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もうひとつの実在、この世であてになるもの [実在]

もう少し、どうでもいい話を続けたい、と思う 

日はある。ほんとうにどうでもいい、という  

ことはない気がするので、皆が博士になる  

日が来るようなら、ほんとうに隣がなにを  

しているのか、気にならなくなるのかもしれ  

ない。自分の専門以外は興味を示さない  

だろうから。     

珍しく、公園へ散歩した。散歩して、初めて  

わかるご無沙汰振りという、・・・。  

歩くと雑多なことを考える。考えるのに最も  

適した運動様式なのだろう。または、その人の  

癖のようなもので、いろいろなスタイルがある、  

と風説は伝えている。  

確か、イギリス人は歩きながら考える、と。  

しかし、同じだ。亀島公園(小)に来ると、ザリガニ  

と小魚の生態のこと、土日のこと、湧き水のこと。  

その先へ進むと、目久尻川があり、その鯉や鮒、

アユのこと、エサをあげるあしなが叔父さんの  

’気’のこと、最近は彼等からの川の水面からの  

視野という人間への視界のこと、そんなこんな、だ。  


新しい思考がないのは、やはり、高齢のせいに  

しがちだ。ほんの7,8年前では見ず知らずの子供  

や少年・少女から声や合図を送られたのに、この  

処そういうこともなくなったと思ったら、50代以降の  

人から挨拶されるようになった。と言っても、まだ2人  

だが。  

僕にはもう躍動感がないのだろうか、と想像する。  

子供はちゃんと挨拶する子とため口のような態度  

の子といた。思えば、中高年から挨拶されるのは、  

今に始まったことではない。近所の人を僕は知ら  

ないが、相手は知っているのかもしれない。  

不思議でもなんでもない。  

そう言えば、鳥からの挨拶は近年、なくなったと思う。  

それだけ散歩をする機会が減ったのだろう。彼らの  

意図はいまだにわからないし、これからもわかる気が  

しないのは、正当な感覚だろうと思っている。  

劇的な思い出は、ミミズだろう。芹沢公園のベンチに  

坐っていて、2mちょいの幅の400mランニングコース  

をミミズが迷い出たのか、進んでしまった時のことだ。  

その硬い土道から芝生の反対側のスペースに行くには  

直接、土のある処は1ヶ所しかなかった。あとは少し  

盛り上がっていたのだろうか、草が強かったのだろうか、 

ミミズ向きではなかった。そいつを見ながら、もっと右だ、  

と正しい方向を指示した。もちろん、声もなく、頭で  

思っただけだが、どうなるか興味があったからだ。  

今でも驚くが、途中の2,3度の指示をすると、ミミズは  

その通りに方向転換しながら、その土の方へ次第に  

向きを変えたことだ。初めは斜めに横断しようとして  

いたので、かなり左にズレてしまうはずだった。その  

指示で2,3度方向を右へ変えて、最後はまっすぐ土に  

入って行った。  

これは驚くのはこっちだった。変な用語でテレパシー  

とかいうのだろうが、以心伝心というやつ。人間同士  

でもあまり起こらないのに、ミミズとの間でそれが 

結果として、できてしまったのだ。  

しかし、何の記録もなく、ただそう僕が言っているだけ  

で、実証できない。これを実験の形式に変えて、実証  

できたら、それなりに凄いことだろう。だが、そうなった  

としても学者はまず認めないだろう。今の地球上の  

大陸が長い間に分裂したと実証しながら、それが 

認められたのは、80年後だ。今は年間2cmくらい  

ずつ移動しているらしい。  

僕が感心するのは、ミミズは明らかに言葉を知ら  

ない。右が何かを知るはずもない。それをどうやって  

キャッチしたのか。右左ではなく、あっちのほうに行け、  

という「あっちのほう」をキャッチしたのだろう。 

だから、あっちのほうは言葉でなくて構わない。

すると、ミミズは向こう(右)へ行け、というフィーリング  

をキャッチしたのだろう。考える機能はないから、その  

感じのほうへ向けていっただけのことだろう。なぜなら、  

ミミズはそれなりに必死だったろうから。そのまま  

だったら干からびてしまうし、踏みつぶされてしまう。  

どんな指示が来ても、逆らえなかった。  

それで思い出すのは、車の運転をしていて、前に  

道を探しながらなので、のろのろ運転をする車が  

いた時である。これはイライラする。そこで適当な  

十字路でもあると、そこを右に曲がれ、と強く  

念じると、ほんとうに右に曲がってしまうことである。  

相手も焦っている。ここら辺りに曲がる処があるが、  

確実にはわからない。そこでは感覚がテンパって  

いるから、僕からの念なども伝わってしまうのだろう。  

右かどうかわからくても、ともかく曲がってしまう。

これは3,4回あったか、そのうち2,3回は右へ  

曲がった実例がある。  

自分に自信がない時は、そういうものなのだろう。  

ミミズとよく似ている。ただ、ミミズと人間とでは  

あまりに違う。比較できないというのが、今の科学  

の言うことだろう。  

僕が言っているのは、東洋の針治療のようなことだ。  

