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時に手放した間に愛は育つ [愛]

やっとわかったということがある。

やっと、だ。と何度思っただろう。

それもこの世の全体や、心を超えた

意識のとどいていない世界のどこか

だとしても、まとまりを感じた時だ。

うっかり感傷を受け入れると、思い

もかけない涙の雲を呼び寄せるようだ。

人々の悲しみに倍増されて、これは

何だろう、と思うほどに泣ける。

でも、それは知らずに副産物を置いて

行くことがある。

それについて書こうとしていない、今

は。


わからないものという心の彼方にある

ものが、わかりかけたという気にさ

せるもの、それがそうだ。

わかっているつもりだった、その

部分をはみ出して、さらに広くから

そのものを超えて見せる。全体の在り

方が、また広く範囲を広げて「わかる」

を広げる。

そういうものなのだ。

僕がわからないとした、そのわかる

ものの全体は生き物の成長であるか

のように大きくなる。

言葉で書ける範囲は僕らの日常に

関わらなければ、何の意味もないし、

それだけでは僕の感興には一向に

通じない。

抽象的だとしても、わかる時が来る

のかもしれない。ここで僕がそういう

感興に見舞われたのだから。

そのきっかけであり、具体的な部分は

その一部であり、愛についてであった。

泣いてわかった。こちら側で小さな愛

を失うことはあちら側で集積する大き

な悲しみだった。

まるでひねりを一回転加えてつながる

かのように、お互いを引きあうよう

だった。

それは同時に、同じことだが、小さな

ものを失った悲しみは、あちら側では

小さな悲しみが昇華した大きな喜び

だった。まるで地球を支えんばかりに

盛んな情熱の塊で、それが今までよく

知っていた愛だった。あまりに大きい

のでそればかりが愛だと思っていたが、

それを否定する人を僕は信じられない

だろう。

僕らは自分という人間すべてを超えて

しまうものを規定することはできない。

自ら規定できないものを僕らは抽象

で何とでも呼ぶ。そんなものが宗教

の経済事情を支えているのだろう。


確かに、文化・芸術面ではそれを様々

に表現しているので、それを覗き見

したぐらいには判断できるが、その芯

にあるものの感じはそれを表現した

本人にしかわからないのだろう。

そこから僕は「大きな愛を知らなくて

もいい」というメッセージを貰った気

がした。

それはこれまで僕が考えていた大きな

愛は人間が受けられないほど大きい、

ということに重なって、それを否定

するようにそれでいい、と言っていた。

愛は理想的ではないのだ。小さいも

大きいもないのだ。そういう区別を

する性質をまったく感じさせないし、

持っていないものなのだろう。

飛躍するが、ベトナムに単身赴任に

なったら、嘆くよりもベトナムの歴史

を読んでベトナムの暮らしを納得する

ように知ろう、と思うのは、そういう

一部だと思う。

息抜きに思うくらいには、現地でどう

いう暮らし方や心意気が必要かを考え

るのもいい。

僕らは小さな愛で立ち止まってしまう。

それはそれであるのだ。僕らは気持ちの

ことだと言うが、僕には気持ちのずっと

向こうに命がある、という気がする。

小さな愛を人は大切にしたいのだろう。

それ以外に人生になにがあるというのだ、 

と言いたいのだろう。

微妙だが、すべてだが、大きな大きな

芯があり、それは小さな小さな飛び

回る中心たちがあり、それについては

知らないが、それが愛の全体ではなく、

なにかに愛が含まれるものだと。

書いてみたが、よく分らないことを

書いていると、自分でも思うほどに

抽象だ。

しかし、僕らは愛にしても理想的に

して美しく描きたがる。それは僕ら

が欲しがるものを抽出することで、

それによって人間の愛という特徴

が表立ってくるようになる。

当たり前のこのことが、見落とすの

が、他の動物、家畜や犬猫との関係、

他の生物の愛の関係だろう。それは

どうして人間と違うのだろう。

共通とかということで、一緒にして

いいものなのだろうか。それは人間

中心の考え方にならないだろうか。

だからそれは一部を固めたものに

なる。

それでは、どこで人は大きな愛に

出会うのだろうか。

大きな愛は小さな悲しみをたくさん

抱えている。しかし、それを悲しみ

と感じさせずに、悲しみは愛をより

感じさせる刺激に変わっている。

スイカに塩をかけて食べる、と聞い

た時には、初めはえっとなるような

もの。少量だ。



それは他の大きすぎるもの、想像の

及ばないものの存在のわかる’きっかけ’

