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ものすごくものすごく [気持ち]

ものすごく  くやしい

ものすごく  ものすごく 

だよね

こんなに  言ってあげて

こんなに  ヒントを  あげて

こんなに  心配して

君は  知らない  

僕が 思った通りの  感情一杯で

皮肉に  反論する 

反論に なっていなくても  

そうは 思っていない  

ものすごく  ものすごく  

そうじゃない  

そして  

ものすごく  ものすごく 

わかってない  

それが  でも  わかっていた  

君が  それが  わからないだろう、と  

わかるだろうか?  

それも 

ものすごく  ものすごく 

くやしい  

急ぐな  焦るな  

まだ まだ  なんだ  

ものすごく  ものっすごく 

時間が いる   大事だ

大切だ  

それが  くやしい  

それを知っている  のも  

くやしい  

そうしたいことと  

そうなることが  わかってるって  

一致しない  

そうなることって  

希望したことじゃ ない

悲しくもなりたい くらいに  

ものすごく  ものすごく  

く・ や・ し・ い



君が 悪いんじゃないし

僕が  悪いんでもないし  

誰が  悪いんでもなく 

季節が  悪いのでもない

そこに  悪は  ない  


わかってる  

身長が ちがう  

背の高さが  違うだけで

眺める  世界が違う 

親が 違う  

それだけで  愛や  虐待に

見舞われる  

その経験が  無理解を生む? なんて

ことも  あるくらい  

君は  感情と  考えを

切り離せない

ものすごく  ものすごく  

ああ  こんな世界は

(切り替えるよ!)  

嬉しい  
      こんなに 

僕に  難儀を与える  世界は

抵抗に  満ちて  

まだ まだ  と 解決を 

長引かせる  

生命(いのち)の  消長が  

ブツブツ  切れ切れに  

輝いて  ロウソクの 灯を  

絶やすな、 と  教えてくれる  

困難は  僕を  力づける 

まだ まだ  やれることが ある、と 


僕を わかってほしいのは  

僕じゃない  僕の言ってることだ  

言ってることが  何かだ 

同時に  どうして  そう言ったかの

理由だ

これに 反論したら  お互いに

不利益だよね  と言って 

ひとつ例を  出すと  

それに  ベタな 反発の言葉  

なんて  子供!とは  言っては

いけないのだろう 

それさえ  反発の  タネにしかならない

君の中では  



「トラウマとアディクションからの 回復」 という

書籍も  買ってしまった 

知りたいがために  

ものすごく  ものすごく  

理解は  遠いのだろうか  

障害の  君よ

最も  自分を 知りたがらない

ものすごく  くやしい  君よ

最も  自分の弱みを  見たがらない

ものすごく  やさしさが 

生かされない  君よ 

自分を  隠して  相手への

反発で  防ごうとするのは

発散に 見えて  ストレスの 

ため込みなのだが  


いくら  言っても  

ものすごく  悲しい 

君は いつ  

前を向いて  自分の 責任を

取ろうと  するのだろう

君の  気持ちが  

干からびる 前に  



僕は  幽霊が  見えない タチだ  

でも  それが  後ろにいると

直感すると  非常に  怖い  

後ろを向いて  幽霊に向かう、なんて  

できない 

が、僕は  見えない タチだ  

それを信じて  思い切り

振り向いた ことが  3度ある  

なにもいない(見えない?) ことを 

たしかめると  

また 歩き始めた ・・・



君の  幽霊は  

君自身の  自分という奴  

なんだが、  一度会ってやった ほうがいい

なぜって  

自分を 見失っているのは 

幽霊も 同じだから  

自分が  親に  見捨てられたからって

君も  自分を  見捨てるのか

自分も  それなりに  幽霊にされて

可哀そう  ではないか 


それが

ものすごく  ものすごく  

ものすごく  ものすごっく 

くやしいよ

わかってくれ、 と僕は 言わない

はじめから  言わない  

君に  僕に対して

そう 言わせない ためだろうか? 

僕は  君に  ヒントという  

助けを  出す 

誰が  君を  救うのか  

誰も  君を 救えない

(誰でもいい) 救われたい

そう思っている 間も 

見守られているだけで 

誰も  救える者は いない

君を  除いて ・・・


自らを 救うものは

自らしか いない 

他人は  言葉で  自分を  

しっかり 見つめろ、 とは言う

それで すんだ時代では ない  

全体が  病んでいれば  

僕らは  それを  人の所為にする 

それは社会的 責任のこと  ではない 



自分の  

自分による

自分のための 

自分しかできない 

自分を守る 世界から  決別して

自分の あり方を  問う 

感覚と 気持ちを  かけて

君が どう生きるか 

人から  離れようとする

自分を どうするか  

生命に 背いたままの 自分を

どうするか 

すべては  求められない


君が どう生きるか 

それだけで  十分 だ




**
「相手の立場になって考えるのが大事」と言われるが、

それには書かれた言葉、言われた会話から相手への

気持ちに飛び移る飛躍が必要だ。言葉は気持ちで

いくらでも、良くも悪くも解釈してしまうから。

虐待にあった子は心を閉じて、生き延びる選択をする。

愛着に対して閉ざしたので、自分の気持ちがわかるよう

には相手の気持ちにまで言葉を飛躍させられない。

そして、自身も自分を隠す。隠して、それを知らんぷり

をする、それを意識しないように子供だった虐待時代

から自分を訓練してきている。

目の前に困難はある。答えはわかっている。

でも、簡単には解決しない。これを人類史の上で

飛躍して比較すると、僕らが人類の質を曲げる角に

(かなりギリだと思うのだが)来ている、これは曲がった

ほうがいいのか、それとも方向を修正した方がいい

のか。その答えさえ僕には、まだ近くて遠い。気づいた

段階を越えたのはわかる。

「急ぐな  焦るな」 


ともかく、それはわからなくても、僕らの視点での

人生に眼を移すと、それはうまくいってるよ。


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御伽草子としての愛と死の位置 [愛と死]

おとぎ話としての「愛と死の位置」は、とあることを考え

ていて、発想した比喩だ。机上の空論と同じで、観念に

過ぎないので、内容はない。それなりに継ぎ足しは

するが・・・。

孤独感というのは、まだ自分を知らない(母と区別しない)

幼いころから、あった。その頃は、自分がないようなもの

だったから、孤独に傷つけられる心はなかった。 

それでも感情は割り切れない、理不尽さを子供心ながら

も感じるものである。

多くは満月の晩に、心がむなしく、締めつけられどう対処

すればいいかわからず、ただ耐えることを覚えた。それ

は1日ももたず、去ってしまうからだ。小学生から、中学生、

高校とそれは続いた。

それがわずかな記憶につながった。 


僕の孤独はいつも隣にいて、それをむなしさとして意識

していた。J・クリシュナムルティの本に出会ったのは、

結婚してからだろう。彼の無味な言葉を理解するのは

大変だった。翻訳の言葉では伝えきれていないものが

あって、それを見出すのは、小林(秀雄)の時と同じで

彼の言う瞑想を模倣し始めてからだった。(経験して、

ナンボ。)


それができるようになった時に19歳の体験は一種の

擬死体験だったのだと感じた。インドの、死を体験した

瞑想者(インドでは聖者)の話に当て嵌まったのだ。

それは答えだったが、今は半分の答えで、もう半分は

正解へのヒントだった、と考えている。

ともかくそれはその時、死だとわかった。世間で言う、

死という一般的な自己防衛から来る感覚であり、考え

だった。それはもっと意味を持っていたが、全体像は

今でもわからない点を残す。

 (ここで余談を挟むが、チャイコフスキーの交響曲第5番

 を聴いているが、驚くことにその第1楽章はベートーヴェン

 の第五へのオマージュだろうか、と思うほど特に第五の

 第2-3楽章に似ていて、パクリに近い、と言ってしまえる。

 楽曲の感興が同じなので、導入として使った点で、やはり

 ベートーヴェンへの敬意か?)

