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心の掃除と楽しみ [日記・思考]

深夜はとくに冷えるようだ。

徒然なるままにの心境がますます

深まるように冷えゆく気がする。

雪が降ったかのように、空気が

シンとしている。

その中には孤独ということが

よく当て嵌まっている気がするが、

残念なことに一般の孤独にはなれ

ない。人との隔絶感、社会との疎遠、

家族との断絶、友人・恋人との些細

なトラブルの遮蔽感、そんなつらさ

をいうのだろうが、それは自分との

不適応によって起こっている。自分

が外の世界に対して起こしている

もので、本人は自分が責められて

いる気がしているが、村八分にし

ても本人が村の掟を破った罰だろ

うに。

僕らは常にお互いに理解し合って

いるが、期待と効果、またその需要

(要望)と供給(褒美)は釣り合っ

ているのではない。期待の割に効果

が得られないのは、期待が強いほど

には的を得ていない営業や誘いである

のだろう。強さも大きさもそれぞれ

の知識や価値観・そのものへの基準が

異なっていて、うまく嚙み合ってい

ない。理解しやすいのは、その点に

ついてのお互いの気持ちの表れであ

って、さすればさらに交渉なり検討

なりが必要になる。

気持ちだけではダメというのは、

気持ちが必要だが、十分ではないと

言っている。細かく言うと、大きな

カテゴリーで何を理解していないか

はお互いに分かるものだ。

そうではなく、その中でなにをどの

程度理解しているか、どの部分の理解

が足りているか足りていないか、それ

を自分と相手との差で見分けること

が必要になる。

そういうことだから、その場の人間

関係というのは半無限大にそれぞれ

の人ごとに異なっている。そこで

お互いに理解不足なのが出発点だ

から、はじめからこれはわかっている

だろうと相手に期待するのは、実は

無理なことに入る。

そこで礼儀を弁えて余計な摩擦を

起こさずに、話し始めるのが第一段階

ということになる。

いつもいい加減な会話で済ませること

ができるから、大切なことを伝えたり、

理解が必要だったりすると、そこも

いい加減に済まそうという癖が出る。

言ったじゃない(私の意味で)、言っ

てることが違うじゃない(あなたの

意味では)というすれ違いも起きる。

そうそう大切なことはないので、

普段通りの習慣でいい加減なお喋り

流に話してしまうのが、誤解の基に

なっている。

だから、大抵の人は手紙を書くのは

嫌がるものだ。時間がかかる。字に

すると意味が決定されやすいから、

いい加減に書けない。メールでも

挨拶や連絡ぐらいで、大切な内容は

手紙と同じで伝えにくいだろう。


僕らには「話せばわかる」という

言葉があるが、それはまず相手が

聞く耳を持っているかが重要だ。

そういういろいろな事情で、お互い

というものは誤解しやすいのが、

現実の現状というものだ。そこで

当たり前に常識での理解を前提に

して相手に期待することが、まず

期待できないことを知ることだろう。

ここで言うと、僕らの常識はあなた

たちの常識ではないし、微妙にも

大きくも食い違っているかもしれない。

私の言葉はあなたの理解している

言葉ではないのが、まず前提に検討

を加えて考えねばならないことだと

思える。


だから、僕にとって人はいつもそこ

にいる。いても理解には程遠い。

挨拶して、差し障りのない会話で

笑えばそれでいい。理解し合えない

ことで、寂しさを感じる必要はない

のだ。テーマが複雑で重要になった

時に慎重さが要るだろう。

その気持ちの分け方ができていれば、

あとは理解の不足をどう埋めるか

だけで、じっと状況を見て、考えず、

何が起きていたかを見て取るだけで

いいだろう。

もう解決の方向に進んでいるのだから、

孤独にはなりようがない。


しかし、孤独感がないにせよ、まだ

嫌なことは残っている。退屈という

