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美羽展で写真撮影してくる [絵画]

昨日は暑かったが、そのさ中、海老名に

行ってきた。銀行と海老名図書館に用事

があったが、銀行はパソコンでも用は

すんだが、ついでだ。

メッシュのニット帽を濡らして、小冷凍

パックを入れ、落ちないようにつば広帽を

かぶって、キャンプにでも行くような恰好

だった。

まずラーメンが食べたい。こんな時期、

食べたいものでも食べなければ、食欲を

阻害してしまう。チャーシューが10枚以上

入っていて、食べても食べてもチャーシュー

が出てくる気がした。

昨日の話じゃない。今日も暑い、とかの

話でもない。

川崎の岡本太郎美術館へ行ってきた。

今日の午後の予約だった。すぐ着く手前で

道を間違えて左折しなかったらしい。細い

道だったので、無視したのだろう。それから

ナビがおかしくなって、その半径100m

ほどを2回も回って、やっとその細い道に

入った。また、これか、と言った。時間が

余らないようにだか何だか、手前で道に

迷うのだ。で、そこをクリアすると、ほぼ

時間にオン・タイムするのだ。だから、

焦ることはない。時間に合わせている

ので、間違えるのだ、と言って構わない。

2度や3度のことではなく、ほぼ慣例に

近い。何も考える必要はない。これで

遅れたことがないからだ。

場所は生田緑地の中にあった。丘陵に

なっていて、西口駐車場からは下るよう

になっていた。

川崎の岡本太郎1.JPG
川崎の岡本太郎2.JPG

岡本太郎らしいオブジェが出てきた。

目当ての小松美羽展は、岡本太郎の常設展

と併設している。

川崎の岡本太郎4.JPG  

岡本太郎の両親。

父は岡本一平。一世を風靡した

漫画家。母は岡本かの子。こちら

も一平と一緒になる前は、もう一人の

男と一平と三角関係で、同じ家で

三人暮らしていた。それについては

書いていたら、キリがない。

ふたりとも、稼いだから、太郎が生ま

れてから、子供を連れてフランスへ

旅立つ。ともかく優雅だ。2年してからか?

帰国するが、太郎はなんと、フランスに

置き去りにされた。処はパリである。

しかも、ピカソなどの今では錚々たる

近代画家の代表たちが集まるカフェに

太郎も出入りしていた。太郎はピカソを

尊敬し、ピカソも太郎を可愛がったらしい。

これも書けば、尽きない。

川崎の岡本太郎5.JPG

太郎のカウボーイハット姿は、人形で

初めて見るが、こんな姿を彼は自分で

気に入っていたのだろうか?

川崎の岡本太郎3.JPG

このオブジェは僕も気に入っている、

少ない一つだ。僕はあまり太郎の作品

は好きではない。が、かれが目覚めたのが、

縄文と関わっているので、無視はできない。

それも今日はやめておく。

< 小松美羽 >

下向き加減の本人写真が大きな

パネルである。たぶん、相当な美人だろう。

これからは展覧の写真集を購入しなかった

ので、展示されている順番が、およその

制作年代だろうということを信じて、感想

すると、:  

小松美羽4.JPG

初めは、眼である。彼女は眼を感じている。

かすかか?恐怖も感じている。

小松美羽5.JPG

なにか眼を通して感じるものに出会った。

そこに注目していた。が、いつからか、それが変わる。

小松美羽6.JPG

神話とか、神獣とか、特に狛犬・獅子を意識

したオブジェが増えてくる。アフリカのウガンダ

に行った頃からだろうか?

小松美羽3.JPG

これは初期の妖怪じみたものだ。水木

しげるの漫画を髣髴とさせる。そう言えば、

鬼太郎の親父は目玉おやじで、子の鬼太郎

の右目だったろうか。子から生まれた親父、

というのが妖怪らしい。美羽は戦争経験は

していないから、水木のように腕を切り落され

たりしたことはない。思想の芸術の方へ進む。

小松美羽9.JPG

可愛らしい。

小松美羽11.JPG

これも前へ3枚目と並んで秀逸。

小松美羽12.JPG

小松美羽13.JPG

曼荼羅になる前の図案が出てきている。

コロナウィルスではないようだ。 (‐o  ニッ

小松美羽1.JPG

どこかで見たようだが、よく描けている。

小松美羽2.JPG

それを拡大したもの。素晴らしい。


今日の今日で、まだ絵を見ている

時間はない。絵が見れて、彼女に

ついてもう少し、考えが分かるもの

でも読めたら、自然に、彼女について

書くことになるだろう。

今の処、彼女から天啓を受けるなど

の、強い刺激は感じられない。作品

の感想のみだ。

あっという間に見て、20分もいた

だろうか、10分だったろうか。ともかく

ささっと出口に来てしまった。

写真を撮って、後で見ればいいくらい

で満足した。

館を出て、階段を下ると、脇に水を

落とす水路があって、その水音が

いかにも気持ちいい。上高地を

思い出しさえした。暑いせいだろう。

古民家で伝統工芸をしているという。

小松美羽14.JPG

この急な階段は、見た目は素敵だが、

この3倍は上に伸びている。ま、山

歩きの訓練だと思って登る。

小松美羽15.JPG

伝統工芸は染物だった。陶器も漆もない。

そうそうに出てきた。目に留まったのが、

上の展示。

「試行錯誤のもよう」と題されている。確かに

きれいなシンメトリーにはなっていないが、

試行錯誤、とか伝統工芸に名前つけるか?

