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風と 縄文 [夢]

風の子ら 

見えない 童子 

近くに 寄りて 顔を

見せよ


東々海 とうと海

泣き濡らし 幼い娘 あらば 

玩具を 与えよ 


巻き散らす  つむじ風 

本日は  晴天 なり 

今日という 日は  

祝祭日  なり 

謳い  足腰 かまわず 

動かして  踊り 

この日を  讃えよ 


今日は 人類 最後の日 なり  

本日は 新しい人たちの 

生誕する  吉日 なり 

地球の  衣替え 

さすれば  入学式 なり

とも 言うべきか 



古今  

終わりは 始まりなりと 

言うからには 

昆虫の 殻から  出るは 

成虫への  昇華の 儀式のみ 

ならず 

生きとし 生けるもの そのものの 

生態学にも 似た 

血の流るる 歴史ぞ かし 



僕らは  行かん 

その道を 

その 

進むべき 道を 

他に 迷いようもない 

天然自然の  道を 

やよ  忘るな 

一万年の  縄文を 

これまでの 新世代よりも 

長かった  時代を 


遠く  厚い  空気を 

風の  まにまに 

赤子の  間に 間に 

すべて  用意されて 

いたこと を 





:::
(参考) 

万葉集 第一歌 

すめらみこと*の御製歌

籠(こ)もよ  み籠もち 

掘串(ふくし)もよ  み掘串持ち 

この岡に  菜摘ます子 

家 告(の)らせ  名 告らさね 

そらみつ  大和の国は 

おしなべて  我こそ 居れ 

しきなべて  我こそ 居れ 

我こそば  告らめ 

家をも  名をも  

: *雄略天皇

陽秋の夢1.png


陽秋の夢:

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人類進化を考えた奇妙な夢 [夢]

自分でも何を調べているのかわかる

のだが、自分はどうやって調べている

のかはわからない、という不可思議な

感覚がある。その資料の本を読んで

いるのだが、その途中でなにかに気づ

いて考えだしたまでは覚えているの

だが、結局その後どうなったのかがわか

らない。その考えがいつ終わったのか、

経過はどうしたのか、考えながら

階を移動したり、別のことをしたりは

まま覚えているのだが、それでどうな

ったかが、まるでない。

あの本、読みかけたままで、それが

すべてでその後が夢中になったせいか、

何もない。思い出して、そのことに

気づいたくらいだ。


なので、夢の話だが、

これもよく覚えていない。ただ印象が

とても強い部分があって、そこばかりが

残っている。

思い出して気づいたが、これは進化を

彩った家族構成だ、と。

はじめは、どうも争いのある世界に

いるらしい。田舎なのか、原始時代な

のか、洞窟のような処で壁向こうの

隣人を攻撃している。それも壁の

隅の上のほうに空いた穴から、馬草

のかたまりをどんどん投げ入れて、

相手のリビングにあたる部屋を直接

攻撃している。馬草が飛び散るから

相手としては相当な迷惑だろう。

そして、投げ入れながら、外の世界

でも戦争をしている。ここで隣と

和解して協力した方が、外の戦争

を終わらせるためにもいいに違い

ない、と思っているのだが、理由も

なく、それができないようだ。

記憶がないか、場面が飛んで、洞窟

から出て外にいる。家族は自分も

入れて四人らしい。これから逃走する

から四人でジャンケンして、方向を

決めよう、ということで。

僕の左の奥に父親がいるらしいが、夢

の癖で見えない角度がある。しかし、

姿はゴリラか猿人だと知っている。

左前には兄がいて、これもアフリカの

黒人である。右前には母親がいて、

アメリカインディアンっぽい原住民風

だ。

これは進化の過程を踏んでいる。猿人は

アフリカにいた。人間に進化してから、

世界へ散らばったというが、ベーリング

海峡は長らく氷河期で氷に閉ざされていた。

これが溶けてから動物も人間も海峡を

渡ることができて、アラスカからアメリカ

大陸に移動したらしい。それをその過程

で家族構成になったらしい。

夢はあまり続かない。

父のゴリラは洞窟に残ることになり、

三人が散らばった。僕が行った砂漠には

道に女が這いつくばっていた。それも

全裸だった、その上、全身入れ墨で

黒のカーテンレースをピッタリまとって

いるかのようだった。それだけではなく、

彼女の両腕はなく、それで蛇のように

這って歩いていたのだ。そばに兄だか

恋人だかの男がいて、・・・・・

とここまでで終わってしまう。

進化の家族と全裸入れ墨蛇女が強烈

すぎて、他を忘れてしまったのかも

しれない。


初夢ではないが、今年初めての強烈

な印象での初夢に思えた。蛇女は

旧約聖書のアダムとイブが楽園を

追われた姿なのかもしれない。

誘惑者の蛇と誘惑話に乗った女が

合体しているのに、今気づいた。

聖書の成立年代の紀元前4-5世紀

よりも2000年前だろうと言われる

古代メソポタニア文明のギルガメッ

シュ叙事詩に聖書と同じ洪水伝説

など記されているので、旧約の天地

創造は想像によるものであてになら

ない。

そこで天地創造の光あれ、と神が

言った瞬間に天使も生まれたのだ

という、追加の解釈も生まれたが、

あてにならない文に解釈しても

無駄だろう。

日本の縄文時代も1万2千年?も

続いたという根拠の発掘がなされた

のも最近の話なのだから、紀元前

3000年から前1世紀あたりまでの

歴史はこれから相当に変わってゆく

可能性がある。


10年後に見る夢の、進化の家族(の夢)

もそれを取り入れて、縄文人が加わる

かもしれない。そもそも僕は紹介されて

いない。夢を見ている僕はなに人だった

のだろう?

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脱力2 アニメチックな夢 [夢]

ストーリーとしては長い夢で、時間は

短いのかもしれないが、処々の印象で

記憶に残ったところを写し出してみる。


どこかに親戚かうちの姉か友達か、

彼らを送るのに、僕が駐車させて

おいた車を取りに歩いている。後ろ

からその女達の声がするのである。

高速道路か高架橋の下に行こうと

している。そこでは小娘たちが何か

コスプレで騒いではいないのだが、

その高い声で喋っている。ピンクの

家具が並んでいて、ソファで(一人

用)4、5個バラバラに置かれている

が、もう僕の車は眼中にない。

途中に置かれたピンクのソファに

僕は坐った。すると、急にソファが

動き出したようだ。真ん中のソファに

坐ったはずなのだが、最後部に配列さ

れていて、全部道路を走り出した。

先頭を見るとトラックバンがあり、

どうもその指示で連動しているらしい。

それにしても頭上は高速道路なので、

BPSは届いていない。革新の技術なの

だろう、(と驚くことはない、夢な

のだ)


