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祖先・父・母・その過去の歴史の交響曲 [歴史]

<熱が下がったので、走り書きした>


マーラーの第1交響曲タイタンは、まるで

映画音楽のように映像詩が流れる。

ワルター指揮はモーツアルトの未完成の

晩年の曲レクイエムが、たしかワルター

の指揮がよかったので、マーラーも

ワルターで聴いている。視覚的な音運び

はロマンチストに向いている。

母はロマンチストだった。米国旅行を

した時には、西部劇のウェスタンスタイル

の服を着て、記念写真を撮っている。

欧州旅行の時にはわざわざドイツの

ロマンチック街道を選んで旅する、と

いった趣味だった。

父は東南アジアで玉砕寸前の部隊で

終戦を迎えたので、日本へ帰る船の

着く港まで、2週間の行軍をした。

歩き通しで、寝ることもままならなかった。

どうしても寝たい時は、上官の馬の尻尾

に捕まって、歩きながら寝たそうだ。

水も食べ物も十分ではなかっただろう。

そんな戦争体験だったので、海外へは

帰国してからは一度も日本を離れること

はなかった。

それで母は親戚の義理の妹を誘って、

海外へ出かけたらしい。俄かロマンチスト

としては恵まれたのかもしれない。

そもそも僕は商店街で生まれた。羊羹屋

を始めた父だったが、うまくいかなかった

のだろう、他に甘いものや定食を始めたの

だろうか、記憶はあいまいだ。

なぜこの話が出てきたかというと、母が

その羊羹屋兼定食屋で働いた頃から

家には昔の蓄音機があり、それはまだ

鉄針にならない前の竹針でレーコードを

鳴らす代物だったことだ。

僕はたぶん、幼稚園に通い始めた頃

だったろう。熱を出して、眠れなくなった。

店があるから、子供に一晩も相手に

していられない。それで母親は僕の

前にレコード盤を100枚近く積み重ねた。

僕の特徴を知っていたのだろう、好奇心

が強いので、僕はそのレコード盤を

上から表を見たり、裏返したりして、眺め

回して、飽きると、次の盤に移った。

そして、結局一晩中、レコード盤を

ひっくり返していた、というわけだ。

これは後付けの記憶かもしれないが、

わずかに、どうしてこの盤から音が

出るのか、と考えていたことだ。

そして、このレコード盤のほとんどが

クラシックだったことだ。

母は古道具屋の家に生まれて、貧乏

で結婚しても定食屋でこのギャップは

あり過ぎる。実はその間に人生が

一変したのだ。その古道具屋の母の

親父は悪人で、子供が何人いたか

知らないが、他人から預かった娘も

含めて、芸子に売っ払ったのだ。

その芸子屋が格式があったらしく、

トップの女傑は大した女性で、時の

大臣の妾になったらしい。もう少し

僕も大きくなってからその家に

上がったこともあったが、庭には

見事な弓道場があり、向こうの端に

マトが並んでいたのを覚えている。

母はそこで教養としてクラシックを

聴きなどしながら、俄かロマンチストに

なったのだろう。その血を受け継いだ

という訳だ。

父の敗戦の地獄の行軍は僕の血にも

流れ、また父の性格としても頑固な

性質をもっている。

ここまでのおさらいは、軽く書いたこと

がある。

「第4章 結論は~」で書いたことを

おさらいで読み直してみたが、今日の

この弱った体が受け止めるものを

考えると、録画で見ていられるものは

自然界やその生態やだった。自然は

弱った心身を癒す効果があると考え

られているが、それは直接に生命を

捉えられる機会だからだろう。

僕が第4章から離れて、何をして来たか

と考えるのには、適当な時間が経った

のかもしれない。2か月だが、僕の感覚

は幻想じみた世界をさ迷い始めた気が

する。それは自己のない世界だったろう。


2つか3つのキーワードを整理する必要

がありそう。なかなか一直線に方向は

定まるものではないようだ。指針となる

ものがないのは、僕の場合、いつでも

同じことなのだろう。

新しい世界に向けてしか、帆を張れない

のだ。

僕を例に指針を示してみると、母はロマン

チストのクラシック愛好者、それは裏は

俄かロマンチストの教養好きな人だ。

父は地獄を生き抜いた人だが、頑固で

短気な人だった。人を信じなかった。

自分が困ったとき以外は。

そうすると、僕がその特徴を受け継いで

いるとすると、それらを超えてなお僕自身

の特徴は飽くまでも強い好奇心だろう。

それが探求心を牽引して、ここまで考え

続けさせたのだろう。

自我のエネルギーは強く、究極には

