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悲観のチェックメイトから死を抱きしめたい [愛と死]

それを 指してはいけない 

それは  王手 だから

自分で  自分を  詰んでしまう 

そう

もう 死んでしまう気が しているだろう 

これを  隠してきたが 

いつかは 自分に  バレる 

終わらない ということと

肉体の 死滅は  別だと

言っても

心が 自由なのは 

体に 拠っている

この先の  展開は 見えている

体の 死は  どうでもいい 

気にしても しかたない、 と

言うのだろう 

それは 健全な 躱(かわ)しかた

確かに  気にしても 意味がない

ただ 

決定的に  事実を予定している

決定項なのだ

なんといっても  生まれた時から


気にするのは 体が  弱って

平均寿命という 数字が

襲って来るから  

なぜか 一度も 死んだ記憶がないのに

周りを見て  受け入れてしまっている

どんな ホームランも 

地上に 落ちてくるように 

そう 認めてしまっている 

僕ら人間は  死ぬのが 

自然に沿って という意味で  

正しいのだ と 


それは 少し 僕とは 

ズレているけれど 

行き着く先が 死 なのは

同じだ  

怖いか  怖くないかだけだ 

いやいや  僕も 人の死は 

怖い 

死ぬ人に 語る言葉を

持てないことが  異様に

恐怖だ 

僕の目を見て  相手は 

悟ってしまうだろう  

僕は 息を飲んで  

言葉もなく 飲み込んでしまう

なにを 語ればいいのか 

そういう場面に 立ち会って

初めて  死の恐怖を 知った

自分の死など  なんでもなかったのに 

死ぬ人の前に  その執行人のように

立ちたくはない と

人の死は  耐え難い



どうして  人は死を 恐れるのか

実は  僕には  わからない 

むしろ  楽になれて いい と

どうして  思わないのか

因果は  世界の非情を  教える

無常は  未来のむなしさを 与える

どちらも 同じ因子を  抱え

見分けが つかないくらい 



僕らから  死滅を 隠している

死のテリトリーには  守られている

憧れが  ある 

皆は それを 切に求めているが 

僕は  もう 

近づきたくない と さえ 

思っているのが  愛 だ 

僕らの ロマンの 墓場のような処 

時間を 止めてくれという

切実な 愛した人への

そのための 激しい 要求

それが  七つの大洋の ほどの

水を  引きづり  

洪水を  引き起こして いる

何度も  何度も

潮の 引き間もなく

太陽も 隠す 高い壁になって

津波が  畳みかけてくる 

いくつも  いくつも  

君は  それでも

満足しない のだろう 

彼が  許しを  乞うまで  

何度も  何度も

許しを 乞うのだが 

君は  

満足しないのだ

誰にも  止められない

君は  愛の 理想に 

飢えているから 



そこまで 求めてしまって 

誰にも  できないかもしれないが

それは 常軌を  超えてしまって

愛も  暴発を 止められない

デモが 堰を切った時に 

もう 止めるものはない 

何千年の  恨みが  

押し寄せるの だろうか 

人間の 体では  

受け止め きれない 



空白だけが  あったように 

空白に なにも起こるはずもないのに

穴が  開いてしまった 



なつかしいね その メロディ

君でも  そんな古い クリスマスを

歌うんだね 

甘い 追憶が  キャンドルに

流れる

君が  いた頃に  

君がいた  あの頃に 



だいたい  愛を知る 必要が 

あったのだろうか 

皆と 同じ感覚を  

大事にしていただけで  

よかったのでは ないだろうか 

飢えは  ただ  

比較もできない デカい デカすぎる

凶暴性を  呼び寄せた だけ

ではないのか 



海岸を  歩くと 

足跡が  砂浜に  沈むよ

さあ、  なんと言って  

声を  かける? 

