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成功のパラドクスを20頁くわしく読む [成功]

これは「成功のパラドクス・メモ」を詳しく個人的に

紐解いたものである。 

その記事はもうあまり覚えていないが、要点は今も

頭にあるはずなので、微細な矛盾点はあるかもしれ

ないが、気にするほどではないだろう。 



もう一度、その本の邦題を示すと、「成功して不幸に

なる人びと」だ。このブログでは自我の膨張・慢心 

によって自己崩壊が起こることは、流れでは書いて

も、それを中心テーマにとり上げることはなかった 

ように記憶している。 それは当たり前に起こり、 

よく起こるので、自明の命題として「もうわかって

いるだろう」として取り上げてこなかったものだ。 

本を見つけて、改めて付箋のあるところを5頁ばかり

読むと、読み途中の印でつけた付箋からすると、意外 

にも大方読んだらしく、最後のほうになっている。  

そして、中身も心理面が多いので、それで読みやす

かったのかな、と思える。少し、解説したい気になった。 


まず、独断してしまうと、これは宝くじで大当たりして、

その後人生を崩してしまうのはこういう訳である、と 

大意は同じことが書かれている。 

それはどんなことかと言うと、その宝くじ長者になって 

身を持ち崩してしまった者が多いのを知って、バカだな、

俺ならもっとうまくやるのに、という無知な人のために

書かれたものだ。 

当然、うまくやる人も結構いる。が、それはもう大金が

手に入っても老境になっていて、使い道が限られて  

いる人だったり、または資産が2億くらいある、すでに 

金持で当選を知ったのも、受け取り期限が迫ってからで、 

どこかにしまい忘れていたとかの、すでに金持ちの人の 

場合である。 それとか誰かさんのように、数百万円を 

ちょっとどこかに隠して、あとでどこに配分するか決め

ようと思いながら、そのまま忘れてしまうような人である。 

株式投資を生まれて初めてした時の人は、覚えている

だろう。シュミレーションで株式を売り買いして練習して、 

それからいざ実際に買った時の落ち着かなさを。1時間

ごとに株価の行方が気になって、端末を眺める、という。 

実際に金が動くと、自分の感情のコントロールが利かなく 

なる。投資で必要なのは、予測が半分だが、感情の制御が

半分である。どんなに先見の明があっても、コントロールが

利かないと、儲けると早めに切ってしまうし、損しても明日

には値は戻る、と持ちすぎてしまう。逆なのだ。 

お金が関わると、途端にその空気のムーブメントが起こり、 

精神状態が燃えるようになる。ヤクザという人たちは、 

非常に(非情?)に冷静で、例えば賭け麻雀で客をカモに 

する時には必ずそれを利用する。まず、初めに少し勝たせる。

そして、おだてる。次にもっと勝たせる。そして、お客さん、

今日はついてるねぇ、と刷り込む。すると、客はその気になって

しまう。少しは麻雀の腕に覚えがあれば、初心者ほどツキを 

信じる。そうなったら、仕込みは完了で、あとは負かしてしまう。

大体、3対1になるから不利も不利で絶対に勝てない。しかし、

ついているはずだと刷り込まれると、感情で抑えが利かない。

負けても負けても、のめり込む。一晩で半年分の給料を

負けたなどはザラである。それほど有効なのが、おだて上げる

ことだ。ちなみに、僕の親戚もちやほやされるのが好きなのが

いて、親の遺産でもある日本橋の店をヤクザに乗っ取られた

そうだ。後から聞いたが、初めは驚くが、あの男では仕方ない

かな、という諦めだった。 

ドストエフスキーはロシアの19世紀の文豪だが、ギャンブル

好きで、自身「賭博者」という小説も書いている。 彼自身の

趣旨と思われる小説中の台詞の要約はこうだ。 

ギャンブルで勝つのは、わかっているんですよ。そうすれば、

勝てるんだ、とね。でも、それがそうはいかないんですよ。 

機械のように規則通りに賭けるのにうんざりしてくるんですよ。 

だって、面白くないじゃありませんか。自分ではなにもしない

んですよ。賭けの醍醐味なんかありませんよ。そうすると、 

ここで一発当てたくなるんですよ。ドカンとやって、自分の

予測を当てれば、こんなにうれしいことはありませんや」 

と、そこから負けてしまうのだ。なぜなら、そこで当てて、 

そこでやめられないからだ。よし、今日はついてる、となる。 

そこでまた、と大きく賭ける。いつかはドカンと負けるのは

必定だ。それでもやめられない。もう異常な精神状態の 

虜になっているからだ。これに憑りつかれると、訳が分から

ない、そうなっている自分がわからないのだから、行き着く

ところまで行ってしまうのだ。 

この異常な精神状態を自我の膨張・慢心と呼ぶのだ。 

すぐにスィッチが入りやすく、入ると出てこれない。 

酔っ払いがおれは酔ってない!と叫ぶのと変わりない。

勢いがついている。 

これは自然の法則と同じく、ものが地面に落ちる引力と 

同じだ。いつまでも変わらない、地球上にいる限りは。 

それで修練の成功者でも、そのしわ寄せが忍び寄って 

くる、必ず。  

その理由と、その予防を書いたのが、この「成功して 

不幸になる人びと」で、不幸になるばかりでなく、そう 

ならないための方法も載せている。  

まず、その理由から :: (「成功して不幸に~」から引用)

