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自分を応援すること [応援]

休みに入り、気持ちにも余裕が出てくると、 

つまりはブログを書く理由が対外への理由による 

ものではない、心に直結したものだと、言われた 

ような気が、  。 


心はいつも意外な答えを持っている。それは心が 

所有しているのではないけれど、僕らが万華鏡の 

ように同じ細かな素材を組み合わせると、無限の 

組み合わせの美しい模様ができるように、予想を 

させないものだ。

ところが、万華鏡にまかせればいいものを、やたら 

知識が豊富だと過去の例や考え方に合わせようと 

して、組み合わせの解釈に夢中になってしまう。 

組み合わせの統一理論があるのじゃないかと、 

次の組み合わせを予想する数字にのめり込む。 

それも一時期では必要だが、無限の前ではやがて 

衰退する。それなら、美しい模様に注意を傾けても 

損はしないはずだ。 

僕の場合は少し違って、なにか根源的なものを感じる。 

それが語りかけるのなら、そのことを聴き取ることが 

大事になる。それは通常の思考や社会感覚の形を 

していないから、独自に表現する工夫を必要とする。 

なんでもいいが、僕の場合は、長く付き合った言葉の 

組み合わせなのだろう。   

ブログはその発露だ。それで僕はブログをそのように 

利用している。僕がその表現の工夫に転換を考えて 

いるなら、それに従って、ブログの方向も転換させたく 

なった、ということだと思う。  

題名を決めて書きだすのは、いつもの逆でできそうもない。 

書いてしまってから、題を決定することがほとんどだから、 

やりながら、題が決まるだろうというのが筋道になる。 

そのうちに決まるだろう、書いているうちに、題が浮かぶ 

だろう、というのが正直なところだ。 

この流れを僕が決めるわけではないから、それは仕方 

ないのだろう。これはやり方というよりも要領だと考える。 

僕は考えたものを書くというよりも、書きながら考える。 

頭の流れは一切確認がないから、書いてからでないと 

冷静に考えたことはない。反省などしない。推敲もない。 

基本な間違いをその場で正すくらいで、どんどん書いて 

しまう。あとで直せばいい。書ききるまで、考えずに、書き 

きる。だから、こう表現するにはどの言葉を選択すれば 

いいか、という考えはしょっちゅう起こっている。それで 

書いて、「よかったか」、という反省・確認をしないだけ。 

前にも書いたが、ピッチャーを育てるコーチの言い分だ。 

とにかく速い球を投げさせる。ノーコントロールでいい。 

どこへ行くかわからなくていい。思い切り投げさせる。 

その合理的な速い球のフォームができてきたら、初めて  

少しずつ、コントロールを教え始める。少しずつフォームを 

変える。・・それまでは思い切り投げることに集中する。 

それだ、思い切り書ききることに集中する。才能がある 

人はそうやっているんだろう。コーチはそれを知っている。 

僕はコーチではない。偶然、無意識に飛び込んでから、 

それができた。ロマン・ロラン(フランスの大作家)の言葉 

もあった。言葉が浮かばなかったら、同じ言葉で書け、言い 

回しがわからなかったら、そのままくり返せ、ということが 

書いてあり、僕はそうか、それでもいいんだ、と勇気をもらい  

それが教訓として生きた。考えながら書く苦しみから解放 

されて、ともかく人が眼の前にいるように、しゃべるように 

書くようになった。頭のつっかえや予防線に頼って、それに 

邪魔されずに書けるようになった。 

コントロールは要らない、まず大量に書ければいいんだ、と。 

その通りだった。還暦までに40万字(以上?)は書いたのでは 

ないか。小説だった、思考の作文も。詩は少ない、1,2編か。



考えるのは普段、一人の時に静かに黙ってぼんやりしながら 

ただ考えを巡らせている。時々、重要な発見があって、それを 

メモするので中断される。多くはない。いつもぼんやりしている。 

いちいちメモする必要はない、長い思考や、過去に中断された 

思考が思いもかけずに結論づけられた時だけだ。 

僕が書くことで苦しんでいた時に、していたのはこういうことを 

どう現わしたらいいのか、ということでずいぶん悩んだ。ところが、 

今はそれが肥やし(言葉の選択)になって、いくらでも利用させて 

もらっている。長い数十年だったが、もうやめようと思っていた時 

に無意識に飛び込むことになったから、役に立たないはずの 

ものが、役に立った。そんなものだろう、どんな努力も後になって 

みないと役に立つかどうかはわからない。人生半ばだったら、 

いや、その後でも今、携わっていることは一生懸命にやって 

おいて損はない。よほど生活のコントロールを捻じ曲げて、悪く 

させていない限りは、すべて役立つ。僕らがいいと思うものは、 

狭く考えられ、判断されたもので、そのうちにすべてをやりたい 

ことに結び付けることさえできるようになる。年齢はまったく関係 

なく、生活はそうできている。人との比較ができるうちは、まだ 

自分の道に入っていない。そればかりしているようだったら、 

どうしてそう自信がないのか、自分に尋ねるのが先だろう。  

わからなかったら、かまわない、ともかくこれらしいことを、 

考えずに続ける。これではないとわかるか、まったく向いて 

いないとはっきりするか(自分の考えや気持ちではなく)までは、 

ただやればいい。疲れて、倒れて、からだ、反省するのは。 

今、気がついたが、これ、自分を応援しているんだな、 

過去をもう一度出してきて、これまでの道のりを思い出させ 

ているんだな、と。つまり、次の課題へ向けて助走が始まった、 

そういうことなのだろう。   (僕は僕を応援する)



あれは 鉄道工事の  一環だったろう 

両手の幅の  重機を持たされ  

梯子段で、 地下に降りた   

とんでもない  持てる重さではなかった  

腕が 抜けるのが  わかった  

重機と ともに  梯子から 落ちた   

落ちなかった、  何とか支えて  

下まで 降ろした  

凄まじい 重さに  声で 助けが呼べなかった  

持つだけで 筋肉以上、 体がすべて  反応した  

あれは なんだったんだろう?  

持てないはずの 鉄の塊を  

落とすか  落とさないかの スピードで  

追いつく感じで  下に  

あれは  あり得たのか?  

落とせば  重機よりも  

人間が  どうなったか?  

下まで  3mは あったはずだ  

腰は  持って行かれ、  腕は抜けた  

下へ着いてから、  無理です! は 

おかしいだろ  

がたいの いかつい班長が  軽く  

一人で 運んだが、 

二度と、  二度と、  できるもんじゃない 

火事場の バカぢから、  とか言うが、  

そんな余裕は   なかった  

死ぬかと  思った  

夜の  鉄道が すっかり止まってからの  

仕事だった   朝の4時には  

線路を  試運転の 箱が  走る  

笛が 鳴って    線路から  

離れるよう  指示される

走る箱、 それを見ながら、  この仕事は 

終わりだな、  そう思った、
 

いい 夜明けだった

空気の  しみじみして 




そう、30代前だったろうか、 そんな時代だった。 

肉体で生活費を稼ぐ。出世とか、割のいい仕事とか、 

そんなことを知るのは、もう少し先だった、あの頃。

人間はなぜ生きるのか、その難問が地球ごと、僕の 

前に立ち塞がっていた。その壁に向かって、つるはし 

のひと振りを下した頃。

無謀だった。  

それに気づかない、うらやむくらいに、できないことは 

なにもない、と。  

インドから帰っても、それは変わらなかった。ひとりで 

できないことはある、とおもったぐらいだから、あきれる 

ほどに楽天の塊だった。

それでよかった。

僕は  それだったから。  

あきれるほどに、 ・・・・。
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