洪水は  君の理想を  超えて 

さらに  追い打ちを かけて 

叩きのめし たのだろうか 

いや  そんなことはない 

満足を 超えたことが 今まで

なかったから

どう 戸惑っていいのかも  

わからなかった の  だろう 

僕らは  満足を 超えることは

拒否してしまうから 

それでも  満足させられる ことに 

慣れていない 

それが  なんだかも  わからない 

君を  優に  それは  

大きな 余裕をも  超えて

君の  人間という 

すべてを  超えて  行った



だから  だよ

自分の 体面を保てない 

そういうことは  避けたかったが

そんな 1ミクロンの 余裕も 

なかった

凄まじさを  超える言葉は

ない  その凄まじさを

僕らは  経験に できないのだろう

山は  文字通り

海は  文字通り  

動いた 

想像を越えるものが 実に

想像を 超えたのだから 

まだ 名前のつけられて いないものが

やって来た 

そして 

僕は  押し流されたのだ 

愛の水が  口から あふれ 

こぼれていたのも

知らずに 

溺れていたのも

知らずに

死の テリトリーの 一部 

そのまた一部 だったかもしれない

だったにも  かかわらず  

僕は  負けたのだ 





それは  その力とは別に  

愛の なんたるかは  教えたのだ

その香しい やさしさに 

僕は  教えてくれたと  

思い違いを したのだろう  



因果だ 

なにもかも  流す

僕を  流すなど

気にも しなかっただろう 

おー 

おー  おー

おおっ おー 

おおっ おーおー  おー

体が  燃えるよ 

これが  

これが ・・



うう 


これが ・・

これ  を  

どうすれば  ・・


うう  

おー  おー

おおっ おー 

おおっ おーおー  おー



くりかえしても ・・ ああ 

くりかえしても  いいだろうか 

君を  ・・

言っても ・・

言っても   いいだろうか 



君を 

抱きしめたい



この  クリスマス に 

君を  

ああ  ・・



僕らは  負けるしか

ないのだろうか 

この  長い  長い

こんなに  長かった

戦いの   果てに  



僕らは ・・

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御伽草子としての愛と死の位置 [愛と死]

おとぎ話としての「愛と死の位置」は、とあることを考え

ていて、発想した比喩だ。机上の空論と同じで、観念に

過ぎないので、内容はない。それなりに継ぎ足しは

するが・・・。

孤独感というのは、まだ自分を知らない(母と区別しない)

幼いころから、あった。その頃は、自分がないようなもの

だったから、孤独に傷つけられる心はなかった。 

それでも感情は割り切れない、理不尽さを子供心ながら

も感じるものである。

多くは満月の晩に、心がむなしく、締めつけられどう対処

すればいいかわからず、ただ耐えることを覚えた。それ

は1日ももたず、去ってしまうからだ。小学生から、中学生、

高校とそれは続いた。

それがわずかな記憶につながった。 


僕の孤独はいつも隣にいて、それをむなしさとして意識

していた。J・クリシュナムルティの本に出会ったのは、

結婚してからだろう。彼の無味な言葉を理解するのは

大変だった。翻訳の言葉では伝えきれていないものが

あって、それを見出すのは、小林(秀雄)の時と同じで

彼の言う瞑想を模倣し始めてからだった。(経験して、

ナンボ。)


それができるようになった時に19歳の体験は一種の

擬死体験だったのだと感じた。インドの、死を体験した

瞑想者(インドでは聖者)の話に当て嵌まったのだ。

それは答えだったが、今は半分の答えで、もう半分は

正解へのヒントだった、と考えている。

ともかくそれはその時、死だとわかった。世間で言う、

死という一般的な自己防衛から来る感覚であり、考え

だった。それはもっと意味を持っていたが、全体像は

今でもわからない点を残す。

 (ここで余談を挟むが、チャイコフスキーの交響曲第5番

 を聴いているが、驚くことにその第1楽章はベートーヴェン

 の第五へのオマージュだろうか、と思うほど特に第五の

 第2-3楽章に似ていて、パクリに近い、と言ってしまえる。

 楽曲の感興が同じなので、導入として使った点で、やはり

 ベートーヴェンへの敬意か?)

19歳にその空白が僕の心と交代する出来事があって、

記憶の空白は、自己の一時的な消滅によってもたらされ

たものだった。今はそれがわかるが、どうしてそれが「自分

を信じるな」という聞こえない言葉を僕に聴かせたのは、今

もって謎だ。 

こんな調子で書いていては、いつまで経っても本題に

入れない。

ともかく、半世紀はそのむなしさが隣から去ることは

なかったが、愛が僕を支えたのだと思う。それが言い

難いのだが、誰に愛されたのかとか、どんな形か、という

ことが示せないし、想像でしか説明できない。

そのむなしさは例えれば、眼を閉じて何も聞こえない

世界にいるよう。そこは誰一人いない。話そうにも、声も

聞こえない。氷のような雰囲気が、空気のように張りつめ

ている。後にも先にも何もなく、沈黙の声だけが聞こえる。

絶望しようにも、その望みという一切が許される、空間が

ない。共有する者がいない。何に絶望していいのかさえ

知らされない。鋭い針で細すぎて痛みも感じないが、

それで心臓を突き抜かれている、そう想像させる痛み

だけがある。それは苦しみ以上なのだろう。救われない、

という一点があまりにもはっきりわかる、感覚する、実感

する。

(ただ、死の側である自分からは、救われるも、救われないも

そもそも無関係で、そこに人として意味や意義をかんじること

はない。救われないからどうだと言うんだ?と、開き直って

いる。)



