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散文で考える存在と触りたくなるその世界という事情(随想で) [中途の随想]

渦に巻き込まれ  生命は拡散する 

その渦を 透過するように 

真上から眺める 意識はふたつ 

同時性はない  片一方だけを

操れる 


僕は いつから こんな 

面倒な方法で  生きてきたのだろう 

そんな昔ではない 近い  過去  

還暦という 名前が あった ー


嵐を待つ晩は  このように 

静かで、  気がかりが  

一掃された  この 雰囲気が  

いい  


夏の 葉 とは 

なんだろう 

辞書で 調べてみるような 

言葉ではない  詩的な、でもある 

思いつき、でもある  もう 

過ぎようとしている 僕らの季節  


16 は 過ぎた  

60さえ  過ぎたのだ  

若さには  わからないうちに 

這入り 

気づかないうちに  親の  

役目を していた 

初めての 若さは  

そのように  


還暦は いい年齢だと思った  

老化はなく  

もう少し  遅れた  

やっと 気づいた 初めての

年寄りは  やはり まだ  

身丈に  あっていない  

そう思ううちが  兆し だった 

そう 認めるのが  億劫になる  

それが 兆し 


明るさ というのは 心に  

暗い色が  あると  

反射的に  反映されるが 

光だけなら  すべての影を

追い払うだろう  

隠せはしない 痴呆のように

闇だけなら  すべての光を 

反射させないだろう 

重くて 生きた気がしない 

どちらにしても  色はなく 

すべてが  見えない  

それは  明るいとも  

暗いとも  いえない  

名前が ないというのは

それと よく類した事柄だと  

思っていたが  

色もなく  光も影もない  

そういう世界は  なんだったり

するのだろう  

見えない そういうものが  

直接な 物 だったら  

こんな感じを  持つの 

だろうか  

これは また これで 

新しい  迷子に

なった 気分なんだが 



君の 眼を 見ていると  

似たような  別な眼を  

思い浮かべてしまう  

似てもいない  好きではない眼は  

思いもしないが  もっと  

多く  あるのだろう  

どうしてか  わからないが  

完璧な 顔というものが  

あっては いけない  のか

これまでも これからも  

ないだろう と 

腑に 落ちるのは  どうしてか 

それが  それぞれの人の 

理想だからか  

僕も 同じように 

それを 見ようとする からか  

眼は  ただの 眼 なのか 

それが かけがえのない ことは 

ないはずなのに  

僕らは 眼に 自分の理想を 

見る 

自分の 価値を 見る  

理屈ではない  思い込んでも 

信じる  それを  

もう  それは  狂気  

恋は  だから  正気では 

ないのだ  



狂気ではない  それを  

知ることの できないのが  

正しい 恋 なのだろう  

眼は 覚めないのだ

おぅ



僕らは  狂気を 讃えて  

安心したい のだろうか  

恋について  

わかったような  ことを 

言い過ぎて 



人は 考えに  

安心を 見出したい  

教訓や 人生訓  偉人の

生涯に  

それらが  どれほど  脚色されても

それが 役に立つとの  

善意に  裏打ちされて  お互いを

欺いても  

なにか それが 大切だとか 

それが正しいとか  それが 愛だとか 

そういうものを  正義のように

悪徳のように  求める  

何も 指針や 羅針盤が ないことに  

耐えられない  

そして  年齢が 相応に  

重ねられると  なにかが ささやくのか 

人を 信じていない 自分を  

見つける  

だから  なにかに  すがるのだが  

その頼りになるものが  なんであろうと  

すべて  善いものでは ないだろう  

そして  必要でないものは ないだろう  



なにかを 失ったのだが  

それは もう  自分を知る必要を

失ったと  仮の申請を

している  



あいまいさの 海から 渦から  

逃れる  オールの手を 

その力を  手離すのだろう  

お疲れ  お疲れ  ご苦労様と 

海の 藻屑(もくず)に 

なったとしても  

それは  誰も非難しない  

あなたの 権利だろう  



苦が 見える  

それと 同じだけ  もっとか 

楽と 歓喜が  わかる  

苦とを 隙間をあけて  

押しとどめながら  対決する

その力の分だけ  

あなたには  応援が あるだろうか 

危険に 救われたことが ー

それが ないなら  すべての 

冒険は  命は 永らえないだろう  

その 必死の 力の分だけ  

その  苦の 理解の苦しさだけ  

楽と 歓喜は  

想像を  遥かに 超えて

輝き  広がり  充実したものに 

なって  ー



その声を  頼らずに  

ただ  聴いて  

ただ  聴いて  



はるけき 

この  歓喜の  丘  

はるけき 

この  輝きの  空気  

はるけき 

この  部屋に  やまない 

美しさの  旋律 

祝福  誰からの でもない 

この世界の  素晴らしさ  



僕らは  悲しみから  愛を

栽培しなければ 

ならなかったけれども

愛もなく  善も 価値もなく 

”もの”が  あること  

それは ふつうに感謝では  

ないけれども  

生かされているとも  

限界以上に  生きようと

しているとも  思わないが 

この 部屋が  世界に  

なり変わるのが  わかる  

それは   なにか? 

