あとがき「快方とはそんな空」 [あとがき]
*世界を理解することは、そのはじめが素晴らしい。
理解し終わることは、厳密にはないが、全体が見えることはある。はじまることは
終わることだが、それが完結するなら、そこからはまた新しいはじまりになる。
記憶に残った世界が、そのまま心につながり、動こうとしないのならば、新しく
はじまることもない。
これは選択の問題に見えるかもしれないが、自分の資質と運命のことで、その場
に立てば、すでにそれが決せられているのを知る。その時までは、わかることが
ない、それが僕らというものだ。自由とか自由意志というのは、僕には未だ、
冗談に思える。僕は、しかし、自由な気分はいつも手に入れようとしている。
自在感というのも夢のことなのだろう。ところが、それには手をつけることが
できる。
そういう心の峡谷から現実の谷間という、わかるようでわからない綱渡りがある
のは事実だ。直截の夢が叶うというのは、まやかしだが、現実に形を変える
(または整える)というのは、ほんとうだ。この不安定になってしまう表現の、
当の経験を目の当たりにしてほしい。
百聞は一見に如かず、と大昔の人も言ったではないか。
理解し終わることは、厳密にはないが、全体が見えることはある。はじまることは
終わることだが、それが完結するなら、そこからはまた新しいはじまりになる。
記憶に残った世界が、そのまま心につながり、動こうとしないのならば、新しく
はじまることもない。
これは選択の問題に見えるかもしれないが、自分の資質と運命のことで、その場
に立てば、すでにそれが決せられているのを知る。その時までは、わかることが
ない、それが僕らというものだ。自由とか自由意志というのは、僕には未だ、
冗談に思える。僕は、しかし、自由な気分はいつも手に入れようとしている。
自在感というのも夢のことなのだろう。ところが、それには手をつけることが
できる。
そういう心の峡谷から現実の谷間という、わかるようでわからない綱渡りがある
のは事実だ。直截の夢が叶うというのは、まやかしだが、現実に形を変える
(または整える)というのは、ほんとうだ。この不安定になってしまう表現の、
当の経験を目の当たりにしてほしい。
百聞は一見に如かず、と大昔の人も言ったではないか。