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只今、コロナ自滅中 : 心の発見 [抗体]

月の光に 照らされて、 という感覚が もう失われて  

そういう自分なのか、 誰かなのか、 ピアノを聴く。  

コロナ自粛で 皆、 いろんなことをやっている、と  

テレビは 主張するが  こちとらは疲れてきてしまって、  

人のことは どうでもいい、と  そう思える。  

精神的に 自滅しているのかもしれないが、  もうひとつ  

自滅しているのではないか、 と思うのが 対コロナだ。  

昨年、島から帰ってから  今日まで  ずーっと小病が  

連鎖して、  社会生活に影響も、不便もないが  自粛に  

適した 小病連続だと。   大きい持病は 今年には  

収まり、 2月には尿道に 疾患があった。 それにしても  

熱や だるさが出るわけではないので、 病気としては  

可愛いものだ。  それも3月中旬にはほぼ 治って、  

解放されたと思う間もなく、  喉が痛みだして、 訳の  

わからない風邪に 悩まされる。  微熱が 微妙に出て、  

3月28日から、 今日まで 3週間以上になるが、 その  

うちの 19日を市販の風邪薬を飲んでいた。  熱っぽさと  

のどの痛みが 失せると、また来て という繰り返しで  

今日は調子がいい。  昨日は 薬を飲まなくても よくなったが、  

明日はわからない。  

買い物くらいの外出と、 たまに車も乗っている。  そこで  

思うのは、 コロナの抗体を作っていて、 風邪が長引いて  

いるんじゃないか、 という 都合のいい解釈をしていることだ。  

つまり、それで自家製の抗体で コロナ撲滅中を 想像していた  

ところだ。 座間市では6人、周辺の市では8-10人くらいか、 

感染者がいる。 めんどうだから、もう自分も感染している、と  

思った方が 対処しやすい。 抗体がどうやって作られるのか、知らないが  

かまわない、 その気になればいい、と  思っている。 僕らは  

その気になって なんでも作っているから。 特に微細な 粒子や抗体  

などは  作りやすいはずだ。 飽くまでも、 期待半分だが ・・・。  

それに抗体ができるのは、 コロナと共生する調整がとれた、 と  

解釈しているのだ。  ウィルスには 意思がない。生命ではないから。  

その点、 自我とも、  知性とも  共通している。  

動物としての猿の脳に、 自我と知性を 発生させるウィルスを  

埋め込めば  (空想上、 理論上) 人間として ホモサピエンスとして  

存在が成立するからだ。  


<心の発見>   4. 12 - 13  

これまでは  生まれてきたから  何事か  あるねん、  

というのが   はじめからあった。   そこからだった、  

なにかあるのは。   

ちょっとちがう  夜を  迎えた。  

なんで   生まれてきたねん?  

なんのために  ここにいるんか?   それが  ちゃんとした  

質問だと  初めて    思える。    

今夜の  気まぐれでいいから  そこを  突いてみたい  

いつもと  変わりないのは  答えがどうあろうと  

かまわない、という気が していることだ。   

こうして  尋ねようとしている この自分に 意味がある、 と  

いうことでもある。  そうかもしれない。    

僕は  どうして  答えがありそうもない 質問を  

しているんだろう?    

なにかが  足りない。     この足りなさは  なんだろう?   

この隔絶感、   ひとりであることの  孤絶感、というのだろうか  

凛とした   屹立感。   まず、 感じるのは そこだ。   

空気の 氷、  という存在感が   自らの中心である、  

それは 確かさと共に  むなしさが  ある。   

自分が 空しさである面は  なにも  生めない。   

それが  情熱の 不足を  感じさせる。   

なにものにも 拠らないで   立っているのは  

すべてのものと  どう関係しているのかという  無感覚を  

生んでいる。   

この広い夜に  広がろうとしないで  じっと   

中心さえない 視線  というもの  

その無機質な  僕は  僕と 呼べない   

おそらく、  

それが答えそのものなのかも ・・  

辿るものが  なにも   ありまへん。  

なんのために  生まれたのかとは  たわ言で  おます。  

親父は  どう考えたのだろう?   

子供が生まれる時には  自分の夢を  子供に  

託したのではないのだろうか?   