やつだ。楽しいことを探すのは、スト

レスからだろう。そのストレスを見つ

けるまでは楽しさに惹かれる。落ち

着かない。食べたり、飲んだり、

トイレに行かなくていいか、などと

余分な用事を作り出そうとする。

いい加減な処で妥協することも多い

が、それは先延ばしにしただけな

ので、いずれ片づけなければならな

い。これは何をしているのか。どん

な意味があるのか。


心の掃除である。そういう小さなごみ

を心に残して増やしても、見えないが

確実にものごとは見えにくくなる、と

僕はそう見ている。フロントガラスを

磨くようなものだ。視界が悪ければ

事故も起きる。理解力も鈍る。

見たくないものもよく見て見切って、

そこを見ないように塞ぐこともない。

車ならわかりやすいが、心は見えない

から掃除は怠りやすい。

自分の内に腐ったもの、臭いものを

見切らないうちは、他人や社会を非難

するのはた易い。それらはわかれば、

自分への非難に変わって、自己嫌悪に

なって戻って来る。

自己嫌悪するほど自分を見切って、

それを正しく認めれば、やがて自分

をも人を好きになるように好きになる。

これはわがままな自分を甘やかして

好きだというのではない。

だから、自分を理解した分だけ、人を

理解できるのだということも、あな

がち間違いではない気がする。


こうして夜長に書いていると、あっ

という間に1時間も2時間も過ぎて

いる。退屈させないために書いて

いるのかもしれないな。

ともかく書いていて、途中で何を

書いてこうなったのかが、わから

なくなる時がある。

ともかく書いてしまって、あとで

読み返してなにを書いたのか、

半ば反芻してみよう。

で、

― また楽しからずや。

室町時代であっても、夜の空気に

「室町時代何年目」とか書いては

いなかっただろう。今夜は、しかし、

そんな室町の夜と同じなのかもしれ

ない。たまには室町の空気を嗅いだ

ほうがいいのではないか。

で、

― また楽しからずや。




         1.30 少し 2.4
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屈人織辺の日記 8.無盡蔵 [日記・思考]

先日、益子に伺いました。益子は濱田

(庄司)でした。まるで彼がすべてで

あるかのような、街並みと素人、若い

作家の群れでした。

それは結果を考えれば、意外と言えば

意外なものでした。益子町の観光案内

の地図を見ても、濱田庄司亭とか、それ

から少し離れた場所に濱田さんの参考

館がありましたから、名前は知ってい

ましたが、益子を訪れたのは、飽くま

でも全国の焼き物を訪ねたい、という

その一環で、濱田さんに注目したもの

ではありませんでした。とは言っても、

柳宗悦から見つけた民芸運動家たちの

ひとりに濱田さんを見つけ、その参考

作品から一番に濱田さんの作品に惹かれ

ましたから、その作品が直にみられる

ことは楽しみでした。

そういう経緯だったので、まさか益子

焼の印象が濱田一色に変わることなど

予想ができなかったわけです。



ところで、この日記を今日始めたのは

濱田庄司が晩年に書いた「無盡蔵」が

届いたので、読み始めたら、これだと

いう感覚が書かれていて、びっくりして

坐ったということです。

以下、引用::

「たびたび床に掛ける副島種臣の「南薫

閣」という書軸を棟方志功君も好きで、

いつも感心してくれるが、いつぞややっと

この書に対する答えができたからといって、

「無盡蔵」と書いた大幅を持ってきてく

れた。なかなかいい出来だ。

ただこれを、いくらでもあるから「無

盡蔵」では困る。私としては、「こと

ごとく蔵するなし」と読みたい。私が

好きなものを持つのは、それが自身の

眼で選んだ心の食べ物なので、もう

食べ尽くして座右に残っている形は、

すでに物の形ではなく、感謝のしるし

としてのお護りだ。そのせいかいつ

出しても愉しい。」::

