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渋谷の戸栗美術館で古伊万里を見る [古伊万里]

断っておくが、只今、家の前で工事中。


9月になったら陶器を見まくるつもり

だったが、早く起きたので、東京に

出かけることにした。

古伊万里1-1.JPG

この美術館、地図グーグルに名前が載って

いなかった。近くの渋谷区立松濤美術館

が目立っていたので、調べたら、こちらは

展覧の切り替え中で休館していた。

松濤の辺りは大きく、瀟洒な建物が多く、

資産家の家が多いのだろう。まったく

住宅地で飲食店の一軒も見当たらない。

その美術館も住宅の一軒のように建って

いて、スマホの案内がないと、迷いそうな

処だ。


出がけに時間は戻るが、玄関前でタテハ

が飛び立つのを見た。珍しい蝶かな、と

思ったら、すぐに近くの植木の葉に止まった

ので、カメラを取り出した。

マダラアゲハ1.JPG

アカボシゴマダラという外来だそうだ。

神奈川県を中心に周辺の県に拡散した

らしい。日本本土のゴマダラチョウは赤い

斑点がなく、そこで区別される。羽化率が

低いとかで、大量に生まれて、急に在来種

を駆逐するような恐れはなさそうだ。

ちゃんと羽を広げたり、閉じたりするが、

カメラを向けると羽を広げて、ポーズを

取っている。


暇な美術館だった。平日でお昼過ぎという

時間帯もあったのだろうが、僕の貸し切り

で、館内に僕ひとりだった。

広くもない展示室が2階に三つあるだけ。

なんの変哲もない、模様も絵もない四角柱

に首のついた壺があって、釉なしらしい、

伊万里のイメージから遠いので、こういう

時代もあったのか、と。

見て回るとすぐ気がつくのは、僕らの

伊万里のイメージは柿右衛門だという

ことだ。その当時は秀吉が朝鮮から

陶工を引っさらって来て、50年も

経った頃で、日本独自の焼き物が

立ち始めて、中国が乱世で焼き物

どころでなかったので、欧州では

代わりに日本の伊万里焼が珍重

されたらしい。

東南アジアからインド、中東へ輸出

され、もう一航路はケープタウンを

回って、オランダからヨーロッパ全土

に拡がり、各国の王様はそれに魅了

されたという。

ドイツ、その頃のアウグスト強王は

特に中国磁器・日本伊万里に夢中

になり、同じものを造れ、ということ

でたった4,5年で後に今も西洋世界で

一位を誇るマイセン陶器が技術的に

完成した。

文化では浮世絵版画、伊万里、昨今

では任天堂ゲームやアニメと、日本

はいろいろと世界を席巻する運命

らしい。


素晴らしい絵付き大皿もあったが、

柿右衛門は僕には飽きるようだ。

それよりも初期の古伊万里に視線

が強く囚われる。素朴な庶民的な

絵柄が、下手なのか、ともかく芸術

のリアルにこだわっていない。

僕の趣味に合うからだろう、古伊万里

は見どころがあった。

古伊万里2-1.JPG

壺の曲線までが、なつかしい。

古伊万里3-1.JPG

ほぼ淡彩で、濃淡だけ。子供の頃に

見ていたような気にさせられる。

古伊万里4-1.JPG

水墨画の例えば、雪舟のリアルさ・軽さは

ないが、童話の夢の話の中を想起させる。

こんな絵を描いてみたいものだ。

帰りに古伊万里の選集の本を買ってきた。

上記の写真はすべてそこから拝借したもの。

戸栗美術館発行。


来るときは京成の神泉駅で降りて、来たが、

帰りは渋谷駅まで歩く。2,3分しか変わら

ないだろう。その駅に近く、路地の間に

廃墟があって、こんなところに、と驚く。

渋谷廃墟1-1.JPG


渋谷廃墟2-1.JPG

夜の遊び場にでもなっているのだろうか。

8月2日投稿の小松美羽展だが、あれから

作品をゆっくり見て、技術面だけでなく、精神

面でも感想を書こうと思っていたが、思わしく

ないので、止めにしたのを断っておく。

少し気になってはいたが、いざ見て見ると、

面白い絵柄というのではなく、やはりどこかに

恐怖があるようだ。対象はオカルト的で

魑魅魍魎の類ではないか、と思う。彼女

とその魍魎との関係性で意見は分かれる

と思うが、少しも楽しそうではないので、

また謎も一面性に感じるので、深入りする

気はない。健全に方向を定めて、続けて

行ってほしい。


商売の楽しさと造形の趣味の楽しさは

全然別物で、僕は初めから分けていた

わけではないが、ただ売れるものを造る

には多少時間がかかると思っていた。

ところが、想像よりも難しくて、面白い

ことが分かり、はるかに時を必要とする

ので、趣味と商売に一線を引いたわけだ。

もし、今売るとしたら、誰かの手を借り

なければ、というのはそういう意味で

自分も加わる’かも’のコラボの作品で

あるだろう。

趣味ではまだまだ素朴にこだわっている。

素朴というよりも、デザイン趣向を除くと、

それは素朴に見えるということだ。それを

目指しているのではないが、わかりやすく

「素朴」という言葉を使ったまでだ。

だから、自然に今日も古伊万里に惹かれ

たのだろう。それは目標ではなく、同類が

ある、眼の前にある、ということ。

造形は常に自由の中にある。誰もその

邪魔はできない。それが邪魔にされて

いると思うのならば、あなたの中にそう

(邪魔だという規範の概念)いう抵抗が

あるからだ。それはあなたが自分に

自由を奪われていることだ。

しかし、説明のためには時に、その

古い概念を使って書かねばならない

ことはある。言葉はそういう時、二重

になるから、別の意味も拾ってやらない

といけなくなる。全体をよく読みこめば、

あまりひどい誤解はしないものだ。

そのためにいい意味でも、悪くも、

常識はある。あなたの心の成熟度が

それを左右する。どこがいいとか、

まだだとかは、実際にない。

どこに居ても、だから、あなたはあなた

なのだ。誰もそれを否定しはしない。

あなた以外は。

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