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予感でも直感でも、それより必要なのは? [展望]

研修の帰りに通勤電車に乗ったのだけれど、思い

返すと、習慣事項はなにも変わりないな、という

感想だ。僕は学生時代は東京に住んでいた。そこ

から大学へは電車で1時間半をかけて通学していた。 

行きは一本電車を待てば、ほぼ坐って行けるが、帰りは

恐ろしく混んだ。すると1時間は立っていなくてはならない。

そこで早くに降りる人を探すという必要が生じた。 その人

が降りるのを待って、坐ればいいからだ。と言っても、その人

がどこで降りるかわからない。首からここで降りると駅名を

書いた札を下げているわけではない。かと言って、一人一人、

どこで降りますかと、聞くわけにもいかない。

何が起きたかというと、車内に入って全席埋まっていたら、

どの人が早く降りるかを、一瞬で決めることだ。コツがある。

そう言えば、この頃から自然に実行していたのだ。考えないで

決める、ということを。その早く降りる人を、一瞬で見分けなけ

ればならない。そこで考えると、まず失敗するということを

その経験から学んだ。直感を頼るのだが、決めたら、それが

最上だと思うことで、迷わない。それでうまくいくわけがない、

というのが確率の考え方であるが、それを習慣にするほど

4年間やってきたので、精度は驚くことに高まったのだ。 

3回に1回は当たるのである。ほぼ目の前の人が席を立つ。 

それを髣髴とさせることが、2日前にも起こった。2回、目の前

の人が立って、比較的立ちっぱなしでなく済んだ。気がつけば、

そういう人選を電車に乗り込んだとたんにしていたのだ。 

これはほかのことにも役立つから不思議。沢庵とか、袋菓子

とか密封されたものには、匂いがない。匂うはずはないが、

まるで中身を匂うようにおいしいか、と聞くのである、一瞬で

答えを見なければならない。そこでOK,となって買ったものは

90%以上間違いがない、というのが僕の輝かしい(笑)成績

である。 

この傾向は子供のころからで、中学生の同級生でも、その下の

小学生でも、その子の顔を見ると、その子が先の人生全般で

ポジティブな人生を歩むか、ネガティブかがわかる気がしたのだ。

気がしただけで、実際どうなったかはわからないから、いい加減な

予測に過ぎないが、最近もあるCM で発音がうまくできない障害の

女の子が出てきたが、笑顔であるにもかかわらず、これからも

苦労する一生をその子に見て、胸が押しつぶされる気がした。

気の毒に、という想いだけだ。しかし、それは予測だ。なのだが、

この胸を突かれる感覚は本物だった。くり返し見ることがあるので、

気持ちを持っていかれないようにしている。いい子なんだが、 ・・・。 

こういう直感は前にも言ったが、そういう要素を確実に予測するが

それが悪く作用するかどうかは、それからの問題であって、特に

電波に顔をさらす職業の場合は、本人も強い性格を持っている

ので心配はさほどない。ある女優が神経的な弱さを表していた

ので、途中で挫折するだろうと思ったが、見事外れて、今も元気に

母親としても充実して歩んでいるようだ。 

直感は当たって7割が最高というのは、確率としても変わりないようだ。 

4割バッターが野球でも少ないと書いた、だから直感を信じる人は

多い、と。凄く当たった気がするのだ。しかし、人生を賭けるほどの

信頼度ではない。緊急で、重要度が高い時でなければ、人生を

直感に賭けるのは、することではない。 


ハイヒールが  階段を  ゆく  

陸橋を  ゆく  

秘密を  擁しているように  

Keep  Secret  

ああ ~ ああ~、  Have’nt  Night 

休日は  赤い バラの 香り 

パラダイスって  忘れられた  言葉かもね  

バラ大好き  腹、大空き  パラの ダイスは

振っても  さいころの目は  出るのか  

煉瓦 色の  脚  

チャコールの  タクシー  

陽光に 晒された  カニの 死骸 

ラウルの  こける城、 とか  


君が いつものように  聴きたい  

音は    ・・ なんだろう? 

それが  愛の音なのだったら  

愛の 音、 なんじゃないかな  

自分の胸が  扉のように  

前開きに  開いて  

そこから  そのメロディが、 ・・・

と思うと  もう  たまらなくなる、  と

そういう  シチュエイション  

それは  想像の  やさしさではない 

確かに  訪れる   寄り添いたい  

いつまでも  なつかしさがある、 ・・そういう  

心の  大事な  一章 

語りたいのに  語れないと  感じる 

僕らの  偽らざる  気持ち  

それは  これまでにあって  

これからも なくならないと  

最も  信じられるもの  

そういうものだと  思い、  また 

そういうものだと  信じていたい  

生きている  指標のような  

僕らを  勇気づけてくれる  菩提樹  

感性の  生まれ育った  場所 

君は  

そう、   君は  

今も   生き続ける  

同じ想いを  支え   同じ想いに  

支え続けられて   そこに 

そこに  こうして  手が届く  

手が届くのに  

こうして  

手が届くのに  

それが  こんなにも  悲しいとは  

天にも届く  悲しみが  

駆け上がって ゆくようだ  

その高みは  頂点ではなく  

すべての  中心になり  

拡散して  集約する  すべての  

マグマに あり

近づいたものは  いないのだろう  

それは  人を 陶冶したら  止まないだろうに  

なのに  なぜ  人から  隠れている  

隠れなくても  人から見えない  

そういう人が  初めから 見ようとしない  

死んだ場所に  いるのは  どうしてか  

そこは  自分を知る場所に  つながっているが  

自分を  真に 見ようとする人は  少ない  

君らは  愛に  陶冶されたの  だろう  

素直に  生きて  そのままでは 

ただ  負け続ける  

それでもいい、 と  

君らは  思う 

君らは  そこでは  間違えないだろう  

ただ  僕は  悲しい  

悲しい だけだ  

そのまま  愛に  加わるだけではなく  

どうにか  できないものだろうか  

解決はないのは  知っている  

知っているからこそ  その不可能に  

問いを  したい  

できないことだからこそ  

なにか  できることは  ないのか  

感じることが  すべてで あるなら  

化学物質を摂取し  年を取るべきだと思い 

誤った 老年を加速させる  人間たち  

体も  心も  枯渇させる方法しか  知らない  

すべての  方向という  この世の指針 

思い思いの  遊びに  すべてを 

忘れさせていた  子供時代に  

自分が 愛であったことも  忘れて  

体も  心も  守る方法を  知らない  

僕らの  しあわせは   

君とともに  あったのに  

今も  あるのに  

それから  遠ざかる  


どうしてこうも  決まり切った  生活に  

なってしまうのは  なぜ なのか? 

答えを  自ら  閉じていることだと  

自ら  知ろうとしていないことにも

気づけないように  追いやられている  

この世の  仕組みとは?  

僕らは  なぜ  

こうなってしまったのか? 

あなたが あなたであるのは  どうしてなのか? 

あるがままを  忘れてしまって (思考を忘)

それを  知ってほしい  (そのものを 真を)

そこまで  まず行って  まず、  行って  

それが 見えたなら  そこで  初めて  

自分が  なにを  望むのかが  見え始めるから  

そこまで行かないと  見えないものは  

見えない  

見えれば、  そこから世の中が  初めて  

自分の世界と  同一の場所に  見えるのが  

わかる! 

そこからは? 

そこからは  もう  話すことはない  

そこからは  もう  君の  道じゃないか  

君が  望んだとおりの!  

