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君がはるかな春にどう想うか [日本]

君は どう思うか 

そう思いながら 誰に

いったい  誰に向かって 

言っているのか と 

思う 

自分という 居場所を 

放置してしまう 

皆の メロディ・トークを 

聴くと 

皆が 皆  

そう言っている  ように 

聴こえてしまう 



こう思う  という想いは 

言葉にすると  ひとりでは 

立っていられない らしい  

城下町を  尋ねて 

お堀を 歩いていると 

日本に帰化した あの人の家の 

前に来た 

日本を 愛する  奇特な人 

だったのか 

日本の娘と  結婚して 

世界の 遍歴は 終わった 

らしい 

庭の カエルが 食べられてしまうと 

蛇の穴の 前に  鶏肉を

置いておくような  人だった 

ラフカディオ ハーン ・

日本名 小泉八雲

ハーンは 実名の読みでは 

なかった  ヘルン

誰かが 間違えたのだが 

本人は 気に入って 

ハーンを 名乗り続けた 


東京大学で 英語を 

教えてもいたが 人気も

あったのに  諸事情で

退いた 

そのあと 講師になったのが 

夏目漱石 

彼は 厳しく こだわった 

教え方だったので  学生の 

評判は  よくなかった 

なにかのことで  そのひとりは 

自殺している  

それでなのか  知らないが 

漱石は  先生は辞めて  

小説家に  なりたかった 



遠き 春を  想う 

島で拾った猫と  偶然 訪れた 

松山市は  漱石の先生時代の

坊ちゃんの 舞台だった 

遠き 夏を  想う 

親友 柿食えば 鐘が鳴るなり の

正岡子規 の記念館があった 

そこで 彼ら二人の 学生時代の

等身大のパネルが あった  

これに 出会うために  

猫も 泊まれる宿が  松山市 

なのだと  想ったことだよ



はるかなり  昔の  日本

遠くなり ました  

いよいよ  遠く  

なりましたね 

僕の 影が 薄くなりゆくように 

代わりに  

明治が  終わらないようだ 



はるかなり 今日の  日本 

遠く  春霞に  けぶるよう 


君は どう 想うか 

ああ 



君が  春に  けぶるように  

ダブって  見えるよ 



はるかなり 今日の  日本 

遠く  春霞に  けぶるよう 

僕は  まだ  遠回りを

しているように  



春を  霞み  見るのだ 

見えないものを  そのまま  

見ようとして 

急いでいる つもりもない

でも なぜか  急(せ)かされる 

この気持ちは  

せつなさ  だろうか



この街を  

点々と 足跡を  つけるように 

歩いている 

その人の  姿を 

君は  どう 想うか 

花に  霞む 

いなくなってしまう ような

ピンクの 花びら の姿が 

消えてしまい そうな

その 姿では ないだろうか 
              5.5

::

東大での夏目漱石の講義は、始め

こそラフカディオ・ハーンの復帰

運動こそ学生から起きたが、やがて

教室が満杯になるほど人気になる。

また、ハーンは退職後に確か、数か

月で亡くなってしまう。
            9.6
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ジャスミンの彼女(日本)を育てる [日本]

