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なつかしきものたち 漱石篇 [漱石]

「先生と僕」という漫画文庫本が

届いた。待っていたのは、期待が

あったからだ。読みたいのは期待

があるからだが、それは内容の

原理、考え方、文のうまみ、謎

の説明、最先端科学、・・・

要はそこに自分のどんな興味を

満たせてくれる答えがあるか、と

いうことだが、視覚で水墨画や

書道のように見本として見て

みたいものもある。

「先生と僕」は少し違う。

先生は夏目漱石のことだ。彼の

ことは普段は避けている。読む

べきなのだが、そうはしない。

漱石の人の筋というものは僕と

一緒だからだ。そこからの枝葉が

細々とことなるだけで、彼の所作・

行動はすべからく僕の芯にからん

でいるのがすぐわかる。

「坊ちゃんの時代」という、長い

漫画がある。300頁の本が第五部で

完結というから「先生と僕」の上下

2冊文庫とは比較にならないくらい

長い。関川夏央のストーリーに谷口

ジロ―という漫画家が絵にしたもの

らしい。その五巻目だけを購入して

読んでみた。すぐちがう、とわかった。

漱石ではない、ただのおっさんが描かれ

ていた。漱石気質を共にする僕だから、

ためらいなく言える。この感傷的な

漱石は(関川が書いた「二葉亭四迷の

明治四十一年」のように)明治の時代を

一作家・ジャーナリストによって描く

ように明治を読むものだろう。

第五巻は漱石の晩年なので、特に

修善寺の大患で30分死んだ時(医者の

話)にみた夢は、まったく漱石から

かけ離れていたので、そう思ったの

だろう。若い時の辺りは見ていない

ので、多少は違うだろうが、漱石が

そこにいないのは確かな気がする。

谷口ジローは自然冒険ものや動物を

描かせたら、相当なものなので、この

作風とは合っていないかも。


「先生と僕」は期待通りで、漱石と

その門人とのやりとりが想像以上に

面白い。

次の連載が決まっていて、その題名

も決まっていない。しかし、門下の

森田草平に漱石は予告を出させた。

「先生、適当にとおっしゃられても、

どんな内容なんですか」と尋ねても、

「まだ決めてないから適当に」という

答え。

ここで声に出して笑ってしまった。自然

を知っている、漱石は。

困った森田は自分の付けた題によって

小説の行方が変わるかもしれない責任に、

同門下の小宮に相談した。すると、机

の上にあった本(ニーチェの「ツァラ

トゥストラ」だった)を二人で?「適当

に」開いて目に入った文字が「門」だっ

た。

こうして3部作の最後の題は「門」に

決まったそうだ。そして、漱石は

連載小説に’門’を絡めて書いたそうだ。

門下生は、さすが先生、とこういった

エピソードが四コマ漫画で書き連ねら

れていて、すこぶる面白い。


漱石は江戸っ子だった。江戸っ子は

祖父・親・子供と三代東京に住み続け

て、その子供に当たる人が真の江戸っ

子になる、といい加減な言い伝えがある。

漱石はその江戸っ子で、僕もその三代目

になった。それでその気性がわかる。

坊ちゃん気質で、理不尽に押し付け

られたり、権勢から上から縛られる

のが生理的に嫌悪なのだ。

「私の個人主義」という本があるが、

これは漱石の個人主義論ではない。

果たし状である。

これは学習院の卒業式だかに招かれて

講演をしたものだ。その講演記録。

初めにこの学習院に初めて入ったこと

を断る。学習院には落ちたのか、入れ

なかったらしい。三島由紀夫は時代が

違うが、学習院を首席で卒業して、

昭和天皇に時計かなんか貰っている。

漱石は東大の文科を首席で卒業して

いる。

学習院は政財界の著名人の息子などが

多く在籍したから、漱石はゆっくりと

丁寧に個人主義っぽい話をしながら、

言いたいのは、「お前ら、これから日本

を背負って立つのだから、しっかりしろ。

人間で大切なことを忘れるんじゃない」

とかいうような内容のことを、それに

直接は気づかせなかったかもしれないが

言っている。お坊ちゃんたちに啖呵を

切っているのだ。

その気質が「坊ちゃん」を書かせた。

松山の先生は1年で嫌になってしまった。

坊ちゃんと同じ、笑。



これまで漱石の研究や評論がなぜに今

まで途切れもなく、延々と続くのか、

この漱石人気はなんなのか、とブログ

に書いたことがあったが、ともかく

当時から漱石の家には人が集まって

来た。それが明るい者もシャイな者も、

漱石に惹かれる。

日常の彼には感情的な性格のわかり

やすさがあって、それが愉快だったし、

まか不思議な突拍子のなさも手伝って、

漱石をおかしな魅力に見せたらしい。

その上、細かい指導や指摘は的確だっ

たから、漱石の江戸訛りをからかう

者も笑ってばかりはいられなかった。



あの芥川龍之介もその随筆でこう言う、

「僕が小説を発表した場合に、もし

夏目さんが悪いと言ったら、それが

どんな傑作でも悪いと自分でも信じ

そうな、物騒な気がし出したから、

このニ、三週間は行くのを見合わせ

ている」「兎に角そういう危険性の

あるものが、あの人の体からは何時

でも放射しているんだ」「君も一度

は会ってみたまえ。あの人に会う

為なら、実際それだけにわざわざ

京都から出てきても好い位だ」と

手紙に書いている。

(「芥川龍之介随筆集」から)



さて、指摘しよう。僕らは間違いを

しただろうから。「京都から出て

きても好い位だ」と芥川が書いた文で

僕らはああ、遠いところから来ても、

という比喩だなと思った。が、前提は

まるで違う。京都まで今は新幹線で

2時間で行ってしまうだろう。その頃・

当時どれくらいかかるか、想像して

みると、新橋から神戸まで鉄道が開通

した。なんと20時間も乗っている。

丸1日どころではない。早朝、4時に

電車に乗れたとしても、着くのは深夜

0時。

いや、京都だから大阪で乗り換え

だろうか。神戸よりも早く着くこと

はあるまい。どこかで宿泊して、

また朝に乗るのだろう、一日以上だ。

つまり、芥川は今の感覚で言えば、

夏目さんに会うためなら地球の裏側

から(旅客機を乗り継いで)来ても

好い位だ!と言ったのだ。これで

ほんとうに驚けるはずだ。それが

夏目への芥川の評価!なのだ。芥川

には漱石はふつうの人ではなかった

のだ!

明治の本を読むなら、僕らは明治人

にならなければならない。そうしな

いと、歴史は生きない。僕らの人生

も生きない。なつかしいものたちも

まだ今も生きているのだ、その

当時に。僕らは本を読んでいて、

油断してはならないのだ。そして、

やはり油断してしまうのだ。楽しみ

で読んでいるのだから。

どっちもどっちだ。

どっちでもいいが、両方のことを

自覚して選んでいないと、僕らは

自分を片手落ちな人格にする、と

いうことだ。


ピアニストの天才だったグレン・

グールドはその奇矯な振る舞いや

作曲者の楽譜を自分の演奏用に書き

換えるのでも、有名でそのために

不評も浴びた。しかし、その演奏を

聴けばわかるが、他の追随を許さ

ないテクニックがあった。

その伝説で有名なのは、晩年に没し

たその枕元にあったのは聖書と漱石

の「草枕」だったことだ。グールド

は「草枕」をこよなく愛した。それ

は後日談でわかる。

枕元にあったのは「三角の世界」

(=「草枕」の英訳タイトル)だけ

だった。彼の死後に父親が聖書を

置いたと、グールドの助手が証言

しているそうだ。

三角の世界とは、四角な世界から

常識と名のつく、一角を摩滅して、

三角のうちに住むのを芸術家と

呼んでもよかろう、という一節

から取られている。

グールドは「草枕」をニ十世紀

最高傑作の小説のひとつと言って

憚らず、従妹には電話で一冊全部

聞かせたそうである!