自分以外を頼ることはしなくなる。この

凄まじさは例え世界がYESと言っても、

それがNOだと思ったら、死んでもNOと

言うことだ。必要な時に周囲の手を借り

ればいいことから、ひとりでなんでも進め

てしまいやすい。弱さを持つ人は周囲を

初めから絶対に必要と本能的に感じて

いるから、周囲との関係を大事に保とう

とする。傍若無人なことはしない。

(人間の強さ弱さは、自我の強弱から

生じてはいるが、それは見た目で、

自我が弱いとそれを隠そうとし、寛容さ

で強く見せようとする。自我が強いと人

から嫌われやすく、困ることも多い。

社会性と独立心はちょうど対立する

ように見える。それを俯瞰するのは

知的に強く、それを家族として抱き

併せるのは情的に強く、またそれを

直感的に捉えるのは行動力があり、

それらをどうバランスして、自分に併せる

かがその人の強さになり、弱さになる)



社会は大雑把でいい加減な関係性を

必要として成り立っている。だから、

神経質や意地を張る人には、また固定

観念の先入観の強い人には渡りにくい

世間だ。社会的に円満な人というのは

僕の中では、まだ未完成だ。うまくそう

いう人を想像して作れない。

しかし、いい加減で良しとする処、という

首根っこを抑えられる人なら、渡りやすい

第1条件ではある。

だから、正しい姿勢というのは矛盾して

いる。社会正義や常識・秩序をかたくな

に守ろうという人は、常識を捉えている

点で、70点くらいの成績だ。生き易さ

において。

しかし、そのまま高齢化してしまうと、

現実はどんどん変化をするし、目新しい

ものでも出れば、それが世の中の手続き

を変えてくるから、順応しないと、遅れる

ばかりになる。が、変わりながら、それ

を理解するのは、ほぼできない。

理論的には考えれば、それはた易く思える

のだが、体の退化という細胞の活動の体

の深い点からもそうはならない。(これには

将来は革命がおこるという科学者もいる。

長生きさせようという科学だろうから、迷惑

な話だ)

過去が、祖先が、その習慣がその人を襲い、

郷愁の人物に仕上げ始める。まさにそれら

にも対応することは僕らの人生に、真の

休憩は存在しないことを意味するが、小さい

休憩は取らないと、不燃焼で進めなく

なる。たいていは妥協できる段階を

ひとつずつクリアしてゆくのだが、億劫

さが、からだも手伝って、ブレーキとなり、

僕らは齢を取ることを選んでしまうようだ。


僕らは全体で社会をキープする弱さの人と

未来の事変に対応するための強い人との

コラボで社会を維持しようという自然な法

に従っている。それに個人にも、その要素

がそれぞれ矛盾しながらも混在していて、

半無限なパターンの性格としての様相を

呈している。

僕らの人間関係・仕事関係のトラブルという

一面で贅沢な悩みはそこから起こっている。

ほとんど避けられるものだが、気質的に

避けられないものも一部ある。

それは個人間での話で、世界の国同士と

なると、これまでの習慣が結実化した歴史が

付着しているので、それを全部剝がしていい

わけがないし、それならどこをどうやってどこ

まで剥がせばいいのかが、大事になる。

まだ三千・四千年のことなのだが、人は

自分の寿命で、せいぜい百年でものを

考えるから、この歴史的人類史は目に

入ってこない。だから、歴史教育も手を

こまねいて、昔は(今も?)年号ばかりを

暗記させるという愚かな仕儀になっている。


歴史の本質は何が起こったかという知識

ではない。歴史の国民歴史感情と、システム

としての国民習慣をポイントにしてその

流れの積み重ねを教えればいいのだが、その

方法論は、今述べない。(専門家ばかりを

つくっても拉致が明かないというのを、

しっかり捉えなくてはならない。) 



今日は苦い終戦記念日だ。たった10数

年前でさえ、戦後は終わっていないという

ことを、僕が話すというのは、想像もし

なかった。


熱は1日前の37.8℃をピークに下がった。

薬で平熱になり、喉も痛くなく、コロナらしい

こともないが、検査はしないだろうから、

わからないが、PCR検査も胡散臭いと

思っているくらいだから、どうでもいいの

だが、寝不足には対策をしないといけない

だろう。ともかく、書いていて、つらくない。

走り書きから、いつ止めるのかわからない

ので、ここらにしておく。












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エポックは自分の記憶と歴史 [歴史]

