SSブログ

妄想めいた進行(ひと言だけ、その後のフロー) [妄想]

丁寧な言葉というのは、意識できない気がする。どういう

ことか? 自然に相手によって言葉遣いを変えるという 

習慣が身について、意識しないで切り替えているようだ。

怪しげな敬語も使う。 

Need You Now を聴いていて、曲はいいと。和訳の歌詞を

偶然見て、白けてしまった。愛は男と女の劇をベースに

それぞれの心に意訳されているのだろう。そう見える。 

僕の中心はそこにはない。それがふつうとは違うのでは

ないかと、気づかされたが、そうなのだろうか。

僕には体の要素は強く感じられる。恋が心のものだとは

少しも信じていない。体の感覚のものだと思っている。

心はむしろそれに錯覚させられる、騙される、ということ

だと。 それが美しいのだと。だから惑わされる。それが

魅力的で惹かれる。騙されるしかない、そういうものだと

思っている。そこでは迷う場面があって、あり過ぎるほどだ。

しかし、迷っているだけなら、実は悩まない。悩むのは、

どうしていいか対処の行動がわからないからだ。それは

錯覚の中にいるのだから、当然の帰結なのだが、失敗

するしかない。その中で恋を成功させることは不可能。

そう覚悟してしまうのがいい。僕らはそうできているの

だから、小利口に構えてもしかたないのだ。ただ、相手が

それを見越して、それを利用することはある。その時、

僕らはその正しい忠告を聞くことはできない。信じられ

ないのだ。すでに心は決まっていて、それを認めるのに

時間をかけているだけなのだから、結果は見えている。

周囲を悲しませるくらいのことなら、しかたない、想定内、

と諦めなさい。それ以上になる場合が予想できるなら、

それはとても慎重にならないといけないのだが、難しい。

その時、自分の気持ちを裏切って、それを確かめる

勇気が必要になる。大金を渡す時、大事な契約に印を

押すときは一人で決めない。バカバカしいと思っても、

それを押し切って、確かめる。その困難に打ち克つこと

が、自分の気持ちを信じすぎない限度を知ること。 

それはこの先きっと必要になる。 と、ふつうにすべてに

言えることを書いたけれども、今はオレオレ詐欺の応用系

の詐欺が多く、これに当てはまるのに気づいた。 

つまり、それほど僕らは自分は大丈夫だと思っていることで、

そう思う人ほど、実際を知らない。困難は自分を信じないで、

気持ちを切り替えることは思ったよりも、できないことなのだ、

と誰もが認識に不足していること。その時を振り返って、

自分の考えていることに、実際の経験が伴っているかを

確認しておくことは役に立つ。できれば、自分のそういう

座右の銘にどれだけ自分の経験の裏打ちがあるか、チェック

しておくことが望ましいのだが、・・・。 

僕らは感動したことを信条のように心に留め置いて、信じるが、

映画でも小説でもそれらは撮り方、書き方がある幅、ある表現に

限定されている。しかもその範囲で感動するように撮ったり、

書かれたりしている。それが監督や作家の技量というものだ。 

僕らは恋に落ちるように、それらを見たり、読んだりしたがって

いる。そういう前提が自分の内にあるのを感じないだろうか?  

静かに見つめてみれば、感じているのを、その期待を感じる

はずなのだが、 ・・。 

そういう僕らの「自分」が、恋に落ちる。それはこれは確実な

投資だと思い込んだり、息子の危機を救いたいと思う、その

人道のイズムを親の役目だと思い込むのも、そういう前提を

心に持っているからだ。 

僕らのこの憧れは古い。遥かに昔から僕らはそういう自分に

憧れてきた。なのでそういう期待がされる機会が来た時に

それを裏切るまいとするのだ。そして、罠の中に飛び込んで

しまう。いついかなる時でも、急ぎ過ぎることはない。待つ。

少しでいい、待つ。短い時間で、それを確かか、確かめる

方法を考え、それをする。 

恋に落ちたら、それがまったくできなくなる。だからこそ、

それに騙される経験はとても貴重で、常識的に限度を

越えなければ、それに騙される必要がある。わかる

だろうか?  僕らが世間体や暴力に弱いのは、そういう

経験が少なすぎて、経験から学ぶ機会が少なくて、それ

から身を守る方法にたどり着くまでの習慣がないからだ。 

あの人のことを想うと、もう胸が騒いで、高鳴り、涙ぐんだり

さえしてくる。それは少しもクレイジーなことではない。 

僕らの体に備わった生物的な精神作用で、ちゃんと体内

では化学物質がホルモン関係?にか、放出されるのだ。

酒を飲んだら、酔うように、それも僕らをそれなりに狂わす。

そして、酔いたい時があるように、僕らのほとんどは恒常的

に恋に落ちたいのだ。滅びると知っても、その火に焼かれたい

と願うのだ。― 眼が覚めるまでは。

(ここからひと言がふた言に・・・)