漱石は死後五十年以上も経って、

こんな熱烈なファンができるとは

想像もしていなかっただろう。

「草枕」は教科書に載ったが、

「坊ちゃん」の人気に押されて

消えた。

難解だと言われる「草枕」は人生

の書だったろう。


夜の空の淵で、明治はまだまだ近く

に感じる。僕がもっと明治を理解

するようになれば、言えるのかも

しれない、

明治は遠くなりにけり、 と。




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平和な時間・時代の夢を想う [不安]

平和な時間が流れる。

こうしていると、どこかでは

祈りの時間を迎えている人が

いるのではないか、と思う。

バッハのG線上の・・を聴くと

敬虔な気持ちが呼び覚まされ

るように、この頭の眠っている

ような脳内空間ではそういう

ものを聴いているのでは、と

妄想じみて来る。

証明されているものを信じる

のが常識なのだろうが、それが

群を抜いて想定外な想像だと、

証明されても信じがたくなる。


縄文時代が遺跡で発掘されて、

今は前期とか、中期とか、終期や

晩期と区分けされているらしいが、

この内容は不思議だ。国・村など

内戦の様子が見当たらないという。

殺された、傷ついた人骨が見つかっ

ていない。それだけではまだ未発見

なのかもしれない。それにしても

縄文は長い。

漆の木は接着などに使っていた

らしいが、その木を植えて手間の

かかる世話をしていたというから、

その他多くは椎の実や栗の木が

植樹されて食料になっていたので、

畑などもあり、半農くらいには生活

していたらしい。

それはわかるが、その期間である。

紀元前約1万4000年前からという

から、中国では旧石器時代から中石器

時代に変わる頃であり、山頂洞人とか

万年仙人洞・資陽人とかの発掘され

たらしい名前が新人化石人骨につけ

られた。ヨーロッパではネアンデル

タール人が絶滅する頃だ。

そして縄文の後の弥生時代から現代

までは3000年になる。文明が途中

から急激に進んで、現代は反省が必要

な時代だと想像がつきそうなものだが、

それは自然大災害のように想定外と

現代人の脳には認識されているらしい。 

では、縄文時代はどれくらい続いたの

かと言えば、1万2000年前後続いた。

つまり、縄文後の時代生きた日本人の

3000年よりもその4倍という長さの

時間を平和(予測だが)に過ごした、

そういう日本列島に生活した人たちの

長い長い歴史過程があったということ。


僕らはそれを数字で示されても、概念の

認識しかできないから、ちょっと驚くが

すぐに忘れてしまう。

こう考えたらどうだろう。縄文から現代

までの1万5000年間を自分の生活誌と

比べてみたら。

75歳から後期高齢者?だろうか、そうだ

としたら、縄文は全体の80%だから、

縄文が終わった時点で僕らは60歳の

還暦を迎えた時だ。1歳から約60年間

が縄文期でそれからが文明文化の発達・

発展した時期でまだ15年に過ぎない。

60年、平和だった、あり得ないと僕

は思ってしまう。そうだろう、僕らは

現代で10代から忙しく多様な世界を

見せられ、それに適応を迫られる生活

を要求される。

60歳までの平和はどこへ行ってしまっ

たのか。

縄文期が終わってから、またはその

前後から「心」が生まれたらしい。

紀元前500年ころからブッダや孔子が

生まれ活躍するが、その頃には漢字で

心に結びつく熟語が急に増えるという。

心を意識することが多くなり、自意識

が発達して、心の動きについて考え始め

たのだろう。

だから、僕らのルーツは古代宗教やギリ

シヤ文明の思想に求められることが多い

が、ではかくも長き縄文の1万年から

1万2000年は何だったのだろう。そこ

には動物のようになにもない空っぽな

気の遠くなる無為な自然に従うだけの

生活があったのだろうか。

僕は現代人には想像が及ばないのでは

なく、その知性は十分にあっても、それ

を想像するに見合った時代への想起力

とでも言ったらいいのだろうか。そう

いう認識や思考ではない思いを馳せる

という想像力には欠けているのでは

ないか、と自然災害が起こるたびに

後追いで対策する、それを資本の道具

にする政治や経済の事情の伝統・習慣

にしてしまう、今の指向性・思考性・

志向性を思ってしまう。 


思えば、発達障害という神経の病が

増え続けることは尋常なことではない。

いじめや虐待が毎年増え続けるのも

尋常なことではない。が、それを

ほんとうに異常だとは、実は感じよう

としなくなった僕らが自分が異常者と

同じ仲間だと気づかなくなったのが

最も社会の異常な状態なのだ。

そういう障害の原因不明は50年前、

100年前からわかっていながら、事実は

対症療法や新薬の開発による症状の緩和

に費やされている。

製薬会社が暗躍している。エイズは耳

新しくないが、そのエイズを確認した

論文にもその原因は何も書かれていない

そうだ。それを根拠にエイズはなかった

とまで言う、ジャーナリズムもある。

僕らの社会はその上層・権力層では

どうしてこうも陰謀が行われてきたのか。

それがどこから来たのか、現代ではそれ

が解明できるまで医療や科学の技術は

その水準にあるのではないか。

しかし、情報が多すぎることと、情報の

確信性を持つにはその出所の発信者が

どこまで正確なのか、調べたり判定でき

ない状況がAIとネットの事情にある。

いくら情報があっても、何を信じていい

のかわからなければ、それらの情報に

意味はなくなる。プロパガンダ(宣伝)

の応酬で僕らはただ眺めているだけだ。


すべてを破壊することを考えるより、

すべてを破壊しなくても、どのように

調べや実験をして変えるべき根本の

要因を洗い出すこと、その方法を今、

吟味するにはどうすればいいかを考え

ることだ。それには多くの手法を試す

ことが必要で、気がついたら、もう

猶予はない。その時に始めるべきだ。

すべての分野に応用すべき方法がある

はずだ。それはいくつかに分かれて

いるかもしれないが、それは自分の

資産や名誉の保身のためにするので

はないことが最も自分でわかって

いなくてはいけない。それが皆が

納得できる条件でもある。

感情をコントロールできる者がそれ

を担うのはもちろんであるが、それ

を悪用するのも多いので、それを

見抜くことも条件になるだろう。



人間の強さは「強さ」というものが

あるのではなく、それに対して心の

準備や外の体制を必要に応じて整えて

おくことで、それに対応して、適応

できることを意味する。弱いから弱い

のではなく、その自然に備わった弱さ

を克服して、どう現実に対応してゆく

ように鍛えるかが、その人の強さに

なる。

吉川英治の宮本武蔵だろうか、「強い

から勝つのじゃない、勝つから強い

のだ」と言わせているが、武蔵は剣

に強いだけではなく、兵法は必須、

時に学問も必要になる、と考えてい

たのは「五輪書」からも、養子に迎え

た伊織には剣を教えなかったことから

でもわかる。人を見る観の眼ということ

も言ったらしいが、これは禅問答とは

違って人物が観照できることを言った。


僕らは平和があると考えるが、今は

縄文時代のような平和はない。訪れる

こともない。僕らは知性を活かし、

また殺すうえで地球という今、過去も

未来もある今、そういう全体世界を

目の前に置いて、平和を自意識と交互

に味わうような、工夫した生活法が

必要になっている。

1万年の日本の遺跡に見られる平和は

夢なのだ。事実であっただろうが、今、

縄文とは違う生き方が求められるのは、

自然なことだ。


平和な時間が流れる。

こうしていると、それは私個人では

失われていないことと知れる。

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エポックの空気 [謎]