であり、また’わからないものだ’の感

を深くするものだ。



 カタコト鳴る、鉛筆や 消しゴム

 命が 川を流れる音が して 

 水面に  話しかけてみる 

 今夜は

 4時に なった 

 君は 眠っているだろうな 


こんなに  夜は  豊かなのに 

もう 月は 沈んだだろう 

この ささやきは  なんだろう? 

さやけき 空から  振って来る

この ささやきを  聞け 



ささやかな 小さな愛が 

あるのだろう

そんな人に  逢いたい 

大きな愛など  忘れさせて

これを  守りたいと 

思える人に 

この 煉獄が  

愛の 試練だけで あったなら 

どんなに  よかっただろう 

それだけで  よかったのなら 

僕らは  どこへ 行くのかも  

わかっていた だろう 

愛が  慰めや 拠りどころで 

あったのなら 

今でも

僕らは  大きな愛に 

気づかなかった だろう 

悲しみの  大きさにも 

及ばなかった だろう 


ただ 

愛したい  

これが  どれほどの 

重みでも 

かまわない 

新しく  出発したい時 

僕は  

やたらと  

愛したい のだ 

これが  抱えられる とは 

思わない  

それでも 

宇宙を  友とせよと 

言うのなら 

闇の底に  沈めよと 

言うのなら 

僕は  そうして 

生きてはいない 果てまで

行って

大きな  希望に  

なりたい  


僕が  いる世界  

それが  そういう 

ものだということ 

希望もなければ  絶望も 

ない 

だから  そこで はじめて 

それを  つくることに  

なる  

そういう 運命のように 

見える  視界が 

どこまでも  どこまでも  

続く 


この 夜を凌駕して 

どこまでも

ゆく




:::

僕らは小さな愛に埋もれてしまう。

それは憧れや慰めを求めて、そこに

愛を置くから。それだけのために。

それはひとつの確かなもの。

だから、それだけではないのだが、

それに気づく人は少ない。何も

間違いではないが、取りこぼした

ままというのも、やはり愛の不足

を感じる。あまりに涙の保証を求め

過ぎているのだ。それだけが生きる

証というものではないと思うの

だが。

その答えというのもないのが、

凄さというそのものだろう。それ

は僕らがどう生きるかに、初めから

含まれているからだろう。愛にも

その答え方のひとつがある。

どう愛するか、どれほど愛するのか、

それを人生にする、そういう人も

いるのだろう。奇跡だろう、感謝

したい。いつかは会わせてほしいと、

思うのだが。



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今一番大事なもの +解題 [愛]

(今回は長いよ、2つを1つにしたから。適当に)


