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脱力3 哀愁とネズミ [悲哀]

なんでもいいから、なんでもない

ことを書け、と言ってもいいし、

言われたこともあるかもしれない

し、と普通のことのように思える

が、僕にはそれが限りなく不可能

に近い要望だというのが、結論に

なる。

それは初めに、なんでもないでは

なく、何気ないことを書く、それ

を知らずに狙ってしまう。

何気ないユーモアやくす笑いを

書いて狙いも意識したのではない、

という処を書く。

どんなことにしても文章にする

場合、なんでもなにか狙いの文に

変身させることができるのが、

文章を書くことの醍醐味のひとつ

なので、例えなにも狙っていない

つもりでも、その無意味であるが

故の無意味な面白味があるので、

自然にそこにペンが動く。文章家

根性とでもいうのだろうか、ほぼ

習性だろう。


もう脱力を書くのはやめだ。その

心境をつくるだけで疲れてしまう。

ある程度、回復してくると、こんな

ものなのだろう。脱力のテーマが

続けられるか、というテーマに

変わってしまっていて、もう目的を

備えてしまっている。サッカーの

ようにゴールを目指すようでは、それ

では自然に脱力にならない。



レインカップとは なんだろう

雨を 満たすための ティカップ

だろうか 

滴が  ひとつ ひとつ 

カップを 満たすまで 

見つめて いるのだろうか 

ああ  もう  

料理の 後片づけは

嫌だよ ね 

ネズミに 字が読めるなら 

皿洗いや 食器の片付けの 

アルバイトに 

応募して  くるだろうか 

それとも  ネズミの 調教を

すれば  ネズミはそれを 

理解するだろうか  そして 

おしゃべりを 始めるだろう 

猫が 夜中に なにをやって

いるかとか 

オレは  どの皿の 銀の縁の

輝きが 好きだぜ 

とか   無駄な話に

働く気 なんか  ないのだ  

ないに 決まっている 

だって 相手は  ネズ公だぜ



たいていの  空想は 

役に立たない  快いだけの

一文も  銭にならない 

それは  まれで  逆の話で 

僕らは 娯楽でつぎ込むのは 

そういう僕らの 生活とは 

かけ離れた 嘘話なのだ

わかりやすい 嘘はいい 

安心して  騙されるのが 

それの  どこに 

価値があるんだろう?