ここで書くものについてため息を

つくようであれば、テーマ別に考え

ているものが7,8ある。そして、

資料読みの段階から進まずにスルー

して、結果だが、しているようにも

思えるのがその数あるのだから、

ため息などついていられない。

ブログを開くたびに、ああ、あれ

まだ書いてない、となってしまう

から、極力、忘れる。

どうせ覚えていて、一時的に、で

だけで忘れはしないのだ。


ものの答えのエポックは間接なので、

直接の答えではなかったが、迷い

の状況は説明がついて、見とおせた。

切り抜けてみると、なんてことは

ないと思えるのも、今までと変わり

なく、迷いが嘘のようだという

過去になっている。

過去は便利なものだ、始末がついて

いれば、僕を悩ますことはない。

そして、楽しませることもなくなる。

今は、謎をひとつ解決すれば、謎の

数が減るとはならないのを知って

いるので、街を歩くように急がず、

怠惰にならず、そこそこしっかり

元気に歩きたい。


こう一段落ち着いた時は、気分も

中くらいでなにか心に書くことが

隠されているとは思えない。表現

である=expression は =press 

圧縮されたものが心から押し出され

てくる。その感じがないのである。

迷い多き時のほうが収穫は格段に

多い。こうしてスッとしてしまうと、

少し腑抜けになったようだ。

しかし、すべてはこれからである。

自由も平和も民主も、どの時代で

も完成したり、成就したりする

ことは集約的にテーマを決めた場合

に限られていたし、これからも形も

意義も変形し、変遷して、もみくちゃ

にされるはずだ。

僕らはラッシュアワーの電車で

もみくちゃにされていながら、外

の余裕ある景色を見ているのだが、

このどうしようもないのが現実だ

と知っている、またそのつもりだ。

本当に知っていたら、その電車内

にはいないだろう。


僕はこうして過去から出てくると、

また見晴らしのいい道を歩くこと

を知っている。

そうすると、今まで車内から眺め

ていた車窓の景色をその中を歩い

て行くことをしている。そうすると、

僕が考える自由が自由の形になり、

平和も理想もその元の姿に加えて、

誰かが手を加え、デザインが変っ

てゆく、そういう未来を想像する。

写真家・森山大道はその対談集を

『過去はいつも新しく、未来はつね

に懐かしい』とそう表現したが、

それは僕の実感でもあったので、

どういうことかいつか確かめた

い。  

無意識と自意識とを瞬時往復する

のはそういうことなのか、その

辺りの事情を確認したいのだ。

彼のモノクロ写真で「遠野物語」

を見てみたが、暗くてよく見えず、

それもまた闇の表現なのではないか、

となにか惹かれるものを、後で

感じた。


ものをつくる道は、僕の経験では、

何でも自分のつくるものは形に

なっていると思う。

そこにはそれなりの見分け難く

ても、美が内臓されているのだ

と信じる。

そして、アートという技術や芸術

の申し子のような思想の中で、

いつのまにかそれが固まるのだが、

それは未熟な一時期の形の形成期

に過ぎない。その自惚れが必要なの

だが、それがないとそれが壊れた時

の空虚の感じがわからないからだと

思う。

ものの美はすべからく、闇に突入する。

ものがわからなくなるまでがその

道程で、その間は自問自答を繰り返す。

そこにぶち当たったのは他ならない

自分であって、それを誰かに解決でき

るとは到底思えないからだ。

闇に突入するまでは、自分の評価と

世間の評価が釣り合っているような、

または世間が自分に追いついていな

いという、どちらにしても優越な

幸福感に浸れる。その時期も重要

な過程なのだろう。

景色が開け、道がいくつも見えて、

好きに歩くようになると、自分は

どこへ行ってもいいのだ、新しい道を

恐れまい、と積極的な姿勢になる。

次は枝葉では迷うかもしれないが、

進む方向ではまず迷わないだろう。


エポックという言葉がそこで具体

的にわかる。言葉ではなく、自身

の体験になる。人生という言葉が

概念ではなく、ちゃんとした内容

があり、その中味を生きているのが

自身であることを知る。

僕らは現実からの逃避として夢を

見ようとするのではなく、そういう

概念のバランスではなくして、現実

への支えとして、また現実を変える

指針として、夢を見ることもできる、

と思う。


漢字の「思う」に初めは考えるという

意味はなかったそうだ。僕らは相手

に自分を評価させようと(還元)思う。

もっと私を見て、と。いや、相手が

あなたを見ているのだ。

それはひとつの方向として、必ず

ひとつの(限定されてはいるが)、

正しさを示している。だから、その

正しさを正しい方向から見て、

確認する必要がある。

それが相手の立場に立って、とか

よく言われるアドバイスだが、

僕らは相手が歪んだ視線で見ている

からわからないのだ、と決めつける。

社交上、言わないだけだ。それが

自分をも歪めている。私が正しい、

と。

北海道の空気のきれいな土地で暮らす

と、東京など都会へ出てくると臭い

そうだ。

インドのカルカッタに初めて来て、その

喧騒と貧しさ、不潔さを見て、僕は即

日本をこうしてはいけない、と思った。

僕は自分が日本人だとその時までよく

知らなかった。海外へ出てきたのは

僕のルーツが欧州にあるからではないか

と思っていたからだが、インドでない

ことはすぐにわかった。

しかし、、である。

僕は日本人である自分を守ろうとした

のであって、インドから貧困とは何か、

反面教師で日本とは何か、を学ぼうと

していた。途中で会う日本人観光客の

インドへの貧しさへの軽蔑(40年以上

前の)に何を見ているんだ、と思い、

そういう気持ちにはなれなかった。

僕が自分の歪んだ視線・恣意に気が

ついてゆくにはまだまだ、インドで

鍛えられることが必要だった。

なにしろ、その頃の僕は日本人をやめ

る方法、とか海外移住の本を読んで

いたのだから。

日本を知り始めるのはそれから30年

の日々を数えなければならなかった。

教えられたことがことごとく覆される

のはさらにそこから10年が、・・・。



僕らは宇宙の中にいるのがよくわかる。

そして、この言葉が伝わっていないの

もまた、よくわかるのだ。それは僕らの

頭の中にしかない、現実じゃない。

あるはずだ、と思っているのが正確な

言い方だろう。

宇宙へ出ると自分と否応なく出会う。

それは文化であり、自分証明だ。それ

が揺さぶられるから、一種の文化ショ

ックを起こし、自己確認を迫られる。

月の石を持ってきた隊員はそこにあっ

た石をまるでこれを持って行くように

言われた気がした、神がそこに置いた

のだ、と。

この隊員だったか、他の隊員だったか、

地球に生還してから、聖書のノアの

箱舟を探しに行ったそうだ。行かざる

を得ない、それほどの月面体験・宇宙

体験だった。僕らにはまだ手が届かない。

月面という銀河系からしたら、すぐそこ

の衛星でそういう体験をする。

宇宙を知っている、とは言えないし、

もっと地球を知りたいと僕は思う。






:::

下弦の月が昇り始めた。

それはもう窓から消えるほど時間が

経った。

月はまだ夜空のどこかを経過している。

月は落ちてこない。遠心力と引力が

釣り合っていると教えているが、重力も

引力もないという考え方をYouTubeで
観たが、面白いのはそういう考え方が

できることで、真理かも知れない仮説

だということだ。

そうするとニュートンもアインシュタ

インも否定される。この先は別の稿で

書くとしよう。

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ものの謎の答え・解題 [謎]

今年の3月には見えた「もの=器」が

感動ばかりが残って、肝心の見えたと

思ったもの(美とか?)がまったく

見えなくなって、心身が煮詰まり始めて

いたよう。

数日前に「器の雑念三昧」をブログに

載せて、僕は「わからない人間」に

なったと、ギブアップした。思ったこと

を書いたまでだが、思ったことをその

まま書くのには、勇気と訓練が要る。

なに、ただ何度も思い切るだけのこと

だが、・・。

いつか習慣になり、自動で書く。そう

いう時は自覚していない。追い詰めら

れた時は人は意識しているつもりである。

実際は無自覚だ。酔っている人はほんと

に自分は酔っていないと思っている。

悲しみも苦しみも僕らはそういう心に

不適応な感情に悩まされているのであっ

て、それは酔っている体と心のシステム

に合致している。僕らは悲しみに、知ら

ず酔い、また苦しみに知らず酔う。それ

に囚われた状態になり、それを自覚でき

ない。だから、誰にも相談する必要が

ないと感じている。迷惑だとさえ思うか

もしれない。理性が自立して働いていな

いのだが、それに気がつく教育は受けた

こともない。

あ、話だ。

それはテレビを観ていて、急にわかった。

が、自覚ではない。自覚したのはその晩

にぼんやりしていて、自覚が立ってきた

時だろう。

番組は女優が奈良で筆づくりの体験を

するというもので、その筆職人の言葉

だった。お客さんがいい筆だというのが

いい筆で、(何十年も作っていますが)

