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障害者は怒られても自分のことだと思わないことができる・他 [発達障害]

<障害者は怒られても自分のことだ

  と思わないことができる>


電車に乗って、眠りやすいのは

そのリズム感だ。もうある程度の

年齢になれば、電車に乗り慣れて、

地下鉄でもその轟音に驚かない。

初めて乗った時の幼い頃の記憶

などないからだ。

昔の電車は線路につなぎ目に車輪が

乗ると、それなりの音がして、眠る

などできないことだったが、すぐに

慣れる。今ではそれより小さい音に

なったし、慣れたのでその音が快い

リズム感になって眠気を誘う。

谷戸山公園へ、それは広い窪地の

野球場のような林の中に道を切り

開いた自然公園で遊具などはない。

自宅からの近さでは最も自然が

楽しめる場所で、久しく歩くこと

はなかったが、この処、見直して

歩きはじめた。

「イギリス人は歩きながら考える。

フランス人は考えた後で走り出す。

スペイン人は走ってしまった後で

考える。」思想家でもあり元国際連盟

スペイン代表を務めた故マダリアーガ

という人らしい。

僕は歩きながら考えることが多く、

考えるのには適している、と思って

来たので、イギリスタイプなのだと

思ったが、そのイギリスタイプが

振り返ってみるとよくわからない。


谷戸山自然地に来たのは、散歩が

目的ではなくて、考えることが目的

である。

前に教えないで教えるのが僕の方法

だと書いたことがあるが、はじめから

そういう手法を取っていたのではな

かった。

高校の時に世界史の先生が雑談で

1日30分の(家庭)学習を続けられ

たら英雄です、と言ったのに驚いた

ことがあったが、そんなことで英雄

になれるのかと思ったからだが、

ただその1日30分というのは、確か

に大変だ、と自分につけては反省

した。僕は継続的な勉強とかの、

同じことをじっくり続けるというの

が、生来嫌いで、苦手だったから、

1日30分の継続の大事さは、わかる

ようになった。英雄は意味が違う

だろう。英雄のように立派なことだ、

というくらいの意味合いだ。

僕は変化のある生活や冒険を好んだ

ので、それはできないことだと思い

続けてきた。それはその通りだった

が、ひとつだけ継続してきたことが

あったのに、50年もして気づいた。

考えることだった。考えることを

する(=考えることを考える)のでは

なくて、何かと言えば考えることで

乗り切ろうとしてきた。仕事もトラ

ブルも自分の調子も、考えることで

それに適応・対応・対策をしてきた。

相手の気持ちも感覚も考えで理解

しようとした。それは偏っていて、

つらいことだった。


ある時彼から相談事があって、小さな

イベント祭りの担当になったという。

それに僕も興味を持ったので、恒例

に聴いて、その他のことを尋ねると

おおよそのことはわかった。


彼には自信がなさそうだったので、

仕事の施設や段取りの時間差での

やり方から、その日の細かい注意点

まで教えて、完璧な進行をお膳立て

してしまうと、彼の仕事はうまくいき、

給与も上がったのだった。

ところが、彼はふつうなら起こら

ないはずの社会的なミスをした。

その成功のシナリオを描いた僕に

礼をしなかったのだ。ありがとう

ございました、のメール文だけで

済ましたのだ。この礼儀知らずを

遠回しに教えてやったのだが、

驚くことにその忠告も効かずに、

無視された格好になった。忘れた

らしい。

それでおかしいと反省して顧みて、

彼の意外な知的障害を一つ発見した

のだ。彼のコミュニケの力(ちから)

