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砂漠の死と 自由の顛末 [自由]

いよいよものを書くのも佳境に

入ったのではないかと、その

終末観に感じて思う。

これがコケ脅しに潰えるのを

思いつつ、自由について考えた

過去の痕跡を自分の無意識の

どこかから拾って来るのも、

また一興ではないか、と考える

次第。

自由については今まで、平たく

ベタに無制限の自由は不自由で

あり、自由であるには制限を設け

て初めてその範囲内での自由を

満喫したり、味わったりできる、

とした。大筋も本筋もそれでいい

し、間違ってもいないが、しかし、

それの実行とも言える体験版と

なるとどうなるのだろう。

自由を求める意味合いは僕らの

生活編ではどういう形を受け入れ

るべきなのか。

HSP(Highly sensitive person )

=環境感受性あるいはその気質・

性格的指標である感覚処理感受性

が極めて高い人たちのこと。

HSPは最近流行っている言葉だが、

米国では精神病も神経病も同じ神経

から派生するものとして、一括して

しまったように自閉症などの症例

から特徴的なこれらをHSPと区切っ

たのだろう。

僕の見る処ではHSPと自閉症は紙の

裏表のように似ている。自閉症とい

う引きこもりじみた症状で表すか、

自己否定的な生活法で臆病になるか

で表現法が異なるので、それを

呼び名で変えただけではないかと

思える。

米国では5人に一人がHSP らしい。

それで80%の人が気づかず、認め

なかったので発見が遅れたとでも

言っているのだろう。

HSPは細かいことに気づき過ぎる

ので、思考が複雑に深入りしやすく、

その場で結論を出せない傾向にある。

共感性も高いので、相手の意を汲ん

で必要以上に同意を与えてしまう

傾向がある。

そのため常に自分が傷つきやすく、

生きづらく、早くに我慢を学び、

それでは解決策にならないので、

ある時点から自分に閉じこもり、

自分を守ろうとする。それが自閉

症の始まりではないか。


ここでややこしいのは、僕の場合

は自由を求める傾向が異常に早かっ

たことだ。それにはHSPの感受性の

傾向がそれを促進したということも

考えられる。

この2,3日で得た着想によると、

僕の思想から来る自由への求め方と

このHSPからくる自由な生活の自分

本人としてのあり方というのは、

自然にそこに集約されるのではない

かということ。

小学生ではすでに先生を疑っていた。

先生は何も知らないのにどうして偉そ

うに教えようとするのか、というその

教育姿勢に対して信用していなかった。

次に俳優という職業に対して、他人を

演じるのは自分を押し込めて他人の

人格を真似するのだから、自分の人生

とか生きざまに反するもので、無駄な

ことではないかと思った。なのでその

小学生の頃は先生と役者には絶対なる

まい、と思った。それは今も理由は

増えたし、深くなったが、それほど

変わっていない。

今はもっと酷くなったと言える、なに

せ何者にもなりたくないのだから。

それが一番自由だから。

そうすると、それは最も人生からの

逃避が成功した形にもなるのではな

いか、と疑念があるが、否定はでき

ない。それは実社会に生きる側から

の正当な見方であると思いつつも、

闇の無限さに同調してみての反省

がなければ、この姿勢・態度への

正確な理解は示せないだろうと思う、

のも事実だ。

もう逃げようもないものに取っ

掴まっているのだから、僕は僕の

自由な生活を目指すだけで、社会

的にどうのこうのは、まったく関係

ない想いだ。ただその僕の生活に

関わった人がそのために迷惑を

かけられたり、不幸を背負いこん

でいるのなら話は別だ。

今の処は不安定ながらも調整は

取れている。それを気にするのは

も少し先のことだろう。



自閉症という病気はあるらしい。

それも実際には見ていないので、

ドラマやニュースで知るくらい

だが、40歳でもまだ引きこもり

をしている人がいるというのは、

知って驚いた。

抜けられない人もいるのだ。

僕は自閉症というその特徴の

1,2か2,3か症状があるが、

僕がその時に困るだけで生活に

支障は出ない。これを自閉症

気質とでも言うのだろうか。

誰でもうまくいかないことで

憂鬱になったりすることがある

ように、それが長期に渡ったり

しないように(渡るなら病気だ)