人間、と言うとその全体の様相は

わかっている気がする。その内容

を知識に彩られた概念で探そうと

すると、あまりに多くの情報に

出会い、とても吸収できるような

ものでなく、膨大な情報量に圧倒

されてしまう。

なぜかそれを全部読んだり、視聴

したりしなければ、意見が言えない

ような気にさせられる。

そういう錯覚がこの世にはいろいろ

な分野にあふれている。ほとんどが

百科事典的な事務的な情報なら、それ

は放っておいてもさしたる害はない。

知り尽くす必要もないのは、その基本

だけでも吸収してしまえば、あとは

新しい情報だけなので、その部分だけ

をピックアップすれば、どの情報も

短時間で読み終え、視聴し終えること

ができる。つまり、重複した情報に

あふれている、ということで、大事な

ことは自分に関わったことが、ほぼ

大部だとはっきり言える。

僕らの経済環境は循環を増やすことが

必要で、しかも最新の情報は世間的

には専門家向きで、一般には向かない

ことが多く、そのため民間の企業は

世間にへつらい利益を求めなければ

ならないので、くり返しを少し形や

色合いを変えるだけで内容は同じ

ことの亜流や変形であるものを出し

てくる。

古典の類は内容が固定概念化されて

いて、その解説で読まされている

ようなもので、自分の見解とぶつかる

ようでないと、新発見は望めない。

また、古典を手に取るだけでも少数の

人で、名前は通っていても、実際は

読まれない古典のほうが多い。



僕が読書をどちらかと言えば、好ま

ないのは、10頁も読む間に、疑問が

多く浮かんで、そのために別の著者

の本を探し出して、確認したい誘惑に

かられるからだ。そして、その著者

の本でも同じようなことが起きて、

また別の著者の本を読まねば、となる

のでキリがない。

1冊読むのに、数十冊を借りたり、

購入したりと雑用に追われる。読む

時間よりも探したり、借りに行った

りの時間と手間のほうが長かったり

する。効率は考えないようにして

いるが、本は溜まる一方で、1冊を

読み切った経験は、非常に少ない。

数千冊の蔵書を眺めると、遠くに

気が持って行かれるようでもある。

それでなにか不便は感じない。

それよりも偶然が運んでくれる

情報を訪ねていったほうが実りが

多く、楽しい気がしている。

本というのは、畢竟、過去のことし

か教えてくれないし、学べない。

広く長い海岸線をもしかしたら、

いやたぶん1個くらいはダイヤ

モンドの指輪が落ちているかもしれ

ない、と拾い探すようなものだ。

と言っても、好奇心の多感な考える

人ならダイヤの指輪は見つから

ないだろうが、いつかは新しい発見

それは物か、考えかわからないが、

発見をすることになるはずだ。

明治の科学者・寺田虎彦も言うよう

に「科学者は馬鹿でないといけない」

ということだが、頭の馬鹿ではなく、

利口な人がそこは終わっていると

いうように考えず、実直に他の

研究者が辿った跡を丹念にもう一度

探ってみるのだ、ということ。

それは理屈に合わなそうだが、因果

に照らせば、この世は無常なのだから、

同じ状況・環境は続かない。その

研究者が辿った時と同じ状況に今も

なっているとは信じがたい。必ず

変化している部分があるはずで、

幸運ならば、その変化がもっと

大きな変異を呼んで、今でなければ

できない発見をすることができる

からだ。それには馬鹿にもなるほど

実直に物事に取り組まねばならない、

とそういうことを言っている。



だから、よく本を読む人は目の前の

日常生活の細かな観察を怠らなけ

れば、本で取り入れる情報より確かな

知識が収穫できる、はずなのだ。

それをアウトプット(外へ発露)でき

れば、それは知識の内容からの把握を

証明する確かな人生の糧にもなる。

動植物や昆虫は子供の頃のための

ものではない。ジャスミンが他の家の

生垣で匂っていたら、その花の歴史

を調べるだけで、ジャスミンと親しく

なれる、はず。

シャーロックホームズの晩年を知っ

ているだろうか。彼は養蜂家になっ

たのだ。蜂を育て、蜜を採取したの

だろう。イギリスらしい、田園の

生活を伝統的に敷衍(押し広げ)した

のだろう。

日本人としてなにも敷衍するような

ことはなにも考えていないが、以前、

無人島で生活する夢を見て、離島の

家をもらい受けたが、コロナで手放

した。それも無人島での生活は、実際

に野崎島という実質無人島に出かけて

思うより厳しそうで、晩年の生活では

ないのだ。まさか、動物園では弱そう

に見える野生の鹿に威嚇されるとは

思わなかった。

その時、なにを生意気な、オレは人間

(様)だぞ、と人間(自分)のプライド

が一瞬出てきたのは面白かった。無意識

では動物を見下す面があったのだ。それ

をその時に知った。これも隠された自分

発見の体験的知識だ。

そのおかげで動物への親しみをより増や

して、意識することができた。



今、日本はどこにあるのだろう?と

空を見ている。それを知りたい。もう

少し生きて、それを各地に確かめて

みたい。

父はたぶん戦地で戦ったので、死者を

相当数見たはずだ。亡霊も見たのだろ

う、帰国後は自分の先祖の墓参りばかり

でなく、他人の知人の墓参りもしてい

たから、そういう経験をしたのだと思う。

だが、それは死者の死後短期間のこと

であってそれが死者の魂だと見るのは

錯誤だと思う。ので、僕は先祖のも

親のも三周忌からは今まで一度も

墓参りをしたことがない。墓には

それらしき誰をも感じたことは

なかった。

いずれにしても、

日本各地の過去を訪ねることは、

その歴史的な墓参りになるだろう。

そこに墓があるとは限らないが、・・。
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城、春にして草木深し [日本]

