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憂いと夏のカス [もの憂い]

この身を 寄せたいものは   憂いのシーツ、だろうか 

誰かが 読んでくれた   心慰める、詩句を 

思い出す  夜の橋架の  下で  

街灯が  まばゆい  

自分を 信じるなど   できない  (自分という標本)

自分を 立ち上げないで  生きることも  

できない  (自意識)

さ迷い  選べないことが  何かの名前を  (善、信仰、

神、正義、友愛、・・)     闇雲に 信じて

安心を 得ることではないにせよ  

しあわせではない、 というのでもないことを 

知っている      揺れる、安定

その 企まない   この 境遇は  

どこへ ゆくんだろう? 

どこかに 向かっているのだろうか?  

苦しまずに  得られるものは  価値がないとか 

そういう似非(えせ)論旨  には  

興味もないし   一理あるとかないとか  

ほっとけば、 と 言いたいが 

僕らは  まったく意味のないことには  耐えられない 

だから  まったく  意味のないことも  起こらない、 

のではないか?  

それが ああ、  自己矛盾しているかどうかが  

わからない   それは答えを 先送りしなくては ならない、 

そういう、疑いだから  

自分のために  罠を こしらえて  

自分で  落ち込んでしまう  

そういうものは  説明を 聞いても  

ますます  混乱してしまう 性質を  

内に からめ、含んでいる  

どうにか  現実に  這い出そうとしている ではないか 

と  思うのだが  

これらの  迷妄した現実の、 全体が 

何かのためでないと したら、  

目的も  行先もないとしたら、  

その場の  イレギュラーな  賭けだとしたら、  

僕は  もう  考えを   止めよう  

ここが  なんであるのかを  

確かめるために  

裸の 自分になろう、  そして  

それを 確かめてから   自分を離れよう  

間違いも 不正も  錯覚も  わからなくなる だろう  

バスルームに  ひし形に  くり返す  

光の  軌線、   白い 靄(もや)  

コントロールが  浮かんでいる  

僕の 人生に   戻れない!  

言葉が  無駄に  響いている  
 

誰も 支配できない世界は  不気味でもある  

どこかに  人間のかけらは  落ちているだろうか、と  

なぜか  別なことに  注目しようとする  



ここは R i g h t 

右に決めたから、  そうではないとわかる、 

右も 左もない、  という  

右。   それは 本当に「右」 なの?  

どうして  詭弁が  それに近い 形を  

もたらすのか?  

理を 背後にするのでなく、  溺れるために  

藁(わら)に捕まれ、 と  捕まることではないのか? 

そこでも  求める理があれば  それは 

あがくことではないのか  

必死に もがいて  ますます  水中に  

沈んでしまう ことではないのか?  

まだ、 

体の力を抜いて  自分ではない、それに  

任せてしまったほうが  水に浮くのでは?  

物理では、 プールでは 正しいが、  

精神では、  孤独の状態でも  それは  

正しいのだろうか?  

誰でも  水に浮くのだろうか?  

迷いから  浮かべるのだろうか?  

力を抜いたら  水に沈んでしまう、という  

常識な考えは  ちがうのだろうか?  

始めは 少し、 沈んでしまう  

そこで 慌てて あがくと  

本格に 沈む  

助かるためには  助からない方法を  

試すべきなの  だろうか?  



どうやって  プールで浮かんだのか、  

遠い昔で  忘れてしまった  



眠くは ならない  

起きている けだるさ は  

ゴビ砂漠のよう   ごみ溜めの よう  

ため息の 視界と   不快な 敷布の よう  

そこと  ここ   ここ かしこに  

夏の  野菜、   ビ、  ハイ、  

夏の  葉、   フィー リング、  

僕の  青春を  返して、くれ 

ドライブに  誘われて、   夢のよう  

80kmって、 スピードの王様に  思えたよ  

どこも かしこも  知らない土地は  

冒険で  横断している   都市国家とか  

牧羊の  城塞都市、  だった  

フィフ ティーン、   19の  夜まで  

は  みたよ  

長袖の シャツを  また、着たよ  

袖を   まくってさ  

歯医者も  行ったよ  

海も 山も  見えない 診療室で  

おお、  口を 開けていたよ  

なにが  不満なのか  

それを  見つけるには  

自分を 探して、  鬱の穴に 腕を  

突っ込まなくては  

アゥ  アゥ アゥ アゥ、  

手の届く しあわせに   首を  傾げても  

しわせは   逃げない  

アスファルトは  木琴の 音色は しない 

ヤァ、 プリンセスは   冗談が 好き?  

ロング スカートの しわは  気にならない? 



君は  なにに  属しているのさ?  

鬱っぽさ の 同盟?  

しあわせ の  割引優待?  

どうして  選ぼうとするのか、  

聞かれても いないよ  お、おう  

そうは うまくいかない 「日常全集」 がある  

まだ、 読んでいないんだろ?  

そう、読むものだと 思ったこともない?  