だから  進めばいい  

進め、 と言えるのは  

実に    実に  

そこから だよ  

君は  もう  自分が  どこを 

歩んでいるのか  見える 

( いろいろなことが  見えるようになる 

自分の人生とかが  言葉でなくなるし  

生きるという  あふれる実感が  

手の中に あることが  

その 手の中に  

君の、  その手に  ・・ )


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自意識とおしゃべりと自由 Do you mean? [自由]

物事にただ一つの明確なものを求めたいが、 

周囲から切り離してしまうと、その事実の個性は

認めても、全体でどうなっているかの関係性と

それによって浮かび上がる意味や意義が不明

になり、その位置も失われてしまう。

具体的には、きちんとしたことを言いたいのだが、

そこにこだわると返って何も言えなくなってしまう

僕らの心理を言ったものだ。 

今までブログで構える必要はまったくなかった。

坐ればいい、という辻占いではないがなんやかんや

テーマが自然に出てきて恰好がついたものだ。 

だからおしゃべり、という。人と会った時に、おしゃべり

を始めるが、その時こんなテーマで話したいとか、その

ことを期待するというようなことはない。その場ででまかせ 

でもないが、あることないことを際限なく話す。 

それはいちいち自意識に問いかけて話しているのではない、

ということ。あらかじめ表現や効果を考えて話などしない。

メールでのチャットや LINE もかなり近い。

僕らの自意識は自分の分野だとしたら、無意識は自分では

ない分野だろう。氷山に似ている。ほんの一部が海面から

頭を出しているだけで、ほとんどは海中にある。自意識は

自覚できる分野のことで、無意識は無自覚だ。この無自覚が

会話の自由の源泉になっている。どこへ行こうと勝手なものだ、

会話は。

ブログはこれに適している。皆、なにかまともなことやひとつの

テーマを書こうとして頑張っているが、ほんとうはそんな必要は

ないのだ。そんなこだわりを取り払って、無自覚に思いつくまま

書くことができれば、ほぼ毎日でもなにかしら書ける、という

のがその理屈だ。 しかし、経験がものを言うことになるから、

主に読書経験と人生経験・社会経験に集約されるだろう。 

まず、自由であれ、というのはこれを言う。発想が湧き出す

からだ。考えているのは、レールの上を辿っているようなもの

だから、皆、同じレール上の発想しか思いつかない。 

面白みがない、となる。 

そのこだわりをどれだけ取り払えるかが、どれだけ自由な状態

になるかの分岐だ。自由にはなれない、自由な状態になる、と

いうのは初めから「自由である」ということだ。

坐って何も構えることはない(=考えることはない)、そのうち

何か浮かぶだろう、と自分を放っておくことだ。かまわない。 

あとは習慣のことだ。慣れると、何を言っているのか、すぐに

わかる。そういう自由がなにを指しているか、すぐわかる。

所詮、自意識はたかが知れている。海中に隠れた残りの

無意識から比べれば、少なくとも1000分の1だろう。それ

でも無意識が自意識の千倍だということではない。とても辿り

切れないから、最低でも1000倍、つまりそれ以上でそれ以上

の想像はできない、という話だ。だから、おしゃべりをさせて

おけば際限がないのだ。何時間でも話している。で、どれだけ

覚えているか?ほぼ忘れてしまう。それでいい、それが自由の

始まりだ。なにも残らなくていいんだ。思い切って話して。どうせ

忘れられてしまうんだ、笑える。自由って笑える。


少し、風邪っぽいとコロナを疑う。どこの医院もそういう軽い

症状でも診察は予約になる、という。少しも自由じゃない。

僕らはコロナと対等じゃない、ということだ。そういう時、

自由は心の他に創りだす場所はない、そう思う。感染対策を

して、自意識半分、無自覚半分で、大いにしゃべり合おう。



 Do You Mean?

その気はないのに  

その気はないのに? 

その気になれない、から 

その気になれない、から? 

おお、 

グッバイ  ミスター 不機嫌 Sun 

グッバイ  ミスター 完璧 Sun  

切れが  ない  

切れない、  人が  

終わろうとして  終わろうとしている  

片付こうとして  片付く気なのだ 

自由な羽が  起こす風が  

なくなったのだ  

では  どうする? 

かんと  どんする? 

正しい 発想を  掃いて  

捨てる  

困難な  記号を  

暗号に見せて   飾る  

バイバイ 、 マイ タイム  

バイバイ 、 マイ ヘブン

Where  My  Home  

うん、 なん、 死んだな、もう  

ブライト  ベッド  を  夢見た  

かんこん  葬儀が  鍵なくした  

どうも  いけない  

落ち着いて  歌ってる 場合か? 

パリは  遠い? 

そんな 映画の   題名  

バリ島は  燃えているか  

君が  考えるほど  

なにかは  確かだろうか? 

貸金庫に  しまえる人生も  ないもんだ  

コロナで  店じまいは  

都合が  よ過ぎる  

でも、  ここから  なにが  

見えるわけではない  

見えるわけでは  ないんだ  

テンプレートは  

ないんだ  

なんでも  忘れちまうもんだな、 人間は  

僕が  壊れるから  世界も  

君が  壊れないなら  壊れる、 

何ものも   ない  

それが 原則で  スタ~ト、 というやつだ 

Do You  Mean? 

生きてるが   すべて  

どんなになっても  

生きてるが   すべて  

Alive  、・・ 

どんなになっても 


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雰囲気がやたら路地裏臭くて [詩]

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軽い ヒップホップ 

からまる  蔦 

だるい 視界  

なにか  蠅が  飛ぶ? 

ビルの 屋上で  歌う  

おっさんたちという  放送?  

なにを やっているんだ、 という台詞が 

相変わらずだよ  アコウスティックに  

なにもしていない  雰囲気  

何もしたくない   体質  

食材もない  キッチン  

ちょうどいい  エスケープ  

戦争に 参加したのに  することがない  

ここは  ボーイスカウトの  キャンプか? 

モラルも  ハラルも  サクラメント?  

一応 かっこつけて   踊ってみる 

出てくる人物は  曲者なんだが  

言ってることに  ストーリーがあると  

自分で  言ってるだけ  

意味の分からない  掟だか  言い草だか  

理屈も  筋も  通らない  

どうやら  無法地帯にも ならない  

見せかけ倒し  大根役者  

ヘブン  バイビー  

ヘイ、  バイ  ラビュー  

紙巻タバコが  似合うね、 お兄さん  

俺の 背中は    押せないよ  

サイの 鎧ほど  柔らかきゃないが 

今夜の 月  もう  落ちたのか  

酒の  タイミングを  間違えたのか  

郷愁を 引き取る  タイミングが  取れない  

カラッカラ に  声が  涸れそうだぜ 

ダン、 ザ  ウォ~ ン   

ここには  なにも  ない  

血圧も  気にしないが  

高圧線の  火花が  気にかかる  

出直しなよ、  カウボーイ  

埃だらけの  牧場に   帰りなよ  

ブーツを脱いで  星の数でも   数えなよ  

気がついたかい?  ここには 

カントリーソング なんか   ない 

さびれた 映画館なら  まだ  やってるか  

覗いてみなよ  

疲れたよ、 と言いたいが  

それだけでもない ようだ  

途方に暮れているやつを  見飽きた だけかも  

ハイ!  ジョウ、  ジュウ、   ジョン 

銃の 匂いを  忘れちまった か 

もう 戦場には  行かないのか 

そう言ってたよ な  

そう  耳を  疑うぜ   チンゲン菜 

スープに入れる  買い物でも  頼まれたか  

することは  ないんだとよ  

飾りに  イニシャルを  刻んだばかりで  

古さを  編集して   かき回すなよ  

でも それなりに   重厚さが  いい、 か 

なんか  いやになるよな  

こんなことで   なにになるのか  

そう思って、さ  思ってるんだろ?  

小さな  可愛い声で   少女は  

立ち、  なにかを  待っているのじゃ ないのだろ? 

かける 言葉を  路地の 暗がりに  

探しても  無駄さ  

ハンブルグ  くぐもった 男の 声 

俺は  もう  行ってしまったぜ  

安ホテルに  追い込まれたんじゃないが  

テレビの  画面は  割れていた  

壊れた  心、 さ   

タ ~ン、  スル ~  おい、  

聴いてけよ  ウィスキー、  ムーンライツ  

さあ、  ここで  

なにか   言うことが  

あるんだろ?  

あげて、 もらって、   もらって、  やって  

やることが あるんだって  

言うんだろ?  

は、  嘘ばっかり  

お前に  なんかやることがあるなんて  

冗談は  十年  早いとか  言ってろ  

帝王の 辞書でも  持って来いよ  

強くもなく   弱くもなく  

お前は  給与を  しゃぶってきた  

意味はないなら  気にするな 

お前は  正義を  裏切りっぱなし だし  

不正のない  だらしなさだって  あるさ  

なにか ちゃんとしたカードを  切った気になってる?  