語ることはいくらでもあるが、語る

「べき」ことはほんとうにあるのか、

未だよくわかっていない。

ないらしいことは、感じるがそれが

確たる姿を把握している、という訳

ではない。それならどうしてこんな

事情になったのか、と思う。

この物足らない、そして不可思議な

感じはいつもあったようだが、それ

は闇の責任に転嫁していたので、特

に考えたことはなかった。

ありのままでいい、とか言われるが、

それはほとんど不可能なことを指して

言っているのではないかと、考えて

しまう。

地球があって僕らの生活が続く限り、

ありのまま自然に任せるのは、困難

に思えるが、その日暮らしをしてい

る原住民はいて、文明のテントとか

見せても、我らには必要ない、と

笑いながら言う。

森を移動しながら、食物のなる木を

求めて同じ季節に同じ移動をしてい

るのだろう。食べ物を探して一日は

暮れて、調理にも手間がかかるので、

キャンプと同じで食事をするまでに

時間がかかる。そうして一日は暮れる

し、それがくり返されるのだが、彼ら

はそれを黙々と繰り返すようだ。

食べ物の保存には気を使わなくて

いいだけの天然の食料は手に入る。

しかし、余裕はないのだから、毎日

それに追われる。しかし、食料に

あぶれることはないので、不満もなく

その同じ毎日を送る。

それがありのままなのだろうか。

あるがままなら、純然たる社会主義の

国がある。キューバはヘミングウェイ

も好んで住んでいた。

国から支給されるお金が日本円で

3000円ほどで、市場で売られるパンは

1個20円くらい。皆がその貧しさの中

なので、我慢できるのだろう、と思い

がちだが、そうでもない。生活の贅沢

はない代わりに大学までの教育は国が

面倒を見るので無料である。教育資金

を工面しなくていいのだ。そして、

医療費も安かったと記憶している。

なにしろ、性転換の手術がその相応の

正当な理由があれば、これも無料だと

いうから進んでいる。

金を追いかけて仕事をする生活では

なくなるから、そういう生活方式の

ほうがいいという人もいるはずだ。

それもありのままに近い生活なのだ

ろうか。いや、国の生活費の手当て

での政策などあるだろうから、あり

のままとは言えないだろう。


理想としては僕らが国民としての

自主的な意識をもって、専門家や

公共の事業などは国営がいいのか

民営がいいのか判断して、そうい

う国家を将来的にイメージできて

いることだろう。学校からそう

いうことを教えて、考えさせるのが

本来の教育だと思うのだが、権益の

意識と実際の日教組などの組織が

すでにそこで腐っているので、部分

で反日教育となっているのは驚く

べきことだ。新聞やTVとかのマス

コミでも報じられないことが多い

のだが、それは隠されている。

ニュースに出てきても、日本の国民は

ほぼ洗脳されているのに気づけない

ので、日本人とはどういう人たちなの

かを自身のこととして捉えられない

くらいに心が衰弱している。

安倍晋三首相(当時)がトランプが

大統領になってすぐに会いに行った

のは、偶然ではない。たぶん、まだ

首相を退いても大きな派閥の影響力

があったので、演説会場での警備体制

の不備も偶然ではなかった、という

見方を僕はしている。


日本国民は大きな無知の中にいるだ

ろう、と見ている。僕は還暦を過ぎ

るまでに10年以上戦争を考え、見て

きたがこれまでの歴史を知らなかった。

それは学校で教えないからだ。日本人

というアイデンティティはその良し

悪しはともかくとして、知らないで

はすまされないもののはずなのだが、

それは自分の親を知らないと言う

ようなものだ。


だから、ありのままという言葉を聞く

と、その前に知らなければいけない、

判断もできない事情が、歴史にも

政治にもあるのではないか、と思わ

ざるを得ない。

ニュースは国際的になって来た新しい

犯罪とか、芸能ゴシップ、スポーツの

話題、日常の生活の衣食住の変化、

など娯楽や近視眼の流行を追うばかりで

不都合なことが起こっていても、報道

されないばかりでそこに無感動にも

なっている。

危機感というのは当たり前の生活を

しているのでは、とても生まれない。

意見というのは、どうにでも主張を

変えられるので、どういう立場に拠る

かで、どんな意見も存在するし、可能

なのだ。だから、自分がそれを判断

する必要がある。その準備がなされ

ていないのが、そうされてしまった

歴史の経緯という、今の日本がある。

その自覚から始めるにはどうしたら

いいのか。

そこからになる。なんとも遅れた話

ではある。


城、春にして草木深しは、国が滅びて

草木が伸び放題にはびこってしまった

ことを言うが、精神的には日本の姿だ

と言っていいと思う。

悪くなれ、とは言わないが、それ

くらいのことは明確に自覚してで

ないと、お人好しの意見・交渉では

甘く見られたままだ。戦争は資本主義

の最大の消費という儲けの機会なの

だから、そういう見方から国際関係

の武器売買を見なければ、戦争反対

がいくら真理でも、僕らの心情でも、

まっとうな意見でもいつの時代でも

それには目隠しされて、それらしい

理由がプロパガンダ(宣伝)で用意

されたのだ。だから、戦争の悲惨な

記憶を受け継いでゆくというような

子供だましのことで、将来戦争が

防げるというようなことは決して

起こらない。

それも必要だが、それだけでは役に

立たない、ということである。


    23.5.2
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朝陽を待つ [日本]