がないのは知っていたが、彼は重要な

事案を自分がへり下るような、プラ

イドを刺すようなことにはその重要性

を飛ばしてしまう、忘れてしまう癖

があったのだとわかった。大事なこと

ほど自分が面倒と思うと、何事もなく

けろっと忘れてしまえる、という精神

障害だった。

そう気が付くと、これまでに少し

可怪しいと思えることの理由がわかる

気がした。相手が話がわかったかどう

か、眼の前にしていればわかる。だが、

それが数時間か一晩ですっかり忘れられ

てしまうとは考えない。これは知的障害

の一種だった。

しかも、彼はこの後自分はできる、と

己惚れてしまい、仕事のミスもするよう

になった。

そのことは、直接どうでもいいこと

なのだが、彼には考えさせて、彼が自分

で考えて分かったことをさせる必要が

あると思うようになった。なので、ティー

チングやコンサルティングはせずに、教えない

で教える方法を全面的に採るように

なったのはこの時以来で、2年前という

最近だろうか。

この方法だけで全般にすべてうまくいく

というものではないので、適時適応な

方法を採るのは、昔からいつも変わら

ない。       1.19



<うまくいってもそれがいいか、うま
  くいかなくてもそれでいいかは、

           わからない>



微妙なことを書いても、それに

当て嵌まったり、共感するには

わずかな刺激では誰も共感しない。

いくつもそれを書いていれば別

なのだろうが、そうすると別な

壁が持ち上がる。その共感の

記事に到達する前に、ブログを

読まなくなってしまうことだ。

わかりやすいことを刺激的に

書いていても、通俗なエンタメに

陥るだけなら、しないほうがいい

と考えてしまう。そして、すぐに

真面目で窮屈なことばかりでも、

読むのに退屈してしまうだろうと。

人の心をつかむのに成功して、次に

失敗して、失敗しながらも次の

成功につなげるテーマを織り交ぜて

書くのが理想なことなのだろうが、

それは自然に反していて、自然から

生まれた人間には全人間の自分の

楽しみをコントロールするのはでき

ないことだ。

そのうちに人気に支配されて、100㎏

の巨漢が人気になって、もっと体重を

増やせばとなって150㎏、200㎏と

ますます人気になって、自分の体が

重すぎて歩くこともできなくなり、

ついにお腹の脂肪を切除しなければ

生きられないとなり、手術。これが

アメリカでの宝くじが当たった男の

脂肪が硬くてチェーンソウで腹を

切らなければならなかった実話なのだ。

好きなことができるというのは、自ず

からその限界があるということを教え

る自然の教訓だ。自分の好きなものを、

それが何であっても過剰な摂取や行動

には、その悪い見返りがある。

だが、それで命が助かるなら、それは

悪くないだろう。そこまでやれたのも、

良かったと言える。

冒険だと考えればいい。人気も出たし、

悪くない気分で、むしろ良かったのでは

ないか。それが考え方における、なに

ごとも実はうまくいっている、という

生活への評価ではないのか。

うまくいくというのは自分の考え方で

うまくいかないだけで、見方を変える

とそうではないことも多いのだろう。

何事も自分の思い通りに行くことが

異常で、そのほうがむしろ命に係わる

危険を呼ぶのではないだろうか。

生活はかなりの程度で、成り行きに

まかせてしまえる。そのようにできて

いる。これを利用しようと考えるのは

よくない癖で、僕らは肝心なことでも

いい加減に扱ったり、中途で止めて

しまうことがある。流れで扱いが

消えるまで、または自然に止まる処

までついて行かない。そこで運命の

消化不良が起こる。流れは自然のもの

なら、僕らの自分がそこで介在して

決めてしまうのは不自然で、悪い流れ

をつくってしまうことなのだろう。

この原則は簡単なものだが、その時

その場合に応じて正しい判断を下す

のは、それなりの知恵や経験がものを

言うようだ。その中心にあるもの、

物事の核とか芯とか呼ばれるもの、

それは知識では得られないことも

ある。



問題のない人生も、トラブルのない

生活もない。問題を抱えていても、

うまくいっていれば(そう思える

だけで)、ギターの弦の音色も気分

がいいものだ。


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発達障害は食文化の危機からグローバリズムの根元から [発達障害]