なにか  変われたのかなぁ   自分  

なんも  変わること 思わなかったなぁ  自分  

このまま  終わるぜ、  自分ヘイ、ヘイ  

終わったぜ、  リーゼ宮  

かすったよ  過去の 改心  

地べたを  叩いた  手の平に 砂 

なにも  かすらない  心の  良心  

溝(ドブ)に 落ちる俺を   助けろよ  

手錠が  気にならなくなったぜ  OK  

東京シティ  ファースト 罪人   ドラゴン自分  

お前の ボスが  言ったって?  

は、 また デタラメ を  

ホットドッグを  周りのパンから  食うなよ  

俺は  アウト だ  外に 出されたよ  

美しい  サイド   サタディナイツ  

はい、  ディン  ドン   ディン  

力が  俺の胸を   通り抜けるよ  

自由なんて  俺には  掴めない  

そう  愛想笑いして  やり過ごすだけ  

もう  だるいぜ 

クリーンに  したいぜ、 わかっちゃいないが  

花火をつけて  逃げる 気分さ  

さあ  祝おう   このケイオス を 

路地裏の  雑多な  匂いを  

雨にも 洗われない  女たちの  つらみを 

男たちの  未来のない  投資を  

蔑まれた  都市を  

わかっちゃいるけど   やめないよ  

恥ずかしい  メタボ腹 でも 

唇を  舐めまわして   辛い唾を 吐く  

ビブスティン  バブル   ティゴン、  ナウ  

ま、  水でも  注いでくれ  話そう  

軽くない  濁って煙い  汚れた話 を  

それが  しがらみさ  なにを言ってる? 

きれいごとだと  思ってた?  

コ、  チ、  キ、  ホーム  

黄色い胴体の  ボートばかり  集まるよ  

スマイル、 笑って  よだれが  落ちる  

もう  たくさんだ  

うんざりだ  

少しは  片づけなよ  心の ゴミ 

少しは  踊るか  

讃美歌や  読経は  似合わないな 

自分   俺   トーチカ  

ああ  サビだけ 歌いたいが  

それも  どこかに  置き忘れたよ  

人生じゃなくて  

俺、  

人生の留守番を  していたんだろか

夜に  星も  見たことはない  

毎朝  毎朝  日の出は  あるんだろうが  

毎朝  どれだけの  毎朝 

見たこともない  

誰も  なにも  言うはずがないと わかってた 

次の子に  教科書を  渡してよ、と  

落書きはしても   退屈は しないのさ 

無駄 無駄  無駄なんだから  

利息や  利益も  ほんとうに 無駄じゃないのか 

教えてもらっても  いいことなのかも  

うんざりするのに  忙しいのが  いいのかも  

わかりなよ、  

俺  腐ってるよ  

皮膚が  黒ずんでるよ  

薬  飲みすぎでしょ? 

コマーシャルライズ、でしょ  生活全般 

運搬会社   噴飯もの  

燃えているよ  大好きな  ギター、が 



(君の  音楽が  燃え朽ちようとして 

そのまま  灰の中に  埋もれてしまう) 



**
愛には「選択する」がない。君と僕を区別しやしない。 

僕はうまく自分の理想の状態で、彼女に救助されたが、

彼女という視界に慣れてくるにしたがって、その裾野に 

嫉妬や恨みや愛の暴力やという怪物やモンスターを

引き連れているのを見た。愛の美しさと醜さは限界知らず

だと。彼女は否定を知らない。人は見たいように見る。

または自分に合ったレベルしか見ない。

僕は離れたが、彼女は僕の邪魔はしないで、他の物の怪

が僕から離れないのも許したようだ。彼女から離れたのを

いいことに心に侵食を始めたように。 

それがどこまで真相を突いているか知らないが、もう少し

それらに付き合う必要があるのかもしれない。今は、少し

ずつ、このしあわせになにか詐欺的な臭いを感じてしまう

ようだ。彼女の一部なのだから、物の怪も簡単には愛と

の区別はできないだろう。 愛の中にいる時は、このこと

は墓場まで持っていくのだろう、と思っていた。それどころ

ではない。これは戦いなのだ。ただ相手がその一部だと

してもはっきりしてこれだと、分離できない。グラデイション

で。

僕はこれまでの自分の真理と思ったことを捨ててかかって

いる。だから、武器を捨てたも同じだ。すべて洗い直しだ。

このしゃべるように書くという習慣が、こだわりかどうかまだ

わからないが、わかれば捨てるだろう。

僕は両手を開き気味で、下にして受け入れ態勢を取って

いる、そんな感じだ。

撃たれたら、死ぬよ。(フ笑)

どんなことをしても、自分を崖の淵まで追い詰める。
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二つの防衛線がダブルで [中国]

お昼の番組での意見が分かれる。元婚約者に同情的で

K さん側が正しさを主張しすぎる、と。ゴシップはつまらない

のだが、どうでもよくなってしまったのに、まだかき回して

いるのは、ほんとうにつまらない。 

28枚のK 文書に、相手への感謝の言葉がないことが

問題視される。誠意がないという批判的な言い分だ。 

問題はどこにあるのか? それがほかされているほうが

問題なのだが、この際やり方への批判はどうでもいいの

ではないか?  