19歳にその空白が僕の心と交代する出来事があって、

記憶の空白は、自己の一時的な消滅によってもたらされ

たものだった。今はそれがわかるが、どうしてそれが「自分

を信じるな」という聞こえない言葉を僕に聴かせたのは、今

もって謎だ。 

こんな調子で書いていては、いつまで経っても本題に

入れない。

ともかく、半世紀はそのむなしさが隣から去ることは

なかったが、愛が僕を支えたのだと思う。それが言い

難いのだが、誰に愛されたのかとか、どんな形か、という

ことが示せないし、想像でしか説明できない。

そのむなしさは例えれば、眼を閉じて何も聞こえない

世界にいるよう。そこは誰一人いない。話そうにも、声も

聞こえない。氷のような雰囲気が、空気のように張りつめ

ている。後にも先にも何もなく、沈黙の声だけが聞こえる。

絶望しようにも、その望みという一切が許される、空間が

ない。共有する者がいない。何に絶望していいのかさえ

知らされない。鋭い針で細すぎて痛みも感じないが、

それで心臓を突き抜かれている、そう想像させる痛み

だけがある。それは苦しみ以上なのだろう。救われない、

という一点があまりにもはっきりわかる、感覚する、実感

する。

(ただ、死の側である自分からは、救われるも、救われないも

そもそも無関係で、そこに人として意味や意義をかんじること

はない。救われないからどうだと言うんだ?と、開き直って

いる。)



僕が今晩、郷愁を覚えていたのは、そういう過去の厳しい

心の状況だった。あまりに長くて、苦しみということも忘れ、

ただ耐えることに工夫と専念して、過ぎるのを待つ。

それがなつかしく、そこに帰りたい、と。しかし、そう思い

ながらも、想像が現実に近づくと、やはり拒否したくなる。

厳しすぎる。それを支えたのは、くり返すが、愛だろう、

としか思えない。では、本題に入ろう。


僕に断りなく自己を突破させたのが、19歳の体験だった。

しかし、それを意識するには知らないことが多過ぎた。40年

かけて還暦を過ぎてから”無意識というもの”に人生の羅針盤

を任せる決心をしてから詩のような散文(作文)を書きながら、

愛が何度も寄り添って来た。はじめは洪水と激流にのまれて、

しあわせだったが、実情は大きく通り越えていた。なにも望む

意欲もなくなり、ただただ満足だった。   ::何度も書いた。

その蜜月の2年間が過ぎようとする頃、そこから自立することを

考えた。

どうも調子が出ない。

<僕の感想・説明なんかどうだっていいんだ、勘弁してくれ。

観念論だよ!>

<あ~~い~。>      気を取り直して::


はじめに自己を突破した時、それは体験を死として自覚

した時のことで、それから20-25年も後に無意識の中に

愛のゾーンと死のゾーンがあるのがわかった。見えない

感覚でしかないがそれはどちらも巨大すぎて、想像でも

捉えどころがなかった。その位置関係がどうにか掴めた

のは、その2年後くらいだろうか。愛は死に包まれていた。

境界もなにもわからなかった。

その位置関係の話だ。

空に例えよう。空は大気圏だ。しかし、低気圧と高気圧がある。

地球を人間とするなら、空を眺めて、この高気圧・低気圧の

部分が「愛」だ。8000mより上空は人間が生きられない

上層圏で、死の領域だ。愛は僕らと同じだから複雑で、

しあわせの高気圧をもたらすが、悲し涙の低気圧も

もたらす。低気圧はそれ以上になると、吹雪や嵐を

もたらして、人間を襲う。時には大勢を殺してしまう。

高気圧は長く続くと、日照りをもたらし、作物を枯らして

人間を飢えさせてしまう。しかし、太陽は雨の日でも

いつでも低気圧の雲を上層に突破すれば、そこでは

晴れている。

この大気圏は地球から比べれば、地球を包む薄皮

まんじゅうのようにうすっぺらだ。そこに人間の体積

から比べれば、果てなく広がると言っていいのが、

大気圏の世界だ。

僕は空気の薄い死の層(ゾーン)の端まで、と瞑想内

で行ってみたことがある、一度だけ。そこからは闇が

あるだけ。つまり、僕の体質や生き方ではそこまでが

限界だと思わせた。宇宙の闇が広がっていて、大気圏

で宇宙線や直の紫外線などから守られていない。

比喩ではなくても、僕らとは感覚と生存環境を絶する

世界、不可触領域なのだろう。闇ではないが、その

イメージは避けられない。

大気圏の愛の上に死、愛と死の上に、大気圏を抜けて

空気のない宇宙の闇という比喩だ。僕はそれを

確かめた日から調子を崩して、三日間は気分がすぐれ

なかった。それで自分の向こう側の探検を切り上げたら、

僕の隣にいた半世紀のむなしさが心から縮み出して、

今は希薄になりつつある。(心の穴が小さくなったようだ。)

これを喜んだのが1年くらい前だろうか。そして、現在、

そのむなしさを長年の友のようになつかしんだのだ。

解放されたはずだったのだが、そのむなしさがなければ、

あの緊張と集中はなかったように思える。なつかしさは

いつもセンチ(感傷)のことで、過去の自分を振り返ること

で僕はその極度の緊張に耐えていたスーパー自分を

なつかしんだだけなのだ。過去の相手(虚しさ)と自分

(孤独)、その自分を立てるのは相手がいるおかげだ。

なつかしさはそういう相乗り効果なのかもしれない。

コロナの自粛が始まる前に、孤独になりたいと感傷

したのは、この前哨戦だったのでもあるかも。




*愛のその生成のシステムは、たぶん一部なの

だろうが、想像はついた。それが正解かどうかは

あまり意味がない。他の人が発見して、公表すれば

いいだろう。僕はただ、以前人間が創ったものだと

言った、それをくり返しておく。(それが基礎だが、

旧約の彼が関わっていそうで、そうなるとそこは

微妙で、まだ調査不十分、まったく不分明。)

                         11. 15-16


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ある晩の ポコペン [夜想]

今、深夜、書く気にならないのに、気持ちが落ち着かなくて

書こうとして、坐っている。月齢は新月と満月との中間なので

月の引力のせいではないらしい。

少し冷えているが、0 時に散歩に出る。まれなことだが、野良が

鳴く。深夜にエサをもらいに来るのは、昼間のエサの予定が

全部当てが外れたせいだろう。また外れ覚悟で近くをうろつい

たら、玄関の灯りが点いて、僕が出てきたというわけだ。

この野良猫についての計画もあったが、今はサボテンと同じで

投げ出したような状態だ。猫が飼いたければ、世話主を探し

ているサイトはある。けれども、猫より先に亡くなるのでは無責任

と思い、娘の処に一匹譲ったのだから、(娘の処は3匹になった)

今さら子猫から飼う気も起きない。


気持ちが動くと、冬でも散歩に出たくなることがある。

こういう状態は謎に包まれたようで、嫌いではない。することが

しっかりある、という気もするから。

カシオペヤ座から北極星を見つける。

毎度おなじみで芸がないが、北斗七星とカシオペア座くらいしか

見つけられない。わかりやすいから。

どこまで歩いても、家はあちこちに、それによって方角が移動

してしまうが、北極星の方角は変わらない。相手があまりに遠い

と、地球上(北半球)をどこまで移動しても星の位置が変わら

ないのは、理屈ではわかるが、なにか感性に不思議さを訴える

ものがある。要は距離はないのと同じなのだが・・。北半球から

はいつでもそこに見えている。

あまりに遠いと、まるで「ない」ように思えるというのは、測るもの

がないということだが、永遠と無の関係のようにも思えて、興味

深い。


「僕はここにいる」と書いた、つい昨今までの、それは反語の

ように「僕はここにいないようだ」という気持ちを心の反作用

のように照り返していた。それが、今は僕はここにいる、という

のはベタにそのままで、ここにいないようだという夢を見られ

ない。心を夢においてくれるそれがあれば、現実に対して

支えのように働いて、現実を夢見ることができる。

今まではそういうことだったのだ。今、それはないのだが、

それで不安とか恐怖がないという点では同じで、変わり

ない。無味乾燥に坐っていて、坐るということが特別な

感興ではなくなった。夢がなくても、支えがなくてもいいのだ、

ということなら歓迎なのだろうが、そこははっきりしない。

ほんとうにあの孤独を感じなくなった。50年も、いや子供

時代を思えば、それ以上に死と隣り合わせだったのに、

そう、思い出す、あのむなしさを忘れていられるのだ。

それがあったからこそ、僕から自分に向き合い、屹立する

ことができた。もうそうする必要がなくなってしまった。

まったく、ポコペンだ。







***
永遠と無の関係については、論理的には詭弁に類するもの。

気がつく人もいるかと思うので、やむなく断りを入れるが、

実際は僕の気分としての感情的な比喩で用いたものだ。

見方を変えると、正解にも誤解にもなる、という例だろう。

気にしなければ、ただの詩的表現とも言える。まったく

間違いとも言える領域や範囲ではないと思う。
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ポコペン(短編) [短編]

