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また、点 ラピュ、戦争の要因 [ラピュタ]

何も書けないということはない。気持ちは書きたくない、 

が続いている。が、かと言って、昼間に夜にそこに集中 

して資料を読もうとしない自分もいる。 また、点でも 

書いておこう。 


     「 ・ 」。


ここからしゃべって、いくらでも書いてしまうのだろうが、 

やめておこう。 テン、という動物もいたな、とか。

飛ぶ船 (2).png
天空の城ラピュタへ行く船 。 


13分して、戻ってくる? ::: 

おかずが欲しい。 

納豆でもいいが、シューマイでもいい。 

冬のパジャマは、さすがに暑い。 

夏のに、着替える。 

なにしているんだろう?と、 考えない。 

書いても、 なにもないなぁ。 

自分では死んだふり、しようとしてもできない。 

起きている。時には、朝起きても、昨日から 

同じ日を生きていると、感じていたりしている。 

日が変わらない。カレンダーを不思議に眺める。 

かえって、三度寝の時の、朝7時から9時とかの、 

あっという間の2時間が記憶の喪失感が、 激しい。 

瞑想じみているくらい、穴が開いた感じ。 

・・・来なくていい、どんな着想も。 また終われなくなる、 

寝られなくなる。この夜、さん、様。 

満月か。 なるほど。わけはわからんが、なるほど。 

(ヤバいが、書くか) 

死のう、と書いてしまうと、これが気持ちいい、 

すっきりする自分が現れる。そういうものを見て、 

自分は絶対に死ぬ気はないな、と逆に思わせるものも 

また感じる。それを足して、2で割ることはできないが、 

それをゆるくシェイクして、何か出るだろうか?と 

観察しようとする自分も、またしゃしゃり出てくる。 

いつものことだが、死にたくない自分はいない。 

同様に死にたい自分は認められない。いるからだろう。 

自分の根源は無だとすると、それはまるで永劫回帰 

だから、当然の帰結なのかもしれない。母親の胎内に 

帰りたい願望のようなものだろう。 

あと戻りはできない。それで明日も来ないのか。

月のむなしさだけが、 ある。 


今度は1時間半して、坐る。 ::: 

人びとの見る、実際には想像する死は、僕は見ない。 

厳密に区分けできるわけがないが、分析的に書かないと 

地図が描けない。 

生活がわかると、それは生き死にのことだが、生活に 

密着したくなる。これを知で行うのは少数で、ほぼ人は 

経験で、体の要請でそのように行動するから、体の知、 

習慣の知(常識・通念)でそれを行うから、理解して 

いるとは言えない。それは理性的に見えないから、 

すぐに判別できる。すると、そこで重要になるのは 

精神のエネルギーであり、体のエゴエネルギーの 

強さだ。行動は感情的になり、触発される感覚になる。 

そこで結びつくのは愛と自己だ。これは自己愛になり、 

弱いと自己に耽溺するだらしない愛になり、強いと 

死を恐れない無鉄砲な性格を備える。それは戦いを 

望む、戦いに臨みたい性格であり、生きる原動力にも 

なる。権力闘争のスリルに、また戦場に出て命のやり 

取りを喜ぶ、退廃への方向に進む生活の密着感も 

ここから生まれるだろう。 

それは愛の観念や理想のイズムや、理知の行為である 

理性をも乗り越えてしまう、生きる情熱に支配されてしまう。 

一般の愛への気遣いが消滅してしまう理由はここにある 

のだろう。サイコパスとか中途半端に呼ばれる病的症状も 

このわずかな例で、上に昇り詰める人材が多い。 

このエネルギーに一般常識は退けられてしまう。芸能でも 

人気を求めるから、少し迷惑な悪(ワル)くらいのほうが歓迎 

されるのは、そういう点からだろう。そういう方向が求められ、 

支持されるのはよくない社会の在り方だが、必要悪とかの 

中途な考えが許される不道徳が泥棒にも一分の理という 

信条に気をつけないと、いじめる側にもいじめられる側にも 

はびこりやすい考え方だ。 

やがて、腐る。権力や暴力組織がなぜ腐りやすいか、その 

ために指つめとか、掟が厳しくなるのはその考え方に意識が 

支配されるからだ。それは無意識に発見されるものなので 

僕らは言葉で語ることはまず、ない。 

その精神のブラフ(こけおどし)が心の側の死であり、その体 

の側の行動が感情的なプライドなのだ。それも体側の死で 

ある。だから権力意識は名前のバリュー(価値)を好み、自分 

のレッテルを貼りたがる。

それは死にたがる愛の方向になるのだろうが、誰もそんな 

ことは思ってもみない。

それでその逆にエゴ・エネルギーが弱く、愛の行きたがる 

方向に向く人は、そういう信長タイプは理解しがたいし、 

平和はもうその人たちの中では実現されている。誰もが 

それを選択するわけではない、と考えているが、それは 

少し違って、自己のエネルギーと心と体のバランス配分が 

それぞれ違っていて、感情や感覚に流されやすいと、 

もっと刺激的な方向に自然に進んでしまうからだ。 

ここに理知が働く人と働かない人との方向、つまり運命が 

別れる要因がある。理知が働かないと、愛は情熱に従う 

のも、良しとしてしまう。それで突っ走る人には、いつでも 

隠れていて、愛は見えない。それが希薄になればなるほど、 

空気が薄くなるのと、また喉が渇くのと一緒で、最後は 

それを求めて止まなくなる。愛は不足しない。自ら遠ざけて 

いるだけだ、そのシステムに気づけない。もともと生まれた 

時から支えられているから、自覚していない。死ぬほど 

困って、それが現れる。それでも晩年になるまで無視する人 

もいる。 

これが戦争がいつまでも続き、終わらない大きな一要因だと、

要は僕らが人類であることがそのまま原因だと理解される 

だろうか。 

これがはっきりすれば、敵(人類としての自分)を知れば、勝たず 

とも負けることはない。自ずからそれを避ける工夫も策も今まで 

以上に発想できるし、案を練ることができるはずだ。生活に密着 

することを覚えれば、 ・・。 


夜明けが近づく。予報では雨だが、まだ雨音にはならない。 

皆、寝ているのか。 起きろ、 起きろ。(冗談だ、笑)


                     5.27
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運命とか神へのいろいろとや(自己知) [自己知]

前回は神の存在証明をほぼ否定する形で書いたので、 

僕は神を信じていないと誤解した人も多いのでは 

ないか、と。それはちがう。そんなことは言っていない 

からだ。僕は神を証明しようとするのは無駄なことだと 

言っただけで、証明できないから、いるともいないとも、 

述べていない。 証明までして、神を信じたい人の心は 

拠り所を求めているだけで、本当に自分がなにがしたい 

のかを理解していないのではないか?と危惧しただけだ。 

少しは心配しているから。 

自己知というのは、平たく言って自分を知る、己を知る 

ということだが、僕の場合の自己知で一番の肝に銘じた 

ことは人間の小ささだ。自分が僕より小さな存在だ(主に 

概念)というのは知っていたが、人間存在として、そういう 

偉そうな言葉が使えないくらいに、プライドをマイナスに 

刺激するのを知って言えば、僕らはゴミより卑小で愚かで 

弱いものだ。知も、感情も、感覚もそれを保証したり、高尚

に見せたりできない。それはどうしてそれまで卑下するのか? 