電波?は強いらしく、ソファの間に

他の乗用車が入り込んでいたが、

それぞれつながって道路上を走る。

走ると言っても、ソファに車輪は

なく、空中を浮いてそれもけっこう

揺れながら、あっちこっちしながら

走ってゆくので、快適だった。

どうも小娘たちは芸能人グループ

らしかったな、と僕は考えている。


第1部分はここまで。切り替わった

のか、ストーリーをわすれたのか、

見当がつかない。

次の場面は追われていた。何者か、

または何かの組織にか追われる、と

いう夢は人はよく見るようだ。

追跡者は二人いた。黒いスーツに

身を包み、という映画・TVドラマ

の見過ぎで夢に出てくるのだろう。

僕は夢ではいつも空中滑空ができ

たので、空を飛んで逃げるのは十八

番(おはこ)だが、今回はその能力

を極力知られないほうがいいらしく、

初めは走って逃げていた。

そこで逃げ込むのが、低い丘にある

寺か神社へと入る森の入り口だった。

すでに夜だが、そこは祭りの縁日の

ように賑やかだった。

しかし、雰囲気は異様で化け物か

妖怪の宴、といった雰囲気だった。

それもそのはずで、そこは超能力や

神秘を謳った新興宗教の会場だった。

案内役の男か女の顔がなにか喋って

いたが、聞き取れない。右手の森の

暗がりにはゆらーりと揺れる提灯

だか火の玉だか、3個ほど挨拶を

しているようだ。

左手を少し先を行くと、そこには

電車の車両を改造して、食堂風に

したのだろう。車体も暗かったが、

黄色く塗られ、いくつもの窓から

中のこれも黄色い光がケバケバしく

漏れていた。酒を飲んでいるのか、

中から大人数の騒ぐ雄たけびが

響いた。乱痴気パーティだな、と

思った。

その横を通って登ってゆくと、前方に

不思議な光景があった。宇宙飛行士

のように無重力状態で7,8名が空中

浮遊しているのだ。幻想的といえる

光景で何色かのカラーでライトアップ

されて、その光の中を全身タイツの

人間が自由に泳ぎ回っている。こんな

こととができるんだ、と感心する。

右手に二段の丘があり、水が薄く

張った池があった。そこの水はきれい

だったが、コルト拳銃の45口径が

沈んで黒い握りが水面から出ていた。

他にS&Wのレボルバーもあったが、

握りが外枠だけで、透け透けだった。

壊されている。

その近くでうずくまっている青い男

がいた。いかにも邪悪な顔で、その

拳銃を池に捨てられた様子で、悔しく

文句を言いたそうな風だ。が、動けな

いらしい。この宗教団体が男に与えた

罰だとしたら、相当手強い強力な相手

だ、と思った。

その上の段の少し離れた処に山門が

あった。3段の石段を登った処だ。


青い男が業を煮やしたのか、立ち上が

って、とうとう我慢できずにしゃべり

始めた。何を言っているのか聞き取れ

ないが、演説が始まって、まもなく

銃声がして、男は倒れた。森のどこか

にスナイパーがいるらしい。(映画の

よくあるパターンで見過ぎ、笑)

そこで僕の出番だと気づいて、演説の

登場者にふさわしい山門に立つ。僕は

レインコートらしきコートの男だった

が、それを見ている自分がいる。男は

石段を歩いてくるが、演説をせずに、

そこにいた潜入のレーポート女性記者

にマイクを向けて、渡す。どうもこの

宗教団体の潜入捜査をしていた記者

らしい。

(まったく。ドラマの・・・・笑)

どんな演説か待ち構えていると、なぜか

記者の様子がおかしい。声が出ない。

どうも少し震えているようだ。青い男

が射殺されたせいか?いや、ここは

夢だ。(という必要のない説明)

ともかく女性記者は臆したようで、

僕だった、が今はそうではないレイン

コートの男が喋ベり始める。

神はいない、だから、こんなもの

(空中浮遊)はインチキだ、という

ようなことを言う。銃弾は飛んで

こなかった。一応、準主人公なの

だろう。

そして、男は池からコルト拳銃を

引き寄せて、手に持ってしまった。

これはサイコ・キネシスと言うの

だろう。

そして、人が浮遊する空間の下の

地面にその機械装置があるのだろう、

と指摘する。今からそれを撃ち抜く

が構わないか?と尋ねるが、返答は

させないつもりだったらしく、2秒で

その狙いで発砲してしまう。とたんに

そのきれいに舞い踊っていた人数が

地面に落ちてしまった。どっと森の

全体に驚きの空気が広がる。


ここまでが第2部。続きはたぶん、

記憶が抜けたのだろう。

また追われる場面から始まる。

ゴム手袋の親指を一軒家の大きさ

に拡大したようなオブジェは緑の

ややうすい色であった。その後ろ

にもっと大きい指がビルディング

並みに立っている。一瞬、飛んで

逃げようかと思うが、そうすると

能力がバレてしまう。また、飛んで

いる処を撃たれてしまうかもしれ

ない。

そこまで走って行って、ビルの

階段を昇る。このままでは追い

つかれると観念した僕は、なる

べく見えない位置で空から逃げ

ようと決心する。

5階だろうか、汚いビルで、ドアも

ベニヤ板の老朽化寸前のドアだった。

それを開けると、すぐ前に初老の

男が受け付けらしく、椅子に座っ

ていた。これこそあの脇役で有名?

なあの俳優だった。と思ったが、

そんなはずはと思うが早いか、男は

その俳優に似ているだけに変わって

しまった。その男の上にこれも

ベニヤを細長の羊羹状に切ったよ

うに暖簾のように張り並べられて

いた窓の暖簾?があった。

おっさん、僕はここから逃げるから、

と言ったが、おっさんは窓の下には

何もないので落ちるばかりと言いた

そうだった。僕はそのベニヤを持ち

上げて、体の半身を窓の外に出した。

もう追手が迫っているのがわかった。

そこで窓から滑り出ると、ビルの

5階の路地の上を飛んだ。脱出口

を眺めて、もう追っては来れない

だろう、と安堵した。


ここまで第3部。長い。

次は記憶が抜けているのがわかる

くらい、かすかな記憶がある。なん

だかわからないが。

急に山岳の尾根のような処にいる。

が、山のなかではない。少し先の

鋭峻な岩山があり、そこから下の

街が眺められそうだった。そこまで

行くと、街ではなく、大粒の宝石、

おはじきのガラス石の百倍くらいの

石が薄茶色で、いくつもあり、重な

りもあり、そういう広場に見えた。

その途端に、高度80m以上はあった

岩山は5mくらいの低さになってし

まった。崖の上から大滑空ができると

期待した僕はがっかり。

しかし、今度はそこが遊園地である

かのように2,3歳の女の子が喜びの

声を上げて、にぎやかな場所だった。

広場の周囲の平たい岩の場所から

どうもチップを重ねて投げるらしい。

チップはポーカーチップのギザギザで、

大きさは女の子の頭より大きい。それ

を5枚くらい重ねて、広場にある宝石に

ぶつけるのが競技らしい。

突然、明るい雰囲気に変わったので、

またこの頃から、背景や登場人物も

アニメの画でしかも3Dっぽい、

立体画に移行し始めていた。僕は

その画を夢の外から眺める観客に

なっていた。子供たちの笑う声が

その場を包んでいた。

チップが5枚重ねて投げられ、僕が

すかさず空中で受け取った。母親の

いる子もいたが、割り込んだ僕に

機嫌を損ねることもなく、なごやか

なままで、僕はチップを2枚と3枚

の二つに分け、それを他の岩場の子供

へと投げて配った。・・・


ここまでが第4部。このあとに全編

アニメになってしまう夢を見て、これ

はいける、と思ったのだが、その前

の3部を細かく思い出しているうちに、

書きたかったアニメの夢を忘れてし

まった。覚えていて、思い出せると

思ったのだが、・・・。

だが、アニメの夢は絵で見せなければ、

言葉では通じないので、これはこれで

いいか、みたいな。


::

脱力のために、昨日は何もしないで

いいと思い、散文を書いて、うまく

いったようで、昨日は今年最後の陶芸

教室でもあって、区切りもついて安堵

して、こんな夢を見たのだろう。なに

しろ、猫並みに14時間近く半日寝て、

朝に2回起きてトイレくらいで、体の

疲れを開放していた。緊張して、集中

して充実を感じるというタイプなので、

一定期間でどうしても煮詰まって

しまう。これまでは我慢ならないほど

煮詰まると、LCCの航空券を予約して

日本脱出をしていたのだが、もう

よほどのことでないと一人で海外へ

は行かないだろう。

体の危惧される病気に対して準備を

していくのは大変なので、サポーター

が必要だろう、理想を言えばだが、

しかし、現実問題ではある。

ともかく、脱力はその時に、その

時々ですべし、だろう。


次は夢の映像を記録できる装置が

完成したら(企画はあるらしいが、

まだまだ)、それでアニメチック

な夢の冒険を届けられるのだが。

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何もない戦争と明るい煉獄の夢 [夢]