今、一番大事なこと、それはなんだろう?と 

自分に問いかけてみる。必要があるからでは 

ない。今、思いついたからだ。 

そうすると、なんと考え込んでしまう。自分が 

なにかがこうありたいとか、こうしたいと、 

それが自分でそう思うのが標識にちがいない 

のだろうが、基準を絞れないので、止めどが 

ない。

この街、この地域、国の自然、世界の山岳、 

海洋とか想像を馳せると、それらがすべて 

必要だと考えることで、それは地球がなけ

ればならないということで、それこそは空気 

が、光が、太陽が、ということになって、収支 

がつかない。それにそれは生存に必要な 

十分条件で、自分が大事に、の以前に 

必要なものだ。  

そうか、そういう意味では大事なものとしては

特にない、となる。考え込むのも無理はない。

たぶん、そういうことでは、人としては寂しい 

のだろう。そう思われる筈だ。そして、それも  

また、どうでもいいことに思えてしまう。 

僕は自分に戻ってきても、そこに自分らしい 

なにかを見定めることができにくいようだ。 

なにかが実際に、直接的に起こってみて 

行動なり、物事に必要なものが生まれる、 

というのが今の自分の標準のような気がする。

さして、面白くもないから、自分のことはどう

どうでもいいように思えるのだろう。 

創造の扉を開くのも、それほど自分にとって 

重要事項ではなくなったらしい、となれば、 

やはり、寂しい話なのだろう。芸術も文化も  

なんだかなぁ、という感想になる話だからだ。 

そう、やはり、自分が出てこなければ自己 

実現(なんのことかよく分からないが)とか、 

人生達観とか、頂上目指すとか、ゴールに 

一直線とか、人生無常とか、我田引水とか、 

則天去私とかも言えない、思いつきさえ 

しない。それはそれに対する自我があって 

こそ言えることで、無とか去就とかへの

想い、愛への想いさえ、自己をまず意識で 

立ち上げなければ、成り立たない。精神的に 

バカとか、愛だけの人とか、素直だけの人 

だけが、なにも思わずという場所にいるの 

だろう。

僕はそういった意見からすると、どこにいる 

のだろう?僕の外野としては少年から青年 

にかけての記憶が熱く、冒険心が周囲を 

経(へ)巡るようだ。内野(内面の芯)として

はなにもないようだ。 尊敬すべき系統とか、 

伝統とかあるのは知っているが、それよりも、 

・・と思ってしまう。なんだ、やはり、大事な 

ものがあったじゃないか、と。

それはそれでいい。確かに、と思う。だが、そこで、  

ではそれは何々です、と言えるか、と言ったら、 

僕はなぜか停止してしまう。その答えの前に 

「自分」の意見がなにになるのか、そこそこの 

思った程の役にも立たない、意見とは 畢竟

(詰まるところ)その人の立っている位置の 

複雑な角度の傾きではないか。 

と言ったら、19世紀に流行った「虚無思想」 

ではないか、と言われるんだろうな。

確かに違いを説明はできないだろう。それで 

はこうして書いている意味がないので困る 

のだが、・・・・・・・、どうしたものか。  

虚無には虚無の感覚が襲い、空しい感情に 

も襲われるのだが、それは淋しい人になり 

おおせるだろう。

寂しいか、・・ それを感じない理由は慣れた 

からだろうという根拠のない理由しか挙げ 

られないが、実際どうなのか、よく わからない 

のが実情だ。僕がふと一人でいる時の顔を 

見ても、寂しそうだと言う人はいないだろう。

と、観想するが。

なんともまとまりのない話をしている。たぶん、 

これでも’僕はなんなのか’、という話をしている。 

もう自分ではない僕はなんなのか、という話を。 

すると、こうなる、・・自分ではないものは

なにものでもない、・・・、だから、・・・・・・

その先がわからない。

その先がわからないのだ。先がないのかも 

しれないし、あってももう生物的な感覚・超視野 

では捉えることができないとか、僕らが想像する  

領域というとらえ方が、もう知性の人間のもので 

あるから、古臭いのかもしれない。  

僕ら人間って、もう古臭いのかもしれない。 

僕らで価値として滅びないと考えているのは、 

たぶん愛なのだろうが、誰かこれを食ってる 

奴がいるんじゃないの?自己矛盾がいろいろ 

それぞれの大事なものをお互いに争うように 

自我を体のシステムで生物的に恋愛や憎悪 

で、戦争や平和の格差の葛藤で争いを起こ 

させて、悲しみに寄るものもなく、すがるもの 

で人間に愛を生ませる。その愛はどこへ 

行ったのか。 

僕らの手元に残ったのか? 

いや、死のゾーンに包まれて、ふつうには接触  

できないようになっている。 なぜか? 誰かに 

とって、相当価値あるものだからではないか?