「 成功は人間の暗い側面を育てる 

目立つ人ほど、大きなシャドウ(影・暗黒*)を引き 
                     * 陽秋:注
ずっている可能性は高い。これは人間心理の法則 

のひとつと言っていいだろう。富と権力、高い知名度 

という三つの要素が集まれば、シャドウにとって申し

分のない環境が整う。否認や自己肥大が生じやすく

なり、投影の対象にもなりやすくなる。絶対的な権力

が必ず腐敗していく政治の世界を例にあげれば、理解 

しやすいだろう。  ( 中略 )  

精神の健康を得るためには、すなわち己を知り、有意義な

人間関係を楽しみ、共同体の一員であるという実感を 

持つためには、自分が不完全な存在であることを知り、 

それを受け入れなければならない。 

だが成功してしまうと、これがとたんに難しくなる。 

リーダーになれば弱さや下品な面を見せてはならないという 

プレッシャーを常に感じ、無理を重ねていくからだ。

( 中略 ) 

一般に、成功を収める人びとは聡明で人をまとめる力が 

ある。機転が利き、自分の魅力で人のやる気を引き出し、 

成果を収めるというカリスマ性を持っている。そうした長所

を利用することで、自我を鍛えている。ただ、こうした肯定的 

な自己イメージが膨らむと、その人の否定的な側面は表に 

出せなくなる。怠惰、無関心、怒り、嫉妬といった感情は 

隠されるようになる。 

また、成功する過程では弱点も克服されるのが普通である。 

( 中略 )  

さらに、ビジネスで成功している人は、そのエネルギーを 

限られた部分に集中させているのが普通である。家族や 

社会の教えに従うのが得意だった。つまり、親や教師、 

上司らの言いつけを忠実に守ったからこそ、ハシゴを 

上ることができたという人が多いのだ。( 中略 ::

陽秋>自分の夢を周囲に対しての遠慮から諦めていて

成功した場合は、それを隠し、成功者のイメージを 

何がなんでも守りたい、という内容 )  

負の感情やシャドウの中身は、意志の力で追い払うこと 

ができると思うかもしれないが、それは希望的観測に 

すぎない。(陽秋>それが前記した、精神状態が異常な

感情の空気に包まれてしまっている、ことを指す ) 

確かに、「そんなものは存在しない」と言い切ってしまう 

ことは、ある程度有効だ。好ましくないことをシャドウに  

隠すことは、人間として成長したり、社会に順応したりする 

うえで必要なことである。シャドウを隠さないのは犯罪者 

や、社会から追われてしまった人びとだけだ。目標に  

向かって進むなら、自分の長所を足がかりにするのが 

一番だろう。しかし、自分に暗い側面があることを否認したり、 

そんなものは克服できると想像したりすることは精神衛生上、 

危険である。(陽秋>精神衛生上よくない、ではなく、危険! 

なのだ)  」

長い引用だが、それだけ付け加えることがなく、僕と一致して

いる。または、本の記憶が潜在意識にまで到達している。 

著者が強調するのは、シャドウが人には必ず、存在することだ。 

それを軽く考えたり、押さえつけようとしたりするのは、僕らの 

本性、人間性に逆らうことであり、危険だということだ。これが 

あとあとしっぺ返しの素因になるのだから。 

織田信長が光秀にしっぺ返しされたのも、信長の自我肥満が 

素因になってしまったという、このシャドウを放埓に野放しに

した典型だろう。 

フロイトに並ぶ大心理学者のユングは、シャドウに否定的な

面だけではなく、宝物が秘められているという頁があった。 

:: (同じく、同著から引用)  