まえがき

ポコペンという遊びが昔、流行ったような記憶があるが、

うなぎのようで、ヌメヌメして捕まえられない。そんな

まえおきは夜風に吹かれるほどには、涼しくないだろう。



ポコペン  

19世紀も終わろうという1890年代。

ウラジミック博士はゴシック建築風の安アパルトメントに、

精神医療の看板を出すことができた。開業して7ヵ月だが、

そこそこ患者が訪れて、まずまずの滑り出しだった。

ただ古い建物なので、床の板が歩くとギシギシ音を立てた。

診察室と博士の事務室、バス・トイレしかない、小ぶりな二間

で営業していた。寝るのは床に厚めの毛布を敷いた。

アパートなので、近隣は貧しい階級の者が多く、博士は毎朝

自分で廊下と階段、医院は二階にあった、を掃除していた。

そんなことをするのは変わった行為で、医者は掃除をしない

ものだと、自分を雇ってくれ、と言うアパートの住民もいた。 

博士は自分の健康のためだからと、その男を断った。博士は

医者によくありがちな、自分も精神障害を抱えていたのだ。

秋の朝、よく晴れていたが、博士はモップがけした階段を

ビショビショにして、そこで滑って転んでしまった。腰を打って、

歩けなくはないが、掃除はできなくなってしまった。

そして、腰よりも悪い症状が襲ってきた。物音や映像、ちょっと

した言葉や思いつきにこだわるという、偏執症状が出始めた

のである。

博士は特別な水煙草の器具を所有していて、フレーバーが

桃という変種なものだった。それはピンク色の煙を出す

フレーバーで中東のどこかに特別に注文しているものだ。

この桃色の煙と、甘い香りに博士は夢中で、歩くのが

おっくうになると、余計にこの水煙管でプカプカ部屋で過ごす

時が多くなった。

今日は心の調子が悪いので、診察は断っていた。が、未開封

の書簡を開けてみて、診察の申し込みだと知って、驚いた。

今日の日付で、予約すること、他の日が良ければ連絡を下さい、

と書いてあったが、4日前に届いたもので、今日はその当日

だから、断りたくても間に合わない。

やれやれ、これは致し方ないな、と諦めて、その患者を

待って、桃色の煙に包まれていた。

もう眠りかけていると、その時刻にドアをコツコツとノックする

音がした。招き入れると、まだ若い30代の青年で、よく眠って

いない陰気な表情をしている。

「どうぞ、そちらにおかけください」と、患者用のソファを指し

示す。

「はぁ、先生、心臓を取ってください。これ以上耐えられない」

青年は突然、窮状を訴えた。

「ハァ、まあ落ち着いてください。どうされたか、伺いますから

まず、お名前を」

「ポキョ・ウペンスです。診察費はあります。ごまかしたりしま

せん。今は落ちぶれていますが、金はあるんです、信じて

下さい!心臓が苦しくて」

「はい、わかりました。ポキョ・ウペンス、と。あ、この用紙の

ここにサインしてください」

「あ、はい」

「では、ウペンスさん、・・」と言うや否や

彼は立ち上がって、「どうにもならない。このままではどう

にもならないんです!」と部屋を歩き回り、いっそう落ち着か

なくなった。

「あの、心臓がどうのとおっしゃられていましたが、心臓の病気

でいらしたのではないですよね。もし、そうでしたら、病院を

紹介します」

「ええ、先生」と後ろを振り向いた時、彼は長袖のシャツという

軽い服装をしていたが、背中にイニシャルのような文字が

あるのがウラジミックの眼に入った。「PO KO PEN?」

博士の頭に「ポコペン」がすさまじい勢いで焼きついた。

「POKOPEN?ぽこぺん?ポコペン?」

博士は自分が人格を失う、ネズミが踏みつぶされたような音を

聴いた。キュー!!

「まず、坐って話しましょう、坐ってください」というのが、最後の

自制した言葉だった。

青年が話すには、自分のアパートのバスルームからちょうど

5mの真向かいにもバスルームの窓があり、ある日シャワー

をしていると、その向かいにも人がいて、なにか使っていた。

裸のまま窓を全開にすると、相手は女性だった。

「この時、僕は自分でも驚いたことに、大声で彼女に声を

かけたんです。やあ、元気、とか。そうしたら、彼女は窓を

閉めながら文句でも言うと思って、でも、彼女も窓を開け放し

たんですよ。きれいな乳房が丸見えでした。」

「乳房、・・・その丸い、・・・ふたつの、・・・ポコペン」

「いや、先生。二人とも上半身が裸のまま、話したんですよ。

僕なんか、それから跳び上がって、下半身も丸見えにした

んですよ。」

「下半身・・・。 チンポコ・・・。 ポコペン!!」

「先生、ポコペンじゃないです。それから僕たちは付きあって

・・・・。先生、・・・だいじょうぶ?目が泳いでますよ」

ウラジミックは完全に眼が回っていた。ポコペン、ポコペン、

という発音が頭の中をグルグル巻きにして、自分をまったく

にも失っていた。 

「先生、・・・それ?」

ウラジミックは手に持っていた羽ペンを口にくわえて、グリグリ

噛み砕くように音をたてていた。青年は、ゆっくりとまた立ち

上がり、誰か別の医者を呼んだ方がいいのでは、と考え

はじめた。博士は、ペッとペンを吐きだすと、机の上にあった

ガラス製の灰皿をつかんで、青年に投げつけた。

「ええーい、ポコペン!」

羽ペン立ても、インク壺も投げつけたので、青年はうわー!と

部屋から逃げ出した。 (オオ、ソレミヨ・・著者の声)


博士はおもむろに腰を上げると、「待ちなさい、ポコペン、

話がまだだ」と、ゆっくり歩いて腰を気づかい、青年の

後を追い始めた。

部屋を出ると雇ったばかりの掃除のおばさんが、博士を

注目して見ていたが、そんな騒ぎはこのアパートで

珍しくもないので、興味はなさそうだった。

「旦那、階段は滑りやすいだで、気をつけておくんなまし」

「おお、ばあさん、ちょうどいい処へ。」博士はなにを思った

のか、上着を脱ぎはじめ、その下も、と上半身全部脱いで

しまった。転がったインク壺を持って、

「これに指をつけてくれ。」

「は?なにをなさるんで?」

「背中に書いてくれ。まずはPからだ」

「この肌の上から書くんですか?」

「そうだよ、イレーヌ嬢、君の印をつけるんだよ」

婆をイレーヌ嬢だと、これは狂っとる。

キチガイには逆らわないほうがいいと、掃除のおばさん

は知っていた。「P」と書く。

「次は「O]だ、そのあと5文字で終わるから。」


アパートの踊り場に出ると、外はまだ陽射しがあったが、

風は冷たく吹いた。ウラジミックはそれをなんとも感じ

なかった。すぐに通りを駅舎のほうへ歩き始めた。

山高帽の紳士がそこへ通りかかった。博士を見ると、

早速声をかけた。

「ウラジミック、ウラジミックじゃないか。ちょうどよかった。

君の様子を見に行くところさ。」と言いながら、上半身裸の

怪しい様子、眼が定まらないことから、すぐに紳士は再発

したな、と見破った。

紳士はウラジミック博士と同僚の医者で、学生時代には

同じ寄宿生だった。その頃からのつき合いなので、彼の

症状は一度見ている。

紳士は快活に笑った。どこにでもいるが、彼も人の不幸

を見ると、楽しい気分になる質(たち)だった。

「いや、ははは、手間をかける奴だなぁ」

紳士はウラジミックを部屋の戻るように言い聞かせた。



ウラジミックはこの後、紳士の家に引き取られ、入院は

しなかった。病状も経過も知り尽くしていたので、紳士の

医者は3日でウラジミックの症状を落ち着かせてしまった。

やっと自分を取り戻したウラジミックはアパートの医院に

帰るため、シャワーを浴びようとした。紳士の5歳の娘が

その時脱衣所にいて、ウラジミックに言った、

「おじいさん、それな~に?」

ウラジミックは医者の象徴、看板でもある顎髭をさすって、

「なんだね、ミリアちゃん?」

「お背中の書いてあるのよ」

「どれどれ?」

と、鏡に背中を写すと、掃除のおばさんが書いた「PO

KOPEN]の文字が読めた。

「ポコペン?」

哀れなウラジミックにはその文字を見るには早過ぎた。

ポコペン、ワタシノポコペン。

今度は「私のポコペン」になって偏執の症状が襲い

かかった。娘のミリアがパパの部屋に駆け込んで、

言った。

「パパのお友達のおじいさん、裸のまま、お外に出て

行っちゃったのよ」 

「エー!?」



(ここでこのお話は終わりである。ミリアちゃんには

著者の私からポコペンについて説明してあげたい

けれど、残念ながら、小説の中では著者の私とは

住む世界がちがうので、それは永遠にできないだろう。

だが、著者として説明しておく義務があるだろう。なん

のことはないのだが・・・。POKOPENは実は、青年が

シャツの背中に自分の名前を書いたもの。長年に

インクが褪せて、POKYO UPENSという名前の

YとUと最後のSが読み取れなくなってしまっていた。

そこで、POK O  PEN で、ポコペンと博士の眼

に入ってしまったのだった。

この後、博士は無事紳士の家に戻った。今度は回復

しても再発しない、だいじょうぶ、と祈りたい。)