なぜか愛は死に包まれて、死を突破した者に 

しか愛を出会わせない。そして、死を突破した 

者に歴史を作らせる。

西郷隆盛が無名だった30歳で最初にしたのは、

勤王の僧、月照とともに死ぬことだった。 

斉彬が亡くなった時に殉死しようとして、月照に 

止められた。今度は月照が藩の企みで殺される 

ので、船から身を投げるのだが、その時、西郷も 

一緒に死んだのだ。ただ西郷だけが奇跡的に 

助かってしまった。西郷は愛の人となりながらも、 

維新の道をさまざまな矛盾を抱えながら、突き 

進むことになる。西郷は死んで甦ったから、維新 

の立役者になったのだろうか? 

この世のシステムを部分部分の真実ではなく、 

全体ではっきり見るのは誰だろう?僕だろうか? 

僕の他に誰か来るのだろうか?見たとしても、 

どうなのだろう?  

囚われの愛が事実なら、誰かどうにかできる 

ものなのか?期待の持ち過ぎか? 

では、一番大事なものはなにか、などと 

気の抜けた問いをするのは、やめよう

ではないか。

僕らの愛は誰かが食っている。この20年 

僕に住み着いた疑問は、考えに考え続け 

たが、特に近年の6,7年も、変わることは 

なかった。

だから、誰か一人くらいここにきてくれ。

待たないが、一応は待つよ。

いま、大事なものは、喉を潤す水の一杯だ。 

やけにストーブが熱い。・・ 消そう。 ・・・。

ファンヒーターでなく、昔の石油ストーブ 

だから、消すと臭いって。 

知らないよね ・・。 



解題 ::

