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ポコペン(短編) [短編]

まえがき

ポコペンという遊びが昔、流行ったような記憶があるが、

うなぎのようで、ヌメヌメして捕まえられない。そんな

まえおきは夜風に吹かれるほどには、涼しくないだろう。



ポコペン  

19世紀も終わろうという1890年代。

ウラジミック博士はゴシック建築風の安アパルトメントに、

精神医療の看板を出すことができた。開業して7ヵ月だが、

そこそこ患者が訪れて、まずまずの滑り出しだった。

ただ古い建物なので、床の板が歩くとギシギシ音を立てた。

診察室と博士の事務室、バス・トイレしかない、小ぶりな二間

で営業していた。寝るのは床に厚めの毛布を敷いた。

アパートなので、近隣は貧しい階級の者が多く、博士は毎朝

自分で廊下と階段、医院は二階にあった、を掃除していた。

そんなことをするのは変わった行為で、医者は掃除をしない

ものだと、自分を雇ってくれ、と言うアパートの住民もいた。 

博士は自分の健康のためだからと、その男を断った。博士は

医者によくありがちな、自分も精神障害を抱えていたのだ。

秋の朝、よく晴れていたが、博士はモップがけした階段を

ビショビショにして、そこで滑って転んでしまった。腰を打って、

歩けなくはないが、掃除はできなくなってしまった。

そして、腰よりも悪い症状が襲ってきた。物音や映像、ちょっと

した言葉や思いつきにこだわるという、偏執症状が出始めた

のである。

博士は特別な水煙草の器具を所有していて、フレーバーが

桃という変種なものだった。それはピンク色の煙を出す

フレーバーで中東のどこかに特別に注文しているものだ。

この桃色の煙と、甘い香りに博士は夢中で、歩くのが

おっくうになると、余計にこの水煙管でプカプカ部屋で過ごす

時が多くなった。

今日は心の調子が悪いので、診察は断っていた。が、未開封

の書簡を開けてみて、診察の申し込みだと知って、驚いた。

今日の日付で、予約すること、他の日が良ければ連絡を下さい、

と書いてあったが、4日前に届いたもので、今日はその当日

だから、断りたくても間に合わない。

やれやれ、これは致し方ないな、と諦めて、その患者を

待って、桃色の煙に包まれていた。

もう眠りかけていると、その時刻にドアをコツコツとノックする

音がした。招き入れると、まだ若い30代の青年で、よく眠って

いない陰気な表情をしている。

「どうぞ、そちらにおかけください」と、患者用のソファを指し

示す。

「はぁ、先生、心臓を取ってください。これ以上耐えられない」

青年は突然、窮状を訴えた。

「ハァ、まあ落ち着いてください。どうされたか、伺いますから

まず、お名前を」

「ポキョ・ウペンスです。診察費はあります。ごまかしたりしま

せん。今は落ちぶれていますが、金はあるんです、信じて

下さい!心臓が苦しくて」

「はい、わかりました。ポキョ・ウペンス、と。あ、この用紙の

ここにサインしてください」

「あ、はい」

「では、ウペンスさん、・・」と言うや否や

彼は立ち上がって、「どうにもならない。このままではどう

にもならないんです!」と部屋を歩き回り、いっそう落ち着か

なくなった。

「あの、心臓がどうのとおっしゃられていましたが、心臓の病気

でいらしたのではないですよね。もし、そうでしたら、病院を

紹介します」

「ええ、先生」と後ろを振り向いた時、彼は長袖のシャツという

軽い服装をしていたが、背中にイニシャルのような文字が

あるのがウラジミックの眼に入った。「PO KO PEN?」

博士の頭に「ポコペン」がすさまじい勢いで焼きついた。

「POKOPEN?ぽこぺん?ポコペン?」

博士は自分が人格を失う、ネズミが踏みつぶされたような音を

聴いた。キュー!!

「まず、坐って話しましょう、坐ってください」というのが、最後の

自制した言葉だった。

青年が話すには、自分のアパートのバスルームからちょうど

5mの真向かいにもバスルームの窓があり、ある日シャワー

をしていると、その向かいにも人がいて、なにか使っていた。

裸のまま窓を全開にすると、相手は女性だった。

「この時、僕は自分でも驚いたことに、大声で彼女に声を

かけたんです。やあ、元気、とか。そうしたら、彼女は窓を

閉めながら文句でも言うと思って、でも、彼女も窓を開け放し

たんですよ。きれいな乳房が丸見えでした。」

「乳房、・・・その丸い、・・・ふたつの、・・・ポコペン」

「いや、先生。二人とも上半身が裸のまま、話したんですよ。

僕なんか、それから跳び上がって、下半身も丸見えにした

んですよ。」

「下半身・・・。 チンポコ・・・。 ポコペン!!」

「先生、ポコペンじゃないです。それから僕たちは付きあって

・・・・。先生、・・・だいじょうぶ?目が泳いでますよ」

ウラジミックは完全に眼が回っていた。ポコペン、ポコペン、

という発音が頭の中をグルグル巻きにして、自分をまったく

にも失っていた。 

「先生、・・・それ?」

ウラジミックは手に持っていた羽ペンを口にくわえて、グリグリ

噛み砕くように音をたてていた。青年は、ゆっくりとまた立ち

上がり、誰か別の医者を呼んだ方がいいのでは、と考え

はじめた。博士は、ペッとペンを吐きだすと、机の上にあった

ガラス製の灰皿をつかんで、青年に投げつけた。

「ええーい、ポコペン!」

羽ペン立ても、インク壺も投げつけたので、青年はうわー!と

部屋から逃げ出した。 (オオ、ソレミヨ・・著者の声)