バッハの曲をチェロで演奏していた。

それを見ながら、思った。

流れる曲をその音色から聴く人は

チェロを想像して見ながら聴くの

ではないかと。そこにはクラシック

と歴史が醸し出されている気がする。

僕は精神的で、若い時から、クラシック

でもポピュラーでも、それがどういう人

が演奏して、どんな楽器が使われて、

とか気にしなかった。

聴いたのは飽くまでも、曲の精神性

で、なにが表現されているか、が中心

だった。演奏者や指揮者によって曲が

変ってしまうことを理解したのは、

1980代以降だったように思う。

子供の頃はそのためか、曲は頭に

創作お話をする、その飾りだった。

聴きながら、想像で物語を織りなし

てゆくのが楽しかった。

それがやがて、音楽の精神を聴く

ようになり、音楽を演奏でも聴き

分けるようになっていった。

音楽だけでも、その人によって、

同じ音が鳴っていても、同じ曲想や

音色を聴いているわけではないのだ。

音でさえ、だ。

だから、僕らは解釈や意味が少しずつ

違う言葉の組み合わせを聴きながら、

だいぶお互いに異なった解釈をする

のが一般的なことなのだ。

孔子が六十にして?だったか、耳従う、

と言ったのだから、六十に達して

いない人が人の言葉を聞き間違える

のは、大変ふつうで一般的なことなのだ。

だから、メールでも手紙でも、何回も

読み直すのは無駄なことではない。


それは僕らの脳が狭小で独りよがりで

自分と異なるものを排除しようとする

排他性があるからだ。それはもともと

あるもので、経験や教育によって軽減

されていくし、公平な見解に部分で

達する人もいるが、その狭小さが

なくなるというものではない。

チェロでもバイオリンでも、見た目

ではない。弾ける人が当たり前に

見えるのはいざ僕らが弾いてみたこと

がないからだ。

まず、きれいに音が出ない。それで

この楽器でよくあの美しい音がだせるな、

というのが初体験の感想になる。


 この処、しあわせではない。しあわせ

という恒常な状態や境地とか、ある

わけではないので、これは単にしあわせ

から遠ざかっているのを示している。

そうすると、頭が翻る。

ではその質問を、しあわせ感を寄せ

ない自分はどういう状態なのだろうか、

が向き合う姿勢になるだろう、と。

しあわせである必要を感じないの

ならば、これは少なくとも、不幸せ

だとか、苦しい、だから楽になりたい、

しあわせになりたい、とは思っていない

のだから、不幸でも苦しい状況でもない

ことが伺える。

そこを深く読んでも、意外だが、プラ

イベイトを出さないという信号が送ら

れてくる。そんなものあったのか、と

思うが、そのプライべ~はなんだろう?

答えは早くも出たようだ。

どうもその時が来たようだ。もう独り言

しか出てこない、テーマを変えるべきだ

と今この時の自分はぼんやりした僕に

、逆か、今この時の僕はぼんやりした

自分に指示する。書いてもつまらない

ことなので、1か月か、その後に(事後)

報告にしよう。


つひにゆく  道とはかねて

 聞きしかど 

きのふ今日とは  思はざりしを  

       ::-菅原 道真 


道真が晩年に病気になって、これ

から死ぬ心境を謳ったもの::

<まさか、今日明日に死ぬとは思わ

なかったよ>

ここにはどこか覚悟のようなものが

感じられて、ふと思い出した。

今までやろうとして先延ばしにして

きたことを、いざやろうという時も

そんな覚悟を知るものだと。


新しきは 常に もがもな

 朝の日に 長閑けし

  沁みる温気 かなしも

          :陽秋

元歌

世の中は常にもがもな渚漕ぐ

   海人の小舟の綱手かなしも

     :源実朝(小倉百人一首)


こういう歌が記憶に残るのは

やはり、日本人だからなのだろう、

と思うのだが、それも還暦を回って

から日本に目覚めたからだろうか。


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日本は世界の村社会 [日本]

