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クラシック幻想から新概念へ [概念]

イタリアのバロック、アルビノーニのオーボエ協奏曲を

聴く。オペラ作曲家だったらしいが、紛失して5曲が

現存しているだけらしい。今は、オペラよりこのオーボエ

協奏曲が有名で、器楽作曲家で名が通っている、とか。 


とても贅沢だと思う。宮廷時代に癒されるものなのだな、

と。音楽は多く、癒しから考えることが多い。聴いていれば

気分が楽になるような、・・・・なような?といった気分。 

バッハもこの主題でフーガを作曲していたというから、

バロックでもさらに古い人だ。 

夕闇にまだ青さを残している空に、街の尾根(屋根)に 

長くたなびく雲は、白と灰色の混成に見えて、この音楽の

アルバムの表紙にピッタリだと思う。 

すぐに WHY?で考える癖が、この曲を聴いた時もあった。

なぜ人は癒しを求めるのだろう?と。 

アメリカへ行った母が、西部劇時代の女性の衣装を着た

写真があったのを思い出した。探すのは、・・無理だろう。

が、西洋音楽は母の耳なのだとも思う。田舎の古道具屋の

娘だった母が芸子に売られて、そこで教養に聴かされたのか、

クラシックが耳に快かったのだろう。小学校しかでていない

のがコンプレックスだったらしいが、アメリカの次はドイツに

旅行して、ロマンス街道をコースに選んだ。ともかくぶっつけ

本番な人だったから、英会話ができなくても、身振り手振り

でなんでも伝えただろう。物おじしなかった。

そうすると、僕はインドに行く前から、欧州の中世に過去が

あったといういい加減な記憶があって、それも母の遺伝子の

影響なのかな、と思う次第。僕の、ではなく、母の憧れが

色濃く僕の欧州趣味に結びついていたのかも?という

テーマさえ浮かぶ。

田舎の娘だったのに、結婚して、和菓子屋を開いたらしいが、

父は偏屈な気質だったから、客商売は向いていない。

いつのまにか、そこで飲食店みたいになっていたのも、

母の入れ知恵だったのだろうか?  

そんな大衆食堂?には奥にその頃では珍しいだろう、竹針

の蓄音機があって、母はそれでクラシックを聴いたのだろう。

僕には「おさるの籠や」だったが、・・。

そのクラシックの記憶はまるでない。偶然、レコード盤があった

ことを思い出しただけだ。親が何を思ったのかなど聞かされ

たことはなかったが、僕は母の憧れを十分に受け継いで

いる気がする。つまり、子は一人で育たない。親のイデーの

なかでも成長している。長男・長女が親のイデーを遺産として

受け継ぐのは、最初の子だからだろう。

だから、僕は僕という個人的な個性ではない。いろいろな

遺伝が混成されて、その影響のもとに知らずに選択をして

来た。それはそういう考え方までもを選択してきたことなの

だろう。

それで思い出すのは、ある地方の同じ国の血しか受け継いで

いない純血と思っている人たちでも、最低は7種の外来の

血が混血している、という遺伝調査の結果。

遺伝子だけではわからないが、なにしろチンパンジーと

人間にしても98,9%が同じ遺伝子だというから、割合では

なくどんな遺伝が異なるだけで、どれだけ違うように見える

か、だろう。ますます母親がチンパンジーに見えてきた。(笑)

なにを基準にするかで、”全然違う”、から”同じじゃん”まで

いろいろ言えるのだろう。 

そうすると、もう少し突っ込んで、この癒し感は母のもの

だったのだろうか?と考えてしまうことだ。

それは僕が母の遺伝子を通じて、二義的にクラシックを

聴いてるんじゃないか?という新発見なのか、空恐ろしい

発見なのか、テーマにまで進展する。 そこまで考える

ことはないか。100年後にわかることでも、今思ったら

ただの幻想だ。 

(ここで、飛躍 )

そう思うと、自分とは何か、いう長く解けない疑問に

思われていることも、それがそもそも幻想だという正体

に信ぴょう性が見えてくるのではないか。

猿が祖先だったということも、僕らは実は頭で認め、

進化論だというが、気持ちでは認めていないのでは

ないだろうか? 98,9%なら、まだ1,1%の違いに

決定要因があるのだろうか?そこからは神聖な

遺伝子だとか? (神聖なってなに?)

