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資本主義と中性洗剤 [利益]

これだけ世の中が複雑になってくると、ますます世のいい加減さが

増殖して、またそうでないと世の中が回らなくなる。こういう時には

大ざっぱに、世を俯瞰(空から眺める)するほうが、それぞれの関係

がどうなっているのか、わかりやすい。  

今まで言われていることをくり返すのだが、個別に論じていてはわかり

にくいところを、少し、つなげてみたい。

いつだったか、健康について万全の守りに入ろうとしたことがあった。

だが、健康というのは具体的にわかりやすそうなものだが、実際には

雲をつかむような話でガチガチに体の健康に気遣うというのは、精神

衛生にはとても悪い気がしていた。

まず、健康に良いものを食べるにしても、栄養バランスがあるらしく、

とても神経質に気をつかう必要が出てくる。そして、なにが体に悪いのか

という点では、調味料から沸かす湯までに気を付けなければならなくなり、

とても現実的な対処ができないと、すぐにわかった。時には不健康なもの

を摂取するくらいで、それを気にしないほうが精神衛生上よくて、健康

7割、不健康3割くらいでいいのではないかと、考えたこともあった。

しかし、それを具体的に睡眠・食事・運動にあてはめることは困難を

究めること、確実であった。

もっと大ざっぱに、楽に、気にしないで生活する必要もあった。それを

計算上のバランスで保とうとするのは、むしろ、ほんとうには健康には

なれない方法だと、思うようになった。それで、その細かいやり方は

捨てた。

ではどうするか。しばらくはなにもしなかった。そのうちに気になる

情報が入ってきて、自分が思う最低限のことだけは、数少なくはそれを

しっかり守るだけ、というやり方になって行った。

はじめにシャンプーだが、50過ぎるくらいまでは、いろいろな新発売

のシャンプーを選んでいたが、ある時、TVでかつらの宣伝、発毛剤の

宣伝が多過ぎないか、と気になった。江戸時代に頭の毛に心配をしていた

庶民という話を聞いたことはない、と思いたった。どうして薄毛になるの

か、地毛が濃くて、固い髪の人は薄毛やハゲになりにくいようだったが、

髪の毛を洗いすぎると髪が痛むから、1日に1回くらいが適当だと、書いて

ある雑誌もあった。これはシャンプーも無関係ではないのではないかと、

考え、なるべく刺激の少ないシャンプーを選ぶようになったのが、そもそも

のはじめかもしれない。  

今ではシャンプーはやめてしまって、無添加の石鹸で頭から体まですべて

洗っている。そうなるにはひとつ、大きいきっかけがあって、やはりTVで

歯科医が歯を塩で磨くのは、塩分の摂り過ぎになる、という発言を聞いて、

大変ショックを受けた。

そのころ、時々塩磨きをしていたこともあるが、それよりも僕らは歯茎から

想像以上に直接血液に歯磨きの粉や化学成分を取り込んでいるのだ、という

事実だった。それは歯を磨いて血が出た時に起こる。僕は長く気がつか

なかったが、歯磨きで血が出た後は、右の耳下のリンパ腺がおたふく風邪

のように腫れることだった。これは歯茎から雑菌が入ったために、菌が

脳に達するのを防ぐために、リンパ線で止めているためだった。そこで

死んだ白血球などが熱を発生する要因になっているのだろう。

だから、そういう臨床試験などは決してしないだろう、練り歯磨きなどの

化学成分は毎日だから、相当な量を吸収してしまうことになる。それは

危険だと考えたので、僕は歯磨き粉などで歯を磨くのはやめてしまった。

歯間ブラシとなにもつけない歯ブラシだけで歯磨きをしている。

以前、ブラシに着ける量をほんの少しにしていた時に、オランダ人は

歯磨き粉の量がとても少ないのを知って、倹約家なのか、健康志向か

わからなかったが、同類で面白いと思った。次第に、なにもつけずに

歯を磨くようになった。   

そういう疑問はアレルギーのことを考えて、よくそう思った。僕は