**
朝起きた時でもそうだが、目が覚める数分の間に短編を

書いてしまうことが、時にある。それはまだ頭がはっきり

していない時には、面白い、と思うが意識もしっかりして

くると、大抵はろくなものではない。面白いのは5つの内

ひとつだろうか。今回は夢ではない。座椅子に坐って

すぐに着想して、面白そうだ、とそれから5分くらいで、

最後の落ちまでまとまった。面白いかどうか、それぞれ

趣味だと思うが、僕の好きな作風のひとつはこんな

感じである。

***

この短編は、9か月という長い自粛生活が生みだした

ストレス解消の手段の一環ではないかと思う。

東京で感染者が500人越えを達成してしまったので

また自粛かよ、という腹いせでもあるのだろう。(笑)

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効果疑問の本棚 [本棚]

「輝ける日の遺跡を」の次に、「輝ける日に 奇跡を」を続きで書いた。 

が、その前に本棚が完成したので、それを載せたいと思う。

僕の寝る布団を敷くと、その周りが本積みでいっぱいになり、 

小さな本棚を購入したが、一時的に収まったようだが、まだ

残りもあり、このところの大東亜戦争など、その関連で

本の収集が始まったので、あっという間に僕の寝床は

本の積んどくに囲まれてしまった。さすがにこれを整理しないと

本を探すだけで、ダニの糞をまき散らしそうで、と、そこで風邪

を引いてしまった。どうせのんびりするなら、本棚を買わずに

作るべえ、とちょうど以前組み立てた鉄製の骨が見つかった。 

本棚は材料を揃え、自作しても製作費はさして、購入と

変わりない。作る手間と工夫が余計に労力も時間も取られる

から、不経済なのだが、今回は頭の体力を使わず、体の

体力を使うのでいいだろう、と本棚制作を始めた次第。  

今朝は喉も痛くて、風邪薬を飲んだせいか、頭ばかりが

先行して、書くのが間に合わないくらい、走り書きしている。 

ともかく、 制作に 4日かかった。 

1日目:::

本棚制作始め1.jpg
 
まずは、鉄筋の骨組みを仮型にして、位置を確かめる。

2日目::

本棚部分1.png


部分の組み立て

2歩前本棚1.jpg

全体の組み立て


3日目::

本棚完成手前1.png


棚は材料のままで、色なしの白木。


本腰を入れると、板材は色をつけ、ニスを最低3度塗り

以上するので、乾かすのに日数もかかる。が、もうその

気もなく、機能があれば世間体は気にしない。 

また、最後に板の平行をずらして斜めさせたのと、

板を止める、手前側は金具を使えば作業も速かった

のだが、500円をけちって、ワイヤーでつなぐことにした。

たいした経済効果がないうえに、ワイヤーを止めるには

思ったより以上の手首の腕力(?)が必要だと、知っていた。

それでもうろ覚えなので、決行すると、ワイヤーの長さが

短く、やり直したりして、大汗をかいてしまった。風邪は

これでこじらせたのかもしれない。


4日目:: 昨日 (10.9)

本棚完成1.jpg

ようやっと完成。 4日間の作業時間は5時間はかかっていないだろう。

そうして部屋を見回すと、まだ30-40冊の本が残っている!!

人には:::

いろんな衝動があって、それは依存症にも結びついている、とも

言われている。金=ギャンブル、女=性欲、酒=ストレス解消、

趣味=???、大食=隠れた飢餓感の反動や親からの遺伝=

元々はストレス、そして僕のは本=知識欲の過剰、なのだろう。

通読しない割に、どの本も10ページ程度はかじっている。引用

のために資料買いした本もある。

では、皆さんも 風邪やインフルエンザにならないように。



(コロナ?  コロナについてなにを言っていいのかわからない

ことばかり。PCR検査さえ医者の間で、見識の違いがあって

どういう感染症をどこまで明らかにできるか、検証が確認

されているのではない印象を受ける。 

それでこの冬のインフルエンザワクチンを受けるつもりの人

は40%くらいで、60%は受けないらしい、と聞いても

僕らはバカじじゃない、と言うべきか、少し神経質すぎない、

と言うべきかわからない。どちらも正しそうなのは、自民党

支持率とどの党も支持しないのと、同じ40%程度なのと

一緒という気もする。)
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時間の分析 [時間]

今まで時間はない、存在しない、と言ってきたが、本気で 

論じて来なかった。新機軸が見えたことで、時間について 

きちんと話したほうがいい、と考えた。 その分析は心理 

分析も含めて総合的に話したいと思う。 


時間は僕らが昨日から今日へ、そして今日から明日へと 

流れるような方向性を持ったものと捉えている。または、 

そう感じている。まずはこの錯覚から説明する。 

例えば、インドだが、インドではカル、という単語があるが 

これは昨日を示す。また、明日という意味もある。ヒンディ 

語など語尾変化して時制を示すので、会話でもカルが 

昨日か明日かで使われても、混乱することはない。 

しかし、僕らには奇妙だ。過去と未来は断じて性質の 

異なるものと思っているから。 

カルは今日から1日離れた、という意味で使われるらしい。 

過去に1日離れると、昨日で、未来に1日離れると、明日、 

という具合だ。これはインド人は文化的に、哲学的に 

今日だけが存在していることを知っているからだろう。 

これはヨガなどの古来からの修行で体験的に得られる実感  

で時間が今日に集約されると、体感されるのだろう。 

だから、それを確信するにはブッダのように修行しなければ 

ならないのは、ちときつい。 

それを論で説明すると、まず数字から始めよう。数字は

もちろん、この世に実在しない。表象の記号や文字がある 

だけで、これが「1」だという物質はない。数字はその種類を 

1という目安でくくるもので、1にもう1を加えると、2とした。 

これは数字として決めたものだが、もともと、2は1と1のことで 

あって、3は1と1と1の集まりのことだ。ここで数字だけを見ると、 

1,2,3,4,5,6、・・・・・と連続する。すると、僕らはその連続を

運動のように感じる。永遠に連続する、という運動を感じるのだ。 

これがどんどん先に延びるという錯覚を生む。なぜ錯覚か? 

