SSブログ

時間よ、止まれ 命 [矢沢]

人間、なくて七癖という言葉があるが、この頃思うのは

人は、なくて七信仰、ということ。まともに見える人間でも

変わった癖は七つはある。その意味で、人は部分部分で

七つは奇妙な信仰や、独自な信仰に頼っている。 

もちろん、7以上ということで、7つに決まっているのでは

ないが ・・。   

以前書いたと思うが、どう書いたかも忘れてしまった。いずれ

似たように書くと思うが、変わったことは性格的・性質で3つは

ある。

それはひとつは、”お天気屋”で、気持ちの変化でころころ言う

ことすることが変わる。ふたつは”予期しない変化”だ。なんの

前触れもなく、方針を変更したり、別のことをしたり、周囲が

驚く行動を取る。

お天気屋は気持ちの変化で、その因は読めるが、突然の行動、

これは予想外なので、まったく読めない。意味のないことを言ったり

したりもする。

三つめは病気の初期や手前である。これには2種類あって、

ひとつは認知症の初期でまだらボケをいう。本人が頭がしっかり

している時間帯と、認識があいまいになる時間帯が交代で

現れる。この頃は、まだ少し頭が働くので、自分でもおかしいと

気づくので、周囲に注意されると、うまくごまかすことができる。

「少しボケてきたかな」とか言ってのける。そのうちに自分は

頭がバカになってきた、とか言い出す。そういう自覚を

隠さなくなったら、ボケの進行がそれからは速くなる。

もうひとつはストレスから神経が疲れ、限界に来るとそこで

糸が切れたようになってしまう。今までふつうにできていたことが

できなくなってしまう。近年では、真面目で融通の利かないような

人が過労を重ねてなる、と言われてきたが、現在では誰でも

そうなってしまう症候群に分類されている。

リーダー格の明るい性格の女性が、ある朝会社に行けない自分

に気づく。頭は会社に行かなければ、と思うのだが、意に反して

体が言うことを聞かない。玄関で何時間も立ちっぱなしになること

もある。これは僕は限界に来た自分を守るための自閉症と同じ

症状ではないかと、考える。自分を傷つけまいと、意に反して

引きこもりになるのと近似。

つまり、現在では神経症や精神疾患、認知症などもなくて七癖

くらいに珍しい性質ではなくなったということだ。


さて、前置きが長くなった。僕の七癖がどこらあたりか、数えて

みたことはないが、多いはずだ。そうしてその主たる特徴はとても

統一している。それは言い表せる、人と同じことをしたくない、当たり前

が嫌い、(1番ではなく)独自でありたい、というかなり強力な欲求だ。

ふつう、意志と感情は別々の傾向をもち、外ではこういう性格だが、

家庭では意外な側面をみせる、という。ところが、僕の場合は意志も

感情もそういう型破りな傾向で一致していた。だから、僕の人生は

決まっていたようなものだ。方向性がひとつに突出していたので、

平凡・尋常ではあり得なかった。数奇な、というやつ。  

それは渋滞している道路での行動のようなもので、渋滞に我慢でき

ない。必ず、わき道に入ってしまう。脱出路を探すのだが、大抵は

袋小路にはまったりして、また同じ渋滞路に戻ってきて、その分

時間を無駄にしてしまうのだが、時として脱出路を見つける。

すると、また渋滞時にはわき道に入ってしまうのだ。皆と同じ

道に並ぶのは、ほぼ生理的に嫌なのだ。それなら、たとえ

無駄になっても、わき道の未知を探索していたほうが、気が楽

なのだ。渋滞に並んでいたほうが、実際には抜け道を探すよりも

早く進める、と知っても同じなのだ。わき道から、渋滞している

車の列をしり目に見ているほうが、性に合う。そういう性質なのだ。

人生もそういうように進んだ。

(明治の学者、寺田寅彦は学者は頭がいいのはもちろんだが、先行の

学者がもう調べたところを調べなおすという、バカなことをして

隠れた大発見を導くという、バカでもなければならない、と言った)