誰かが愛を食ってる、という突然の話は迷惑な話だ。 

それは読者にとってもだが、一番は僕が迷惑だという 

話なのだ。10年以上も隠してきたのに、パソコンが 

イカれて慌てたのだろう、半無意識化では書いて 

しまった。僕に、自意識な僕に断りもなく(?)。 

説明事項が格段に増えてしまった、急に。  

その話をするためには、どうしてもそれが理解 

できるために 長い前提になるお話をしなければ 

ならない。

どうして隠してきたかは、ごく当たり前のことで、 

その仮説についての確証が得られていないこと、 

いずれ傍証だけで説明するにしても、まだまだ 

地固め的な証拠が必要だったことだ。僕の証拠 

というのは、三つのことを総合判断して、それが 

統括したものが、その三つの事例に当てはめても 

満足いく信憑性があることをいう。  

その三つとは、一が論理解に耐えること。二が 

世間の言うことや常識にあること。三が歴史に 

例が見つけられること、であるが、統合判断 

したものが正解の場合は、二の所謂、常識は 

そのことが誤解されて常識になっていることが 

すぐに見て取れる、そういうものであることだ。 

この三つに対して、解として納得いくものが、

初めて確信になる。それを僕は長い間、大事

にしてきたが、最近、信頼度を9割くらいに

下げた。 1割は、新しい事実や新しい判断が

出てくる将来の可能性に残した。かくして、僕が

100%確信するものは、何もなくなった。ゼロ 

である。 

それは自分に対してである、他人に対しては 

そうではない。その土地、その地域、その組織、  

その国の常識に沿う。それは僕らが、好意を 

もったり、一緒にいると気分がいい人に対して 

話したりする態度と、そうでない相手とでは話す 

態度も違うように、自然な区別の範疇になると 

思う。知人は他人という家族~半家族だが、

まるきり知らない人はふつう、赤の他人だろ、

という話である。日本で家を留守にする時 

には、鍵をかけるよという話である。そもそも 

鍵を持ったこともない国民もいれば、カナダ 

のように家に鍵をかけないで出かけてしまう 

国民もいる。まれに中学生に部屋を荒らされ 

たりするらしいが、あまり気にしないのだろう。 

欧州のどこか忘れたが、知的障害者や統合 

失調症の者、1万人くらいと日常生活を一緒 

にしている地方都市があるらしいが、ものが 

なくなったりは、しょっちゅう起こるらしい。

あまり気にしないのだろう、そんなので怒って

いたら、共同で生活などできなかっただろう。

清潔・きちんとした好きな日本人には耐え

られないだろう。お国柄、という奴か。どうして 

そういう生活になったのか、興味深い。 

話はどんどん崖下にズレ込んでゆく。 ・・・・ 


僕は愛を発見するという経験を前提に話して 

いるが、土台、愛は発見するものなのだろうか。 

それは愛の一種なのだろうか、という疑問も 

ある。そこでは僕の見た愛についてしか語れ  

ない。 

大きな誤解は誰もが愛を知っていると思って 

いることだ。それはごく一部を知ったかもしれ 

ないが、知っていると言える程度のものでは 

ない。生命に直結しているので、僕らは愛を 

まず直感して、感じることができる。そして 

その甘美に心打たれる。そして、その記憶を

死ぬまで(それ以上?)保持したいと希(こい 

ねが)う。で、自由にならない。 

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず、の 

孫氏のごとく、自由にならないのは、愛を知ら 

ないから、ということだ。それで敵に奔弄される 

のだ。  

愛がどこかにある、ということは、僕も聞いたこと 

がなかった。失恋をするのはきつい。思春期前後 

の恋愛は、すべて体の起因によって生じるもので 

精神的なものではない、と僕の見解は教えている。 

体のホルモンが生じて、そのバランスが最初は 

取れないので、気持ちの制御が効かずに、相手 

を性的に求めるが、それに気づいていない。 

好きだ、 惚れる、惹かれる、という誘因は性の 

目覚めに起因する。その上にちょこっと僕らの 

個性や精神性が乗っかるだけで、恋愛の本性

は種族保存の誘因であって、それが基本になる。 

次に有意義なのが、愛を感じ、生命に直結する 

道筋が精神的に開かれることだが、僕らは 

それを自我が邪魔する。それに気づく程の者 

ならば、その相克に悩み、婚約と婚約破棄を 

くり返すなど、若き天才芸術家にはその例が 

多すぎるほどある。

体の分泌バランスも安定し、精神も安定すると、 

恋愛はその精神の傾向に従い、駆引きと損得の 

知性が幅を利かせるようになる。

愛は異常なものだ。ロシアでは相手を想い続けて 

50年も離れ離れになりながら、出会い、互いに 

一回も結婚せず、それから一緒に暮らしたという 

実例がある。半世紀もものにしないところが、その 

強さ・凄さである。また現実を見る人は、そのまま 

会うこともなかったろうに、と考える、愛の弱さ 

である。それが愛だ、ではなく、それも愛だ、と

いうくらいのことだろう。愛には「絶対の」という言葉 

が使えない。 ただ抱括するのではなく、現在 

進行形で抱括し続ける。宇宙が膨張し続けるのと 

よく似ている。 

再度、断るが、これは僕が出会った愛を前提に 

して話してるので、もしかしたら一般的な愛のこと 

ではないかもしれない。  

ここから話すと、あとどれくらいで肝心の話に 

追いつけるのか、見当もつかない。先を考えずに 

話すことにしよう。 

愛について感じたことを書くのは詩を書くのと 

一緒だ。それはそれぞれの男女のそれぞれの 

感じ方を被露することであって、そこから愛の 

法則じみたものが出てくる訳ではないというのが  

妥当なところで、交通事故ではないが、自家用車 

とトラックが衝突したのと、自転車が軽トラックに  

接触したのも同じ事故だが、その例からすべての

事故について述べることができないように、愛を

当たり前に感じることと、その在り方を知ること 

はまるで異なったこと、石鹸とシャンプー 

のようなもの(?) だ。(それも違うな)

  ‎










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愛を振り切れない [愛]

さっきまで  窓から見えていた 月 は  隣の屋根に  

隠れて  見えなくなった   満月だった

人は  どうしてこうも  自分を顧みずに  

他人を助けようとする  その行為に   感情移入しやすいのだろう?  