世界からの追悼ツイート?だろうか、

読んでいると、日本は村だなぁと思う。

プーチンが安倍晋三の政治家と人間

について述べている。キリスト教国では

本人と家族に哀悼の意を表している。

日本で聞く追悼コメントはどれも皆、

同じ。民主国家では決して許されない

行為だと、いう法を意識したもので、

秩序への信頼がよく見える。街頭でも

それは同じで、驚きましたと同時に、

法治国家で許されない、という一色。

これだけ秩序を中心に法を信じる

国民というのは、世界で日本だけ 

だろう。

同じ言葉を言っても、世界では民主

主義というのは社会での体制を形

にするための一便法だと思っている。

たまたま、今は民主主義でやって

いるだけで、それは大事な体制だが、

それがこれから先も絶対に必要な国

の方針であるかどうかはわからない、

というのが世界の常識だ。

日本国民の政府に対する態度の大半

がやはり、お上に対していた時と同じ

で憲法が変わっても、自分たちが苦酸

を舐めて、それを求めて変えたもの

ではないので、僕らはたぶん、変わって

いない。それは世界とは違う形で、僕ら

は平和の方式を内面に持っている。

それを意識せずに、与えられたものを

その日本秩序に改変して、それを

信じる点で、平気なのだ。だから、世界

がそれとは違う軸で動いているにも

関わらず、それを眺めるだけで、見ること

をしない。それでいられるという、現状が

あること自体がそれを物語っている。の

だが、この変わった意識構造が理解して

もらえるだろうか。

つまり、民主主義は世界の心の底では

いくらでも取り換えの効く体制マニュアル

に過ぎないが、日本人にとっては自分たち

の平和信条・和の信条を補完し、現すため

の重要な盾なのだ。だから、それを大事

に守ることで平和が保たれるという、世界

では信じがたい、無意識な取引がある。

秩序は外側に求められるのではなく、

はじめから日本人の内面にある。それが

民主主義だろうと、封建主義だろうと、

どうでもよくはないが、あまりかまわない、

なにか形があればそれを自分たちの秩序

の代替にして、それを法として守ろうとする、

一致した和の信条がある。これが日本の、

世界で珍しい村社会の見えない法則なのだ。

中国から漢字を輸入して、日本人はどれ

くらい多くの日本漢字を作っただろうか。

明治維新で輸入英語・オランダ語(江戸期)

をどれだけ知恵を絞って見事な翻訳単語

をこさえただろうか。

例えば、ひとつ、「神経」って考えれば、

実に見事な言葉だ。「神」の通る「近道」

である。漱石も正岡子規も若い頃、松山で

一緒に、今でも使われている日本語を

編み出している。

これはマネがうまいのではないという

通説どおり、日本は外のものを自分の

内にあるものに変化させてしまうのが

うまかった。

日本語が漢字・カタカナ・ひらかなと区分

してあるというのではなく、それぞれが

自分たちに似せて変えられた外国の

言語であり、日本語として再生させて

しまったというのが本当の処なのだ。

だから、その功罪で、日本人は世界を

理解しないのだ。自分の内面秩序に

反省がないので、それを強制的に矯正

された者でないと、日本が見えない。

見えた者はジョン万次郎・岩倉具視・

大久保利通・伊藤博文・福沢諭吉、

漱石や森鴎外・津田梅子や山川捨松

などの海外渡航の長い者、あるいは

海外留学者などなのだ。他にも多く

いる。

近代では海外旅行が盛んになり、

観光で行くので日本人のまま行って、

日本人のまま帰ってくる。そこで生活

したり、長く苦労する旅でもしない限り、

観光気分で行った気になり、海外を

知った気になっている(かも)。

絵葉書の実物を見ただけなのだ。

あとはホテルのプールで泳いでいる。

それは東京ディズニーランドや大阪

ユニバーサルジャパンへ行ったこと

なのだという自覚だけ促したい。夢を

見たい、という延長になっている。

勘違いなきよう、よけいなお世話?ま、

それもそうだ。(笑)




素晴らしさも日本、哀しきも日本。世界

でも、その一部は賞賛されているが、

それは憧れという趣味だ。日本が世界

標準になるというのは、楽観的に過ぎる

要望で、思い違いの範囲であり、僕らの

歴史は差が甚だしい。西洋も、中東も、

アジアも若い。アフリカはさらに若く、

歴史を刻みにくい気質だ。

ノーベル平和賞の第1号のシュバイツァー

が働かない土民を怒鳴っていた。彼は

宣教師の使命を感じていたのだが。

それぞれ人種的・歴史的・文化的に

要素が異なる。だが、日本の特殊性

はそれらに入らない。心の底に見え

ない宗教染みた芯がある。キリスト

教徒の芯から神が外せないように。

僕にはそう見える。
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日本、十分な自分自身 [日本]