それともうひとつ自由にならないのは、生きる関係の環境と人だ。

それは僕の心の外側の現実の部分だ。僕には選べないし、誰にも

選べないのだが、僕はそういう方向へいつも押し流された。これは

強調や比喩ではなく、決められているかのように、僕には苦しみ・

悲しみに関わる、(インドのように最底辺ではないが)底辺の人々、

それは暮らしに苦しむ人、病気に苦しむ人、人間に苦しむ人、

であり、また反社会的な人でもあった。  

それらは少なからず、重複していた。特に反社会的な(団体や)人とは、

よく話すことになった。傷害で前科20犯の男とは、暴力団とかヤクザ

は根底にこれ、恐ろしいほどの執念がある、というのがわかる。 

この間、若い知人と話した時に、ヤクザと変なことになりそうになったら、

ともかく走れ、まずひとりならなりふり構わず逃げることだと教えた。 

関りをもつと、家族や親しい人が巻き込まれてしまうことが多く、そう

なってからでは遅い。借金を背負わされて、恋人が風俗店に通わされ

てしまうとかは、序の口だから。  

もう一人銃刀法違反で逮捕歴のある、僕の女房と同い年のおばはんは

麻薬を売りさばいたのがばれたが、警察に踏み込まれた家に麻薬はなく、

銃刀法違反だけで済んだのでよかった、と言っていた。このおばはんの

おかげで、その当時勤めていた、月2回だが、知的障害者のホームの

実態・虐待や世話人の横領などの実態を聞くことができた。(おばはんも

世話人をしていて、やくざだったが唯一まともな世話人だった)聞いて

みなければ、すぐ近くのあの世話人が、そしてあの人も、とは納得でき

なかっただろう。そういう知的障害者の世話には心あたたかい博愛な人が

している、というイメージはまったく信じられなくなる。この問題は刑務所

や少年院など内部、外部に問題を抱えていて複雑な面があり、対処できない

部分もありそうだ。  

反社会的な人も、障害者も驚くことに、普通な人であることだ。同じ時間

を過ごしてみなければ、精神疾患は軽い者が多く、まったくどこが病気

なのか、わからない。が、知的障害者は原因が物理的なのか、ともかく

症状が一定なので「おかしい」とわかりやすい人も多い。 

僕はなぜか、そういう環境に縁があって、そういう病気に一時かかる。

軽いが、似た症状を経験する。それで彼らの孤独と苦しみが自分の

経験として理解できる。だから、よく話を聞く。そのうちには彼らの

脳の回路を感じるようになり、それがあちこちで一方通行なのを

感じるようになるのだ。そこは曲がってみてもいいのでは、と思う

ところでも、彼らは曲がれない。同じ突き当りに突き当たって、また

初めの話か初めの質問にもどってくるのだ。ある知的障害者の

質問は4つしかなく、それを2時間繰り返した! 

どうして聞いていられたか? ぼくもその疑問に考えたが、どうやら

それは家系にあるようだ。直接の母は戦後、口べらしで芸子に売られ

た人だったし、父は遊び人だった。ところが祖父は医者だった。

祖父とは赤子の時に会ったきりで、疎遠だったので記憶がなく、

還暦を過ぎ、クリニックで患者の話を聞くようになるまでは、自分の

そういう医者っぽい性質に関心がなかった。

僕の祖父はひどい貧乏医者で、長男が運動靴に穴があいても、新しい

ズックを買い与えることができなかった。ともかくも、患者に寄り添う

のになんの訓練の前提もなく、すんなりできたのは、この祖父の

遺伝子だと思うようになった。

僕はそういう病気の症状に悩まされたが、すべて自分で解決する道

を選んだのは、そういう僕の独自の道を探りたい欲求と、祖父の

医者としての遺伝子があったからだろう。  


そして、ここまでが二番目の前置きのようなものだ。

僕は今年の残りを、今後は精神の戦いから自分を解放しようか、

それについて考え、準備をしようとしてこれまでやって来た。自分の

足枷はある。それに逆らわず、その方向で精神的には成功を収めて

きた。因果の発見、死の認識、死の領域での愛の認知、それは

極度な緊張をともなったが、楽しい精神的冒険だった。それで次は

現実に向かない僕の神経で自分のやりたいことをやって、今までは

すべて神経の疾患で、起業した会社もなにもできずに1年でたたむ、

という事態に追い込まれたが、それを転換できないか、と考えるよう

になった。それには当然、直球は無理だろうから、それなりの工夫が

必要だろう。

まだ、これから決定項を考えるので、何とも言えないが、それに

これまでに書いたことでも、わかったことの半分も言えていないので、

その資料も3000冊以上あるし、なんともひとりでは’なんとも’ならない

事態だろう。

さて、ボランティアでも募集するか?なんか「注文の多い料理店」

(宮沢賢治)みたいになりそうだが ・・・。

人を食うわけではない(笑)。


*題の「時間よ、止まれ、命」は矢沢永吉の「時間よとまれ」の歌詞から

 借りた。  



                                    7.25
nice!(8)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。