人は  愛を 疑うことを  しない   

これまでの 長い間に  裏切られて  人を否定するために  憎んで   

そのために  愛をも 否定した人はいた   

ほぼ 無理やりな感情で  ひねくれた  すねただけの  

幼い 感情とも   

でも そうでもなければ  愛を 拒否とか  認めないという  

そういう表現は  見かけない   

それが  その重要さ、  重大さなのだろう   

愛は  友達ではない  

僕らは  少なくとも  そういうようには  感じていない   

それは  救いであり、  もしかすると  望むことのすべて、  

という人も  いるだろう   

僕の 心は   弾けないピアノを  弾きながら  

高まり  踊り    舞台に  立ってみる   

ここは どこだろう?   

君を  探す必要が  あるのだろうか?   

まだ  そこにいるのなら   僕の疑問に  

手助けを  与えて ほしい   

こういうことは  今までに  なかったことだ   

だからって  恩着せがましく  思っているんじゃない  

久しぶりに  会ってみたい、  ふと  

月を 見て       

そう、 思った   

ああ  そうだ、  それだよね   

ゆっくりと  もっと  ゆっくりと   

近づいてきてくれ      

僕の 息が    止まらないように   

その君から 流れてくるものを   調べと  言ってもいい   

それは  やはり  ひとつのことしか  しない   

愛したいんだ   

誰かを  愛したくなる   その  やわらかさ ・・  

僕の胸から  取り巻くように  円を 描いて   

すっぽり  愛に  包まれる   

何度も  何度も   書いてきた  このことを  

同じで 変わらないのに  それには 意味がないと  

新しく  甦る   君という  存在  

でも  僕は  もうここへ  来てはいけないことを  

知っている   

少しだけ  それを  許してもらう   

僕の疑問は  愛についてではなく   

この  壮大な  熱いオペラが  どうして  

ここにあるのか  という  位置についての  疑いなのだよ  

僕は  現実に  幾度も 死に損なって (海外で、国内で) 

ここまで  

生きてしまったのを  反省している   

それは  後悔ではない、  検討に迫られている、といった  

意味合いなのだが  理解しがたいと 思う   

自分には 当然と思っていたが、   人には 理解が  

困難なのは   最近  思うことだ 


まだ 覚えている  

昔の人を 想って  心に響く 巷の曲を  

聴くたびに  胸張り裂け、という しょうもない表現が  

ピッタリ 当てはまった   

もう 家庭をつくっていたが  ある日  ついに  

耐えられない時が  来た   

これ以上、 自分の想いに  耐えられない  

これ以上  想いが 募れば   死ぬだろう  

そんな 気がした  

それで  迷いもなく  他に心配もすることも なく  

死ぬことにした   

(5年くらい前には  今は書けないが、 いつか  

書くのだろう、と  思った  その今日が 来たらしい)  