それは前記したように、3も4も、1の集まりであって、その数字を

並べたからといって、それは連続を示すものではない。 

1があって、次に1と1の集合があって、その次に1と1と1の集合

がある、それだけだ。それを数字に簡略化して1,2,3,4・・・と 

並べるから、運動が見えるだけで、それは連続したものではない。 

連続していないのが本質だと納得してもらえれば、話は速い。 

ものごとには動きがある。リンゴが引力で落ちるのも運動だし、 

太陽が空を渡るように見えるのも運動だ。

僕らはこの運動を見ることでそこでその運動の流れに時を感じる。 

すべての運動は位置を変えることで、ここからあそこへとその間に 

「時」を想定する。これが時の感覚で、時の存在を感じることで、 

それが一定の間隔で区切れないか、と考える。そして、なるべく 

振動数に不安定さがなく、正確さがある振動を数えることで 

秒、分、時、日を特定しようとした。

昔の人は太陽が地球の周りを回っている、と錯覚した。これは 

長い間のマインドコントロールで、毎日見ていたので初めは 

誰も疑わなかった。そして、星の観測データや地球の大きさが 

測れるようになってから、太陽が地球の周りを回っているのでは

星の運行が計測に合わないことがわかった。そこで地動説が

登場してくるのだが、僕らは毎日自分の眼で見たものだから

それを信じている。

そして、それを変えることには非常にかたくなだ。 

フランスでは17世紀にリシュリューが宰相になってから弾圧が 

始まり、魔女狩りが始まった。それとともに神や聖書を否定する 

者や書物は断罪された。ガリレオは75歳になっていたが、その 

時になっていきなり地動説を糾弾され、裁判にかけられた。 

裁判といっても地動説が正しいとかの判定はなく、ただそれが 

聖書に則っているかだけが、判定され、ガリレオはしぶしぶ

天動説を認めたらしい。75歳で牢獄生活には耐えられなかった

だろう。 

さて、振動によっていつも正しい間隔を保つように基準時計が 

発明されると、世界がそれに合わせて時計の針や数字の 

電光表示を合わせた。僕らは毎日、時刻を見る。朝起きてから 

夜寝るまで何回時刻を見たか、多すぎて数えることもしない  

だろう。そこでマインドコントロールに落ちて、時間は存在する 

という錯覚を起こして、そう思い込むのだ。そう、昔の人たちが 

太陽を毎朝見て、天動説を信じていたようなものだ。 

僕らが見るのは運動という動きが与える感覚であって、時間 

ではない。時間を見たものなど今まで誰もいない。僕らは 

時計の針が動くのを見ている。デジタル数字が切り替わるのを 

見ているだけだ。時間はいまだに僕らの大いなる錯覚だ。 


もしも、時の間というように、区切りのある時間が存在するなら、 

有名な「放たれた矢は届かない」という問題は解決しない。 

それは矢を放つと、その的までの距離の半分というのは、絶えず 

あるのだから、まず半分飛んで、次にそこから的までの半分の 

距離がある。そこまで飛ぶ。という具合に半分に区切りながら 

矢が飛ぶのなら、永遠に半分は存在するのだから、矢は的の 

前で止まったように見えて、永遠に的に届かないだろう、という 

もの。時間が実在したら、これは最もな理屈で、半分まで飛ぶ

時間が常に存在して、次から次へと半分が押し寄せて、矢は 

止まったように見える、処までいく、となるだろう。 

しかし、数字と同じように、時間は決めや約束事であるなら、

あるのは運動だけだから。現実と同じく、放たれた矢は的に 

当たる(届く)のである。この他にこの問題の解決策はある 

らしいが、気になる方は調べてみるといい。 

この時間ではなく、時という感覚は大事なものである。夜空に

月を眺めて、風情を味わう時には、この時という感覚が 

ふんだんに盛り込まれている。月を見ながら、その距離感を 

無意識に時でなぞっているからだ。それは特定できない 

神秘な時というもの、情緒と感覚がコラボしたものだろう。 


また逆に時間は運動を説明するのに役に立つ。大阪まで 

新幹線で1時間だとか、距離感を消費する感覚で捉える。 

相対性理論でも光速で進むと、時間が遅れる、と。それ 

は分子運動が遅くなるというのと、一緒で変わらない。 

時間ではなく、分裂のスピードやエントロピーの増大の 

問題だ。人間なら、成長速度が遅くなるという問題だ。

つまり、時間というものはないから、機械でこさえた間隔の

均一な時計で存在しないものをそれで測ったように見せ 

かけているのが時間の実態なのだ。 


だから、宇宙の空間の質が違えば、時間の解釈が変わって

くる。それは10億分の1mmという量子の世界でも同じで、 

宇宙とミクロの世界では同じ時間が流れることはなく、別々な

運動形態があるので、別々な時間が流れるだろう。

この論は完成ではない。僕らが望むと、将来、時間の質 

というものが発生する可能性があるからだ。そうすると、 

世界はまったく様相を変えてしまう。科学は新しい時間に 

迫られて、この世の解釈を全面で変えなくてはならなく 

なる。それは政治や経済、産業から僕らの生活を一変 

させてしまうものになる。

それは夢があることでもある。僕らの錯覚ではない

時間質が僕らのタイムマシンを完成させるからだ。 

まだ無理だが、僕はその夢で気分をよくしている。

もう空想とか、妄想と言ってもよい(笑)。



*また、ここに僕がアリのコロニ―に興味を持つ理由 

がある。それは人類のコロニーを変えてしまう問題だ 

からだ。
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韓国Ver. 空から降る一億の星 [感動]

韓国版と銘打ったのには理由がある。今、韓国でリメイクされた

題は同じ、「空から降る~」の最終章に入るか、その手前かの

回を観たが、せつなかった。前回書いたように韓国版のほうが

作りが上手いで終われば、なんのことはないのだが、違った。

どうやら僕の個人的な事情がからんでいる。 

その前に原作の日本の小説を読んだが、ストーリーの骨子は

大まかな筋を追っていて一緒である。のだが、その間に伏線

を増やしたり、ディテール(細部)の表現は恋愛ものなので

韓国は感情が絡むとうまい。特に復讐やそれじみたことが

重なると、その複雑な感情表現を実にうまく演技する。

これは韓国ファンが第一に要求するもので、それくらい

できないようでは、俳優にはなれないし、認められないの

だろう。下手をすると、自殺するまでやじられるのかもしれ

ない。過去に幾例もあったことだ。デモ好きな国民としては

裏切者を血祭りにあげるのは当たり前のことなのかもしれ

ない。


日本の小説では平板にラストを急いでしまったので、不自然

で感情移入しにくい悲劇になってしまった。内容を知らない人

もいるだろうから、大筋を加えていくが、主人公のムヨンという

青年は子供の頃に父を拳銃で撃たれる場面に、遭遇してしまう。 

その小屋で火事がすぐに発生してしまうのだが、妹も小屋に

入って来て、その火元の灯油だかの炎を浴びてしまう。それ

をムヨンがかばうようにして助けるが、二人とも火傷を負って

しまう。ムヨンは両親を亡くしたので、施設に預けられ、記憶を

失う。妹は、父(なにかの犯罪で刑事に追われ、撃たれて

しまう)を撃った、その刑事に引き取られ、刑事の妹として

育てられる。二人とも兄妹がいるとは知らずに育つ。

そして、二人は兄妹とは知らずに惹かれ合う。体を交わす。

刑事の兄はムヨンの人を操って殺人をさせる性向を恐れ、

恋愛に囚われた妹のためにムヨンを刺すまでいく、が、

ムヨンは刑事を告発しない。妹はムヨンが育ての兄・刑事

を殺すのではないかと、偶然手に入った拳銃でムヨンを

殺しに行く。ムヨンはこれも偶然、利用しようとした女から

自分に妹がいて、それが刑事の妹・彼女だと聞かされる。

ムヨンに兄(育ての刑事)は殺させない、と少し、性急に

もう信じない、と撃ってしまう。ムヨンはその前に、涙が

流れ、言ってもあんたは信じないしな、と、そのまま撃た

れる。手紙が落ちる。刑事に宛てたもので自分に妹が

いて、それが彼女だと知ったのはさすがにショックだった、

という。

それを読んで、妹も実の兄を撃ってしまったことに気づく、

そして、湖で二人で心中、という結末になる。 

こういう愛憎劇は韓国ドラマで日常茶飯事なので、リメイク

はお手の物だったろう。俳優も恐ろしくハマリ役を揃えて

いる。 

今日観たので、これを書こうとしたのは、TVドラマでは

誰もがムヨンとは付き合うな、と言い、ムヨンも刑事にも

言われ、その妹の片思い役の同僚にも忠告される。が、

すでに彼女にだけはムヨンも心から惹かれ、妹も同じ

気持ちでムヨンをどうにかいい人になってもらいたい、と

何度も冷たくしても、あとで周囲に責められ、逆に自分の

気持ちに気づいてしまう。TVドラマではムヨンはまだ父を

撃った刑事の顔を思い出さない。これからどうなるか、同じ

ストーリーではないので、結末を変えてくる楽しみもある。  

ムヨンは妹を女として愛することで、しかも自分では愛する

という自分がわからない。ここが肝で、彼はある種の記憶

障害と父を殺された憎しみから不感症の障害も背負って

いるのだ。それが妹によって溶け出した。そこには今まで

感じなかった孤独があった。健気にも不敵な男が、まともな

人間になるためにお前(妹)の言うことを聴く、と言い出す。

「どうすれば?」というセリフにそれが凝縮されている。 



インドであり、途中で一晩だけ寄ったネパールを思い出した。 

インドの国境では不思議なことを感じる。ネパールへ入る

たった300mの道だろうか、そこからネパールの地を踏む

間にも、空気が変わるのである。インドでの人々のギラギラ

した生存競争の緊張した空気でなく、もっと人をほっとさせる

空気で、しかもそれが日本のに似ているのだ。日本のルーツ

はネパールでは?と思わせるそのテイストなのだ。

(これは僕の個人的な印象にとどまらず、他に旅行記や話で

日本に帰ったようだ、という似たことを聞く。) 