そこにはK さんの母親と元婚約者のこじれた関係が

あるだけではないか。元婚約者は言われるままに母親に

お金を渡しているうちに、結婚する気をなくしたようだ。

それでお金はいいからと、言ったようだが、自分のひとの

よさにも、母親にも嫌気がさして恨みが残ったのだろう。

そして、そのまま終わるはずだった。そこで息子の天皇家

との婚約が持ち上がった。そこでただ損をした自分と息子

の恵まれた将来を比較して、嫉妬から燃えたのだろう。 

邪魔をする気になった。そうでなければ、今更お金を

返してほしいとは訴えなかったはずだ。これをK の母親側は

非常事態ととらえた。すまないと思ったのなら、話は進んだの

だろうが、結婚のために家名も世間体も守らねばならないと

思ったのだろう。それで要求は理不尽だと思った。また、実際

にその当時はお金が用意できなかったのだろう。

母親と元婚約者を交えて、何人かで話し合いがもたれれば、

まだ方向を見いだせたのだろうが、母親はかたくなになり、

会わないことにしてしまった。息子は母親を守り、天皇家に

対して申し開きをしなければならなくなった。

二人の婚約時代から、それらしい雰囲気はあったのではないか。

お互いを勘違いして、お互いを悪者に見立ててしまって、そこに

しこりを残したまま別れたので、息子の婚約でそれが再燃して

しまった、と考えるとその後のことも大体ストーリーが読める

とおりになっている。裁判じゃないんだから、法律的な申し開きで

解決しようとするのは不適応だ。心は精神をはねつける。 

では元婚約者は善意の第三者かというと、そうも見えない。

彼が息子の婚約を祝福し、実現させたいと、国民一般が思う

ように思ったのなら、自分は引き下がっただろう。解決金を

提示されても、要りませんだけで批判がましいことは言わ

なかっただろう。それを私を利用して悪者にするのはやめて

ください、というのは自分は悪くないんです、という世間への

アピールで、騒ぎを終わらせないだろうとわかっているの

だから、これは確信犯だ、お人よしだったかもしれないが、

相手を思いやるいい人ではない。それは母親にも言える

から、これは夫婦喧嘩とは違うが、それは犬も食わない、

という言葉があるようにこじれている関係がそのままなので、

解決金とかも頭を下げないと受け取ってはもらえない。

それが初めからできなかったから、こうなった。 

どうでもいい。なるようになるのだろう。結婚がどうなるか、

というのがこれからの焦点になる。天皇家なんかもどうでも、

とか言うとこちらにもバッシングが来るのだろうが(笑)。 

誰も開き直れない。二つのプライドの間で、・・終わり。 


将棋ではないが、台湾侵攻の一手が問題になっている。

バイデンが日本を初めの対談に招いたのは、日本の基地

から中国の侵攻に対抗するための措置からだ。2027年

頃が中国も人口減少化に入り、働き手の減少で経済に影響

が出始めるだろう、と。中国の軍備は急ピッチで進み、毎年

1,5倍?くらいの軍事費の倍々の増額がある。

しかし、被害が大きくなる軍事衝突よりも外交やサイバー攻撃

を続けるほうをしたいのが今は本音だろう。ただ、経済の影響

を深刻に受け取っているなら、それに対処できるかとも思うが、

台湾を併合する時期を早めたいのも、またそうしたいだろう。 

韓国は日本の軍事力の現実を見ないから、日本を中国の

属国にして、韓国の下にも置けるだろう、と考えているようだ。 

それは実質のことで、植民地になるとかではない、名目の話。 

台湾が中国になると、日本はもうチェックメイトだ。これだけ

大陸に近いのならば、攻撃を受けるのは明らかだ。 

台湾は生命線でもある。今の政権は中国に経済上、気を

使っているという危機感なしだから、地政学上とかではなく

ても、何が起きてもそれが軍事衝突でなくても、日本人の

隷属状態をもたらすから、精神的には悲惨だ。 

平和ボケも目が覚めるだろう、とか言っても、現実の苦しみ

が長期に続くことになる。

香港は逆で、英国への50年の借款が解けてからが、自由を

守れない悲劇の始まりだった。僕らの意識は狭くなったようだ。

世界はただの国家の集まりや世界地図じゃない。 

僕らは腰が引けて、アメリカがどうかするとすぐ考えるだろうが、

どうだろう?ロシアはアメリカが落ちるまでは、中国と手を組む

だろう。北朝鮮もしかり。日本には反日の(親日ではなく)朝鮮人や

その系統が新聞社やテレビ局、共産党、日教組、その他に入り込ん

でいるし、 ・・・。 民主党はほぼ、内情がまったく反日。

日本の土地も相当、中国人が地主になっているという、それは

危機感がないから、コロナ判断も誤るし、肝心の国土や権利を守る

法案が立案されない、ときている。これが日本の実情であれば、

仕方ないもだろうか。

日本人なら、自分(日本の現状)に向き合ってもいいのではないか?

今はまだ余裕が時間ではなく、技術的に外交的にあるが、国際で

不幸なきっかけ・事件が続けばそんな余裕もなくなってしまう。 

これは僕の中だけの震えなのだろうか。それならいいのだが。 

終わり。



::
すべて、可能な一つの仮説。


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この世の始まりを生きたい [始まり]

初めての出会いがすべてではない。でも、初めてのそれに

及ぶ出会いがそのあと望めないのは、どうしたわけだろう。 

とは、よく思う。たぶん、初めてというのではなくて、偶然

出会うべき自分の要素が集まって実現されるのは、そう

機会があることではなくて、そこに強く惹かれる理由が

あるのではないか。それは出会ってみるまでわからない。

だから、その出会いが初めて、として印象に強烈にイン

パクトを与えられて、記憶のうちに初めて、と順位を決め

られるのだろう。

ここに坐って文章をつづることはしあわせの一部になった

のを今晩は感じる。

それをどうしてもひねた言い方をしたい自分に逆らわなければ、

君に逢いたい、そういう自分を許してしまえる、そういう気分だ

ということだ。それを言うと、言いたいことは終わってしまうので、

書くことも終わってしまう。

急に東洋の音が聞こえてくると、世界が変わってしまう。君は

なにか言いたい。そういう表情をしている。それはそう期待する

僕がいる、ということ。なにかをつなげようとしてつぐんでいる。 

つぶやきがその中でハミングしているように意を伝えてくる。 

今の君なら、僕に直接、心を届けてくれる、そういう期待に満ち

て、動かされる気がする。鳥のホバリング、聞こえる。 

それは、そう、大事なもの。 

まるで過去に出会ったようだよ。もう思い出すことができない

けれど、それは僕の過去だったのじゃないの?と思ってしまう

命をかけて僕を生んだもの。当時の僕が決して知ることは

できないもの。でも、そこはかつての自分の世界そのもの

だった。だから、知らなくても惹かれてしまう、指先のしびれ。 

なぜ、こんなに泣きたくなるのだろう。嬉しいのか、悲しいのかも

わからずに、この感動は何だろう、と歩いている。なにもかも

新しいのではないのに、この瞬間を迎えられてよかったと

考えている ・・。そう思わせるもの ・・。 

金属のうすい板がはがされる。はがされると、次のがはがされる。

またはがされて、 ・・・ よく聴いたメロディーが樋を伝ってくる。 

くり返し聴いた、その足音。君が歩いてくる。そんな想像が心地

よくて、僕は幸せな自分をもてあましたよ。  

それで十分だった。  

今日という日が祝福されますようにと、素直に思える。そういう

想いがまだ響き続けるのがわかる。音はやがて消えて行って

しまうが、それまでには十分時間があり、その間は僕はこの

気持ちを抱きしめていられる。それだけで、なんと恵まれて

いるんだろう! 二十年も見てきた景色が同じなのに、それは

新しい日に照らされている。この新鮮さに浴している良き日。 

このはっきりと照らされた、良き日。君に感謝したくなる、君にも

祝福を分け与えたくなる。春がはっきり来たんだ。 

はっきりと、来ている、ああ。 


淡い  桃の 花びらの 影 

トータルな  全音符 

子供たち の 騒ぐ 声 

君は 暗い階段を  上っている 

後から 追いつこう  

肩を並べて  僕らは  

歩いて いるだろうか  

僕は  老いることはできない  

それでも  老化は  見えている 

それを 認めるのが  喜びだと  

初めて   知った  

なし崩しに  老いにからめとられて  

多くの 人たちが  

老いを  早めて  急がせている  

彼らは 一気に  老いてゆく  

僕は  うまくブレーキを かけながらで  

老いと  うまくやっているようだ   

老いの喜びとは、  想像もしなかった  

両親の 認知症は  そういうしあわせがある 

とは  承知していた  

それでも  僕は  負けたくなかったのだ 

そして 一つのカードを  捨てるように

一つの 老いのカードを  引く  

僕らは  すべてを  しなくちゃならない ようだ  

逆らうことも  素直になることも  

勝つことも  負けさえ することにも  

無理を  させないことには  

どんな  真理が  含まれるのか  

君に  逢いたい   そして  

会いたくない  

会わずに  こうして   逢っていよう 

若くあることも  老いることも  

コントロールすることと  自然に従うこと との 

その中で  微妙に   震えているようだ  

その 揺らぎが  僕らの  喜びであるように  

見えるのは  おかしいだろうか?  

心は  花のように  咲く  

咲いている  短い間に  

僕らは  息をして   生きているのを  

知ったり   楽しんだり する  

終わりを 知り  終わりを  知らないで いる  

いつ 生きたかなんて  思うことは  ない  

今 生きるなら  そんな暇は   ないから  


君の 面影が   あの人に  この人に  

見える気が  するが 

その断面の   向う側に  

君がいるような気が  して  

その 届かない  場所に  心惹かれる  

君に  この気持ちを  伝えたいと  

・・伝えたいと、 ・・  

思うばかりが  思うばかりになる  

その想いばかりを  温め  

その想いに  温められて  

僕は  今日も  今日を  門出とする  

たどり着くことは  ないのだろう  

もう理由を  尋ねない  

始めたから  歩くのだ  

歩くから  歩き続ける のだ 

歩き続ける、  ・・・  

目的は  もう  ないのだから  

歩き続けるより、 … ない  

それらは  ただ  むなしいばかり  

今は  森になり  海浜になり、 と 

変化な  新しい  この道を  

新しい日に  満ちることの多い  

この晴れやかな  歩みを  

君のために  そして  

そう願う 僕のために  

そういう基底の  音が流れ出す  

人たちのために  

僕は  幻の 道を  歩む  

歩いている、 今も 

わかるのは  

いつも わかりはじめた  それを  

追いかけもせず  

尋ねもせず  

一緒に  歩いてゆくことだ  

理由はある  目的もある  

指針もある  それは  それだ  

それが生まれた時間に  また 埋没する  

新しい理由はある  新しい目的も  

新しい指針も    それが生まれた場所で  

また   新しく生まれ変わる  

そういう様相の中で  僕らは 生きる  

それが  戦うことであり  負けることであり  

それが 愛すことであり  みじめになることであるなら  

それが  ほんとうに  真実であるなら  

僕らは  まったく 別な世界で  生まれ変わってしまうのを 

覚悟して  決めなければならない  

それは  嫌なことだろう  

だから  この世界に  いるのだ  

だから  何千年も  この世界を  抱くことを  

願ったのだ  

遠く  もっと遠い 昔に  

はるかに  記憶も  及ばない  

一瞬で 消えてしまう  存在に 過ぎない頃に 

希望に  輝いて  

そう 誓ったのではないか 

もう  思い出せないのだろう  

僕は  未来からやってきたように  その錯覚に  

まるで 囚われて  

この世界を  なつかしむ  

この世界が 好きだ  だから!  