という問いと切り離せない。自分の、僕という個の大小さえ 

わからずに無とか、無限とか、永遠とか理解できない。 

それは宇宙の量を比較して、人間の体長は短い、体積は 

小さいよね、という話ではない。 

僕らは飽くまでも精神の大小で、物事を推し測っている。 

体では間に合わないからだが、その精神存在でも小さすぎて 

話にならない、というのが僕の自己知だ。 

はるかに、ハルカに、遥かに、とかのそんな言葉では1mmも 

進まない宇宙でも間に合わないのではないか、という世界が 

ある。僕は近年、疲れ切ってそれ以上、それを推し測るのを 

やめてきたところだ。数年もかかって、愛のゾーンが死のゾーン

の中にあると突き止めたところで、それ以上の淵に行ってみると、 

そこからまた無限大の世界が想像できる、ある衝撃に突き

あたった。それでわかったのは、最後を突き止めるというのは 

無駄なあがきだ、ということ。無限にラッキョウの皮むきができる 

ようなものだ。愛と、死、それだけがこの世で言葉にできる成果 

だった。それでも気が遠くなる入口から一歩しかわからない。


ニュートンの、「我々は真理の大海を眼の前に、海辺で遊ぶ子供 

に他ならない」、というようなことを言ったが、その言葉にしばらく 

しんみり浸かっていたほどだった。僕らは人間だ、それはその 

あと、う~ん、・・・・・・・・ と黙り込んでしまう、どうにもならない 

事実なのだった。この感慨しかなかった。それしか僕には人間 

という事実を捉えることができない。それだけだ。 

だから、プライドは生きるのに必須のものではなく、また否定  

するべきものでもなく、心を鼓舞するときに役立てるものだと 

思った。子供にプライドがないが、元気に生きている。  

さて、わかりにくいことから始めたので、この世に引き戻そう。 

プライドが、と言ってもその内容は自己と知性という裏表の 

一体した自分だ。その自分が求めるから、求めたところに 

感じるから、現れたのが、または想像して創造したものが 

僕らの運命とか神とか、縄文とか、日本精神とか、真理とか、 

真実とかで、それらが実態のない精神である、拠り所のない 

我とか、私、自分であるから、そこに誤解が生じる。 

知とは所詮、僕らの投影である。僕らでないものはそこに 

映像物・観念を結びつけることはできない。例えば、透明は 

その近辺に背景や隣接物を置いて想像できるが、透明その 

ものだけを想像するのは困難を越えて、瞬間だけだ。それを 

想像したとは言えないくらい。 

精神は不安体だが、その拠り所のない正体は隠されている。 

自意識では確認できないから、またそれにもまして統一体を 

要求されるから、自分を一個として守る必要がある。 

それが自己防衛本能と名付けられて、自己を確立しようと 

する。その無意識な性向が僕らの自己主張や自己実現へと 

発展する。それには功所もあれば欠点もある。単に是非する 

性質のものではない。 それは僕らの生存に関わる進化の 

体の機能にも直接つながる重要な事項だからだ。 

その方面は当面の問題ではない。 

思索家パスカルの「パンセ」は有名だ。その中で彼は「人間は 

自然の中で最も弱い一茎の葦に過ぎない。だが、それは考える 

葦である」と言っている。この文章ではわからないが、彼は 

人間は弱いが、知性という尊厳があり、それが宇宙をもおおって 

支配している、といった風な知性賛美をしている。だから、僕とは 

知性に関しては真逆なことだ。 デカルトは同様なことを「我、 

思うゆえに我あり」と言って、私を思う私という存在があるのだから、 

私は存在する、という「考え」を「思う」と表現して、精神は私 

として存在する、と示そうとしたが、それは自己撞着している。 

1+1=2は真だから、数学は真であるというようなものだ。 

1+1は3でも数学は築ける。ユークリッド幾何学は2次元の 

数学で、非ユークリッドは3次元(曲面)の数学なので、その 

定理はお互いに矛盾しているが、実際にはどちらも学校の 

平面図で、地球の曲線計算など実社会で役に立っている。 

相手次第、使い方次第である。 

愛とプライドは見かけ、ガチンコ勝負するがそれは理論上の 

話で、実際はどちらも必要、どう使うかにかかっている。 

ただ愛は生に直接なものなので、どんな時もまるで抜きに、と 

いう訳にはいかない。 プライドは(くり返すが)、なくても生きて 

いける。動物にプライドはない、ただ僕らは動物であるばかり 

ではなく、人間だ。 

パスカルもデカルトも、まだ科学の未文明の時代で、それは 

哲学という名で真理追及の混沌として含まれていた。デカルト 

はフェルマと別々に今日の代数の基本を創出したが、パスカル 

も確率という重要な考え方を提供した。これは未来に起こる 

ことを数学で割り出そうという大変野心的なもので、パスカル 

もそれを意識したのだろう。神への存在よりも神への賭け 

を推奨している。それは神を信じたほうが、信じないよりも 

人生において一層お得で、賭けない手はありません、という 

書き方でそれなりに面白い。確率の考え方を信仰にも応用

したかったのだろう。それを人生の賭けに例えたのだから、 

相当な自信だ。 

こういう具合に神への信仰はプライドが守るべきものとして 

西洋では精神進化した。それが旧約聖書からの西洋世界で 

ある。中世、教会の政治的都合でキリストの生誕の翌年に 

紀元が改められたので、キリスト生誕は紀元元年の前年で 

ある。初めは紀元元年だったのが、変えられたので、紀元前 

1年が誕生の年、ま、いろいろ。 

いろいろあって、日本の応仁の乱くらいの事件になったのが、 

1095年で、その時聖地エルサレムはイスラム教国の支配下 

だった。東ローマ帝国がローマ法王に聖地奪還の許可を求め 

たのが十字軍のきっかけになった。これは突き詰めれば、 

プライドの問題で、原因は旧約聖書の神様の利己的な教えの 

影響だった。  

キリスト教以外は異端である、ということで動物以下になった。 

何をしてもかまわない。これはアメリカの黒人奴隷から、黒人 

差別にまで濃い影を落としている。 

エルサレムに侵攻した十字軍は子供も女の区別なく、刺し殺し、 

犯し、家を焼いた。ローマ教皇の大義があるから、平気だったの 

だろう。ただの大虐殺だった。 

そして、現在のパレスチナ問題に一直線でつながるのは、もう 

言わずとも予想がついただろう、と。 キリスト教の歴史は戦争の 

歴史だと小林(秀雄)も言っていたが、同時に他で、キリストの 

神の国(天国?)というのはわからない、とも洩らしていた。 

旧約の神についてはここで書かない。ただ、最高善の神について

は書いておかなくては。 

そういう神の存在については、僕等ではあり得そうもない、という

のみで、どうということは言えない。それだけの判断の手段にしろ、 

感覚にしろ、人間はわずかしかもっていない。それでは役に立た 

ない。むしろ、動物の種のどれかがそれを備えているほうが、 

あり得る気がする。彼らには、猫にしろ、犬にしろ、鳥にしろ、 

身近なので彼らの日頃の観察・情報から鑑みるに、大いに 

可能性がある。 

それにしても、神は僕らに関心はないだろう。それは僕らの

感情を基にしてではないから、僕らが関心がないという 

意味での無関心ではないはずだ。では、どういうものか? 

と聞かれても、わからない。わかっていたら、できる限りで 

も説明する。またはここまでしか言えない、と言って。 

が、それはない。愛の洪水にのたうち回って喜んでいる 

だけの僕のように小さな人間にその全体の、その一端でも 

感じたり、わかったりすることはないと思う。 

だから、簡単。神について言うことは何もない。否定も 

肯定もできない。それを信じるとか言う人は、その人の 

自由勝手だと思う。それで相手に悪い感情はもたない、 

と思うがキリスト教信者へは気味悪さの感はある。 

これは個人的体験で、地域のことであるが、杉並のキリスト 

教会に行ってみたことがある。どんな礼拝をしているのか、 

興味があったからだ。すると、7,8名か、教会内でアーメン 

という声が響いた。その声があまりに恨みにも似た情念が 

こもった切な祈りであったので、これはかなわない、と早々 

にそこを立ち去った。切実すぎる。 

小林さんはキリスト教徒の同輩と議論をしていて、とうとう 

相手を殴ってしまった話がある。彼はとことんまで議論して、 

相手が泣くまで追求するという癖のある人間だ、誰でも 

許しますという愛のオーラの態度で来られて、一向議論に 

ならない相手に業を煮やしたのではないか、と想像する。 

ま、当時のバンカラでもあったのだろう。バンカラは明治期 

のハイカラに逆らった粗野を表に出した硬派のことだ。 


神への僕の考えは、ふつうに僕の世界体験を広げて、 

敷いたものだ。だから、参考にはならないが、一応の 

ことは書いておこう。 

この世はどうひっくり返して見ても美しい。どうひっくり 

返しても、僕らがほんとうに懸命であるなら、どうにかなる。 

それが僕の体験だった。 他にない。それが僕の場合、だ。 

何度死んでも、死にそうになっても、死ななかったし、それで 

精神も病むことはなかった。精神を病んだ人たちの近くで 

働いて、やや交流もして、そこから無意識への突入の決意を 

固めたことは、偶然には思えない。 

この世の自然にすべてがあり、それは人間への贈り物でもあり、 

また人の営みにはしあわせのすべてがある。完全に幸福な者 

もまた完全に不幸な者もいない。それは逃げ口上でもあり、 

また真実でもあるからだ。言葉で語る以上、すべての真理は 

現わすことが不可避であっても不可能だ。 

それは一つに、言葉の性質による。日本語でワンワン、英語で 

バウワウ、と犬の擬声語が違うが、どちらも一部で正解だが、 

実際には聞いてみて、自分でそれを言葉に直してみると 

わかる。僕には半音も含め、3種類の音声が一緒くたに 

なって聞こえる。同時に聞こえるそれを、正確に音にする 

のは無理だと、すぐにわかる。 

だから言葉はいい加減・おおよそを伝えるに便利だが、 

計数機の数値や機械用語、専門用語で語るようには 

いかない。それを使うにしても、それを理解するための 

資格や訓練が必要になる、という言葉の逆効果・逆症状。 


何もしなくても、日々の必要な労働で僕らは生きていくことが 

できるように生まれている。人間として教育を受けて、15歳を 

越えるくらいで後は一人でも、人間として生きられる。それまで

に例えば、動物に育てられたりすると、悲劇でその動物になる。 

なろうという、精神進化や体の進化に取って代わられる。 

それが自然の法なのだろう、オオカミに育てられた子は、 

野生のオオカミが10年の寿命、人に飼われて20年、という 

その20年しか生きられない。思春期には女の子に抱きついて 

ただ泣くだけだったという。どうして女の子に惹かれるか、自分 

がわからなかったのだろう。魚に育てられることはないだろう 

から、魚になることはないだろう(笑)。熊に育てられれば、 

木登りはうまくなり、力も強くなる?(笑) 

それで神がいてもいなくても、僕らには縁のないことだと。 

僕らの憧れから生まれるような人間の投影の神は、やはり 

世間の古代からの誤解にとどまるだろう。それよりもこの世 

を理解すれば、そのまま僕らは支えられ、安心だけでは 

不用心だが、健全な方向さえ見誤まらなければ、なんの 

心配もなく暮らしていける世界だということだ。最後の 

農作業をしながら、農場で倒れ、ふっと亡くなってしまう。 

そういう世界なのだ、本来この世は。 まるで神という良き 

隣人がこの世を用意したかのように、僕らはそれに気づけば 

いい、が、この世はプライドの使い方を間違えて、不適応に 

不幸になる人が多いから、それに対してこちらもプライドに 

不用意に同調したり、支配されたりしないで、プライド(自分 

と知性の合体品から出る香水?)を嗅ぎ分けうまく調整・調教 

することだ。

何度も言うが、知性・自己はそれを支える自立する本体を 

持たない。だから、なにかに依存して、それを確立すること

を目指す。自分で自分を保証しようとするから(実際にそれ 

はできない)、潜在的に不安になる。それから逃げると、

プライドを満たす要件で求めるから、運命・占い・神・宗教・ 

趣味・園芸・映画・小説・贅沢・見た目良さ・という憧れに 

依存しようとする。それが罠の入り口で足を突っ込んでいる 

うちに無気力・無感情・無関心が忍び寄り、病的になると 

うつ症状が来る。鬱は健康でも、状況が悪くなれば、症状 

として心に危険を知らせる。鬱の薬はないから、医者で 

もらった薬を使用すると、かなりの確率で、60%以上?、 

悪化してしまう。医者に行ってほんとうのうつ病になって 

しまう。医者は米国のマニュアルしか知らない。 

そうして、知は考えるから、どんどん否定面に入って 

しまう。暗く考えやすいのは僕の知の特徴のようなもの、 

本人はすぐに方向を調整してしまう。 

窓から本日の、曇り空を見ればいい。遠くの光り輝く白い 

雲も、近くの暗い雨雲も同じ雲なのだ。僕らはどちらか 

しか見ない。そして、見ていれば、どちらも美しい。 

雲は天才である、と著名な誰かが言ってたな。 

表現はともかく、僕はああいう天空の島が欲しいな。

無人島で。 

スクリーンショット11 (2).png

天馬は自分で飛んでいるつもりなのだ。夢の蝶と 

一緒だから飛べるのだろう。



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妄想体験とや (自己知を) [妄想]

自分が何をしたいかもわからない時を、自分に 

尋ねる用意がない時でもあると、そう思うことは 

なにかのルールに従っているだろうか、とか 

そんなことを考えるようになった。 

それはまるで監視カメラのようなしぐさで、 

背後やつけてくる何らかの存在を警戒すること 

でもあると思うのだが、それは僕には単純な  

理由から出てくる。僕らの行為はどんな前意識 

によって規制せられて、形成しているのかを 

知ろうとするからだ。それは前を見ながらでも 

後方を気にするような、背中についた眼のような 

ものだろう。 

どうしてそんな神経質なことが始まったかというと、  

ずいぶん古い話だ。誤解を受けて、陥れられる 

という経験をすると、目に見えない存在を気にする 

ようになるからだ。それは神のようなものだ。しかし、 

神を気にするとはそのまま、悪魔を気にするのと同じ 

ことだと気づいて*から、悪魔大全という本を読んでみた。 

イメージの悪魔は邪悪で知恵が働く恐ろしい存在だと 

アメリカ文化で植え付けられていたから、本は役に立った。 

なんとなく感じてはいたが、悪魔はやはりイメージという  

たんなる概念の存在だった。怖いのは人間だった。邪悪さ 

を求めるのは人間の貧しい、偏見な、卑しい性(さが)で、 

虐げられるとその方向に進む人が出る。しかし、本の 

どこを読んでも悪魔を崇拝する人間が変身した悪霊が 

出てくるだけで、その因である悪魔親分は姿を確認しな 

かった。この長い歴史で、一度もその確認の証明は  

どこにもない。少し考えたら、それは当たり前だと気づいた。 

僕らの考える一般のありがたい神が概念存在にすぎないなら、 

そこからしか生まれない悪魔という反対のイメージが実存在  

するはずもない。 そういうことだった。 

それで無用の恐怖は取り除かれた。ただ、悪魔崇拝や求める 

人びと、それと同じくらい信じようとする人々、アメリカでは 

ほぼ信じられているから、長い信仰は方向を誤ると、碌な 

ものではないと、思った。 エクソシスト(悪魔祓い)の映画で 

気絶する婦人方がいたのも、そういう訳だ。アメリカでは 

実際に悪魔的な能力でキリストの母、マリアに化けて 

奇跡現象を起こし、少女を誘い、殺してしまった司祭だった 

悪霊(人間)は存在したと、僕は考えている。


僕の最大の錯覚・妄想の話がある。それは何度か話した。 

が、ここでもう少し、明瞭に思い出して、付け加える事実は 

ないか検討したくなった。少し、つきあってもらう。 

ヒトラーのいろいろ本を集めていた。彼が悪魔だという小林 

の言葉もあり、そのイメージは強かった。沖縄へ初めて行く 

ことになっていた。飛行機の予約を断りたくなかっただけだが、 

風邪をひいたと思った。それが行く日が近づくにつれ、ますます 

ひどくなった。熱も出始めたが、解熱と風邪の薬を携帯して 

飛び立った。そういう時は思うようにならない、のはどうして 

だろうか。体でも体が、心でも悪ければ心がよくならないし、 

悪い方向に進むのはどうしてか? 