迷ったんだろうな。ま、思い切りはいい。


小松美羽展は座間図書館に貼ってあった

ポスターで知った。曼荼羅図に心止まる。

それを忘れていた。

小松美羽7.JPG

これではない。

小松美羽7-.JPG

上の図の中の九つの図。

小松美羽10.JPG

これでもない。

小松美羽8.JPG

これの真ん中の円形の曼荼羅図が

ポスターだった。

真言宗総本山「東寺」(京都)に奉納

されるそうだ。制作もこの寺の境内に

籠ってしたとのこと。 8月23日まで。

(条件付き、写真撮影は許可)
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神経質なカブト虫 [カブト虫]

話も何もない。カブトムシが目の前に

現れたので、拾って帰ってきたが、

それがとても神経質で、今までに

こんなカブトに出会ったことがない。

恐れ入った、それだけなのだ。

カブトムシ1.JPG
プラの虫かごに入れたカブトムシ


カブト虫は忘れよう。

文章が浮かぶかもしれない。と言いながら、

それはどうでもいいことだと思っている。

僕は少し迷いだした。事故で記憶喪失に

なった青年18歳の頃の思い出の記述を

読んで考えさせられた。

相当に彼の脳に影響があったらしく、眼の

前のものが何であるかわからない。ふわ

ふわしたものとか、動かないもの(観葉

植物)とか、認識まで飛んでいる。自分の

名前どころか、自分とは何かもわからない。

赤ん坊状態。

それはそれでよくわかったが、それだけ

ではものの感性に拠る表面的な感覚の

認識だけで、ものの実感へ至らない。

ただ赤ん坊に戻っただけ。

知という枠には、それを言葉以前の形や

内容にまとめておく固めておく役目が

あるのだろう。

知という、また自己という、個であるという

容積・内容という、どう言ったらいいのか

わからないが、それがあるから、僕らは

存在とか実在とかを言えるのだ。たぶん、

知なくしては、ものは僕らにとって景色

に過ぎない。感覚の海に溺れている

ように僕らは世界を区別できない。

そして、区別できることから、その向こう

にありのままを見ようとする。それは

やはり、見えていない。それを感覚する

のも、僕らがそこに実態を感覚的に、

また造形的に想像することができる

からだろう。

だからものの真実とやらも、見えは

しない実体として形があるものではない、

とわかる。想像が物に応じて適度に

働かなければ、僕らは美を見ないし、

真実も見ない。

想像という夢の部分に拠らざるを得ない、

それが僕らがどこまで見えるかの違いを

分けている。見えないものの、ジグソー

パズルのようなものなのだ。手探りで

それを完成させようとする、僕らの

生存の手がかりになる道具だったの

だろうが、今では高級で、贅沢な遊び

(文化)だろう。

豊かさというものがそういう夢に含まれる

部分にあるということが、現実に逃避した

人には思いも寄らないに違いない。(人

は夢に逃避するばかりではない)

一枚の絵も、その人たちにとっては

いくらで売れる価値があるのか、という

利益交渉の手段になるかどうかのもの

でしかないのだ。それを投資というが、

それでは体は太るだろうが、精神は

貧しいままだろう。 

高級でなくてもいい。立ち食いそばを

啜(すす)ることでも佐藤しおりは豪快

に見事にリズムで啜る。見ていると、

感心するし、立ち食いそばが食べたく

なる。ちゃんとすするための様式が

あって、それに則って啜る。

上白石萌音がそれを真似て、うまくなる

が、本家をもう一度見ると、やはり違う

のだ。面白いほどに微妙なのだが、違う

とわかってしまう。これが文化という

ものだ。

僕も器用だから、粘土は簡単に思って

いたが、実際に焼いている人は何が

大切か知っている。そこに手を加える。

粘土の中の肌理をなるべく均等にする。

先生がそれをうまく言えないのが、

面白い。文化のそこは例えば、(能の

理論書「風姿花伝」)能の花なのだ。

花のある人、ない人と言うが、それも

文化の或る一面を指している。

慣れるとそれを何でもないように

粘土整形してゆくことができる。


カブトムシだが、籠に触ったりすると、

非常に驚いて、ジタバタする。こんな

神経質なカブトムシは初めてで、何

だろう(?)である。

昔、アパートの一人暮らしの一室で

カブトムシを放し飼いにしたことがあるが、

ゴミのようにゴミに塗れて死んでしまった

ので、長く飼う気はない。今日、昼間に

元の林の鬱蒼とした公園に放してきたが、

予想通りに、ゆっくりと見回しながら歩き

出して、という動作ではなく、せかせかと

逃げ出した。速いので、画像がブレる。

最後まで敏感で、神経質な人間みたい

な奴だった。 

カブトムシa1.JPG

カブトムシb1.JPG

速い

カブトムシc1.JPG

カブトムシ1a2.JPG

国産のカブトムシは養殖で大量生産している

そうだ。外国産のカブトムシは買い取る店も

あるそうだが、国産は売れない。

ネットでは国産が1200円で売っていた。

昨晩はゼリーの餌に少し食いついていた。

暑いせいか、蓋に冷凍剤を載せていたら、

朝には蓋の裏に来ていた。人間と同じか、

暑いらしい。

もう放すと決めていたから、名前をつける

暇もなかった、今、思い出した。


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選ぶつもりで選ばされ、世界は閉じる 2 [世界]