壁を背に  坐って  思う存分  想いのエネルギーを  

全開にした   気が遠くなったが、  緩めることなく  

このまま  死ぬのだと  ・・・   

もう 30年以上に  なるか  ‥そんなことがあった  

僕の 自殺の意志は  記憶の限りでは  この1回だけ  

だろう     

気がつくと 死んでいない、 ”死ななかった” と   

ぼんやりと  精神だけでは 死なないのだ、と考えた  

そして、 なくなったのに 気づいた   

それを 尋ねると、  彼女への想いだった   

これは  不思議なことだった   記憶から  想いが  

すっぽり抜けて  空虚な残滓(残りカス)だけ  

この時、 彼女が過去のことになったのが  

はっきりわかった   

もう  彼女に  恋していなかった  

それは  顧みれば  衝撃的な事実だったが  

それは  ゆっくりと  セピア色に変わるように  

着実に  後を引かない  思い出になった  

僕という 肉体の事実は  死ななかったのに  

精神の情念は  消え去ってしまった   

どんな曲も  せつなく狂おしく  僕を  

させることは  まったくなくなってしまった

予想外だった   


このエピソードは 今になると、   重要な意味を  

担っていたように  反省する   

変な言い方だが  この時死んだことで  僕は  

行き場所のない 愛が集まる場所へ 行って  

また  帰ってきてしまったのではないか 、と  

それは 死者の  人は存在しない、 情念だけが  

集まる  壮大な渦で 中には個性的な  愛の  

エネルギーも  あったのだろう   

それから  20年以上の 後に ある知的障害者の ホームで  

その障害者の 聴かせてくれた 古い曲で  一気に  

なにかが  噴出してしまった   

なにかに 押されるように  想いが  あふれて  

その晩から  寝ないで  書き続けた、 その想いを  

もう過去になったと 感じてさえいた  その想いを  

書いても書いても  尽きることなく  胸に  

突き上がる  嵐のような  その想いを  

書いた  その職場を  朝に辞して  なおも  

その日の 昼まで  書き続けた  

他愛なく  平凡に  陳腐でさえあったかもしれない  

その想いを  

それは  彼女への想いではなかった   

それは  人を愛したい  ただその想い、 だった  

愛したい、  ただ 愛したい    

他に なにもなかった   ・・


何が起きたのか  わからなかった    

なぜ  こうも  この想いが  あふれるのかも  

わからなかった    

無意識帯に 潜ることを覚えて  いつしか  愛を 

見つけたが   それは  死とともにあった  

見えない感覚で  手さぐりに   探ってゆくうちに  

大きさのわからなかった  愛が  死の内に  ある  

と、 感じるようになった     

それでも  それらが  混ざっているのではなかった  

重なっているのでもなく  それぞれのゾーンが  あった  

なぜか  20年から 30年近くもして  僕は  

その愛のゾーンに  入ることができて  

理想の愛の中で  酔った   

僕の  想像力の及ぶ中で  これ以上の  

しあわせは  なかった   

少し  酔うのを 許されれば  

この世に必要なものは何もない、  と わかってしまう  

そういう気分にさせて  甘く  健やかな  喜びの気持ちを  

何杯でも  何百杯でも  お代わりさせてくれる  

もう これまで、 がないのに  もう 満足したよと言っても  

終わらない  盛大に しあわせが  盛り上がってしまう  

もう  単調な 言葉しかない  言い表せない  

そういう  ひとりお祭り なのだ    


それは 2年も 続いた   

何の 疑いもなく  二重の世界に  生きるような感覚で   

必要な時には  それが夜に 部屋に  あふれた  

落ち込みそうに  不安がもたげて  なにも思わなくても  

君が  来て  そばに いた   

それだけで  天とか、  宇宙とか、  銀河とか、  そんな  

広大で  無辺な  あらゆる世界が 一時に集まって  

その 距離の中心ではないが    - ど真ん中である -、  

という状態、 気分に なる  

はじめは  愛と 僕は  蜜月を続けたが  

やがて  その端の方が  見えるような感じになった  

それは 端切れだったが  恨み、  妬み、  性の支配(奴隷)、

ゆがんだ快楽 という  

愛と  相容れぬ  もののように思えたが、  つながっていた  

それが  疑問に火を点ける  きっかけだったろう  

この愛は  なにもかも  愛でさえないものまで  

同時に 存在を許さない  反発のプライドでさえ  

抱擁してしまうのだ   

入口は  僕の思う 理想だったが、  僕のキャパシティを  

越えている  これほどの 無分別は なんだろう?  

それを調べるのは  簡単だが、  それは 愛を離れること  

捨てるつもりでないと  実現は  難しい   

しあわせを  、  もうこれ以上の幸せには  出会わない  

それを  捨てる?   キチガイ沙汰だった  

それに 救われたのは  知っていた   

それを 捨てる?  あり得ない!   


そして  僕は  それを 実行した   

人生を  残りにして  今それを 検証しようとするのは  

もったいな過ぎて   無謀にも思えた   

でも  それをするのが  自分、  どうしようもない自分だ  

とは、 知っていた   彼は  僕より 常に  強かった  

バカだった   しなければ気がおさまらない、 知っていた(涙、笑)  

(僕の)自分の知は  心の主な 中心であったし、  知りたい

という欲望を 本能にしていた   飯や 金銭より  

知りたかった   それで  わが身が 滅びるとしても!  


