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喧騒の中 [喧騒]

僕は都会の喧騒から逃れたいと思いながら、島に来た時だけ 

なんとか静寂に身を入れることができた。  

しかし、子供の頃から、喧騒の中で育った。千代田区から思い出もない  

幼少時に中野区へ引っ越してきた。そこは青梅街道の前で、都電が  

走っていた頃だ。大通りに面した商店街で、東京の発展途上だった。 6.15


もう昼を過ぎて、外は炎天下。クーラーは必要だが、精神上は気持ちいい。  

夏は個人的にもっとも健全さを感じる季節だ。この健全さは、言葉でない 

のは、なにも聴こうとは思えないのでわかる。どんな音楽も、バッハの  

無伴奏も、モーツアルトも、ベートーベンも、テイラー・ツイフトもラブメドレー 

も、血の湧くロックも、中国古琴、浪花節や、日本の祭囃子も、今を邪魔  

するように思えて、この清明さを邪魔させたくない。  

昨日は東京の発展途上で文が切れてしまったが、そのあとは地下鉄の  

工事につながるのだ。それだけを、・・・:地下鉄丸ノ内線の中野坂上が 

僕の家の目の前にできる地下鉄の駅の名前だった。ここから歩いても 

30分で新宿区へ入ってしまうほど、副都心新宿は近い。僕は子供の頃  

から屋根の上を歩く冒険家だったので、工事中の地下トンネルに深夜  

忍び込む、というのも芸当のうちだった。駅のホームなどはまだできて  

おらず、想像より大きなトンネルドームがあった。それでも作りかけで、  

どこにホームができるのかが見えた。電車の線路もなく、あちこちから 

まだ少しの地下水が染み出ていて、少ない照明の中で暗い洞内は  

湿気を帯びていた。子供だったので、トンネルは巨大ドームのように  

感じた。 それはいいのだが、まだ昭和中頃、公共工事のほうが  

人民の迷惑よりも幅をきかせている時代だった。なんと工事は  

突貫だったのだろう、深夜にまで及んだのだ。当然、夜は寝れたもん  

ではない。工事の電動ドリルの音がいつまでも夜に響いていたのを  

思い出す。僕はこの騒音と喧騒というものに縁があるというのか、  

死ぬまで一緒だろう。例えば、結婚して借りたアパートは住宅街  

だったが、上に田舎の人が越してきて、都会に慣れないため、 

水を出しっぱなしで出かけて、それがキッチンのうえから大量に  

漏れてきたこともあった。それに上の階なのにドカドカ歩くので  

ある。野放図な田園ではいいだろうが、ここは交通ルールを守る  

のが大切になる地域でもある。それで次に越した先では一軒家の  

借家にした。、5年も居ていい、という話がどう変わったのか、ここを  

売って建売住宅にするから3か月以内に出てくれ、と越して1年も  

しなかったろうか、言われた。それで近くの車道の前にあるアパート  

の2階に取りあえず移ったが、よく見ると、眼のまえが消防署だった。 

それからは朝に夜に、救急車の出発するサイレンを聞く日常に  

なった。地下鉄工事の再来である。  

まあ、毎日毎時というのではないから、普段は まあまあ静かだ。  

家を買うことにして、現在の処に越したが、2年間は隣接する道路  

の先の陸橋が工事中で車、トラックが通らず、静かだったが、工事も  

終わり、今では大型トラックの低周波に「左折します」と繰り返す 

警告のアナウンス、座間キャンプの外人や日本人の車からの

大音量の音楽騒音に時々悩まされている。考えは中断して、  

壊れるし、テレビの音声も聞き取れず、郊外の田園に一軒家という  

のは憧れかもしれない。  

昨晩は久しぶりに隣家の親子喧嘩か、夫婦喧嘩がはじまり、子供は  

娘でもう高校卒業しただろう。少し、障害がありそうな子で、通常の  

人のつくるメロディではない(自分で即興)作曲をしながら、それを風呂  

で歌っていた。メロディラインが、どう言っていいかわからないが、  

障害者の調子なのだ。気まぐれで、耳障りな音も平気、という感じ。  

僕はそれに慣れるやり方(別に、意識して耳を傾けるだけだが)を  

知っていたので、聴くように聞いていると、だんだんその、二度と  

くり返しのない単調にも聞こえるメロディが好きになってきた。今では、 

聞こえてこないかと思う時もあり、なぜか彼女も歌うのをやめて  

しまって、僕も忘れていた。  

それが夕方から怒鳴り声、金切り声、だいじょうぶか、他の近所が  

警察を呼ぶんじゃないか、というくらい大きな喧騒になった。声は  

途中止んだりしていたが、夜まで7時間、そのうち3時間は怒鳴り  

合いでその家の側の小窓を閉める始末だった。  

昨夜は大いなる喧騒の中。島でだけ、大いに沈黙を楽しむことが  

できる。もうこんなことには、慣れっこになっている。どんな生活にも  

子供の心配が終わったら次は?、というようになんらかの制限・  

我慢・忍耐がつきまとうものだ。はじめから一緒なのだ。 それらは  

自分のある意味、物象ではない子供のようなもので、うまく制御  

できる時もある、くらいのもので諦めて、それなりにつき合って  

行くしかない。それがトラブルにならなければ、それをどうやって  

楽しむかも、僕らのふつうな日常のテーマである、と思うのだが・・・。  


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