そういう意味でなら、僕は何度も死んでいる。そして、その都度

死に損なっている。うまく逃れてしまうのだ、自分の意志に

よってではなく。それはその夢の中に、百年も千年も自分の

過去が望んだものの遺影や、カスといったものが匂うから。 

それから逃れられずに、僕らはさ迷う。心が涸れるまで泣きたい。 

もう失ってしまったもの、取り返しのつかないもののために。 

僕らは祈りを捧げる。 

強い精神はそれらを避けることを知っている。そして、行き過ぎ

てしまう。気持ちを無視しても勝ち続けようと思う。頂点が目的

になり、そのために策をめぐらせて、犠牲者を作り、それを無視

するのを信条にする。そして、最後はヒトラー、毛沢東、スターリン

など、他の数多の人々がそれに中途に連なって、最後に愛に

飢えてしまう。

僕らはどちらの方向をとっても成功は叶わない。全体でそれを

得るという方法はない。恋や投資でブレイクしてしまうか、

第一人者や権力を求めて適当に留まれず、裏切りか愛の飢餓

に陥る。これは綱引きではない。どちらにも解決の方法は

初めから「ない」ことに依る。 

小さな幸せはそれだけで十分、美しい。僕はそれを忘れない

ようにしている。いつまで経っても僕らは諦めない。次はうまく

やれると思うから。そういうことであるなら、ことは楽だが、

次はもう条件が変わっていて、それまでの経験を応用させる

だけでは不十分なのだ。それで十分な例はある。それは

その人とその成功の方向が合致している時だろう。それなら

僕らはいつでもうまくやっている。頂点は振り子の極点の

ようなものだ。そこまでで後はない。そこからまた逆に振れる

ようになっている。その自然な成り行きには逆らえない。

頂点で留まれるのはそう長くない。それは個人の力量の

問題ではなく、全体の流れに逆らう問題だからだ。どんなこと

をしても逆らいきれない波が来る。彼は一番大事なものを

犠牲にしなければならないだろう。一人で支え切れるような

ものではない、バランスがある。     

今、君が必要だ、今、君に逢いたいのだ、と切に思っても

彼女の運命をコントロールできない。できる時に、できた時に、

またその時に調子を整える。愛だけでは僕らは生活できない

のを知っている。そして、愛だけの生活ができても、それだけ

では愛を維持できない。愛はそうやって育てられないからだが、

僕らの生きる意欲との犠牲を伴う調整がどうしても必要だ。

ドラマで見るような必要な節制は惹かれている時にはそうでき

ないだろう。絵にかいた餅という昔の言葉があるが、知って

いても役に立たないだろう。

夏目漱石は I Love You を私はあなたを愛しますとは、日本では

訳さない、月がきれいですね、と訳す、と東大で学生に教えたそう

だが、笑い話ではなく、実は理に適っているのだ。愛はむさぼれる

ほどに長持ちする薪ではないのだ。じれったいほどに。 

僕のように短気では育たない。相手が夢で隣にいるので‐は

なにか事情があるのだろうが、・・・。 

語れることが多い各章のことに気づくとともに、全体にかかわる

結びつく肝心のことの等々がまだ見えない。こうしていても

ただ書いているのではなくて、そこからしか見えないものが

見え始めるのがわかる。

誰かが、だから書くのよ、と言っているような気がする。僕は

まだこのコントロールされた生活をまだ続けるようだ。

僕の好奇心という謎好きの肝を掴まれているらしい。そう思う

と、自分で納得がいく。

まったく。どうすればいい、というのか。誰か他にできるのだろうか。

もどる場所もない。大まかな計画の下でさ迷うことをしてきた。

どう進むとか、どう後退するとか、できないように歩いてきた。

そうではないか。そんな判断はいらないと、僕は抜け殻の自分

を道具にして、予感も直感も頼りにせず、街にあふれている

人生の交通標識のようなものは振り捨ててきた。もうどこを

歩いているかではない。 

僕は、・・ 僕は、 ・・ 死んでいないのはもちろんのこと、

生きている気もしない。死からの開放としての生の喜びと

いうテーマ、そういう生活も明るく振り返れる、ただの過去

として。 

なにかあるはずなのだ、この生きていられる手ごたえが、感じ

られなくても。現に、生きてるじゃないか。どうすればこの

歯がゆさを、  どうすれば?  おいおい、  歯がゆさの

理由がわからない。ただ(感覚が)あるだけなんてないだろう。


こういう僕が、 ある。 これは何なのか? 

なにも、 苦しいわけでもない。  悲しいのでもない。  

これは 何なのか?  

君は  そこにいるのか?  ほんとうに  いるのか? 

ほんとうに?  よく聞いてくれ、僕は言葉をひとつ、ひとつ

噛みちぎりながら、 聞いている。 

ああ、   うう、    君も  いるのか? 


I  Need you  now 

君が  必要だ、 という 叫びが  聞こえる  

聴こえる、  

そうなのか?  

これ以上、  人間で いられない  

これ以上  むなしさで  いられない  

これ以上  そういう僕では

いられない  

そうではないか  

自分のためではなくても  

君のためかどうかも  もう  

わからないよ  

僕は  どうにもなっていないよ  

でも  

どうなっているんだ、  

空気が、  酸素が、  

足りない  

水が、   愛が  

足りない  

光が  あたたかさが  

足りない  

このまま  僕は、  

このまま  僕は、  

ああ、  うう、   

話していた、  あの頃  

何を  ・・ 話していたろうか? 

コロラド州に  世界一の  

バンジージャンプが   あるらしい 

400と 何m、  だったろうか  

そこから  飛びたい  

今   飛びたい  

アイム、 ナウ  

Oh,  おおお、  おうおう  

How を 知らない 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・ 

大漁、  

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

イントロ、 

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

And  I  ワンダーぁ 

僕は    たぶん  

これまでの  いつよりも

僕、 を   知っているよ  

これが  

この姿が 、 ・・ 


fu、 u、
 
これまでの  いつよりも

僕、 を   知っているよ  

 
これまでの  いつよりも
  
これまでの  いつよりも

ああ、  

これは  何か? 

これは  なにか 

これは  

・・・・  




:: 
妄想めいた進行と、浮き沈みの中から、 

触れるはずのない心の裏を、そのあり方を 

直接に感じた、というだけのことです。
nice!(10)  コメント(0) 

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。