薬で抑えたが、非常に不愉快な気分で景色も太陽も楽しむ 

ことはできなかった。ふらつく頭で、せめて帰りの日に 

空港へ行く時間までどこかの映画館で時間をつぶそうと 

思った。探して、時間の合う映画を観た。清潔な二枚目の 

イメージのあるケビン・コスナーが主演の映画だったが、 

内容は半悪役で、殺人鬼?のストーリーだった。精神を 

病んでいるのだろう、殺しが性なのだ。その娘もやがて 

父親と同じように殺人に手を染める。 アメリカの病巣 

心理らしい。父親が殺人に目覚めた娘に殺される夢から 

覚めて、これから二人どうなるか、というのが最後の  

シーンで、結末のない映画だった。熱のある時に、どうして 

こういう意に沿わない珍しい映画を選んでしまうか、この 

パターンは不思議に定まっていた。 

問題は帰ってきてからだった。 

調べると、平成20年の9月、今から13年前だ。まだ 

無意識にたどり着いていない(未交渉)。  

たぶん、持病が起きたのだろう。薬で抑えられていたが、 

旅行で疲れていて、微熱が残っていた。確たる病気 

ではない、確たる病状のない、だるい精神状態。 

僕は3万人のユダヤ人の亡霊に囲まれていた。この 

時に僕はまだ僕にそれを引き寄せた愛(の死霊?) 

が隣にいることは知らなかった。その発見まではまだ 

3,4年があった。 

熱に浮かされているからか、恐怖はなかった。自分が 

それを信じ切ってはいないのも、感じていた。それでも 

そういう亡霊を感じているという、事実があった。これを 

どうしようか考えた。帰ってもらうしかない、そう思った、 

僕にホロコーストの悲惨から解放する力があるとは 

思えなかった。3万人だ、家でそれを説明する場所は 

ない。僕はその晩から、相模川の河原に出かけた。 

河原なら、対岸にそれくらい収容できる広さがある。 

僕は演説した。君たちが来たところへ帰るように、 

それは墓場だろうけれど、説得を試みた。30分 

話した。頭のどこかで、不思議だった。見えもしない 

亡霊という錯覚に対して、無駄に話しかけている、 

それが現実なのだから、怪しい。 妄想だろう、と 

思っていたが、妄想に囚われているのではなく、 

その現実に対して、現実的な対応をしているつもり 

だった。はっきり意識していたわけではないが、これ 

にはアフリカの呪術が利くと考えていた。呪術師は 

病気になった人に「あなたの病気はこの筒の中に 

入った」と、そしてその筒を捨ててしまう。それで 

病気は去ったから、もう大丈夫、と。村は共同体で 

あるばかりでなく、共同幻想体でもある。宗教染み 

たことは全員が信じていて、呪術師は一種の神で 

あるから、村民はその人が治った、と言えば信じる 

のだ。その村民自体も自己催眠にかけられるし、 

また自身も自分にかけるのだ。そして実際に治って 

しまう。これは反対に呪いも同じ作用で、同じ村民には 

強烈に効いてしまう。体の骨が折れてしまうことの程でも 

自分で自分の体に起こしてしまう。これが僕らの信じる 

力の逆作用だ。 ブードゥーの呪いはこれを利用している。 

恐ろしいことが実際に起こる。催眠術でやけどをおこさせ

ると、ほんとうに皮膚にやけどが広がる。不思議だが、僕 

らは信じるとなんでも起こせる。 

僕は半無意識にこれを利用したのだろう。その知識は 

あったから。しかし、そのひと晩では済まなかった。3万人が 

1万人に減っただけだった。次の晩も、しかたなく? 

相模川の河原に出かけた。少し、時間は短かっただろうが、 

また無駄な演説をした。そして、その次の晩も。1000人の 

亡霊?を相手に演説をぶった。それからはもう行かなかった。 

残っていてもかまうものか、諦めて帰ってもらうしかない。 

そうして、それから3日後には僕のしつこい微熱も下がり、 

収まった。自己催眠は成功したようだ。起こっていると思う 

事実を迷信とか、妄想と否定するのはやさしい。だが、それ 

では解決しない。その人が納得・満足する方法・やり方で 

対処してやるのが正しい。その時、常識という知識では 

対応できない、不適応になることがある。だから、そこでは 

既成概念・偏見・常識・世間の通念という自分を捨てて、 

臨機応変に対することが肝心になる。そういう時は、自分の 

信じる正しさのほうが迷信になることを知る、のは困難な 

ことだ。 

それでは、何を信じればいいのだ?となるが、それはない。 

だから、僕らは常識を頼りにする、それで社会に寄り添える 

から7,80%の正しさで世渡りはできるから。 

僕らが世代交代とか、世代の意識が違うのは、お互いの 

迷信を信じ、新しい迷信がいつも生まれるからだ。 それは 

その時代や世代で、古くなり、新しくなるものの、混成なのだ。 

だから、今は現時点で判断できない。子供の反抗期は健全な 

意識の発達で親の迷信・規律から離れようとする心の運動 

なのだ。親が最高の対応するには、自分を殺すしかない。 

なんだ、自己知を知らずに実施している親もいるわけだ。 

もっとも、現実には問題は複雑な要因がからんで、自分を 

殺せばいい、とかで片付かないことのほうが多い。 

 
もう亡くなったが、娘アンナが悪い男を好きになった時に 

父だった俳優、梅宮辰夫が言った言葉が思い出される。 

なぐってわかるんなら、殴ってるよ、と。殴って問題は 

解決しないとわかっていた。初めは口喧嘩もしたのだろう、 

父親としては、強引に別れさせるのではなく、娘が気づく 

まで、正しい情報を伝え続けるしかなかった。そして、なる 

ようになった。 

いろいろだ。






*  ::
僕らの頭がこさえるものは、その対象物がついてくる。 

これは習慣からだろう。実際に対象はないからだ。 

それはイメージに集約される。旧約聖書の神からは 

それはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の唯一神と 

されているのだが、彼の性格から(人間を虐めること 

もあり、それは盲目にしたり、子供を生贄にしろとか、 

手厳しい)相対して、悪魔の性格が映し出される。 

鏡に映った姿という。 

善悪とか、真偽とか、黒白とか、清濁とか、愛憎 

とか、反対物を生み出すのは知性の癖であり、 

習慣であり、本質である。だから、神という 

(一般に)最高善の存在を求めた時に、イメージとして 

最悪のものが浮かび上がるのも、自然なことだった 

ろう。それですべての宗教経典には、いいことが 

教えとして含まれる。そういうものは批判や否定の 

対象ではないが、細かく分離できない。それに 

どこがよくて、どこがよくないということを示している  

のではないのだから。妄想とか、神とか、悪魔とか 

ほんとうはどうでもいいんだが、それを言うと、 

真面目ではないし、無責任・投げやりに思われてしまう。 

存在しないものに証明を求めても仕方ない。哲学とか、 

それ以前に僕らが信じなければならなかった、そういう 

事情が古い歴史のどこかにあったはずだ。3000年も 

以前に。 だから、現代なら神という彼が現れて、テレビ 

にも全世界放送に出て私はこうで、こう考えるし、こういう 

存在なんです、と人に丁寧親切に説明、語りかけてくれて、 

それで本物といえるだろう。 

僕らがガタガタ言って、それがなんだと言うんだろう。 

その人が目の前にいないのだから、それはただのあなた 

の意見、ではないか、と見えてしまう。僕はその人間を

信じることと、その人の意見を疑うことは別々のことだと  

思っている。親は僕を愛している、けれど、僕たち子供を  

わかってくれているとは限らない、そう思うんだが、 ・・・。



次回は、神への肯定を予定している。
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漱石のパリ [漱石]

夏目漱石の第1稿を書こうと思うが、それは下の「漱石の 

パリ日記」が届いたからだ。以前に書いたのは、漱石に 

重要な転機を与えたのは、ロンドンはそうだが、その前に 

立ち寄ったフランスのパリ万博の1週間が大きいという 

ことを言った。その資料は見つからなかったが、ある処から 

この本が出ているのを知って、取り寄せたら、なかなか有望 

だという気がする、楽しんで読むつもりもなく、200頁なので、 

ほぼ1頁2秒ペースで資料読みで読んでしまった。全頁を 

通して、気になる処だけ注意して詳しく読んだが、このほうが 

楽だった。1時間もかからない。

漱石のパリ日記2.JPG


あとから、付箋を眺めてみると、意外に多かった。16か所に

なった。ここは書いてしまわなければと思うくらいに、不調で、

頭がはっきりしない。 不調と言っても書けない不調もあれば、 

気を入れて書ける不調もある。 

最近は明治期に集中することが多いので、2階のトイレに 

入ろうとして、明治の空気の匂いを感じて、しばし、明治に 

いるようだった。そして、意識の分析をすると、こうだった。 

瞬間、明治のなんらかの写真とか風俗絵の記憶に触れたが、 

それを1,2秒の記憶に引き伸ばした。瞬間はほぼ記憶に 

ならない。それでその1,2秒を捉えて、その匂いをさらに 

余韻として伸ばした。かくして、1分弱は明治にいるような 

錯覚に浸れたということである。これは思い出すことと 

ずいぶん違う。思い出は感情に結び付いているので、それ 

に浸ると長くなるが、僕のは匂う記憶、というようなもので、 

長くは引き延ばせない。明治はすぐに消えた。 

そのあとで、ポストに「漱石のパリ日記」を見つけたので、 

やっつけてしまう気になった、という経過だ。 

この頃の漱石は英文学に迷っている。自分の仕事として 

それに一生を捧げる意義を見出せないからだ。この英国 

留学にしても、はじめは断りに行っている。確か、英語の 

ためではわからないから遠慮する、とかで固く考えないで 

いい、というので、自己流に英文学と受け取ってもいいの 

だろう、とそれなら断る理由もなくなるので、引き受けた、 

と言った次第だと記憶している。その個所を探したが、 

見つからない。 

渡欧の前に、親友の正岡子規のところに病床見舞いに 

寺田寅彦と行く。その時、談笑したようなことが書いて 

あるが、それはないだろう。明治29年から子規は病状 

が重くなるのに苦しめられている。激痛に泣いている。 

漱石も人相も変わってしまったであろう子規に世間話 

でもなかっただろう。 

現にこの9か月後には日本洋画家の中村不折が渡欧 

する前に来たが、もうこれきりとわかるくらい衰弱して 

いたらしい。二人は言葉を交わさないまま、別れたという。 

ミイラのようだったと、他にも記述がある。 

不思議なのは、そういう子規への評論の扱いである。 

僕は偶然、ネットで漱石の「京へ着ける夕」を、短文だが、 

読んで、子規と漱石はふつうではないと感ぜざるを得な 

かった。

「あの赤い下品な肉太にくぶとな字を見ると、京都を稲妻いなずま

の迅すみやかなる閃ひらめきのうちに思い出す。同時に――ああ

子規は死んでしまった。糸瓜へちまのごとく干枯ひからびて死ん

でしまった。」(京へ着ける夕)


