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城、春にして草木深し [日本]

語ることはいくらでもあるが、語る

「べき」ことはほんとうにあるのか、

未だよくわかっていない。

ないらしいことは、感じるがそれが

確たる姿を把握している、という訳

ではない。それならどうしてこんな

事情になったのか、と思う。

この物足らない、そして不可思議な

感じはいつもあったようだが、それ

は闇の責任に転嫁していたので、特

に考えたことはなかった。

ありのままでいい、とか言われるが、

それはほとんど不可能なことを指して

言っているのではないかと、考えて

しまう。

地球があって僕らの生活が続く限り、

ありのまま自然に任せるのは、困難

に思えるが、その日暮らしをしてい

る原住民はいて、文明のテントとか

見せても、我らには必要ない、と

笑いながら言う。

森を移動しながら、食物のなる木を

求めて同じ季節に同じ移動をしてい

るのだろう。食べ物を探して一日は

暮れて、調理にも手間がかかるので、

キャンプと同じで食事をするまでに

時間がかかる。そうして一日は暮れる

し、それがくり返されるのだが、彼ら

はそれを黙々と繰り返すようだ。

食べ物の保存には気を使わなくて

いいだけの天然の食料は手に入る。

しかし、余裕はないのだから、毎日

それに追われる。しかし、食料に

あぶれることはないので、不満もなく

その同じ毎日を送る。

それがありのままなのだろうか。

あるがままなら、純然たる社会主義の

国がある。キューバはヘミングウェイ

も好んで住んでいた。

国から支給されるお金が日本円で

3000円ほどで、市場で売られるパンは

1個20円くらい。皆がその貧しさの中

なので、我慢できるのだろう、と思い

がちだが、そうでもない。生活の贅沢

はない代わりに大学までの教育は国が

面倒を見るので無料である。教育資金

を工面しなくていいのだ。そして、

医療費も安かったと記憶している。

なにしろ、性転換の手術がその相応の

正当な理由があれば、これも無料だと

いうから進んでいる。

金を追いかけて仕事をする生活では

なくなるから、そういう生活方式の

ほうがいいという人もいるはずだ。

それもありのままに近い生活なのだ

ろうか。いや、国の生活費の手当て

での政策などあるだろうから、あり

のままとは言えないだろう。


理想としては僕らが国民としての

自主的な意識をもって、専門家や

公共の事業などは国営がいいのか

民営がいいのか判断して、そうい

う国家を将来的にイメージできて

いることだろう。学校からそう

いうことを教えて、考えさせるのが

本来の教育だと思うのだが、権益の

意識と実際の日教組などの組織が

すでにそこで腐っているので、部分

で反日教育となっているのは驚く

べきことだ。新聞やTVとかのマス

コミでも報じられないことが多い

のだが、それは隠されている。

ニュースに出てきても、日本の国民は

ほぼ洗脳されているのに気づけない

ので、日本人とはどういう人たちなの

かを自身のこととして捉えられない

くらいに心が衰弱している。

安倍晋三首相(当時)がトランプが

大統領になってすぐに会いに行った

のは、偶然ではない。たぶん、まだ

首相を退いても大きな派閥の影響力

があったので、演説会場での警備体制

の不備も偶然ではなかった、という

見方を僕はしている。


日本国民は大きな無知の中にいるだ

ろう、と見ている。僕は還暦を過ぎ

るまでに10年以上戦争を考え、見て

きたがこれまでの歴史を知らなかった。

それは学校で教えないからだ。日本人

というアイデンティティはその良し

悪しはともかくとして、知らないで

はすまされないもののはずなのだが、

それは自分の親を知らないと言う

ようなものだ。


だから、ありのままという言葉を聞く

と、その前に知らなければいけない、

判断もできない事情が、歴史にも

政治にもあるのではないか、と思わ

ざるを得ない。

ニュースは国際的になって来た新しい

犯罪とか、芸能ゴシップ、スポーツの

話題、日常の生活の衣食住の変化、

など娯楽や近視眼の流行を追うばかりで

不都合なことが起こっていても、報道

されないばかりでそこに無感動にも

なっている。

危機感というのは当たり前の生活を

しているのでは、とても生まれない。

意見というのは、どうにでも主張を

変えられるので、どういう立場に拠る

かで、どんな意見も存在するし、可能

なのだ。だから、自分がそれを判断

する必要がある。その準備がなされ

ていないのが、そうされてしまった

歴史の経緯という、今の日本がある。

その自覚から始めるにはどうしたら

いいのか。

そこからになる。なんとも遅れた話

ではある。


城、春にして草木深しは、国が滅びて

草木が伸び放題にはびこってしまった

ことを言うが、精神的には日本の姿だ

と言っていいと思う。

悪くなれ、とは言わないが、それ

くらいのことは明確に自覚してで

ないと、お人好しの意見・交渉では

甘く見られたままだ。戦争は資本主義

の最大の消費という儲けの機会なの

だから、そういう見方から国際関係

の武器売買を見なければ、戦争反対

がいくら真理でも、僕らの心情でも、

まっとうな意見でもいつの時代でも

それには目隠しされて、それらしい

理由がプロパガンダ(宣伝)で用意

されたのだ。だから、戦争の悲惨な

記憶を受け継いでゆくというような

子供だましのことで、将来戦争が

防げるというようなことは決して

起こらない。

それも必要だが、それだけでは役に

立たない、ということである。


    23.5.2
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自分(知)という形態が依存を自然発生させる [依存]