病気ではないが、長い時間の

騒音や荒々しい場面には耐えら

れない。短時間なら、冷静なので

(昔から定評がある)対処して

解決できる。

しかし、一度その精神的緊張を

してしまうと、固持ができず、

酷い時は2,3日は休息が必要に

なる。還暦になってから、5年

くらいはそれまで通りに逆療法

で二日酔いに迎え酒の要領で、

生活が煮詰まって退屈に耐えら

れなくなると会社を辞めて、

海外へ出向いた。観光ではない。

歴史の地を訪ねたのだが、ほぼ

知らない国への一人旅で緊張で

苦しむのがわかっていて、苦しむ

ために出向いたのだ。これが迎え

酒の意味だ。

今の日本での生活状況が苦しいの

なら、もっときつい外国へ行って、

日本へ帰ってきたら、心が楽に

なるように、きつい国を選んだのだ。

そして、1ヵ月も旅行するつもりで

行き当たりばっ旅を香港から東南

アジアでしたのだが、目的のマレ

イシアのカンボジアのコタキナバル

へ着く前に半月で疲労困憊して帰国

した。

怖いと思う事は一度もなかった。

帰国してから、調べているうちに

地雷地帯の近くを歩いていたとか、

あとで危なかったと思うぐらい。



このめくるめく54年というものは

同様に生き苦しくあったが、その

底の深さに比例するように、非常な

喜びがあって、日常の興奮を上回っ

ていたので、貴重な経験と言えるの

だろう。百人は似たような体験をし

た者がいるはずで、もっと多いかも

しれない。

が、それは比較にならない。自分で

理解しえない部分があるので、お互い

に会って、その共通の話をしても、

それぞれ自分というサングラスを通し

て見たり、感じたものだから、HSP

でもないと繊細な話題ではお互いに

違和感を感じてしまうだろう。

だから、それが前もってわかる人が

そういう人たちには多いから、一人

でいることを好むか、気の合う仲間

とだけで過ごす人が多いのだろう、

と推測する、たぶん、大きくは

間違いないだろう。



自由については語ることがもっと

十分にあるが、あまりに感興が

異なるので、現実感が得られない

ので信じてもらえないか、誤解さ

れるだけだろう。そういう実験も、

亡くなったが母とか家族に話し

てみて分かったので、今更それを

持ち出そうとも思わない。

わからなければ、僕らはスルー

する、それが自然だ。

前回柔ちゃんで柔道対戦をしていて、

相手の上から、横から、四方から

見ていると、インタビューで語って

無視された話をしたが、それはよく

ある話で、例えば、右手と左手を

別々に動かして別な作業をする人

は、学者でもいる。大森貝塚の

発見で本も書いたモースがそうで、

器用に両手を別々に使ったそうだ。

不思議なのは、どういう意識の

持ち方をしていたかで、僕らは

ひとつの作業で一つの意識でしか

集中できない、と思われている。

日常経験ではそうだが、例えば、

宮本武蔵がそうで、二刀を使って

両脇の敵に対して、別々に戦った。

そうでなければ、誰も二刀流と

いう名を認めなかっただろう。

また、それほどの生来の器用さ

がなければ、実際、いなかった

のだろう、武蔵は二刀流の後継者

を育てていない。養子にした伊織

でさえ剣術は教えず、算盤や事務

の学問を教えた。武蔵は剣の時代

は終わると読んでいた。後継者も

無駄になると考えたのだろう。

手術中に死の境をさまよううちに

自分が手術台に載せられ、手術

されている様子を俯瞰で見ていた

という患者の話は、臨死体験の話

としてよく聞く。

特に柔ちゃんは試合の前にだい

たい故障している。その故障を

押して出場して金メダルを摂る

のだから、なにか不思議な力が

あると思いたくなる。ただ一般

の人よりも試合という特別な状況

の時だけ、意識がいくつかコント

ロールできる、ということかも

しれないが、・・。



その不思議な感覚に僕の自由は属し

ているのかもしれない。

闇は無限に落ちる井戸にも似て

いる。終わりがない。そして、

やがてすぐに落ちる感覚も失う

だろう。

宇宙空間のようなもので、上も下

もない。中心がないから、どの

方向へ落ちようと、進もうと同じ

ことだ。