パソコンが明日か、明後日には届く、とのこと。 

待っていなかったので、そうか、と思っただけで 

頭の中に、その構築の順番が駆け巡る。

ゆっくりやろう、大筋はすぐに終わるだろうが、 

文書と画像は整理していたのではないので、 

来年までかかりそうだ。 

雑用も一つ片付いたので、英語を日課に加え 

てもよさそうだ。  

漫画の「水木しげる伝」を上・中で読んだが、 

略伝の「私はゲゲゲ」の漫画より詳しく描いて 

あり、戦中編は特に戦争と冒険と幻覚が入り 

混じって、ついにはマラリアが昂じて、片腕を 

切断する経緯もわかり、面白かった。

それから感じるに、略ではなく、詳しく書いて 

おくのも、重複はするが、面白さは増すの 

ではないかと思えたことだ。そうすると、 

今、書きたいとは思えないが、出雲大社の 

旅のきっかけやその後の熊野古道への 

流れなど、その頃の古代日本へのエポック 

であった気がする。


いつのことでもそうだが、8年前の記憶は 

取り戻すことができない。時間よ、止まれと

祈る人もいるだろうが、時間がよしんば、 

止まったとしても記憶が正確に留まること 

はないだろう。僕らは解(ほつ)れる糸を 

縫い合わせるように、無意識に記憶を 

修復しながら、保つのだ。絶えず現在に 

記憶は焼き直され、新しい意味をつけ加え、 

またそこから新しさを見出してゆくのだ。  

生き生きと思い出せなければ、生き生きと 

作り直せない。だから、今はまだ書きたく 

ないのだろう。僕らはどんな意味においても 

今という時点から、過去を想像するので、 

この時点ですでに過去を「創造」せざるを 

得ないのだ。そして、それがそこにおいて 

生まれるもの、つまり、歴史というものだ。 

個人の歴史は記憶の改竄という小さな 

誤謬に過ぎないが、覚えていられない、

記録していられない恨みがあるが、国家 

となると、丸々改竄されてしまうので、 

朧げな事実以外は闇に葬られてしまう。 

かくして、歴史の事実(と謂われている

もの)程、信じ難いものはない、という 

逆説的な答えがどうやら、一番正解 

らしい。3日前の夕食、何食べたでしょう? 

とか聞かれたら、僕だったら、混乱して  

しまう。人生において歴史的なことでは 

なかったから?覚えていないと。 

いやいや、その時、それが歴史的かどうか 

とかは後から考えたことで、僕らは後で 

どうしてちゃんと記録しておかなかったか、 

とか写真を撮っておかなかったとか、と 

悔やむ生き物だ。そして、いつも何が 

原因だか、分からないで終了する。 

記録した時間・日付け・画像だけが残り、

それにまつわる重要も,些細も四方山の 

ことが、歴史の裏に隠れてしまう。

かくして、50年後に極秘文書が公開され 

たりして、初めてその裏側が分かること  

になるが、それはどうなんだろう?それで 

よかった、ということになるようなことなの 

だろうか? 公開された事実と思える文書 

によってその後の歴史は変革されたことが 

あるのだろうか?一度敷かれた線路の 

ように簡単に移動するとかの、変更は 

できない話ということなのだろうか。 

国会はその話をしただろうか、国民の 

我々はその反省をする組織や機関を

どこかに備えているだろうか?  