星雲というのはきれいな渦巻で、

見ていると手を突っ込んでみたく

なる。

洗濯機の水流の渦ではないから

そんな巨大な手を突っ込めない

だろうし、そんな巨大な手も

想像でしかない。

そんな気持ちになるのは、宇宙が

まるで手に負えないからだろう。

あまりに距離があるので、光速で

年数で達した距離というのは、秒速

30万kmという光の速さを利用した

ものだろうが、億光年というと、やはり

時間で感覚してしまう。時間を距離に

置き換える意識の移動が楽ではない。


昨日まで、と言っても7,8年前だが、

宇宙は電波望遠鏡でかすかな光を

頼りに分析していたが、地球の外に

望遠鏡を設置してそこからの観察で

いろいろ新しい情報が入ると、これまで

の宇宙の科学常識が次々に覆されて

しまった。

宇宙の物質はほとんどがわからない物質

で満たされている、と仮説が立ったが、

それはダークマターと呼ぶことにした

だけで、そこで止まっている。

その観測にしてもヨーロッパだったと

思うが、その一度成功しただけで、それ

が基になっている。

つまり、今までは宇宙物理学で推測した

もので間違いでないだろう、とかなり

高くその説を支持していたのが、全部

崩れてしまった。

ではこれまでは科学の言うことだから、

大丈夫だろうということで、教科書で

教えられていたことが、見事に観測で

否定されてしまった。

でも、はっきりしたことがわかる

まではこれまで通りに間違った説が

教えられていくのだろう。それが

これまでも、そしてこれからも続け

られていく教え方、というか、歴史

の無頓着・無差別だからだ。

40年近く前に社会がかなりいい加減な

教育の基に置かれていて、確実なこと

は思っているよりもほぼない、という

ショッキングなことも経験した。

これは内部の爆発のような自己消失

だったので、修復するのが大変だった。

それで調べていくと、ノーベル賞の

湯川博士の本などで、辻褄が合わない

処は教えず、合理的に説明できるもの

だけを教える物理の先端学を批判して

いるのも知った。

太宰治の心中自殺にしても、話がそれ

で広まったのが速くて、本当の処は

無視されたらしい。駐在の警官が太宰

の下駄の跡が心中場所に残っていて、

太宰はひとり引き返すのに登ろうと

してできた跡だという。死にたく

なかったのだ。「人間失格」という

題は自分のことだろうが、女を残して

ひとり助かろうとしたのならば、その

非情さ・弱さの人間性が人間失格で

間違いではなかったのだろう。

駐在の警官はもう噂が広まってしまった

ので、口を挟む余地はなかったと、言っ

ているそうだ。

自分の毎日の生活でもよほど覚えている

ようなことでも、時間が経つと、合理的

な解釈をして自分で無意識に変えてしまっ

ている。自分でも自分の日常や事件は

朧気な記憶なのだから、歴史の記憶は

もっと危ない、確かさは疑ってあまり

あるというのが、本当の処なのだろう。

自分がどこでどの本や情報で考えや

気持ちを変えているのだが、それが

はっきりと整理されているという人は

稀(まれ)だろう。

江戸の大奥では眉は剃ったし、歯は黒く

染めたのだが、時代劇ドラマで大奥で

そんな女優が出てきたことはない。

見れたものではないからだろう。現代

の感覚に合わせて、ドラマの設定は

現代風に変えられるのは、良し悪しで

なく、その時の世間の現代感覚に寄り

添うからだ。


僕らは生まれた時からそういう教育を

受けた親から、そのまた親から同じ

社会の風潮のような感覚を受け継いで、

時にそれが断ち切られて、違う情報を

常識や習性だと思って何の抵抗もなく

子供の頃から受け入れてゆく。

その理由は多岐に渡っている。根源的

には僕らが知的なオーダーに従って

いることが第一原因で言葉を学ぶ時点

ですでに同じ為政の命令に取り込まれ

るが、それは情報操作がされる戦時中

とか、マスコミや教育機関が他国に

支配された時などは歴史が改竄される

のは世界の歴史上、どこでも起こった

し、現代でも同じだ。

中国が当時主張したのは南京大虐殺で

日本軍が南京の中国人民を30万人殺し

たということだが、その一部でも南京

の人口を超えている。資料を読むと

そこらあたりは嘘だと読めて来る。

それぞれ調査の複雑な事情があって、

すべてを書くことはできないが、

韓国の戦時中の慰安婦の問題でも

韓国は戦後に欧米で政界のロビー

活動をして、日本の卑劣な行為を

話し、書き立てた。アメリカの、

そしてドイツの学者もそれを信じて、

日本を非難する論文を書いている

始末だ。

頭脳優秀とされるお偉いさんでさえ

騙されてしまう。知的依存というの

はここを指している。

自分という精神のこしらえものは、

なにかに拠ら(頼ら)なければ

ならない。考えるとはすべて、なに

かとなにかを比較して、その違いを

明らかにすることだ。僕らがわかった

という理解を示す場合は、その違い

が明確になったことを示そうとして

そう言う。

自分を支える存在は家族や親戚では

ない。それは表に出た部分で根本は

考える知自体が、支える主体では

ないから、常に他力本願なのだ。

そう言う(互いに)自分(たち)が

集まった集団というのが通常の

世間という状態だ。お互いがそれ

なりにお互いに依存しようとして

いる、そして実際にしている。

それが結果として責任を持つ形で

はないので、風説が流れやすい状況

をつくっている。


ヘーゲルの19世紀では、大論理学

で:外面と内面は内容に従えば、単に

等しいだけでなく、両者は同一だ:

と言っている(キルケゴール本内引用

から)。どうもヘーゲルは小論理学

でも書いているように、:感情や心情

の側からしばしばなされる主張は、

(概念は生命のない、空虚な、抽象的

なもの)という理解は低いもので、実際

の事情はまさに逆であって、概念は

むしろあらゆる生命の原理であり、従っ

て同時に絶対に具体的なものである。:

と概念を主観も客観もなく真理扱いを

しているのは驚くべきことだった。

哲学者・思想家キルケゴールは当時

大ヘーゲルに対して孤独に立ち向かっ

たらしい。「あれかこれか」を書いて

内面と外面は違うと論を展開したと

いう。新聞にキルケゴールを皮肉った

漫画が載せられたり、街を歩くと、

見ろ、あれかこれかが行くぞ、と

揶揄された。

そして、ヘーゲルもキルケゴールも

古典哲学として観念派と実存派だろ

うか、それぞれ歴史に残っている。

社会は哲学の判定はしないらしい。

この間のノーベル経済学賞も同じ

経済理論を提唱した二人が受賞した。

それはわかるが、彼らのその理論で

出した結論は互いに逆の結論だった

と聞いている。ノーベル委員会は

論の正しさは判定しないで、同じ

論を提唱したことに対して賞を

与えているものだ。

これにはその考え方があって、貴重

な理論を社会に公表したことに対して

評価する、というものでこれは西洋の

伝統らしい。

なぜなら、1,2世紀前の有名な数学

の方式の賞については3人を受賞にした。

その一人はその理論を最初に考えた

数学者から盗んで自分の理論として

発表したものだった。それはおかしい

だろう、と批判がありそうだが、その

最初に発見した数学者は秘密主義で

その理論を発表するつもりがなかっ

た。そこでその盗人の数学者が発表

したことで陽の目を見たのだ。

同じ論を展開したもう一人の数学者も

同時期ということで一緒に受賞した

のだが、盗人の数学者は社会に有益

な理論を(盗んだとはいえ、)公表し

たことに対して拍手を送ったという

わけだ。道徳的には割り切れない部分

が残るが、それは東洋の道徳の考え方

を僕らがしているからだろう。



こういう関係を僕らが感情から理解し

て強めようとして、協力や絆という

社会の在り方が自然に出てきて、支持

されたものだろう。

しかし、精神だけの理由だけがその

原因ではないだろう。僕らの体の仕組み

が精神と同じくらいの重量・重要さを

もって僕らの依存を促している。

これは自然環境と僕らの体の依存と

対応が進化の流れをつくったように、

適応変化と太古からの習慣によって

出来上がった生活習慣とが文明文化

の元になっている。

それはテーマが大き過ぎて、全体を

一度に書くのは無理だし、そもそも

それを扱うまでの手には届かない。

その一部は面白いテーマになると

思うので、できれば一章なりとも

この先に扱ってみたい。




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窯から出るまで [陶磁器]