その時、僕には日本人の青年の道連れがいて、国境で

僕の通行料が払えないトラブルがあった。彼は貸しても

いいと言ったが、この先何があるかわからず、僕は資金は

十分にあるので、もどって銀行で小切手を換金するつもり

だった。それに彼も金に裕福そうには見えなかった。それで

その申し出を断ったのだが、なにか誤解したらしく、僕が

ネパールに入った時には、別の日本人ハイカーと親しく

なって「お願いすれば、金貸したのに」と捨て台詞で、その

日本人と宿をとり、僕を無視して去ってしまった。

ほっと息をついたネパールだった。そうでなく、緊張の

インドでだったら、難なく終わったであろう、その行為が

僕を非常に孤独感に押しやった。同じ日本人に、他に

知り合いもない他国の地で見捨てられた、という大仰な

感情が押し寄せたのだ。この感じがちょうど、ムヨンが

周囲から人でなし呼ばわりされて、彼女にも冷たくされ、

しかし、その後で妹が心を開いて、寄ってくる、その感激が

無表情なムヨンの言葉に表された。

仲間外れにされても、慣れっこだ、しかし、心が開きかけ、

溶けだしてきた時の、かけられた信頼の言葉は涙がこみ

上げてくる。しかし、ムヨンにはまだ少し遠い。 

そこに僕が感情移入してしまうのだ。つまり、これは自分

の思い出へのオマージュ(敬意)でもあり、彼への同情でも 

あるのだろう。

この同情は一面のものではない。李朝朝鮮の歴史で

身分制度は決定的なものだった。両班(リャンパン=

一種の貴族階級)に支配された官僚階級は働かない人

だった。働くのは庶民で、それ以下の奴婢のような人も

多く、彼らはまったく人間としての扱いを受けなかった。

そして、王宮では官僚たちが私腹や権力争いで、し烈な

陰謀をめぐらせ、血み泥の争いをくり返す長い歴史がある。

韓国の大統領が全員もれなく、汚職関連で裁判沙汰に

なって政権が変わるのは、その下地はいまだに健在

ということだろう。なので、下の下で虐待同様の扱いを

された人民のひねくれ曲がった恨みつらみは、今も

健在なのだ。日本が韓国を敗戦によって手放したのは

1945年、まだ75年しか経っていない。昭和である。 

歴史の時間というには、あまりに短い。中国の属国

としての長い歴史・伝統もあり、反日が受け入れやすい

お国柄だ。傷は癒えていない。

しかし、国との問題だ。ただ謝罪して済む問題ではないの

だが、そのもつれの一端も理解しないのが、韓国らしい

ところだ。





* この先の詮索はまだ中国の歴史認識ができていなくて

準備ができていない。  

ともあれ、問題のいじり方が双方、なっていないと言える

だろう。コロナ禍の経済問題がからんでくるので、今は

まだ判断できない。

今はまだTVドラマを楽しんでいられる状況だ。韓国で

インフルエンザワクチンで今までにない短期で死者が

83人も出たというニュースが散見されたが、ワクチンとの

因果関係はないそうだ。そう言えば、国連の原子力 

機関(IAEA)も1986年、チェルノブイリの原発のメルト

ダウンが起こってからの、子供のガンが増えたのも、

漏れた放射能とは関係がない、と言ってたな。 

国連ではWHOののっけからの中国の武漢対コロナ処理

への称賛もそうだが、あり得ない報告がまかり通る。

韓国のそのワクチンもNHKでは取り上げられていない

ようだ。これだけの世界の不穏な兆候があっても、それを 

意識しない人たちにとっては、寝耳に水で、じゃなく

馬の耳に念仏で、すぐに忘れるシステムがあるらしく

なにか起こっているとも気づかないみたいだ。

適度に気づいて、適度に関心を持ち続けるのが、人生に

適応した態度なのだが、すぐシャカリキに政治活動を

しなきゃならない、とか政治はわからないからとか、自分

の恨みを政治への批判で晴らそうと(意識しなくても、)

その手にはまる人もまた多い。

適度に意識するというのは、自分で考えるという結論に

なってゆくことなのだが、そう考えると、面倒だよね。 

なぜなら、自分で考える背後には、それを習慣づける

必要があり、習慣づけるには、考えるについて責任を

感じなければ、続かない。意識を持つのは責任を持つ

のと一面、同義だ。同じこと。責任は言葉を聞くだけでも

嫌だね。すぐ回避したい。そして回避する。この世の

習いとでも言えるのか。だから、この世で信頼できる

ものを探すのは、大変なんだろう。 

だから、何かが実際に起きても、因果関係はないです、

と無責任になってしまう。相手が悪いの宣伝合戦に

なってしまう。そういう世の中だと、改めて再び認識して

みて、その上で”自分で考えるとは”という重要課題を

子供や生徒・学生のためにも考えてみるのは、いいと

思う。

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売でんたたきじゃないか、お前辞めろ [選挙]

日本のマスコミも僕らも、自身の道徳律にまったく

気づいていない、と思われる。だから、僕らの

ほんとうの良さにも甘えてしまって、信じ切っている。

批判されて初めて、そこに向き合えば、しっかりと

本物の良さが活きる。そう思うのだが・・・。

気づいていないのが、全員ではないのは無論のこと

で、バイデン批判をして、著名な記者が自らこさえた

会社(サイト)も出ていく、という。反日の朝日新聞の

ようなことがアメリカではもっと以前から、当たり前に

起こっている。トランプが新聞に自分の意見を発表

しないで、Twitter で発表するのがおかしいことだと、

皆、感じなかったのだろうか。

ただ、今風で格好良かったとかで、トランプが

使ったと思ったのだろうか。メディアは熾烈に

自由に批判合戦をしているわけではなく、トランプは

前回の当選選挙でも自身の共和党からも批判されて

いて、共和党候補者からも下ろされようとしていた。

というのは、民主党にも共和党にもその向こう側に

強い財閥グループがいて、両陣営に議員を派遣して

いるからだ。

トランプがまともに自分の意見を取り上げられないのを

知っていたから、大統領になってすぐにTwitter という

手段に出たのだ。 僕はトランプの味方ではない。

にしても、クリントンやオバマの不正、いい加減さには

あきれているので、バイデンではダメだろう、という

消去法でしかないが、大事なことはもっと他にある。

大統領選挙は小局でしかないが、バイデンは選挙

演説中に言い間違いを知っているだけで4回もして、

しかも「不正選挙」の組織を作ったとかまで言い間違え

をしている。

アメリカの大手の新聞はすべて財閥がスポンサーで

握っている。うんざりするほどアメリカの民主主義は

金で買われているのをアメリカ市民は知っている。 

そういう人達においては、トランプは希望なのだろう。

トランプの人種差別と言われている政策は、不法移民

をこれ以上増やさないのが最初の目的で、人種差別

そのものを目的にしたものではなく、難民流入を

シャットアウトすべきだ、という考えに基づいている。

黒人の暴動でも取り締まりを強化するのは当たり前の

話であるが、警官たちも黒人は「学校で」動物以下だと

教えられた子供時代を経験している。自分か、または

年上の兄姉が黒人の子供を裸にして、リンチまがいの

遊びをして、それを笑って見ていたのだ。黒人は人間では

ない、というまだ、し烈な感情的差別が抜けない警官が

いるのも事実だ。だが、それと全体での秩序の問題を

混同してはいけない。


本題は、トランプ陣営が選挙の不正を持出したことだ。

これは推測だ::

いったい選挙の不正を持出して、どういう利益があるの

だろう。?勝っても負けても、不正があったから負けたの

では印象が悪い。勝つために不正をしている、と言うのも

相手側を犯罪者にするような卑怯な態度に見られる。勝って

も印象が合悪い。どちらにしても印象が悪い、マイナスな

ものを柱にして早くから選挙宣伝に出したのだろう?

ここで百歩譲って、不正選挙が郵便で行われる、という

情報がCIAとかの機関から伝えられたら、どうだろう。

情報源は明らかにできるものではないだろう。根拠を

明らかにはできないし、不正を避けることもできないと

なれば、裁判で争うしかない、と考える。そこでまず、

最高裁の判事を任命して、ことを有利にしておき、 

はじめから勝利宣言して、負けるのはおかしいと

言わんばかりの空気を作っておく。そして、負けそう

なら法廷闘争に持ち込む、というのがトランプ側の

作戦なのではないか。どうにも、不正選挙を喧伝する

のが早いし、それを信じたが故に打ってきた手で

あり過ぎる。そこが僕の疑問であり、推測だ::。

郵便投票の不正と考えたのは、不自然ではない。

J・W・ブッシュとゴアの大統領選挙の2000年の時に

共和党側で行ったらしい。この時も接戦でフロリダ州

では票差が327票だったと。それでゴアは票の数え直し

を求め、提訴した。

アメリカは合州の連邦国である。50の国が集まった

ようなもので日本のように刑法は北海道から九州・

沖縄まで同じ、というものではない。州によって

法律は全く違うこともある。フロリダ州では12日までに

数え直しは不可能であることで、最終的に却下した。

その後のこともあるが、継続は困難とゴアは認めて、

敗北を宣言した。2000年当時のフロリダ州知事は、

ジェブ・ブッシュ。そう、J・W・ブッシュの弟だ。フロリダ

最高裁で数え直しが棄却されたのは、偶然ではない

かもしれないし、よくある陰謀のように偶然かもしれ

ない。

ともあれ、トランプ陣営がこの時のゴアの苦い経験を

最高裁判事任命で踏襲しないように先手を打ったと

考えるのが妥当だろう。

次に、辞表を出した記者の記事のサイトを載せておく:::

https://gigazine.net/news/20201030-glenn-greenwald-resign-the-intercept/

<バイデン批判記事の削除を強要されたとして著名ジャーナリストが
ニュースサイトThe Interceptを退社
2013年6月に元NSA職員のエドワード・スノーデン氏が行った、政府
による国民監視システム「PRISM」の暴露に携わったジャーナリスト
で、のちに自らニュースサイト・The Interceptを共同で立ち上げた
グレン・グリーンウォルド氏が、The Interceptと親会社ファースト・
ルック・メディア(FLM)に対して退社を申し出たことを明らかに
しました。退社…>

gigazine.net



(GiZaZine netより)