しかし、猫との違いは10%しかない。ネズミとでも

15%、バナナではなんと40%が違うが、60%が

同じという。

オレの遺伝子、バナナと6割、同じ。オレ、バナナ?

いや、 ・・・・・。笑える。 

僕らは自分は自分だ、と決定的に信じ、そう思って

いる。遺伝子が決定打ではない。

僕らの考えることそのものが幻想だ、と言うのでは

ない。その針を手に指したら、痛いだろうというのは

感想や予想ではなく、ほぼ事実になる考えだ。

しかし、隣の誰かと比べて、遺伝子で異なるのは 

0,1%だが、僕らは自分はたった一人だと思う。

それほど細かい違いが大きく思えるのはなぜ

だろう? 

それは母の憧れがクラシックを聴かせるように、

僕が習慣の結果を、また習慣にして自分の運命

にするように、自分である前に母の自分が一部、

僕の自分自身になるのだ。そうして獲得して

しまうと、自分としてそれは機能するように

見えるのではなく、自分の機能になる。 

僕らはそうして、人(親など)によってはその

社会的先入観も受け継ぐと考えられる。それは

本を読んで吸収するのではなくて、もともとその

概念は受け継いでいて、あとからそれを刺激する

言葉などで加わったから、が理由になる。

僕らの心が創作される秘密というのは、そういう

概念要素とも呼ぶべき因子があって、それを受け

継いでいるために、それを刺激によって開花させ、

その結果として自覚のない気づきとも思える

”自分の考え”なるものを形成しているのでは

ないか?

僕が言っているのは、要は僕らはどこまでチン

パンジーか?ということだ。チンパンジーは

チンパンジーを受け継ぐだろうが、僕らも人間を

受け継いでいるのは、僕には感覚的に否定し

がたい。それは以前の社会概念の祖型を

受け継いでいるようなもので、無自覚な絆意識

もそこに含まれるのだろう、と思う。 

犯罪者の子は犯罪者になる、というのはこのこと

からは出てこない。それは数式ならそうだろうが、

犯罪には社会状況や経済環境が大きく影響して

親の育て方も、学校での環境も影響する。 

そこで一大転機が訪れる子も多いだろう。自分

の祖の要素の概念を入れ替えてしまう、出来事、

大事件が起きた時にそうなる。

そうならない子が、親の誤った対社会概念に

苦しめられて、自分を孤立化させやすい。

そこでは教育的に良好ないい環境が、そのまま

自分に合わない環境として感じられ、そこから

離れるだろう。自分に似た者を探す。類は友を

呼ぶは、そういう処から始まっただろう。 

この決定論に似たものから離れて、自由になる

ことも、そのまま自分をどこまで理解するかに

かかっていると思うのだが、どうだろう?  