親父は  兄弟姉妹が多かったが  末っ子だった   

親父が  体質を変えられてしまったのは  戦争だった  

日本へ帰る 船に乗るために  2週間の行軍  

一睡もせず  歩き続けたらしい。  

それで 夏は脂っこいものを  好み、  冬は さっぱりしたものを  

好む、という普通とは 反対に  体質が変化してしまった。  

生きる執念が  あっただろう  

家系からも  自分を頼るとともに、  また甘えも  

当たり前にあった。   それを 特別に欠点と  思ったのだろうか  

強さを  求めたらしい。   教育方針も  子供を助けない、  

というものだったのだろう。  一人で  立つまでは  起こさない、 

手を貸さない、という・・。  

それは 成功したね。  

親父の甘えの克服という 動機と  僕の潜在の選択があったのなら  

青年期の 途中までの 精神の経過は  理解できる。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

そう思うと、  やはり、 なんのために生まれたなんて  

答えは  むなしい、 ありそうもない。  
  

19歳からは  あまりに  わからないことが  多すぎる。  

これで  元に もどってしまった。   

この むなしさは  まだ  理解できないものとして  

依然として  ある、 ということらしい。  

子供は  親しい愛を  間違えない。 危ない人には  

近づこうとしない。  それで  この空しさが強い時に  

子供を  避けようとしたことがあったが、  必要なかった。  

子供は  この空しさを  まったく感じていない。  で、  

いつものように  遊びに  体にまとわりついた。  

子供には  まだ 自分が 育っていない、という  

ことで いいのだろうか、と。  

むなしさの  裏側が  自分なのだろうか?  

無意識下の むなしさは  単に感じることができない、  

ことなのだろうか?   

僕らは  ひとりにならなければ  むなしさを  見つけることは  

できない   このむなしさを  区別する方法は  ある。  

それは  無意識下の 空しさは  まったく  寂しさを  

感じることができないから。   

人恋しい、という  依存(甘え)の形態では  ないのだろう。  

ただ  屹立した  透明の氷だけが  ある。    

そうして、  死だけが 意識できる時に  

それが どんな底なのか、

そこまで行くと   愛が 現れる、 という感じ、・・?が  

するのだ。    

何千回も  何万回も  生かされて しまう。   


心は  今のようだと  まるで  どちらにも傾かない 。  

この平衡感、  落ち着きは  例えようがない。  

たっぷりと  ものがあるように  在るものが  

塊のように  ある、   のだが ・・。  

僕が  ひとりになれるから  僕から  はみ出すものが  

あるのだろうか?  

それは いつも  他人が  僕に見るもの   なのかもしれない。  

自分でも わからない自分の 分身?に  どう関係を  

もてばいいのだろうか?  

どうも 面倒な場所に  連れてきてしまった ようだけれど  

一度は  つまらない 試みもしておくべきだろう。  

と、思うが ・・・。    

(困ったね) どうにも  書きようがない。  

こうなると、  夢もない、 とわかるし、  

こうなると、 現実も感じられない、  となるし、  

つまり、  

・・ 

・・・ 

・・ 

やっと 発見した、  これが 動物の 心なのだ。  

考えたり、 区別したり できないし、しない、  その    

一律の 心。  この意識は安定しているのに、  

人間の愛も  透明な壁越しで  なければ 理解しない  

それが  動物の  感じ方ではないか。  

彼らには  彼らの  しあわせがある。  うーん、  全部  

上手く、 あてはまるぞ。    

僕が なにかにつけて 移項していたのは  

この 心だったとすれば   すべて  

納得できるぞ!   


美しい   人生は 美しい。  

こういうことも  できるんだ。  



*このことはずいぶん先まで、行き先があるのを予想させる。なぜなら、  

 この心を定点にして、応用・演繹させれば、新しく定義できることがあるから。  

 それに、幼少の子供の心は動物の心ではないか。”自分”が、まだ育って

 いないから。  

 これは僕らが生まれる前の、生まれる理由の、答えのひとつにもなるのか。  

 それも考えてみるか。  


*余韻があって、 それが続く。 これがどれほどのものなのか、明日以降に  

 わかるのだろう。  

  
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