愛も時には退屈なものです、と言った

のはゲーテだが、どんな情熱も僕らには

小休止を必要とするから、在庫の薪が

燃え尽きることもある。また薪がたまる

まで待てばいいし、そうなることなのだが、

その間には、いつもの散歩道を逍遥する。

熱があり、だるくて仕事ができない時も

似たような小康状態が訪れる。

(発熱は)無理できないと宣言されたの

だから、公明正大に休養できるので、

かえってさっぱりするのだが、僕は肩

の荷を下ろして、楽になる。晴れて

好きなことだけをすればいいと、許さ

れたようなものと考える。

それでも倦怠感はあるから、できる

ことは限られる。すると、僕らができる

ことはこんなように限られたことをして

いるだけなのかもしれないと、弱く考え

てみる。

少し休んでみるつもりの時の音楽も

そのような音楽になる。弱っていれば、

それに合わせた調子の音楽がチョイス

される。僕らがそう選ぶからだ。僕らは

外の運とか言う癖があるが、それを

選んでいるのは僕らの(体や心の)

ほうだろう。

蛇口から水を出しても、勢いよく出す

時は、力があまって、暴れたい時だ。

弱ってしまうと、水の勢いさえ恐れて、

少なめに出し加減をする。

僕らは自分の状態に合わせて、社会や

その時の状況に合わせる。なにかに

強制される時は、思ったよりも少ない。

だから、反対に極度に注意力を強制

される生活というものを想像できない。

または、自分とは違う生活の刻苦の

与えられる場所やその苦しみは日常

の外になる。そういう時、世界は閉じ

られていると感じるだろうか?

感じるようなら、多少の熱ぐらいでは

倦怠感も感じないかもしれない。感じ

る暇がないのかもしれない。

世界が開かれるのは、僕らの心が

開かれなくては、そういう扉は開かれ

ない。あまり刺激の強さで疲れてしまわ

ないように、僕らは通常、心は閉じ加減

にしている。

そして、仕事の必要などで範囲を決めて、

そこから弾けてしまわないように、小刻み

に開け閉めをするが、次第にわかった

ことにして閉じていても、気を配らなく

なる。それはどうしても窒息感があるので、

開放感を求めるのが、体の自然だ。それ

がルーチンワークになってしまうと、僕ら

は自分のいつもの生活からの逸脱を

恐れるようになる。馴染んだ生活が一番

になると、それは惰性の快楽に生活の

運動を任せるようになるから。

足りないとか、トラブルなどには他の手を

借りようとする。社会は公共でそういう

補完をする機構を備えている。それを

利用しようとするのは、常識な感覚に

なっている。そして、それがそのまま

ありのままから離れて、砂でこさえた

我城という世界だとは見えないでいる

ことだ。さまざまな物事があるから、

一概に言えないが、世界がなにがしか

であるのは、僕らがなにがしかである

からだが、閉じたものには、そのなにが

しかは見えない。目の前にあっても、

それはいつもの風景に溶け込むかの

ように、その人の生活のなかの当たり前

に名前のあるものになっていて、それが

あるべき位置や情感を放っていない。

子供と大人の見るもの聞くものが違うか

のようにその微妙さは、決定的に世界を

変えてしまう。

流されるまま眺めるのと、興味があって

注意深く見るのとでは見るものが同じ

ではない、というように世界は固定化

されたり、拡がりを見せたり、とその

運動が異なる。

この世に美というものはない。その美を

見出す眼や耳があるだけだ。世界が

美しくないのは、まずあり得ない。だから、

それは見えるし、聴けるはずなのだが、

そう感じないとしたら、不思議だが、それ

はまだ見たことがない、聴いたことがない、

ということなのだ。見る、ということをした

ことがない、そのわけを知らない。聴く、

ということをしたことがない、またその

わけを知らない。

初めは知らないものにつき合うのは、

退屈だったり、嫌気がさすものだ。慣れ

ないことだから、さらにそうなのだが、

この慣れの意味が問題だろう。

好きなものを見たりするのは、制限がなく、

見飽きない。どこも見たことがあるのに、

また同じ処に帰っていき見ても飽きない。

そこにあるものはなんだろう?

子供が赤い消防車に夢中になると、

なんでも消防車を欲しがり、遊んで、

また他の消防車も欲しがる。親が持って

いるじゃない、と言っても、聞かない。

際限なく、消防車を集める。この時、

子供は消防車を見ているが、大人は

それが「消防車」であるのを見ている

だけで、子供のようには見えていない。

子供はまだそれを証言できないが、

消防車という認識を見ているのではない

ことだけは確かだ。色も艶も、そのサイレン

も走る姿も見ている。全部好きだからだ。

それが子供の生きる活動だから、僕ら

は知らずに感動させられ、さしてそれに

気づかず、子供だなぁ、と思うが、それ

がわかっていないことを告白している。

子供だなぁ、だから何?無知だというの

だろうけれど、それを愛するのは僕らの

自分ではないのか。

僕らの大半はそうして心を閉じて固定化

の道を邁進する。その中ではよくても、

言うことは人と生きること、隣人愛だが、

実際は行動は自分の狭いルールで許容

できることで親切であるだけで、心は人

を信じてはいない。誰かが心に踏み込ん

で来れば、怒って、追い出すだろう。それ

が実際の行動になる。そして、本人は

それに気づいていないかもしれない。

そうなってみて、反省もしないし、相手

を責めるのだろう。だから、それは

通常の不可解な行動の範囲だと、

(がんこ)老人相手にはそう思っていて

いいだろう。

流されるように教育されて、自分の

納得する基準を持ち、それが相手を

寄せ付けなくなったのだから、自分も

例外ではないくらいに思っていて、

丁度いいのではないか。

それは社会的に円満な人間だと周囲

から思われている人でも、まったく例外

ではないということが重要な点だ。なぜ

なら、僕らはまさにそういう世界の真ん中

にいるからだ。認識は美や愛からは離れ

ざるを得ない。

寛容な精神や言葉を繕うことはできても、

教養や真似事では、心は開けない。

だからと言って、仏門に入会して、山で

千日修業がいいのかと言えば、それは

いいだろう。

ただし、それは一時しのぎでのことだ。


環境を変えて自然の中でサバイバル

をすると、精神はなるほど浄化されるが、

それは泥の中で生きるより、きれいな水

のほうがいいだろう、というのと同じで、

僕らは社会で生きなければならない。

山で何十年もひとりで生きてしまった人

もいるが、心はさっぱりするだろう。だが、

それは人生や人間関係、また生活全般

の解決策になるだろうか?