濱田さんは自然と生きた人です。確か

「窯にまかせて」という著作もあった

と記憶します。最晩年の本でした。

陶芸は土によってその様相を変えます。

それは釉もそうであります。窯に至っ

てはその焼成の様々な条件があり、

それを人がします。そのうち電気窯の

自由なプログラミングが主流になるか

と思いますが、登り窯などの焼きの

結果が見えない、自然任せの窯は

残るでしょう。できるものの面白さ

は自然とのコラボになるので、その

わからなさ、なにが生じるのか、

予想を超えた焼成に魅力を感じる

陶芸作家は今も、そしてたぶん、これ

からも跡を絶たないからです。

粘土にする土の配合の微妙さによっ

ても、また釉の配合によっても、

また焼成の酸化と還元のふたつの

焼成によっても、まったく違う色に

焼けます。絵の具ではないんです。

単に塗る釉によってその色が発する

という単純な仕掛けではない。だから、

それは無尽蔵を予感し、予定する

ものになるのです。

いつまで経っても、陶芸経験百年でも

思い通りのものができない。できる

ようにはなるが、絶対に完璧では

ないのが、もう陶芸を初める頃には

覚悟しなければならない。それが陶芸

の面白味でもあるのです。

僕は秦野の香窯という教室で自分の

試作の小さな花器が粘土の段階で

そこに形を現した時に、その物に

囚われて、感動しました。そこに物

がある、という至極単純なことが

どういうことなのか、その物から

教えられたのです。濱田流に言えば、

負けたということです。

人生にはこういうように負けることが

必要だと教えてくれる人はいません。


すべて、その人が芸という旅の途中で

物と対峙して見出してゆくものです。

僕はどこかで、教室の先生に、また

ブログかメールに、絵画展での感動は

精神的なものだということが、陶器に

感心して、自分の花器に教えられて

わかったと話し、書きました。

東京の美術展などを巡って、次第に

陶器への感動が高められて、物の

世界への突入になりました。

それで益子へ行って、笠間へ行って

精神的なというよりも、肉体的な

満足を覚えて、帰ってきました。

これはなんとなくから、はっきり

したものになって、僕の腹を満たし

ました。そう、満腹感によく似た

ものです。だから、絵画とは違う

ことが比較出来て、よくわかる。

上記で濱田さんがいみじくも書いて

いるように、「自身の眼で選んだ

心の食べ物なので」と言うように、

まったく腹の満足なのです。

いろいろ解釈はあると思いますが、

益子で濱田さんの自宅などの気に

同期したのだとか、読んだものの

潜在記憶が確信の動機になったとか、

けれども、事前に花器の感動が

なければ、そういうことも生じ

なかったでしょう。

濱田さんが「心の食べ物」と言った

のには驚きましたし、それは単に

比喩なのではないことが、はっきり

わかりました。ものの世界という

のは冗談ごとや、比喩のこと、そう

いう架空の話ではなかったという

ことです。

棟方志功がどこかを見ながら、そこ

と話しながら、作品を彫っています

が、話をしている時は、板なんか

見ていない。「そこもうちょっと

見せてください」とか、あれも

不思議な話で、彼にはなにか見え

ていたとしか、今になるとそう思え

ます。

どうしてものの形から、形ではない

無盡蔵と見破った、無限な世界を

感じ取ることができたのか、それを

僕も知ったというのが、7月から

陶芸を始めて、見て、聞いて、試し

て作って、という過程を経て、見出

された、求めてもいなかった世界が

「もの」だったようです。

無盡蔵1.JPG
題字: 棟方志功

無形文化財というものがあります。

濱田さんが人間国宝だとは知らない

ことでしたので、その先入観は

避けることができました。

踊りなどは人間国宝はよく聞くし、

形のない芸術のように言われます

が、その目の前のものや動きを

突破?することに、その無形の

ものに触れるのでは、という気が

します。それがそれぞれであるに

しても、芸は無限だ、書は無尽蔵だ、

陶器は・・・、というのも同じだと

いう気がします。

そういう日本の芸の歴史に浮かぶ、

道を究めたと言われる芸術家たち

は、ほんとうの処は皆本人たちが

言っているように、道は究めがたく、

無限だということを発見した人たち

で、彼らはその入り口に触れてみた

人たちだという気が、今回のこと

が起こってみては、今まで想像上の

(あるんだろうなという)世界でし

たが、日本の系譜の一部がわかった

ような気になりました。


いつでも、これから。

それが芸の道。ほんとうは人生も

辿り方次第で、そういう開け方を

するように歩めるのではないでしょ

うか、とも山の頂上からもっと遠く、

もっと高くの山々を眺めるように 

茫然としながら想いました。
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おお、工事中 ガッデム [日記・思考]

