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素にもどる自分と 親を見取るとは [親]

昨日はどれくらいだろう?久しぶりに一万歩を

越えて歩いた。千葉県の国立ガンセンターの 

入り口にはバスの停留所があったので、そこまで

はお邪魔したが、何の用もなかった。 

縄文遺跡の発掘現場を見る予定だったが、不親切

な対応があって、こちらも腹を立てて帰ってきて

しまった。これも久しぶりの腹立ちで、短気な僕と

しては特に目立つことではなかったのだが、自分

が短気なのを忘れていた、それを思い出させて

くれた。漱石の癇癪には負けるだろうが、喧嘩に

なる前に(電話だったので)、行く予定をキャンセル

すると言い捨てて帰り道を辿ったのだ。もうすぐ近く

にまで来ていたのに。ガンコ者はこれだから困る。 



感情には随分、心が侵食されてきている。以前は

よほどでなければ簡単に腹を立てるようなことは

なかったから、コロナの自粛の影響も加わって、

我慢を忘れている。帰宅しても燻した煙のように

むかつきがブスブス燃えていたのだが、書くという

のは、そういうのをかなりおっぽり出して書けるから、

便利だ。考えるというのは一人であれば、僕の場合は

ほとんど感情に左右されないでいられる。

事態は逆なのだろう。あまりに悲しみに浸ってしまった

ので、その影響で現実への対処を失うということが

起こったのだ。

その全体を説明はしたくないので、詳しい事情は語ら

ないが、腹が立ったのは別の、今だから気がつくもう

ひとつの理由があって、これで正解なのだと納得した。

遺跡見学だけではない理由で僕はやはり、内心拒否

したいものがあったのだ。だから、手段ではないが、

腹立ちも混乱を招いたが、僕の結果としてはこれで

よかったのだ。 ついさっきまで心は引きずられていた

が、急に冷えるようにすべてが収まった。

こういう時に僕らは気を紛らせるためになにかする、という

ことを言ったが、僕もA I 麻雀ゲームをしていた。面白いの

はほぼ80%は負けることのないこのゲームに、やっても

やっても負けてしまう。6回くらい負け続けたら、いつも同じ

なのだが、異様な雰囲気を感じる。もう追いつめられて、

出口をもう見つけられない、このまま負け続けるんだ、という

張りつめたなんとも言えない雰囲気。

気を取り直す時間だったのだろう、ふっと落ち着いた。気が

上がっていたのが、下がって腹が坐るのがわかった。すぐに

ゲームに勝ってしまうから現金なものだ。もう気を取られて

いないので、すっとゲームを止めることができる。この変わり身

がそのなによりの証明になるから、自分でも面白いのだ。  

今、なにをすべきなのか、それがわかる。人間が変わって

しまうのだ。冷静な自身に戻る。 

これが感情の束縛から離れた、その最後の心の状況になる。

音楽を聴いていても同じで、音に心がついて行かないのが

わかるのだが、束縛から抜けると、急にしみじみとその音楽

への感情が生き返り、甦るのだ。それをそれとして受容できる。

それが正しい心の姿勢だと、自分のことだとわかるのだが、

人はどうなのだろうか?  同じだろう、と。

こういう時に見るテレビのドラマの録画は、やはり最終回の

ハッピーエンドなのは(いつも)出来過ぎている、と思うが、

そういうものらしい。幸せには幸福が似合うのだろう。  



東京の府中市には行った。千葉の柏市にも行った。今度は

4日後に東京の23区に行くつもりだ。1年越しにしたいこと

ができて満足だ。山なら危なくないだろうが、23区なら中心

も中心だ、コロナの変異種も。

今日も近所のコンビニに行って、入ってからマスクをして

来なったことに気づいた。ポシェットに予備を入れていたのを

思い出し装着するという、よくあることがあった。コロナを恐れる

のは自分というものだ。僕はそれ(彼)ではない、厳密には。

死を恐れるという根本原因を思えば、恐るるに足らないのだが

自分さんは、恐れるのが商売だから、仕方ないね。

ここは笑ってしまいたいのだが、感情に侵食されたばかりと

あっては、これからもその幅は大きくなるということを思えば、

笑いきれない。最後の最後は僕らは感情に寄り添うのは自然

なことだからだ。認知症になった両親を見てきたが、思考や

記憶を失ってもまだ感情は残った。それが消えてゆくように

なると、後は無表情が残るばかりだった。とても笑えない。

そして、親の最後を見取るということが迷信ではなく、親は

どんなになっても最後に会っている人を死ぬ前に認識する。

それはお線香でわかった。

父の危篤で病院に駆け付けたが、小康状態に持ち直した

ようだった。僕は夜中だったので夜明けまで持つだろうと

思って一旦自宅に帰った。帰った途端に、亡くなったと連絡

があった。親不孝な自分らしい父との最後だった。

朝になり、霊柩車に乗せられる前に病院の階段下に設け

られた台で、お焼香をした。線香から、風もなく一筋まっすぐ

上に煙が昇った。僕も線香を添えてもそのままだったが、

看護師の女性が線香を添えると、異常に煙が揺らいだ。

風もないのにどうしてだろう、といぶかったが、訳はどうも

その看護師が最後に父を見取った人らしいのだ。人は

どうしてこうなのだろう?その女性の線香にだけ、揺らぎが

半端ではなかった。たぶん、父の女性好きも手伝っている

のかもしれない。まだ記憶のあるエネルギーが7日前後は

うろうろしているらしい(初七日)から、親父の記憶体はそこ

にいたのだろう。

僕はそのことがあってから、親の最後を見取るということを

知った、信じた。
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