私らにはいい筆はわからない、作り続け

るしか(ないんでしょうね)という話だ。



職人なのだ。職人は自然の中にいる。

自分がいい筆を決められないのは、当た

り前のことで、お客さんの選ぶものは

千差万別、となれば、なにがいい物かは

わからなくて、当然という・・。

部屋にいてそれを思い出して、浮かべて

いて判然とした。僕はそういう職人と

同じ意識の中で精神的区別を求めて、

わからないものを概念的精神的にわか

ろうとしていた。わかるはずがない。

ー と、わかった。



ものの良さというのは、区別できる、

という気がする。が、事実は微妙だ。

基準は3つあるだろう。

まず一つは、技術力の高さ、精巧に

して端正な出来栄えだ。そういうものを

目指したものはそれがないと、いいもの

と言えない。

次に、気にいるか、気に入らないか、

なんとなく感じることだ。これは好き

嫌いによほど近いが、用途などが考慮

に加味される。

最後に、買う気になるか、ならないか。

これを一番に考える人は多いかもしれ

ない。

これら3点の区別は理由はどうあれ、

微妙にお互いに観点がダブって見えるし、

見分け難い共通点もある。

だから、言ってしまうと、審美眼という

のは客観的に第三者的に評価されたり、

結果としてそうなったのでないと、ほぼ

信用しなくていい、という結果になる。

それはある、が、微妙過ぎるのだ。

だから、日常の買い物などでは、また

展覧会や個展などでは頼りにならないと

見ていい。

僕は見ればわかると思っていたから、

初めは陶器市や陶器フォーラムなどを

見て見て見て回った。やがて、益子市

で濱田(庄司)に出会って(作品、その

前から民芸運動の紹介で、ちらっとは

知っていた)、その著書の「無盡蔵」を

読んで、見ることで食欲が満たされる、

同じ経験を見出して、ついに自分の

試作の陶器にものの在る様子!?を

見て、痺れた。この感動からその意味

を見ようとして、まったく不毛の沙漠

をさ迷うことになってしまったのだった。

ここで終わりなら、昔の紙芝居だが(?)、

美といいものを区別ができなくなった。

終いにはなにがなんだかわからなくなっ

てしまった、ー という次第だ。



思い出したのは大学で習った、能の教科

書とも言える世阿弥の「風姿花伝」だ。

彼はその実(じつ=能芸術の芯)を「花」

と呼んだ。そして、お客さんには花の

わかる人もいればわからない人もいる。

わからない人にも楽しめるように能を

工夫すべきだと、書いてある。それを

思い出した。奈良の筆職人と共通する

のは、いいものはお客さんが決める、と

いうことだ。それで僕は僕の迷いが判然

として、溶けて消えたのだ。

猿頭蓋7-1.jpg

猿の洒落神戸も笑っている::

和を以て貴しとなす、と聖徳太子は言っ

た。(十七条の憲法)

皆で決める形式ではなく、皆で決める

まで決めないのが、ほんとうの民主主義

だ。長崎の離れ島に対馬があるが、近年

まではここでは長老?市役?などが集まっ

て島のことを弐日くらい話し合って決め

たそうだ。(「忘れられた日本人」)

小さなことで二日だから、大事なことは

もっとだから、民主主義は時間がかかる。

しかし、権力を持った政党や政治家が国

の不利益になる法案を押し通してしまう

今の国会よりもマシだろう。芸能界で

大きな話題が持ち上がると、その隙を

ついて重要法案が隠れるように通過させ

てしまう。マスコミも黙っている。

政治家のほうがわかっていることも

あるが、腰の抜けていないあの小泉でも

郵政民営化をプロパガンダ化しなければ

ならないほどだったのだから、腐った根

は深い。

日本ほど民主主義という「和」を精神的

に実行している国民はないのだが、・・。

それは国民の話で、政治の話ではない。

明治以来、政治は日本株式会社に塗り

変えられている。綿々と続く黒歴史は

その気にならなければ、調べもしない、

僕らはそれほど暇ではない、と言い訳

するだろう。

僕らは安倍さんがなぜ死んだのか、知ら

ないままだ。リンカーンやケネディと

綿々と続いたままだ。

あ、話が逸れた。

僕の器の話はどうでもよくなったみた

いだ。少し、現実という死の側に顔を

出してみただけ、だ。



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座間市と僕 戦争とヒント [戦争]

座間市では午後4時半と5時に鐘が

鳴る。工場で働くと休憩時や終業時

に聞く鐘の音に似たような音だ。

それで時間がわかるので、今聞いた

のは4時半なので、もうそんな時間

か、となる。

座間市にはたしか、27年居る。もう

そんなになるか、ではあるが、妙に

実感はない。

そして、座間市特有の思い出という、

なにかもない。特徴があるのだろうか、

ここは、と思うぐらい改めて考えるが、

なにも思い浮かばない。

小田急線の座間駅は遠く、ここは台地

なので起伏がある。その起伏に橋渡し

をした最寄りの駅「さがみ野」のほう

が身近に感じる。自転車で行けるので

日常生活の動線はさがみ野駅と自宅

が動線でつながっている。

座間市役所は選挙の時に事前投票を

することが多いので、それで市役所

にお邪魔する、といった感じだ。

特にないなぁ。



平成が令和になった時に不吉な感じ、

不穏な時代の飛来を予感した、ような

気がした。コロナパンデミックが来て

それみろ、と。 大地震が頻発して、

やっぱり、ロシアが戦線をウクライナ

に仕掛けて、思った通りだ、そして、

ハマスが汚い戦法で自分らの危機的

状況を解放しようとして、最悪の手段

で戦線を開いた。ますます拡大する

方向を示し始めた、この時。

その現実面と比例して僕の内面では

古代の神をつくった古代人たちに

その信仰の中になにか生命と知性に

関わる何かがあると直感する一連の

出来事があった。

これは人知れずのショックで一気に

現実と相俟って神経が揺さぶられ、

体調がダウンしてしまった。

それが10月16日以降、これまでの

意味不明なグダグダの疲労感への

診断だが、半分以上は実際そうな

のだろう。

29日の満月に直接の引き金があった

らしく、1日10時間以上間歇だが、

翌日から延々眠る日々が続いた。

それも4日目の昨日から回復し始めた。

今日も昨夜、3時間寝てから目が冴え

て、3時間起きていて、また寝たので、

今日の午後2時過ぎまで体が動か

なかった。疲れが、・・・。


これまでも戦争について詳しく書い

ておきたいとは思っていたが、最終

にその解決案は今の時点では望めな

いことがわかった。

わかっていたと、「皆と似たような

解決案になって、」と考えたので、

そこをもう少しどうにかしたかった

のだが、きっかけが得られなかった。

しかし、戦争の様相は書いておいて

もいいのではないか、とウクライナ

とパレスチナの惨状を見ていて、

思うようになった。

戦争の様相は何か。その何かの雛形

をヒントとしてさわりとして今は

書いておくだけでもいい、と考えた。



ムウ大陸という、空想の大陸では

ないが、ムゥーウー・・と唸って

しまう。ちょっと考えただけで

テーマが複合している。ヒントと

言ったが、それをヒントにまで

凝縮、簡易整理するのは力技で

力を入れ過ぎればなにかを主張

する極論・暴論になってしまう。

その傾向が強まってしまう。

歴史を見捨てて、概論の概念から

で済ませる方法もあるが、それは

解決から一番遠い方法である。

だから、考え方のヒントとしては

どうして戦争が起きてきたのか、

その経緯を人間の心理と経済・権力・

(市民には重要だが、支配者には

見せかけの)信仰・宗教という

ものから考察するのがひとつ。

それはイスラムとか旧約・新約とか

ではなく、神の支配方法に深く関連

している。そこは西洋を中心に、

東洋はすこし、それよりも形を変え

ていることを注目。

人々はなぜ神を信じるのか、信じた

がるのか、無神論は神を想定しなけ

れば、存立し得ない立場であること

にも注目。

旧約聖書やコーランを一字一句読ん

で研究する暇はない。もっとランダム

に読んで短時間で理解してしまう

ことは必須。そして、それは自分で

考える為の第一段階という基本だと

の自覚も必要。

それでも選択される資料や情報は

5000にも上るのだろう。(1日5冊

目を通しても、単純かつ簡易な計算

でも3年以上かかる)

