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もどかしさの独り言 [独言]

人の心を 打つ  

よく 琴線に触れる、 とかいう  

それが 大事と思いながら、 そのか細さに  

弱い、  と思う    

琴線が触れ合うなら  それは 周波数が 合うように  

弱さが  触れ合うことだろう   

それが  そのまま弱さであるなら  ただ  弱さで  

終わっていただろう   そこからは  ため息だけの世界だ  

その美しい弱さを  伝える人がいる  

それが 唯一  直接に 伝えられるのが  歌声ではないか、  

と。  

同じ歌を  歌っても  天性のその声を持った人には  

敵わない   全然、 ちがうのだ  

声の伸び  繊細なイントネイションが  震えが   

見えない手のように  ハートを なでる  

その弱さを  支える  ものはないが  (個の内にだが)  

それを支えるのは  技術や  協力者 だろう  

それは 誰もが  ギャップとして  感じる  

それが  不安となり、  琴線を大きく  揺さぶる   

わかっている、  わかっているのよ   と   

弱くても  立ち上がって  歌っている   

その姿にも   拍手を 送るのだ   

がさつで  なんの 琴線も持ち合わせていない、  

そんな人も  いるようだ   

そういう人を  感動させることは  できない  

異常なことに  興奮するかもしれないが、  

美しさとは  無縁な人たち   、  いる   

それらの人でも  単一なグループではなく、  

特別な 才能を持っていたり、  そのために  

独特な生活を する人もいる  

病気と言える人でも  女性だが、  恋ができない  

動物を  愛する人だ   人間という種に  

まったく  興味がないし 感動することがない  

落ち着くのは  動物といる時だけなのだ  

頭脳は  優秀で  博士号を取って  

動物関係の 事業で  しっかり生活している (感心)  

この世で  強さは  男性系を  示してきたが  

それでも  ずいぶんと  女性系の  弱さが  

進出できて  強さは縮小されて  狭い範囲で

集中して  暴力ばかりが  目立つようになった  

そう見えるのは  僕の見方が  偏っているからか  

女性的な  つまり  文化的だということだが  

そういう方向に  世界は  進んでいる、という論文を  

書く  科学者も  いた  

僕は ボクシングを  観ても  あまり 感動しない  

一時的な  興奮はあるが  すぐに  忘れてしまう  

それよりも  大学のサークルか何かで  学生の

試合があった   そこでは テクニックの者が  優勢で  

相手を  圧倒していた。   ところが、パンチが  

一発当てられた!  その一発で なんと  彼は  劣勢に  

なってしまった   その印象が  何度も見たボクシングの  

印象よりも  強く 残っている   

彼は  一発のパンチに  戦意を喪失したのだ   

テクニック巧者の彼にとって  初めての急所への  

パンチだったのだろう   あれほどの 優勢が まったく  

なくなり、  顔には 明らかに  恐怖の影があった  

これが  ほんとの ボクシングだ、と思った  

僕ら素人が  試合をしたら、  こんなものなのだ  

戦意を喪失しない、そういう精神の持ち主でないと  

ボクシングは  うまい、下手ではないのだ  

弱さは  徹底して 弱い   技術では 勝てない  


強い世界と  弱い世界は  どっちがどうではないが  

それぞれの 美しさがある   

現代は  強さが 虐げられて  がさつさしか  見せられないのでは  

ないだろうか、と  ふと  思った   

現代では  ちょっと血が流れても  大騒ぎをする  

道徳的であるのは  よくないことではないが   おかしなくらいに  

できなかったことを  言い訳するように  

自分を責める 繊細さ的に  弱い行動を見る  


愛が 犠牲的だ  というのは 誤解だ  

愛は  相手に対する  究極の弱さで  相手の  

立ち位置に  立てることだ  

愛を抱いて  強く行動するのは  まったく  

自然に反している    が、   

それができることが  強いことでもある

具体例が必要な 事柄だが、  弱さに 倒れる愛は  

そのために  美しく  愛おしいと  人は  思う   

僕は  少し  不満だ  

それだけの 違いだ  弱さにも レベルや功罪があると、  

思うので  弱さに なるべくしてなった ことには  文句を  

言うつもりはないが   仕方ないと思えることでも  

ルールに強がるのではなく、  大多数を選択したから  

良いではなく  そういう社会的な(民主主義的な) 強さを越えたもの  

そういう 強さがあってもいい、  と思う。  

それを特定したり、 今は指摘できないが (未達・未熟のため) 

あれば  パンデミックでも  大事故に遭遇しても  

それにふつうに 対処できるだろうし  根本的な 改革・治癒についても  

やがて 考えが及んでゆけるだろう、  と想像するのだ。

  
* 僕らはいつでも 5万通りからの 判断を  その場で  

しなくてはならない、  そういう場面にいる。 これは 右腕を 

動かすだけでも、 脳のシナプスが 行っている 1秒間の回数だ。  

僕らの 限られた人間は  A I やI C チップスと つながって さらに  

スピードを要する 仕事をするようになるの かもしれない。


それも 一般は のんびりできればいい、 という話だが ・・・。
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