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ああ サクラの記憶よ [桜]

こころが  快く   夜を舞う  

こころって  ほんとに  あるのかなぁ  

なにも 見えないし   思い出や 記憶さえ  

知らないうちに  変わって行ってしまう らしいし  

自分の得意なものでは  記憶違いは  信じられない  

でも  そうなのだ   

このページの  ここら辺で 見た記憶があって  

見たものの記憶に 強い僕は  それを信じた  

或る本の そのページを そこに探した   

3回も 全ぺ-ジ探したが  ない、 ない  

ありゃ りゃりゃ   そんなはずは ・・  

確かに  見たのに  ・・  

聴いたのではなく  見たんだ  

それが  なんの保証になるの?  という。  

なのだが、  自分では  見た記憶に 強いと  

思っている  るるるるる。   

なんと  僕らは  それを確かめるまでは  

粘り強く  自分が正しい、 と 思い続けることか  

それが必要な場合が あるから  また  単純じゃない いっい  

それが あっ  あっ  アッ  あっ た のだ  

ああ この季節  ジャスミンが  150%の満開で  

近いと うんこの匂いをさせて   むせかえるよね ねっ  

2階の窓からは その季節なのか  コヤシの匂いが  

舞い上がり  階段に  舞い散るよ  

花びら  舞い散る  記憶  舞い踊る  

るーるるるる、  るーーるる よ   チュルリラ チュルリラ  

オレは  かけった  走り、 回った  

君の声が  戻ってくるーぅる  

ああ  まだ  春だよ   

どこで  ちがったのか   そうか  

それが 書いてあったあの本を  もう一度見て  

その個所を  特定できれば  解決じゃん  

そーか、  そーか、と  書店に行って  

立ち読みした本を  探すと  チュルリーラ、  売れていた!  

頭が  チュルリーラ  テンプーラ  おお、  不運  

こうなったら  アマゾンに注文して  その本を  

買ってやる  君の  声が  戻ってくる るーぅる  

桜の  花びらだよ   オレ  走るよ!  

目を 閉じれば あの本が  戻ってくーる  

花びら  舞い散る  記憶  舞い踊る  

オレの  確信って  風に  舞うよ  

アマゾンから  本が  来たよ  見ろ見ろ  

これで  答えが  ピッシャリ  出てくる  うーるる  

見ろ、  書いてあった   その個所が  記憶通りじゃないか  


そこで最初の本にもどって確かめたらあるにはあったが、 僕がここには  

ないと否定して省略して飛ばしたページに書いてあって、「記憶と違うじゃん!」  


3回も  全ページ探したのに  

君の声に  戻ったのに  

探したつもりが  ”違うと見た”処は  飛ばしていた!  

なんで?  ”違うと見た”処は  飛ばしていた!

これ  先入観かよ!

ああ  僕の 人生が  回るよ  

なんだ  なんだったんだ  

自分の 「得意な」 記憶って  なんだよー うーううう  

違うじゃん   

じゃん   



そんなこともあったよね  

中学の頃は  3,4人の相手に  どんな話を どこまで  

話したか、  いちいち記憶していて  その途中から  

きっちりと話したんだよ  それが  当たり前で  

記憶とか  そんなこと  考えもしなかった  たよ  

でも  それがうんざりしてきて  考え直した  

忘れていいんだ、 と思うことにした  

それで  楽になった  ウキが  魚にぴくぴくするように、ねっ  

なんか  大事じゃないものを  気にしないって  

嬉しいことだった   花びら  舞い散る  

君の声が  戻ってくる  

夜空に  君の  淡い桜色が  咲きだす  

チュルリラ   チュルリラ  

一輪二輪 ・・・・・・  百輪、 千輪  

見渡す限りに   いっぱいに  

空に  張り裂けそうに  チュルリラ   満  満開だよ  

こみあげる  涙   探したね  

花びら 舞い散る  記憶  舞い戻る   


ああ  僕の  記憶よ!  

君の声が  戻ってくーる  







*「サクラ」 ケツメイシ とのコラボ。 


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帰らない桜を 聴いて [桜]

僕が 戻ってくる  

あの頃のままで  もどってくる  

君は   まだ 僕になっていない、 僕。  

君の季節には  まだわかっていなかった けれど、  

もう その未来の記憶は  感じて  

桜  舞い散るように   壮大な計画が  あって   

そんなことも  知らない、  知らないんだ。  

それが どうなるのか、  知らなくて  いいんだ。  

それが  僕に  伝わるという、  こみ上げるものを  

君は  君の  ままでいいんだ  

僕は (秘密だけれど・・)   君が  好きだ  

あの頃の 君  ああ  想像するだけで  

なんて  僕は  君を好き だったろう ・・!  

