界までだが、 交換し合うので  一気に  

疲れることが 少なく、 合理的である。  妻が 携帯をいじり始めてから  

知の交換の 下地ができた。  妻も 仕事を辞めて  余裕ができると  

見なかったクイズ番組 なども見て、 前もって考えた 会話が増えるように  

なった。  もう 余分な深入りは、しないし、 させないが  それでも  

妻は 12日ごとに  文句を言うのを やめられない。  ある一定期間の  

日には 機嫌がいいのを  知らない。  TVの 星座占いとか いうのだが、

それが 数えることができる定数であるのに  気づかない。  

僕も 教えない。  天気予報と似ていて、 当たるほうが  カミナリを  

避けやすい(笑)。  人は 知らずに 自分で無意識な 予定表を作って  

しまうらしい。  僕の生活も  あらゆる観察を  習慣で内含している。  

考えずにいるほうが  目に留まるものを  見るようだ。  違和感があれば  

そこで、見つめなおす。  そんなものが溜まるのだろう、 昼の食休み、  

中心もなく ぼんやりしていると  観察したものが  急に意味を形作る。  

この技術が人間特有で  感覚や 感情を越境して、 中心につなげる。  

それが 発見につながることも あるわけだ。   リンゴが落ちて  

引力を直感するのは  人間の芸当だ。  

夕方に 妻が帰る頃が、近づくと  急に時間を感じる。  なにかして  

暇をつぶそう、と 頭の中に出かけるからだ。  集中して なにかを  

忘れてしまう 夕暮れ時はこれまで まだ、ない。   書くには 早い。  

なにか本を 読もうとするが、読むよりも なにかを探しているほうが  

よほど 長い。  昨日、面白かったものが 今日も面白いというのは  

僕の場合、 滅多にない。  短く読んだ本が 何十冊と 増える。  

今、読みたい本を 図書館サイトに検索している時間が 長い、という

のが もしかすると  僕の一日の、暇のつぶし方 かもしれない。

今日も、明日も?  いや、 今日も  今日も、だ。  くり返しに感じる

のは よほど、観察力がないか、  面倒を避けて、日常の感覚を 享受して

いるからだろう。  日常の楽観に からめとられると  バランスを失う。  

嫌なことは 習慣にならないが、  必要なことは 自分で考えることで  

習慣にしなければならないのだろう。  集中と ぼんやりを セットに  

しなければ ならないように。  

朝起きて、大量の情報が  部屋を満たしているのに  遭遇(想像)

させられる。  

「だいじょうぶ、上手くいく」 呪文を唱える。  

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