まず、ひとつ整理しなければならない

分析のための点がある。

秦野の教室で自分のこしらえた小花瓶

が突然、ものを突破したことだ。ある

集中があって、その粘土のデザインを

見ていたのだが、形というものが

あった。

それは花瓶が花瓶に見えていたのでは

なく、形そのもの、というわからない

ものだった。その「もの」のほうから

襲われたような感じ、それが近い。

それは美しいというようなものでは

ないだろう、今思えば。

そこには新しいものであるかのように

形そのものが自分が何であるかを示し

ていた。そして、それを受けること、

感じることがそのまま感動だった。

今に気づいたのは、僕は眼を開いて

瞑想のポーズをしたことはない。

だから、瞑想が来たときはいつも

瞑目していたのだ。

その花瓶を見つめていた。だから、

眼を開いていたので、これが瞑想

ととても良く似た現象だと考えた

ことなかった。

眼を閉じるのは見える光景に注意を

奪われないようにするためで、そう

しなければならない事項ではなかった。

だから、瞑想が形を通してきたとし

ても、気づきにくかったのだろう。

なぜそれを言うのか、それはそう

考えると納得しやすいからだ。

僕は呆然自失していた。それは自分を

失うという、瞑想のための準備に適っ

ている。五感が働かなければ、また、

なにも考えない状態になれれば、いい

のである。

つまり、僕はその無の世界からの観照

を受けたと考えられる。そこで形の

この現象界(現実)での五感に照らされ

た「もの」という感じではなく、僕ら

には五感を通した経験である「もの」

ではない、新しいその「もの」(花瓶)

を見たのである。だから、ものがそう

いうように見えたのは初めてである。

それがまるでその花瓶を透過したよう

に感じたので、そう書いたが、多分、

違う。ものを突き通すというのは言葉

の彩とか表現で、実際はそこにあった

ものをソノママ感じたのだ。

だから、僕はそれをものの美だと思っ

てしまったが、それはものの無意識

な形であった。

そう解答すると、その後に僕がそれを

次の粘土の形や、陶器に形になんの

感動もなくなって行くという過程が

わかる。透過したと感じたので、目の

前のものではなく、その形の向こう側

を見ようとしてばかりいた。

それで見れないので、だんだん落ち込

む、という段階を辿ったのだ。

これも美という妖しいものの落とし穴

のひとつなのかもしれない。落ちて

みなければ、なかなか上達していか

ないような、つき合いなのだろう。



秦野と練馬の二つの陶芸教室に通って

いるが、どうしてその必要があるのか。

それは秦野では手びねりで粘土が中心

で、練馬では初めから磁器を目指して、

電動ろくろで磁土を中心にしている

からだ。

粘土と磁土とは性質が違うので、土

の練りも違う。磁土は少しの鉄分も

嫌うので、窯も清潔さを要求される。

一緒に焼けないのである。


その土の練りというのは、どちらの

教室でも重要事項として教えられて

いる。初めは気にせず、聞いていた

だけだったが、その土の粒子の肌理

というものがいざ本焼きで焼成した

時に割れやすいか、空気が爆発して

しまうか、を左右するものなのだ。

その練りの方向によっても、ろくろ

では回転方向に合わせないと、粒子

がばらけるような方向では、空気が

入りやすくなる。と、なかなか職人

の技なのだ。

練馬で磁土のほうがよく練らないと

ならないとかで、菊練りというやり

方で片側、最低100回ずつ計200回と。

しかし、秦野では片側30回だと言う。

秦野では磁土ではないので、それ

より少なくていいらしい。


その菊練りが大変。見ていて真似すれ

ばいいだろう、と簡単に考えていたが、

僕の器用さでも一部しか真似になら

ない。

やがてわかったのは、右手と左手で

それぞれ異なる動きをしないといけ

ない。力の入れ方も右と左で異なる。

というイレギュラーなので、ともかく

相当かそれなりの練習量が必要。目安

は3か月だそうだ。

100均ショップへ行くと、とても違和感

に襲われる。そこそこの茶碗や湯呑や

皿などがきれいに仕上がっていて、陶器

を生活用品で使うのなら、それで足りて

しまうからだ。手に取っても、重さも

適当でよくできている。工場生産だろう。

磁土を練る機械もあるだろうし、型に

流し込んで、大量に焼くと聞いた。

僕は菊練りの練習をキーボード打ち

が重なった所為で、左手首が腱鞘炎

になった。高齢者には、菊練りの

機械が必要らしい。

ともかく、体力が要る。それほどに

手間暇と体力、多少の資金も居る

陶芸は贅沢な趣味である。そして、

完全に不足しているのは、そういう

陶芸の価値に対する意識である。

日用品という安価なもののネック

があって、高額なものではない、

という固定観念が日本には、いや

世界にははびこっている。

陶芸教室に通って自作を売っている

人もいるが、一つの茶碗でも作成の

時給を引いても、ひとつ5000円の

原価だろう。労働時給を考えれば、

1万円で売っていいものなのだが、

そんなに高いものを買わないだろう、

と世間の固定観念がそう言う、の

ではないか。

練馬の先生はすべて東京の芸術大学

の卒業生で、中堅作家の人が多い。

それでも芸術作品でひとつ3万から

5万くらいだろう。まったく気づいて

いないが、それでは安すぎる、とい

うことだ。

芸術であるからには、日本では過去

の偉い先生の作品しか高値がつかない、

と考えられているので、陶器市場の

関係者も新人への(意識しない)投機

の要素が足りないとは思っていない

ようだ。

投機も闇天井になるのは、金持ちの

自己満足に堕しでしまうが、健全な

市場を作ることもできるはずだ。

中堅作家の作品が5万円では情けない

次第だ。

磁器の場合は削りの仕事が多いので、

粗削りと本削りの2回行われる。

焼成にしても3,4か月に一度くらい

なので、作り始めてそれが焼成されて

出来てくるのは、平均3か月に1度?