なんて  僕は  君を すきなんだろう  。   

なんと  僕は  変わってしまったんだろう !  

なんと  君は  今も そのまんまなのだろう  ・・!  

探すこともなかった  この二、 三日  

でも  君が  そこにいるように  

僕は  ここに  帰って来た   

わかったよ  

わかったよ  

これは  君との  約束 ・・  だったんだね   

知らなかった、  これは  君との約束だなんて!  

もう 遠い、 過去との 約束なんかじゃ、ない!  

僕が  君に出会うために  

こうして  新たに出会う ・・  ために。   

それにしても  わからないことばかり  

オレンジ熊の マスコット人形を  置いて行った子は  

家族で ワンボックスで来たんだ。  

どうして彼だけが  窓に来て  僕の気を引こうとしたのか?  

ワンボックスが  タイムマシンとか!  そんなの  

ありえない、 ハハハ  

せっかくだから、  無視したお詫びに  その熊さんは  

回収して  帰ったよ   

君は  誰の使い  だったのだろうか?  

なぜ  僕に  注目したのだろう?  

わかんないね   

わからないね    

でも、  ありがとう  この謎のプレゼントは  

気に入ったよ。  

君は  人形を  置いて行った。  

僕は  横目で  それを見ていた  

だって  僕は 君のこと、 知らないし、 

なぜか  君に 尋ねようと 思ったことがない  

そして  そうやって  僕は  あの頃  いたんだ。  

現実的に  解答を 求めることが  正解じゃないと  

知っていたから、  でも、  そう感じる 根拠は  

なにもなかった。  

わかることが  必要じゃないと  わかっていた !  

それが  どうだとは 知らなかった   

今  それが  わかる    ・・。   

今  それが  答えを 必要としない  ものを  

心に  抱くことだと、  はっきりと。  

そして、  そうした 君たちに  もう  二度と  

会わなかったことが  僕が 正しかったことを  思う。  

それが  あの頃の 君   

僕と  ふたつのものではなかった  君  

桜 舞い散る中に  淡い感触で  

君は  生きていた  その ・・  愛おしさ !!  

僕は  まだ 君として  生きれない  

君は  まだ  僕を  知らない   

ああ  知らないというのは  なんと  美しいんだ  

学生の君が  桜を見上げて  なにも思わぬ  

そういう君が  もう  桜なんだ   

いつか  舞い散る桜として  闊歩している !  

君の考えは  今や  壮大な計画に  化けている  

あの頃の 君  君がいたから  

僕が  いる   

君がいる  その素晴らしさを  

どうやって  抱きしめればいい?  

どうやって  ・・・ ?  

ああ  君の  なつかしさ ・・・  

その なつかしさで  
 
僕は  胸が ころがるように  

君の  そばに  い ・ る  !  

せつなく  

喜びに  

そばに  い ・ る !  



はじめよう !   

もう  約束は  はたしたよ  

二人で  同時に  消滅しようと  

二人で  歩こう !  

桜 舞い散る  君と  

・・・・・・・・  

君が   

・・・・・・・・・・  

好きだ !   

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*あの時、僕はファミレスの中華屋にいた。 君はガラス越しに僕を  

見つけたのだろう。 やがて、家族とともに隣のレストランに消えた。 


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コロナ桜算 ・ペスト [桜]