「 暗闇に隠された黄金  

成功を収めた人は誰でも、成功しなければならないという 

使命によって、自分のなかにある宝物から切り離されて  

しまったような感覚をいずれ持つのではないかと私は考え 

ている。ここで言う宝物とは、うまく手に入れさえすれば 

自分に充足感を与えてくれるもの、そして世界に貢献 

できるもののことであり、自分のシャドウのなかから

見つけることが多い。ユングはこのことをシャドウのなかに 

「黄金」があると表現しているが、自分のシャドウについて 

詳しく知ることは、人間として成長するうえで必要なこと 

である。 

ユングは自分の心の闇を探り、人間が成長し適応していく 

ためには、シャドウの中身を調べることが不可欠だという 

結論に達した。「無意識から引っ張り出したこの物体を見て、 

私は文字どおり言葉を失った。これが何であるか理解でき 

なかったし、形をつかむことすらできなかったからだ。ただ、 

何かすごいことが自分の身に起こりつつあることはわかって 

いた。これが自分の人生を満たしてくれること、そのためには 

どんな危険をも厭わない覚悟ができていることもわかっていた」 

(陽秋>無意識に通じると、なんでも確定事項として感じてしまう。 

それで初めてでも、ユングのように「覚悟ができていることも 

わかっていた」となってしまう。初めてで「わかっていた」は矛盾 

しているようだが、感覚のことなのだ)  」

他に、ユングは:: 

「シャドウは「子供っぽい、あるいは原始的な特性を含んでいる。 

・・・・・・・人間を活性化し豊かにするが、しきたりによって禁じ 

られている特性だ」という。  」    (陽秋>子供っぽい、 

ガキっぽさではなく、天真爛漫さがその一つということ。社会 

で天真爛漫さでは生きられない)

また、コニー・ツバイクは元心理療法士で、編集長でコラムニスト 

だが、シャドウエキスパート(シャドウ分野の高度な知識・技術者) 

として知られている。 

:: (同じく同著から引用)  

「シャドウを観察する「シャドウ・ワーク」によって、次のような  

成果が期待できるという。 

■自分が何者であるかが詳しくわかり、自分をもっと純粋に 

受け入れられる。

■不意に表に出てくる否定的な感情を鎮めることができる。

■自分の否定的な感情や行動に対する罪悪感や恥ずかしい 

という感情から、今よりも自由になれる。 

■自分が下す他人の評価が投影というメカニズムによって 

歪められていることを認識できる。

■真摯な自己分析と率直なコミュニケーションを通じて、 

人間関係を修復できる。  

■絵を描いたり文章を書いたり、夢を見たりすることで 

想像力を働かせ、一度否定した自分自身の一部を 

取り戻すことができる。 」、続けて、「がむしゃらに 

成功を追い求めても、シャドウに隠れている原始的な 

エネルギーに手を伸ばすことはできない。表向きの顔 

を維持したい、自分をコントロールしなければならない 

といった気持ちがあると、それが足かせとなって喜びや 

悲しみといった感情を素直に表現できなくなる。(中略) 

そして自制の苦しみから逃れるために仕事中毒に 

なったり、ドラッグやアルコールに溺れたりする人が 

いる。精神科医のアン・ウィルソン・シェフは『中毒になり 

やすい組織』と題した著作で次のように述べている。 

「人間が個人として完全に機能するためには、愛や 

思いやりが必要です。中毒のような行動は、愛や 

思いやりがないという現実を否定するためのひとつ 

の方法なのです」    」:  



人間の心理から自己を養成しようとするのは、ややも 

むなしさが伴う。だが、それも行動していくうちに忘れ 

てしまう。そこに人がいるのだから、常に可能性が 

あるということだ。  

最後に書ききれないので、その標語だけをいくつか 

挙げておこう。:: 

< 成功を持続するリーダーの原則 

リーダーに欠かせない要素は何か・・・・ として 

長続きする組織のリーダー 

組織のシャドウに光を当てる 

秘密を排除する 

批判してもらう 

闇に光を当てる 

自分に合った仮面をかぶる 

支援を求める 

過ちを認める 

通報者をほめる 

失敗の経験を共有する 

成功例だけでなく失敗例も振り返る 

自我肥大と闘う 

自ら「道化」になる 

バランスの取れたものの見方を保つ 

信用を分かち合う 

深く学習しながら教える 

仲間とともに道を究める 

多様性を奨励し称える 

組織の文化をつくり、伝える 

などなど ・・・     :: 

もう一度、著者はジョン・オニール 

邦題「成功して不幸になる人たち」ダイヤモンド社 

標語についてはそれぞれ、短い説明が載っているので 

各自知りたければ、参照されたい。 

28年前にはこの本がアメリカで上梓されていたことを

思うと、アメリカの精神文化の進行の早さをいささか 

恐れる。心理面はいい面ばかりでなく、それ自体の 

シャドウもあって、僕はそれは好きではない。それだけ  

社会が病んでいると感じてしまう。だから、僕はそれを 

参考にしながらも僕らが日本人である理由を問いたい。 

どんなに戦後にGHQによって戦争の真実が隠蔽されようと、

不可思議な心の事実は残っている。なぜ、僕らは日本人

なのか? それがどうして忘れられたのか? 

僕はまだ終われない、と思うのだ。



  



 

                                 

 








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