目覚めていたが、意識を保たないと

また眠りに落ちそうな、寝床の中

だった。雨の音も、車の水を切る

音も聞こえていた。

が、ひとつ現実とは思えない音色

も聞こえていた。豆腐屋のラッパ

である。「トーフィー」と鳴る

昔の独特な音色だった。なつかしい

よりも、この近辺でまず聞いたこと

がない。幻聴かと疑いたくなったが、

意識ははっきりしている。ただ夢を

思い出せるくらいには、あいまいな

睡眠へ移行できる状態ではあった。

3回聴いて、幻聴ではないと思ったが、

遠ざかったらしく、ラッパが遠く、

小さくなった時に、幻聴と区別でき

ない朦朧な音に聞こえた。

またよく聞こえた。それから、2回

くらいで聞こえなくなった。が、

この雨の中、豆腐を出張で売りに

来るだろうか。あまり考えられない。

いつも回ってきているなら、有り

かもしれないが、聞いたとしても

忘れているのだろうが、そんな前だ

ったら、1度か2度の記憶だろう。


そのラッパを聞く前から、起きる前

に見ていた夢を思い出していた。


::煉獄編

始めの記憶はあいまいで、日本に

いた。親戚の叔父さんと誰かと逃げ

て、避難しようとしていた。それく

らいしかわからない。駅も避難する

人でごったがえしていた。この場面

ではその理由がわからなかった。

駅の切符はもう売れていて、駅に

入れない人が遠巻きにしていた。

駅の入り口には警察官の帽子の

ようなものを被った駅長がいた。

僕が群衆のより前に出ようとして

いると、僕を見つけた。

駅長の顔が大写しになった。TV

や映画の映像の影響だろう、現実

にそんな大きい顔を見ることは

ない。何が特別なのか、切符を

売ってくれるのかも話さず、ただ

乗る駅とその終着の駅だろう、

その駅名を告げた。それが漢字で

見えた。二つとも覚えていないが、

終着の駅名は見たことも聴いた

こともない。

そこから乗り換えて、知っている

駅まで行かなくてはならない、と

「そこからどう行くのか」と息せきっ

て尋ねた。

次はもうまた避難の場面で、はっきり

戦争の状況があった。

誰か若いのが、(製材された平らな)

木材の上にいれば安全だ、と皆を

リードしていた。そこにうすい皮

のような木材で、半端なのが重なっ

ている処に、これも木材でできた

通路が開いていて、地下へ通じて

いた。(そこは製材所の地下木材

倉庫のような処)僕らはそこへ逃げ

込み、薪が重なったような、半端な

板の重なった上にそれぞれ坐った。

木材の香りの成分を避けるような

化学兵器の爆弾なのだろうか、と

考えた。

そこは地下であるにも関わらず、

すぐ近くに大きな出口があり、それ

は外のように見えた。やがて、避難

していた人々がそこからぞろぞろ

出て行くようだった。どうやら

爆撃音のひとつもなく、空襲は過ぎ

たらしい。

そこはたぶん、韓国だった。僕は

たったひとりになり、どこに行けば

いいのか、どこで過ごせばいいのか、

孤独からひどい寂しさを感じた。

出口の向かいの建物の階下駐車場

のような空間に寝ている人がいて、

僕を見るのに上半身起き上がった。

白い顔の顎髭のある中年男性で、

声をかけてくれて、なにかつぶや

いていた。その男の周りにも人が

数人いて、避難していたのだろう。

僕はその男の近くまで歩いて、その

言葉を聞くと、独逸語だった。それ

で聞き取れないのがわかった。

僕はカタコトの英語で独逸語はでき

ないと伝えた。それからまた男は

英語のカタコトも交えて、独逸語で

何か話したが、意味は分からなかっ

たが、愛情にあふれる感じが伝わって、

僕は彼を抱きしめ、彼も僕を抱き、

抱き合った。

すると、耳元で「ウチニ来ルトイイ」

と日本語が聴こえて、僕は涙ぐんだ。

しかし、近くの人がその様子を見てか、

話しかけてきた。中年の夫婦だろう、

その奥さんのほうだった。そして、

彼らもヨーロッパ系だった。ここに

は欧州人が集まっていた。

僕は彼から体を離そうとすると、彼の

頭はサトイモの煮っころがしのような

ぬめりのある、ぼんやりした顔に

なっていた。僕との間に透明な粘液の

糸が一本引いていた。その瞬間に、彼

の愛情がホモセクシャルであるのを

感じ取って、彼の家で少し生活でき

ればよかったのに、それはできない

と思った。僕はそれが軽めに言って

も好きではなかった。

おばさんの説明では山形の飛行場

にここの近くから出る便がまだある

ということだった。(山形のような

地方の飛行場の他は全滅したの

だろう、爆撃で)

日本はひどいことになっている、

帰らなければ、と思った。

おばさんはこれでと言って、お盆

くらいの四角いブリキ板を2枚見せ

て、私(たち)は予約してきた、と

告げた。その個所には「平江」と

いう苗字ともうひとつ、隣に僕の

苗字が書かれていた。僕は僕も

予約したと言ったが、すぐに言い

直して、僕と同じ名前の人が予約

しているという意味ですがね、と。

― これで 終わり。



あいまいな目覚めの中で、なにか

覚えのある雰囲気の夢だという

ことを思った。それは暗いもので

はない、明るい地獄の貧民洞窟の

夢と共通していた。が、地獄ほど

はっきりしたものではないので、

煉獄としたほうがいいだろうと

思った。

男と抱き合うとか、戦争のイメージ

だけとはいえ、直接な戦禍の場所に

いる夢はみたことがなかった。ので、

強く印象に残り、書き残すことは

決定していた。起きてすぐ書くのは

夢のことだけで、これは2回目だ

ろうか、まだ1時間半くらいだが、

体のモヤッとした感じが残っている。


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海岸スピードウェイと 生理列車の夢 [夢]

