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台風は偶然でいいが [嵐]

今、台風10号が島の真上を通過している最中だ。これは9号でも 

そうだが、島のすぐ西脇を通過した。これで島の家が壊れるのは 

いいが、瓦が近所に飛ばされて被害が出るほうが厄介だ。 

なんの保険も入っていない。入ろうとしたが、スムーズに行かず、 

今日になってしまっている。だから、そうなっているんだろう、と 

高を括っている。 

もともと、これも書いたが、家はマイナスの資産だとわかっていた。 

その出費を覚悟しても、手に入れるか、三日考えた。それで決めた 

のだから、今さら文句でもない。ここまで来るか、とは驚いているが。 


それはこの3年間の台風シーズンをすべて避けて通過しているから、 

対策も間に合うつもりだった。ところが、そうは予定させてくれなかった。 

コロナが来たから。それは頭では想定内だったが、実際には気持ちの 

上では追及しなかったので、無対策のまま、想定外になってしまった。 

9号は9月2日に五島市の脇を通過したが、その3日前に「青い空の下で 

 やがて嵐が」という記事を書いたら、嵐がふつう台風なので、偶然 

ピタリ当たるかのように重なってしまった。この嵐は僕は、少なくも 

1年から3年後に設定した、世界的・社会的嵐のことを言っている。 

それが本物の自然の嵐で、その通りのものが真上に来たのだから、 

皮肉なものだ。  

東京五輪の中止については、それらしいことが続いたので、ほんとうに 

中止になるのではないかと、だんだん思い始めた。それは直接は 

エンブレムの問題が持ち上がり、次に競技場のデザインが一度 

決定されたにもかかわらず、やり直しになった。次いで、東京での 

マラソンの会場変更や東京湾でのボート会場での汚水問題など 

出てきて、そういう流れ独特のパターンになった。それで結果、 

中止が見えるようだった。  

しかし、一番に不吉な感じがしたのは、実は天皇交代で、令和に 

元号が変わったことだ。実は現天皇とは直接は会っていないが、 

ビクターの工場でニアミスはしている。ピックアップの部品を作る 

アームロボットの現場を当時、皇太子が見学されたのだが、その 

部門のその職場に入ったのが、下請けの派遣で、それを僕が 

会社から頭で10人くらいを連れて入った現場なのだ。 

皇太子とは無関係だが、見学の日の直後にアームロボットの現場 

をまかされたが、僕には波乱続きで2年近くか勤めたが、当時は 

短気だったため喧嘩もして、現場も退いたが、その下請けの会社 

も辞めてしまった。 その皇太子が天皇になったので、嫌な感じ 

がしたのだ。そうして、それはその通り、波乱になっている。 

コロナについても似ている、と個人的には思っている。 

それは昨年のちょうど今頃(9月)、島で岩場から落ちて、頭と膝を 

打撲している。気持ちは攻撃的で平気だったが、翌10月には 

7回目の持病で入院してしまった。いつものように1週間で 

(この持病で入院するのは2回目だが)、退院したが、今までと 

違うのはぶり返しがあったこと。それも4回、5回、と初めて 

にしてはくり返しぶり返して、そのつど不快で不調になった。 

入院時に体の自由が効かない<大>老人体験をして、退院

後のぶり返しでは頻尿で、小老人体験をした。今はもう 

それらがあったのも忘れそうに恢復してしまっているが、 

市販の頻尿の薬を時々、感じた時に飲んでいる。自粛にも  

飽き飽きしているし、少しずつマラソンもしてみようと考えている。

このことは大きい教訓だった。これでやっと志気が下がり、用心 

しない僕が用心をし始めた。 

コロナが東京で感染が盛んになれば、当然のように出かけて、

自分が羅患するか、試すのがいつものバカ勇気な僕なのだが、

今回、この半年で最近までで4回、東京へ行こうとして、考え直し、

中止している。 

ロンドンのペストの時に「ロビンソンクルーソー」を書いて有名な 

デフォーもロンドンにとどまって、羅患せずに生き延びている。 

それを真似てみたかった、命を懸けて。命を懸けてなどと言える

のは、コロナ特有で、数少ない高齢者の特権だろう。 

新宿の歌舞伎町にマスクなしで歩き回ってこようとしたが、 

考えてしまった。コロナには神経質な女房をどこか2週間預け 

なくてはならない。僕が自宅で自ら隔離している間に、である。

それを考えたら面倒で、実行してから考えればいい、というのが 

いつものパターンだったが、今回はそうならなかった。少なくとも、 

今日までは。 


僕は普通でないのは、生死についてだろう。これは一般的ではない。 

生きているのと、死にゆくのとを両天秤に掛けたとして、生きたいから 

死にたくない、ではない。また、逆に死にたいから、生きたくない、でもない。 

さらに、生きたくも、死にたくも同じという、矛盾を抱えてもいない。 

それがそもそも両天秤だとは思ったことがない。それは同時にある、 

自然状態というもの、僕にはそういう気がしている。それは不可抗力なら 

生きても、死んでもかまわない、というニヒリズムにも聞こえる。 

確かにそうかもしれない。積極的に死にたいとは、露ほども思わないが、 

明日ぽっくり死んじゃうのなら、それはそれでいいじゃないか、と思う。 

死ぬ準備なんか、誰でもできるようなことじゃない。残された、後の人は 

それで揉めたりするだろうが、それはそれで成りゆくことだ。それなりに 

始末するしかない。そういう波乱の種が大きかったら、事前に準備 

して遺言でも作成しておくのがいいだろうが、相続税もさしてかから 

ないようなら、そんなことも考えないだろう。 

以前、社会的に、家族的にではなくて、内面的にまったく”ひとり”を 

感じていた時は、自分勝手に死ぬことはごく当たり前に感じて 

いたが、葬儀や施設のことではなくて、なかなかひとりだけでは 

死ねないだろうな、とは近頃、思い込まされている。 

笑い話だが、山の中に、死ぬ直前に入る自動焼却炉を作って、そこ 

で焼いて骨になって出てくる、そういう装置を作ろうと考えたこと 

がある。葬儀も、焼香も、そういう雑事のない完全お骨製造機(笑) 

である。それが変わったのは、家族の間接な、家族は知らないだろう 

その助けがあって、それからいろいろな事情や、世界が変化して 

自分も四重苦から脱出しようとして、克服に10年かかった。 

振り返ればの話で、時の経つの計算もなく、無我夢中だった。  

そして、還暦から急に人生が変わってしまった。 5年もすると、 

高校時代のクラスメートのブログを読むために、偶然アメブロを 

見つけて、書き溜めた文でも公表するうちに、書き始めた。 

初めは絶対無理だと思った毎日ブログも一時書いていた。それは 

やがて自分の内面を越えた対話に発展して、時にはその無意識に 

指導されたのではないかとも、思ったりした。



さて、マイナスの資産の島の家は、それをどのように成就したのか。 

まだ見にも行けない。床下浸水なのか、床上か、屋根の雨漏りは 

穴が開くほどか、窓ガラスは何枚割れているのか。まだ買って、

1年未満の冷蔵庫と洗濯機は動くのか。

これから、なにが始まるのだろう? 

もちろん、1~3年後の先の世界のことだ。
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