相撲取りになる人は、マラソン選手には

向いていないだろう、くらいのことは言える。

その意味で、山の生活もしてみないよりも、

してみたほうがなにがしか悟ることはある

のだろう、とは思う。

あなたのことはあなたが一番知らなければ

いけないことだ、と感じ入るような行動と

経験を積み重ねるうちに、気づくこともある

のだろう、くらいのことは言える。 7..24



僕の話に結論はない。結論を求めるのは

教育や会社・社会の慣習・事情による

ものだ。

どうして結論を求めるのか、結果が現実を

支配するから?どうだろう?ほんとうに

そう言えるだろうか。怪しい。

そういう社会の結論を急かす動機は、現実

自体にある。今、決断して実行しないと、

現実の環境や条件は変わってしまい、今の

結論さえ役に立たなくなることが、起こる

からだ。現実に対応するのに、僕らは(人間

が独自に発明して設定した)時間に追いつく

必要があったのだ。

だから、今はできないだろうが、時間を

取っ払ってしまうと、不思議だ、時計を

示す針も数字もなくなるから、この世の

時刻表がすべてなくなる。これは大変な

ことだ、一つの基準でも生活の大きな

ものである場合、僕らの生活は崩壊して

しまう。見かけは。

しかし、今まで通り、物はあるし、機構は

ある、エネルギーもある、インフラもある。

時間がない。

適当な時に適当な手段を使って、目的地

に行ったり、目的のための行動を推し

量りながら生活するだろう。

請求書もなくなるから、供給企業は別な

考え方に拠る請求を政府に決めてもらう

ように求めるようになるだろう。それが

決まるまで、電気もガスも水道も使い放題、

となれば過剰な需要から、供給不足になり、

公共機関といえども、一時ストップせざる

を得ない。

しかし、想像できるだろうか。時間で組み

立てられた社会であれば、僕らは生活を

時間に拠っている。依存しているから、

その仕組みが壊れた以上、多くの不具合

が生じて、それ以上の膨大化した不安が

すでに不安を抱えた人たちを襲うだろう。

世界では暴徒化するのは早いだろう。

日本のほうが遅れるし、銃社会ではない

から、地域的な暴徒しか起こらないかも

しれない。 

その原因は時間がなくなったから。そう

だろうか?その直接の因はそうかもしれ

ないが、例え時間が無くなったとしても、

それに対策してこなかった責任はどこに

あるのか?

それこそ、福島の原発が津波に襲われた

ときに、堤防の高さに万が一の不安は

あった。それでも無視されたから、被害が

大きかった。

時間は津波ではない。世界標準時で決まって

止まることもない。急に暴走して、混乱する

こともない。そういうことで、信頼して安心し、

時間がない状態には無関心でいい。そう

いうことだろう。だが、そうでもない。

世界標準時であってみれば、それは電波

配信されている。ということは、コンピュータ

がなければ機能しない。正常な時間の運動

は実はコンピュータ次第なのだ。だから、

コンピュータが壊れれば、時間は止まる。

そんなことがあるのか? ある。

すぐ、3年先に太陽の巨大フレアが予測

されている。2025年には、その強力な

電磁嵐のために、全世界の電子機器が

バグを起こして、正常な機能を失うことが

すでに見えている。

僕らの政府はこの事態になんら対策チーム

を立ち上げることができるだろうか。常識

に囚われた古い頭で、この時間のない世界

を、生活を捉えられるのだろうか。デジタル庁

の情けないホームページを見ると、かなり

心配になってくる。

ずいぶん、外れた一つの道を辿ってしまった

が、その根本の原因をもう一度考えてみる

なら、僕らの心の閉鎖状態が関わることが

わかる。常識や時間に囚われた生活の

慣習に意識が曇らされていることが、その

第1原因だと。

僕らは用意された生活から自分の生活を

選んでいるだけで、それが社会の恩恵でも

あるが、それに依存した場合、僕らが知らず、

すでに心を閉ざし始めたことを知らない。

人間関係は問題じゃないのかもしれない。

そういう人間関係についての知識が、もう

それに悩む要因になっているのであれば、

その常識を疑う他ないのだが、そんなことを

する人を、たぶん、見たことがないだろう。


僕の話は、どこでも終わる。放っておくと、

次第につぎのことに移ってしまう。世界は

循環している、特にこの世は、だから、

すべての問題はどこかで、ちいさなどこか

につながっている。

すべてを疑うしかないではないか、と考えた

人は正解。そこからが重要な課題。そんな

膨大なことは考えられない、と諦めるか、

少しずつやるか、と思う人。

僕らの人類は初めからその積み重ねに

あるのだし、一部の結果しか出ないで、

それでもその発見からさらに膨大な

世界を見出す。キリがない。つまり、

このことで何かを見出すためには

初めから際限のない、半無限な世界

を受け止めるしかない。過去の人たち

がそうして来たように。

初めは皆、同じ。無とか、無常とか、

際限のない問題、世界を受け止める

しかなかった。これは底の底から

事態を受け止めて、そこからそれを

感覚で精査して、全体が見えてから、

考察を加えて図式化する、という先人

たちの伝統の話だ。

それは今でも変わらない。


::