僕は1990年頃から始めたから、

その思想が思惑くらいになるまで

に20数年を要した。のんびりやっ

たものだ。肝心なのは今、この時

に向き合うのか否か、ということ

で今向き合う気持ちがなければ、

すぐ3年5年は経ってしまう。何度

も振り返って思う教訓だ。ゆっくり

がまず大事だが、確実に続けること

が車の両輪のように肝要だ。




戦争論は二つある。戦争を起こす側

である権力側の戦争論と、戦争反対

の市民論である。これは国家と個人の

違いであると同時に、大まかに見る

ならば知性(の悪用)と感情(まかせ)

の対比でもある。ここに注目して考察

をふたつ関連付けて、よく考えること

が必要。

戦争を起こす側にとっては国民の

耳の一方を塞ぎ、都合の良い一方

(政府のプロパガンダ)に傾ける

ことは必須で、中国やロシア、北朝鮮

の情報統制はそれをよく示している。

また現在の日本も戦後の影響や反日

の影響で世界での常識な情報が隠さ

れることが多く、大新聞もマスコミ

も一部でしかそういう報道はしない

のが現状、その歪んだ状態は調べる

気になればわかる。ただ、陰謀論

などに肩入れする人はどうしても

その心情で偏ってしまうので、

あまり肩入れしない覚悟が必要。

それらを公平にこなしているうち

にわかることだが、戦争論のどちら

もその立場を表明しているので

どちらも正しい。そして、どちら

も心理的には相手に成否を委ねて

いる。支配は市民の暴動を恐れて

監視を強めるのは必須。市民は

生活の基盤は政府の指導にあると

考えるから、自分らがすることで

はないと、(自覚なく)見て見ぬ

ふりする。よほど追い込まれない

限りは、自由を求めない。

庶民的な自由の程度、それは幸福

の在りかなのだが、そこに落ち

着こうとして保守する、それを

維持しようとする。

それらが本来正鵠を得た知識で、

またそれらを本質から掴めば、

保守だろうと、改革だろうとその

全体図から幾通りにも解決案が

出て来る。そして、その現実は

そこからはほんとうの未知の問題

が浮かび上がることだ。以上。



なので、それら時間のかかる事項

はさておいて、今、念頭に置いて

おきたい戦争について初めに認識

したいことを話す。 認識すべき

は世界の富や領土への欲を恥ずべき

と思わない人たち=「戦争の遂行者

は戦争を必要とする者」たちだ、と

いうことだ。彼らにはそのために

常に敵なるもの・国が必要なので、

いなければ自ら作るだろう、敵国

を仕立て上げるだろう、という

ことである。

これが唯一の戦争が終わらない

理由だ。または大きな理由だ。

ジョージ・ブッシュ・ジュニア

大統領は9.11が起きた時、これは

「戦争だ」と演説で言った。断っ

たのだ、これから軍拡産業が儲かる

戦争を始める、ということを。

犯罪として処理するなら、戦争に

拡大する必要はなかっただろう。

実際にテロ組織が拡大していたに

しても、テロへの恐怖を拡大させ

る必要があったのだろう。

戦争の恐怖が身近である限り、

銃も砲弾も防御装置も、陸・海・

空で戦争関連のものが多いに売れ

る。だから、大量消費の代表である

戦争の必要程度の拡大と収縮は、

政策と戦略上の裏の必要事項なのだ。


それをどうするかのヒントもいる

だろう。例えば、ニュージーランド

は政府に民意が反映する機構を

採用しているようだ。この形態も

参考になるだろう。

社会主義国のキューバでは今でも

国民への支給は月3000円くらいで、

パンは1個20円、大学まで学費は

0円、性転換手術も理由がしっかり

あれば、これも0円、今でもそう

なのだろうか。

文豪ヘミングウェイ・ノーベル賞

作家は晩年の20年をキューバで過ご

した。キューバで往年のキャデラッ

クが走るのは車を輸入できないので、

修理しながら走らせているのだろう、

そんなキューバで彼はなぜ自殺した

のだろう?2度の飛行機事故で心身

の不調障害が原因?

脱線すると、連想は興味が尽きない。



探す気になれば、ヒントはいくらでも

ころがっている。戦争反対を訴える

声は当たり前に必要だが、戦争「賛成」

の人々の欺瞞・理屈を理解しないと、

僕らは一歩も進むことができない。

戦争の記憶を止めて伝える、という

子供の教育活動や戦争被害者が過去

に向かっただけの演説では拉致が開か

ないのだ。

僕らは戦争はなくならないと決めて

いる。誰に聞いたのだ?その名前は?

そういうように思いこんだというの

は、事実なのか、それともなくなら

ないという歴史上の事実が続いてい

るだけなのか?それを誰が決められ

るのか?君か?



座間市という街はある。事実として

動かない。だが、少し離れただけで

座間市も日本も一緒くたに儚く見え、

それが(または戦争が)あるという

実感が湧かない。


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器の雑念・古墳公園 [日記]

陶器の出来上がったものについて、

なにか話せばいいのだろうが、それ

がとんとわからない。

僕はわからない人間になったようだ。

先日、教室の隣の小屋で作品展示が

行われた。

作品に評価が集まったと聞いても、

それはなぜかと考えてしまう。なに

が評価になったのか、それは相手次第

の好みなので、初めからわからない、

と決めてかかる傾向がある。

油「絵」を描いていた頃はよかった。

決まったパターンがあって、思い

通りに描けない不満から、途中で

必ず、絵を潰してしまいたいと

考える。そして、ともかく最後まで

描こう、その上で最終判定をしよう、

と自分を宥めて最後まで描かせる。

それは大抵いつも成功して、思った

通りではないが、それなりに絵に

なっていると、数日で納得したもの

だ。

それが今、「もの」に巻き込まれて

からは、自分の陶器がわからない。

何がいいのか、好きなのか好きじゃ

ないのか、それさえ判断つきかねる。

謙遜は自信があるからできるのだろう、

と皮肉な見解にもなる。こちらは

謙遜の手前にもたどり着かない。

浮かんだアイディアをそこからデフォ

ルメして、即興で形にしていくのだが、

できるのは物の形だ。当たり前だが、

僕はその前で立ち止まっている。

白絵皿1.jpg

若い人はいない。(教室の生徒に)

おじさんおばさんの気に入った評価らしい。

僕にはなにが描かれているのか、僕の

思惑とは違い、まるでわからない。

なので、その評価がまるっきり読めない。

強いて言えば、どこがいいのかわから

ないのがいいのだろうか。

ぐい飲み3個-1.jpg

ぐい飲み 3碗だ。

左は大きさの目安でバラの花の造花。

カメラ目線の遠近で、大きさがずいぶん

異なって見える。

手前のが最も小さい。奥のと同じ

大きさに見えるが、奥のは右の一番

大きいぐい飲みとほぼ同じ大きさ。

直径で7cm。高さ4cm。小さいのは

直径も高さも1cm短く、低い。

どれも試しに作ったもので、同じ形の

ものを作るのは難しいと聞いて、やっ

てみた。確かに大きいのを作って、次

のは口と体の丸みが目に見えて違う。

三番目は粘土が少なくなって(ろくろの

上なので、継ぎ足しとかはできない)

器も小ぶりになった。

酒は弱いが好きでもあるので、ぐい飲み

は自分が飲むのだったら、他の形を

選んだだろう。だからか、いいも悪い

もない。今年は梅酒をつくったから、

たまには梅酒を入れて氷で飲むか。


こういう売れもしないし、人にあげる

のも気が引けるものが増えて、困る。

鑑賞するようなものではないので、

そんな風に置きたいとも思わないし、

棄てるか、と思うとろくろを回した

楽しさが思い出されるから、そこま

でしたくない、みたいな、困った

ことになる。千円で売っても赤字に

なるだけ。中国の飲茶セットで数万で

売っているが、ぐい飲み6個で1個は

2‐ 3000円だろうか。品質も絵柄も

もっといいだろう。手作りなら、廉価

だ。

つまり中途半端なのだ。結論が出た。

たたき割ってしまおう。

そして、金継ぎの練習をしよう。面白い

ことに金継ぎをすると、その手間だけ

で元の器よりも高価になることだ。

が、  である。

金継ぎはいいらしいが、そのよさが

わかる人は今、どれくらい居るだろうか?



