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新月の晩に星を眺める [新月]

9.19の過去記事:


星を眺める。 ちょうど夜の外気に誘われたのだ。 以前はよく夜に 

出歩いていたが、ここ近くは外を歩こうという気にはならない。 

もっと以前は、考えてばかりだったので、歩く必要があった。 そのほう 

がたやすく考えが進む気がした。 瞑想も昨日は、坐る気になって 

驚いた。いつから瞑想のために坐らなくなったか、忘れているほど 

瞑想を意識したことがない。 これは無意識との交流が盛んになった 

ことと無関係ではなく、そのパイプがつながったために敢えて、坐る 

必要がなくなったからだと、思っている。 

昨日は、坐りたくなって、坐ってみたが、瞑想が来ることはなく、今夜 

は満月の晩のように外を歩きたくなったが、星を見ただけで家に 

戻った。 夜の街を歩き続けるほどの強い衝動が、今はない。 


自分はわからなくなった。最近の自分は深層心理を探っているよう 

な気分で、少しも自分のことではない気がする。 つまり、新鮮な 

心の追究の頃は、そういう旧来や伝統のものが自分に属して 

いないと、それで自由な感覚があるのだと考えていたが、天皇へ 

の尊厳の気持ちや歴史のあり方に伴って、自分で自分に許容され 

ている範囲内だけでも、自分を知るのは確信になったことであり、 

自分を知るのは確実にできることだと、そう信じていた。 

だが、自分からなにかがその域を越えて広がり始めると、それが 

そのまま自分の歴史という意味不明な巣窟に囚われてしまって、 

歴史がそのあり方という基本が、僕を自分の闇に隠してしまう、 

そういう現象が起きている、と感じるのだ。 

まさか、自分についてもわかればわかるほど、それがわからない 

ものという実体になって、僕の認識が復讐されようとは、思って 

いなかった。それは体の仕組みのことで説明すると、頭と手や足 

とか、次にそれぞれの内臓の役目とか分離させると、体のことが 

よくわかる気になる。が、実際には、頭(脳)は司令塔だという 

イメージが昔はあったが、現在では骨や筋肉、腸などで多くの 

化学物質によるそれぞれのシステムで、筋肉や骨の増加や 

減少を命令しているのは、脳ではないことがわかっている。 

消化されたことから満腹感が左右されるのは、脂肪の働きに 

よるもので、脳が食べた量で満腹を測っているのでもない 

こともわかっている。 体にはホメオタシスで自動的に体の 

体温や血液の成分や、その他の栄養素など多岐にわたって 

一定に保つように常に、そのバランスに向かうように指令が 

飛び交っている。これは体の各器官や各システムが複雑に 

相互に働くことで保たれていることだ。 

それと同じように、心も一応、知性とか感情、感覚、また 

そのコラボ現象で直感や直観、理性、悟性などが働くこと 

はわかっているが、なにがなにして、どれくらいで、どれくらい 

にどうなる、とかは複雑すぎて、わかっていることよりも 

わからないことが多い。そして、正しくはわかればわかるほど、 

わからなくなるばかりだ、という風に答えが変化し続ける。  

僕が祖先の深層心理を掘り起こしているのだとしたら、その 

心理のどこからどこまでが自分なのか、境界が決められない。 

その意味で、僕は自分がわからなくなった、と言ったのだ。 

それは理解しがたいかもしれないが、わかるから言えるのだ。 

「自分とは」そういうことで、説明がますます困難になっている 

が、自分という統一体はわからないものとしてあるほうが都合 

よく、さらに、そうであるからこそ、そのかたまりとして、しっかり 

わかるのだ。 それは認識しているのではなく、知だけではない、 

全体として認識する力に預かっている。 


あなたが好きだという感情を、誰もそれを数字や図形で表現 

しようとしないのは、はじめから直感的にそれが無意味だと 

僕らが”わかっている”からだ。 ただそれを意識的に考えた 

ことがないだけだ。頭でそこまで突き詰めては整理していない 

から、わかっているのにうまく説明できない、というようになる。 

それはその国の文化にもよるが、基本、教育の問題だ。 


それにしても深層心理というのは突つきまわしても無駄になる、 

そういうものだと感慨する。祖先なんて、誰のことだかわから 

ないし、親子でさえ、亡くなってから少しして、はじめて親の 

時代の個人的な話を聞いておけばよかった、と後悔するくらい 

なのだから。それくらい家族でも相手をよく知らないうちに 

別れる。それは、お互いにそれなりにわかり合っているという、

半ば真で、半ば嘘の気持ちがあるからだろう。心の絆が 

生まれるから信頼する。また、そこにお互いの社会的位置、 

立場において、気づかいにしても、知られたくないにしても 

必ず、恋人・友人・夫・妻などとの家庭や仕事・会社との関係性 

で隠したり、強調しすぎたりするので嘘や秘密が生まれる。


今夜は月が見えない。見えない位置にいるのか。それとも、 

そこにあるのに新月なので細くて見えないのだろうか。それは 

ない、と思うのだが ・・。それが両方で真だとしたら、 まるで 

量子力学の世界ではないか。 

それはウィットな話だが、わかっている自分がわからなくなる 

というのは、生活の現実的な話で、僕には事実だ。素粒子の 

ことではない。不思議なのは、僕がそれで途方に暮れたり 

しない、ということだ。寂しいとか、孤独感があるとか、そんな 

気休めのコースではなく、これはどうしようもない、という感じ。 

なんか、この裏側みたいなものがあったとしたら、このわから 

なさの感興から、気を抜いて振り返ったら、僕は世界が 

裏側に替わったとしても、気の迷いだと思い、気づかないの 

ではないだろうか。 

そう思って、夜空に新月を探してみたが、見つからない。 

裏側に替わったのでは、なさそうだ。  





*どうも新月は17日だったらしい。月齢が1,32となっていた。


**9.28現在は微妙に微熱が1分2分、上がり始めている。熱っぽい。

顔が火照る感じ。ゆっくり過ごす。
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