子規は結核菌が脊椎カリエスを起こしたとか、なんとか 

だったらしいが、強靭な精神力で喀血しながら、最後まで 

書や絵、俳句を書いていた。帰省する折だろうか、奈良 

に遊び、そこで発句した、<柿くヘば 鐘が鳴るなり 法隆寺>  

が有名で、よく知られている。 

その子規だが、漱石は「ああ子規は死んでしまった」と 

いうようには書かない人間だ。それをそう書いたの 

だから、そこにどんな慟哭があったか、と僕は思ったの 

だが、文豪も京都は寒いとか、そんな感想文が目立って 

いる。評論家も同じだ。 最後の文章が寒さの極めつけ 

で決まっているからだ。その文章もすごいが、それは 

子規を思い出す背景に重なっている。 

どうもこう書いていても、いまだパリが西欧の第一印象 

で、それが重要な作用を及ぼしたはずだ、までしか 

言えない。そこだけ書いておこう。 

パリの日本公使館に二等書記官である安達峰一郎 

がいて、彼は仏語に堪能で、イタリア語も英語も 

できた。漱石は彼との会話で刺激を受けたらしく、 

「僕は順に行けば来年の十月末もしくは十一月 

初めに帰朝するのだが少し仏蘭西に行っていたい。 

どうも仏蘭西語が出来んと不都合だ。せっかく洋行 

のついでにやって行きたいが四ヵ月か五ヵ月で 

いいが留学延期をして仏蘭西に行くことは出来まい 

か。狩野君から上田君に話してもらいたい」と、 

翌年の2月に手紙を書いている。長い、ロンドン生活 

について綴った後に、である。

パリ万博や「巴里の繁華と堕落は驚くべきものなり」 

と日記に書いた漱石がそこまでフランス語にこだわった 

のはどんな理由だったか。

帰朝して、その後、男の子が二人生まれ、彼らにも 

フランス語を習わそうとしている。明治四十年、四十一 

年に生まれた子らである。鏡子夫人の「漱石の思い出」 

に、学校は「暁星」がいい、と言ったそうだ。その理由は 

「まず小学校でフランス語をやる。中学へ行ってそれに 

英語が加わる。しかしほかの中学よりは程度が落ちる 

というから、中学へ行ったら英語は自分が教える。それ 

から高等学校へ行ったらドイツ語を教わる。すると大学 

へ行ったころには英仏独三か国語に通じることができる」 

というもので、それから暁星から帰ってきた二人に自分で 

フランス語の復習をさせた。「それを隣の部屋できいて 

ますと、莫迦野郎、莫迦野郎の連発で、とうとうしまいには 

男の子が泣き泣き書斎から出てくる」と、なったらしい。 

これには、可笑しくて爆笑してしまったが、漱石の西欧の 

文明文化への強烈な関心は、そのまま日本の文明開化 

への疑心という裏返しであった気がする。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 
::
その前にパリ万博の規模や性格とロンドンでの生活を 

調べる必要があるだろう。

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夏休みらしさと、雨のアプローチ [夏]

まだ決まらない。決まっていたのだが、いざ書く段になると、 

異なった道筋から書きたい気がしている。 

少しだけ書いておこう。子供が幼稚園だったから、僕は 

30代後半だったろう。息子のクラスに乱暴な子がいて、 

どうしようかというような話だったと思う。すかさず、やっち 

まうしかないな、と息子をけしかけた。まだ子供の頃は 

それを見過ごさずに、直接相手と対決・対話することが 

必要だとは知っていたので、子供の頃は喧嘩が手っ取り 

早かった。今ほど確信していたのではなかったが、 

プライドが発達する前に暴力を経験することは大事なこと 

だと感じていた。勝っても負けても、そこは子供なのだ。 

いずれ、自分で修正する。息子は喧嘩に勝ったらしい。 

呼び出されたのは母親だろう、僕にその記憶はないから。 

クラスの周囲からはよくやった、みたいな声があったらしい、 

と聞いた。そして、その子と仲直りした。それで息子は 

もう喧嘩はしないと決めたのだろう。それは成功に見えたが、 

副作用もあった。父親の僕を恐れはじめたらしい。喧嘩を 

推奨したからだろう。それは時間に修正されたが、ある時、 

なにかは忘れたが、息子をその時小学生だったか、激しく 

叱責したことがあった。漱石のように短気だったが、明治の 

時代ではない、すぐに度が過ぎていたと反省した、謝らなけ 

ればと思った。すぐに謝らなければ、たぶんもう謝る機会は 

なくなるだろう、と。 

それで気が変わる前に、取って返して、息子に謝った。と、 

事実はそうだが、この謝るには大きな葛藤があった。父親が 

謝ることはないというプライドが立ちはだかったのだ。 

それを押しのけての謝罪で、その瞬間の強い葛藤は家族の 

誰かは感じたのかもしれない。が、僕にはわからない。その 

きつさだけが記憶に残っているからだ。謝るのって、簡単じゃ 

なかった。 



知識というのは学問の匂いがするが、その特定の分野で 

人の知らない知識を持っていることはあっても、知識が 

すべて学問的で、専門的であるという人はいない。 

僕はそう考えてみて、自分の知識が相対で中学生レベル 

ではないか、と思った。知識のほぼすべては派生したもの

で、枝葉末葉が膨大にあるといった、その根本・芯は 

わずかであるのが通常だ。だから、理想の空想じみたこと 

を言えば、物事の根本とそれらの関係性が理解できれば、 

それはすべてが因果に見える。そこからすべてが説明 

できるはずだ。これは知的な想像ごとで、実際にはその 

バージョンとかバラエティとか、バリエイション次第で、 

それを固定させることができないから、T.P.O.(時間・場所・ 

場合)という現実の現象・事象の様相に合わせて、知識を 

活用することが求められる。昨日は晴れていたが、今日は 

雨だとか、昨日は社長はご機嫌だったが、今日は機嫌が 

悪いといったようなことの、もう少し込み入って複雑な 

複層・階層の諸事情を勘案した様相のことだ。 

それらは枝葉末葉の知識を動員しても解決しない。ただ 

混乱を増やすだけだ。そこにどの知識を動員して、いかに 

活用するかを判断するための、統合の知恵が要る。 

それは経験を重ねた熟練者が必要だということで、有体 

に言えば、失敗を多く経験して、それを肥やしにしてきた 

という経験だ。つまり、知識を正しく適応させて使うため 

には、そのために失敗の経験の積み重ねとそれを活かす 

ための努力をすることを怠らないことが必須になる。 

だから、今のうちに自己保身の姿勢が固まらないうちに 

できないと考えていることでも、どんどんやって経験を 

積むのが早道で役立つ。それはその時の自分の限界を 

知ることが、それこそが自分を知る王道だから。 

まず、失敗してその位置を確かめることで、その後に 

ステップアップをする時に、自分の成長の刻み方が 

わかるし、成長した結果を受け止めることができる。 



今日は曇り空の下、図書館の隣で盆地になった広い 

公園に行った。樹木が多いので、すり鉢を円に沿うよう 

に下りの道が整備されていて、渦巻きを描くように 

一周して、底にあたる池まで下りる分かれ道がいくつか 

ある。ブナを食べる虫がいるらしく、カバーで養生して 

いたり、虫殺しの液体に誘い込むトラップが仕掛けられ 

ている。一本に10のトラップがあったが、その虫は 

写真が貼られていたが、一匹もいなかった。 

そういう養生を見ると、自分の動植物・昆虫に関する 

知識はいかに貧しいかがわかる。僕の想像は食い 

意地の張ったもので、ある特定の大きな葉の低葉木 

が隣の無被害な葉と比べて、ほぼ大きな穴だらけで 

食われているのを見て、その葉の区別がまったくでき 

ないのを知る。それよりも、その穴からイモ虫がその 

葉が大好物だったのでは、と思い、そいつはどれ 

くらいうまいと思いながら、その葉を食ったのだろう、 

と今度は自分もあく抜きをして、その葉を食べて 

みようかと、食欲を煽るのである。うまかんべぇ。 


シダ類の葉だろう、ネムリソウに似た葉に、丸まった 

広葉樹の葉がついている。これは知識が邪魔した。 

すぐに中にサナギが入っているのだろう、と。そっと 

していたら、それが間違いだとは気づかなかった。 

ちょっと吹いてみたら、葉はひっくり返って、裏側が 

見えた、何もいなかった。しかも、サナギが丸めた 

のではなく、自然に枯れて丸まったものだと。 


歩いているうちに雨がシトシト降り出してきた。頭上 

に樹木の葉があるうちはいいが、下まで行くと、休憩所 

までは濡れるだろうな、と。トイレに行く都合から、それ 

もしかたない。屋根のある池周辺の休憩小屋では 

家族連れやぶらぶら歩きの近隣の人が雨宿りを 

して、にぎわっている。 

民俗資料館のような古民家が建っていて、そこが 

公園で一番大きい建物だ。隣に公衆トイレ、その隣に 

なにやら道具や装具が入れてある、倉庫がある。 

よく繁った樹木の下の、木の根を模(かたど)った 

椅子の座っていると、隣の古民家の前で雨宿りを 

している婦人の話声が聞こえてくる。どうやら蛍が 

ここで見られるそうで、わぁ、私も見たいわ、という 

話だ。(実は急いで書いていて、これまでの話でも、 

端折っている。その感想を書いていたら、最後の話 

にとうてい行き着かない。ここも続けない) 


こんな公園でも一周歩くと20分か30分かはかかる。 

道も間違えると、反対方向に歩いていたりする。それで 

また池のほうへ戻ってきてしまった。雨が小やみになって 

休憩所を出てきたのだが、また降り出してきたので、屋根 

のある小屋でベンチに座った。隣り合わせのベンチに、 

もう一人婦人が坐った。そこへ小さな子供3人、一人は 

若い父親が前に抱えている、家族連れが来た。しばらく 

屋根の下にいたが、少し離れたベンチがあり、樹木の下 

なので父親がそちらへ移動した。上の男の子二人は 

雨も気にしないので、3段下がった扇形の踊り場へ出たり 

して、母親に注意されている。まだ驟雨は続く。 

10分もしたろうか、また小止みになってきた。そこで 

家族連れは移動し始めた。それと入れ替わるように 

何が来たかと言うと、飛んでいた。ヤンマだ。トンボの 

7,8の群れが飛び交っていた。そして、二匹で番(つがい) 

になって飛んでいるのが一組いた。その他のヤンマも 

塩ヤンマ、通称塩辛トンボでうす青い胴体が特徴だ。 

番の相手は黒に白い腹の模様だった。

この雨止み待ちが自然との扉を開いた。僕ら知的動物は 

この公園に目的をもってやって来る。子供のための 

家族サービスや、歩いて運動しての健康目的や、日曜の 

コロナ自粛の気晴らしとか。雨が降るまで休憩小屋は 

どこも無人だったに違いない。皆、せっせと自分の仕事

をしているのだ。

僕も歩きに来ている。自然のことは忘れて。人間の気は 

彼ら動植物・昆虫にとって殺気と同じである。残念ながら、 

これは事実だ。人間が考える時、意思決定する時、気を 

放つ。これは意識が飛ぶのですぐに感知できるらしい。 

新横浜の川べりを歩いていて、5m先でドボンッという音 

がしたら、それはカメが日光浴をしていて、人間が近づ 

いて来たのを察知して、川に飛び込んだのだ。まだ姿 

も見えていなかっただろう。 


シオカラトンボは2mまで近づいた。何度か来て、近づいて 

ホバリングしてからは、また飛び去るが、また来る。 

なんのことか?想像だが、警戒しているのだ。なにに? 

