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縄文の神社やら文明やら [縄文]

微熱がある。意識はしっかりしているが、

薬も効いているので、ぼんやりに気づか

ないかもしれない。それでも言うことは

わかりやすいことなので、朦朧にはなら

ないだろう。

縄文のことだ。縄文時代の遺跡発見が

近年相継いだために、縄文ブームが

起こった。暇に明かせて、訪問しようと

思ったのは「縄文神社」という本を見た

からだ。縄文と神社が僕の頭では結び

つかなかった。その本で近所にもその

縄文神社があり、また縄文時代の驚く

べき長さに、一度調べて確認した方が、

となった。

埼玉県の三峰神社があり、ここが縄文

の遺跡が近くにあり、縄文神社だという

ので行こうとしていたが、人と会う約束*で

向こうの都合で、この日は神社訪問は

キャンセルになった。 *人と会う約束では

なかった、記憶違いは薬のせいだろう。

少し、忘れることになった。

そして、「縄文文明」という本を見て、

文明?なんか大げさ臭くない?と思った

がその長さからすると、そうとも言い切れ

ない。

最古の土器だったが、青森県の大平山元

遺跡から発見されて、紀元前1万5000年

から1万6500年のものとわかった。

最古と言われたシュメール文明は前5500年

が草創期だったから、それよりも1万年!古い。

めちゃくちゃな長い時代である。

例えば、埼玉県にしても、その縄文の草創期

には海がすぐ側まで来ていたから、神奈川・

東京などは存在していなかっただろう。

それだけ陸地の地形が変わってしまうような

遥かに長い年代である。

21世紀になる少し前から、どうして縄文

遺跡が発見されるようになったのか知ら

ないが、この異変は大きい。僕らは気づい

ていない。その欠片に気づき始めた

だけだ。

縄文神社がその縄文遺跡の近くにある

のは、その土器などの遺片を祭ってある

神社だからだ。驚くなかれ、縄文遺跡は

現在、全国で9万6000ヶ所くらいあると

いう。日本地図にその点を塗りつぶし

たら、相当大きい地図でなければなら

ないと想像されるが。そして、実際に

それは全国に広がっている、北海道から

四国・九州まで。日本の地形が変わる

くらいだから、縄文人も移動したのだろう。

東京ができたから、行ってみぺいか、

神奈川ができたから、行ってみぺいか、

とは言わなかっただろうが、長い時間で

みたら、そんなことだったろう。

縄文の火炎土器は有名で、その芸術的な

表象は見飽きることがない。そんな昔に

そんな芸術的なものが生まれたのは、

偶然ではなく、そういう文化が醸成される

ほどに十分な長い長い時間があった

からだ。

それをオーバーな言い方をしてみよう。

縄文に惹かれる人は多い。僕もそうだが、

たろう、南極のタロ・ジローじゃなくて、

画家の岡本太郎も縄文について熱く

語っている本を見た。ブログでもそれを

ちょっと漏らしている人を見かけるし、

縄文には心惹かれるものがある。が、

それは本末転倒ではないか、と僕は

考える。縄文が中心なのだ。そこから

僕らが自然に惹かれるようになった

というのが本筋だ。

それは縄文時代が前1万6500年から

弥生時代まで1万5000年続いたことに

よる。数字だけでは実感がない。

よろしい、こうしよう。国家資格試験での

合格点は大体80点以上だ。そこで変な

問題だが、「日本史で最も有意義な時代

は何時代ですか?」というのが出題され

たら、答えは「縄文時代」だ。そのわけは

縄文時代はその弥生時代まで1万5000年

続いた。15世紀続いたのではない、

150世紀!!続いたのだ。一桁違う。

弥生時代から僕らの現代まで、なんとたった

の31世紀である。それは日本史の83%は

縄文時代だったことを意味する。83%なら、

国家試験でも合格点ではないか。十分に

正解に値するのだ、ま、冗談だが(笑)。

しかし、改めてその長さに想いを致しても

わるくない。僕らはだから、縄文人としての

意識の流れも深さも十分な日本人として

ここに至ったのだ。これはほんとうに言葉

にならない認識だ。

日本人とは何か、というのもひとつのテーマ

としてやってきたが、ここで出発点と共にその

醸成は縄文時代にあると言ってもいいだろう、

という思いがする。それがあったから、7世紀

の聖徳太子も仏教と神道を融合させて、皇室

の権威と権力を分離させて、権力争いに巻き

込まれないように、権威の皇室としてその願い

で皇室を守らんとしたのだろう**。1万5000年

も続いた縄文は平和だったから続いたのでは

ないか。その精神が根付いたと解釈した方が

納得がゆく。

縄文土器がミクロネシアから南米やその他

から発見されているし、その地域から真似事

ではない、まったく同じ手法で造られたことで、

縄文人が世界に拡がったことも、やがて裏

づけられるのだろう。

僕ら日本人が誇りにすべきはそこらにある

のだろう。  150世紀の長き縄文に。


::
もう少し、遺跡を訪ねたりして、調べてから

書こうと思っていたが、微熱のついでに

書いてしまった。  微熱、万歳!(笑)

**

聖徳太子の皇室擁護については、田中英道

氏の要約らしい論説を見た記憶があるのを

思い出した。論旨を借りたものだと思う。

記事の趣旨ではない。
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