これでブログを始めて7年、今まで

技術不足や深層にたどり着かず、それ

で書けなかった本音の2つ目か、3つ

目かを書くことができた。 

よかった、よかった。

                                  7. 26
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選ぶつもりで選ばされ世界は閉じる 1. [世界]

ストレスというのは一種の疲労の症候群

のことで、ストレスという病気はない。

うつ病はないけれど、いろいろな病気や

その病気の前の状態には、うつ症状が

時にともなったり、べったりともなうこと

もよくある。

僕らは毎日のようにストレスとうつという

症状を耳にするほど、それらが蔓延して

いることを知っている。が、それは確定

した病気のことを指しているのではなく、

昔は不定愁訴と呼んだ未病のことを

(大半は)いう。病気ではないけれど、

その前兆をいう場合、未病と呼ぶが、

それらが本来の意味ではなく、ほとんど

病気の扱いをされているのにも、気が

つかなくなったほど、僕らは病気以前

のあいまいな状態に置かれていること

が日常で当たり前になってしまった。

さらに、

それを平気で、ストレスとかうつとか

言って済ましているほど鈍くなったの

にも慣れてしまい、気にしなくなって

しまった。


僕は昨晩から、変な気分を味わって

いたが、食べすぎとかのストレスから

くる胸やけだろうくらいに考えていた。

だから、放っておいた。

今日も今日で昨日の秦野に出かけて

陶房で粘土に集中したせいだろう、と

気にしていなかったが、昼まで寝て、

そのあと午後も夕方まで2時間も寝た。

入浴もして、疲れは粗ら方、取れたの

だが、胸のあたりが燃えカスがズブズブ

いうように苦しい。これは何だ?

わからなかった。しかし、自分の健康には

半世紀も体で試す実験やそれらしいことを

して、自分の体の場合は?という問いを

してきたので、それなりの知識が記憶に

あった。それらの情報を組み合わせたり

して、自分の健康の特徴を一応知って

いた。

そのせいで、今回も体の所為ばかりでは

ないと思ったので、精神に沈着してみた。

原因は昨日の陶芸らしい。だが、それが

どう作用したのだろう?思い当たらなかった。

なんとなく尋ねながら、そのままの意識で

過ごした処、引っかかるものがあった。

陶芸のための付属品を揃えることに、わず

かな抵抗感があった。この小さな感覚を

拾うのは、多分今にしてできるようになった

のだと思う。10年でも体に問い続ければ、

意識が体の反応や心の反応をきちんと

対応する機能を作ってくれる。瞑想も一役

かんでいるだろう。

答えは陶芸に対しての欲だった。それが胸

のつかえになっていた。でも、そこからだ。

どうしてつかえになったのか?

答えがわかると、解決はすぐだ。考え尽くし

ているので、あとはルートが自然に解決と

しての答えに導く。

僕はのんびり陶芸をやろうという初期の

考えから、やり始めてから欲が出た

らしい。作品にのめり込むことを考えて、

あれも必要、これも必要、あれを学んで、

これを学んで、早く学んで、と焦り始め

たらしい。作品のアイデァアも出たが、

朝、見直すと、大したアイデアでは

なかった。 のに。

そこで、少なくとも今年はできるだけの

進行でいいので、速く進める必要は

ないのだ、と自分に言い聞かせた。

それで終わりだった。のんびり系と

お急ぎ系を間違えたのだ。

僕は思うに、現代人は今まで以上に

二重の生活が必須になってきている、

と感じる。最も多いパターンは、社会

生活と個人生活を分けることだ。それ

はさらにそれを二つに分けることが

自然なのだが、今は複雑になるので、

これまでの常識範囲で話すと、社会の

ストレスはお急ぎ系の仕事からくる。

そこで切り替え「られる」ことが必要に

なる。無理に切り替えようとすることさえ、

それはストレスになるから、徐々に切り

替えに慣れるのが大切になる。

(細かい区切りは、それこそストレスに

なり、現実的ではない。継続できない)


ひとりであることと僕らは孤独を結び

つける。それは鍛えられていない自我の

弱さからくる。それは悪いことではない。

ただ、弱さを意識して、他人の助けが

どうしても必要だと自分に言い聞かせて

いるので、自然に他人からの甘えを

求める。その状態では、他人が大切

だから、ひとりになるのは助けがない

状態だと、その状態の孤独さを想像

以上に怖いものにしてしまう。

他人がいなくてもだいじょうぶだと思える

には早すぎるので、まずは興味のある

自然の虫や植物、少し人間から離れた

風物を眺める。眺める時間を増やして

みる。

その時、ひとりだからと、なにか有為な

作業をしてはいけない。それは気を反ら

して、ひとりから意識を離す作業で、それ

ではひとりである意味はない。

まず、自分が一人である、それを認める

にはそういう静かな環境が必要になる。

自分の部屋が要るだろう。

外界を離れるのだから、パソコンも、

スマホも、音楽も、コミュニケの取れる

ものも放してしまう。簡単に、この世

(世間)がない状態がベストだ。

ここでひとつの大きな問題が起きるの

だが、それは今回無視する。でないと、

肝心の話に進まないから。

その時、この世がなければ、と思えたら

いいのだが、そう思うことができない

くらいに自分はこの世とか他人を必要と

している、という意識が昇ってくる。

これが大きな先入観で、潜在概念で、それ

をいかに認識するかが、次へのステップ

になる。

ひとつ例を示すと、(以前の既出だが、

女性の社会がある。小さな部族だが、

女が力仕事から、食料の調達から、何

でもやる、働く。男はぶらぶらしていて、

博打ばかりしている、そういう珍しい

文化が中国の山中にある)