くらい。体験教室でも1か月くらい

先になるはずだ。

それでも焼いてみなければどうなる

か、どういう模様になるかわから

ないことが多い。自然との掛け合い

なので、ある程度までしか計画通り

にならないし、また登り窯などのよう

に計画通りにならない焼成窯のほう

が出来上がりの予想以上にいい景色

(模様・色など)が望めるので、作家

の好みに拠って窯を使い分ける。


最近、僕のものも窯から出てきた。

自分のものは評価するというのは

難しさもあるし、評価することが

自分の気に入るように感じたよう

にしたいので、ほぼできないと

思うのだが、ただ気に入った処が

あればいいと思うのだ。

その控えめな観点からは、僕は

すべての(三作品)で色合いが

気に入った。

試作品1-1.jpg

猫?である。

タヌキだと言う人もいた。

が、僕にはこれをリアルな写実的

な猫作品にはしたくなかったので、

こんなもんじゃあない、と。

試作品2-1.jpg

歪んだ一輪挿し。

意外に、狙っていた色合いに仕上がった。

これを手作りでやっていくのは、時間が

かかり、ろくろでやりたいと思った。

試作品3-1.jpg

これも色が織部の緑風で気に入った

が、飯茶碗に合わなかったと反省した。

自分の飯茶碗は別に最近出来たので、

30日には持ち帰れる。


なので、ただの(使わない)器として

見ている。


美については分析では関われないので、

これからもどれだけのことが言える

だろう、と思う。自分の評価が絶対

どころか、それに近いものでもないと

しっかり自分でも思えるので、精神

から遠い作品には口をつぐみたい、

と思うのだが、・・・。 




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中華街へ [中華街]

横浜の中華街に足を運んだ。

何年振りかも忘れてしまった。

山下公園。

イチョウの銀杏の落ちる季節に

来た。メスの木から、落ちている

銀杏を拾ったのを思い出した。

後の処理が意外に大変で、ゴム手袋

をつけて、一晩?水に漬けた銀杏

の皮を剥いたが、これがなかなか

手強い。

中華街12-1.jpg

山下公園から横浜港を眺める

中華街13-1.jpg


客船が停泊しているのは、前回と

同じだが、見学用が以前の船だったが、

今回は気にもしなかったので、見て

来なかった。

この後帰ったので、画像が前後している。

まず中華街へ。

中華街1-1.jpg

歩いてゆくとすぐに関帝廟が現れた。

三国志で有名な関羽を武勲の神様として

祀ったらしい。ここから目指す悟空茶荘

は通りを入って5秒くらいに、すぐある。

中華街2-1.jpg

ここは中国飲茶(ヤムチャ)の専門店だ。

1階が茶器・茶葉などを売る店で、2階が

喫茶になっている。

雑多な置物が並んでいる。

中華街3-1.jpg

中華街4-1.jpg

中華街5-1.jpg

中華街6-1.jpg

中華街7-1.jpg

中華街8-1.jpg

以上、茶器類:

中華街9-1.jpg

これは何だろう?植物が見えるから、

花瓶の類だろう。

ナントカ麺を注文する。セットでデザート

も飲茶もついてくる。

中華街14-1.jpg

高級茶のメニューがあったが、烏龍

以外は品切れの札が貼ってある。

茶はプ―アール茶を選んだが、目の前

に急須だと思われる陶器が来た。

蓋がついているから急須だと思ったが、

出し口がどこにも付いていない。

茶葉が浮いているようだったら、吹いて

どかして飲んでくれ、という説明だ。

中国には茶道などという面倒なものは

ないから、大雑把なものだ。

1分して、蓋を開けると、なるほど濃い

茶色になって、少し茶葉が浮いている。

持つと、大きいマグカップと言える。

重い。想像していた、小さなぐい飲み

くらいの湯呑で飲むのとは違った。

湯沸かしポットがあって、沸騰したら

適当に継ぎ足して飲め、ということだ。

中国の給仕女子で日本人のアルバイト

ではない。

麺は想像できないだろう、担々麺だが、

スープがあっさりしている。それで

だろう、小さな醤油瓶が備えられている。

麺は日本のラーメンの麺ではない。

ほぼ、讃岐うどん。腰の強いきし麺に

近い太麺。好き好きだろうが、ほぼ

完食した。

途中、トイレに行ったら、何だ?と

いうものを見つけた。

中華街11-1.jpg

額縁にビニールのスリッパが飾られ

ている。スリッパが飾られているのは

初めて見た。悟空茶荘らしく、孫悟空

のイラストだ。

ここは2階でイベントをすることがあり、

今はコロナで中止しているようで、

その人形劇のセットが置かれていた。

中華街10-1.jpg

店内はそれほど広くない。

テーブルが2人用と3人用で12.3卓

あったようだ。

中華街は外人客が多かった。平日だったが、

どの通りもなかなかにぎやか。

秦野のラーメン屋はそれなりの値段だっ

たが、中華街の豚足ラーメンや、パイコー

メンなどはボリュウームがあって、値段

としては手頃に思えるから、物価は

多少安いのではないか。

土産にプ―アール茶葉と砂糖にまぶした

ミカンの干し菓子を買って帰った。

関帝廟の隣には中華学院があり、文化祭

でもあるのか、校庭で鳴り物入りで音楽

つきで雑技団の体操じみた演技を練習し

ていた。
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屈人織辺の日記 11.美の横道 [美と道]