すると、感じるべき孤独という

ものはなくなる。孤独は進む方向

の上でどんどん広がり行く無限の

感覚に支配される。それは限られ

た空間で普通に感覚できるもの

ではない。それを超えてしまって

いるからだ。

僕らが限られた存在であるから、

それに対応した存在に対してしか

感じない。

葉っぱやおもちゃは限られた空間

にあるので、僕らが感じるのを

許すが、無とか無限とか永遠など

というのはもはや戯言に過ぎない。

僕ら人間の感覚する対象という範囲

を超えてしまっているから。



僕は洗礼かのように、無の世界に

19歳で突入させられているから、

その気がつかなかった激しい

ショックから人生を組み立て始めた、

という気がしている。

闇には精神だけでも、到底住むこ

とができない。そこに僕は「自分」

がその防御機能を使って場所をこし

らえたのかもしれない。安心できる

場所として核シェルターのように。

外には出れないが、そこから壁一枚

で闇を感じることができるように。



無限の自由は不自由に行き着く状態

の最初だ。やがて気づく。自由の死を。

そこで究極の孤独とも言える場所を

そこに作った。時々懐かしくて帰る

場所がそこなのだ、という気がする。

その限られた空間の孤独の場所が

つまり、自由の場所だというわけだ。

これが僕の望みで、計画だったろうか。

そうとは思えない。むしろ、これしか

できなかった、僕と無意識との苦肉

の妥協策ではなかったか。

これを聞いても、誰もそれが自由を

感じさせる場所とは映らないだろう。



自閉症気質の部分、重ねて天才では

ないが天才タイプ、重ねてHSPとか。

しかし、子供にも孫たちにも神経

障害者はいなかった。問題を起こし

て苦労の種になるという話は周囲に

多く聴くが、僕には見舞われなかった。

なので、貧乏(日本で貧乏になるのは

難しいが)でも困らない。

つまり、気ままな自由という日常生活

はなぜか保証されている、今の処。

しかし、もう彼らの問題は彼らのこと

になるだろう。高齢者の親に頼ろう

とは思わない。葬式代(保険)は残し

ておいてと言われるくらいだ、笑。



ほんとうに僕らが100%得られる自由

というのは心の自由くらいだろう。

それでも難しいと思われているだろう。

たぶん、僕はそう考えた。初めはそれ

を芸術や美術などのアートを創出する

ことに求めたが、それらは理想の没落

とともに姿を消した。

そう思いだしてみると、現在では僕は

自由の中に何かが居そうだ。その秘密

が今、秘密なのだと現れた気がする。

たぶん、黒幕は生命の神秘とか不変の

愛とかいうやつらなのだろう。

それがどういう関係に結びついている

のか、または新手が加わっているのか、

秘密だから今わかるわけもないが、

感じるだろう。そこにしか手がかりが

ないことを。

そうして僕は精神の自由を100%手に

入れた、というわけだ。

寿限無・寿限無・ナントカの・・。

これは何だろう。名付けられたこと

もない、当然理解の外にある、この

状況は、 ・・・。

強い自我が自分を支えている、のを

深淵で感じるようだ。それは狂気に

陥るまいとするもう一つの狂気だと

も思える仮説だが、・・。

これでも僕は動かない。ここにいる。

すこしも、私はどこにいるのか、と

感じない。

もう言葉では限界だ。



稀にしかない瞬間というのはある

のかもしれない。

事実というものは決して言葉に

ならないのは奇妙な仕掛けだ。

それは言葉が弱いと、役に立た

ないのではなく言葉で理解する

範囲がいつも誤解・曲解・空想

の中に浮かんでいるからだ。



さらば、友よ 

君は 僕の自分だ 

もう 戻れないのだろうか

いつか  消えてしまうのだろう 

僕は 誰かで あるのだろうか 

空想ではない  居場所として 



さらば  僕よ 

それで いい  

君が 満足ならば 

自己満足と 言われてもいいが 

感じないものを 

どう感じれば いいのだろう 

砂漠の 日照りで 乾燥死だろうか


なら


それで  


いい




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