傷跡に風情を感じるのは、やはりわび・

さびの日本人だからだろうか。わび・

サビは甲の(甲乙丙丁の基準でトップ)

ものだが、少しへなちょこはそれなりに

よく、なのでそれは乙なもの(おつな

もの)だと言ったのは、古田織部だとか

いうことだが、ホントか?それこそ、乙

なことを言ったものだ。

秦野の陶芸教室へ行く前に、教室に近所

の古墳公園に寄った。    つづく


<古墳公園で暇つぶし

ほんとうになにも考えないで

生活しているとわかる。

秦野の陶芸教室に第2東名を使って

行ったら、1時間早く着いてしま

った。これはおかしいと計算したら、

いつも電車・バスでその渋沢駅で

昼を食べていたのを失念していた。

それを車で来て、しかも高速にのっ

たので、より早く着いた。考えれば

当たり前な話である。日頃がいつ

着いてもいい、遅刻しても気にしない

という態度なので、いつもの感覚で

下道の渋滞で疲労しないようにした

だけのことだった。

そこでおにぎりと菓子パンを買って

おいたので、どこぞで昼食を、と

なった。

思い出したのが、一度訪ねた(小さい)

歴史博物館のある古墳公園だった。

教室から車で4,5分も下った処にある。


駐車場で降りると、飲料の自動販売機

の前に赤い実がたくさん落ちていた。

見上げた樹の葉っぱの中にまだたくさん

実をつけているのが覗いていた。

なんだろう、濃い赤で野イチゴの小さな

ような?ー で、 終わった。


暑い日だったので陽射しがある。この

公園は隣のイノアック技術研究所がある

が、その前にあった企業の用地造成で

古墳群が発見されたものらしい。

未踏査が12基とか。古墳公園に6基ある

が、残り6基は隣の企業の敷地内だと。

7-8世紀の古墳群で、1974年に発見さ

れたらしい。今の公園にまで整備された

のは1990年。

平日の昼で、高齢者が全員女性で、公園

の石畳から、芝生から写生をしていた。

10人くらい居たろうか。日陰を利用して

いる。スケッチ愛好者グループ?

古墳公園1-1.jpg

復原した古墳::


穴がある。ワクワクする。入ってみる。

すぐ暗くなるし、すっぽり暗闇に包まれ

ると、一瞬恐怖が来た。誰でも来る。

すぐに気を取り直すと、一瞬でも縄文

人?(7,8世紀には居ない)を感じるが、

気を取り直すと、進んでみる。突き当り

があった。ほんの5mだった。

目が慣れて、奥の壁には多少漏水して

いるのがわかった。コンクリを使って

いる。不手際な工事だ。復原と言って

もこれでは飛鳥人より技術が劣る。


他の古墳はそのままだが、さすがに

年月が経っているので、樹木がにょき

と生えて、数十年ものの太さだ。

二本生えている基もある。

古墳公園8-1.jpg

その横には南国風の樹木があり、タイサン

ボクと聞いたことのない名前がぶら下がっ

ていた。モクレン科だそうで、見ればなる

ほどモクレンに似た花がきれいに咲いて

いる。

古墳公園7-1.jpg

実まで落ちていた。

古墳公園9-1.jpg

落ちていたので拾って来た。


あとはまた歴史博物館に寄ってみた。

好きな人は嬉しい埴輪や器がある。

7,8世紀の古墳にどうして縄文土器が

あるのか、これは桜土手で発掘された

ものかもしれない。

ざっと、並べてみる:::

古墳公園5-1.jpg

古墳公園3-1.jpg

古墳公園4-1.jpg

古墳公園2-1.jpg

他に一人ではとても持ち運びできない

大きな尖頭土器もあった。

教室の先生と話して、昔は鉄がなかった

から、鉄の台座に置いて器の下から火を

当てることができなかった。それで倒れ

ないように底を尖頭にして、地面に刺し

たのだろう、という結論に至った。

はじめに訪れた時に古墳はただの墳墓

というより小さな丘の地面だった。

しかし、

今回は1年弱だろうが、違った。なにか

興奮するものを覚えた。そして、いい、

と。もっとも持続はしなかった。勉強

不足だろう。古代へ思いを馳せる回数が

少ないのだ。

すべからく、習慣が人をつくる。

いずれまた、どこかの古墳や発掘群を

ちゃんと踏査するのではないか。

ともかく、学術・工芸については気が

多い。からといって、それに専念する

気もないし。



 猫のごとしは、惰眠のむさぼり

 (もっとも一日14時間も寝ないが)




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豊かさの自然なものの批准 [豊かさ]