国民主権とか、民主主義とか、都合の 

いいお題目に成り下がっていないか。

明恵上人は四十年も夢日記をつけて 

いたらしいが、世俗の生活を離れていた 

からできたのかもしれない。僕らの 

都会の日常はもう気づけない程に、

目まぐるしいし、それを処理していくこと 

が生活の当たり前な日常だとなって

しまったから。 

どうやら、僕らの体質も心質も空っぽの 

歴史を植え付けるには、ちょうどいい 

植木鉢の腐葉土であるようだ。

こういう批判らしきをくり返してどこかに 

確実に行き着くだろうか。それはない、 

どこにも行き着かないのだ。僕らに 

対しての公開文書は死を前にして、初

めて死を知らされる。

いろいろある。織田信長はヒトラ―が自分  

の死体を始末するよう部下に命じたように、 

本能寺に火を放たせたのだろう。死体が 

燃えてしまえば、首実検で信長かどうか、 

焼けてわからない。わからなければ、

信長が本当に死んだかどうかもわから 

ない。まだ生きていると噂が流れれば、

兵の志気への影響が断然違う。

色男の在原業平は生涯で相手にした女性 

は資料があって、3700人以上と伝えられて 

いる。さぞかし、忙しく、まめな性格だったの 

だろう。古今和歌集に有名な「 唐ごろも 

きつつなれにし 妻しあれば はるばる 

きぬる 旅をしぞ 思ふ 」は高校で習ったか。

「伊勢物語」は業平のことが書かれていると 

謂れ、晩年に残した最後の和歌が、死が来る 

とは知ってはいたが、今日、明日とは思わ

なかった、と書いた。とても平静な心境だ。 

普段と変わりない。優雅でもある。 

政変の中にもいたから、さぞかし、死の覚悟も

幾度かあったのかもしれない。 

僕は、三度死に、数度死をかいくぐったが、 

今の時点ではまったく忘れている。その時、 

なにか思うのだろうか。ふつうに、誰でも 

死ぬと知っているが、自分は死なない、と 

思っている。そういう無知の中にいる。

心境などというものとはほど遠い。

生という夢を貪っているから、どうせ 

いつか死ぬんだろう、と現実から乖離 

しようとしている。惨めさに打たれないように 

そろそろ、また自分を見つけようと思う。 

五月の節句が来るように、そういう年頃 

だ。
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基本的な歴史への疑問 [歴史]

坂本竜馬の暗殺事件について、書かれた本を斜め読み、もう一冊は結論部分を

読んでみたが、う~ん、とうなる。

出雲の神話と天照大神の神話の発祥や、その関係について読んでみたが、どうも

こうもない。肝腎のことがまったくわからない。それぞれが現代から、または

著者の立場からの意見ともいえる解釈であって、それらしい理屈はこねていて、

読むとなるほどと思えることが書いてあるが、少し考えると、どうしてその点の事実が

わからずにそういうことが言えるのか、という疑問が浮かぶ。そして、その説明の

ためにその理由を持ってくるのは、どうも幕末の実情に、または古代の実情には

合わないのではないか、という・・・。

そして、僕にはどうしてもその結論に興味を惹かれながらも、しっくりこない

部分があって、それは歴史の不明という必然であるような気がする。こだわりたくは

ないのだが、一つの意見・考えを言わなければならないから言った、という本を

書く路線に過ぎないという思いから抜けられない。歴史を知りたいではなく、歴史の

事実を知りたいという要求がどうしても起こってくる。そして、それは本を読むたび

に裏切られる。専門家の知識、作家の想像力も同じように見えてしまう。  

昨日の自分は何をしていたろう、と思うと、かなりの部分は忘れている。そんな自分の

一日さえ、もう闇の中である。歴史は為政者によって書き換えられ、作られてしまう

事実も歴史なら、どこまでほんとかわからない昔の文書というもの、それらの差を

縮めるのは、どうも歴史の本質ではないようにも思える。紀行文はまだわかっている

記録をもとに夢を馳せるようなものだから、すべてを紀行文のように読んでいけば

いけばいい、とも思ってしまう。

退院から1か月、ゆっくりしていて、さすがに本を読もうとして、かじり読みを

してみるが、日本書紀によってアマテラスが創作された傍証も本になっているが、

どうも歴史はそこではないように思う。むしろそれから14世紀も経って、受け継い

できたそのことが、僕らの意識にも創作が事実として根付いている、まさにそれこそ

が歴史の本体ではないか、と。そこには多くの人の祈りのようなものが含まれて

動かせないほどになっている。国民の意識が変わるような大改革でもない限り、

歴史は変わらないし、変えるものでもないのだろう。

僕は出雲へ行き、帰って来てからも、自分がスサノオの流れにある(どういう意味

か正確に説明できないが)という感じが、ずっとしている。熊野神社への小学校

からの自然な愛着(学校の近くにあった)も変だし、島の家の前の山が熊野神社で

あるのも偶然だろうが、やはりその線で調べてみたいとも、親しく思う。

僕らは銘々で勝手に歴史をつくるのを喜ぶ性質を持っているのではないか、との

いい加減な考えが、なぜか一番納得できるのは、可笑しい。
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