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歌えない浦島の太郎になること [浦島]

突然、  Suddenly 、 

書くことが何もないのを知る、のは、 よくないことじゃない。 

ただ、 窓辺の自分に寄せる 音楽があるような気がする。 

音楽を聴きながら、 耳を寄せているのは 

その音ではなくて、 その向こうから来る、 なにかの

ようなもの。 来れば、 来るし、  来なければ、来ない。 

聴こうとする自分、 まったく聴いていない自分は  

いつもいる。 音の美しさに感心して、 囚われていない

もう一人の 自分に 緊張と孤独を思い、  気の毒に、と。 

そうだろうか? 書くとそうなるが、 実際は 僕だけがいる。 

ここまで書くと矛盾するので、 あまり 書かない。  

僕らは二面で理解することに 慣れているので、三面を

加えると もう混乱を生じる。 二面半、とかはないから。  

トラックの無線の雑音声が入る。 ちょっと癪に さわる。 

意外に、音 聴いていたらしい。  

音楽のように 僕らの心も  考えとは別に  移り変わる

ようだ。 やっと フルートとハープだ、と意識が入る。  

それさえ 聴いていない。 音をなんの楽器が出しているか

などは、 頭の雑音になる。 聴くのは、音で現わそうとした

もの だけでいい。 

音楽には 思考とは違った意味で  思想が表現される。 

僕の興味は  いつもそちらに 流れる。  

よく聴く メロディ、 それがなにか、思い出せない。  

よく聴いたのに。  

アイネクライネだった。  納得。 

車のドアが 閉まる音。  瞬間、車のドアの 映像。  

脳は 素速い。 

もう、飽きてくる。 やはり、聴いていられない。

音楽を聴くのは、 どこかで 退屈してしまう。 



その 木魂の  流域を遡った 先に 

(          )

陽が 伸びた。   まだ 明るめの空。 

青い層と  その上にピンクの 層。 

落陽の反射、  最後の色彩。  

つぶやくように  歌うのも、  いい。  

君は  気持ちよさそう、    だ。 

バンジョーと   夢が ありそうだ。 

夕闇に  歌うのも  いいだろうに。 

一日って なんだろう? 

昨日は  こうして  日が暮れたのでは  

なかった。 日暮れを 見ている僕は 

いなかった。  

話しかける僕を  自分のように  

感じられない、 窓の外に  夕闇がある。 

見ると、そうなのだ。 (信ジラレナイ!) 

理由もなく、 胸が  熱くなる。  

以前、 モーメント という文を 書いた。 

これを 書いたんだろうな、 と

そんな気がして  また胸に、来る。 

なんか変に、 感じすぎ・・。



見ているのは 壁に貼られた、 地図。 

その周りに  貼りも張った メモ。 

その四角が レンガ状に見えて、 

デザイン画のようだ、 そんなふうに 

見ることも  できたんだ、 と 

今さらに  感心する。  

Honey 、 

手を シャッフルするように  なんか 

心を シャッフルする  気に させられる  

源流とか、  原木を 辿ろうとする 旅は  

すがすがしい  空気の匂いが   する。  

子供を  あやすように、  ミルクで  

古風な ミルフィーユも  あったのだろうか?  



マーカスよ、

自分の 地図は  持ったかい!? 

憧れの  お姉さんの夢は  今も 

見るのかい? 