針治療は世界でも認められている。耳パッチは 

米軍が開発した、痛みをすぐに直す針治療を応用  

した耳へのツボをパッチするものだ。 

人間の体には300以上のツボがあるらしい。そこ  

に科学的なツボと認められる磁場とか、無痛点の 

特徴とか、神経の関りとかがあるのではない。 

昔からの習慣でそこにあるのが伝承されてきた  

だけだ。それも刺す場所だけでなく、その刺す深さ  

も決まっている。そんな微妙なことができるか、と  

言いたい問題だが、意見ではなく、名医はできて  

しまう。簡単なツボなら素人でもできる。  

ここには理屈がない。実証だけで支えられた医療  

なのだ。頭痛薬とか手術とか対症療法ではない、  

時には根治療法になるものだ。そして、なぜ  

そこにツボがあるのか、書かれた教科書はない。 

あるのはツボの地図だけだ。  

ここにあるのは面倒な世界だ。科学で実験、実証  

してそこから理屈(理論的に)で導き出して、症状に  

対応するのではない、科学的なアプローチのない  

医学があるからだ。  

僕が植物・昆虫・動物についてその体験を書くのは、  

たぶんそういうことなのだ。ここから理論的な原因は  

導けないかもしれないが、そこには確実に別な世界  

の体系がある。それはまだもとめられていないし、 

まとめるだけの事実もそろっていないだけで、  

現実の具体性に直接切り込んだ時に現れる、 

そういう世界なのではないか。それが僕の言いたい  

ことだ。僕らの社会も思想も確実にそこからは  

離れ続けようとしている。

東洋の医術はカン(熟練)に頼る部分があるので  

普及はしにくい。日本では治療費も高額だ。  

それが今の傾向だからだ。

僕は膝が激痛になった時に、まだ数年前だ、 

医者も薬もまったく(市販の風邪薬くらい)使わず、   

そこを痛めつける歩きで、歩き続けて翌朝には  

自己回復してしまった。まったく痛みが飛んで  

しまったのだ。島へ着いた時のことだが、

座間へ帰ってから、また少しぶり返しがあったが、  

激痛ではなく、痛み始めなので同じように歩いて  

治してしまった。  

膝をカバーするサポーターとか、痛み止めとか  

保護したり、緩和させるものは一切使わなかった。  

逆療法とか言われるものの一種と言われる  

だろうが、それを理由もなく実践したあの時の

判断も不思議なものだった。冷静な判断では  

ないと言えたが、だからと言って特別性急に  

判断した訳ではない。ミミズのように歩いて行け、  

という声なき声を聞いたのかもしれない。それも  

幽霊話と一緒だが、あの激痛は僕が持病で  

最高の痛みを越える激痛を5度の機会、その間  

20回近くの激痛に耐えなければならなかった  

経験があったから、実行したのだろう、とも  

思えた。僕は拷問で激痛に耐えようとは思わない  

が、病の仕方のない痛みには、激痛でも耐え  

なければならない。そういう経験に恵まれたの  

だろう。膝の痛みは今は他人事だ。  



この世界より他の世界はひとつではないだろう。  

僕らが現実を生き抜くにはそれらは直接、必要  

ではなかったので、そういう感覚を進化の途中で  

開発しなかったか、次第に疎遠になって行った。  

僕はなによりもそういう曖昧な世界を嫌ったので  

占いじみたことにはよく逆らった。右に行くな、と  

出た時は右に行った。実際に行動して、すべて  

裏目に出たものはあった。そういうものは自分の  

習慣に取り入れざるを得なかった。また、自分の

世界を縮め、自由を疎外すると思われたものも  

取り入れなかった。または、その法則、呪文(?)  

を取り入れた。
 

それは反省してみれば、知性的な科学的実証の  

方法での選択だった。それが僕のタイプであり、 

僕を決める。それで僕は最近において、それらを  

信じてはいけないと思ったのだろう。高齢になると  

信じられないだろうが、それらは単に自分の世代  

の信念になり変わっている。僕らはそれでやって 

来た経験から、それを信じ込んでしまっている。  

そして、だからこそそれに気づけない。気づいても、  

今更変えられない、と尻込みして心の隠居をして  

しまう。  

さらば、高齢者たちよ。それはそれでいいことなのだ。  

老人を楽しむことだ。今更、・・その通りだ。どんな選択  

でもするがいい。日本は今なら、まだ空も、山も、森も  

海もある。出かけないと。ただ観光だけでは勿体ない。  

少し、危険と隣り合わせの冒険をするのを、多少だが、  

正規の山道、観光を少し外れてみるのも、推奨する。  

僕の体に関しては、もう老境に近づいている。時間の  

問題だろう、とも思うが、最後まで見てみたい欲に  

逆らえず、(最後はないと知りながら)このまま突き   

進んでしまう頑固さは変わらないのかもしれない。  

自分を捨てるのが単純にいいとは思えない。それは  

自己保身のためではなく、自己を鏡として見る  

ためだ。そのために最後の自分も捨ててしまう。  

それこそ今まで言ってきた「この世にあてになる  

ものは何もない」という真の意味での実践だったろう。

ああ、ローレンゾ。



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