夕食後の箸を、箸だけは自分でその場で洗う。それは中性洗剤で洗って

も簡単に水ですすぐだけでは、洗剤は落ちにくい、と聞いたから。

食事は毎日するし、箸は毎日使う。しかも、直接口に触れるものだ。

すると、いい加減に洗っていたらわずかな量が、箸から口に入る

ことになる。1年とかでは大したことはないが、これが10年単位

なら、・・・3600回だ。たぶん、水でうすめて中性洗剤ジュースが

できるくらいだろう。それを年に1回ガブリと飲むのと同じだ、と

想像すると、僕は毎晩、自分の箸を神経質に、ていねいに洗い落とす

のだ、中性洗剤ジュースの元を。

そして、世代が子供に移れば、子供はその化学洗剤の成分をため込んだ

親からその因子を引き継いでしまう。そこらあたりから、体に悪い影響が

出てくるとすれば、30年、40年後の話だ。厚労省や製薬メーカーが

製品使用後の後追い調査を30年40年もするはずがない!金がかかり

すぎる。アトピーとかのアレルギーが出てきた年代を思うと、だいたい

時期的に合っているのでは、と根拠もなしに思ってしまう。防ぐ方法は

ないので、最低限、直接なものは避けるしかない、と僕は思い、還暦過ぎて

からだろうか、なんとなく実行している。

だからと言って、実行しているのはそんなもので、他は気にしていられない。

長野県の山奥で暮らす外人作家が、その清水の水質検査をしてもらったら、

化学薬品の成分ともいえるものが発見されて、嘆いていたが、そうなのだ、

山で川の上流に家がなければ、その清水は最高の天然水で、人工のもの

などが入る余地がないはずなのだが、中国から黄砂(PM2,5情報に見られる

化学物質の含有で健康被害の影響もあるらしい)は昔から飛んでいたし、で

まともなにきれいな100%の水は南極にでも出かけなければ、得られない

のだろう。

食パン食べても、ドライフルーツを食べても砂糖は添加されていて、日々の

食事で砂糖、塩、油は自分がどれだけ摂取しているか、計算できないし、

まずしたくもない。

コレステロールは許容数値をはるかに超えて、もう30年も経つが、

いつも要検査だが、検査にも行かず、血管原因の病になったことはない。

それでも、立ち眩みになる一時期はあったから、何とも言えない。ただ

重症になったりで、医者にそれで通ったことない、というだけだ。

毎年、花粉の季節にくしゃみと鼻水を最初にその日一回して、鼻をかんで

しまうと、終わりだ。今年は花粉症になったのかと思うが、そう思い始めて

20年も花粉症にならない。自然を受け入れるのも自然に、なので山男が

動植物を敵視したり、気にしたりしないように、花粉症にならないのも

当然なのかと、思うこの頃だ。


マルクスは資本論で、まさに商品経済の理論から、それを通して、

その中から資本主義を否定した、という著者がいるが、その点が素晴ら

しいらしい。これもその前半のそのまた前半の数十ページの話であるが

・・・・。

資本主義のいい点は(表向き)自由経済であることだろう。そして

欠点は利益を上げるシステムが中心であることだ。そのために利益を

最大限にするにはという工夫が、どの時代にもくり返されてきた。

それは自然に独占主義という方向に赴く。市場を寡占してしまえば

自分たちで好きに値段をつけられるから、まったくの新製品や海外の

知られていない製品などは、高値になる。

僕が香りがいいからと、香港で買ってくるイギリスからの輸入石鹸は

4個入りで100円以上、というくらいだったが、日本でアマゾンで

同じ輸入石鹸が1個700円とか900円とかで売られているのに

びっくりしてしまった。暴利だろう。

さて、ミクロからマクロに飛ぶが、世間で「おいしい儲け話」はない、

と聞くが、それは本当である。だが、庶民は1億円に近い金額をもって

いると、いつかは自分にも「おいしい話」が来るのでは、と期待し、

その期待に負けて、慎重に対処すれば避けられる詐欺に引っかかって

しまう。儲けたいという自分に負けただけなのだが、話は「おいしい

話」のことだ。これは最初から最後まで、僕ら庶民にとってそれは