発達障害の定義はよく分からない。アメリカでは

今までその原因が分からずとも、神経と精神 

に分けられていたものを、神経障害一本に 

まとめることにしたが、世界でそれにまとまった 

訳ではない。  

神経にまとまったのも、それでそれなりの進展が  

あったかどうかも定かではない。精神は心に 

属し、神経は体に属すから、一応原因を体側に 

寄せてみたくらいのことだ。これはうつ症状の 

多くに対症療法としての抗精神薬が部分的に 

効果を上げているから、効果の疑問視されている 

心理治療よりも比重を具体的に儲ける新薬に 

傾けた、という裏話になりそうな話でもあるのだが、 

ノーベル経済学賞が金で作られる世であってみれば 

なさそうな話でもないのだ。 

発達障害はいろいろの特徴をもつが、それが病気 

として社会生活に重大な支障を及ぼすのは、知られ 

ていない。あまり目の前で見られないからだ。 

社会生活をしていても目立たないのだ。それで 

多くの人がクリニックに通っている。症状はいろ  

いろで、全部の特徴を一人で抱えているのでは 

ないから。 

そして、高齢になるほど病気の強い症状を示さなく 

なるので治りかけていると誤解もされる。 それは 

老人の障害が発達障害の障害と重なるようにして、 

その幣害を隠すからだろう。また、感情反応も鈍く

なってくるので、性格がおとなしくなる、表面的に。 

それでもちょっとしたことで切れてしまう障害者は 

年をとっても相変わらず切れやすい。

自分の感情や感覚・思考をその部分でもコントロール 

が利かないと、最もコミュニケイションに影響を与える。 

僕も軽微だと思っていた障害が最近ではほころんで 

きたのではないか、と疑っている。僕は子供の頃に

受けた脳の軽微な物理的損傷のせいではないか、

と。 まだ這い這いしている頃に二階から一階まで 

落ちたことがあるらしい。小学3年でトラックのサイド 

ミラーに跳ねられ、なん針か縫っている。トラックの 

荷台で遊んでいて、いきなり頭から落ちたこともある。 

ともかく、頭を打ち過ぎている。

だが、よくある人の気持ちが分からず、コミュニケ 

が取れないということにはならなかったので、大きな 

支障にはならず、長い間に修正が行われるように 

なった。それらがほぼ克服されているので、日常 

でなにか差し障りを覚えることはない。 

子供の頃に虐待や強い躾や理不尽な体罰を 

受けると、自己の防御が強く働いて、他人に 

関わることができなくなるようだ。相手の言う 

ことも、気持ちも避けようとするのだから、 

いい関係性をつくることが難しいだろう。 

それに遠慮がちな性質が加わると、臆病に 

なって人の命令に従うのを専らにしてしまう。 

現実の本当を知りたがらず、自分のガードの 

中だけで生きるようになる。

こういう人が見えないけれども、増えてきて 

いると感じるのは僕だけだろうか。 僕は 

どうしても今の食生活では神経障害を引き 

起こすのが当たり前だと思われる。もう 

アトピーとかアレルギー性鼻炎とか神経と 

免疫の障害からの病気が出てきてから、 

10年以上?日も経ち、隠れ障害者は一般

の困った個性の持ち主くらいの変人ぐらい

の数には軽く達しているのではないか、と。 

それ以上ではないか、と。

問題は個々の障害や幣害やその人たちでは 

なく、全体から見えるつながりからそこに意図 

が見えることだ。グローバリズムは世界を

相手に商売をすることだ。この近代の商売の 

特徴は18世紀の金貸しの一家だったロス 

チャイルド家が、銀行業で隆盛し、戦争で 

国に資金を貸すことで世界最大の資産家に 

なったことに始まる。国に金を貸して、勝利 

の後、国のあらゆる事業に食い込んで、利益 

を貪るという方式がこの頃決定された。 

この方式も今日まで世界中で支配の基本として

踏襲されている。 

アメリカでは主に軍事産業と製薬会社が大きく

関係しているので、戦争は必須の儲けシステム

で、表だっての戦争が下火になっている現在 

では、ワクチン商売が世界を席巻していると 

いう状態だ。

エイズから始まって、新型コロナまで、数々の 

感染症が一時、世界を騒がせたが、どれも成功し 

なかった。感染力があっても、毒性が強いと、感染者 

がすぐに亡くなってしまい、感染の拡大ができない。 

毒性が弱くて死者が出なければ、ワクチンを打とう 

とまで多くの人が思わないだろう。  

これから遺伝子操作で多くの人が死にたくても  

死ねない細胞革命が起こるだろう。それが 

喜べるかどうか、倫理や、精神性・人間性の問題 

もあるが、僕にはそれを上回る免疫破壊をする 

致死ウィルスが発明される方が確実だと思う。 

世界中で著名・有名な建築物、美術品、資産 

といえるものの90%が財閥に与する銀行家や 

大企業、大統領や政権幹部などの権力者の 

ものである、と公にされているインターネットの  

情報から調査した結果が報告されている。

もうすでに彼らができないことはない状況に 

ある、と言えるのかもしれない。

しかし、だからこそ意外なところにその土台を

揺るがす弱点がありそうな気がするのだが、 

・・・・。 

それもこの世のうちの物語だ。歴史はいつも 

その上をゆく。僕らの想像する陰謀は存在 

しないだろう。だが、それ以上に世界は意図 

された陰謀じみたもので構成されたり、絡んで

いたりする筈だ。

これ以上の食文化や食への遺伝子操作や 

化学薬品の操作をさせない、まずは法的な 

取り組みが必要だし、そういう意識がもてる

政治家が必要だ。日本人の和の精神は世界

で称賛されているとかだが、それは世界で 

それほど珍しいということで、それほど 

孤立した精神だということだ。それを活かす

和の精神とかを活かすにしても、もう少し、 

根底的な危機感が必要とされる。ムキになった 

り、感情的になっても一方的な意見になっても 

トラブルを呼ぶばかりなので、もっと慎重に  

進めなくてはならない、したたかに。  



:: 

さて、今まで言ってきたように、僕の主張はもう少し、 

先にある。


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