わざわざ  はるか遠くから  やってきたのだ、 と 

そして、 今  

どれほど  しあわせかが  わかる  

自分が 望んだ世界に  来れたのだから  

自分の 思い描いた世に  来られたのだから

僕らは  そこから  始まっているんじゃないのか  

それが  そもそもの  始まりじゃなかったのか?  

それが  僕らだったのじゃ  ないのか  

それが 

それが、 ・ ・ ・ 

だから  僕は  

君らを  愛してるんじゃないのか?  

だから  

(私は 

あなたを  愛している   : テレサ)





** 
僕らの魂の基底音がどういうものかは知らない。 

それでもそこには人を愛したい、愛されたいという

要求があるのはわかる。この中に入ると、なにが

正しいのかわからなくなる。そして、反対に愛の

側からの要求もわかる。それは僕の人間の幅を

時に超えるので、どちらを優先していいかわからずに

ともかくも彼女の言いたいことを書く。それは僕に

沿ったものでもあるからだが、僕の体力や知力や

その他を凌駕して、さらに上回る。 メッセージは

それぞれで了解すればいいものと、僕は妥協案を

考える。僕は僕の基底が通じたものが何を言いたいか

わかったので、それを伝えたいと思った。というか、

その情熱に飲まれて書かざるを得なかった。それが 

ほんとのところだ。僕は教わる一方だ。魂に区別は

ない、そう思う。僕はただのメッセンジャーではないが、

共同のトーンはあるが、同じ力があるとは思えない。

はるかなものとは、そういうものだ。
 
あなたを愛している。それは現実の見ず知らずの

人ではなく、夢の中のどうにも認めなければなら

ない人のことだ。その人がそう言う、それは僕が

言っているのと同じに聞こえる。


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僕が君の視界に入ったら [日記]

昨晩の続きを少し書こう。 

やさしさが悩むというのは、想像できない。人がやさしく

なるのに、悩んでいるからだとは、認めがたい。 

だが、優しさゆえに迷うというのは、よくあるだろう。

いろいろな場面があって、いつも決まった場面でそうなる

とは言えないが、強い態度で決断できない時、それが 

その人のやさしさゆえだ、ということはある。

僕らは大事なことを決める場合には、それが正しいとは

決めかねて、決断を先に延ばしたくなる。迷いはそこに

納得できない要素がまだあるからだろう。あとはエトセトラ

だ。 

それと、昨晩の記事は自分が書いた気がしないほど集中

に入った記事で、あれを書くというのは予想しなかった。 

どうしてあれほどに初期のような強い主張をぶつけたのか、

その復活がどこから来たのか、わからない。別に日頃から

不満を抱いていたという自覚も全くないからだが、それは

自覚のことで、僕の芯はそうではなかったのかもしれない。

読み返してみてそれなりに納得いくのだが、足りない。そして、

「足りない」ということの内容がわからないままだ。文という

ものが物事の一面からしか書けない、というので、いくつも

文を重ねて、それを総合しなくてはいけないのはわかるが、 

それでも言葉という固いもの、角のあるきっちりしたもので

表現するので、抽象や柔らかいものは、いつもそこから

抜け落ちる部分ができてしまう。書きながら、それを追って

いる気はするが、実際は取りこぼしたまま、展開は進んで

しまうから、完全な文というのは表現でも、論理でも、日常の

文でもそれは成し遂げられることはない。大まかになにかを

伝える僕らの日頃の文章が害は少ない。

専門用語に固められた文は理解しがたいし、真実という

幻想と紙一重なものは、わかりやすい文であればあるほど

その真の姿から離れたものになってしまう。それは少なくない

誤解という害を及ぼす。それはわかりやすいがゆえにその人

の考え方に寄ったものに姿を変えてしまい、亜流となって

すべての人を本流の誤解に巻き込んでしまう。そして、

歴史の80%という事実を伝える部分はそれで構成される。

もはや、分析しようにもなにがなんだかわからなくなった

状態になる。すると、その上前を撥ねるように、まったく根拠

のない説が登場したりして、新説としてもてはやされたり

する。 

それは説として「固定して」見るならば、僕は自分の言って

いることがそれに相当するのではないか、といつも気に

している。だから、無意識の助けがなければ、僕には

思い切った主張などは本来、書けないのかもしれない。

弱気な発言ではなく、慎重で遠慮がちな僕としては 

それが文を書く性質なのだ、(それは生活をする人間の

態度とは一線を画する。だから、書かれたものを見て、

そのことでその人間を評価するのは片手落ちになると、

何度も言っている)。

ある人に言われた、「あなたは今まで怒ったことがない人

に見える」と。その頃も僕は抑えきれない癇癪のまれな

爆発に悩んでいた。そういう表情は僕がつくって、獲得した

表情なのだ、と思った。そうなったのも、そう人に思わせる

ものが隣にいたからだろう。

ある人は自分が強いということを自覚していなかった。君は

負けん気が強い、と言ったら、そんなことは初めて言われ

たよ、と返された。相手の感情をコントロールして、場を

作れる人間だったので、彼に面と向かって物言う人間は

彼の友人でもいなかった。僕もその時に初めて、彼が自覚

していないのを知ったので、驚いたことがある。それに

近いようなこと、それを想像させるようなことを彼が年長者に

言われたのを、そばで聞いていて知っていたので、まさか

自覚していないとは長年思ってこなかった。こんなに近くでも

人が自覚していたり、いなかったりということはわからない

ものなのだ、とは最近身近な人を通して知ったことだ。

彼は実際やさしい男だが、その気のやさしさというのは

近い友人にしか知られていない。彼は自分ではやさしさを

知っているから、僕の指摘した他人からの指摘は、いつも

無視して気にしなかったのだろう。そういう大まかさも

もっているのだった。  

誰でも感情はある。それは真に大事な真理とかでも同じで、

言葉ではわかっても、その派生する様相や、関わり方に

よって姿を変えるかのような変幻さは、人が自分をどう

自覚しているかが複雑に見えるように、単純な答えではない。


ほんとうのことはどうしてこうも、わかればわかるほど深さを

増してゆくのか。複雑に見えるようになってゆくのか。その

元は僕らが決めつけているように単純なのだが、実際の

バリエーションは辿り切れない。そうすると、人の性格を

決めつけてくれる人が頼りになるように見えたり、決めつけ

られて、僕らは安心したりする。

僕らは学者じゃない。分析しながら生活しているわけでもない。

生活を楽しむことを優先させて、それがいつもうまくいくわけ

ではない、と知るようになって、心配も始まり、トラブルを契機

として悩むようになる。

物事は基本、うまくいかない。少なくとも近未来や将来という

ものは5万通りの予測のできない要素が絡まりあいながら

織りなす明日からできている。同じものは一つとしてないが、

それと同時に卑近な出来事や似ていることが多く起き上がる

ので、僕らはそれを区別できない。微妙な直感に頼っている。

そして、それもいい確率ではない。 

うまくいきやすいのは、それでうまくいくという最大の目標を

あきらめて、それにこだわらずに一生懸命やってみようと

腹がくくれた時だ。その時、僕らは自由になる。目的を捨てて

僕らは縛られないから?それだけでは納得いかない。 

どうして僕らの状態が自由な時にまともなことができるのか。

恐怖がない時に正常な方向に舵が取れるのか。

答えを語ることは必要ではないので、話さない。必要なのは

相変わらず、方向を確認したら、自分がそれで合っていると

思ったら、船出する、それだけのことだ。5万通りの未来に

勝利するなどできない。それが決められたことならば、専門家

が援助することができるだろうし、社会のはそういう決め事が

多いからその方面・分野で予測や計画が役に立つが、そう

いう決められた舵のない海図のない海や、地図のない山とか、

心の気持ちと考えの葛藤の中で迷ってしまったら、とかでは

僕らにはどんな専門家の助けも借りられない。医者でもセラピー

でもその妙義を知る人はいるが、まれで探すのは難しい。

その時、僕らはうまくいくために、うまくいく気負いを捨てるのだ。

それはあきらめることと上層では変わらない。無意識(下層)

