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安楽な場所はない [安楽]

人がここぞという時は、僕はここで  

諦めるとか、やめてしまおうという時  

だと思う。諦めてしまえば、それで  

楽になれると考えるが、それは法則  

に反する。ブレーキをかけてしまえば、  

そこからダウンしてスローに気楽に  

やればいい、というのは考えであって  

現状には合っていない。大抵は急な  

ブレーキになって、つんのめる。最悪、 

転んでしまうのがオチ。傷でも負えば、  

そこから立ち上がるのに、それだけで 

遅れに遅れる。元の気力も取り戻せ  

なくなり、大幅にスローダウン、後ろ倒し  

になる。  

だから実は、考えた楽な場所はやって  

来ない。ブレーキを踏む場所ではない。  

むしろ、そういう時こそが踏ん張り時で  

ここぞという時に当たる。

そう、もうここまで、と諦めかけた時こそが  

実はここぞという踏ん張り時なのだ。  

安楽な場所はないのだが、ないこともない。  

それはここで踏ん張ろうと決めた時に、  

力をためる場面になる。で、発進するの  

だが、その溜める、短い時間がこれから  

という期待感が一番高まる。その短い  

時間が意外に安楽な場所になる。  

そう、ここで終わらない。まだこれからだ、  

という時、それが何であっても、強さになる。  

適度なコントローラーになる。  

新鮮さという気持ちの力は、そこから生まれる。  


ふと、窓から新月を迎える三日月が出ている 

のに遭う。ちょうど底の部分が三日月で  

これでは新月に向かうのか、新月から太る  

のかわからない。真下にゴンドラのようだが、  

ようく見るとわずかに左側だろうか。それで  

新月を迎えるとわかるくらい。珍しい。  

新月は月の始まりだ。そういう時に始まりの  

ここぞを書くのだから、僕らはそういう自然に  

支配されているのだろう。どこまでが自分の  

意志なのか、あまり信用できない。  

思いもかけず、そこの窓から見える短い  

時間に月に遭遇する偶然に、やはり、人間は  

生身の感覚なのだ、と感想する。 こんな時間  

に起きているのは滅多にないのに。ほぼ新月  

に出会うとは。 

もう5時になる。眠い。寝かせてもらおう。


(やがて月が上昇して、隣の家の庇に隠れて  

しまう。たった17分のショー・遭遇だった。)



::
跳ね飛ぶ前の、一瞬の屈伸。その静止した時が 

思えば、安楽な場所になる。次はもう、跳んでいる。
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