朝の7時である。こんな時間に起き

ぬけるのもめったにないが、ブログを

書き始めるのも、まずない。

それは夢を見たからだ。久方ぶりに

壮大で爽快な夢で、10年ぶり、

もっとかもしれない。

覚えているのは単純な場面で、海の

上を街道の上を疾走するのだ。

はじめは海水浴場だと思ったのだが、

それはポスターに並んだ5,6人の

モデルの女の子が海にいるからだが、

沖合は海がもんどり返っているかの

ように分厚く盛り上がっていた。が、

そこには高速船やら泳ぐ人が小さく

見えて、海の今にも荒れそうな様相

を除けば、平和な光景だった。

すぐ近くにも眼鏡をかけた半裸の

海水浴客の中年がいたが、その人

はCGで制作したかのように、所々

銀箔や黄銅箔のように輝いていた。

人間ではなく、サーモグラフィー

のようになにか投影された立体映像

だと思えた。近くの女の子もいたが、

この子の顔はモデルの6人組の真ん中

の子と顔が同じで、手抜きの映像

なのでは?と思わせた。

ともかく海岸の水のスピードが凄い。

その女の子たちも同様のはずなの

だが、それらしい様子はなく、

僕だけがもの凄い高速で海の上を

運ばれてゆく。顔を横に向けると、

沖合から遠くの岬・半島が見え、

海は半濁して、波が渦巻いている

ようだ。

体は仰向けなので、眼の前は真っ新

で真っ青な空が雲一点の染みもなく

快晴に拡がっている。さわやか、

爽快に僕は体ごと海の上を走って

いる。ともかく気持ちいい。

そのうちに街路灯の先っぽが並んで

いるのが見えたので、ここは海水

浴場ではなく、今は海岸線の道路の

上に盛り上がった5m以上の分厚い

海水の上を運ばれているのがわかっ

た。もう海水浴客も高速船もいない。

そのうちに盛り上がりのピークに

達して、空しか見えないが、そこの

目の前になにか白い大きな物体が

あった。浮かんでいるが広告塔の

ようなものだろうか。

ダウンし始めると、この海岸道路

に出る曲線で港町の建物が並び、

そこを見ると、ディズニーなどの

企業がここらの土地を買い占めた

といううろ覚えのニュースを思い

出した。それでこの海の高速も

デモンストレイションでやって

いるイベントの一環なのだな、と

妙に納得した。

そのうちに水位は低くなり、反対

側の海に出てしまったが、そこで

は小学生らしい子供たちが泳ぎの

教室なのか、大勢で二列に並んで

海に堤防沿いに入っていく横を

走っていた。もう海水がない

岩場に到着してしまうという時、

そこの海に漁師だろうか、6,7人

が少し遠くの海で立って仕事を

している小さな人影を見た。

岩場を歩くのか、歩かずに漁師の

いる海に入ってしまうのか、わから

ないうちに目覚めてしまった。

しかし、その津波のように海水ごと

破壊的なスピードで運ばれる快感に

興奮して、忘れないうちに書いて

しまおうとなった。

爽快、快適、ジェットコースター

よりよほどリラックスして楽しめる。

めったにない気分のいい夢だった。


::
この記事は「成り果てぬ夢を~」を

書いた10.4の晩に見た夢だ。


昨晩見た夢は気味のいい夢ではない。

僕は医者だった。電車のとある一両に

乗車するが、指示だけをして、すぐに

降りるつもりだ。それはこの車両が

女性車両で乗っているのは、おばさん

ばかりで、けっこう年寄りもいる。

20人も乗っていないかもしれない。

僕が指示している内に電車は動き

出してしまった。それで下半身裸

になった人を見ないように、車両の

隅に移動するが、中の大変な様子

を見て、今までいい加減に済まして

いたのが変に責任を感じていた。

白いレースを筒状にしたようなものを

生理の女性の下半身から1mくらい

伸ばして、なにかを出すつもりらしい。

看護師でもないおばさんたちが、それ

をかいがいしく手伝う。その他の

女性乗客は一斉に黒っぽい幕を窓や

戸口にかけ、カーテンのように引き

下ろして、中が見えないようにする。

こんなことしてたんだ、と医者たる僕

は他人事である。ここらで半分覚醒

するのだが、夢と自分の思考の区別が

つかない中で、女性の下半身から

胎児?子供?のミイラの死骸が出て

来るのを見たような気がした。

夢判断では生理は幸運で、ミイラは

凶だと。どっちなのかわからない。

もともと当てにならないのだ。

::

最近では書いて説明できる普通の夢だ

った。言語野とか感覚野の膜?が重なる

ような漠然とした夢や未来ロボット風

の先端技術の複雑な夢は、自分でも何を

見たのか説明がつかない。時々だが、

そういう夢、よく見る。

陽秋の夢1.png

陽秋:画
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海岸スピードウェイと生理列車の夢 [夢]

朝の7時である。こんな時間に起き

ぬけるのもめったにないが、ブログを

書き始めるのも、まずない。

それは夢を見たからだ。久方ぶりに

壮大で爽快な夢で、10年ぶり、

もっとかもしれない。

覚えているのは単純な場面で、海の

上を街道の上を疾走するのだ。

はじめは海水浴場だと思ったのだが、

それはポスターに並んだ5,6人の

モデルの女の子が海にいるからだが、

沖合は海がもんどり返っているかの

ように分厚く盛り上がっていた。が、

そこには高速船やら泳ぐ人が小さく

見えて、海の今にも荒れそうな様相

を除けば、平和な光景だった。

すぐ近くにも眼鏡をかけた半裸の

海水浴客の中年がいたが、その人

はCGで制作したかのように、所々

銀箔や黄銅箔のように輝いていた。

人間ではなく、サーモグラフィー

のようになにか投影された立体映像

だと思えた。近くの女の子もいたが、

この子の顔はモデルの6人組の真ん中

の子と顔が同じで、手抜きの映像

なのでは?と思わせた。

ともかく海岸の水のスピードが凄い。

その女の子たちも同様のはずなの

だが、それらしい様子はなく、

僕だけがもの凄い高速で海の上を

運ばれてゆく。顔を横に向けると、

沖合から遠くの岬・半島が見え、

海は半濁して、波が渦巻いている

ようだ。

体は仰向けなので、眼の前は真っ新

で真っ青な空が雲一点の染みもなく

快晴に拡がっている。さわやか、

爽快に僕は体ごと海の上を走って

いる。ともかく気持ちいい。

そのうちに街路灯の先っぽが並んで

いるのが見えたので、ここは海水

浴場ではなく、今は海岸線の道路の

上に盛り上がった5m以上の分厚い

海水の上を運ばれているのがわかっ

た。もう海水浴客も高速船もいない。

そのうちに盛り上がりのピークに

達して、空しか見えないが、そこの

目の前になにか白い大きな物体が

あった。浮かんでいるが広告塔の

ようなものだろうか。

ダウンし始めると、この海岸道路

に出る曲線で港町の建物が並び、

そこを見ると、ディズニーなどの

企業がここらの土地を買い占めた

といううろ覚えのニュースを思い

出した。それでこの海の高速も

デモンストレイションでやって

いるイベントの一環なのだな、と

妙に納得した。

そのうちに水位は低くなり、反対

側の海に出てしまったが、そこで

は小学生らしい子供たちが泳ぎの

教室なのか、大勢で二列に並んで

海に堤防沿いに入っていく横を

走っていた。もう海水がない

岩場に到着してしまうという時、

そこの海に漁師だろうか、6,7人

が少し遠くの海で立って仕事を

している小さな人影を見た。

岩場を歩くのか、歩かずに漁師の

いる海に入ってしまうのか、わから

ないうちに目覚めてしまった。

しかし、その津波のように海水ごと

破壊的なスピードで運ばれる快感に

興奮して、忘れないうちに書いて

しまおうとなった。

爽快、快適、ジェットコースター

よりよほどリラックスして楽しめる。

めったにない気分のいい夢だった。



::

この記事は「成り果てぬ夢を~」を

書いた10.4の晩に見た夢だ。



昨晩見た夢は気味のいい夢ではない。

僕は医者だった。電車のとある一両に

乗車するが、指示だけをして、すぐに

降りるつもりだ。それはこの車両が

女性車両で乗っているのは、おばさん

ばかりで、けっこう年寄りもいる。

20人も乗っていないかもしれない。

僕が指示している内に電車は動き

出してしまった。それで下半身裸

になった人を見ないように、車両の

隅に移動するが、中の大変な様子

を見て、今までいい加減に済まして

いたのが変に責任を感じていた。

白いレースを筒状にしたようなものを

生理の女性の下半身から1mくらい

伸ばして、なにかを出すつもりらしい。

看護師でもないおばさんたちが、それ

をかいがいしく手伝う。その他の

女性乗客は一斉に黒っぽい幕を窓や

戸口にかけ、カーテンのように引き

下ろして、中が見えないようにする。

こんなことしてたんだ、と医者たる僕

は他人事である。ここらで半分覚醒

するのだが、夢と自分の思考の区別が

つかない中で、女性の下半身から

胎児?子供?のミイラの死骸が出て

来るのを見たような気がした。


夢判断では生理は幸運で、ミイラは

凶だと。どっちなのかわからない。

もともと当てにならないのだ。



::

最近では書いて説明できる普通の夢だ

った。言語野とか感覚野の膜?が重なる

ような漠然とした夢や未来ロボット風

の先端技術の複雑な夢は、自分でも何を

見たのか説明がつかない。時々だが、

そういう夢、よく見る。


陽秋の夢1.png



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夢のバイトでテロの濡れ衣、人類を想う [夢]

夢を見たら、朝なので起きてすぐ書く。それが 

よいのはわかっているが、別の何かをし始め 

ると、夢のことは跳んでしまう。夕刻、暗くなって 

から思い出して、さて、うまく思い出せるだろうか、 

と。

そう、題名を思い出した、洗脳の夢、とかつけ 

ようとしていた。思い出した。

僕の夢は一般的でないので、そんなものかと 

疑問は素通りさせたほうが良い。 

まず、風呂などの四角いタイルくらいの大きさ 

を思い浮かべて、それがプラスチックでできて 

いる。隣に同じ大きさの薄っぺらな透明の 

プラトレーがつながっている。そして、左は 

「〇〇会社は」という意味だ、字は書かれて 

いないが。右は「(仕事が)できる!」という、 

つなげて、〇〇会社は(仕事が)できる!