不思議だが、今まで書いてこれたのは

何も書けないという前提を認めることで、

そこから何かが生まれて、書き始めた

ようだ。

この最近は少しテーマが引かれて出て

きても、そこからは覚えた理屈や考え方

を、感性やトークではなく、しっかり思考

で構築して、書く方向に寄せる傾向に

なっている。それだけ現実の側に軸足

があるということなのだろうが、心中の

ことであってみれば、大まかな感覚しか

伝わってこない。

(夜の9時から前の道路で工事の準備を

始めたから、予告通りに朝まで工事。

8月中は寝られないだろう。)

ボロディンの第2交響曲をヘッドホンで

普段は聴かない大音量にして聴く。

工事が始まったからだ。どこかへ

寝に行くのもいいが、適当な場所を

選定していなかったので、その気に

なれない。

音楽がうるさいので、中央アジアの

草原にて、に変える。ボロディンでは

一番有名な曲ではないか。

突然、耳の割れそうな音が、・・・・・

テイラースィフトに変更。音量も下げる。

工事の最大音量の作業は一時停止

してる様子。音楽だけで凌げる。

少しは時間が稼げそう。

でもない、麻雀ゲームを始めた。予想

通りに東4局で逆転負けになるので、

PCを再起動させる。ゲームは死なない

ので緊張しないし、真剣にもなれない。


また時間の無駄をしているようだ。

無駄というものは、できるだけ無駄に

なった方が良い。そのあとでなにか

褒美があるのではないが、いいのだ、

そう思える時が来る。もっとも、多くは

忘れてしまってから来るから、気づか

ないうちにそれは過ぎ去る。そうやって

僕らには人生の裏側が造られてゆくが、

それは見えないまま過ぎ去る。そうしない

と僕らはなにかを昇華して、なにかを

清浄にできない、となぜかそう考えて

いる自分を知っている。

確証がなかったり、(ヘッドホンで耳が

痛くなって、位置をズラしたりして)なにか

が心や体を通り過ぎてゆく。それだけで

なく、なにかを残してゆくものにも、あまり

心を砕くことなく、気にしなくなった。

目の前の海にプラゴミが小さく浮いて

いたとて、大洋の壮大さは損なわれない。

それが確かなものだとかではなく、そこ

に感性の対象になるものは、幻想の

嘘っぽさや神秘の気味悪さに触れて

いなければ、なんでもかまわない。

それがある意味、存在して、まだわから

ないものとしてあるものだというのを

認識してかまわない、と思うのだ。

そうしないと、この壮大な世界でなにも

見る(感じる)ことさえできなくなる。

成功するとは、一種大雑把になることで、

なにごとも神経質に気にすることでは、

覚束ない。

そういう面がある。ある程度まで来たら、

あとはえいや!で決めてしまって、うまく

いくのを確信したいなど、思わないことだ。

考えていることと、実行することには

はっきりした境があり、海面が燃えて

いても海中は燃えていないはずだ、と

あとは飛び込んで見ることだ。その

切り替えはやはり、心が行う。脳に

任していたら、いつまで経っても、

燃え盛る炎をただ見続けているだけ

に終わる。

やってみてなんぼ、やってみた結果で

自分を、ものごとを、世界を判断する、

考えを調整する。そして、次の試みに

備える。だから、最後は成功する、

その方向に結びつけているからだ。

この場合は社会的成功という一部の

ことを言っているばかりではない。

僕らの夢や現実も含め、世界問題へ

の解答全般への通過合格の例を

言っている。

(また工事の音が大きくなってきた)


エンドゲームがヘッドホンに流れて

いるが、工事のエンドの歌ではない

ようだ。

(音、、、、デカ過ぎだろ)

ヘッドホンのボリュームを上げるが、

それって半分、逆効果になっている?

さて、この騒音の嵐のなか、何を

すればいい?


おお 工事中  

すべての  雨が  降るよ  

音符の  あられ、  大洪水  

ベイビー  眠っていなよ、なんて

言ってられるか  ボケッ! 