100%、いや、200%ない。「ない」というのはこれからも

未来永劫?変わらない。なぜなら、金は、利益はその機会を作るもの

だからだ。

少なくとも、現在では2億以上ないと、大金とは言えない。金持ちの

建築家に10億を預けるのは不安か、とある資産家の実業家が尋ね

られたが、「あの建築家は資産は10億ありますから、安心して

預けられます」と答えていた。金持ちが信頼するのは、人柄ではない、

現実的にいくら資産があるかの問題なのだ。そういう大金持ちが

利益を出す事業を考える。これは政治がらみが多い。大金が動くからで

その時、出資金の形で数十億以上の資産家から、それを募るのである。

これが「おいしい話」で、まず確実に利益になるし、利益率も高い。

大手の証券会社でも、2億に満たない客は客ではない、と。国の

事業などでもそのこぼれが来るのは、2億以上の金を証券会社に

預けられる客だけだ、と聞いたことがある。だから、僕ら庶民に

おいしい儲け話など、まったくもって来るはずがないのだ。

金持ちは金持ち同士で儲けのスクラムを組む。これ、当然の話だと

思う。おこぼれを庶民に配分しようという人は、そもそも金持ちに

向いていないから、まず金持ちになっていない。

そこで、僕らはあくせくしてしまうのだ。資本主義の精神が私利私欲

に走りやすいのは、こういう点にある。もともと配分するパイが

小さいのに、それを大勢が取りに行くから、取ったもの勝ち、となる

のが世間の常道になる。だから金持ちは庶民を信用しない。絶対に

金を回さない。(時々、金にまとわりつかれている気になって、金が

嫌になり、何億円か竹やぶに捨てる、疲れた金持ちもいるが・・・)


小さなパイを奪い合うものにとって、誰かが得するなら、自分が

得してもいいではないか、というのは金箇条と言うのか、そのために

誰かが犠牲者になっても、他人に利益を回す必要はない、と考える。

自分と自分の家族なり、テリトリーが無事なら、それでいいのである。

そして、危険な話をもちかける詐欺師は、人には「たまには自分が得を

しましょうよ」と誘いを持ち掛けるのだ。皆、やっているのだから、

今度はあなたの番ですよ、とかうまく言う。

これを資本主義という、よくわからない自由さが支える。賞味期限

過ぎてもまだ大丈夫だから、使い回してしまってもいいのでは、と。

「もうけ」を取るのが、まず第一が至上命令なのだから、それは数字

や目標で目に見えるようにされる。

僕らの体ではわからないことが多すぎるのだが、そういうことは基礎

研究と言って、時間がかかり、その分研究費も人件費もかかる。会社は

そんな金食い虫よりも、今世間で注目されている新発見の栄養理論や

栄養素、疾患への対応薬を作ったほうが、もうかるから、優秀な研究員

ほどそちらへ高給で引っ張る。かくして、人の体のことはどうでもいい

システムが動き出し、良心的な研究学徒でも、研究費がなくてはひとり

ではどうにもならず、世間では応急対応という形ばかりの薬品・製品が

大宣伝され、マスコミをとおして注目される。

病院通いしても子供のアトピーが治らず、山の自然学校で3か月生活したら、

アトピーが治った(症状によるし、個人差もある)とか、本来だったら

おかしいでしょ、そのほうが。

  
僕は環境差というものは、想像以上に大きいと考えている。特に、呼吸が

変わることについて。鼻・口の呼吸や皮膚呼吸が環境差によって変わる

ことは、その人格にも影響がある、と。これはまだ、直感段階ではある。 

  
僕は資本論を批判することに、それほど意味があるとは思っていない。

人々が「資本論」を理解するまで読みこなすとは思えないから。世間で

は資本主義とかはどう捉えられているか、それは無理解と誤解の産物に

違いない。だが、むしろ、そのほうに、大多数の人が考えている、いい

加減な資本主義のほうに、重要な意味があると思う。それが世間、という

自分(たち)だから。
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