博士はおもむろに腰を上げると、「待ちなさい、ポコペン、

話がまだだ」と、ゆっくり歩いて腰を気づかい、青年の

後を追い始めた。

部屋を出ると雇ったばかりの掃除のおばさんが、博士を

注目して見ていたが、そんな騒ぎはこのアパートで

珍しくもないので、興味はなさそうだった。

「旦那、階段は滑りやすいだで、気をつけておくんなまし」

「おお、ばあさん、ちょうどいい処へ。」博士はなにを思った

のか、上着を脱ぎはじめ、その下も、と上半身全部脱いで

しまった。転がったインク壺を持って、

「これに指をつけてくれ。」

「は?なにをなさるんで?」

「背中に書いてくれ。まずはPからだ」

「この肌の上から書くんですか?」

「そうだよ、イレーヌ嬢、君の印をつけるんだよ」

婆をイレーヌ嬢だと、これは狂っとる。

キチガイには逆らわないほうがいいと、掃除のおばさん

は知っていた。「P」と書く。

「次は「O]だ、そのあと5文字で終わるから。」


アパートの踊り場に出ると、外はまだ陽射しがあったが、

風は冷たく吹いた。ウラジミックはそれをなんとも感じ

なかった。すぐに通りを駅舎のほうへ歩き始めた。

山高帽の紳士がそこへ通りかかった。博士を見ると、

早速声をかけた。

「ウラジミック、ウラジミックじゃないか。ちょうどよかった。

君の様子を見に行くところさ。」と言いながら、上半身裸の

怪しい様子、眼が定まらないことから、すぐに紳士は再発

したな、と見破った。

紳士はウラジミック博士と同僚の医者で、学生時代には

同じ寄宿生だった。その頃からのつき合いなので、彼の

症状は一度見ている。

紳士は快活に笑った。どこにでもいるが、彼も人の不幸

を見ると、楽しい気分になる質(たち)だった。

「いや、ははは、手間をかける奴だなぁ」

紳士はウラジミックを部屋の戻るように言い聞かせた。



ウラジミックはこの後、紳士の家に引き取られ、入院は

しなかった。病状も経過も知り尽くしていたので、紳士の

医者は3日でウラジミックの症状を落ち着かせてしまった。

やっと自分を取り戻したウラジミックはアパートの医院に

帰るため、シャワーを浴びようとした。紳士の5歳の娘が

その時脱衣所にいて、ウラジミックに言った、

「おじいさん、それな~に?」

ウラジミックは医者の象徴、看板でもある顎髭をさすって、

「なんだね、ミリアちゃん?」

「お背中の書いてあるのよ」

「どれどれ?」

と、鏡に背中を写すと、掃除のおばさんが書いた「PO

KOPEN]の文字が読めた。

「ポコペン?」

哀れなウラジミックにはその文字を見るには早過ぎた。

ポコペン、ワタシノポコペン。

今度は「私のポコペン」になって偏執の症状が襲い

かかった。娘のミリアがパパの部屋に駆け込んで、

言った。

「パパのお友達のおじいさん、裸のまま、お外に出て

行っちゃったのよ」 

「エー!?」



(ここでこのお話は終わりである。ミリアちゃんには

著者の私からポコペンについて説明してあげたい

けれど、残念ながら、小説の中では著者の私とは

住む世界がちがうので、それは永遠にできないだろう。

だが、著者として説明しておく義務があるだろう。なん

のことはないのだが・・・。POKOPENは実は、青年が

シャツの背中に自分の名前を書いたもの。長年に

インクが褪せて、POKYO UPENSという名前の

YとUと最後のSが読み取れなくなってしまっていた。

そこで、POK O  PEN で、ポコペンと博士の眼

に入ってしまったのだった。

この後、博士は無事紳士の家に戻った。今度は回復

しても再発しない、だいじょうぶ、と祈りたい。)



**
朝起きた時でもそうだが、目が覚める数分の間に短編を

書いてしまうことが、時にある。それはまだ頭がはっきり

していない時には、面白い、と思うが意識もしっかりして

くると、大抵はろくなものではない。面白いのは5つの内

ひとつだろうか。今回は夢ではない。座椅子に坐って

すぐに着想して、面白そうだ、とそれから5分くらいで、

最後の落ちまでまとまった。面白いかどうか、それぞれ

趣味だと思うが、僕の好きな作風のひとつはこんな

感じである。

***

この短編は、9か月という長い自粛生活が生みだした

ストレス解消の手段の一環ではないかと思う。

東京で感染者が500人越えを達成してしまったので

また自粛かよ、という腹いせでもあるのだろう。(笑)

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