となる。僕は不安定な登場人物で、その夢

の場面を見ている眼であり、登場人物である、

というよくある設定だが、少し不安定なのだ。 

長いので、途中から話すが、実際、その前

のストーリーは忘れている。 

アルバイトの責任者らしい若い、30代だろう、 

男から指示され、僕らバイトは出かけるの

だが、建物のような四角いコンクリの一部屋

なのだが、そこから北京オリンピックの

スノーボードのスロープみたいな坂を下り

てゆくのだが、寸法が合っていない。1m

ちょっとしかないのだ。それで遠近が

おかしい。数mなのに、他の数人のバイト 

は遠くに見える。 

ともかく、僕も最後に追うのだ。入口(それ

も入口らしくない)を閉めようとするが、銀紙

を貼った板が棒状で邪魔をしている。土台、

スロープをたたむことはできないだろう。

で、責任者が、かまわない、と言ってくれる

ので、そのままにして後を追う。 

そこは広い一本の舗装の通りなのだが、

やたら暗い。そのうち真っ暗になる。それ

がいつのまにか地下の防空壕のような

トンネルになっている。


夢に見るいつものような地獄(想定するなら)

洞窟ではなく、雰囲気は似ているが、コンクリ

の四角い広い真っ暗な通路だ。仕事は掃除

らしい。

途中にいた人に尋ねるが、その向こうだ、

とか言われたらしい。少し明るくなって

地下のどこかの部屋にいるらしい。しきり 

がないので次の部屋にそのままつながって 

いる。左に皆と曲がると、奥のほうに直径 

80cmほどの円柱形の白いプラの容器が 

三つ並んでいたが、モップもないし、水も 

ない。

この仕事の指令は楽だった。「〇〇会社は

できる」と声をあげて宣伝さえすれば、何でも 

好きなことをしていいというもので、原則 

掃除だというだけだった。

水とモップはどこだ?とその左に折れ 

曲がった部屋を見ると、そこは講義室 

ということだったが、床に椅子が三々五々、

7,8脚ばらばらにあり、そこにマネキン 

がいろんな格好で坐ったり、立っていた

りしていた。マネキンの頭は卵型で薄い

布が貼られていて、ソフトな手触りを 

感じさせた。その向こうに白いレースを 

かぶったような、着たような小さい人がいて、 

人なのかマネキンなのかわからなかったが、 

小刻みに震えるように動いていた。なにか 

機械的で人間ではない気がした。 

その横の通路を通りながら、久しぶりに 

演説をしてやろうと思う。何をしてもいいの 

だから、講義をしてもいいだろう。

だが、口がうまく回らず、マネキン相手に 

なにを話しているのかわからない、自分でも。 

そして、その時なぜか責任者の処に戻る時 

のことを考えた。その思いつきはその未来 

の時間に責任者がもういないことだった。 

それももう絶対に現れないことだった。 

そこからこのバイトの謎が大団円(Q.E.D.

 =証明終了)を迎えた。

これは罠だ、と。 

ある組織のテロ部隊がそれを実行する日なの 

だ。そして、実行後に逃げるのだが、声明を

〇〇会社にしていたので、すぐに逮捕される 

のは、〇〇会社の(バイトの)僕らだった! 

僕らはお互いに名前も知らない。警察で 

何を聴かれても知らないと答えるより他 

にない。それでも毎日尋問は続くだろう。 

怒鳴られたり、机を蹴られたりはするだろう。 

10日もして解放されるのだろうか。それでも 

一定期間は監視がついて、日常で尾行され 

たりするのだろう。とんでもないバイトだ! 

それで「〇〇会社はできる」とシュプレヒコール

のように叫ぶ意味が分かった。それが本当の 

仕事なのだ。ただ、それだと、犯人たちが 

逃げる時間稼ぎになるだけなので、なにか 

現実味がない気がした。(夢だよ、夢)