:それで女性は、妊娠して子を産むまでの

期間、男に守ってもらう必要があるため

に男の筋力と生活力に依存してきたの

だが、これも人類の歴史に匹敵して

長かったので固定した先入観になって

いる、 久しい。:

その考えはひとつの固定された生存観念

で、それが絶対だと思う人は、肉体ではなく、

精神でひとりになったことがないだろう。


僕らは静かな部屋でひとりの時間が持て

た時は、なにをしようか、とすぐに時間の

有効活用を考える。これが社会生活の

習慣によるストレスの因になっている。

僕らの体が夜寝て、昼間のストレスを

夢見で解消しようとするように、精神の

ストレスも解消したいのだが、心が寝て

も社会生活に結びつけられたままでは、

時間に追われる状態は、無意識に

続いてしまう。

だから、ひとりの時間には、ひとりに

なることが必要であるにも関わらず、

そのひとりになることができないでいる。

こんな簡単なことが見失われている

ために、産業革命以降の近代から

どれほどのウツ症状とストレスを

生みだしていることか。

僕らはひとりになる時はそれを必要と

している。それに応じて、音楽を聴いたり、

本を読んだり、媒体で映画や動画を

見たり、趣味に興じたりするが、なぜ

そうしているかは、問わない。心に聞く、

尋ねるという習慣を持っていない。

だから、その時自分が本当はどういう

状態で、悩むべき状態なのか、知ること

がない。なので、それを知って、なるべく

早く問題を見つけて、対処したいのだ、

という自分でなければ、何も解決せず、

何も進まない。

この世にはそのままでは使えないが、

便利な考え方やノウハウの情報が散乱

している。それを実際に役立てるには、

会社の仕事のように、なんとしてもその

問題を発見して、対処したいという自分

の姿勢が肝心だ。

そうでないと、悩みたくないためにとかの

逃げの理由で僕らは好きなことを、実際

はその気がないのだが、その習慣で娯楽

や趣味に興じることに、自分を追いやる。

ひとりの自分を受け止めたくないから。

受け入れるのはまだだ。まず、受け止め

ないと、なにも始まらない。

受け止めるためには、その状態を感覚で

受け止めて、状況・状態を見て、聴ける

ようにすることだ。考えない。まず、何が

あるか、どのような状態か、見たり、聴い

たりして、感じる。

それで事件や事故という問題が全体で

掴めたと感じたら、そこからまとめるため

に考える。それまでは一切、気持ちの

高ぶりに負けて、考えはじめるのは

禁物だ。

それは前に書いたが、感情が絡んだ

問題の場合は、やたら考えたくなって、

無駄に堂々巡りしかできなくなるからだ。

その問題の実態が見えなければ、暗闇

に手を伸ばしてなにか探ろうとするのと

変わりない。それにはまず、自分の感情

を抑えて、そこに勝たないと、うまく考える

ことはできない。考えることは本来、夢

なのだ。現実に対処するには、やはり、

まず現実を抑えて、把握するのが重要に

なる。

嫌なことはしたくないのが人間だ。だから、

問題によってはかなり近づくためにも、

工夫が必要になる時がある。これも

千差万別の理由があるので、一概にこう

すればいい、という処方箋はない。と言うか、

この世にあなたのための処方箋はない

のが当たり前なことで、なんとか自分で

考えるという態度と行動を取得して、

自分が主体として考えることをすれば、

経験の数が増えて、考察をして新しい

発見を増やすうちに、自分で工夫できる

ようになる。            7.18



       つづく  to be continued


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ものの形:陶土の感触に沈む [陶土]