なんて毒づいていると、また小康に。


ガールフレンド

福岡の 神輿の  飾り場所が

川沿いに  あった

ミルクのみ人形  

バラテンダーな 文字が 恰好いい

横文字で  おお  外国的  

なんで 自転車の  尻に  

ついて  追いかけて  来るんだよ

ロング  サンデイ

工事が  静かになって  

若い時の  スィフトの 歌しか

聴こえない  

バンジョの  かきならす  

南米の  陽気な  調子だ ぜ 

プレイドゥ  アゲイン  

カム  アロンng


長いこと  長いこと  

ベッドで

待っていたのに  あなたは 

放屁して  部屋から

逃げてった  

今は  

時々  笑う  


ギターの  伸ばす  ハレイションに 

首も  伸びるよ  

スター  ライト  


そう言えば、今日は市役所に行った。

国からの借金は80万円に上ったが、

収入のない世帯は返却が免除に

なるという手続きをしたが、書類の

不備で(知っていたが、二日くらいの

違いが許されるか、試してみた)

もう一度住民票を採りに来たのだ。

何でも試してみるので、役所の固さ

も確認できた。そんなのはわかっている、

ちょっとした遊びなのだが、隣の役所は

福祉協議会で、そこで女性の係と話し

たが、少しも嫌がっていないで、三度も

時間を使っていないか、聞いてみたが、

その都度、大丈夫の返答で、関係の

ない話までしてきた。長くもない、15分

か20分だろうと思うが、測ったわけ

ではない。

役所の書類仕事からの息抜きに話した

のだろう、くらいに思えた。ブログを

書いていることまで話したが、深くは

突っ込んで話せないので面白くはなかった。

年取ると話が長くて、と言い訳するのが

最近は増えて、嫌になってきた。親切

なのだろう、基本的に日本人は。


へッドホンを外してみるほど、工事の音が

聴こえない。すると、少し遠くで工事車の

エンジン音がしていた。これくらいが続く

のなら寝られそうだとまで思えた。


ここに 飛び切りの  

シャンペンが  あって  

・・・・・・・・・



尻が揺れる。ドスンッと工事でなにか

やっている。穴をあけて、温泉でも

出たら、ここらあたりは将来温泉街

になるのか、と想像する。近くの

相模健康センターという大銭湯は

だいぶ前に引っ越したか、潰れたか

したが。

温泉街は、ないな。

前の道路が壊されることは、道路の

気脈が破壊されることだと、考える

人はいるだろう。地脈の乱れになる。

工事中は。

その後は?わからない、その方面は

詳しくない。

すべては9月になってからだと、気候

や体調や心識の流れを見て、思って

いたが、この工事も夜は8月いっぱい

だということだから、そんなものか、と。

そういう流れをなんと呼べばいいのか、

名前がないからわからないが、それ

がまだわかるから、僕は終わらない

だろう、まだ。

ズボンのポケットが破れたら、縫えば

いい。


スピニング ラウンド  

Long Moment  

寂しいなら  怒りを ぶつけろ 



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終わらないシュプレヒコール [日記・思考]