ここからはもう半ば目覚めていたのだろう。 

思考になってくる。 

この夢の全体が見えた気がした。これは 

日本人が洗脳にかけられているという

夢なのだ、と。僕らバイトが知らずにテロ 

の片棒を担がされていたように、気が

つかずに僕らは、日本人は戦後という

洗脳にかけられている。慰安婦はまったく 

のデタラメでそれを韓国で広めたのは

田中ナントカという日本人だった。泣いて、

申し訳ないと韓国で謝罪して、そういうこと 

があったと韓国人を信じさせた。しかし、

それが明らかになっても反日の韓国は 

すでに世界的に各国政府のロビイストを 

回って慰安婦の宣伝をしていた。アメリカ 

やドイツの大学教授が愚かで、それを信じ

てまともな教授が慰安婦の真実を論文に 

したら、猛烈なバッシングを与えるという 

信じがたいことが起こっていた。日本人

は何人がそれを知っていたのか。南京 

大虐殺も似たり寄ったりで、中国が30万

虐殺されたと主張したが、大虐殺に見せる 

ためで、南京の人口を10万人も超えていた

から、ありえない、話を大きくし過ぎ、と

いうことだ。


南京への日本軍の侵攻は歴史の事実で

ある。そして、これは戦争だ。虐殺じみた

ことが起こらないはずがない。たとえ1万、

2万人でも虐殺かもしれないが、1日も

して裏切り者の中国人が日本軍に情報

を売りに来たというから、それはいつもの

ことだが、皆殺しほどの虐殺だったら、

中国人もさすがにすぐには日本軍に 

近づいてこないだろう。中国の昔でも、

項羽と劉邦の戦いでは、項羽は2万人

の敵の捕虜を同じ中国人だったが、

谷を通らせて、全員を崖の上からの石

を落として生き埋めにしたという。 

毛沢東の文化大革命では各地の内乱

で大量の殺戮が行われ、500万人とも

2000万人とも言われている。その後

の政策の明らかな失政で大飢饉を起こし、

3800万人が飢えで死んでいった。この

5000万人の死の責任は毛沢東にあり、

世界史上でこれ以上の犠牲者を出した者

はいない。スターリンもヒトラーも及ばない。

そして、この毛沢東を尊敬して手本にして

いるのが、今の習金平糖だ。 

その頭の古さ! 大時代の侵略を描いて

いる。しかし、まだオーストラリアはかなり

内部が侵食された時点で気づいて、中国

と手を切った。

いま日本は似た状況にあるが、ある埼玉

の団地の住民の50%が中国人になったり、

北海道や長野県のリゾート地の住民の

数%がすでに中国人で、その土地の 

所有者としてなっている。そして、東京、 

横浜、大阪、神戸では?すでに中国系

学校が進出している、と。あちこちに

増やす計画だろう。で、彼らの親の 

中国人が日本の学校はゆるいから、 

将来が心配でそういう中国系の学校 

に入れたいそうだ。14億人で競争 

社会になっていて、人民は平均給与

がまだ月8万円くらい。どの大学を出る 

かは親子にとって重要だ。日本の企業でも 

中国人を採用するのは、彼らが実際に

優秀だからだ。これは中国共産党とは

直接は関係ないが、 ・・。 



脱線すると、尽きない。まったく言い足り 

ていないが、キリがない。 

夢に戻そう。 

夢のバイトは騙された物語だが、洗脳では 

ない。半無意識で朝に考えた問題は戦後の 

洗脳がまだ終わっていないどころか、進行中

だという問題で、これは二つの比較は間違え

ている、ことになる。

それは大したことではない。僕らが現状に目を

向けないのは、当たり前のことだからだ。 

僕にしてからが、自分から自由になるまでの

長い期間をアメリカに洗脳された戦後の夢 

からは覚めなかった。その前にはオウムから 

の洗脳と自分を切り離す必要があって、それ 

が前提として必要だったのかもしれない。

無意識にまで携わってからも長い年月だった。

それでやっと日本の現状が世界と共に

見え始めた。その意識改革を思うと、ブログ

の一つや二つ読んでも、なにがわかろうか、

というのが正直な心情だ。こんなことは予想も 

していなかったから。

前向きに生きる、という言葉があるが、自分が

どこにいるのか、自分の場所がどんな状況に

あるのかという、目の前の現実を知らずに 

どうして前向きに生きる、とか言えるのだろう。

長い物語だから2,3年かけて、一つ一つ 

自分で確かめる必要があるだろう。間に合う 

とか、間に合わないとか、考える必要はない。

始めたら、自分の歩調で歩むしかないからだ。



始めるしかないことでも、始める意義や意味が

まったくピンとこない人のほうが圧倒的に多い 

だろう。僕が見ると、アメリカも中国もロシアも

イギリスもヨーロッパのある国々も中東も、 

その政府や金融資本家やグローバル起業家

などの富豪にはクソが多い。が、そこに暮らす

全人民を見てみれば素晴らしい。

僕らができるのは、この世を善の世界にする 

ことではない。それは急転直下で悪の世界に

なり替わってしまう。その法則の一つにマルサス

の人口論があるが、これは非人道的に人口を 

削減しても構わない、というものではない。 

もちろん、悪の世界を目指すとかは、論外だが、

悪を滅ぼすことは、善を滅ぼすことに通じると

知るべきだ。究極の悪でも究極の善でもない

世界の幅広い中間地帯で、人類は善悪に 

拘泥しない(こだわらない)ため、どうバランス

を取ればいいのか、が僕らの世代ごとの課題 

になる。なにもしなくても世界は変化に襲われ 

続けるからだ。そこには夢も一番大切だが、

現実的な悪の知恵(の応用)も科学技術も 

必要になる。 

人類が生き延びるためには総動員の知恵の

集中が必要になる世紀が、必ず来る。これ 

までもそうだったように、これからもそうなのだ。

今がそうだ。 

これまでのように目の前の問題を機械的に、

また、一時的にやっつける短視的思考では 

なく、自分という知的思考から担ぎ出された

単に鏡に過ぎない未来ではなく、人間の側 

から視た人間らしい工夫や心情に寄せた

長い目で見た改良・改善がテーマになる

はずだ。  


まだまだ書かなくてはいけないのは知って 

いるが、一時に一遍にしゃべっても、頭に 

残らないだろう、小さな切り口は開けたつもり 

だから、この辺で。 


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ちゃんとした映像だが、なんだか [夢]

最近、普通にふつうの夢を見れるようになった。 

ちゃんとした映像なので、それがなにかが理解  

できる。それだけでも進歩?したほうだ。  

夢は相変わらずわからないストーリーだが、 

印象に残る少女の顔だった、 ・・・。 

途中からだが、その前を覚えていない。自分で  

自分の車を運転していたのは覚えているが、  

もう運転手がいて、軽自動車を運転している。 

僕は後部座席に座っているのだが、壁もなく、

鉄骨の屋根の枠組みはまるで、荷台に乗せ  

られているようだった。  

運転手のいる身分になってみたかったから、 

(と思っている、)それでもいい気分だ。 

ところが、今度は自分でその黒い軽を運転  

していて、前から運転手が横町から出て来て、  

すいません、となにやら追いかけてきた様子  

で、どうやらすっぽかしたシーンで何かあった  

様子だ。その運転手は女子で、細面で  

色気のない顔で、頼りなさそうだった。こんな  

子の運転で車に乗っていたのか、と思いながら 

停車、彼女と運転を代ろうとして、停まった  

すぐ横にまた黒い車だが、衝突事故にでも  

あったのか、車の中央がへこんで、停まって  

いるのが見えた。ところが、そこから家族らしい  

人たちがぞろぞろ出てくる。  

何事か、と思っていると、自分の車のトランクが  

開いていて、端っこに小さく炎が見える。そこに  

人影があって、その腕を押しつけているような  

恰好。慌てて、火傷するんじゃないか、と引き  

離そうとする。すると、それは小さな女の子で  

自分で起き上がる。服装が事故車から降りて  

来た人たちと似ているので、その家族の一員  

だな、と思うが、なぜか、女の子がいやだ、帰ら  

ない、と駄々をこねる。僕はあろうことか、女の  

子の髪をつかんで引きづり倒し、顔を地面の  

泥水に浸けてしまう。  

それからまだ20代だろう、頼りない運転手と  

その子を見守るのだが、どうもこの子はあの  

家族の一員ではないらしい、そして、彼らも  

家族ではなく、難民に近い境遇らしい。 

それではこの子は駄々をこねる権利?資格?

がある。こちらもしゃがんで女の子の前に顔を  

寄せると、胸にピン止めしたネームがあって、  

どうやらどこかの小学生らしい。それを触るか  

触らずかの時に、彼女の顔を見たら、デカイ。  

小学生の体に大人の顔の大きさが載っている。  

それも目が小さいだけで、仁王のようないかつい 

顔をしている。おでこが広くて、大きな饅頭顔だ。  

女の子も、もう泣かないで黙っている。 

このでかい顔で僕はこの小学生に興味を持った。 

一緒に暮らしてもいいか、と思った。  

― というところで、目が覚めた。たぶん、30秒も  

かからずに見た夢だろう。それは夢なのだが、  

その女の子の印象が強くて、これは書くな、書かず  

にはいられない。つまり、ほんとうにその女の子を  

連れて帰りたかったのだ、覚めても。  


解題だが、これは昨晩ブログを逍遥していて、猫の  

引き取りブログを見たりして、実際は犬をさがして  

いたのだが、その写真の猫たちだろう、送信して  

きたのは。難民ではなく、引き取り手のまだない  

猫たちだと推測すると、つじつまは合う。  

小学生の女の子をしゃがんで前にすると、顔や衣服  

に泥はついていなかった。また、トランクの小火も 

すぐに消えた映像があったと記憶する。  

潜在意識、または深層意識だから、またアメリカで  

の実話だが、引っ越しで近所をうろついていて、人間  

の家族に置いて行かれた飼い猫が、車で去った  

家族を求めて百キロ?の旅をしたという。3週間で  

家族のもとに辿り着いたときは、もうボロボロの 

状態だったと。その頃、スマホはなかったろうが、  

電話はあった。が、猫は電話できない。つまり、 

地図とか何も調べずに、家族がどこにいるのか、  

どうしてわかったのか。ろくに飲食もしないで 

3週間もなにを頼りに歩き続けたのだろうか。  

家族の脳波だろうか、不思議な話だ。  

そこで野生の鳥やカラス、魚や動物などに  

送信されたり、これまでに数回挨拶されたり  

した(島のトンビに1回、座間のカラスに1回、  

どこかのアオサギに1回、助けた魚は水中に  

帰る直前に水面でジャンプして見せた1回、  

グアムでの太刀魚に似た3匹の剣のような  

銀色の魚1回、千葉の外房など1回、動物  

<人間の幼い子>からは10回近く、

北アルプスではキツネが僕を薮でだまそうと  

したので、逆に後から追いかけたという挨拶  

をし返したのが1回)僕としてはふたつの疑問 

が浮かぶ、ひとつは僕は妻の意見を押し切って、  

これから動物を飼うのだろうか。最後までは 

面倒見れない。こちらが先に亡くなる。

ふたつ目はそれは犬なのだろうか、猫なの  

だろうか。 

昨晩は「犬に遊んでもらう本 2」を少し、読んだ。  

巷の夢判断という本は、あてにならない。大金が  

入るといった夢を以前に、何回か見たが、一向に  

ロトは当たらない。(当然だが・・・・笑)