桜の開花予想が、東京は3月15日ごろらしい。  

それは2月1日からの累計で最高気温を足して、600℃を超えると  

開花する、と予想するものだが、すぐに自然ではない、と頭に警戒音が  

ピーンと来た。  ネットで調べると、やはり600℃を越えたからといって、  

一斉に開花するわけではなくて、単に目安だった。達しても、それから4日  

しなければ、開花しなかったり、と累計600℃に達してからの前後、という

ことで、 数字を出されると、つい科学的と勘違いしてしまうが、例年の統計

から目安として、割り出しただけの数字で、累計600℃に科学的根拠は  

なにもない。  

僕は暖かいので、晴れてもいるし、久しぶりに散歩に出た。側溝に渡された  

鉄の網板の上を歩きながら、それについて初めに考えたのは、桜の気持ちだ。 

いや、感覚か。生理か。  

その土地の桜が、日々の温度よりももっと大きく、気候をなにかで読み取って  

いるのではないか、と。彼らは連日で晴れて、何度以上が何日続いたら、とは  

考えない。温度の内奥に季節を伝えるものがあるはずだ。それは僕の体から  

類推で判断している。  

例えば、熱っぽいのが確かでも、体温計には平熱しか示されないことが、度々  

ある。それから数日して、軽い風邪の症状が出たりするのだが、そういう予兆は  

体が教えてくれるが、どうしてかは謎だ。まだ解明されていない。  

また、気象庁が冬に逆戻りで、寒くなります、と言っても僕は信じない。2月の  

中旬くらいまでだったろうか、僕はズボン下を履くのは嫌いだったが、寒さに今年

は用心して我慢して履いていた。ところが、慣れてしまって、ズボン下が毎日  

当たり前になってしまった。またまた、「ところが」で、温度の内奥に春を感じ  

始めた。大気にこもる陽気とでもいうのか、体の芯を温めてくれる 「気」 で

ある。 これを感じると、季節が変わるのを毎年感じ、知っていたので、ズボン下

は脱いで、もう履かなくなってしまった。寒い日でも、前のように芯から寒さを  

感じなくなった。 

たぶん、僕らはこういう感覚のことを、まだ未知で、何も知らないのだ。名前が  

ないのだ。むしろ、文学や服装などで、人々が生活の内に自然に表現している  

ものだ。  

スーパーマーケットは昼間なので、空いていた。アルコール消毒は、帰りに見た

ので、店を出る時に手を洗った。陽射しのある駐車場に出ると、徒歩で来たの

だが、とても変な気分だった。コロナの最中だとわかっていたが、気持ちよくて  

普段の晴れた日と変わらず、暖かく気分がいいのだ。 それでもこの空気中に  

何万という微生物が浮遊しているのだ。それは見えなければ、いないのと同じで  

感じようがなかった。  コロナは終わった、と言っても、嘘を言っている気には  

ならない、だろう、 そんな気がした。   

小さな公園を細く、小さな流れを見たが、子供もいないのに、小魚はおろか、  

どの小さな生物も動きがなかった。水の中ではまだ春が訪れていないよう  

だった。そう言えば、マスクもしないで歩き回っていた。風がコロナを吹き  

飛ばしているだろう、と脳天気なことをことを思っていた。   


17世紀の ロンドン「ペスト」  :- 

デフォーの「ペスト」という当時のロンドンの記録文学じみた小説を、少し読んで  

みた。致死率が高かったので、感染はゆっくりだった。感染者が生きて、あちこち

に、コロナのようにばら撒けば、感染は広まるのが早いが、まず交通手段は  

馬車などで、飛行機も鉄道もなかったので、人々の移動が緩慢だった。それで  

少し感染がゆるまると、もう収まったとばかり、市民は忘れてしまった。で、 

また死者が出て、終わっていないと慄いた。それが何度も繰り返すので、次第  

に(金持ちたちは地方に疎開してしまった)市民たちは、ペストの惨状の環境に  

慣れ始めて無関心になって行った。それほど何度も何度も、流行のぶり返しが 

くり返されたということらしい。

さて、このペストはロンドンに苦境をもたらしたが、人類の発展には、特に  

科学というものの発生、その興隆には大きな貢献となる機会をニュートンに  

与えたのである。ペストでロンドンでは7万人が亡くなった。翌年にロンドン大火  

が起こり、4日間燃え続け、市内の家屋の85%が焼失したとされる。この大火に  

よってペスト菌が消滅して、収まったというのが有力な説だ。  

ニュートンはその間、18ヵ月もの間、大学の雑務から解放され、のちの「光学」、  

「微積分法」、「万有引力」についての核や肉付けとなる思考に存分に集中する  

休暇を得たのだ。まだ20代。  2年後には教授に招聘されるが、彼の発見した  

「光学」は新しすぎて、講義に学生が一人も来ないことがしばしばだった、という。  

それが真の”新しさ”というもの。  

夏目漱石ははじめ、英文学者だった。それでデフォーの評論もしている。さんざん

に気に入らない点を述べているが、それについては準備不足で言わないが、  

その漱石の不満があるということが、彼がやがて他人の作に不満なら、自分で  

書けばいい、いや、書きたい、となる”てこ”でもあったようだ。 だが、日本に帰って

も、また小説を書く機会が訪れても、すぐにはそれがわからなかった。 

「吾輩は猫である」、が売れて、それでいろいろな小説や、俳句小説のようなものを  

初めての小説と、新しいものと、自分では思っていたらしい。そして、修善寺で 

胃病で死んで(医者は30分だと言っている)、また生き返って、それが晩年の 

「こころ」に結びついている、というのが僕の勘である。  

デフォーは「ロビンソンクルーソー」で売れて、少し傾向を変えて、3部作まで出した  

が、これまでに印刷され続けたのは、断然、第1作で、少年少女の文学に動かせ

ない定位置を決めている。子供の頃、これ読んで、実体験ではなく想像上の物語とは

思わなかった。 デフォーの「ペスト」については注目した点があったが、それはまた  

いつかということで ・・・。

(デフォーの「ペスト」は他に「ペストの記憶」「疫病流行記」「ロンドンペストの恐怖」

など別名で出版されている)

河津桜.jpg

河津桜だろう。歩いて5分の温泉施設の前にて。


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