美については混同しやすい項目が

多く、それは一般に整理されて

いないようです。美術論とか、片っ端

から読んだわけではありませんので、

確定したことは言えませんが、なん

でも鑑定団を観ていると、そんな気が

するのです。

なんでも鑑定団は過去の著名な作家

の作品の真贋を観て、評価額を決め

ることでありまして、審美観によって

作品の良し悪しを決めることでは

ありません。

だから、その作家の特徴などをよく

勉強して知識を吸収しなければなら

ないのです。素人はなぜか、審美観

(眼)を磨くことで作品の真贋を見分け

ることができる、と考えています。

真贋=本物(いいもの)ではない

のです。

個人的にいいものは、自分が気に

入ったものです。これは間違いあり

ません。

自分が気に入ってもそれは個人の

好き嫌いですので、著名な作家の

ものとは限りません。数多くのその

作家の作を鑑賞して来たから、(勉強

したので間違えないだろう)と

いうのは勘違いでしょう。

肝心なのはその作家の銘や賛、箱書き

生い立ちや師や生涯などを知り尽くす

ことで、その上で世に出回るその偽物

たちも参考にすることで作家の特徴

なりが腑に落ちるでしょう。

また、いい画ならいい画です。

それはあなたが楽しめる画だから。

審美眼とは言っても、絵の究極の良し

悪し、本物偽物の明瞭な区別がわかる

ものではないのです。

それがわかる人はいると思います、が、

その人のそれを判断できる人はいない

と思います。

僕はいい絵だと見ると、それが真か

どうかは気にしません。と言っても

TV画面では「見る」ということが

できないので、多少いい加減な判断

になるのを承知して見ますが、・・。



ではそのあなたにとっていい画という

のは美に照らして、どういう関係が

あるのか、を考えてみました。

美についての全体で確定的な意見と

いうものに達したとは、思えないので、

絵画の美と、ものの美とのそれぞれの

おおまかな部分でのわかったと思う処

に鑑みて述べますと、いい画・書・器

には切り離せない関係の判断材料がある

と思われます。

それは好悪の感情と自分の感性での

センスのいい・悪いと感じる感覚です。

それらは分かちがたく結びついていて、

むしろ一定ではなく、人によっても

異なるし、それ自体もその人の中で

揺れ動いている。そういったものが

その人の中で美を決めているようです。

こちらからその定義を見ようとする

のではなく、美は向こうから来ます。

例えば、クリスマスの何万個という

LEDの電飾・イルミネーションはきれい

なものですが、一般的に美しいとか、

きれいとは言えても、美について述べ

る時には、絵葉書の写真のきれいさは

わかるとしても、美には少しもの足り

ないと感じる人はいると思います。

その部分がその人の好き嫌いで、自分

の美についてのこだわりだと。

芸術は爆発だ!と言った岡本太郎は

自分の中の嫌悪するものを絵に表現

しました。それで、僕もそうですが、

彼の審美眼の確かさとは別に、彼の

選んだ絵のテーマについては好きでは

ない人も多いようです。

それで彼の美術論の先生としては評価

しますが、肝心の芸術については僕

はあまり感心する方ではないのです。


ただ好き嫌いだけで絵を評価はできない

ように、純粋な美の評価があるという

のも、どうも怪しい話に聴こえます。

どうも美というのはどういうように

現れるかという点で、すでに自由で

意外性を感じさせます。


そういう美への人気が世に偽物が

出回るのを止められない理由であり、

そもそも人間の感覚への規制をかける

ことができそうもないことなので、

それはまた新しい芸術や美の出現と

いう楽しさと不思議さの根源でも

ありそうな気がします。
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自殺論から鳳凰をホームで待つ [自由]

ふきの葉1.jpg

フキである。

偉くもないが、ツヤブキもあって、

似たような葉っぱだが、艶がある。

どちらも食用らしい。林の深い公園で

見つけたので、確認してから採集して

食べるか、と思って一枚葉っぱを摘ん

で来た。

フキノトウは終わったのか、なかっ

たが、間違いなくフキだった。ところが

フキはうちにすでにあった。見せてくれ

ると、確かに同じだった。

それが今晩は食卓に出た。なかなか

うまい。苦みも少ないし、筋も取った

らしいので、食感もよかった。


考え事を話そう。

自由というもののあり方も定義らしき

ものも書いたし、過去に整理したのだ

が、それと離れて、自由とはなんだろう

と思った。それは感慨でもあった。

どう転んでも起き上がってしまう、起き

上がり小法師(こぼし)ではないのだが、

宇宙の無重力状態に似てなくもない。

それも自由な状態の一種なのだろうか、

と。

突然、急に昨日は自殺について考えた。

友人のことについてが、関係している。

彼の直観が僕の到着点のどこか一点に

は刺さっていると考えたことがあった

が、それを認めるのはもっと確かめて

みないことには、俄かに決めていい

ことではなかった。

それがその当時よりはわかる過去の

文章を送って来たので、こちらの理解

不足だと感じた。その時に僕の心の底

のバランスは崩れたようだ。

自動的に自分を守るのが自我防衛の

本能のような機能だから、それが働い

たのだろう。

僕は追い詰められた気分になった、

と思う。それがほんの一部の理解でも、

全部の理解だとしたらという命題が

なぜか始動したのだ。拡大解釈なの

だが、それでもそれに対抗するには?

という指令が下ったのだろう。

「A couple of years の始末」

はその状況下で書かれ、その決意を

促されたものだった。と、書いてから

わかった。

それは翌日になると、精神衛生の方法

論だとわかった。実際に自殺する気に

ならなければそれはわからなかった

だろうし、実際に一時的にすっきり

したから。

自我というのは自分を決して見られ

てはならない、と至上の命令下に

縛られているのではないか。そして、

いままでも言ったように、ないこと

(無存在)を知られないことの理由を

百も千も持っているのだ。それが存在

理由の支えであるのと同時に、その

まま存在理由に成りおおせているよう

なのだ。

この時に殊勝にも哲学者ショウペン

ハウエルを思い出して、彼の自殺論を

読んでみようと思った。

「意志と表象の世界」が代表作らしい。

そこに面白い文が載っていた。自分が

生きたいために自殺を選ぶのがありきた

りの自殺だが、例外があって、それは

意志を完全否定するようになると、

あとは禁欲者が食を断って、死に至る

方法だろう、というのだ。それが唯一

だと。

これは前に僕はブログで似たような

ことを書いた。お金の問題でだと思っ

たが、お金が無くなったら、それで

いい、あとは食べられなくなって、

死んでしまえばいい、とそれを自然

だという意味で書いたのだが、ショウ

ペンハウエルもキリスト教の関係で

禁欲者を例に挙げたのだろうが、

それは関係なく、餓死というのは

意志を捨てた時には、完全な自殺の

方法であると。その禁欲者は2回

断食をくり返し、1回目から回復

してから2回目の断食で5日目に

亡くなったらしい。



僕は真剣に自殺を1,2年後には

決行する、と言っても難関があって

それを克服しないと難しいが、とも

かくもその決心をした。誰もがする

覚悟であるが、その心理状態から

自分を俯瞰するのが僕の常法である。

一日が経つとその余裕ができて、

心理的に行き場がない状態では死ぬ

のが自然だと見えた。ではそれが

正しかったのかというと、そうで

はない。それは生きる行為の問題

であって、生き方が正しいかどうか

の判断とは違うからだ。

結局、僕は自殺はパロディ以上には

演じられもせず、自分を騙し続ける

のも無理な話だということ。

簡単に、生命を超えることは無理だ

と思う。としても、考えではいくら

でもそれを否定して、逆らえるだろ

うが、それはありきたりの自殺の

場合であって、僕には縁がない。

だから、こういう風に自殺という

悲喜劇も現実ではなく、空想劇に

しかできない、そういう状況が

あるというのが、僕がある(存在の)