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現実と夢は紙の裏表じゃない [夢]

なぜかブログを書いている、といった状況  

というのだろうか、そこで反射する(反省する) 

心境は静かなものだ。なにか書きたいことが  

特別あるのではない。  

吉田兼好もそんな感じで日記を綴ったのだろう。  

「徒然なるままに」、とはそんな状況で、「あやしう  

こそものぐるほしけれ」、と、なにか正気を失う  

ような心地がするよ、というのも頷ける心境だ。  

口幅ったいかもしれないが、昔から日本人は  

こうして日記を書くのが習慣の心境だったの  

だろうな、と思う次第。  

落書きをひとつ。 ::

そのそうらへば、養へば、また柿も赤めり、 

言わぬ傍から蕎麦屋のかたわら、閂指し  

いかにおはすや、ぬめり、まねり、夕霧の  

阿波の鳴門の恋やさし。いざ立ち出でぬ  

ことも言問い海(わた)の原、八神殿の  

やなぐりに、そよゆかし湯掛けのくさめ  

かまびすしき響きあり、今宵また歌を  

整へん。  (意味不明丸出し)  


またわからないことを言い出すが、僕らの 

認識する時間は、時間ではないだろう。 

そういう認識体系では理解を越えてしまう  

のが、僕らの知らない究極の世界の一端  

を示す。だから、量子力学が僕らの常識を  

越えてしまうことに、驚きはない。アインシュ 

タインはミクロ(素粒子)の世界の法則も  

同じ物理的法則があると、量子力学には  

反対したが、神はサイコロを振るばかりか、  

確率さえも無視するのではないだろうか。  

僕の行動様式は常人のようではない。 

まず気づいたときの勘、またはなにかしらの  

無私な直観で示されたものに従う。それが  

何かは考えない。そして、その行動の結果に  

いつも教えられたり、驚いたり(小さくだが)  

している。そのことを(まったく想像を超えた

論理で)言うと、それはまず未来を知ること  

から始めている、ということ。そして、現在は  

行動している時間で、後からそれを整理して  

みるとはじめからうまく行くように行動した、  

となる、なってしまう。これを運がいい、とか  

今日はついている、うまく行った、と思うの  

だが、それが度を超えると、もう確率では  

なくなってくる。必然の領域だ。  

しかし、それを支える論理は存在しない。  

推論だけだ。僕は無意識に未来をすでに  

その瞬間、受け入れる。なにかは認識でき  

ないが、その直感を受け入れて、その感じ  

の通りやその時その時のサインを見て、  

それに従って行動する。それは驚くほど  

うまく行く。行動しながら、頭はそれなりに  

予測するのだが、それを超えてピッタリ  

に成就するか、時にそれが外れることこそが  

その本当に成就だと、気づかされる。  

それには日常なので、取るに足らない成果  

もあるが、活力を与えてくれるような結果を  

もたらすことも多い。  

何気なしに自分は未来を生きている、と書いた  

ことがあるが、それはそういう気分の表現だと  

思っていた。だが、それこそ、実は事実じゃ  

ないかと考えることもできる、そう思うように  

なった。そうだと結論づけて、確信したの  

ではない。まだ未決定事項になっている。  

そうすると、日常の感覚では理解できない、  

未来が過去であるということが、側面か  

一端で理解できる。知っていれば過去だが、  

無意識下ではそれは知られていない。しかし、 

僕は無意識に慣れて??いる。  

思えば、還暦から無意識に突入を決意して  

それからだ、日常が因縁じみて、同位性や  

シンクロ(同時・同調)した出来事になるのは。  

デジャブは変わらず、まれにしか起こらない。  

しかし、関連性のある物事は飛躍的に増加した。 

それが頻繁であるからと、それが必然だとは  

思えなかった。こういう偶然が頻繁に起こるのが  

実は僕らのフラットな状態じゃないのでは?という  

疑問に気持ちが傾くようになった。僕らが悩み、  

迷うから僕らは不必要に複雑になる。不解決な  

芯をもつことで本来、道を切り拓く力が分散  

されてしまって、より科学的、物質的、権力的な  

物事・サービスに依存するので心が弱められて 

いる。  

ただ単純になっただけで、物事はそこから始まる  

から。それは自然にスムーズになるではないか、 

と僕は考えてもいいのでは、と思い始めている、  

最近のことだ。  

そうすると、僕は時に、今が過去の時代にいて  

それを味わってもいいのだ、この今をまるで昭和  

に感じることがある、その感興が来ることを  

そのまま信頼できる気がするのだ。錯覚とか  

幻想ではない、と。理想とか、思考の憧憬では  

ない現実の確かな一面だと。  

マトリックス(映画)は幻想だし、おとぎ話めいて  

いるし、そう感じたが、そういう世界観は、そして 

それは実世界として存在している、ということが  

決しておとぎ話ではない、とやっと実体験ができ、  

それが重なることで見えてきたものとして、夢とか  

現実とか、幻想とかリアルとかいう言葉が僕には  

とても危うげに感じられる。とても頼りにならない、

パスカルとは反対の意味で、人は考える力を  

持った強い一本の葦なのだ、ではなく、考える  

力では心の独立もできない、弱い一本の葦に  

見える。

僕はひと頃、評論家・小林秀雄が晩年に僕は  

横町の隠居になりたいのですよ、という発言が  

どうしても理解できなかった、彼の本は70%は  

読んでいたにもかかわらず。  

ある時、図書館で彼の講演集をCDで借りたこと  

があった。音声として、彼がどんな声で喋るのか  

学生相手の講演を聞いてみたのだ。すると、  

聴いて、10分もしないうちに、小林が横町の  

隠居になりたいという言動が、謙遜や自虐から  

出たものではなく、そのまま小林なのだ、という  

ことがわかってしまった。この声は、落語家の  

声だった。横町のご隠居の声だった。これには  

驚いた。小林の見事な批評文に魅了され、その  

姿に理想的な知識人を思い描いていたのが、  

誤解していた自分なのだと気づかされた。  

小林については、三島由紀夫と親交があった 

ドナルド・キーンが「日本文学の歴史」で、小林  

について、こう言う:: 

「昭和の批評が小林という存在を抜きにして  

どのようなものでありえたかを想像することは  

難しい。(略)もし小林がいなかったなら批評が  

かくも目覚ましい進展を遂げることはなかった  

だろうし、また批評が文学に携わる人々のみ 

ならず広く一般大衆の注目を集めるようなこと  

(モーツアルトや近代絵画の随筆で、例えば、 

モーツアルトの日本ファンが増えたことなど:

注〉陽秋)にもならなかったろう。小林の批評は  

精妙かつ想像力豊かな独自の世界を築き、

(略)今もなお変わることなく読み続けられて  

いる。小林だけが昭和期の唯一重要な批評家  

というわけでは決してないが、小林が日本の  

近代批評を創造したことだけは間違いがない」  

::