ものというのは、未だに深まる

謎であるのをやめない。一方で

ことは半分以上は数理や論理、

架空の現実や事実をつくろうと

試みて、精確な偶像をつくるのに

成功しているように見える。

それに比べてものの感覚を批准

することは容易ではないのだろう、

条約ではない自然の法則じみた

条約を僕らは自然の臣下として

その可否を批准して同意を与えら

れないのだ。

それがわかりつつあるのは、こと

の真理という枠がすっきりした

透明の枠のように見切れる可能性が

見えてきたことに拠るようだ。

ものに善悪や上下関係、利益相反を

範箇条のように理(ことわり)と

して求める者はいないだろう。

花が美しいのには、花の罪がある

とは思わないのと同じだ。

物はあるものとしてある。これは

当たり前すぎて、疑問に思えない

ほどだが、そこには「なぜ存在は

存在するものとしてあるのか」とは

僕らの知性の前提として問えない

からだ。問う前から存在している。

僕らが存在しなければ、問いは存在

しないのならば、問いの根源は僕ら

の知性がそもそも現れたからに他

ならないだろう。

ここで言うのは、そもそも名づけら

れた数字や言葉の関係性ではない。

それは知性が名付け親なので、問いの

根源を問うまでもない。言われている

のはそもそも在るものがあることの

意味を問おうとして、それが前もって

問えないと意識されていることだ。

例えば、痛みは僕らの問いでは神経

の感覚器官を以って感じることが

答えになっているが、その器官を

解剖でもって取り出すことはできる

だろう。

しかし、それは痛みだろうか。

どうして体を傷つけられると、痛みが

伝わるのかは分かった気でいるが、

それがどうして「痛み」なのか、

痛いのは嫌だから、軽く「くすぐっ

たい」でもよかったのではないか。

僕らはそれを問わない。問えないと

意識の前提で承知しているからだ、

たとえ無自覚だとしても。


だから、ものがあることの根源と

しての、その前提というのは謎の

一言なのだ。僕らはその現象に

名前や数値をつけて、そのレッテル

から他のレッテルを比較して、その

間の様々な関係についてのルール

や法則を見出したと思っている。

光そのものとは何か。電磁波は

なにか。電気はそもそも何なのか。

それを答える科学者はいないし、

神秘家でもいないだろう。

肯定も否定もない。それをまず

認めなければ、僕らの存在も危うく

なるのだから。僕らは電磁波の投影

体のようなもので、完全に実体は

ないとしたら、僕らの心身・社会の

道徳もルールもあってもなくても

いいものになってしまう。

僕らは生き始めてから、考えてい

る訳で、前もって生きる世界を

規定して、条件をつけて、記憶

だけなくして生まれてきたので

はないだろう。

もしかして、親も選んで生まれ

てきたのだろうか。もしくは、それ

さえも選ばされて誕生しなければ

ならない事情があったのだろうか。

そこまではもう考える範囲を超え

ている。空想や架空の語りと同じに

陥ってしまう。

ただ、物の根源を尋ねたら、の話だ。



どうも僕はものの謎という虚に嵌って

しまい、もがいて自由になろうとし

ているようなのだ。濱田庄司の器が

すぐにいいと思い、それは益子に

行っても間違えなかった。そして、

人間国宝だと知り、陶芸家に毛は

生えていたくらいに思ったが、著書

の「無儘蔵」を読んで、同じ食欲

にたどり着き、共有した、と思った。

今はこのことに言及する人を発見

するに至っていないが、どこかに

はいるのでは、と思っている。


僕は思う。ものに至るのに、他の

感覚の道があるはずなのだ、と。

それさえ見つければ、比較の材料

になるので、分析が可能になるはず

なのだ。

そうは思っていても、このものの謎

というテーマの塊に出会ってからは、

今までの思考のテーマや思考の壁に

なるものがはっきり見えるようで、

知性の分野がまた別な視野から眺め

られそうだとも思うのだ。

その一部はすでに書いたが、さらに

その延長と拡大はすでに視野に入っ

ている。

海で泳いでいた者が、蟻地獄に

はまり、砂地に吸い込まれ、泳ぐ

ことができない状態で、かえって

海で泳ぐ、川で泳ぐのはどういう

ことなのか、はっきりするような

ものだ。感覚にも知的に頼れない。

頼らずに、思い切って、地獄に

飲まれるつもりで、その状態から

逃れようとしないことだ。

それを思い出した。これまでいくら

でもそういう窮地から覚悟しても、

忘れてしまうものだ。習慣で身に

つくというものではないからだろう。

冥界でバランスを得た者は死を以っ

て生きんとしなければならない、の

だと。



社会の生でバランスを得た者には、

またそれなりの生活法がある。

その意味では僕らは公平なのだろう。

生活習慣は後天的に就くものもある

だろうが、大きくは生まれた時から

始まっている。生まれてから意識し

ない間に身に入った習慣・習俗がある。

現代の僕らには平安時代のしあわせ

は貴族や庶民などそれぞれ違うだろう

が、似たような身分でもそれを同じよ

うに感じるのは、たぶん、できない

ことなのだろうと思う。

意識の格差というのはそれほどの

ものと認識しなければ、僕らは僕ら

を知ることはできないだろう。

たどれば、僕らは人間で、たどれば

僕らは動物で、それは生物か植物か

微生物か昆虫か、わからない時代も

あったのだろうか。もう「もの」

としか言えない時代も。

そして、こう言ってしまったから

にはいつのことか知らないが、それを

探索する時代が来るのかもしれない。

飛行機に挑戦した時、人々は空を

人間が飛べるはずがない、常識で

考えればわかる、と言っていた。

僕らはそれをやってしまう種族なの

だろう。

ものの謎は?

昔の人のように、否定的にならざる

を得ない、― のが今の心情だろう。

考えても詮無い。



そういう時にむなしさを覚え、思い

出すが、それを思いやれるのは情で、

悲しみだろう。十分な時間が経てば、

儚さについての過去の悲しみはせつ

なさを裏にして甘さが沁みる。

人によっては逆で、むなしさを裏に

してせつなさが沁みるのだろう、と

想像される。

僕にもそういう二人の心情の交歓が

行き交いするようになったようだ。

ここで思い出されるのは小林(秀雄)

の「本居宣長」だ。宣長は源氏物語

の芯を「もののあはれ」と看破した。

それは僕が日本人として感じてしま

う儚さという哀れ、ものの悲しみ

だろう。

この稿を書いて、1時間経ち、結び

ついて思い出したらしい。底辺の心情

はそこから離れるようなものではない

ようだ。

人間は豊かなものなのだ。






::

BGMはショパンのトスカーナ4Kー

春のワルツ、 と並走して書いた。



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シャンデリア・Sorrow [詩]

甘い蜜の入った 悲しみなら 

よく 知っている 

もう あるべき悲しみは 

この世には あっても 

僕のものでは ない 

と 

そう思っていた 

nothing  gon'na change

my  mind ・・・

というメロディは それを 

壊してくれた 

それは  初め 

キラキラ していなかった 

突然、 悲しみだった 

ここにあった と 

その瞬間に 悲しみが 

結晶に なった 

パキパキと 固まり 

ガラスが  牙を 立てるように

なつかしかった 

ここに あった 

このメロディと ともに

この頃の僕の  悲しみが 



なんと  きれいな 悲しみだろう 

透明で  キラキラで 

シャンデリア だった 

もう 届かない  と 

なにも できない 

あきらめるしかない  という 

カラカラに 乾いた 喉 

そんな 気持ちが 

あったんだ 僕にも 

I  can  rule 

  day  la ・・



ひたひたと  誰も通らない

道を 

一人で 歩いていたと 

遠くから  鳥瞰するように 

孤独が  身に染みていた 

この 悲しみは 

誰にも  伝わらない 

誰にも  知られない  と 

割れたイメージに  自分を

傷つけて いた  



それが  あまりにも  

なつかしいのは  

なぜ  だろう  

あたたかく  迎えているのは 

どうして  だろう 



僕は  悲しみという

過去の 映画を観て 

懐メロがって  いるのだろう 

過去は  輝き 

こんなにも 存在感を 

増している 



これだから  人は 

祈ろうとする 

その大きなものに  すがるように 

その尊大で  偉大な 形に 

寄り添うことで  

安らぎを  得る  

そこから 少し 離れているが  

それが  わかるよ  

よく  わかる  

僕にも  勧めるのも  

よく    よく  

わかるよ 



僕にあるのは 

完全に  埋まらない 

底なしの  その底もない 

永遠に 広がる 

夜の  透明さがある 

空気もない  透徹した 

凛とした 

張り詰めた 世界 

それは  僕の意識が  

張り詰めて 反射されたから 



宇宙が  どれだけ  広くても 

埋められない  

終わることのない 

永遠は 僕らの 序章に 

過ぎないとさえ  見える 

僕らの  感覚には 

ほとんど 引っかかりもしない 

コンマ 1mmの  鉄板が 

心臓を スライスするように 

すり抜けて  ゆく 

途轍もなく  僕ら人間を

拒否するように  見えるが  

僕らを  問題には 

していないの だろう  

そういう杞憂が  そもそも  

僕ら  人間だと  

教え  諭すようだ 



この悲しみは  深くも  

浅くもない 

ただ  ただ  

僕らが  生まれる前から 

そして  僕らが 滅びても  

変らずに  ある 

これからも  人々に 

その印象を  残して

続いて  激流を 下るように 

すべるように 

音もなく  速く  流れるのだ 



時々 

その 端が  小さく 

キラキラ  輝く 

不思議だ  ここにいるのに 

あそこで  シャンデリアを 

見ているのは  この僕なのだ 

それは 

僕が  なんでもない 

ただの ものである時 

僕は  感じる  

僕は  ひとりではない と 

それは  何人とか 

大勢 いるとかじゃ ない 



僕は 

感じる  



すべてが あって 

それは 気がつくことができない 

できないのに 

そこにいる と 

その時 

>>>>> <<<<<


僕は 


<<<<< >>>>>


すべて  


<<<< >>>>>



それに  なる 




僕は  それだ 

この世を  包むような 

その 世界という  すべて  

その  すべてという  

一体が  ・・・・



その すべてが  ・・・・

・・・・・

・・・・・



・・・・・

( 眼にたまる 水を こらえる )



たしかに  

僕は ユニバース、 とか 

言えたりもする  かも 



もう  悲しみは 

消えてしまった 



でも 

過去の  君たちは 

いたよ 

今でも  それは  あるんだ 

小さいことが  大切なんだ 



遠く   遠く  



はるかに   はるかに  



僕らの  生命は  

なんと  愛らしいのだろう  

愛しい  君たち 



この世の  星たち 

シャンデリア 

破れゆくと  想う者たち 



なんと  きれいな 悲しみだろう 

透明で  キラキラで 

シャンデリア だった 

もう 届かない  と 

なにも できない 

あきらめるしかない  という 

カラカラに 乾いた 喉 

そんな 気持ちが 

あったんだ 僕にも 

I  can  rule 

  day  la ・・



ひたひたと  誰も通らない

道を 

一人で 歩いていたと 

遠くから  鳥瞰するように 

孤独が  身に染みていた 

この 悲しみは 

誰にも  伝わらない 

誰にも  知られない  と 

割れたイメージに  自分を

傷つけて いた  



それが  あまりにも  

なつかしいのは  

なぜ  だろう  

あたたかく  迎えているのは 

どうして  だろう 



僕が  なんでもない 

ただの ものである時 

僕は  感じる  

僕は  ひとりではない と 



僕は  それだ 

この世を  包むような 

その 世界という  すべて  

その  すべてという  

一体が  ・・・・



その すべてが  ・・・・

・・・・・

・・・・・



・・・・・
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ジェンダーギャップ指数と自分 [男女格差]