場所だからだろう。

そういうことを静かにわかり始め

ると、自由とは何だろう、という

台詞が出てくるのだ。

突然のようで、自然な経緯があって、

僕はこういう自由のあり方に感心

するのだ。感心するのは、飛躍すれば

そこにつながるからだ。

荘子は鳳凰の背に乗って、世の中を

いくつも下にしてしまうその際限の

ない広い翼で飛んだ空想をしたの

だろうか。一度でもこの劇の中に

あった者は、ありきたりに死んで

しまうことは決してないだろう。

食が無くならない限り。



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病と攪乱 [病気]

鬼の霍乱という言葉がある。普段

病気をしたこともない人が珍しく

病気になることを言うが、歳を

とって持病を抱えることになると、

鬼の攪乱もないもんだ、となる。


二日前に陶芸教室へ行った。

夏バテがどれくらいかわからない

ので、いつもと同じ調子で行った

のだが、どうもそこから変調し

始めた。夜になって、やや激しい

下痢に見舞われ、翌明け方近くに

冷房が切れてから部屋の温度が

上がり出して、熱中症になった。

39.1℃に体温が上がったので

神経で腰の筋肉がゆるんで、とも

かく立てない。そのうちに尿はだだ

漏れするし、ヤバいことこの上ない。

それでも階下まで降りてゆき、着替え

て、汚れたパジャマ下と下着を洗剤

に浸した。

熱が上がると、記憶の感覚系統が

正常ではなくなるらしく、寝苦しく

ても4時半ころには寝たと思った。

そして熱で目覚めた時にはぐっすり

眠った感覚があったので、夕方の

6時半まで眠ったのだと思ったが、

朝の6時半だった。

その他、どのタイミングで一回目の

薬を飲んだのかが記憶にない。

持病の炎症も起きて、これも不味い

と思ったが、薬で収まってくれたの

で、激痛を味あわずに済んだ。

鬼の霍乱どころか、攪乱しっ放しで

ある。

そのあとも朝の8時から9時までが

なかなか朝だとは信じられず、その

1時間が長~く感じられた。体の正常

な感覚機能が乱れるというのは、これ

を言うのだな、と思った。

ところが、それで終わらず、38.1℃

まで体熱が下がったにも関わらず、

夕方眠った時にまた冷房を切らして、

また39.1℃にリバウンドしてしまっ

た。食欲も夏バテと水分摂り過ぎで、

胃がもたれて、なく、夕食を食べた

のは8時半か9時だった。海苔巻きと

いなりを1人前は食べたろうか。

腹は減っていたので、うまかった。


因果はものごとの生成・成り行き・

収束から次への変遷が自由自在で

ある、つまり可能性や変化が無限

に近いことを見せてくれるが、それ

でものごとがわかるわけではない。

しかし、それを見ると、その様子が

呑み込めてわかるので、ものごとが

「わかった気」になるのは避けられ

ないだろう。それほど説得力がある

からだ。

が、物事の変遷はそれ以上奥が深く、

因果に導かれ、自分で解決していった

つもりでも、やがて壁にぶつかる。

解決したのは概念事項であって、

肝心のものごとは闇の中で頑として

動かない。部分を修正したり、それ

なりに自分の解釈を与えたに過ぎない

ということだったのだと気づくこと

になる。

解釈は人の数だけあるので、それぞ

れの因果も姿・形や色が違うはずだ。

それぞれの人がそれぞれに見たもの

だから、ちがうのも当然なのだ。

しかし、どれを見ても厳然として

それが因果だとわかる。それが

ひとり一人が見るものだから、同じ

だと勘違いする。地球上のどの人間

を見てもそれが人間だとわかる。

だが、その総体や総称ではなく、

人間の内部になると、皆異なって

いて、同じ人間がいないことに気づ

くだろう、と同じ比喩で因果は因果

でもそれぞれの人が出会うそれぞれ

の因果はやはり違う。内容を突き詰め

ていけばわかることだ。

因果を知るとそのレベルでのものごと

の概念ににすべての答えが出せるので、

講座など開きたくなるかもしれない。

それはそれで役に立つだろう。が、

慢心はしないことだ、余計なことに

聞こえるだろうが。


今、体温を測ってみたら、36.3℃

まで下がっていた。なるほど、ブログ

を書いてもいいと思うはずだ。

うちの話だと39℃もの熱が出ると

熱中症でも救急車を呼ぶらしい。

うちのがどうして呼ばなかったのは

僕の持病で39℃というのは何度も

経験してきたからだ。今までに7回

も激痛と39℃を経験して、回復に

10日はかかった。最近の1度は入院

までした。

だから、その半分の39℃の熱だけで

は驚きもしなかったのだ。本人は

本人でその対応に追われ、熱のつらさ

だけで、それを苦しいとは反省しない。

熱が下がってから、まだ頭が痛いから

それが苦しいとか嫌だ、と思うくらい

だ。

熱中症ですったもんだの一日、翌日は

胃もたれとだるさでつらい一日、

そして今日は回復への一日。

過ぎてはいないが、喉元は過ぎた。

医者にも行っていないので、二日半

の攪乱であった、ということになるだ

ろう。気は使わせたが、特に出費も

なく、また明日から台風の蒸し暑さ

だと心配できる。まことに健康とは

何だろうか、と思う。自己治癒力と

か回復力は、僕は自然の恵みだと思う。

花粉症になりそうで毎年ならないのも

山でもらった「なにか」の免疫だと

思う次第だ。


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A Couple of Years の始末  [詩]

おう  ほう  へいッ! 

甘い 家、 ホーム 

乱痴気な  文学的  顕示

ゆっくりな スロウ  堀井(ホーリー?) 

どうにも  アメリカナイズ 

脳みそが  アメリカ 米国なまず 

もう  いいと 思う 

もう  いいと  

もう 

うう  

いいんだよ  

わかったよ 

僕の 過程  落ちる井戸 

というもの  

自ら 落ちる  その恣意という 

ロング アメリカン  ミュージック 

フレンズ  おん? 

ライラ―  ムーン ライツ 

フン  フン  フンッ 

さあ  感激の  形態を 

やさしく  丁寧に 

押し上げて  差し上げて 

落とさないように 

君は  そこまでだ と  

わかったのなら

後悔もないように  

納得して 

ドューダ  オチュラ  ドューダ 

戒厳令  

海へ出る  艦隊 

ええい  えーい  ええええ~い 

えええ、 

えええ、え~い 

きれいな  タキシード 

マント 霞な服 

パンチの効いた  エバ― ヘッド 

君に  

左手のひらを  大きく  

右 左 と  大きく 振ってみせる

ムー  グッドゥ  タイミン、gu 


旧日向邸12-1.jpg
ブルーノ の 椅子  す    

すっ  す す  すっ

I can  tell  you,

WHY?

祝宴 ? ? ? 

WHY? 