子供の頃は、粘土細工などの物つくり

は時間を忘れて取り組んだので、これ

は天職だろう、と考えた。

しかし、性癖はこれに逆らった。これ

で成功してしまうのは平凡すぎる、と

傲慢にも思った。できると思うことで

成功するのはプライドが許さなかった。

できるかどうかわからないギリギリの

スリルがあって、それを突破して掴み

取りたかった。

それはすべて、子供の幻想だった。



今、僕がしていることが、到達点に

達することが新しい目標を、さらに

遠くに見いだせてしまうことを思うと、

それは無限に外へ外へと積み重なる

ループに思えた。永遠を見出したと

思えたが、一息をつく頃、それは

さらなる拡がりを見せて、新しく世界

を広げて見せた。

小さな試作の壺を造って、眺めると、

見ても見ても、飽きないのではなくて、

わからなかった。疑問はない。ただの

粘土の塊だった。

見ていると、まだなにかが足りないと

いう気ばかりがして、その足りないと

思う自分がおかしいとの気がした。

だが、壺は目の前にあった。

厳然として、ものが目の前にあり、

僕はなにか自分を納得させるものが

そこにあるはずだと、考えていたよう

だった。それで、考えた。

また、見ているうちに考えもなく、

見つめ始めた。形が少し歪なのが

いけないのか、艶が足りないのか、

全体の雰囲気とかまだ未開拓の

分野のことか。まったくわからなく、

ただ作品を見ていた。

そこに陶芸はなかった。僕は粘土と

わけのわからない勝負をしていた。

お前は粘土か、どうなんだ?答える

筈もないのは知っているが、それが

答えであってみれば、それを見るより

他になかった。ただ見ていただけだが、

その見えない葛藤を表現すれば、そう

いうことだったろうか。

満足もないし、不満もない。粘土が

化けるのではないか、と思って見ていた

というのが、一番正確かもしれない。

僕を満足させる壺に化けてみろ、という

わけだ。

ともかく、形にするだけで、大変な作業だ

と思った。1日に5個も作ってやろうと

勇んで思ったのが、どれほどの作業か

知らなかった。



ただ粘土がある。形にする。

芸術の色合いとか、艶出しとかの変化

とかどうでもよくなった。まず、こいつを

形にする。

そこからだった。先生は粒子を詰める

ように延ばす、と指導するが、それが

手に馴染まないのがわかる。粘土なんか

自在に操るのは造作もないことだ、少し

時間をかければできることだ、と。

考え方は理屈だ。それは僕の頭でどう

にでもなる。だが、粘土がどうにか

なったか、ならなかったか、粘土に

聴いても応えがない。それは当然なこと

なのだが、それで納得する僕では

なかった。

しゃべらず、無言になった僕に先生が、

「疲れて、嫌になりますか?」と聞いて

きた。僕はなんとなく、時間が経って

いたのだな、とうつろな返事をした。

眼は小壺から話さず、その表面を

撫でながら、見続けていた。


僕は新しく始めた陶芸にしても、こう

して戦うという姿勢で始めてしまった

らしい。人生は勝ちに行くものだ、という

姿勢が変わらない。それがゴールが

ないと見極めると、勝負は消えて、

それからそれとの関係を築き始める。

そうして粘土と生きることを覚え始める

のだろう。人とものとの関係は、似た

場所から始まる。



先生から塗る釉(うわぐすり)の色を

聞かれ、白と答えた。湯呑の時にも

聞かれて、白と答えた。形も定まらない

のに、色の工夫とかあるはずもない、

というのが自分の(たぶん、悔しい)

気持ちだった。

そうか、僕は形に何かを求めている

らしい。答えはどこにもないだろうから、

目の前の粘土作品を見続けるより

ないのだろう。



ともかく、僕は初めから、職人の癖が

あるらしい。職人は考えない。考えて

できることは、すでにすべて習得して

いる。そこから始まるのが職人の世界

だろう。僕は今まで、そういうことを

考え続けてきた。ものにぶち当たる

のは、時々の慰みで、趣味程度に

したいと思って。

そして、それで収まる自分でないことも

十分に知っていた。遠くから、遠くから

それを見ていた。

鎌倉の大仏を見ていた時に、思い出に

惹かれないのをいぶかしく思ったが、

それは僕の無意識が鎌倉の大仏は

どうやって造ったものだろう?と考え

ていたからではないか、と想像する

のであった。もう、陶芸が内側で開始

されていたのだ、そんな気がする。



そんな未来と過去とが小さく反発

した、そんな空想が出来上がった。

僕は天職の階段を登り始めたの

かもしれない、という子供の頃の

夢と、 ・・・・・。



壺は目の前にあった。 だが、

どうしても壺は目の前にあった。



見れば見るほど、凡百の壺だった。

いつかこれが吹っ切れた時に、僕

は具象ではないけれど、形と呼びたい、

見えない形を発見するのかもしれない、

そう期待まじりに思った。



                 7 . 19
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考えても 考えても [思考]