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天才が定義するのが音楽 [天才]

「天才の勉強術」という本を購入した。読みたくなかったが、

読んでおく無駄も必要と、我慢した。で、その通りで、本来

読む必要はなかった。天才が勉強していたら、天才とは

呼ばれないだろう、という感じだったが、勉強は嫌いだったが

勉強もした、という点では間違いではない。また、それが

勉強術という、天才になるやり方を発見したり、教えてくれ

たりするわけではない。 

ともかく、読みたくないのは、欲求不満になるからだ。それでも

自分のわかっている方向とは反対のことを書いている本を

拒否せず、読んでみる、というのは物事を正確に知るための

基本方針だと自分で言ってきたのだから、多少の不満は仕方

ない。 そこでまた新しく”天才が出現することが意義である”、

という別な面が新しく追加される形で見出すことができた気が

する。それで書いておくことにした。 



まずは、通常の欲求不満から:-  

「天才の勉強術」は9人の天才を取り上げている。はじめから、

モーツアルト、ニュートン、ゲーテ、ナポレオン、ダーウィン、

チャーチル、ピカソ、チャップリン、平賀源内である。 

中では、チャーチルが最も天才から遠いのではと思う。

また、平賀源内も才能の絢爛さはあるが、独創という

創造力には欠ける気がする。ビートたけしもそうだが、

彼が金獅子賞だかを獲得したのは、子母沢寛の短編

小説「座頭市物語」を勝新太郎(俳優)が主演して、

映画制作し、シリーズものに育てている。その

「座頭市」にタップダンスを取り入れたりしたビート

たけしのオリジナル脚本だが、ストーリーは勝のもの

と変わらず、パクリである。

ビートたけしはエンタメについては豊富な才能があり、

たけし城などのバラエティ番組でその才能を発揮

していたが、映画は暴力映画以外のシリアスなもの

は興行的には成功しなかった。所謂、何でもこなす

タイプの、中心は芸人の才能である。時代にも

新しいオリジナルな創造をして見せたというもの

ではない。世間は才能だけ豊富でも、天才と喧伝

して売りたがるので、ビートたけしも、自分と闘う目に

陥って、何人も本人(自分)が登場する映画を撮った

りして、自分を確かめたのか、膨張する自我を発散

させたのか、その両方かもしれない。 

それはさておき、モーツアルトしか読んでいないので、

モーツアルトを語って、これは終わりにしたい。


さて、著者のモーツアルトの天才の説明が、ちょっと

しただけでそのすごさに入って行かない。表題は

「真似の天才モーツアルト」になっているが、これ

は音楽そのものを誤解している。

ゆっくり行こう。

「四歳で複雑な曲を短時間でおぼえて演奏する

ことができ」と書いているが、その頃モーツアルトは

門外不出とされたミサ(?)曲を教会で聴いて、その

1時間以上もする曲を帰ってから、楽譜に書いた、

ということができた。短時間で覚えた、というのは

おかしい。そして、驚くべきはその記憶力で、楽器別に

写譜したのだから、耳の音程の聞き分けの正確さも

すごいが、1時間もかかる曲である。こんなのいくら

勉強したからといって、身に着くものではないのは

わかる。だから、天才なのだが、モーツアルトには

それはただの記憶力だ。彼はさらに36歳(ほぼ)

で亡くなるまでに1000曲以上を書いている。単純に

計算しても11日くらいで平均1曲書いていることに

なる。このあふれるばかりの曲想が勉強して出て

くるなら、モーツアルトの息子も天才になって名前が

残っていただろう。

モーツアルトは一時年収1千万くらいあったが、晩年

はフランス革命で貴族の批判をして、パトロンを失い

貧しかった。残された妻はモーツアルトが作曲に

苦労したところを見たのが一度もなかったので、

息子をお父さんと同じ名前に改名して、偉い作曲家

を家庭(音楽)教師にして、天才をつくろうとしたのだ 

が、見事失敗した。

この重要な事実をおっぽらかして、晩年の「レクイエム」

がハイドンの弟のレクイエムにそっくりのメロディが

あることだけを取り上げて、モーツアルトはパクったのだ

としている。そして、::

「私は次のような仮説を立てたい。

 天才とは、学習の産物である。

 この仮説を、世に天才と呼ばれる人びと、あるいは

もっと広く、過去にすぐれた仕事をなしとげた人びとの

生き方や学習法、仕事ぶりなどを通して検証し、その

「勉強術」の秘密をさぐり、それは決して天才だけの

ものではなく、程度の差こそあれ、ごくふつうの人びと

にも可能であることを考えてみたい、というのがこの

本の意図するところである。」::

 それはよかった。

東大文学部卒業の彼の言うことは、どうでもいいの

だが、モーツアルトのパクリについては説明が必要だ

と思う。著者は盗作だとまで言葉を選ぶが、そういう

ものはパクリと呼べるかどうか微妙だ。例えば、大

バッハ=ヨハン・セバスチャン・バッハであるが、彼の

家族は音楽一家で親戚、家族それぞれが作曲を

していた。それで研究家が調べたところによると、彼ら

の曲で共通する(楽曲の)小節が200もある、というの

である。皆がそれをそれぞれ使い回して、展開させて

新曲を作っていたらしい。中でも大バッハが一番見事で

天才の面目を保っている、という。これは日本の演歌に

当て嵌めたら大変なことになり、たぶん、5-6割は

パクリ(一部が似ている)に指定されてしまう。京都先斗町

に降る雪も~、という「お座敷小唄」はヒットして、作者不詳

ということもあって似た曲が前後で6曲も出た。ヒットした

のは1曲だけだったが ・・・。


大バッハも彼の天才が認められたのは、死して80年後

だったというから、よくぞそこまで細々と作曲家たちの

支援が続いたと思う。同時代ではベートーヴェンも

モーツアルトも大バッハの曲を認め、学びもしたらしい

のだが、・・・そこが類(天才)は友(天才)を呼ぶ、

だろうか。

また、ベートーヴェンの「田園交響曲」でもカッコウ

だったか、鳥の鳴き声がそのまま演奏されて、加わって

いる。これは著者の論法で言えば、鳥の声は自然の模倣で

少しもオリジナルではないから、自然の表現として

取り入れたものも、パクリだ、というのだろうか。

著者の天才弁護があって、聴き比べると、ハイドンの弟

のレクイエムよりもモーツアルトのレクイエムのほうが

感動的で人びとに忘れがたい印象を残す(=すぐれて

いる)と補足している。

僕は坂本龍一の「Put your hands up 」を聴いてさらに

納得したのは音楽は総合であることだ。その曲は

アメリカのある曲にメロディの初めのほうがそっくりだった。

ところが、アメリカの曲は元気で力強さがあるのに

坂本のほうは昔のことを彷彿させる、日本の哀愁に

満ちていて、同じメロディとは思えないのだった。 

テイストがまったく違う。

だから、音楽はメロディではないのだ。同じメロディでも

違う音楽を紡ぎ出しているのならば、それは喜びが

悲しみではないように、別の音楽なのだ。

例えば、同じクラシックの音符を同じ指揮者が指揮棒を

振っても、時や場所が変わったり、隔たったりすると、

演奏時間が10分も短くなったり、長くなったりする。

演奏も変わるのだ。楽譜は目安に過ぎない。

その一部がそっくりだからといって、いや、やめよう。

言いたいことはもう言ってある。



モーツアルトは亡くなり、230年経ち、彼が真似の

天才だというのなら、もう次のモーツアルトが何人

も出ていてもいい。まだ彼のような超天才はひとり

も現れていない。 


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ナンガを追う 2. [山岳]

ナンガ・パルバートがどんな山なのか、メスナーは 

書いている、::

