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答えのない問題、答えが答えにならない事情 [答え]

答えのない問題と、答えだけでは解決しない事情とは、別件の

ことである。ただし、どちらにも共通することはあるものだ。

それは物事の不適応を扱った場合である。

例えば、地球のことは未経験な知性ある宇宙人が、川のことを

調べるために地球上で何を使えばいいか、選んでいたとする。

彼らは最初に「ざる」があるという記録を見つけた。「ざる」

は細かいもの以外は何でもすくえて、適当ではないか、と。

川の性質を調べるために、川をすくえばいいではないか、と

疑問もなく思うかもしれない。僕らはざるで水がすくえないのは

知っている。その性質を経験しているから、何も考えずに

わかる。しかし、宇宙人は見たことも、触ったこともないので

ざるで川(水)をすくえると、簡単に考えたのだ。

それに対応する性質が異なるものを、同じように扱うと、こう

いう間違いが発生する。物質なら、僕らは経験が多いから、

まず間違えないが、その性質を異なる者同士では、意外と

間違いが多い。それは知からの概念で宇宙人のように、

物質ではないもの・ことを物質のように同じ性質で扱うことで

犯してしまう間違いだ。ざるで水をすくえると思っている、

ことは、心理や心の動きについては確かに多い。 

理解が及ばないから、善悪や好き嫌いで片づけようとして

誤解していることから来る、互いの不適応に気づけない。 

子供に算数を教えている親が、自分の理解している算数が

子供がわからないことにいら立って、怒る。一度でまず

塾に行け、となるだろう。親はもう、苦労して算数の

システムをくり返し頭に入れなければわからなかった記憶は

もう忘れている。漢字を覚える頭は作られたものだ。訓練

のたまものだ。それを親は自分がもうわかっているので、

説明すれば簡単にわかるはずだと思ってしまう。もう誤解が

始まっている。 

僕らは心理的なことや言葉を交わす本質を教えられたことが

ない、親からも。友達や家族からそういうことは自然に学ぶ

もので、自己学習なのだ。心は誰にでもあるのだから、わかる

はずじゃないか、回数や経験次第だよ、というわけだ。 

例えば、隣同士の国でも話す言葉が違えば、意志が通じるのは

一部の人に限られるから、実際にはその国の人たちは誤解ばかり

だろう。少し、食物や経済問題が起きれば、お互いにいがみ合う

のは目に見えている。そして、答えは簡単だ。お互いにお互いの

国の言葉を勉強する教育を子供の時から受けさせればいい。話が

通じれば誤解もなくなるだろう。ところが、それをすぐに実行

するのはもちろん、実行して何年も経たなければ、それの効果は

出ないだろう。そして、諍いの原因がお互いの土地にあったり

して、それは水問題であったり、資源が取れたり、取れなかった

りして経済格差が激しかったりすると、生活もだいぶ違い、生活

レベルの格差から、今度はそのお互いの意識が理解できなかったり

する。

感情のもつれは多くの問題を引きづって、あとくされを残し、子孫

にまで及ぶこともまれではない。インドでは土地問題で争う家族

グループがあるが、15年も争っている、という。そして、驚く

なかれ、それはお互いに親の土地であって、親の時に問題が起こって

それを子が受け継いで、さらに15年も争っている、というのだ。

まったくご苦労様なことだ。

答えはわかっていても、それでは気持ちが収まらないので、お互い

に妥協したくないのだろう。まず、この問題に決着をつけるという

そういう気持ちになる環境がなければ、これは解決に向かわないだろう。

言葉というのは心の言語ではない。気持ちは言葉では言い表さない

ことも多く、また、表せないことも多い。それに人間関係と仕事という

社会のしがらみがかかわるから、僕らはそれを解きほぐす辞書を

持っていないし、そういう訓練を学校でして来ていない。 

答えが答えにならない事情は、感情がそうさせる。認めたくない

気持ちが優先するから。答えのない問題は知性が中途な発達で、

つまり未熟である時、形而上の問題を持出して、知的な優越感を

楽しもうとする。例えば、神はどうのこうの、真理はどうのこうの、

常識はどうの、こんなこともわからないのか、と人を見下したがる。 

そういうひとは「わかっていない」のだ。 

わかるというのも、不便なもので言葉で説明できないことが

「わかっている」ことでもある、そういうものがある。うまく

説明するには相当時間をかけて自分の心を観察して言葉に

変えてゆく長い努力が必要になる。わかってしまえば、相手に

説明する必要がないために、逆にわからない人に説明できない。

例えば、テレビでコメントで:― 

結婚は相手がいくら財産があるかのコストパフォーマンスで

しょう?と言う若手社会学者に、人生経験ある既婚の俳優は 

困った顔をしていた。結婚はそれだけじゃないんだと、言い

たいのは見ていてわかったが、言葉で説明できないのだ。 

結婚、というよりも夫婦とは、・・・と言いたかったの

だろう。

答えの出ない問題にもいろいろ枝葉がある。が、それこそ

より複雑なテーマになってしまうので、ここらで。
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