すべての足場が外された世界はどうなって 

いるだろうか。それだけではない。それが

どういうことか、僕らはわからないだろう。 

しかし、そこに足を踏み入れた時の記憶

があるのなら、それは脳による記憶では 

ないために、なぜかわからずにその記憶 

に覚えがあり、しかもそこに戻らずには 

いられない焦燥を抱えることになる。 

そして、それは簡単にその望みは果たせ

ない。足場のない足場、人間を受け付けない

世界というものだからだろう。

ダーウィンは若い時の一度の航海で南アメリカ

の荒涼たる沙漠を眺めて、その何もないさまに

感動したと言う。なにもない荒れた地の空漠たる

情景になぜか惹かれたらしい。それを読んだ時

に僕も強い共感を覚えた。 

人は美しいからだけではなく、荒涼たる光景

にも心を寄せる。その空漠は僕らのなにが

虚しいのによって、対比せられるのか、また

相対して僕らの何を映そうとするのか。

この虚しさは単純ではない、と今なら言える。 

以前はただただ虚空の井戸に落ち続けるような

掴むもののない、終わらない落下のような気が

していたが、この頃はそれを思い出すのさえ

難しくなった。なつかしささえ感じるのに、それを

うまく思い出すことができない。その中空の点に

ちょんと軽く立つことさえできたら、すべてが

明瞭になるとわかっているのだが、またその 

ために轟く豪風の虚しさの嵐に見舞われ続ける 

のも承知しているのだが、生きるにはそれが

不幸だとわかりながら、かつて知ったるその

不幸がなつかしく、また恋しくもあり、その凄まじい

嵐を前に一心不乱になりたいのはどうしてか、

その戦いの緊張を取り戻したいのはどうしてか、

もしかすると、その時こそが今までで最も充実

して自分自身であった時だったからではないか、

それが忘れられない。 ・・と考えてしまう。


非日常の最も不幸だった半世紀が、今の日常

のしあわせの時に思うと、不幸どころか、幸せにも

思えるのは、皮肉なことではあるが、同じように

なればまた非常な緊迫感で、今しあわせだとか

言える余裕すらなくなるだろう。余裕もないばかりか、

十分な判断もままならない、あの時は。  

今は? どうだろう? またそれを求めるだろうか?


無くなろうとする 意欲 

自分を捨てるのは  死への 方向で 

僕らの 生きる前提になる  意欲とは  

反対の方向 になる  

はじめは  つらいとか  寂しいとか 

やるせない  取り返しがつかない 

もうこれまで と  孤独  絶望に 

それを 心で  試練していると  

心は  突破される  

心 無い 状態を  味わう  

それは  通常の状態  

それが 日常にさえ なる 

年数を 重ね  慣れるとさえ 感じる  

夜は 淵まで   知った街 

淵から先の  闇は  知らない街 

人とは  無関係に  感じられる 

それは 生死を 超えている 

それは  名前という 概念に

できない  恐ろしい  感覚野 ・ 意識野

それから  比べれば 

独りでいることの  なんと 

暖かいことか  

孤独でいることと  朝が来ることの 

なんと  同じことか  

そして  人生の  失敗であることか 

内面の 成功であることよ 

言葉は  このような真に おいてさえ 

矛盾を  避けえない  弱き道具よ 

真に近く  迫ったことさえが 

世の中に  混乱を  ひとつ増やす 

迫れば  混乱 困難 

迫れなければ  駄作  平凡 

いずれ  究極を離れ  あいまいな 

スープの 香辛料程度の   刺激に 

どちらかが そこに 辿り着くのでもなければ 

全体を 俯瞰することが  それを定着 

させるのでもない  



僕を ひとりに  せよ  

僕を 見守る  周囲のすべてに  

それを  せよ  

させよ  

それでは  くり返しだ と  

言うのだろう 

一本の 木を示せ  

一枚の  葉を 地図にせよ 

見えないうちに  巻き込まれ  

僕の  望むように    せよ  

まだ隠された 未知の ・・・・

それは ・・・・ 


そうか、 

そういうことかもしれない  

それを 十分な結果の 後に  

示せ 

だから  道しるべは  なくて 

いいのだろう  

なにかに  拠らなくて    いい  

頼るべきを  外せ  

足場を  備えず   外せ  

僕に  無 という街を  

与えよ  

なにも なくても  

僕は  行けるから  

                  3.12 


本がいくらあっても、知識がいくつ

積み重なっても、100kmごとに

いくつ新しい国がうまれようが、仮想

空間の街や亜地球が何千とあろうと、

この世や、人間に近い宇宙人の暮らす

多重な世の中が宇宙にひしめき合おう

と、心の隙間を埋めることはできない。

そう思っている残滓がこの1か月前まで

あった。(らしい。忘れていたから)