実はさっきから、番のメスが相手から分離して、一匹で 

卵を生みつける動作をしている。そのすぐ周りで飛んで、 

気遣っているようにも見えるのは、シオカラのオスだろう。 

その大事な作業に邪魔が入らないように他のオスの 

役目で人間の監視に当たっている、というのが僕の 

自然での経験から学んだ知識、そこからの推測だ。 

そして、驚くことにその場で謎が一つできた。その 

メスは踊り場の板の上の水たまりに卵を生みつけて 

いるのだ。たぶん、50回以上は移動して、生みつけ 

ただろう。これはどういうことか?そこは人間が歩き、 

踏む場所で水たまりも晴れれば、あっという間に乾いて 

卵は死んでしまうだろうに。 

初めに気づいたのは、雨が上がるだろう、ということだった。 

大雨になるのだったら、彼らはこの作業をしなかっただろう。 

天候については彼らはほぼ100%間違えないはずだから。 

あとは、今夜か明日の朝には雨が多量に降り、卵を池に 

踊り場の板の上から押し流すだろう、という推測だった。 

どうしてもトンボがこのやり方を最初からしていたとは 

思えなかった。雨が卵を流すという計算がなければ、 

この産卵行動は不可解だった。それとも1日や一晩で 

ある程度幼虫になり、池に流されても卵のままでいるよりは 

他の魚や昆虫に食べられてしまう危険性が低くできるの 

だろうか? 憶測はこれくらいだが、偶然だろうか、雨が 

止んで、薄日が見えた。 帰宅して天気予報は明日も 

雨模様だった。推測は正しいのかもしれない。しかし、 

それを早朝、見届けようというほどの、自然観察の好事家 

ではない。 



傘は車に置いてきたが、それがかえってよかった。自然と 

出会うにはどうしても、向うが隠れて警戒している防御を 

解除するまで待たなければならない。僕らは昆虫採集に、 

魚獲りに、植物・野鳥観察に、と殺気を発散して森や林に 

向かう。その目的のために静かにするのを学ぶが、それが 

どういうことなのかを学ぶことはない。学校でも聞いたこと 

はない。それで僕らは自然はそこにあると思っているが、 

そこにあるのは人間を察知していち早く姿を隠した、異常な、 

自然の営みのない自然の状態なのだ。逃げるもの、隠れた 

ものを追いかけていることを知らないのだ。彼らがいつもの 

活動をするのは、皮肉なことに人間が人間であってはなら 

ない、そういう儀式を必要とする。 

そうしてそれを知った者はそこには新しいことが頻繁に 

起こり、退屈しそうもない千変万化の世界だというのを 

わかってしまうのだ。大抵は動植物・昆虫の一分野で 

マニアになって、偏向してしまうのが惜しい。 



雨は今度はぶり返して降ることはなく、傘はいらなかった。 

市役所の駐車場までと、また家の近くの駐車場で車を置いて 

からもついに降らなかった。



公園で拾ってきたもの ::

IMGP0005.JPG

カラスの羽。

IMGP000455.JPG


バッタの踏まれてぺったんこ。
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呉越同舟のうざい様相 [うざい]

(長すぎたので、2回分に端折って読んでちょうどいい)


呉越同舟は呉という国と争っている越という国が、一時 

手を組んで共通の敵(または災害)に相対する、そして 

恨みも忘れるだろうという故事で、敵同士が 同じ船(目的) 

で一緒になることをいう。 中国の「孫子」からの故事。

僕等の人間観関係はもっと複雑で、そこから中国の 

春秋時代はもっと人柄が素直で、そういう故事が生まれ 

やすかったのだろう。 もっとも呉と越は37年争いを続け 

たそうだ。ヨーロッパでは、14世紀から15世紀にかけて 

イングランドとフランスとの間で百年戦争があった。これは 

領土の所有権をめぐっての争いだった。17世紀には 

カトリックとプロテスタントのあいだで宗教で争いが起こり、

次第に各国が加わり、これが30年の宗教戦争になった。

戦争が長引くのは、いつもそれが教訓だけでは、また 

語り継ぐだけでは抑止にならないことを示している。 

歴史は感情という要素が大きい。それは原因ではない。 

それは人々の感情が煽られ、為政者の思惑に従い、 

利用されるからだ。政治が操らない戦争はない。利益や 

意固地が導かない戦争もない。被害者である人びとだけが 

そこに参加するのは、せいぜい実戦で、弾に当たらない 

為政者の犠牲になるのみだ。だから、そこに戦争の悲惨の 

現実と真実がある。しかし、それだけである。 

常に人々はその国民感情を煽られ、利用され、戦争の犠牲 

であり、為政者・権力の理屈のあおりを食うのである。 

しかも、常に騙され続ける。そうして責任の一端を家族の 

死や苦痛によって支払わされるのだ。 

パレスチナ問題はそこに聖地エルサレムがあることによる。 

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地が共通のエルサレム 

だからだ。20世紀初頭にユダヤ人国家イスラエルを建国する、 

という宣言から緊張へ、そしてユダヤ人とアラブ人は戦闘へ突入 

した。キリスト教のプロテスタントとカトリックの争いよりも 

より複雑な様相を帯びている。 

停戦を幾度かして、そういう小休止の年間をはさみながら、 

戦争は継続している。通算で、2021年で百年を超えたところ 

だろう。 これは旧約聖書から関わる、古くて長期の問題で 

謂わば、西洋精神史だ。1000年の問題だから、2~3000年 

は解決まで直線で進んだとしても、その時間が必要だ。その 

期間を短くするのは、誰かが神の如くな力を行使できれば、 

簡単なのだが、 ・・・。 

それはエルサレムをまず、最初に沈めてエルサレム海にして 

しまうことだ。初めにエルサレムの地を3mほど沈めてしまう。

それから世界に提案する。10年間の余裕を与えるから、全人民 

のそれぞれの(貧民からも)代表を同数だけ選出して、平等な 

領土・国境・安全の保障を話し合い、宣言せよ、そうすれば土地 

を元に戻す、と。 さもないと、3年後にはさらに10m沈んで、 

オランダと同じと海抜にしてしまい、1年でそこに海水を満たして 

しまう、と。 ま、夢の話でそんな人は現れないだろう。 


それが別な解釈・提案の呉越同舟だ。 

その詳しい分析をすると、ほぼ感覚的な仮説にすぎないが、 

少しは見取り図の替わりになるかもしれない。 

敵を憎むと言っても100%憎むのは心の構造上?できない。 

表に出る部分が70%以上になって、残りは引っ込んでいる 

からそう見えるし、行動もそうなるからしかたないが、争って 

いても両国にまたがって彗星でも落ちてくるのがわかったと 

したら、協力して対策をせざるを得ない。その時、憎しみは 

お預けになる。どうなるのだろうか? 

たぶん、70だったら、49以下に抑える。初めから残った 

20か30を協力する体制を高める。それは嫌いの感情を 

抑える力と融和の感情と知性を高める力に分散されるので、 

バランスを取りながらするので、強力なリーダーシップも 

必要になるだろう。迅速な機動力がことを左右することに 

なるからだ。 このことが理解されるのならば、呉越同舟の 

仕組みのおおよそは想像できる。それは僕らの心に起こる 

ことと同じなのだ。理性的なるというのは、そのことをいう。 

僕等は心のリーダーになり、お互いに反する感情の分離を 

ある仕事で協力して、バランスで両立するように指揮しなくて 

はならない。無理を少なくして、我慢も自己主張もうまく配分 

させること。大変だが、できないことではない。 心なら、 

世界の強国のように(隠された)嘘をつく必要はないから。 

そして、それができないことが僕らの戦争状態を長引かせ 

ている。これを大局では心の問題は世界の問題と同じだ、 

と結びつけても構わないが、大事なのは小局でも大雑把には 

同じ部分から異なる要素に分かれる部分が広がり始める 

ことだ。これはそれぞれ個人の事情が異なるのを思えば、 

速く理解できるだろう。  大元は理論的に言えるが、実際は 

複雑になりゆくので、その理論ですべてを押し通そうとすると、 

間違いを犯すことになる。 

それなら、そこで呉越同舟を思い出しても、いいのではないか。 

あなたとあなたがこさえた自分という世間、その間にある、 

本来の争いがあるはずなのだ。それをどちらかがどちらかを 

抑え込もうとして、争い(不適応からの葛藤、自分同士の抵抗) 

になり、それが不安や迷いを誘って、それが憂鬱や孤独を呼び 

寄せる。どう?簡単なシステムでしょう? 