この悲しみはあまりにあまりに、怒りに満ちている。 

静かで美しいメロディだが、それが包んでいるのは

天にも届く怒りの火柱だ。 

人は次第に侵食されてゆく。この悠久さが悲しみと

共にある。僕だけが感じたのだったとしても、悲しみ

が天に満ち満ちてゆく。 

わかり初めというのは、悲しみは便利な調味料だった。

使い方次第では料理が引き締まるのとは違うだろうが、

それを材料にして愛に変換することができるのだ。

悲恋歌はそれで愛の序曲になった。

僕の悲しみの理解は子供の悲しみよりもなにかでは

なかったような悲しみだったのか。あまりに突きつめて

天を突きとおすという苦しさの針のようなものは想像

もしなかった。  

いつも変わらない万民の悲しみというのはそこにある

ものだろう。それを知らずにいたことは迂闊な話だった。

この歌の中にはそれがあると思うのだが、それは言い

過ぎになるのだろうか。恐らく、「シュプレヒコールの波」

という件(くだり)は日本のメロディが含まれていて、遠く

から呼び覚まされるのだ。もう記憶にもないような昔から

聞いた、そういうメロディ。これを語られると、たまらない

気持ちになる。胸につまる感触が悲しみというパウダー

を白い雪のように振りまいてゆくのだ。  

変わらない悲しみを見つけたようだ。もう変換させる必要

もなく、美しい。どうしてこれだけの美しさを変えてしまって

いいだろうか。すべてが愛に変遷しながら辿り着けばいい

と思っていたことがどれほど浅はかだったことか。

やはり生きる原理などという明るい素材は存在しては

いない。そんな風に考えられるほどに僕らの世界は底の

浅いものではないのだ。まだ愛には愛の役目があり、

悲しみには悲しみの役目があり、苦しみには苦しみの、

怒りには怒り心頭の存在が必要なのだ。 

僕らは、だから解決を望んでいない。僕らはどんなことも

思い通りにできる。半無限の可能性を担っている、それでも

僕らが苦しむことを捨てなかった。気づこうと、気づいてなく

とも、捨てたくなかった。ある場合には必要だったからだろう。 

僕らの先祖が何千年も前にたどり着いたものが、それだった

としたら、世の中を解決しないことだったら、それをどう受け

止めるだろう。

僕たちはどうすべきなのだろう。



「 シュプレヒコールの波  通り過ぎてゆく 

変わらない夢を  流れにもとめて

時の流れを止めて  変わらない夢を 」
               (世情: 中島みゆき) 