それが  解決という 答えに

ならないだろうか?  

この 部屋全体が  夜空に  

向けて 

叫んでいない だろうか  

この ・・・ が 



アズ  ウィンドウ  

大きく  両腕を 広げ 

息を  する  



僕らは  なぜか  最後は  

素顔に  なろうとする  

愛は 失われ  

善は  気まぐれな親切と 

変わりない

秩序は  その人の 気に入った

世間の指針の  ひとつの選択で  

それらの  思惟の =恣意の

あいまいな全体の  むなしさ 



素顔を  向けて

その 大いなる  向こうに  

なにかを  見えるように  

なるのだろうか ・・・・

そう  思うのだろうか  



まだ  

先のこと  なのだろう  

まだ 若い

君にとって  

もう 考えたくないほど 生きた

あなたに とって  



僕らは  考えたくないのだ  

いいだろうか  言って  

なにかが 残らないということ  

死んだら  何も 残らないということは 

まさに 死んでも 

認めたくない  

そして  自分では 知らずに  

認めてゆく  

それで  人を 信じたくない

認知症と いうのは  

自分に やさしい  記憶なくしの

装置なのだ  

必要な人が 増えるから 

患者が  年々 増える  

病気ではないの かもしれない 



なにも  残らない  

それに  全部で 全抵抗するのは 

誰だろう?  



それが  僕らの中に 

僕らが 築いた  

自分という レッテルの 城なのだ 

(としたら?)



死を認めても そう考えても  

なにも 変わらない 

認識は 知では 抽象でしかない 

現実は  ここに  ある!



どう行動するか  どう活動するか

なにを行動するか  なにに活動するか 



それは 



目の前に  大自然と関わって  

いくらでも  あるのでは? 





ふー、 ふー、  ロー ラー 

そー、 そー、  そりゃ ない 

はい 虫   らい   牛  

こりゃ  れい わい  

できすぎた  童話の 人形たち 



そうだ あいみょんが  歌ってた

― ほんとの気持ち ぜんぶ 

吐き出せるほど  強くはない ー

僕らは  弱い  

弱いから  相手の強い考えや

主張 信念 人生訓を 借りて  

自分に併せて  強く  

見せたいのだろうか  

自分も そうありたいのだろうか  

自分の 考え 信念 教条として

持ち出して  壁にする

それ、他人の 鎧ではないのか

考えて みたか

そんな 自分とは  

なんなんだろう? 

その 鎧が 自分だと 

思ったことはない? 

皆が 皆  

お互いの 鎧を 着込んで  

戦場に 出て 

他人の武器で 他人と闘う 

戦いは 必要だが 

その壁も 戦いも 



混乱を 極めないか?




現代はそうではないか?


百年後の 現代も  そう 

ではないのだろうか?


僕らが 自分と 闘うというのは

嘘だろう 

他人になって

他人と 闘うから

他人同士で 戦うという

愚を 犯している 

僕らは 自分が  レッテルという

なにか 別なもの であるとは

決して 認めないだろう



オレは 人と 違う! 


私は 他人とは 違う! 


もっと 価値のある ・・・・・

もっと いい人間だ ・・・・・

・・・・・・・・・





:::
「私は他人とは違う」

いろいろな意味でですが、間違って

いません。少し、斜めに世間を

見ているのですが、かなりズレて

いるのでもないため、思い当たる

ことも多いはず。

僕は最低限の自分という位置を

発現させなければ、言葉を書く

という行為は不可能、できない。

それが意味するのは、僕の描く

世界は僕というひとつの見本に

過ぎないということです。

世界や世間の・常識の規格は

大幅に乱れていますが、それが

肝で、新しい視点から考える

というきっかけを提供したい、

ということと思ってもらえれば

OKです。

僕らが体感できていることは

わずかなものに過ぎない。僕

には「宇宙」といって、それを

自分のもの(体感を含めた理解)

にして言っているなら、どうして

その瞬間に、その無限さに気絶

しないのか、不思議です。

そのために心に工夫を凝らして

言っているなら、そのことも

書き加えておいた方が、親切

でしょう。


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