ではうまくいくように願っている。だから、それを知ることはでき

ないし、知らないのだから、それはあなたの知らないあなた

自身、またはあなたの芯に任せるしかない。それができた時

は落ち着くからわかる。腹が坐るから、わかる。もう成功に

こだわらない。 

なにかすべきことをする、そこに集中すればいい、結果なんか

どうでもいい、と思っている、思えている。 

それも現実上での、悟りのようなものだ。いや、そうなのだろう。

そういう想像でかまわない。それを新しい定義とすればいいのだ。

僕らは創る。うすっぺらな考えのものではない。内容が僕らに

しっくりくる、信頼できる、そういう僕らのあり方だ。そこからなら、

明るく、力強く、子供のために歩いて行ける、そういう僕らの

創造の力だ。僕らが気づきさえすれば、誰もが本来持っている

全生活を司る未確認なものも含まれる全体能力のことだ。


僕らは真っすぐ、まっとうに生きたいと願うが、そうなるようには

できていないし、実相を見れば不可能にさえ思えてしまうから、

そこでは絶対支配を願う者、追従の安楽を願う者、人文の理論を

信じて悪でもそれを願う者、そして、多くの平和を願う者、人との

信頼を願う者、自由を渇望し願う者、当たり前の平穏な生活を

願う者、とそれぞれが考えたり、突きつめたり、それぞれの意見や

感情、希望でこの世でのあり方を想定している。 

それがわかっていて、どうしてそれが一つの答えにまとまらない

のか。それは逆に、それの答えは用意されていない、もしくは

答えが多すぎるかもしれない。ほんとうに目的がひとつなの

だろうか?それが一つになったら、達成されるのだろうか?

なぜカトリックはプロテスタントに分離したのか?イスラムが

スンニ派とシーア派とに分離したのは、つまらない後継者

選び方の意見の相違だったのは、なぜなのか?

世界平和はもう何世紀も標榜されているが、それ以前から

戦争が1秒でも世界のどこかでストップしていたことは歴史

にはなかった、それはどうしてか?平和が守られないから、

法律は10個ではなく、数万と記述されなくてはいけなくなった

のではないだろうか?法律が守られなくても、それがふつうに

守るべきと皆が心得ていたら、複雑な条文は必要ないのでは

ないだろうか。もう、答えはこの中にある。そして、渦巻いている。

あちらが立てば、こちらが立たず、という見せかけの中に埋もれ

ている。答えもその肝心な「それ」も埋もれてしまっている。 

掘り返すことはできるが、それでは半分の答えになる。役に立つ

ためには自分を知るという答えから照らし合わせる必要がある。

僕らは世界という砂丘で答えを目の前にして、どこにもない

安楽を求めて、しかたなしに徒党を組んで砂丘を彷徨い歩い

ている砂漠の商人のようだ。

手を汚して掘り起こし、水を発見する人は少ない。それでも

人は生きなければならない。だからこそ僕らは自由で平和で

ある自身を手に入れなければ、と。そうである人間として

出発しなければ、と。僕らは迷わず、初めから自由で、 平和な人間であらねばならない。そうなるのではなく、

たった今、この今、この初めから。


この意味がわかることが、自分を知ることのその先、でもある。

たいそうなことを言った。でも、僕はそう信じている。知っても

いる、と。


また暗雲を予感する。悲しみが来るだろう、そして、愛が。 

君が視界に入ることはないのかもしれない。僕の姿が見えそう

になったら、知らせてくれ。 待っている。 






**
これは明らかにメッセージだ。

そして、僕は僕がなぜこれを書くのか、書いているのかを

知らない、ということ。これ以上言っても無責任になるだけ

だろう。書いた内容がわからないのじゃないから。

必要だから書いた。今はそれでいいだろう。
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迷うのは悩むことじゃない [迷い]

島の北端から (400x200).jpg

もうこれまででこれ以上はいい、いらないと言う時、

それが心の声であるなら、僕らはそこからなにかに

向かって頑張ろう、と思うことがあるだろうか。 

もうそれまでと思うのが当たり前であるのは、その

人がそう思わなければ、そういうことではない。

僕らはそれが当然で、誰もが同じにそう思っていると、

(そう)思っているがそれが想定内とか、自己の範囲

というものであると、あまり自覚しない。

限界というのは、その限界点や限界線まで行って

みて、はじめて決められるものなのだが、実際は

自己という想像内で決めてしまっている。特に自分

が正しいと思っていなくても、長い習慣から、それを

正しいと心に刻んでいる。くり返しそう思った数は

数え切れず、どんな反省もそこにはない。 

それはもうまっさらな自分じゃない、ということなんだが、

そういう波の音もかき消されてしまっている。 

それを捨てる時が来ている。 

捨てられるかどうかは、問題ではないし、結果はそれ

ほど重要じゃない。その気になれるか、なれないか、

それだけが確かな試金石として、あなたに挑戦している。 

それは抽象なあいまいなことに対して、僕らが取る態度が

固まってしまったものだ。人が人為的に約束した法律や

規則のことではない。数式やキログラムとか一平米とかの

単位のことでもない。僕らが自分や他人に対して決めつける

ようになった結果のことだ。あれはああいうものなのだ、と

どこかで決めていくようになったもののことだ。世間や社会、

人間やそれにまつわる神話から、格言、教訓、言い伝えから

過去の名著・書物、名随筆といったもの。そこから得られた

ものがほとんどだろう、それを受け入れてしまっているから。

それをまず、心からほっぽり出すことができるだろうか? 

これが最初の難関だ。物事は変えるのには一瞬でいい。 

それを自然や偶然に待つ必要はない。 

僕らにはそれらを司る能力があるから。

急ぎ過ぎないで進もう。できるかとかは、おかしい、して

みるか否か、なのだから、そこに考えは挟まらない。 

できないとしてもいい、やってみるかどうかなのだ。 

これが真理だとか、真実だとか、自分で納得したものを

一度、ほっぽり出してみる。自分の考えを捨ててみる。

したことがない?それでわからない?いや、わかっている。

踏み出すのが怖いという自分を見ることだ。それが感じ

られれば、そこから踏み出せるかどうかだけだ。

どうしても踏み出したくないこともある。それを見ておくことだ。

それが自分の芯になっているからだ。それは自己防御に

絡み取られた恐怖が隠れて、芯になっている。 

怖くない人はいないから、それができなくても悪いことという

のではない。

それはまず、ありのままの自分を見る準備ができないでいる

自分、というものが今の状態、それでいい。精神の病気でもない

限り、忘れてしまうことはないだろう。いつかまた、ここに返って

くる。 

進もう。踏み出すというのは、ただおっぽり出したという、そんな

気になるだけのことだ。何回もしっかり思えるようになると、自分

と対面する部分が少しずつ開けてくる。そこには多様な面がある

から人が自分のどの面を開いてみるかは、偶然のものだ。 

やがていつかその気になれば、一気に見渡すことができる。 

待つことはなく、その時は一瞬で自分という、今まで見たくなかった

みじめな自分が顕される。ここでまた人によっては、自分を閉じて

しまうだろう。認めたくないから。今まで自分が否定してきた自分の

像がそこにあるから。激しい自己嫌悪が来る人もいる。 

それでもその先へ行く必要がある人なら、こらえるだろう。 

ここでやっと本来の自分を認めることになる。この収穫は大きい。 

みじめになる自分を予想するが、ひとまず自分を認める決心を

して、自分に立ち会うと、その時自分の虚像というものが崩れる。


ここからはなにを書いていいのかわからない。ここからその人の

その人だけの、まさに神話が始まるからだ。それはロマンの喜び

ではない、静かで落ち着いた爽やかな心地よさだ。どういう形で

どんな色調かはその人だけが知る果てないひろがりがある。話して

もらえなければ、それは永遠に秘密としてその人とともに朽ちる。

誰も知りえない。

いろいろあって、書いても無駄な気がする。僕らは一つの世界を

司る全体の一部になり、終わりのない全体になる。ここから神や

スピリチュアルを思い描く人は概念世界に嵌っているかもしれない。

そうでない人は実感を持っているかもしれないが、(僕は信じない)