ここまでは以前にも語っていたことなので、呉越同舟を例えに 

出しただけで、新しいものはない。 

自分をもう一つの側面から見ると、それは僕らが子供から 

青年、大人へと変わってきたことがある。その間、自分は同じ 

だったか?同じだったら、気持ちも考えも変わることはなかった 

だろう。だから、自分は体に成長戦略があるように、多少だが、 

成長はあった。自分が萎縮するのは自前のもので、体より早い。

それは自己保身や経験の失敗を固執することや老化へと反応 

することで自己証明されているが、細かくは意見がいくつもある 

だろう。自分を知るのは、推奨されているのは知っているが、 

流行らない。なぜか?いいことだと哲学的に思われているが、 

教育項目にも上らない。それは誰もが嫌がってしないし、誰もが 

嫌がるだろうと、内心、知っているからだ。それは内面的なことで 

知識を身に着ける、向上心や好奇心を満足させる陽性な面では 

ないからだ。むしろ、陰性で自分を止めなければならない。 

自分は日々、進化していってしまうのでその時にその場で止めて、 

チェックしなければ知ることができない。それもただ止めるなら、 

道徳で縛ればいいが、それ以上に無意味なことをしなければ 

ならない。 

動かない・退屈・無意味と来ては、ただ苦しいだけだ。 

そして、肝心なのは、自分を殺すことだ(精神的だが)。 これが 

最も大きい要素だ。生きるのを精神で止めるのだから、それは 

体で言えば、殺す、精神を殺すことだ。これが自然の本能に 

逆らうことになる。それを本能的に感じるから、正しく反応して 

僕等は自分を知ろうとしないのだ、挫折した時とか、必要な 

範囲でしか、それに出会わない、出会おうとしない、真の意味で。 



動いて変化してゆくものは、一緒に流されて生きるのでは、 

同じ時間にいることにならない。外の影響に寄り添った時間に 

支配されている。それも自分を止めてみないとわからない。 

誰も自分を殺す時間を持ちたくない。それが自分を知るのに、 

根本的な難関になっていると、僕は考えている。 

だから、これまではその必要がある人だけが、その道に入った 

ようだ。上山春平という人は若い時、縄で首つりをしたが、縄が 

切れて、2回とも生きてしまった。空海が自殺しようとして、 

やはり3回死のうとして、奇跡的に3回とも助かってしまう

伝説?を知っていたので、そこに縁を感じて、自らも仏門に 

入った。哲学者となり、京大の名誉教授になった、とか。 

悟りに関わったのだろう、空海も上山も。 

これまではそういう少数派がその伝統をつなげてきた。 

しかし、なにしろ自分殺人をできるか、という考えさせ 

られる事件だから、これをうまく裁判で審判を下せないだろう。 

というのが、一般に考えられているようには、自分を知るという 

作業がむずかしい、ということだと。

さて、ではそれではそれに対して、呉越同舟を利用して、知る 

行動に役立てられるだろうか。ま、今思いついたので、(心もと 

ないが)心は確かに一度止めて見渡し・見透しをよくしないと、 

見たものが見ていないになってしまうだろう。まず、自分の内の 

敵をどうにかしないと。

人の肉体を殺すのは単純なことだが、社会でそれを隠し、生き 

延びるのは大変困難だし、予想外に後悔に責められる人、 

亡霊に悩まされる人がいる。それもそうだが、ばらばらの肉体

から、または死体を蘇生されるのは、今はできない。 

それで精神を殺して、または殺すほどに止めて、そこから 

蘇生するのは、その帰った精神の健全を保証したり、安全を 

宣伝はできないから、そこはほんとうにそうした変人しかいな 

かった。僕は通ってしまった道だから、振り返ることはないが、 

精神を守ろうなどと考える暇はなかった。残そうと思っていたら、 

その何かには触れえない。わかるのはそれだけだ。 

そう思うと、指が止まる。感興が蘇ろうとするからだ。夜に  

広がるどこまでも光速で進行する彷徨、そんな夜が幾夜も 

幾千夜もあったではないか。

疲れるな、そんなことしか言えなくなったか。ああ、今言い 

たいのは、たぶん愚痴なのだ。それは言わないでいいこと。 

僕等の暗黙の了解ではないか。どんなにそれめいても、 

それがユーモアやプラスの言葉で昇華されなければ、 

人には受けない。僕らはそういう消化を求めている。 

小説やドラマでも読者や視聴者を意識しない作者は 

存在しない。だからと言って、それがどうしたではない、 

というのも変だ。残り心、30%からそれらしきものを 

探ってみる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、 


昼間、 空気は夏の香りがした。  

曇りで、 湿気は80%だそうだ。その匂いなのだろうか。 

それはやはり、過去からの記憶からだった。 あの頃の 

夏はこの空気だった。それは数字ではないばかりか、 

想い出の雰囲気の、わずかなかけら、というのも 

かすめた。

ヤバい、 かなり。 

生きてない。 なにに対しても、すべてに無関心だぞ。 

ヤバい。すべて 無意味に見えるぞ。 

涙にかなり感動しやすいのに、環境にまったく無感動。  

それもリズムや回転スピードで。 

誰かと 話せば  手がかりがつかめる。お互いの反応を 

チェックできるから。夜勤のお姉さんとか、どこかにいないか。 

かなり、ヤバい、 相談者。   クライ、 CRy、 

答えは  そう、歌詞にもある、 わかりたくない 

とても きれいだ    そうか?  

積み木だって   やたらに  組み替えられない  

そこを抜いたら、  全部崩れても  ありおりはべり、だよ 

腸詰めのソーセージに  なって  

筋肉のなかを  滑っている  

まだ、 終わらない、  エッ、  なんで? 

ここは  逃げ場所じゃないだろう、  

ちゃんと  見つめようよ。  

どうやって僕は、逃走した自分を捕まえているのだろう? 

そんなことは思ってもみなかった。自分を見失うから  

詩想が、意識の断片となって彷徨するとは。そういう 

カメラの位置は想像しなかった。

ところで、 と、聞きたいよ、 君は影だから、僕を見ても 

いないし、それどころか、わけがわからないのだろう。 

僕は君をそれなりに列に並ばせて、調整していたつもり  

だったけれど、自分に必要な、例えば栄養素のようなものを 

忘れていたのじゃないか、と思ったりする。 

これは何?ときみに尋ねたりする質問じゃないのだろう。 

僕はそこで君を梃子にして心をかき回してたんじゃ 

なかろうかい? それを希薄にしてしまうと、僕の知性も 

薄い割れやすいガラス板になってしまうのか? 

今は、その考えについて行く、といった形で 

スピードに乗ろうとしている。 

疲れか?その考えの尻尾につかまっているのが、 

やっとなのか?  今の日本の新しいポップが一番、 

聴こえるのは、なんなのか?  

ああ、おかしくなってるな。 ヤバい。 

酔っ払いの酔ってないと言う、その状態なら、 

この状態は、なに?どうした? もどってくる? 

僕は、  なによ、 ?  (笑)  

僕、  ボクボク、  ハ、  なによ。 

・・・・・・・・・・・・・・・・、 

どうした?   もう  終わりか  

かげり、  かげりが   ないな 

皆で  楽しむのもいいな、と  

それが どうして  童謡になるんだ? 

また思い出す、すべてを平面化してしまう 

精神の のっぺらぼう  

この世のすべてを 借りるから  すべての  

感動があった  それの連鎖というもので  

しぼりだすんだ、  青春というキャンバス を 

ほんとうに、  フゥ  

これ以上は  ヤバいのかもしれない  

僕にも  自分が 必要だ  

もう、  疲れたよ、   いい加減  

もうどこを  歩いて行っても、  どこにでも  

場所は   あるんだ。 

だからどこへ行ってもいいのなら、 誰が 

迷うことができるんだ? 

どこ 行っても  いいんだよ? 

間違えても、 なんでも どうにか  なってしまう  

どうにか  できてしまう。  

それって  八方ふさがりと  どう違う? 

あれ? 玄関、チャイム   鳴ってない?  

もう  終わっていい?  

雨が ほしい?  光が ほしい? 

愛とか、神とかが   ほしい?  ほんと?  

もう  島の港では  

緑の 光虫が  刺激に反応して  

海面は

エメラルドに  発光しているだろうか? 

もう  子猫は いない  

皆、  記憶になった  

言葉って  記憶のこと、だな  

時間の経つのが  早い、早過ぎるほどに  

そして、  眠らせない  

この 怠惰、  もったいない  

このだるい 快感、 もったいない  

微熱がある時、のように  快なる哉。 

のさばれる時に  のさぼっておけ 

サボれる時に  サボっておけ  

明日がある、と  思える命が  

あるうちに  どう? そうではないか?  

この夜が  いくら続こうとも  

一度も  ただの一度も  明日が来た、 

という 体験はなかった  よ、 

よ   よ   よ。  

無計画に  寝てしまおう。  

君が  そろそろ、急に  沁み込んで  

来る 前に  

確かに  救われたような 気持ちって  

えらい  心が楽になる  無性に  

無計画に  祈ってしまう  

感謝してしまう  

明日もまた  シャツを 腕まくりして 

なにをしてもいい  日々を  過ごすんだろう 

街は  ここにある  そこにある  

僕だけ  くり返していない  日々は 

ああ、  痛いほど   自在だ  

やりきれない、の  反対で  

やりきれる  

やりきれる  

だから  明日が   来ないんだ  

やりきれるって   なんのことだか、 

大きく  息を  吸い込んで  

世界の空を  吸い込んでしまう  

胸が  青い光の  反射に 

放つ!

とかは   ないんだよ。 




::
明日や希望は気持ちの内にある。が、考えの内 

にはない。素直というのも、何に対してかによって 

ひどく景色が変わる。しかし、矛盾と同部屋に 

同棲するのも、慣れたのだろう、その替わりに 

自分が矛盾に変身する。
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日本の、明日という夢 [夢]

日本が素晴らしいと思う、ひとつのことは清掃だろう。 

自分の家の周囲はまず雑草など除いている。それ

だけではなく、なにか花や植木を育てていることだ。 

香港の島はリゾート地になっているが、想像とは

異なり、汚い。歩く小道でも水道工事だろうか、して

いるのだが、中途にしているのか、道具も置きっぱなし

だったりで、見て気持ちがいいということが、少しも

意識されていない。すると、その汚さが強く感じ

られるのだが、それこそが僕が日本の環境に

育ってきたことを証明するようなもので、日本は

ともかく、世界から比べて、かなり清潔なのだ。

そういう気配りが常態になっている。 

そうして、花を植えている家は普通なので、それが

普通じゃないのだが、その種が飛ぶ。そして、ブロック

塀の下や、わずかな土のある処に種が飛ぶのだろう、

そこから花が咲くのだ。それで我が家の周囲でも勝手に

いろいろな花が雑草のように咲いている、という状況が

ある。これは思ったよりも素晴らしい状況で、季節の花が

今なら菖蒲とか大きな花びらが着物を想わせて、咲いて

いる。少し、近づいて見るだけで、どれだけ美しいことか。 

僕らはそれを気にしないで見過ごしているのだろうか。 

そういう人は、ずいぶん勿体ないことをしている。 

花は生きているから、その輝きは深い。よく見ていると、

美しさがその色の中に吸い込まれるようだ。絵の具の

何色でも、一色というのがなんと貧しいことか、と気づく。 

単色に見えてしまうものが、深いのは光の反射が

あまりに細かく、乱反射するので、色も表に出たり、

内に入ったりして定まらず、それが深さを添えている

のだ。 

日本ほど、近所の散歩をして季節を楽しめる国は 

そうそうないのではないか、と思う。それは僕が

そういう海外の地を旅行していないせいでもある

だろうけれど、そういう面では日本は第一等国だろう。  

どうして僕らはそれほどに自然を慈しむのだろうか。 

ブログを回っても、マニアとか商売をしていなければ、

圧倒的にどこでも犬や猫、鳥でなければ花やどこかの

施設の庭や造園、風景の映像が貼られている。

それに飽きるということはないようだ。それは不思議な

ことなのだけれど、それをそう思えないほどに生活の

中に溶け込んでいる。



ずっと  ここにいたのに  

街は  見違える ようだ  

・・・・・・・・・・・・・・・、  

・・・・・・・・・・・・・・、  

多い、 あまりに多くの  妄想じみた  

点景   情景が   流れゆく  

心  やさしく  

気持ちよく  揺られ  

君に  抱かれる、 ・・・  

「 もう 泣かない  

もう  逃げない  

懐かしい 夢だって   

終わりじゃ  ないのよ  」*  

明日まで  続く道が あるから  

明日が  あるのだろうか  

そのために  この夜が  あるのなら  

この夜を  

僕は  抱きしめるだろう  


ずっと ここにいるのに  

それを 抱きしめる人と、  それを 甘すぎると感じる 

人が    いるのだろう。 

あれはタイだったろうか、観光の旅行者だとみて、

車椅子の老女にも見えたが、まだ中年だろう、

売り子だった。障害者の売り子は珍しかったが、 

長いことやっているらしく、僕は安い地図しか買わ

なかったが、ほとんど事務的にお礼を言って、次の

客を求めて行ってしまう。もう10年以上もこの仕事

で食べているんだろう、話しかける暇もなかった。 

彼女にはどれだけ売るかはノルマがあって、命がけに

近いものがあるのだろう。観光客の暇な話につきあう

余裕はないのだった。それは夢を破られる感じがした。

人は皆、平等じゃない、と。愛で飯は食えない、と。 

日本人はどういう夢を見ているのだろう? 明日という、 

いい人という、お上(政府)を信じるという、それはいろいろ

で、それを受け止める人も受け止めたくない人も、そういう

ことに関心のない人も いろいろだろう。

僕の夢は、まだまだ続くようだ。それはそれが儚い約束だ

とは思っていないからだ。

「 懐かしい 夢だって   

終わりじゃ  ないのよ  」

明日を信じるというのは、欺瞞のひとつだと決めつけた

知の優位な時期もあったが、人は変わるものだ。  

僕は、明日を信じようとしている。



* :
「 」内は、平原綾香の「明日」の歌詞から。
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あの頃は日本人をやめようとしてた [日本人]

午後に起きると、雨は霧雨になっていた。霧は濡れるよう

には感じないが、霧雨は濡れる。そう思って人は傘を 

さすことが多い。買い物に出かけたが、手に傘を持った 

ままだ。山の感覚に切り替えると、傘をさすほどじゃない。 

多少、濡れればいいだけだ。メガネも濡れるが、視界に 

影響するほどではない。急に本降りになる様子もない。 

時々、午後まで眠る。たった数%の、しかもコップに 

半分ちょいのアルコール分量で起きられなかった。  

このところ、肩や肩甲骨周辺、背中が凝って、疲れが 

取れなかった。いろいろ方法はあるが、アルコールを 

普段飲む習慣はないが、飲むのも一つの方法だった。 

疲れているほど、効く。起きると、ぐったりしていて、 

成功だ。疲れが外に出る、という言い方をしているが、 

こうなると大方の疲れは解放される。 

実際に信号を渡っていても、足と上半身に力が入る。 

海外での緊張した時間を、ピンポイントで思い出す。 

筋肉細胞に記憶が溜まっているのだろう、疲れが出ると、 

一緒に出され、思い出すようだ。  

しかし、この方法は僕にとって有効だが、反面運命を 

わずかに狂わせるようで、被害はないが、ちょっとした事故

に遭う。またはかすり傷程度の怪我をする。それであまり

飲みたくない。 

僕の運命は、体は好きな割に、アルコールと相性が悪い。 

それでも疲れをためっぱなしのほうが後々、害が大きい

ので、今のうちに出してしまうほうがいい。 

霧雨のせいで、小さなスーパーの前には駐輪場に自転車 

は一台もなかった。その代わり、8台くらいの駐車場が満杯

で1台、車が空くのを待っていた。近くに第2駐車場がある

のを、知らないのか、面倒なのか。 

帰りは霧と霧雨のことを考えていた。日本人は感受性が 

細やかでそのため言葉も豊富な言い方があると、よく 

言われるが、霧と霧雨もそうなのか、と。 

帰ってから調べると、英語で霧雨は Misty rain , Drizzle/

Drizzly rain があり、霧はhaze , mist , fog と3種類あって、 

例えば、霧雨でmisty はぼんやりした感じで、霧に近く、

drizzle は細かい粒がパラパラ落ちる感じで、それぞれ 

感性を感じるので、それほど相違があるようには思え

ない。ただ雨の種類についての表現はどうだろう? 