血という決定論はあるようであるし、そこを

知ればないとも言える。

習慣を逆手に取る。それであれば、運命を

変えられる。逆手に取るには、なにが無意識に

受け継いでしまったものか、まず親を知る必要

がある。答えの半分は目に前にある人は多い

のではないか。

僕らは遺伝子やその影響下にある体の仕組み

に随分とコントロールされていることがわかる。

心は見えないし、触れないから自由だ、という

のは妄想なのだ。例えば、思春期に女の子は

父親の匂いを嫌う。加齢臭とは別物なので、

娘を愛する父親はずいぶん落胆するだろうが、

男と女に分離した遺伝子はお互いに似た遺伝子

の者は伴侶として避けようとする。それが無意識

に匂いに現れるのが、体の反応らしい。

遺伝子は種族保存の進化の鉄則があるから、 

なるべく異なった遺伝子を受け継いだ方が

生き残りのチャンスが増える。そんなことを昔

の人は知らなかっただろう。が、近親結婚が

不具者を多く生むことから、なんとなく心得た

のだろう。

男女の好みも面白い。自分のタイプじゃないと、

なんであんな相手を選ぶんだ?と不思議に思う。

これは単純に親からの遺伝よりももっと遠くから

とか、また、より複雑なシステムがあるようだ。

なんにせよ、僕らの見せかけの自分を取っ払う

と、僕らの自分の構成要素が僕らが考えるよう

には単純ではなく、遺伝子や、または微量の

化学伝達物質とかいうものなどの影響のもとに

僕らが行動せざるを得ない、無意識な習慣の

原因も体にあるのを認める。

・・・・と考えるようになったのが、僕なら、・・・。 



また少し、ぶっ飛んで(飛躍)みよう。 

モーツルトも自分の曲について、なぜ僕の曲

がこの鼻のようにモーツアルトらしいのか、

わからない、と言っているが、楽曲がモーツアルト

に訪れた時、それは出来上がっていても、楽想の

ような夢の形をしているのではないか。モーツアルト

がそれを把握したとたん、(彼はどんな長い曲も

一度聴くと、忘れない)楽譜はモーツアルト風に

変わるのではないか?人によって変化の余裕を

もつスタイルなのではないか、と考える。僕が

それだけの記憶力があれば、それを僕風に

作曲化してしまう、創造というのはそういう力を

持っているのだろう、という(考えを、今発見した)。

書いてから言うのは、十分におかしいのだが、

僕はこの考えを以前から持っていた気がする。

しかし、自覚はない。自意識からは、今、思い

ついたのに、間違いはないからだ。これは脳の

何らかの作用か?無意識を自覚化させるとか、

それでは後付けになってしまう。それとも結果論

として定着化させる作用が脳にあるようだ、と言え

ないか。

(後から思い出すが、因果の様子が人によって

違う見え方をするのだろう、同じものを見ても

それをその人に理解される、もともと頭に持って

いる形、図や概念で説明する、ということは

言ったことがある。似た考え方だ。)

新しい概念というのはすぐに枠にはまるように

定着化という作用を起こす、というのは認識の

不変な態度なのかもしれない。生まれると、

すぐに固めてしまおう、と。だから、人の意見に

初めてのことでも納得すると、その定着化で

自分の意見にしてしまうことが起きるのでは

ないか。これは自己の所有を確保する働きでも

あるのではないか。お前のものはオレのもの、

オレのものはオレのもの、なのだ。

どうすれば、こういうプライドを避けられるのか? 



**
発見ひとつで、疑問がさく裂してしまう。新しい

概念はすぐにはまとまらない。いろいろと概念

同士照らし合わせる必要がある。なのでここら

で一応、収めよう。また考えがまとまったら、その

時点で書くだろうから。 ・・ここまで。。。



*親の願望や憧れが主に長子に遺伝するか。 

*遺伝子のパターンは人間とバナナでも60%

 が同じ。単純さを組み合わせて、種族の可能性

 の拡大を遺伝子が意図していて、それを僕らは

 行動に現わしている。 

*僕ら人間は、通常10種以上の混血種であること。

 そこから民族や人種に区別できないので、科学と

 社会では人類の区別の仕方がまったく異なる。

*親の願望が遺伝するなら、その親の社会での

 歴史や習慣が同じように無意識な因子として

 遺伝するのか?

*社会環境が遺産として子に受け継がれるのが、

 親が貧しい環境なら、子もその環境を選ぶという

 のはブルデューの「ディスタンクシオン」(未読)

 などの概念を想像して話したものらしい。「100分

 で名著」(ディスタンクシオンの回)の番組を一部

 観た。

*体の仕組みが遺伝子でコントロールされている

 ことで男を選別することと、心の遺伝が男女の

 好き嫌いをタイプ別にしている可能性があること。

*脳は新しい概念を早急に固定化しようとする

 作用があるのではないかという可能性。 



 ::::: ― 以上、まとめメモ。
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