「すでに1895年、アルバート・フレデリック・ママリーが中央部の

岩壁を登る最初の試みを企てた。それは八〇〇〇メートル峰 

を目指す最初の攻撃だった。」

「ママリーはベースキャンプをディアミール渓谷に移し、最初は

二名、次は一名のグルカ兵ポーターを連れて攻撃を開始した。

しかも、まっしぐらに主峰を目指して登ったのである。」

「だが、ラゴビルが高山病にかかって退却した。それからしばらく

して、ママリーは二名のグルカ兵を伴い、ナンガ・パルバート北

山稜にあるディアマ・シャルテ(キレット・切り立った鞍部)を横断

しようとして行方不明になったが、ママリーの捜索は失敗に

終わった。

 ママリーが姿を消して以来、ナンガ・パルバートでは時が静かに

流れた。」

「もの寂しい頂には烈風が咆哮した。農夫たちは理解を越えた

この巨大な山の姿に、伝説めいたことしか考えつかなかった。

それ以後、誰ひとり頂上へのルートを探そうとする者はいな

かった。」 ::>


それから1913年にイギリス人旅行家チャンドラーがまわりを 

歩いたが、山塊には近づこうとしなかった。

また、1930年にはドクトル・ヴィロー・ヴェルツェンバッハがナンガ

の登攀計画を立てた。実現しなかったが、彼に代わり、1932年

にヴィリー・メルクルが新しい遠征隊の指揮を引き受けた。新雪

のため行き詰まってしまったが、彼はルートに確信を持った。 

それで二年後に大遠征隊を発足させた。9名の登山家、 

1名のベースキャンプ管理者、3名の科学者と2名の輸送 

指揮官、35名の最も優秀なシェルパと、驚くことに500人

になるポーターを集めたのだ。

ジルバープラトー(銀の雪原)と頂上直下で最後の攻撃を 

行おうとしていた遠征隊に吹雪が襲いかかった。退却。 

3人のサーブ=ヴィーラント、ヴェルツェンバッハ、メルクル

と、6名のシェルパが疲労死を遂げるという悲劇に終わった。

1937年にはひとつの雪崩が16名の命を埋めてしまった。::

<神々の玉座を目指す突撃>ルドルフ・スクーラ著 
                    (本中内の引用)

<イギリスの登山家のあいだではすでに、あまりにも膨大な

、あまりにも金のかかるエヴェレスト(連峰)登攀に反対する

動きが現れていた。>

<ナンガ・パルバートを目指す闘いはかなり以前から、大胆

不敵な山の仲間が集まった自由な冒険といえるものではなく

なっていた。資金の投入を見てもわかるように、それは当時

のドイツ国家の関心事だったのである。> ::> 


1939年にはママリーの直登ルートとディアミール側のルートが

探られたが、ドイツの二つの小遠征隊は、雪崩の危険と落石

のため、断念してしまった。メスナーは「ただ技術的な難しさ

ばかりでなく、この壁の持つ客観的な危険にもただならぬもの

があったのである」と注を入れるように書いているが、ただならぬ

ものという抽象的な言い方をしているだけで、それは説明されて

いない。 

ナンガが征服されたのは、それから14年後になる。1953年ヴィリー

・メルクル記念遠征隊のチロルの男ヘルマン・ブールがほとんど

不可能なことをなし遂げた、と。::

「1895年から1953年までに二百以上の遠征隊がヒマラヤと

カラコルムに送られたが、わずかに三つの8000メートル峰が

征服されただけだった。当時の登山家は耐久力もあり、驚くべき

勇気も持ち合わせていたが、装備は重く、まだ経験が乏しかった。

第二次世界大戦が終わると、合成繊維によるザイル、衣服、寝袋、

テントが登場し、軽金属のカラビナ、ハーケン、酸素吸入器、

シュタイクアイゼンも作られた。それから15年のあいだに、八〇〇〇

メートル峰十四座がすべて登頂されたのである。」 ::> 



ヴィリー・メルクルは、遠征隊の力を信じていた。::

ヴィリー・メルクル著 「ナンガ・パルバートへの道」

<ヒマラヤで何よりも大事なことは、非常な意志力発揮するのに

瞬間的な衝撃力が必要ではないということだ。(略)それよりも

むしろ、絶えざる忍耐能力、絶えず闘いに備えているという

心構えが大事なのである。ヒマラヤで最も肝心なことは、同じ考え

を持つ仲間たちの協力であり、個人的な名誉心でなく、一つの

偉大な目標に役立てようとする共同動作なのである。>::>



メスナーは初めからそれを信じてはいず、個人の力の山の

征服がヒマラヤでも可能だと思っていた。::

「こうしたことを、ぼくはやたらに読まされたものである。だが、

ぼくには気に入らない。ぼく自身は、終始きわめて個人主義的

な男だったから、このようなやり方に親しむことはできなかった。

だから以前のぼくには、八〇〇〇メートル峰を狙う人達の熱狂

ぶりが理解できなかった。だがやがて、ナンガ・パルバートを

自分の眼で見た時、それがわかった。」::> 


わかったのは、「このナンガ・パルバートが、」僕が登るべき

最初の八〇〇〇メートル峰だということだ。これがメスナーと

ナンガの出会いである。彼は”見て”、わかったと言った。だから、

実際に会わなければ、それに引き付けられることはなかった 

と言うのだ。むしろ、彼は山に誘われたのだ。ひとりで登れる

ものなら、登ってみろ、と。 ::

「ぼくはまたディアミールの斜面を見上げた。戻ってはきたが、

ずっと上のほうまで行ってきたのではない。山の挑戦は依然

として行く手にあった。独りでやろうという考えを忘れてしまう

ことはできなかったのである。」::>


そして、彼はいったん、帰国を決める。::

「 ゆっくりと夜の帳(とばり)が降りてくる。少し歩いて空気の

匂いをかいで天候を確かめたり、夕べのそよ風の中にたたずむ

とき、ぼくにはいつも、この大きなスケールがひしひしと感じ

られるのだった。この山は、ぼくには無限に大きなものに

思われた。この山がひとりの人間によって単独で登られるとは、

いくら考えても信じられなかった。失敗に帰したのはすべて、

ほとんど無限の中で独りいることに耐えられなかったぼくの不安

と無能のゆえだったのである。」::>



巨大な山岳というものを前にした時に、人は同じ感興に入る。 

彼は単独でやる、という挑戦以外には考えられないと言い、

またひとりで登れるとは信じがたい、と言う。言い方は矛盾

して聞こえるが、それは山へ向かう激しい闘志と山の威容

に感激した感情が同時に起こっていること、それを別々な

場所で別々な考えや気分を味わうことが許されている時に

発言しているからだ。だから、ナンガを見た時にわかった、

と言ったのだ。山は目の前にいるのだ。::

「 
 「あした故郷へ帰ろう。たぶん、二度とここへは来ないだろう。」

と慰めるように自分に言い聞かせる。峰々の上空に最初の星

が瞬きはじめると、山々には澄みきってひんやりした気分が漂う。

マゼノの支稜の鈍く光る白い万年雪の円頂とガロナの山並に

囲まれて、西の地平線に褐色の森のある山が見える。あのあたり

からぼくはやってきたのだ。炎熱と埃の中を数日間山麓を進めば、

ギルギットにいちばん近い飛行場に着けるだろう。」

「 「飛行機はしばらく出ないかもしれません」と事務所では言った。」

「予期に反して、一日遅れて最初の飛行機がやってきた。」

「 ぼくの眼にはいきなりはるかに遠く雲表にそびえるナンガ・

パルバートの頂がとび込んできた。パイロットはぴたりとナンガ・

パルバートの方角に機首を向けた。」

「山塊の下の部分は霧の中に消え去っているが、上のほうは

何もかもはっきりと見える。ぼく達は稜線上を南に向かって

飛んだ。突然左手にディアミール斜面が見えてきた。ぼくの心の

中のすべてのものが震えた。興奮してはいなかった。何かが

ぼくの体内を貫いて走ったのだ。ぼくは、自分がこの壁に強い

きずなで結ばれていることを感じた。ぼくの心は完全に壁の

中に入っていた。壁がぼくの中に入ってきた。ぼくがここへ

また戻ってくることはわかっていた。不思議な力がぼくを

立ちあがらせてくれる。誰かが「ティケ」と言っているのが

聞こえるようだった。ぼくは自分自身を取り戻していた。

 飛行機は前山を越えて南下していった。ぼくは後ろを

振り向き、一心不乱に眼を凝らす。だが、もうナンガの姿は

なかった。」::> 



なぜ、メスナーは孤独に遭遇して、それに耐えられないと

悟ったのか。それは自分(というもの)が壊れてしまった瞬間

だったろう。今、ナンガを追いかけてみて、この部分がそれ

だとわかる。夏目漱石が修善寺の大患で30分間死んだように

メスナーの自分もこの時死んだのだ。彼がナンガの前で

「この山は、ぼくには無限に大きなものに思われた。」のは、

偶然ではないだろう。彼は無限と交叉したのだ。最初の

経験ではそれに耐えられないと思うのが通常だ。それは

気分なんかではなく、酸素の薄さから来る幻覚のような

ものから生じる錯覚でもなく、ナンガがメスナーを認めた

ことなのだ。僕には手に取るように、壁に張りついている

その岩の感触がわかる。そして、そのなんとも言えない

厳粛な空気の張りつめた感じ。山に登るのはその高さでも

なければ、労働でもない。ある神々しい無意識な瞬間に

出会う、そのために山男たちはそれに惹かれて、引かれて

いることを知らない。気づいても、瞑想的な感慨があるだけ

なのだ。どれほどの屈指の男たちが山から戻ってこなかった

だろう。エベレストで亡くなったマロリーも言うようにそれでも 

”そこに山があるから” だ。


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