という絶賛の評である。ドナルド・キーンはアメリカ  

に家族がいたので米国在住だったが、奥さんが  

亡くなり、自分の希望が果たせる機会を持てた  

ので、その後すぐに高齢で日本に帰化している。  

日本人になりたかったのだ。  


小林で感心したのは、思い出せないくらいあるが、  

その中で、〈一つの言葉(文)には一つの意味しか  

ないのは驚くべきことだ〉、という意味のことを述べて  

いたことだ。僕らは、通常、逆だ。一つの文には  

いろいろと解釈できて、同様に物事を表現するには  

幾通りもの表現方法がある、と。それが彼にかかる 

とその言葉で一つの意味にまで昇華できるほどで  

なければならない、としたことはどれだけ言葉を  

芯にまで凝縮して考えたか、ということだ。

ある噂では、小林が山の温泉宿で缶詰めになって  

書いている時に、編集者のものがその部屋を覗い  

たら、原稿のある机の周囲を四つん這いになって  

うんうん言って、回っていたという。話は大きくなる  

から、実際は違うのだろうが、それほど考えに  

考えた、というのは本当だろう。ドストエフスキーの  

長い小説を書くときは、それを5回は読む、という  

から、僕にはできないことだ。ま、タイプが違うが。  

ま、小林は周囲が持ち上げるほど、自分が大評論  

家だとは自惚れていなかった。小林は言葉で人生  

を切り拓いていた、それは人間を切り拓くことだった。  

相手と関係を結ぶために、言葉という剣で戦うのだ。  

文字通り、決着がつくまで相手を許さなかった。 

白洲正子がまだ若妻だった頃、若い小林や河上  

徹太郎、天才の青山二郎たちの集まりに、夜な夜な  

出かけて行ったそうだ。初めはやり込められて、さぞ  

泣いて帰って来たことだろう。が、慣れるまで食らい  

ついて彼女もいっぱしの随筆家になったから、根性  

のある才女だったのだろう。

 
彼女の文を一度読んだが、途中、小林の言い方が  

そのまま使われていて、ニヤリとした。この頃は  

小林哲学の弟子そのものだったのだろう、と。  

遠い橋がある。 --・・・ そういう想像をした。  

昔、夢で見た、いくら歩いても橋に近づけない。  

そういうもどかしさ。それは思い出さなくても、  

そもそも初めからあった。そういうことへの  

直接の関係は持つことができない。それは 

人生でそれとは共に生きてゆくことができない。

そう思っていた、だが、  

それは終わりを突き詰めてみれば、現実では  

ないもので、だからこそ、それを僕らは見続ける。  

そして、僕らは思うのだ、  

あの遠い橋を、いつか渡ってみたい、と。  

’現実に夢がある’ような、それは夢ではない。’夢  

という現実’は幻想ではないもので、リアルにある。  

僕らはそれを通常は見ない。一度見てしまうと、  

忘れない。認識が自分という知的な範疇にある  

のなら、それは夢という幻想であり、現実とは  

異なるから詭弁に思えるが、認識が思考を  

超える範疇なら、届かなくても遠い橋は存在する。  

永遠が掴めないのと、同じだ。  

それで思うのだ、  

いつかあの橋を渡ってみたい、と。 だから、歩く。  

だから、活きる。  

だから、勇気とともに生きる。 


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日本の、明日という夢 [夢]

日本が素晴らしいと思う、ひとつのことは清掃だろう。 

自分の家の周囲はまず雑草など除いている。それ

だけではなく、なにか花や植木を育てていることだ。 

香港の島はリゾート地になっているが、想像とは

異なり、汚い。歩く小道でも水道工事だろうか、して

いるのだが、中途にしているのか、道具も置きっぱなし

だったりで、見て気持ちがいいということが、少しも

意識されていない。すると、その汚さが強く感じ

られるのだが、それこそが僕が日本の環境に

育ってきたことを証明するようなもので、日本は

ともかく、世界から比べて、かなり清潔なのだ。

そういう気配りが常態になっている。 

そうして、花を植えている家は普通なので、それが

普通じゃないのだが、その種が飛ぶ。そして、ブロック

塀の下や、わずかな土のある処に種が飛ぶのだろう、

そこから花が咲くのだ。それで我が家の周囲でも勝手に

いろいろな花が雑草のように咲いている、という状況が

ある。これは思ったよりも素晴らしい状況で、季節の花が

今なら菖蒲とか大きな花びらが着物を想わせて、咲いて

いる。少し、近づいて見るだけで、どれだけ美しいことか。 

僕らはそれを気にしないで見過ごしているのだろうか。 

そういう人は、ずいぶん勿体ないことをしている。 

花は生きているから、その輝きは深い。よく見ていると、

美しさがその色の中に吸い込まれるようだ。絵の具の

何色でも、一色というのがなんと貧しいことか、と気づく。 

単色に見えてしまうものが、深いのは光の反射が

あまりに細かく、乱反射するので、色も表に出たり、

内に入ったりして定まらず、それが深さを添えている

のだ。 

日本ほど、近所の散歩をして季節を楽しめる国は 

そうそうないのではないか、と思う。それは僕が

そういう海外の地を旅行していないせいでもある

だろうけれど、そういう面では日本は第一等国だろう。  

どうして僕らはそれほどに自然を慈しむのだろうか。 

ブログを回っても、マニアとか商売をしていなければ、

圧倒的にどこでも犬や猫、鳥でなければ花やどこかの

施設の庭や造園、風景の映像が貼られている。

それに飽きるということはないようだ。それは不思議な

ことなのだけれど、それをそう思えないほどに生活の

中に溶け込んでいる。



ずっと  ここにいたのに  

街は  見違える ようだ  

・・・・・・・・・・・・・・・、  

・・・・・・・・・・・・・・、  

多い、 あまりに多くの  妄想じみた  

点景   情景が   流れゆく  

心  やさしく  

気持ちよく  揺られ  

君に  抱かれる、 ・・・  

「 もう 泣かない  

もう  逃げない  

懐かしい 夢だって   

終わりじゃ  ないのよ  」*  

明日まで  続く道が あるから  

明日が  あるのだろうか  

そのために  この夜が  あるのなら  

この夜を  

僕は  抱きしめるだろう  


ずっと ここにいるのに  

それを 抱きしめる人と、  それを 甘すぎると感じる 

人が    いるのだろう。 

あれはタイだったろうか、観光の旅行者だとみて、

車椅子の老女にも見えたが、まだ中年だろう、

売り子だった。障害者の売り子は珍しかったが、 

長いことやっているらしく、僕は安い地図しか買わ

なかったが、ほとんど事務的にお礼を言って、次の

客を求めて行ってしまう。もう10年以上もこの仕事

で食べているんだろう、話しかける暇もなかった。 

彼女にはどれだけ売るかはノルマがあって、命がけに

近いものがあるのだろう。観光客の暇な話につきあう

余裕はないのだった。それは夢を破られる感じがした。

人は皆、平等じゃない、と。愛で飯は食えない、と。 

日本人はどういう夢を見ているのだろう? 明日という、 

いい人という、お上(政府)を信じるという、それはいろいろ

で、それを受け止める人も受け止めたくない人も、そういう

ことに関心のない人も いろいろだろう。

僕の夢は、まだまだ続くようだ。それはそれが儚い約束だ

とは思っていないからだ。

「 懐かしい 夢だって   

終わりじゃ  ないのよ  」

明日を信じるというのは、欺瞞のひとつだと決めつけた

知の優位な時期もあったが、人は変わるものだ。  

僕は、明日を信じようとしている。



* :
「 」内は、平原綾香の「明日」の歌詞から。
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