しかり、  フムフム、  そうなんだ、 

自然の 太陽とか  月の 神秘に  

照らされていたら、  「日常全集」 は  

読まなくていい   その時が  

それを=それは、読まなくていいものと  

リアルが  転換する    

その後  炭坑や ブラック企業で  

一週間、働いて  夢の実を  育てよう  

この世の  棲み分けは   まず  

自分が  自由で  自在でないと  

選ばないこと さえ   できない  

紙ヒコーキを 飛ばして  それを  

眺めていけば いい  

ともかく  どこかへ  飛んで  

考えて  ぼやっとして  

無意味に  蟻の群れの 後を  つけて  

ともかく  どこかへ   走って 

考えて  ぼやっとして  

晴れるや  雨ルヤ    ハレルヤ、  

この  自由 よ  

この  ブラックレイン よ    

許せよ、  この  喜びを  

この  憂鬱を  

誰にも  なんにも  依存されない  

頼られない  無責任を  



僕は  嬉しい 

ガムでも 噛むように  

夏の カスを   そっと  

吸い込んで みる  



スクリーンショット133.png


なぜ自我は発達する運命なのか? 
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もの憂い明日と [もの憂い]

我思うゆえに我あり、を考えると、我、我を守るゆえに

我ありに行き着いてしまうので、どうにかならないかと

思ったりする。  デカルトは全く違うニュアンスでその

言葉を言ったのだろう。なにかしらの存在証明であるか

のごとくに。

デカルトはその意味では健康だった。  理性は健全な

働きをしていただろう。 現代では理性はそれほど安全

な地位の上で活躍するには、狂気や病気が幅を利かし

て、動きにくくなっている。 


この ゆるい 動き  

もの憂さ、   そう言ってしまうと  

なにもかもが  その幕を浸透して  

出ていってしまう ようだ  

Say、 グッドゥ バイ、  と  

難民が  国境を越えるように  

遠い旅に  立とうとする 人たち 

僕は   ここで   

思索を  していなくては  いけないのだろうか  

なにかを  求めて  

どこかへ   出かけては  いけないのだろうか  

でも  そうなんだ、   今は  

ここに  留まっていたいのは  僕なんだ  

どうして 

突然、  ・・ 

わかってしまったんだろう? 

・、   ・・、   君を  

待っていれば  いいのだろうか? 

これからは  

苦痛、    悲惨、   それを  

眺めるだけ  なのだろうか  

これだけ  輝く 可能性も  見えるというのに 

ちょうど  この、 ここに  

留まれ、 と言うのか  

チャンスを  掴め、  と言うけれども  

狂った パレードに ついて行く 他に  

どんな 日の過ごし方が   あるんだろう? 

All The Time  

白い煙で  見えない  

ガラスの 灰で   眼が痛い  

窓越しで  世界を  眺めるために  

家に  帰るより     ないのだろうか? 

日々が  

もの憂い、  


この  ペイン、  

僕は  これを  待っていたのでは ないだろう    

世界は  なにも  期待したり、  

期待されて   いないのだろうか?     

まだ  戸惑いは  感じられないが  

これから  潮が   満ち始めるの だろうか?  

僕は  君を    待っているのだと、   思った  

君に逢う 前に  こうなるとは  

思いも  しなかったんだ  

僕は  なぜ、  ここまで来たの?  

これまで  来ることに  意味があるのじゃなかったの?  

そのために  ここまで  来れたのではないの?  

まだ  なにかを  発掘する時間が  

あると、  それは 誤解?  

僕に  なにが  できるのか  

これが  僕たちの  望むことなのか  

自然の  節度、 なのか  

冷静に  なれば  なるほど  

これまでの ストーリーが   見えてくる 、 

恐ろしい ほどに  

どういう 仕掛けの  戦いだったか  
                                    

そう、  そういう解釈も  成り立つ  

スリリングに  

刺激が  酸っぱいくらいに  

そう   反理性的に  反カント風に  

だから  

心で  弄(もてあそ)ぼう     

この 気の滅入る  サーカスを  

まだ  なにか  

そう、  なにかという 

一手が    ・・あるはずだ  

氾濫を  反らしてしまう   水門が  

それを   見つければいい  



もの憂い日は  まだ  しばらく  続くのだろう。  

この街をもう一度見るだろう。 陽光に照らされた歩道を

吐息で明るい色にするだろう。続いていることを証明する

ために僕はジェット機に乗るだろう。 

機内で開くページは重いだろう。パリパリに音のする本は

ただもの憂いにちがいない。 話声で声をかけられたかと

思ったが、この狭い空間でもまだ日本なのだった。 海外で


機内で声をかけられるのは普通だったが、国内ではほぼ

経験しない。まるで村のようだ。知り合い同士で話す。 

少し慣れるくらいがいい。慣れすぎると、うるさくなる。 

トランジットをどうやってこなしたか、もう覚えていない。

誰かに聞いただろうか? 

海外でよかったことなんか、あっただろうか?気がつけば

一番教えられたのは、自分が日本人だということだ。 

習慣や常識、というものがまるでその質が違う。その反射で

自分が日本人であるのが嫌でも反省させられる。僕は

日本人を無意識にやっていた。それを知った。アジア人だ

というのは香港に4回も行って、東京駅に着いてから、そこ

が香港にまだいる気になっていたことで、だ。 

不思議に香港人がわかっていたのに、東京駅で区別が

もうつけられなかった。ベトナム人も、中国人も同じ

だった。最近も、これが何人の特徴だ、というのが日本人

にも同じように見られる、と感じ続けている。島国の感覚

というのがある、とは聞いたことがないが、僕にはある、

と思っている、良くも悪くも。 

香港で何をするのか、というと、最もするのは歩くことだ。

歩いて歩いて、香港の空気を自分のものにするのだ(?)。

18000歩も歩いていた。

日本はジャングルの街は少ない。空気は清潔だ。それが

大きな違いだ。見えない空気が渦巻いていることがない。



でも 明日はまだ、  もの憂いのだろう、   W i ッ。 




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