と思ったが、大変な作業になりそうなので、調べるのは  

やめにした。  

感性よりも考え方がどこから来ているか、という意識の

由来を調べるほうが有意義な気がした。 区別を強く 

探るのは、差別を引き出し、強いては差別の考えを 

作り、押しつけそうで危険な気がする。方向が悪い 

ときは敢えて無視して放っておくのも有効なのだ。 

日本は文化が世界から入ってきているが、偏向も 

している。ほぼアメリカ文化が中心で、中国、インド、 

他のアジア、中東文化は入ってきているだろうか? 

入っていても、それらを巷で目にしただろうか?

ヨーロッパ文化が次に多いが、それでもアメリカに

比べれば少ない。むしろ、一地方都市に代表される 

文化の一部だろう。 韓国ドラマや中国映画にしても 

ある主張の一面が表に出過ぎていると感じる。

それで日本は精神的に全体ではアメリカナイズされ 

ている、と言えるのだが、自分で気づいている人は 

どれだけいるだろう? もう僕らは普段、着物を着て 

街を歩くには勇気がいるだろう。成人式とか卒業式とか、 

そういうパーティに出る時とか。どうしてだろうかと

問う時、思い当るのは見慣れていないことだ。注目 

されるだろう。そして不便だということだ。洋服の 

ほうが機能性に優れていると、勝手に思っている。 

どうしてそう思うのかと、それは洋服に合わせて 

生活が機能しているからだ。それに合うように 

備品が作られて。 

トイレは洋式だし、道は舗装でコンクリだし、椅子 

だし、床はフローリングだし、なによりテレビのCM 

で贅沢さは日本家屋や日本の伝統製品ではない。 

すべての設備が家電・工業製品で建築材も同様 

だ。そして、おまけに畳の部屋とか、伝統の工芸

や様式を一部に取り入れるが、それは趣味であり、

年寄りへの気遣いであったりする。 すべてが 

西洋式の中に生活があり、それを誰も不思議に 

思わないくらい、僕らの意識に溶け込んでいる。 

そして、無意識が家の周りや庭を植木や花で 

満たしている。もっとも、落葉の激しい一本だけの 

樹木は容赦なく、切ってしまうようだが。

僕は日本家屋を推奨したり、和服を日常にも、 

と勧めたいわけではない。日本文化を見直そう、 

とかも宣伝したくない。どうしてか、それで皆が 

日本の伝統や古代博物館や展覧会に行って、

過去を眺めても意味があるとは思えないからだ。 

そうではなくて、見直さなければならないのは、 

自分自身ではないのか、という。今の日本人と 

いうアイデンティティを失っている自分に気づか

なければ、何も変わりはしない。 

それがどうした、とも言わない。それはそう思える日

が来た時に、そう思えた本人がやがて、どうするか  

決めることだからだ。 



僕が日本人に芯とか核がないと思えたのはいつ

だったろう?昭和の受験戦争を一番味わった、団塊  

世代だったろう、友達もお互いに敵同士だみたいに 

受験に向かう空気にバカバカしさを感じていた。 

親がこうも(当時も食いっぱぐれのない)大企業・政府の 

公務員志向で、そのための大学受験だという、この 

システムになった受験が僕らの文化精神を失わせたと、 

その頃は勘違いをしていた。

それで考えたのは、日本を離れることだった。という 

よりも日本人をやめることだった。そういう空気に 

未練はなかった。自分が日本人だという自覚が 

なかったから。  

卒業して、インドへ行った。インドの郊外の空港に 

降り立った時に、それほどの熱風は感じなかった。 

初めての海外で緊張していたせいもあっただろう。 

そして、迎えの人とタクシーに乗って、カルカッタの 

市街へと入ると、もうその前からその雑多で汚れた 

街並み、野良牛、カラスの群れ、破れたポスターの 

どぎつい原色、怒声、きつい眼つき、人々の雑巾の 

ような姿から、日本をこんなにしてはいけない、と 

すぐに思ったのを覚えている。これが自分が日本人 

である自覚を・覚え・始めた、その最初だった。まだ 

そうは気づかなかったが、 ・・・。 

海外へは第二の故郷を探すという、つまりこれから

自分が暮らす国を見つけるという目標があった。 

それでインドはいの一番に落とされたわけだ。 

それは貧しさだった。貧困を越えて、貧窮の民が 

あふれかえっていた。法治というものがないのも 

横行していて、それが秩序を重んじる日本の常識 

からはかけ離れていた。しかし、ある程度はインド 

の知識があったので、貧しさについては予想して 

いた。そして、やがて各地を訪れるについて、それ  

の本当の貧しさの連鎖がどういうものかを、骨身に 

染みさせられることになる。 

いろいろ日本も経済的に浮き沈みして、その時々の 

状況はあったが、まだ日本に気づくことはなかった。 

高校生の頃に、アメリカのフォークソングが流行って、 

それを歌っていたら、同級にアメリカかぶれだな、と 

言われた。アメリカかぶれは意識もしていなかった 

ので、それなりのショックがあった。そして、フォーク 

ソングの歌手は一般から出てきたものが多かったので、 

中にはメロディとかで日本(の心)を求めるほうに 

転向する者も現われて、どうして日本なんかに回帰 

するのか、不思議だった。退屈な歌舞伎、戦前の 

国粋主義とか恨み泣きの演歌の国であるくらいの 

認識だった僕は、日本が好きではなかった。しかし、

ある親戚から僕は日本人だ、とまるで典型の一人の 

ように言われて、これもわからなくて不思議だった。 

確かにアメリカナイズしていたかもしれないと、が、 

それでは日本人とはと少し考えた。・・・なにもなかった。 

日本って何だと思った時、僕らはそれを失っていた。 

それ以上、当時はわからなかった。 

それから40年以上も経って、無意識との交流が 

(表面では)なんとはなしに、(内面では)確定的に 

起こって、それから5年もしてから、それは何なのか、

遺伝子?DNA?脳細胞の一部?皮膚?脂肪? 

その他?それらの変化のためか、過去への記憶の 

襞に滑り込み始めた。 

微妙な隙間から、過去の人たちの感覚が意識に 

昇り始めた。それは鏡を見るように自分を日本人と 

見ることと同一だった。期待も予測もない。突然の 

ように徐々に見せられ、この日本人の自覚の実態を 

知りたいと思うようになった。 

もう忘れていたが、日本人をやめたいとかは、ただの 

無知が言うことだった。母の記憶、父の記憶、祖母の記憶、 

祖父の記憶、そして、もうそれらも含めて誰の記憶かも 

わからない大きな過去の日本というものが、浮かび 

上がってきた。それが全体としての、また全体につながった 

自分だった。自分はひとりではない、というかすかな自負 

は消えて、自分はほんとうに一人ではなくなった。孤独 

だろうが何だろうが、自分は全体として、日本人として 

あった。それがまるで許されたという感覚で、あるの 

だった。僕はただ一人、ここにあるのではなかった。 

それが結びつくとは夢にも思わない、古くから迎えに来た、 

それが新しさになった新・自分がそこにいた。 その決定 

の時期がこの数か月に、そこまでの期間は3年くらい 

あったとはいえ、凝縮されてあった。高齢者になるまで 

生き延びなければ、日本につながる縄文の実感はなかった 

だろう。ただ生き延びても、この実感はなかっただろう、 

また体を無理していたら、生きてはいなかっただろう。 



― という、わずかなことしか今は言えない。このことから 

予想もできないだろう、あまりに多くのことが導かれるし、 

その予測もあるが、それこそ荒唐無稽という、昔の言葉  

に言えるとおりだろう。まだ独断は早い。 

またこれが、僕の日常のしあわせの理由であり、孤独に 

なれない理由であるだろう。  

こういう時は気が大きくなるのだろうか。アマゾンで10冊 

くらい本を注文、今日までに届いた。中古書店でも8冊 

くらい購入した。累計、5千何百冊。もう本を整理できる 

スペースのキャパは越えているので、もう本を買わない 

ようにしようと、誓ったのはいつだったか、思い出さない 

ようにしよう(笑)。
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成功のパラドクスを20頁くわしく読む [成功]