僕が今晩、郷愁を覚えていたのは、そういう過去の厳しい

心の状況だった。あまりに長くて、苦しみということも忘れ、

ただ耐えることに工夫と専念して、過ぎるのを待つ。

それがなつかしく、そこに帰りたい、と。しかし、そう思い

ながらも、想像が現実に近づくと、やはり拒否したくなる。

厳しすぎる。それを支えたのは、くり返すが、愛だろう、

としか思えない。では、本題に入ろう。


僕に断りなく自己を突破させたのが、19歳の体験だった。

しかし、それを意識するには知らないことが多過ぎた。40年

かけて還暦を過ぎてから”無意識というもの”に人生の羅針盤

を任せる決心をしてから詩のような散文(作文)を書きながら、

愛が何度も寄り添って来た。はじめは洪水と激流にのまれて、

しあわせだったが、実情は大きく通り越えていた。なにも望む

意欲もなくなり、ただただ満足だった。   ::何度も書いた。

その蜜月の2年間が過ぎようとする頃、そこから自立することを

考えた。

どうも調子が出ない。

<僕の感想・説明なんかどうだっていいんだ、勘弁してくれ。

観念論だよ!>

<あ~~い~。>      気を取り直して::


はじめに自己を突破した時、それは体験を死として自覚

した時のことで、それから20-25年も後に無意識の中に

愛のゾーンと死のゾーンがあるのがわかった。見えない

感覚でしかないがそれはどちらも巨大すぎて、想像でも

捉えどころがなかった。その位置関係がどうにか掴めた

のは、その2年後くらいだろうか。愛は死に包まれていた。

境界もなにもわからなかった。

その位置関係の話だ。

空に例えよう。空は大気圏だ。しかし、低気圧と高気圧がある。

地球を人間とするなら、空を眺めて、この高気圧・低気圧の

部分が「愛」だ。8000mより上空は人間が生きられない

上層圏で、死の領域だ。愛は僕らと同じだから複雑で、

しあわせの高気圧をもたらすが、悲し涙の低気圧も

もたらす。低気圧はそれ以上になると、吹雪や嵐を

もたらして、人間を襲う。時には大勢を殺してしまう。

高気圧は長く続くと、日照りをもたらし、作物を枯らして

人間を飢えさせてしまう。しかし、太陽は雨の日でも

いつでも低気圧の雲を上層に突破すれば、そこでは

晴れている。

この大気圏は地球から比べれば、地球を包む薄皮

まんじゅうのようにうすっぺらだ。そこに人間の体積

から比べれば、果てなく広がると言っていいのが、

大気圏の世界だ。

僕は空気の薄い死の層(ゾーン)の端まで、と瞑想内

で行ってみたことがある、一度だけ。そこからは闇が

あるだけ。つまり、僕の体質や生き方ではそこまでが

限界だと思わせた。宇宙の闇が広がっていて、大気圏

で宇宙線や直の紫外線などから守られていない。

比喩ではなくても、僕らとは感覚と生存環境を絶する

世界、不可触領域なのだろう。闇ではないが、その

イメージは避けられない。

大気圏の愛の上に死、愛と死の上に、大気圏を抜けて

空気のない宇宙の闇という比喩だ。僕はそれを

確かめた日から調子を崩して、三日間は気分がすぐれ

なかった。それで自分の向こう側の探検を切り上げたら、

僕の隣にいた半世紀のむなしさが心から縮み出して、

今は希薄になりつつある。(心の穴が小さくなったようだ。)

これを喜んだのが1年くらい前だろうか。そして、現在、

そのむなしさを長年の友のようになつかしんだのだ。

解放されたはずだったのだが、そのむなしさがなければ、

あの緊張と集中はなかったように思える。なつかしさは

いつもセンチ(感傷)のことで、過去の自分を振り返ること

で僕はその極度の緊張に耐えていたスーパー自分を

なつかしんだだけなのだ。過去の相手(虚しさ)と自分

(孤独)、その自分を立てるのは相手がいるおかげだ。

なつかしさはそういう相乗り効果なのかもしれない。

コロナの自粛が始まる前に、孤独になりたいと感傷

したのは、この前哨戦だったのでもあるかも。




*愛のその生成のシステムは、たぶん一部なの

だろうが、想像はついた。それが正解かどうかは

あまり意味がない。他の人が発見して、公表すれば

いいだろう。僕はただ、以前人間が創ったものだと

言った、それをくり返しておく。(それが基礎だが、

旧約の彼が関わっていそうで、そうなるとそこは

微妙で、まだ調査不十分、まったく不分明。)

                         11. 15-16


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