家は  夜に  黒くなってゆく、  

君の言葉が  どこまで  残るのか、・・・・
・・・・  

ここまでか、  

ここまでか、と  疲れてもいないのに  

台に 両肘を   ついてしまう。 

どんなに  つらくてもいいん、だ

と 言えたのに、  あの頃 ・・ ・・ 。 



とんでもない時間が 山ほども大きい タイヤが 

ごろりん、  ごろりん、  

憂鬱に  納屋の前で  坐っている、 

脇から 入ってくる  女の声  

・・・・・・・・・・・・・・・・、 



完全に、はじかれている。こんなにきれいに

クリアされるとは、思わなかった。創造の扉の

ようなものを開けたという感触はあった。そこから

言葉は意識の空を数えきれないほど飛んでいた。 

捕まえる暇がないほどに。

今、その「なにか」がない。こんなにはっきりとわかる

ものとは、。。。。 

それを詩情だと例えるなら、それが切れるということ

はないだろう、と思っていた。坐れば、なにかがあった、

そのある、という感覚が、自信になった。それさえ

あれば、あとは書けば自在だったから。それは天才とは

言えなかったが、小天才くらいの心地よさがあった。 

真似ものでも、考えずに言葉が出てくるのは、気持ちいい

ものだった。それこそ、すべては過去。素晴らしい、と言い

たいくらいに詩情が去った。なにがすごいか、この僕に

起こったということだ。今、その瞬間を経験している。

なんとうまい言い方をしようか。例えば、僕の詩人が

終わった、 とか。詩情のない僕はしゃべる技術を

書くことに獲得した、人だが、もう詩人ではないのだろう。

詩人になったことだけでも、尋常ではなかった。はじめ

から詩は拒否していて、詩的作文と、呼んでいたくらい

だった。散文が多かったので、詩が何か、区分けでき

なかったこともある。そして、今。   そうなったのだ。 

詩が終わるとは、もうふつうに、特別な高揚した事情

でもなければ、なんでも書いてしまうということは、

起こらないのだろう。なんと言っても、これが自分の身に

起こったということだ。他人事ではなくて、丸ごと自分の

現実なのだ、・・・これが。  

フェードアウトになりそうだが、予想はしないほうがいい。 

僕には何の感想もない。まだ信じられない。いざ、こう

なってみると、今まで書けたのが信じられなくなってくる。

テクニックで文を書くのはつらいので、剣呑なのだが、

しゃべるだけで書けるのだろうか? 

例えば、海岸で坐っている。

やがて、起き上がって、ウェットスーツを脱ぎ捨てる。

酸素ボンベとか一式を失くしてしまったからだ。スーツ

はもう必要ない。あの海底の美しいきらめきは、もう

味わえないのだ。もう潜れないのだ。そう思い、また

砂浜に腰をおろす。遠く海を眺める。そんな心境だ。 

竜宮を追われた、ちょうど浦島太郎みたいだ。

僕はこれを望んでいただろうか?わからないに決まって

いるが、経験では望んでいなければ、起こることは起こら

ない、それが原則だった。だから、望んでいただろう、と

なるが、そうだとしても、これを手放そうと思う自分は、

今の自分にはわからない、想像がつかない。これを

望むのは意外な気がする。

そう考えてきて、だんだんこういう過去の状況を思い

出してきた。こういう状況には、いつもそうしなければ

次の戦いへの出場権、資格が得られない。そのための

措置なのだ、と。それはなんとなく自分でも納得のいく

経過だと思えた、今までは、だ。

今回は?まるで映画だ。主人公は武器を失くしてでも

危険な状況に巻き込まれ、その場で何とかしなくては

ならない。考えるのは、また、言うのは、 簡単だ。 

それにしても、それを得たのも失うにしても、この10年

のことだ。失って、体や心が不自由になったり、死ぬ

わけじゃない。

ただ、これで生活が変わってしまう。想像は、まあつくが、

言いたいことではない。この状態で無意識のリードという

契約のような事項は有効なのだろうか?それさえも変更

して対処していく、ということなのだろうか? 

消えかかった蛍光灯、LEDに換えたら、僕の事情も

変わってしまった。象徴というのはそれをどうにかすれば

いい、という問題ではない。よくわかるのは、コロナ禍の

自粛生活は長期化するだろう、ということ、・・・なのだろう。

僕は閉じ込められた、という一面、長期な思考が必要な

場面に立ち会っている、という一面だろう。それが何か、

というのは個人がわかることではない。 



さて、ほんとうに、 どうなるか。





**

フェードアウトなら、またどこかで書くだろう。

それに欲を想像で言えば、ここが折り返し地点。それは

これまで多くの課題を振りまきながら来たから、それを

拾って今度はそれを整理する、考える時間に入った

ことかもしれない。まさか、自分を復習・研究する日

が来るとは思わなかったが、・・・・(笑える?)。



断片らしきが、  こぼれ、


「 エニウェイ、  なにやら 

音楽である 実質が  漂う 

By my side 、 

ティンク、 I  do 、 

なにやら  カインドな  僕の側 に 

寄り添い たい  」 
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