また独りの自分が去るらしいが、去る

のは常に新しい自分が生まれる時だ。

固定した自分など居やしない。

しかし、今度去るのは、大きな一部だった

僕(自分)らしい。それは表舞台を去る、

という意味なのだろう。ボーリングブーム

で日本全国ボーリング場だらけだった

一時期があったが、今では限られて

見なくなったように、なくなってしまった

わけではない。ブームが去ったように

彼の役割を終えたのだろう。

新しい舞台の幕を上げることができるのだ、

と想像すると心も春めくが、まだその予感

だけでなにが変わったのでもない。だから

こそ、まるで登山計画を建てている時の

ように最も楽しい時を感じるのだろう。



ドストエフスキーの「作家の日記」を探して

いて、偶然、昔プリントしたブログを見つ

けた。「富士山遭難記」、2010年のものだ。

これは最初の富士山登頂で失敗した時

のことだ。八合目まで六合目あたりからの

膝の痛みを押して、登っていたが、もう夜

になっていた。あと1時間だったが、9月

だったので、これから相当冷え込むはずだ。

途中の山小屋は営業していなかったので、

安全暖かに夜を越すことができない。足が

故障するとは思っていなかったので、テント

も寝袋もない。

やむ無く、痛み止めを飲んで、真っ暗な下り

の道をほぼ駆け下ることになった。膝は

足をまっすぐにすることで、痛みが出なかった

ので、それで砂走という小さな礫の、砂場の

ような坂道をザックン、ザックン、跳び下りる

ように駆け下ったのだ。あやうく遭難になる

処だったという記事だ。

最後に句が、歌が締めくくっている。



「・ 富士の背に 日帰りはないだろうと  

 ほざく夜かな   


・下弦の月  カットすいかに よく似たり


・自衛隊  夜演(習)は火の玉  幽霊弾

  ( 演習で照明弾が撃たれ、それが
     ふよふよと 幽霊に見えた )


・天の川  ふりさけ見れば   全天の 

 黒い空にぎわう 星   そして 

 わが 天の川
               」


まさに 心意気。日本、喜ばしからざるや。



                    
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そういえば、あの人が亡くなった [日本]