これは「成功のパラドクス・メモ」を詳しく個人的に

紐解いたものである。 

その記事はもうあまり覚えていないが、要点は今も

頭にあるはずなので、微細な矛盾点はあるかもしれ

ないが、気にするほどではないだろう。 



もう一度、その本の邦題を示すと、「成功して不幸に

なる人びと」だ。このブログでは自我の膨張・慢心 

によって自己崩壊が起こることは、流れでは書いて

も、それを中心テーマにとり上げることはなかった 

ように記憶している。 それは当たり前に起こり、 

よく起こるので、自明の命題として「もうわかって

いるだろう」として取り上げてこなかったものだ。 

本を見つけて、改めて付箋のあるところを5頁ばかり

読むと、読み途中の印でつけた付箋からすると、意外 

にも大方読んだらしく、最後のほうになっている。  

そして、中身も心理面が多いので、それで読みやす

かったのかな、と思える。少し、解説したい気になった。 


まず、独断してしまうと、これは宝くじで大当たりして、

その後人生を崩してしまうのはこういう訳である、と 

大意は同じことが書かれている。 

それはどんなことかと言うと、その宝くじ長者になって 

身を持ち崩してしまった者が多いのを知って、バカだな、

俺ならもっとうまくやるのに、という無知な人のために

書かれたものだ。 

当然、うまくやる人も結構いる。が、それはもう大金が

手に入っても老境になっていて、使い道が限られて  

いる人だったり、または資産が2億くらいある、すでに 

金持で当選を知ったのも、受け取り期限が迫ってからで、 

どこかにしまい忘れていたとかの、すでに金持ちの人の 

場合である。 それとか誰かさんのように、数百万円を 

ちょっとどこかに隠して、あとでどこに配分するか決め

ようと思いながら、そのまま忘れてしまうような人である。 

株式投資を生まれて初めてした時の人は、覚えている

だろう。シュミレーションで株式を売り買いして練習して、 

それからいざ実際に買った時の落ち着かなさを。1時間

ごとに株価の行方が気になって、端末を眺める、という。 

実際に金が動くと、自分の感情のコントロールが利かなく 

なる。投資で必要なのは、予測が半分だが、感情の制御が

半分である。どんなに先見の明があっても、コントロールが

利かないと、儲けると早めに切ってしまうし、損しても明日

には値は戻る、と持ちすぎてしまう。逆なのだ。 

お金が関わると、途端にその空気のムーブメントが起こり、 

精神状態が燃えるようになる。ヤクザという人たちは、 

非常に(非情?)に冷静で、例えば賭け麻雀で客をカモに 

する時には必ずそれを利用する。まず、初めに少し勝たせる。

そして、おだてる。次にもっと勝たせる。そして、お客さん、

今日はついてるねぇ、と刷り込む。すると、客はその気になって

しまう。少しは麻雀の腕に覚えがあれば、初心者ほどツキを 

信じる。そうなったら、仕込みは完了で、あとは負かしてしまう。

大体、3対1になるから不利も不利で絶対に勝てない。しかし、

ついているはずだと刷り込まれると、感情で抑えが利かない。

負けても負けても、のめり込む。一晩で半年分の給料を

負けたなどはザラである。それほど有効なのが、おだて上げる

ことだ。ちなみに、僕の親戚もちやほやされるのが好きなのが

いて、親の遺産でもある日本橋の店をヤクザに乗っ取られた

そうだ。後から聞いたが、初めは驚くが、あの男では仕方ない

かな、という諦めだった。 

ドストエフスキーはロシアの19世紀の文豪だが、ギャンブル

好きで、自身「賭博者」という小説も書いている。 彼自身の

趣旨と思われる小説中の台詞の要約はこうだ。 

ギャンブルで勝つのは、わかっているんですよ。そうすれば、

勝てるんだ、とね。でも、それがそうはいかないんですよ。 

機械のように規則通りに賭けるのにうんざりしてくるんですよ。 

だって、面白くないじゃありませんか。自分ではなにもしない

んですよ。賭けの醍醐味なんかありませんよ。そうすると、 

ここで一発当てたくなるんですよ。ドカンとやって、自分の

予測を当てれば、こんなにうれしいことはありませんや」 

と、そこから負けてしまうのだ。なぜなら、そこで当てて、 

そこでやめられないからだ。よし、今日はついてる、となる。 

そこでまた、と大きく賭ける。いつかはドカンと負けるのは

必定だ。それでもやめられない。もう異常な精神状態の 

虜になっているからだ。これに憑りつかれると、訳が分から

ない、そうなっている自分がわからないのだから、行き着く

ところまで行ってしまうのだ。 

この異常な精神状態を自我の膨張・慢心と呼ぶのだ。 

すぐにスィッチが入りやすく、入ると出てこれない。 

酔っ払いがおれは酔ってない!と叫ぶのと変わりない。

勢いがついている。 

これは自然の法則と同じく、ものが地面に落ちる引力と 

同じだ。いつまでも変わらない、地球上にいる限りは。 

それで修練の成功者でも、そのしわ寄せが忍び寄って 

くる、必ず。  

その理由と、その予防を書いたのが、この「成功して 

不幸になる人びと」で、不幸になるばかりでなく、そう 

ならないための方法も載せている。  

まず、その理由から :: (「成功して不幸に~」から引用)

「 成功は人間の暗い側面を育てる 

目立つ人ほど、大きなシャドウ(影・暗黒*)を引き 
                     * 陽秋:注
ずっている可能性は高い。これは人間心理の法則 

のひとつと言っていいだろう。富と権力、高い知名度 

という三つの要素が集まれば、シャドウにとって申し

分のない環境が整う。否認や自己肥大が生じやすく

なり、投影の対象にもなりやすくなる。絶対的な権力

が必ず腐敗していく政治の世界を例にあげれば、理解 

しやすいだろう。  ( 中略 )  

精神の健康を得るためには、すなわち己を知り、有意義な

人間関係を楽しみ、共同体の一員であるという実感を 

持つためには、自分が不完全な存在であることを知り、 

それを受け入れなければならない。 

だが成功してしまうと、これがとたんに難しくなる。 

リーダーになれば弱さや下品な面を見せてはならないという 

プレッシャーを常に感じ、無理を重ねていくからだ。

( 中略 ) 

一般に、成功を収める人びとは聡明で人をまとめる力が 

ある。機転が利き、自分の魅力で人のやる気を引き出し、 

成果を収めるというカリスマ性を持っている。そうした長所

を利用することで、自我を鍛えている。ただ、こうした肯定的 

な自己イメージが膨らむと、その人の否定的な側面は表に 

出せなくなる。怠惰、無関心、怒り、嫉妬といった感情は 

隠されるようになる。 

また、成功する過程では弱点も克服されるのが普通である。 

( 中略 )  

さらに、ビジネスで成功している人は、そのエネルギーを 

限られた部分に集中させているのが普通である。家族や 

社会の教えに従うのが得意だった。つまり、親や教師、 

上司らの言いつけを忠実に守ったからこそ、ハシゴを 

上ることができたという人が多いのだ。( 中略 ::

陽秋>自分の夢を周囲に対しての遠慮から諦めていて

成功した場合は、それを隠し、成功者のイメージを 

何がなんでも守りたい、という内容 )  

負の感情やシャドウの中身は、意志の力で追い払うこと 

ができると思うかもしれないが、それは希望的観測に 

すぎない。(陽秋>それが前記した、精神状態が異常な

感情の空気に包まれてしまっている、ことを指す ) 

確かに、「そんなものは存在しない」と言い切ってしまう 

ことは、ある程度有効だ。好ましくないことをシャドウに  

隠すことは、人間として成長したり、社会に順応したりする 

うえで必要なことである。シャドウを隠さないのは犯罪者 

や、社会から追われてしまった人びとだけだ。目標に  

向かって進むなら、自分の長所を足がかりにするのが 

一番だろう。しかし、自分に暗い側面があることを否認したり、 

そんなものは克服できると想像したりすることは精神衛生上、 

危険である。(陽秋>精神衛生上よくない、ではなく、危険! 

なのだ)  」

長い引用だが、それだけ付け加えることがなく、僕と一致して

いる。または、本の記憶が潜在意識にまで到達している。 

著者が強調するのは、シャドウが人には必ず、存在することだ。 

それを軽く考えたり、押さえつけようとしたりするのは、僕らの 

本性、人間性に逆らうことであり、危険だということだ。これが 

あとあとしっぺ返しの素因になるのだから。 

織田信長が光秀にしっぺ返しされたのも、信長の自我肥満が 

素因になってしまったという、このシャドウを放埓に野放しに

した典型だろう。 

フロイトに並ぶ大心理学者のユングは、シャドウに否定的な

面だけではなく、宝物が秘められているという頁があった。 

:: (同じく、同著から引用)  

「 暗闇に隠された黄金  

成功を収めた人は誰でも、成功しなければならないという 

使命によって、自分のなかにある宝物から切り離されて  

しまったような感覚をいずれ持つのではないかと私は考え 

ている。ここで言う宝物とは、うまく手に入れさえすれば 

自分に充足感を与えてくれるもの、そして世界に貢献 

できるもののことであり、自分のシャドウのなかから

見つけることが多い。ユングはこのことをシャドウのなかに 

「黄金」があると表現しているが、自分のシャドウについて 

詳しく知ることは、人間として成長するうえで必要なこと 

である。 

ユングは自分の心の闇を探り、人間が成長し適応していく 

ためには、シャドウの中身を調べることが不可欠だという 

結論に達した。「無意識から引っ張り出したこの物体を見て、 

私は文字どおり言葉を失った。これが何であるか理解でき 

なかったし、形をつかむことすらできなかったからだ。ただ、 

何かすごいことが自分の身に起こりつつあることはわかって 

いた。これが自分の人生を満たしてくれること、そのためには 

どんな危険をも厭わない覚悟ができていることもわかっていた」 

(陽秋>無意識に通じると、なんでも確定事項として感じてしまう。 

それで初めてでも、ユングのように「覚悟ができていることも 

わかっていた」となってしまう。初めてで「わかっていた」は矛盾 

しているようだが、感覚のことなのだ)  」

他に、ユングは:: 

「シャドウは「子供っぽい、あるいは原始的な特性を含んでいる。 

・・・・・・・人間を活性化し豊かにするが、しきたりによって禁じ 

られている特性だ」という。  」    (陽秋>子供っぽい、 

ガキっぽさではなく、天真爛漫さがその一つということ。社会 

で天真爛漫さでは生きられない)

また、コニー・ツバイクは元心理療法士で、編集長でコラムニスト 

だが、シャドウエキスパート(シャドウ分野の高度な知識・技術者) 

として知られている。 

:: (同じく同著から引用)  

「シャドウを観察する「シャドウ・ワーク」によって、次のような  

成果が期待できるという。 

■自分が何者であるかが詳しくわかり、自分をもっと純粋に 

受け入れられる。

■不意に表に出てくる否定的な感情を鎮めることができる。

■自分の否定的な感情や行動に対する罪悪感や恥ずかしい 

という感情から、今よりも自由になれる。 

■自分が下す他人の評価が投影というメカニズムによって 

歪められていることを認識できる。

■真摯な自己分析と率直なコミュニケーションを通じて、 

人間関係を修復できる。  

■絵を描いたり文章を書いたり、夢を見たりすることで 

想像力を働かせ、一度否定した自分自身の一部を 

取り戻すことができる。 」、続けて、「がむしゃらに 

成功を追い求めても、シャドウに隠れている原始的な 

エネルギーに手を伸ばすことはできない。表向きの顔 

を維持したい、自分をコントロールしなければならない 

といった気持ちがあると、それが足かせとなって喜びや 

悲しみといった感情を素直に表現できなくなる。(中略) 

そして自制の苦しみから逃れるために仕事中毒に 

なったり、ドラッグやアルコールに溺れたりする人が 

いる。精神科医のアン・ウィルソン・シェフは『中毒になり 

やすい組織』と題した著作で次のように述べている。 

「人間が個人として完全に機能するためには、愛や 

思いやりが必要です。中毒のような行動は、愛や 

思いやりがないという現実を否定するためのひとつ 

の方法なのです」    」:  



人間の心理から自己を養成しようとするのは、ややも 

むなしさが伴う。だが、それも行動していくうちに忘れ 

てしまう。そこに人がいるのだから、常に可能性が 

あるということだ。  

最後に書ききれないので、その標語だけをいくつか 

挙げておこう。:: 

< 成功を持続するリーダーの原則 

リーダーに欠かせない要素は何か・・・・ として 

長続きする組織のリーダー 

組織のシャドウに光を当てる 

秘密を排除する 

批判してもらう 

闇に光を当てる 

自分に合った仮面をかぶる 

支援を求める 

過ちを認める 

通報者をほめる 

失敗の経験を共有する 

成功例だけでなく失敗例も振り返る 

自我肥大と闘う 

自ら「道化」になる 

バランスの取れたものの見方を保つ 

信用を分かち合う 

深く学習しながら教える 

仲間とともに道を究める 

多様性を奨励し称える 

組織の文化をつくり、伝える 

などなど ・・・     :: 

もう一度、著者はジョン・オニール 

邦題「成功して不幸になる人たち」ダイヤモンド社 

標語についてはそれぞれ、短い説明が載っているので 

各自知りたければ、参照されたい。 

28年前にはこの本がアメリカで上梓されていたことを

思うと、アメリカの精神文化の進行の早さをいささか 

恐れる。心理面はいい面ばかりでなく、それ自体の 

シャドウもあって、僕はそれは好きではない。それだけ  

社会が病んでいると感じてしまう。だから、僕はそれを 

参考にしながらも僕らが日本人である理由を問いたい。 

どんなに戦後にGHQによって戦争の真実が隠蔽されようと、

不可思議な心の事実は残っている。なぜ、僕らは日本人

なのか? それがどうして忘れられたのか? 

僕はまだ終われない、と思うのだ。



  



 

                                 

 








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