愛にはほんとうに、際限がない。そこら辺りでやめとけば

いいのに、必ずそれ以上なのだ。驚くたびに、それが愛だ

と認識させられる。だから彼女はいつも僕ら人間を超えて

進むのだろう。僕らはその度に立ち止まるのだ。そこにない

ものを求めて、それが手に入りそうな気がして、・・。

彼女はそういう僕らを愛す。それはどれほどのことなのか。

僕らに想像が及ばないことにはそのまま、想像が及ばない

というやりきれなさ、・・・ なのだ。

彼女が愛すのは、つまづく僕らであり、挫折してしまう僕ら、

わざわざ苦しんでしまう私たちであり、舌を取られて言い

たいことも言えない私たち、どれほどの悲しみがおおい

尽くしても息をひそめる僕ら、誰が決めたのかわからない、

いつしか苦しみを愛す僕ら、悲しみを愛す僕ら、哀れな

僕らを、それゆえに彼女は愛さずにはいられない。

それは原理でも、単なる感情でもない。そういう僕らを

愛することで彼女も意図しないで、僕らを越えて行って

しまう。僕らが悲しみのうちに彼女から離れてしまう。 

その事情や状況は思いやりや献身や裏切りであった

りする。多くは愛に感化され、自身も愛から発信する

ようになるからだろう。  

愛にこれだけのエネルギーが溜まっているのはどうして

だろう、というのは一度は感じる疑問だろう。僕個人だけ

ではそれが人間よりも大きいとわかるだけで、その内実

はまさに無闇の中だ。

気づかないかもしれないが、僕らは苦しみを愛する。僕ら

は悲しみを愛する。彼女はそういう例えようもない僕らを

愛でるのだ。

僕らが例えようもないから、例えようもなく愛でるのだ。

僕らが愛を見ないのは自己という丸太にしがみつこうと

しているからだ。自分の内面ではそれは普通のことだが、

世間ではそれは数が少ない。パイは奪い合いになる。

その争いを止めもせずに、基盤を守ろうとして支える。

争いさえも支えようとしている愚かな存在には気づくはず

もない。

僕らの基本は社会地盤が自然に包まれ、そこから生きる

糧を得ているように、僕らの心の生活は愛に包まれている。

それに気づかず、自己に憑りつくことに夢中になっていた

にしても、・・  そうなのだ。

僕らは生まれる遥か以前から守られ、生まれる度に祝福

されてきた。それを知ることが多くはなくなってきたとは

いえ、まだその習慣は守られているだろう。

僕は年寄りがなにもかも黙認して、良いも悪いも必要悪

のように仕方がないように認めてしまうのが嫌だった。

当たり前に自由を求めた。それがただの開放感だった

のを見つけるのに、定年まで待たなければならなかった。

それでも自由な生活を経験したことは大きかった。小金持ち

になったプチ成功者と同じように、好きな時に好きなところへ

旅行したり、と、やがて飽きるまで。どこかで制限しなければ

その中で自由は生まれなかった。自由は自分で制限を造ら

なければ囲えなかった。制限内だからこそ、そこで好きに

振舞えたし、力を試すことができた。それで自分に力を

感じて、自由を味わえたのだ。 僕らは自由を求めていない。

現在の他人や組織による束縛や制限からの開放を求めて、

それが自由だと思っている、 ・・・だけだ。



愛ともやがて戦おうと思っていた(だろう)。2年近いあふれ

きるほどに、実際あふれていたしあわせを振り切って、彼女

から離れて異なる自由を得ようと思った。

それを(過去の)現実の異才たちは婚約してはそれを破棄

するということがくり返さざるを得ない、苦しい恋愛劇になった

のだろう。

この自己と愛とのシーソーのようなバランス悲劇は変わらず

どの時代にも衰えずに続いた、続いている。 今も。 

悲しみと愛はカードの裏と表というようなものではない。

それは一点で同じ本質を共有していて、実際につながって

いる。 きらめく美しさで。 その一点まで辿れば、悲しみは

愛に変換できる可能性があると、考えてもらえるだろうか。

できなければ、それは僕だけということになるが、それこそ

あり得ないことだ。僕にできたことが、他の人にも誰もでき

ないということはないだろう。 

だんだん歌が遠くなってきた。悲しみに遠くへ連れられる

感情から、それがやさしく感じられてきているのだ。歌は

同じだ。僕が変わりはじめているのだろう。悲しみが

溶け始める。せつなさがまろやかになってゆく。愛が顔

を見せ始めたようだ。  この三日間は貴重だった気が

する。

感動間違いない大好きな映画を三本も見続けていた

ようだ。

理解すれば理解しようとしただけ、お約束通り、愛は

大きくなる・・・ ようだ。 君が約束したのだ。その意味が

少し、広げ過ぎている、と言いたくもなっている。わかるよ、

僕が望んだから、君は僕に理解させたがっているんだろう。

人間が望んだから、

理解してもらってもいい、と。


君という、僕という、なにかを。 



 




**

僕の経験事実がはたして多くの人の隠れた事実であるかは

仮説の範囲になるだろう。
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僕の心の奥底には穴があった [日記・思考]