神秘に魅入られているかもしれない。そこは不可触領域のまた

別なもので、仮想空間を現実ではない、と言うのと似たようなものだ。

数字の示す数も、流れる感覚に示される時間も存在しないが、

仮のもの、幻想や想像上には存在する。それを実在しない、と

概ね主張するのだろうけれど、概ねはそうすればいい、僕は

実在しないと思っても、そうではないかもしれないので、主張したり

しない。まだ判断しない部分が残っていると感じるのだ。決め切れ

ないものを、たとえ勢いにせよ、断定はしない。 



なぜそうまでして、己を知れ、と昔のギリシアの神殿の柱に刻まれ

ていたのか。それは単純な思いだろう。僕はどう逆立ちしても、なに

か対立や比較するものがなければ、大きいとか小さいとか、美しい

とか汚いとか、優しいも怖いも判断していない。それは生まれて初めて

見るものに眼を奪われ、立ち尽くすように、わからないからわかろう

として動けなくなるように、それが危険な蛇と知らなければ、運悪く

嚙まれて死ぬこともある。そこまでの事態は少ないにしても、

わかっていること、それを何かに比較して知っていることは有益だ。 

人を知ることは有益だろう。騙されないとか、信用していいとか

わかれば、危険も避けやすい。それが己を知る、ということだ。 

自分を知れば、そのありのままを自分という物差しに変えることが

できる。はっきりした自分、つまり人間という標準を人と比べて、

確実に人を知る、その可能性をより高めることができる。

自分が物差しなら、比較して人を知るはやさしくなるのが道理だ。

自分があいまいで、優柔不断で、微妙な性格だったら、いつも

人を恐れるということになりやすいだろう。相手のことが、真意が

つかめないから。また、あいまいで優柔不断で、自分が微妙でも

それがどういうあいまいさか、優柔不断さか、微妙さかとわかるなら、

それも自分を知ることになり、それに合った対応が取れるようになる。

それを適応というのだが、僕らが悩むのはそれがどんな問題で

あっても、それに対して適応した対応が取れないことで悩む。  

子供を知るのは自分も子供になって一緒に遊ぶのが、一番

手っ取り早い。それが適応の一例だ。ところが僕らは大人で

社会人として一人前だと決めているから、そのプライドが

破れないことが非常に多い。自分を知るとは、そのプライドが

どのように自分や知的判断を操作してしまっているかを知る、

ということでもある。

この文でも3回読めば、何が書いてあるかわかるはずだ。その

ように書いている。しかし、一度ではわからないような分野の

ことで、たいてい一度読んでわかったと思って勘違いしている。

そういう動物なのだ、知的動物というのは。

やがて読むたびに意味が異なっているように思えてくるかも

しれない。そうなって、上達したね、って言える。それはわから

ないものが、”はっきりわからない、とわかる”ようになった

からだ。わからない”姿”がわかるようになった。それはやがて

自分を変えようとするその姿が見えるということだ。見える

(その人なりに感じる)から変えることができる。こういうことを

無意識に行動して成し遂げている、そういう人は多い。



僕は夜の海に入ろうと言っていると思えばいいのかもしれない。

夜の海は暗くて、潜っても何も見えず、不安だ。僕でも入る前

では同じように闇の不安を感じる。それは見て、なにかを確かめ

られないからだが、それでいいのだ。サメとか、ウツボとか想像

していたら、一生夜の海で泳ぐことはないだろう。それでもいい。

だが、もう不安を気にしても仕方ない、という選択肢もあるのだ。

その時、ザブザブ、打ち寄せる波に濡れながら、海に入ってしまう。

あとは野となれ山となれ、と言葉は知っているが、意味はよくわから

ない。開き直って入ってしまうと、意外に気持ちいい。もうどうなっても

いいというのは、意外に自由だ。夜の海がわかるというのはそういう

ことだ。知的には何も見えないし、わからないが、暗い水のその感触、

水と一緒になった感覚、不安は小さく、大きな開放感に包まれる。

それを知ることが経験になる。

少し沖に出ると、そこからどこまでも泳いで行ける気になる。そうは

しなくてもそれは不思議な自信なのだ。自分に自信はないのだが、

そこでどうにかするしかない、それしかないならそれをすればいい、

成功を、うまくいくを期待しない不思議な自信。

それを体験するかどうかは、大きな糧になる、と僕は知っている。


**
ま、夜の堤防を眼をつぶってどれくらい歩けるかで、見事

堤防から夜の黒い海へ落ちた人間の言うこと。(笑い)

濡れてはいけない携帯など、万が一と堤防に置いていた。

想定外を想定するのは忘れない。そうしたら、まさかの、・・。

夕暮れ船.JPG

島に着いた頃の映像。夢があって、この頃は自然から

美しい映像を見せた。二年して、飽きてくると島は

凡庸な姿しか見せなくなった。夢があるというのは

美しい未来を形作ることでもあるのだ。山でもなんでも

自然はそういう夢のある人間を裏切らない。いい映像が

撮れないのは僕らの夢が足らないから、と多くの同じ経験

でそう思うようになった。    (不思議だが、ほんとう)
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反省の反省を終わらせる(日記) [日記]

さてと、今夜はこの夜を突っ走れるか、心もとない。

いつも自信はないが、不安もなかった。去年のいつぐらい

までだろうか、書くとしゃべり続けるから、そのまま続ける

として今は不安も増えてきた。

この世界は所詮、裏からの紹介で未承認で、それを認める

ほどに社会が成熟するのはほとんど不確定で、望みがない

と思える時さえある。起こることはすべて正しい、とアメリカ

帰りの勝間和代女史か、言っていたが歩き出した方向が

見当違いだったら、マイナスの結果ばかりが出て、そこから

の軌道修正にはかなり神経を使う。

今回も社会勉強が加わったようで、活動の成果は置き去り

になっている。そう考えると、一時的なものだと思うのだが、

指針がどうなっているのかわからない状態なので、最初に

言ったように心もとない。 

探ってみよう、現在の今を。 

ネフローゼ、ガソリンスタンドと長く続く直線道路、トンネルと

その穴に重なるセルロイドの丸い板、プレスリー、カンダカ、

焼酎のとっくり陶器、韓国の柳、夜間飛行場のグライダー、

べらぼうな折れた心、抑えられた頭痛、ボランティア募集、

木製のネズミ、島の家の修理、トータルな復讐、牛蒡、

魚雷、嘘、正直?だんだん見えること、大いなる立役者、

立法、何をしているか?道頓堀、大川、ここにいて貧乏座り、

それでよい、そのままの姿勢、何も不安もない、ないものが

あるはずもない、あるのは手堅い僕というもの、一歩止まって

一歩戻り、新たに二歩進めばいい、しみ出す甘露、軍事

パレード、チェスの駒、ラフレシア、乾燥花、ビードロ、宮本

武蔵、東京カレンダー、まだらの蛇、・・・・・・・・、

健康体操、心落ち着け瞑想をしてみた。

考えず、受け身で思考にまかせる。思考よりも意識の勝手な

放埓という感じか。 

もう楽ではない、無意識に入らない。いつもだと、ここから

詩的作文、散文になるのだが。 

もう何もないと思える僕に、任せるしかないのだろう。それが

答えなのだろう。なかなかたどり着かなかったが、それを認め

ればいいだけなのだ。そう思わないだろうか。

う~ん、わからん。 

もう僕は以前の確信じゃない。思う前にそう感じている芯と

密着したものではない。では、何? 

死を一手に引き受け対峙して僕に無意識を手引きした、と

思われる彼が去った?と思われてから、それなりに日が経つ。

そう思うからそうなのか、事実がそうなのか、その判断を

してしまうのを待機して、長く待っていたが、そろそろ終わりに

したい。去った彼を待たない?待つ? 