誰も 映画を観て  

詐欺だ  とは 言わない 


僕らが 騙されたい時 

そこへ  なにしに 行くのだろう

安堵して 詐欺に引っかかるのが 

そんなに  快楽 なのだろうか

夢は おもしろい 

どう考えても 

この海も  この山も 

この地球は  人間のためには 

つくられては いない 



小さい耳は  小さい女だ 

どんなに 美人でも 

同情を 禁じえない 

小さなことで  ヤキモキしてばかり 

人生が  生活より  

小さく できている  



不幸は  連鎖で できている  

簡単だ  

わがままで  ひとりよがりで 

マイペースで がんこなら  

その一つでも  満たしていれば 

それは 避けられず  

不幸が  不幸を引き寄せ 

なぜ  私は 不幸なのかと

働かない  ネズ公のような 

ことを  考えている 

おしゃべり ばかりしながら 



そうだ  君を 

誤解していた 

僕を  好きなんだと 

それが ほんとでも  僕は

そう思うことに  したんだ 

なにに  うんざりしたのか 

僕は  風邪に 罹るように 

愛を  

まるで  蟻のように  

踏みつぶしたくなる 

だから 

これでいいんだ と 

いつも  思ってしまう  

この 狂おしい ジレンマ 

好きだけど  

好きで いたくない 

まだ そんな 

思春期を  抱えているんだよ 

そうだ 

僕を  誤解しないで くれ

君が  好きなんだ 



そうだ  叔父さんは 

世間体で  できている 

大人のつきあい というフレーズが 

好きで  ルールを気にしない 

僕を  許さない 

朝は 彼よりも早く 起きて

睡眠を  妨害しては

いけない  

それでも  人との間では

お笑い芸人の ように 

笑って 愛嬌を 振りまく 

役者になる 

いくつも マンションを買ったのだから

投資だった のだろう 

資産家に  なりたかったのかも 

自分のお金は 守りながら

相手のことを 考える  

それが 厳格な掟のように  

思っていただろう

もう  聴くことは できないが 



わからないことが わからないように 

いくつもの  機会が ありながら

それに気づく 年齢ではなかったり 

食い違いが  横行して 

多くの  わからないものに 

流され 

僕は  流されたことを

思うよ



あの日  

あの時 

あの ささいな  誤解 

くり返すように 

思うよ 

避けられない  僕らの

癖や  見栄や  口癖 

悪口が  あの人の 心を 

捉えられないんだ ね 

些細ではない ように  

僕らは  知らない 

誤解の海に  溺れてしまうよう 



還っておいで 

僕の  すなおな  心 

率直で  人を想う 

あたたかさの  波 

レインカップに  愛の一滴 

ひとつ  

ひとつ  

溜められるものなら 

あの日  

あの頃 

帰ってくるものなら 

あの人は 

彼や  彼女は 

あなたは 

僕は  私は  

どうして 

いるでしょう 

カサブランカ 

思い出の  喫茶 

レインカップの  曲 



古い 街並み 

過去だけで  できた街 

そこに  住みたかった 



還っておいで 

僕の  すなおな  心 

率直で  人を想う 

あたたかさの  波 

レインカップに  愛の一滴 

ひとつ  

ひとつ  

溜められるものなら 



あの日  

あの頃 

帰ってくるものなら 

あの人は 

彼や  彼女は 

あなたは 

僕は  私は  

どうして 

いるでしょう 



カサブランカ 

思い出の  喫茶 

レインカップの  曲 



古い 街並み 

過去だけで  できた街 



哀愁を 

霧のように 浴びて



そこに  住みたかった 



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夜の中でジョニーミッチェル、他 [悲哀]

郷愁のように懐かしいもの、  それは   

悲哀だった  

Both Sides Now * それが 教えてくれた  

’ものごとを  両側から  眺める  

そうして  愛は  わからない幻影になった  

人生は  幻想になった’  

それは  しっかり あるのに  

用意されている  最後のステージ であるかのよう  

タバコの 煙が  棚引くように  

一本の  筋に    消えてしまう   

この曲を  聴かなければ   それが   

わからないほど   自分が    

遠く   なってしまった  

それは  手本のようなもの   

これが  お前が  本来   

感じているもの なのだよ   と 


・・・・・・・・・・、  

悲哀だった   

その メロディに  気持ちを  寄せて  

人間に  帰れるように   

僕は   遠く   なってしまった   



悲哀だった    


郷愁が 好きだと思っていたのは   

そこに   悲哀を  感じたかったから   

これが 人生の 皮肉なら   

なぜか    僕は   

このまま  そのままの 気持ちで  

笑えるよ   

そうして  僕は  夜の  広がりに  

散り散りの   

蛍のような 光に  なってしまう   

そうして  そうなのだ   

意味のない  涙が  流れる   

感動で  

悲しみで  

喜びで  

どれにも   決められない  



そうして  僕は  そこに  

愛を  感じるよ   

まだ 感謝できる  嬉しさが  ・・・  

まだ  生きている  喜びが  ・・・   

体を   流れる    

忘れていたのは  


悲哀だった    

君 だった   



呼び 戻されるのは  

君だった  

やはり   

君  だった   



すべて     夜は   

君の    もの  ・・・・ 

しわがれた、  君の  声  

ハスキーな  

君の   ・・・





曲は二つのバージョンがある。 聴いたのは、

スロウなバラード調のジョニー・ミッチェル。バックは  

オーケストラ。 5分53秒。  




<ふたつの 月鏡>


夜空に  山にかかった月は ひとつ  

それが 海の上では  山陰のひとつに  

海面にも  もう一つの月が   

広い岸壁を  歩いて  ズラして見たり  

したが   月は 二つに  海に

さざ波の 海面に  そんな力があるようには  

見えなかった  

ちょっとした 原理が わからないだけ、と  

僕らは 考えるんだろう   

まるで  世界は  すべてに法則があると  

主張したい 科学者のように    

そうであるなら  自然に この世は    

終末できるのだが  ・・・  



二つの月は  海面上の温度と  

山から 降りてくる間の 温度差で  

光が 屈折しただろう   

そこからの  二つの反射光  だろう

それでも  僕が受けた 不思議さの  

不安は   まともな事実だ  

僕らが  見ているものが  

見えているものとは  異なるのは  

それほど  驚かせる事実では  

ない、のかもしれない    

それが 世界だという  確信が  

深まりゆく   

秋は  なにが  深まりゆくのか  

見えているのか  

秋でさえ  幻影のようなもの   

落葉や  日の長さや  朝夕の涼しさ  

それは  秋の部分の なにかであろうが  

秋という  ものではない  

僕らは  なにをもって  

世界と  言うのか   

僕は  なにをもって  

なつかしい のか  

哀しい のか   

この日が   

この夜が   

もう   

その 時という 片隅は   

永遠に  浸食され  

日食のように  欠け始めて  

境界が  なくなって  

僕らは  なにを  見るように   

なるのだろう  


母親に  会えなくて  

月を見て  泣く子供だった  

いつから  

悲しみを  理解したのだろう  

いつから  哀しみが  

滲みだした のだろう  

子供が  泣けるのは  

事情を  理解しないからだろう  

わからない  そのままの  中で  

泣くよりほかに   

なにが  できた だろうか    

わからない  

そのままの  中で  

そのままの  涙が  美しい  


理屈や  事情が  どうだと  

僕らが  胸を  刺されるのは  

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・
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