フ~  ウ ウ ウ 

WHY  YOU  you 

是  羅  ジプシー 

ゼ  ラ  寺夫師ー 

天ぷら じゃ ないぜ 

・・・・・

・・・・・

鎌倉  絶句 だぜ 

フ~  ウ ウ ウ 

ア~  ア ア ア~ 

あい  きゅる  スリリューオー 

定番  四角  おちょくるな 

ほじる 指  かじる 尻 

満点  落第  ほめすぎだぜ 

ここには  来た  

その世紀の  名前を 

つけろと  言われたが 

忘れた 

オチュ ロー 

もう  いいと 思う 

もう  いいと  

もう 

うう  

いいんだよ  

わかったよ 



もう  いいと 思う 

もう  いいと  

もう 

うう  

いいんだよ  

わかったよ 

ほんとに  

さらば  背の かいかい 

世界よ 

すべての  限界つきの 

世界 



僕 
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熱海へ [建築]

熱海の旧日向邸の見学に行った時の

印象を書く。

なぜ旧日向邸かというのは、もともと

実業家の日向利兵衛の別宅だったのが、

死後は別の人に買われたが、使いづらい

と言うので今度は企業に渡り、と持ち主

が代わった所為だ。

最後に売りに出された時には取り壊しの

話も出た。それを聞いた女性の篤志家

が熱海市に買い取りを依頼したのだが、

熱海市はちょうどその前に起雲閣を購入

したばかりだったので資金がなかった。

そこでその女性篤志家が資金を出して

熱海市の購入となったのが、旧日向邸

だった。もう少しでブルーノ・タウト

の唯一と言える、地下部分だが、設計

建築が亡くなる処だった。



もとより期待があったわけではなかった。

昨日の雨から明けて、晴れ。いつものこと

にいつもの晴れで出発すると、もう忘れ

てしまった。途中に交番があったので

時間も余裕があって、一応旧日向邸の

場所を尋ねてみた。地図で見てきた

とおりにすぐ近くだった。

きつい坂道を登って着くと、案内板が

あってその階段下が邸だった。

石の階段には若い外人のカップルが

坐っていた。同じく見に来たのだろう、

まだ時間があるので待っているのだろう、

と思ったが、後で知ったが、彼らは

見終えて少し休憩していただけだった。



この旧日向邸そのものは二階建ての木造

で、渡辺仁という人の設計によるもの

である。ここには崖に建っているので、

コンクリートで土台を築いたらしい。

そこが地下室になり、その設計がブルーノ

の手になるものだった。

12旧日向邸0-1.jpg
旧日向邸:俯瞰


完成は昭和11年だったが、80年も経つと、

雨漏りもしていつ崩れるかとなり、補修・

耐震工事が行われた。それが終わって

2022年、昨年から一般公開を始めた。

去年はコロナ下だったから、訪れる人も

なかったろう。予約で一日2回、一回で

10人取るが、僕の時は13:00からで

朝日新聞の取材記者を含めても4人しか

居なかった。

階段を降りると、

旧日向邸1-1.jpg
旧日向邸21-1.jpg

中に入ろう。

旧日向邸2-1.jpg

渡辺仁の設計になる、居間。下は木の床

だった。開放の茶室の雰囲気。

日向利兵衛の奥さんの部屋が二階にある。

旧日向邸3-1.jpg

昔の桐の箪笥。昭和の頃の一般的な

品だろう。僕の子供の頃にも家に

あった。主人の部屋は隣でベッドが

木の枠が残っていた。

旧日向邸4-1.jpg
風呂場:

どういう趣味だったのか、浅すぎる。

仰向けに寝て入ったのだろうと。

横の坐って入れる上のほうの壁に小さな

穴があり、そこからお湯が流れ込んだ

らしい。あまり快適そうではない。

ここの天井だと思ったが、屋形船の

形で竹細工だった。

旧日向邸5-1.jpg

いよいよ地下に入る。

旧日向邸8-1.jpg

竹で作った手すりだが、丈夫。ここはすぐに

ダンスホールとして設計している。入ると、

すぐにドイツ人らしい、と感じた。なんとなく。

旧日向邸9-1.jpg

ここが三間続きのブルーノ・タウトの設計

で重要文化財。次に見える間が洋間。一番

奥が日本間。

このダンスホールは凝っている。東では

この宮大工と言われる佐々木嘉平が作り

上げた。ふつう3か月で作れるらしいが、

思った通りにやってくれ、金も時間も

厭わないと言われて1年をかけて完成さ

せた。

地下室とは言っても、この上は地上の庭

になるのだが、タウトはコンクリートを

ぶち抜いて外光をふんだんに取り入れた。

奥のコンクリもぶち抜いたが、崖なので

傾斜があり、そこは階段にした。

まず左手に御簾のような戸があるが、

萩?だったか、その一本の枝で編まれ

ている。半分に切ったので太いほうと

先の細いほうを互い違いに組み、交互

のバランスを。

旧日向邸11-1.jpg

こんな感じ:

ああそうか、ではない。これは立派な

工芸品で何枚か使われているが、一枚で

高級自動車が買えるらしい。300万?

どうもここの御簾戸だけで1000万から

はするらしい。ふ~ん。

旧日向邸12-1.jpg

ダンスルームのタウトの椅子:

12脚くらいあったか。以前は坐っても

よかったが、今は坐り禁止に。

あとは電球だろう。波打つように

高さが揃えられている。

驚くのは、鎖のようなもので下がって

いるのだが、当然金属だと思ってい

たが、竹を8の字になるまで曲げて、

それをつないでいる。ともかく、

こんな処までという箇所にまで

とことんこだわっている。時間が

かかるはずだ。その竹の選定だけで

何千本になったらしい。

次の間、洋間に行こう。

旧日向邸13-1.jpg

赤を基調にしている。崖の段差で窮屈さ

がある。しかたないかな。

奥の日本間が隣。

旧日向邸15-1.jpg

畳が互い違いになる箇所がなく、すべて

横一列にされていて、タウトの指示だと

いう。海を眺める絶景だ。

旧日向邸14-1.jpg

洋間から日本間を観る。

旧日向邸16-1.jpg

日本間:

旧日向邸17-1.jpg

隣りは書斎風の小さな日本間:

旧日向邸18-1.jpg

洋間と日本間との間にある格子であるが、

まっすぐに等間隔を保っている。90年

近くもそれを保っているのは尋常では

ない。佐々木嘉平の全力投球だろう。

案内人の後藤さんの話では正倉院にも

あるらしいが、それには横に一本筋交い

が入れられて、狂いを防いでいるらしい。

なので、それを超えている、と

おっしゃってた。

材は檜を使っている。今は檜は高級で

なかなか使えないが、ここは竹以外は

ふんだんに檜を使っている。

洋間だと思うが、季節には月光が海に

輝いて光の線ができる。が、それだけ

ではなく、洋間の床にまで光が入って

くるそうだ。なんとも幻想的な写真

を見せてもらった。


この別荘は人が手放すがごとく、

使い勝手がいいほうではない。

使いにくい。日本人にダンスパーティ

をする文化・習慣がないので余計

だろう。ただ床といい、壁といい、

その工芸の価値には一目置く。

職人のこだわりに感激する。



上に戻って、庭に出る。

旧日向邸19-1.jpg

京都の石庭のパロディ:

下が砂ではないだけ。

旧日向邸20-1.jpg

庭から上屋を眺める。後ろに軒のよう

なものが張り出しているが、これは

東京オリンピックのドーム建築をした

隈研吾の設計になるガラス建築の

ホテル。4部屋しかないそうだ。

1泊20万円だそうで、誰が泊まるのか、

そういう客層がいるのだ。



ブルーノ・タウトのことは読む本が

多いのでこの先に書けるかどうか、

わからない。書くためには桂離宮

なども見学したくなるだろう。

いつのことか。
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危機のまっ只中 [危機]

物価がまた値上げされて、生活が

どうのこうのとニュースでやって

いるが、それがどうしたと言うのか。

問題は僕らが自覚していないことに

ある。日本の物価指数など%にしたら

大して上がっていない。

海外では日本の3倍4倍の率で上がって

いる。日本なら悲鳴を上げているだろう。

ではなぜ海外では悲鳴が上がらないの

だろう?

それは給与水準が違うからだ。

日本は世界で給与水準は25位あたりだ

そうだ。平均年収、僕の今の為替で計算

を大雑把にすると507万円ちょい上か。

ところが、隣の韓国のほうが上だ。

560万円くらいで年間53万円も上、それ

は月額で4,33万円違う。大したことは

ないと思う。

しかし、少し前まで経済大国で中国に

抜かれたばかりだと思っていた。中国は

給与は低い。しかし、欧米諸国では皆、

高い。イギリスで平均年収650万くらい。

これだと月額にして12万円も違う。

日本の働く女性が手取り17万とか言って

いたが、イギリスでは29万の給与と

いうことになる。同じく、1位のアメ

リカで962万、月額でなんと38万だから

21万も違う。(各国からの日本との年収差

を12等分したもの)


ネットで見たニュースでは日本人の

オーストラリアでの工場バイトで

年に750万を稼ぐというから驚く。

生活費は節約して月20万、年で240万

というから年で貯金が500万円できる。

だが、オーストラリアの平均年収は

660万くらいだから、この話は上乗せ

してあるのかもしれない。

だとしても、もう経済大国ではない

だろう。与党も野党も予算の組み立て

やその批判に明け暮れしているが、

膨大なカネが急激に防衛予算に流れ

込んでいる。

国民の生活が十分に満たせるほどな

のに、なぜこうも日本は落ちぶれて

しまったのか。

小泉政権で非正規雇用を法案で通した

ことがその一因であるのは明白だが、

その裏にはカラクリがある。

マスコミも報道も自壊してしまって

いる。この国についての議論はまとも

にされることがない。徹夜のTV討論

でもつるし上げに終わってしまう言論

にまともな判断ができるはずもない。

政治家はどうして動けないのか。石原

慎太郎はどうして国会から引いたのか。

小泉純一郎はどうして勝っている選挙

だったのに、次の総理を目指さず、

引いてしまったのか。 

どうして彼の時に郵政民営化が選挙の

争点になったのか、そうしたのか。



日本の物価が安いのは特に悪いこと

ではない。外人観光客にとっても

円安なので、もっと具合いいだろう。

問題は日本の土地も企業も人材も

安いことだ。給与が安いので、倍

出しても海外では採算が合うのだろう。

どんどん日本のリゾート地は買われ、

アフラックやメットライフ、チューリヒ

などの生命保険会社が保険業界を席巻

しているのはなぜなのか。

そこにはちゃんとしたシナリオがあって

日本の政治家はそれに巻き込まれている。

むしろ手先になっていると言ってもいい。

しかし、僕らは卵の値段が3倍になった

とかで騒ぐ。

ゆうちょが民営化されれば、外人の重役

も誕生するわけなのだ。そういうつな

がりができている。

日本の食や水などあらゆる方面で侵蝕

が盛んなのだが、そういう方面に目を

向けないようにすでにマスコミや報道が

足を引きずっている。前に進めないで

肝心の日本の将来に関わることには噓

ばかりを流している。

そうしてアニメやゲームの文化で

表向き世界を席巻したつもりでも、

このままでは一有事によって日本は

沈んでしまう。そうなってみて初めて

僕らは何を失ったのか気がつくだろう。

そして、どうしてそうなったのか、

わからないままなのだ。

国連のIMFなどが乗り込んできたら、

経済がめちゃくちゃにされる操作を

平気で押し付けてくるだろう、アルゼン

チンだったか、ギリシアだったかに

したように理不尽な非人道的な救済策

で。

何が起こるかは言えないように、これ

からどうなるかは具体的はわからない。

が、この無自覚な空気の中で、危機に

対応はできないだろう。僕らはやられ

てしまっているのだ。言論も騒ぎよう

がない。ただ全国民が蜂起すれば、まだ

間に合うだろう、と期待論を言うばかり

だからだ。つまり、わかっていても

なにをどうしていいのかわからないのだ。

戦後のツケが60年もして、この先回って

くるらしい。

歴史も経済も精神もすべてが今につな

がっているのだが、それぞれの部分部分

しか見て、語っていないから求心力が

ない。このままでは負けるだろう。

まだ諦める時期には早いが、どこにも

手を打つ算段の芽が出ているようにも

思えない。

このことに向き合う力があれば、自分

で調べてすぐに状況がわかり始めるの

だろうが、・・・・・。



例えばの話もできるが、戦争や平和は

もっと単純で進んで決壊するし、その

因は複雑に絡んで、解いている暇は

ないはずだ。

令和5年 4月 


::

防衛費を何兆円も増やすということは

世界で最も儲かると言われる、武器を

アメリカから買うことだ。第2次大戦の

戦勝国は英国も仏国も、武器売買で大きな

利益を上げている。西アフリカはほぼ

フランスの植民地だった。独立後、内戦

が激化してロシアのワグネルが活動し、

いくつか政権に食い込んだ。

・・・・・・・・・・・日本の防衛費

というのは、昔の朝鮮が明などの中国に

毎年貢物をして、属国として機嫌をとっ

ていたのに似ている。そっくりだと言う

べきか。

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