― 待たない。 そうか、じゃそうしよう。 



― と考える、そして、瞬間それでいいか、尋ねる。 

直感が返って来ない。行動して決めるしかないようだ。なら、

やはり、ふつうに土俵に立とう。最後に勝たねばならない

土俵に。なにか当たり前のことを大仰に言っているだけなの

だが、・・・・・・・・。 

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博物館の近くの公園だったと思うが、銅鐸が置かれていた。

レプリカだろう。捨てられているようで、奇妙な感じがした。


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日本精神・文化のなにかとは [文化]

前の記事(アメブロ掲載)、と言っても冗談だったが、

書いてから2日なのだが、もう1週間も経った気が

している。

なぜか、今夜は落ち着いた気分でやることはやった、

一応全部済んだ、という気分だ。理由ははっきりしない。

あれもそうかも、これもそうかもという理由らしきものは

浮かぶが、浮かばしてみるだけで、なんの重きも置いて

いない。他人の仕事をすることで自由を奪われるので、 

自由になり過ぎている現状にそれなりの不自由なバランス

が取れたと言えるのか。 

低く太鼓のような、鼓動のような響きが地を這って、叩いて

来る。東京の雑踏から離れるように、そのビルや石畳の

光景を薄いブラックサングラスを通して眺めるように

もう別の世界を紡ぎ出している。 

東京には瀟洒なビル街か下町風の込み入った路地との

それぞれの組み合わせになった乾いた室内音楽のような

街並みしか見えないのだが、 ・・・。 

働くブルーカラーの人たちは皆同じで、手信号で交通整理を

しているのと変わりない。ルーズなマニュアルを見ている気

になる。面白いのはコロナはどこにも見つけられないことだ。

アルコール消毒はどこにも置いてあるが、コロナに注意とは

どこにも注意書きがない。コロナが人の心に浸透してしまって

注意を喚起するにも及ばないからだろうか。

コロナ後、という言葉で世の中が変わるという方面に動向を

見据えるつもりのようだ。コロナが終われば元に戻せばいい

じゃん、という意見が聞こえてこないのが、僕には不可思議。 

リモートを前倒しするのがいいチャンスだというのだろうか。 

なるべく早く先を読んでそれに対応する、というのが常識に

なったのだろうか。それもこれもどうしてそんなに急ぐ必要

があるのだろうか。そう思うのだが、自分で急ぐ理由を作り、

それを宣言して、それを先取りしてゆく。少し人間バカに

なったから、そんなことしているのか、と思ったりするが、 

実はここ近年ではそれが加速しているようだ。ネットで情報の

流通速度が速くなったのに合わせるように、追随する。

追随にも追随する。それは新しいことを見つけることでは

なくて、流行を連鎖してつなげてゆくことでなにか儚いことを

分裂、延長させているだけではないか、という気さえしてしまう。

目新しいだけ。目先を変えるだけ。違うのだろうか。 

それにつられて人々の小さな権益が生まれ、以前は固いこと

言うな、で済んでいたものまで守るべき体制、組織ができて

しまい、そこに小市民的なエゴが社会的な一定の価値に列せ

られる、という不可解な常識も生まれそうだ。いや、ブルーカラー

の仕事からはそれがよく見えるはずだ。 

コロナは悪循環に入っているように見えた。東京ではさすがに

マスクをしていない人はいない。が、手洗い、うがい、マスク

という感染対策以外はなにも指示がないと思っている。指示が

ないから考えないというのも問題なのだが、それよりも今は

時期的に他にどうしろと、というふてくされ諦め期に入ったようだ。

電車では間を置かずに坐っているし、これは始めからだったの

だろう、昼間でも混んでいる電車は混んでいる。3密とかどの国

の話だというくらい。この惰性には第4波が来なければ政府も

僕らも本気にならないだろう。ワクチンの有効性もある国の

医療関係者で部分で確認されたくらいで、本当の処はまだ先

にならないとわからない。 

ともかくコロナには人災の噂が絶えないし、専門家の意見も

一部の陰謀論者も同じようにおかしい。コロナがわかっていない、

ということが究極の真相らしく、それぞれの立場が一方的な混乱

を招いている。それがわかって全体的に発言していないし、まだ

そうできる時期でもないのだ。 

僕にはもう聴こえない音楽や見つけられない絵画・映像という

ものの、なにか現代を捉えられない感覚の抜けができている

のだろうか? 

自分の心の滓(オリ)のように過去を見つけるが、それらの執着を

発見するが、それが僕自身である芯を侵食しているとは思えない。 

新しくヒットするポップスにも面白いと思うが、聴いているうちに、

それも過去のパターンの中に分類されてしまう。音楽は広い海では

なくなったようだ。いい音はいつの時代でもある。僕の期待するのは

数百年に一度という音なのかもしれない。だとしたら、それは無理

だし、それでいい、ということになる。ただ自然に探してしまう衝動は

変わらない。そういうのはビートルズで経験した。 

聴いても”いい”と思わないのだ!一度目を聴いて、一曲が残る

くらい。あとは雑音。いいと思わないのは過去に例がない音を

組み合わせているから耳慣れしていない。そこで3度聴いて少し

わかる気がする。特にサージェントペーパー以降のアルバムは

売れたが、一般受けはしていなかった。すぐに反応が出なかった

のだ。皆、何度も聴いてわかろうとしたのだろう。彼らの音の勘は

素晴らしかった。雑音ではなかった。皆、後からついて行った。 

あとは人間の年齢という自然な風が吹いて、それぞれ個性を

意識し始め、4人が集まりにくくなり、彼らは解散に追い込まれて

しまった。それでよかった。そうでなければ、ポールとレノンの曲

がどちらがどう影響を受けたり、与えたかがわからないままに

終わっただろう。解散したので、その後の二人の別々のアルバム

からそれを判断するのは楽だった。 

僕らはくり返すことを望んでいる。それは半分で将来の自由を失う

ことであるけれど、もう半分で今の自由の変形で楽しむことが

できる。そのどちらかの立場に入ってしまった時にだけ、保守とか

リベラルとかが存在し始める。それが何に対しての保守なのかに

よって、行動も変わるだろう。どちらでもないサラリーマン的な人生

が自分に合っていると思えば、保守もリベラルも気にならない。

ただ日常の生活を乱したくないと思うだけだ。

日本の精神文化が世界に広がれば世界がよくなるだろう、という

のは机上の問題提起であるだけで、絵に描いた餅だ。精神文化

は洋服や信念のように取り換えればいいというわけにはいかない。 

その国の過去という歴史の全部をその国民が自覚することから

始めなければ、ほんとうに変わることは少ない。人と同じだ。 

少し昔だが、映画の渥美清の寅さんをアメリカで上映したこと

があるが、日本で大ヒットして松竹の自社ビルを建てるほど稼いだ

寅さんを、米国人はちっとも理解できなかった。少しも笑わなかった

そうだ。寅さんの感情文化は日本独特なものだったのだ。 

世界でマスクをしない人は多いし、クリントン政権で国民皆保険を

日本と同じに進めようとしたが、主に低所得者の層の反対で実現

しなかった。

少しずれるか?相鉄線で女性専用車両(痴漢対策だろう)が設置

されているが、フランスの女性は驚き、反対だそうだ。それは設置

されるのではなく、自分たちが鉄道会社に要望すべき事項になった

時に要望することで、「押しつけられる」ことじゃない、と言いたい

そうだ。これが市民の権利意識なのだ。市民革命を経験して

こなかった日本人にはない。フランスが自由・平和・自由を標榜

するように、精神文化が意識で違うのだ。単にそう考えているん

じゃない。そこから意見や行動が出てくる、生まれる。 

江戸は鎖国で文化が爛熟したと言われているが、それが一部

だろう、と思えはじめているのだが、明治はすぐそこにある。 

戦後の焼け野原を見るように、明治の貧しいなりをした人たちは

印象に残っているが、明治維新は外圧が引き金になったが、

なにが起こったのだろう? するとまた、明治で僕らは何を

失ったのだろう?という積年の疑問に戻ってくる。  

どうも東京へ二度行って、明治の結果を見ながら、まだ気づけ

ないでいるんじゃないか、日本精神のなにか、という気がして

きたよ。  3. 25


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松江市のラフカディオ・ハーンの旧居。 横浜に着いた日はハーンは

感激して弱視の眼で夕方まで人力車を乗り回して見て歩いた。なん

でも美しく見えたらしい。その日本賛美はこちらが恥ずかしいくらい。

彼はほんとうは何を見たのだろう。 2013.4月 撮影。
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