ジェンダーギャップ指数は世界各国

の男女格差を測って指数で表した

ものらしい。日本は125位で、過去

最低の順位になったと。

それはよくない的な雰囲気でニュース

が伝えられたが、見かけはそうだろう。

男女格差があるのはいいことではない

だろう。しかし、それが自然状態だっ

たら、一概にそうも言えない。

ある会社のビルの受付嬢だったか、

バイトだったかどうか忘れたが、それ

よりもその受付嬢からその会社の社員

になり、ついには社長にまで上り詰めた

アメリカの女性がいた。

当時では大変なことだったろう。女が

男社会で最初にぶつかる壁は上下関係が

お互いの関係の根幹をなすということだ。

男は生徒や学生時代にスポーツなどに

代表されるクラブ活動でそれは当たり前

に厳しく指導されるから、それを中心に

仕事で動くのだが、それを理解しない

新入の女性は上司に文句をよく言う

ようになる。それを横の平等関係で

対応してしまうので、出世の道は自然に

閉ざされてしまう。それを男の横暴と

勘違いしやすいので、誤解のまま批判

することになる。

アメリカでは独立の自立心が生活の

根幹にあるから、女性もその立場から

自分たちの主張をしやすい。意識が

自立しているし、女も平等に扱われる

べきだと考えるからだ。

しかし、日本の女性はどうだろう。

少数の女性評論家などは男尊女卑を

挙げて、男社会を批判していたが、

ポルノ映画の監督に言い負かされて

からテレビにも出演しなくなり、

性暴力の否定は正しかったのに、

そのまま消えてしまった。

日本ではアメリカのようにウーマン

パワーとかウーマン・リブの運動は

起こらなかった。

これは多くの女性がまだ自立的では

なく、女は裏から男を支えるなりして

コントロールするほうを支持している

からではないか。それほど男に卑下し

ているとは現在感じている女性がそれ

ほど多くないからではないか。

その例として、僕の最寄りの駅は相鉄線

であるが、痴漢対策なのか、女性専用

車両が1両ある。初めは先頭から3,4番

目の車両だったが、数か月で最後の車両

に変更になった。

男も女も誰も異を唱えないのだろう、今

も引き続き運行されている。が、フランス

の女性はそれは女性への侮蔑だ、みたい

に言ったそうだ。なぜ親切に痴漢対策の

車両をつくってくれたのに、異を唱える

のか。それは欧米の女性が自由と独立の

精神を標榜する文化の国に生まれたから

だ。

男女平等であるからには、それが虐げら

れるのなら、自らも立ち上がらなければ

ならない、と身に染みて考えるからだ。

フランス革命の国の女性らしい。それは

単に考えではなしに、生活の伝統・習慣

から自然に出て来る。

だから、女性専用車両に女性が追いや

られ、押し込められたように思うのだ。

痴漢対策であるのなら、痴漢への直接の

対策をすべきで、女性に逃げるような

ことをさせるべきではない、それでは

痴漢のほうを認めるようではないか、

ということだろう。

なので、日本の女性はそういう自立心

の環境がないということになる。会社

の上下関係で苦しむ女性社員がもっと

自由に仕事がしたいと望む時に起こる

ものだろう。

それが熟してそういう時期が来るか

どうかはこれからのことだろう、という

ことで、ジェンダーギャップ指数の

数字が125位というのは、順位が低い

から、日本は文化後進国だという意味

ではない。

世界は徐々に社会が女性化してきた経緯

があり、今も進行はしているが、その国

の事情などもあり、指数だけで文化の

進行序列などはつけられるものではない。

セクハラ・パワハラ・モワハラという

新しく微妙な傷害罪の概念が出てきて、

それほど日は経っていない。

これから慣れていくのが僕らの生活に

なっていくのだろう。それらが新しい

僕らが自分というものに備え付けるもの

になる。だから、世間は自分というもの

の集団を指すのであるし、意識も変えら

れてゆくのが、自分という世間なのだ。

自分と世間は重なった部分では同じで、

はみ出た部分は集団と個人の差でしか

ない。それで、自分を知ることは世間

を知ることでもある。

例えば、虐げる者がいれば、虐げる者

の立場や感情を許すというのではなく、

理解しなければ、僕らは同じ自分と  

闘っているに過ぎない。

そこを吟味しないと、僕らは知らずに

独りよがりに陥ることになる。ジェンダー

ギャップにも戸惑うことになるのかも

しれない。


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誕生から7000年以上経ったもの [精神]

僕にできることは、あと何が残って

いるのだろう、と考える。わざわざ

考えると言うほどにできることをし

たくなくなってゆく自分を感じる。

生産をする、表現をする、という側

から今はもう、それらを社会や人に

限らずに、自然でも楽に楽しみたい

という願望のほうが多い。

文明や現代の文化から遠ざかることを

少しも苦にしない、苦にならない

自分がそこにいる。

ありのままを危険と考えることができる

下地がそこにはある。生きていることが

生きようとしなくても楽しいと感じられ

る心身の環境がそろって備わったような

感覚なのだ。

博物館や美術館というと心躍り、行きたい、

見たい自分がそこにいたのだが、それが

生活の日常の場の楽しみとそれほど格差

がなくなってきたと感じるようになって

からは、たとえどこに行かなくても、

行けなくても、それが大したことでは

なく思える。

目的や追求や挑戦はそれなりに興味を

そそるが、それがなくてはという気持ち

からはかなり遠くへ来てしまったようだ。

それは自分の生活から文明文化の華麗な

芸術や美術、文学・学問知識、その作品

群を除いてしまってもさして問題には

感じない心を表すようだ。

自然が芸術も民芸も差をつけるという

ことがないのはそういうものだとしても、

人がそういう風になってしまうのは困った

ことだ。

いいものに対するかなりの自信というプラ

イドがそこではなくなってしまう。逆に

“何でもいいもの”でも構わなくなって

しまう。区別が付けられなくなって、区別

がつかないという状態になるようだ。

たぶん、ある作品について尋ねられれば、

そこで口を開いて見ているものの印象なり

感想なりが出てくると思うが、それは初め

から意図した言葉ではないのだろう。

そういう世界が、実に、 ここにある と

しか言えないが、それが何かとは言えない。

それに価値があるとか、意味があるとかは

関わりのない事柄だからだ。

僕はこの生活に安住しているのだろう、と

思われるかもしれないが、そうではない。

意識は絶えず、もう一つの視点から眺める

からだ。夕方に自室で夕食の時間まで仮眠

をよくするが、目を覚まさせて、階下に

降りて行きながら、感じるのはどこかの

旅館で夕食の時間になったので、食堂へ

向かう時の軽い緊張だ。これは生活に

あぐらをかいている態度ではないだろう。

これまでも自宅を自分の家として感情的に

旅行から帰る折に郷愁とかのあったかい

家に帰る、とかの感想をしたことがない。

どこかで仮の住まいと思っているからだ。

心はホームレスなのかもしれない。

いつでもしあわせをつくれる生活という

のは、しあわせな生活を土台としては

いないだろう。しあわせなら、新たに

しあわせを作る必要はないからだ。

小さな不幸や遠くの多大な不幸を対比

させて、(それに比べれば、と)自分

のしあわせを感じるきっかけにするの

だろうから。

なので僕には人が幸せにナリタイという

気持ちが心底からはわからないようだ。

どこに居ても、どんな状態でもしあわせ

はありふれて、どうにでもつくれる気が

している。

そこでこうも言える。僕はしあわせになり

たいと思ったことはない、いつでもそれを

チョイスして、なれるからだ。むしろ、

しあわせにはナレない、しあわせである、

という状態がどういう心か知っている、

わかっているから、なりたいとは思わない。

自由でない人間ほど自由にナリタイと

主張するのと同じだろう。



心が紀元前5000年以上前に誕生した頃、

想像してみたまえ、まだ心についてなに

も知らない頃、それは明るくて、くった

くのない爽やかなものだったのでは

ないか。だと、賛同する考えになるなら、

まだそれを取り戻すことができる。

でも、それから現代は7000年以上経っ

てしまっていて、気持ちさえも考え

(という文明文化)の支配の傾向から

逃げられなくなってしまっている。

人間の知性の進化を選び続けるしか

なかったと気持ちでさえ言い訳する

のだろう。

僕らはそういう処にいる。




::


この稿では心と精神を区別していない。

心も精神によって形にされるからだ。

微妙なことを詳しく説明しても、逆に

わかりにくくするし、また実際に両方

のあいまいな部分もあるので、その

ままにした。
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