石原が死んだ。 

もとい、石原慎太郎氏が亡くなった。 

日本の根は腐りかけたままだ。中国と 

国交を開いた田中角栄はロッキードの 

罠にはまって墜落した。CIAが画策した 

のだろうか。慎太郎は国会で議員として 

正しいことをして誠意を尽くせば、他も 

ついてくると考えたのだろう。が、青嵐 

会も地固めができず、最後はボイコットを 

食らってしまったのだろう。国会は諦め 

彼は下野した。または、田中の二の舞の 

危険を感じたのだろうか。 

4年の準備の後、東京都知事に立候補、 

当選。国会でなければ、日本の中心の 

都知事ならばそれなりの権限をふるえる 

と踏んだのだろう。まともなことをやって、

まともなことを言えるのはここからだ、と 

でも思ったか。 

もう新聞も政治家も日教組も学問の塔も 

社会主義や共産主義やらの裏民主主義の 

反日の輩がはびこっていて、正面から 

闘ってもパフォーマンスになってしまうだけの 

敵の数の多さになっている。NHKが世界に 

国際放送を流しているが、これが日本の 

国営ともいえる放送か?というほどに 

レベルの低い日本を貶めるような内容に 

海外で聴いて、驚いたとどこかの記者が 

書いていたが、それほど日本は世界の中の 

日本を知らない。 

石原のような男が何人も出なかったのは、 

日本はこのまま腐って終わるのかもしれない 

という前兆にも受け取ることができるが、

アメリカは常に敵を必要としている。戦争を 

する必要はない。北朝鮮のようにミサイルを 

バンバン発射して、国防に最新鋭の武器を 

持たないと危ないという国際情勢を醸し出す 

だけで、アメリカの武器が売れる。狙いはそこ 

だからだ。敵がいなければつくればいい。 

ヴィンラディンに武器を供給して兵士を訓練 

してアルカイダの組織を初めに作ったのは、

アメリカだ。 

ヴィンラディンがアメリカに敵対するようになった 

時に、映像でアメリカの迷彩服を着て、アメリカの 

自動小銃を持っていたのは、そういうわけだ。 

石原も国政に18年ぶりに参加して、どうして80歳 

の俺がしなくちゃならないの、(どうして誰もしない 

の)と言っていたのは若者を鼓舞したいからだ。 

が、若者は日本のゲームや欧米の音楽・映像 

文化に吸収されて、頭は欧米化している。 

教科書は歴史を教えない。中学校の歴史の 

教科書に最初に出てくるのは「沖縄」だ。戦争

反対のメッセージから始めたいようだが、そんな 

もので日本は戦争をしない心質を戦後以来、 

政治に、マスコミに、教育に、見掛け倒しの芝居 

をして憲法の改正をさせないように継続させたい 

ようだ。何にしろ、改正は二の次で、その前に 

やることがあるだろう。 

亀井静香が石原は満足していない、日本を 

したいと思うようにできなかったから、と言って 

いたが、盟友だったから、日本を憂れえる話を 

よくしていたのだろう。 

よく戦った人だったろう。ワンマン的なイメージは 

自分の個性を出しただけで、意見はまともな人 

だった。息子が四人いるが、皆おとなしそうな人だ。

人間死んだら、無ですよ。何もなくなっちゃう。と 

言っていたから、もう7日くらいしたら、成仏して 

無になってしまうのだろう。だから、冥福とかは 

祈れない。批判はしたくない。 

さらば、だ。



::
僕らは小局で戦争反対で間違っていないが、 

戦争で金もうけをたくらむどこかの富裕層は

大局で論じてくる。その時、小局で論じても 

国家を国民の安寧を持ち出して、詭弁で 

家族を守れ、とやってくる相手に、小局の 

戦争反対は通じない。始まったら、戦争に 

敵も味方もない、理不尽極まりない。時には 

敵に助けられ、味方には犠牲は必要という 

だけで、裏切り続けられたりするのが、戦争 

の常態の論理だからだ。だから、戦争をする 

ために憲法改正するのではない。

自分たちの基礎を見直すことだからだ。
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舞い散る日本よ [日本]

いったいなにを 期待して  ここにいるんだろう  

僕らは  いったい  どうしてしまったんだろう  

日本を 守るって  どういうことさ  

その日本は  どこに  あるんだろう  

僕らは なにを  見直すべきなんだろう  

ここに あるもの  

ここに あったもの  

それは 見えていても  見えないもの  

家族が  皆  集まるという  行事がある  

それが うらやむべき ことだったとしたら  

僕らが  気づいていない  当たり前のことだったら  

僕らは  いったいなにを 失おうとしているんだろう  

僕らは  日本に  いながら  

なにを 抱えて  さ迷い  

どこへ  行こうと しているんだろう  


ああ  さくらよ  

たしかめてよ   僕の言うことを  

約束してよ  それを 見つけると  

目の前にある  忘れているもの  

舞い散る  君の 言葉を  

語り 明かした  あの頃 のままに  


電車に 乗りながら  ガード下に  なにを見る  

どうして  ぶつかりそうになって  先に 

謝ってしまう んだろう  

信頼が  はじめにあるとは  

ほんとは  どういうこと なんだろう  

僕らは  なにを 生かしてきたん だろう  

どうして  それを  知らないんだろう  


未来のことなんて  想像のことじゃなくて  

今があるから  この僕らが  続くから  

また 子供たちも  値打ちを  測るだけ じゃなくて

僕らの 問いかけに  答えのない答えを  

探すことが  できるのさ  

君が  探さなければ  めぐり合うことさえ  

ないさ  

  
ああ  さくらよ  

たしかめてよ   僕の言うことを  

約束してよ  それを 見つけると  

目の前にある  忘れているもの  

舞い散る  君の 言葉を  

語り 明かした  あの頃 のままに 


ああ さくらよ  

舞い散ってしまう前に  

ああ  日本よ  

舞い散る前に  日本よ  

僕らの  ・・・  

毎日  食べていた   和食という  

僕らの  ・・・  

日頃の  たたずまいに それが現れて  


ここに あるもの  

ここに あったもの  

それは 見えていても  見えないもの  

家族が  皆  集まるという  行事がある  

それが うらやむべき ことだったとしたら  

僕らが  気づいていない  当たり前のことだったら  

僕らは  いったいなにを 失おうとしているんだろう  

僕らは  日本に  いながら  

なにを 抱えて  さ迷い  

どこへ  行こうとしているん だろう  





*僕は自由をめざして生きようとした。そのために日本を 

捨ててもかまわなかった。世界を家にして、どこでも生き 

られると思っていた。それはそれで間違いではなかった。 

が、還暦を回って出会ったものが10年もして、僕に日本を 

知るだけではなくて、日本に僕を丸ごと投げ込むとは 

想像もしていなかった。そうして今は、僕は日本に回帰 

するべくして回帰したことを知っている。 ”丸ごと日本、 

それが僕だ”。 これはパスポートに日本人だと印刷されて 

いるようなことじゃない。精神の烙印が押されているような 

ものだ。それがわかるし、今は嬉しいのだ。
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