愛の方が  勝手には  見捨てなかった、 また  

そう思うのは  僕の 小さな 感傷に過ぎない  

向こうに  見捨てるとか、守るとかいう  損得勘定は  

元々ないのだから   だから  愛を見つけた時に  

それが  人間以上だとは  すぐに   気づくことができた   

”それ”から 離れた  ・・

その頃は  人間の小ささが  ほんとに  身に染みて  

こんなに ちっぽけだと 思う日が  来るとは、 と  

そんな日々を  長崎の島で   また 座間の家で  

しみじみと 過ごしていた  

  
一度、 愛を包む  死のゾーンを 超えてみようと  

死の淵まで  無感覚なので  どこまでが そうだったのか  

言葉にはできないが  行ったことがあった  

そして、闇に落ち、  阻まれた   

精神不安定にもなり  回復に  手間取った  

でも、 それが  効果的だったのか  実際には  

わからないが、   問題を解く  仮説はのちに 閃いた   

( 以下、    中略    )


それからだ   

島が 冷たくなり、   岩場で落ちて  

急回復しても  一月後、持病で  (座間で)入院して   回復しても  

併発したらしい小病は ぶり返しを  くり返している  

そして  新型コロナ、  と来ている   まるで  

映画を 観ているようだ   観客の気分   

安心して  ストーリー進行は  わかっているのだから ・・  


科学的な 一般意見も  書いておこう   

「僕は  その理由は わからないが  瞑想で  

瞑想ハイ(脳内麻薬)になる  ことができるようになった  

愛という言葉を  心に感覚するような  特殊な条件で  

体が 反応して  無窮 夢幻の世界に  入るようになった  

自分の考える 概念から  愛の理想を  そこで  

見るし  感じもするようになった  

- ただ  それだけのこと   そして、  ほんとうのところは  

僕にも わからない、という 」 


: - それは ちがう  

そうじゃない、と ヒステリックに 否定する気は  ない  

事実は そうじゃない、と  しっかり感じるから  

そうだ、というだけだ   

考えというのは  同じ真実でも、 時には否定したり  

時には 肯定したりと  自由に 気ままにできる  

僕が  正しいとは言えないが  ただ 誠実な感覚で  

事実はそうではない、  愛たる、そのものは あった と 

(たとえ、それが 一般で愛と 考えられるものとは 

ちがっているかもしれない にしても) 

それは信じるに足るとか、  ほんとだったとか  その  

言葉は  いらない   

僕は  こう思う  それだけだ  

僕は  生きていると、すでに信じて 存在している  

だから、  それと 同じくらいに  ”それが 僕を  

はるかに凌駕して、あった” と   知っている   

それを まだ  ホントがわからないからといって  

否定したり、  事実ではないと  僕が自身に  

言うことは  できない   ― ただ、こう思う   

今は  僕は  それで  生きている   

違うのなら、 それがわかった時に  訂正して  

初めから やり直せばいい   

今は  僕の事実は  こうなのだ  

それは  考えで 否定するとか、肯定する その以前の  

ことだ   それが  僕らの あり方ではないか  

そうではないか   

僕は  そう思う (のです、 ・・・)  


どうしてか  こういう時に  感謝の念が  

湧きおこる  

なぜだろう   君や  あなたたち  

人に  感謝したい   

理由も わからずに   愛が ・・・   



                    3.11 満月の次の晩





*長崎の離島は、隠れキリシタンの教会の、世界遺産がある。  

 初めて上陸した日は、よく雨の降る日で晴れ男の僕にしては  

 珍しいことだった。 年が明けて、車で来た港から、始めに行った  

 場所が頭ヶ島の教会だった。まだ、世界遺産ではなかった。 

 そこでマリア像に思わぬ場所で会って、その放射エネルギーに  

 驚いてしまった。あとから、それが積もり積もった虐げられた信者の

 祈りである気がした。悲しみに裏打ちされた、救いを求める愛だった。 

                               3.12



 
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