このところ人に会う機会が多い。と言っても、機会をつくっているのは

僕だ。気になる人にはやたら、会いたがる。どうしてこうなるか、今日も

埼玉県まで出かけて、帰って来てみてから、わかった気がする。

人探しをしているらしい。これについては秘密主義でまだ話せない。

自分のしたがっていることが、願望と言おうか、明確になってきたようだ。

また少し、じっとしてみようと思った。目的がわかったのでこちらから

動くのではなく、そういう人に出て来てもらえばいい。

時間もまだたっぷりあるようだ。

それには自分がそれについての準備をもっと整えておくに限る。これを

先を急いでもいざという時に、準備がまだ不足と気づくのでは遅い。

今日はそれに気づくお出かけだった。うなぎをごちそうになった。


何がどうというのではないが、だんだんピースがはまっていって、ひとつ

の絵をそこに浮かび上がらせ、見せてくれるという、そういう感じがする。

こういう感じは10年以上前の日々ではなかったものだ。そこではなにを

するか考えることは、それのための計画を作成することで、いついつまで

にというところから逆算して、では一カ月でどれだけ仕事量をこなすか、

一か月でどれだけ進ませなければならないか、ということばかりをして

いた。完璧主義の誤算には気づいていたので、計画は大雑把になって

いたが、そういう柱の必要は感じていた。

それでその頃は書くのに大変な苦労をしていた。結論ありき、ということ

からはそれまでの文章はその結論のための構成や組み立ての部分になる

から、書いては書きなおす、というのをくり返していた。それで疲れて

しまって、書く仕事は向いていない、と感じていた。それでもその中で

文章を考えることで、たくさん書くことで得られたものは多かった、と

思う。しかし、時間は過大にかかった。

それまでにも、(この10年は除いて)瞑想はしていて、それが何かは

わかったので、マラソンのようなスポーツの日課としてするようなこと

でもないのも知っていた。心を落ちつけるのに効果があるが、それは単に

心身の健康効果であって、瞑想とは無関係だ。瞑想は訓練とか習慣とか

技術というものから、まったく離れてしまうことだ。手探りしてもいけない。

では、なにもできないではないか。それ、正解である。坐って、無になる。

なにかが来たり、起こると、わずかでも期待してもいけない。


この世であてになるものがなにもない、という意見はなかなか受け入れ

られる意見ではない。が、僕はそれを信じているし、そうならざるを

得ない経験を踏まえた結果として、そうなった。なので、それは当然の

ふつうに事実なので、僕の個人的意見ではないと思っている。

でも、英語しか知らない人に日本語で語っても理解はされないように、

それを理解してもらうのはたやすくない。初めは不可能だと思っていた。

それでも、ノーベル賞学者の物理学の朝永振一郎さんが、随筆で物理学

の教科書では一部の整合性があるところだけ取り出して、全体でも整合的な

ものだという書き方をしているが、整合していない部分は見捨てられて、

書かれていない、という教科書のおかしさを語っていたので、それから

この世を構成している数学や科学が、僕らが教わったものとはほんとは

違って、それほど整合なものではないと様々、調べて行くうちにわかった。

そうしているうちにも、それが内容もそうかは読んでいないが「世の中の

99%は仮説」とかの本も出ていた。(それはそれを読んで論証しなければ

なにが書いてあるか、とは言えないが)

また、その論証も究極では微妙でもある。数学で有名な学者が「数学こそが

無矛盾性の完全真理である」、という証明をしようではないか、と世の数学

者に提出した論文があった。そして、その考える命題を与えたのであるが、

ゲーデルという天才数学者が完全性は証明することが不可能であるという

「不完全性定理」という論文を書いて、数学の完全性を打ち破ってしまった。

それは数学は自分で自分の完全は証明できないというものらしいが、その

定理の理解は難しいらしく、論理哲学では天才のウィトゲンシュタインでも

その理解には誤解があったと説明されている。天才が誤解するほどの定理を

一体誰がほんとうに理解するのか、それを誰が判断できるのかと僕は思うの

だが、そこら辺りが微妙なところだ。


こうして世の中の秩序に見えていたものが瓦解してしまうと、頼るものが

無くなってしまうのが困ったことだった。瞑想の奥には無意識がある。

たまにそれに遭遇しても、瞑想の形はそれを受け入れる準備をするために

静かに坐る、というものでそれをすれば結果が得られるというものではない。

ところが、あるきっかけがあって、無意識に飛び込んで、すぐ帰って来よう

という実験をしたことがあった。その時は瞑想が適ったので、心の底に

それらが出てくる穴のような(感覚のもの)があるのがわかった。

それは未知で、危険なゾーンに思えた。が、世の中の羅針盤を求めていた

僕は、他に頼りになるものがないように思った。そこに生活の指針を求める

ということさえ、どういうことか判然とはしなかったが、その窮地に活を

求める、と決意した。ただ、他にないからという、脆弱な動機ではあった

が・・・。

最も予想して危機を感じたのは、死なないまでも精神が壊れてしまうのでは、

というものだった。僕は9年前にこれに成功して、生還した。と言うのも

大げさであるが、当時は冗談ではなかった。

ともかくも、そこから次第に自分の考えに左右されずに、自分の考えを

自在に書けるようになって行った。考えの依るところを気にしないように

なって、自由に意見や感想が楽に出せるようになった。これも肝心の

経過の具体な説明を省いてしまっているので、理解しづらいところだ。


世の中が壊れる、という表現はそれまで社会秩序というものがしっかり

したものだと思っていたのが、実は違っていたと決定的に知った時に

起こるもので、それは自分の心に起きる現象だ。社会は依然として

いい加減なままに、いい加減な社会としてはじめから、そしてこれ

からも、そこにある。だいじょうぶだ。

僕らが死と見ている、思っているものはそれは死の世界でもなければ、

死そのものでもない。死を含んで、それ以上のものであるが、それは

あの世とかを含んでいないと、僕には自分の経験に依るものから推定

すると、そう見える。今はまだ、それについて議論をするのは早すぎて、

TVタックルの宇宙人は地球にすでに潜伏しているか、みたいな議論に

なってしまう。

これは動物の、人間にはない感覚が発見されてから、というように

或る別な未知の感覚が映し出すものが伴わないと、それについて話す

ことはできないと思っている。


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