考えても考えても、だろうか、それとも

考えれば考えるほど、だろうか。

思い出したい情意がある。情景、か。

夢を覚えていないが、夢の雰囲気

だけ妙に印象に残っていて、それが

思い出せないような時。 時間。


人の弱さはよく見えない。手を伸ばし、

助けたつもりでも、感謝のお礼もない。

気にしなかったが、宿題を出しても

ことごとく忘れられる。病気だとも思った。

理解と忘却の関係がわからない。

子供時代の親とのトラブルの話は聞いた

ので、トラウマかとも思ったが、臆病で

ありながら、素直。その素直さは臆病

から来るものと、相手にへりくだる形で

話を合わせる、という自己防衛だと

気づいたが、それでも納得には遠かった。

見た目の弱さから、初めからそう弱さと

判断したが、これが自我のあまりの強さ

の裏返しだと気づくのに、10年かかって

しまった。たぶん、トラウマの影響から

なにかの発達障害もあったのだろうが、

素直でいい奴と、人などなんとも思って

いない、ただコミニュケが取れず、その

防衛処置としての相手の話をオウム返し

することと、生来の臆病さが重なっていた。

見えないのは、そういう弱さに隠れた

剛情さとプライドの高さが、うまく素直さ

とバランスを取っていた。

人はそれぞれ、水の流れのように

生きにくさを自分なりに対応できること

で応じてゆく。そこに嘘や偽りを交える

余裕はなくて、見た目や他人との一瞥

の関係ではわからない複雑さと、内奥

がある。そういう例だった。

彼にとっての、こうなればいいは、もちろん

あるのだろうが、それもこちらが促した

ことに同意するという、いつもの彼の

対応であるなら、それが彼の本心か

どうか、彼にも分らないに違いない。

そう、わからないのだ。

僕らはよく知っていることを、大抵は

自分もわかっていることだと思う。

そして、嫌いなこと、イヤなことには

見向きもしない日常を意識すること

はない。8年くらい、人生で必要な基本

は教えて、共有できたつもりだった。

彼がわかったという感触は確認を入れて

きたし、その場でそれができたから、

まさか後で、しかも時間をさほど置かず

に忘れ去られるとは、思いも寄らなかった。

彼は嫌なことは自分の内に入れない。

僕の言葉にショックを受けた表情は

本物だったが、それが短時間の命だと

は考えもしなかった。

まるで知的障害者のような一方通行が

脳にあるのだが、知識としての幅や

レパートリー(上演の演目や領域)は

広げられるので、医学の資格試験には

合格するという、とても矛盾を感じる

性格だった。論理の飛躍がわからない

性格だった。


答えを出すことは得意だったので、それ

では足らないことに気づかせてくれた

のも、彼だったろう。問題の答えと解決

はまったく違うことで、答えはその知的

概念の解答でよかったが、解決は現実

の場での効果があるか否かに拠る。

解決しないのは、答えの先にまだ

未解決な問題が潜んでいることだ。

彼の心が、心のカルテや光景のように

パネルで目の前にある。

見ても見ても、その解決の糸口は見つ

かりそうもないし、考えても無理なのは

わかり切っている。

彼を見ていると、まったくふつうの一般人

なので、彼の自己についてそんなプライ

ベートな話をするようには見えない。僕も

概念以上のことは書いていないが、その

先に光が差すまでには長い長い時間が

あるような気がする。

脳のもっと細かい検査とか、僕は必要

な気がするが、専門になれば、もっと

他の検査も思い当たるのかもしれ

ない。

僕は医者ではないので、心理で見る

のはこれくらいが限度ではないかと考え

ている。人の精神心理自体が、一種の

概念的事項であるから、時には治癒

よりも元気づけの交わりのほうが大切

になるのだろう、と思う。

彼の臆病さに隠れた自我の強さが

あるという想いに至ると、意識しない

傲慢さで彼の時折見せる自分(ふて

ぶてしさ)がようくわかる気がする。

そして、それはそれに彼が気がつく

までには、いくつもの関門があって、

彼は知らずに思い悩むのだろう。

今の彼のプライベートが落ち着い

たら、そういうことを話し合う機会も

訪れるのだろう、とも思う。

僕の自分の問題に関わらない人は

僕に関わらない。僕の友人、友達

だった人も、かろうじてつながって

いる人も、珍しい人ばかりで、それ

ぞれがその代表格みたいなところが

ある。

一番の共通する特徴は、論理は苦手で

直感で決めるタイプが多い。逆に動物

的だが、勉強家で人にあまり疑いを

持てない、自我の少ない(弱いではなく)

友もいる。それらも最近知ったことだ。

皆、僕の鋭さを警戒するのだろう、僕に

近づかないか、勘づいていないフリを

して来た。

僕は僕でそこには気づかなかった。

そういう壁を友人に対しては築いて

いなかったので、訳が分かると、

やはり、大層がっかりした。

社会を逸脱すれば、常識を超えるでは

すまない。ルール無視という範疇で

見られてしまう。

気持ちの明るい人は、知的なことを

書こうとはしないだろう。知とか自己知

とは概念事項が多いので、方向は

いつも過去を向いている。これをよく

認識し切らないと、パートナーの死や

体力の衰退には抵抗するのが困難に

なる。どこか自分が間抜けていないと、

自殺を選びやすくなる。当人は社会

批判をして、またしているつもりだから

だ。

大きい意味で社会批判は意味がなく、

したがって、できない。個々の問題に

ついて責任を問うのが、一般的に

できることであって、それを世界の

思想や主義主張に向かって批判して

いるつもりでも、それには実際、実態

がない。幽霊だ。返ってくるのは虚しさ

だけだ。

見かけの議論はそれなりに勝ち負けが

あるように見えるが、その場やその時の

勢いというものが、そう見せる。ショー

なのだ。ムキになって、細かい知識や

資料を持ち出して、相手を出し抜いても、

自分は賞賛を勝ち取ったという栄誉に

関心があるだけだ。相手が友人や

親しい人なら、後味は悪く、むなしさ

が残る。大した利益や賞賛にならない

のなら、同じく、むなしさが残るばかり

だ。

だから、公平・公正な議論で真実と

やらを望むのなら、まずその対決の

結果に金銭や名誉の利益がどちらに

どれくらいあるのか、気にした方が

いい。利益目的の仕事や交渉なら、

初めからそんなことは問題にしない

だろう。東南アジアのある国でも、交渉

にはふつうにリベート(賄賂)を要求

される。



思い出す情景は、見えないが、眼の前

にある気がしている。思春期も迎えて

いない子供に、恋愛感情とか説明する

のは退屈だろう、初めから、理解でき

ないことがわかるから。

自分のことなら、解決策までたどり着ける

のに、と思っても、それだけだ。

相手が知らない事柄で説明することは

できない。僕らがわかったつもりに気づけ

ないのは、なかなか大変なことだ。

それこそまったく他人事になってしまう。

それが嘘でも、正確でも同じことだからだ。

聴いたことのない言葉を聴くようなもの。



<考えても考えても、だろうか、それとも

考えれば考えるほど、だろうか。

思い出したい情意がある。情景、か。

夢を覚えていないが、夢の雰囲気

だけ妙に印象に残っていて、それが

思い出せないような時。 時間。>  



そういう時間を、なんと呼べばいいの

だろうか?
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新しい創世 [創世]

すべてが 満たされる時 

僕らは そこにいようとする  

そのしあわせを  感じ続けるために 

明るい色が  空を  おおう からか 

心地よい メロディが  空気のように 

周りを  取り囲んでくれる からか  

その 感触は  なにものにも  

替えがたいと  

すべては これでいい と 

わかる  

わかってしまう  

他の なにものも  ここに  

入れないし  邪魔することも

できない  

そんなことも  思わず  

ただ  この流れる あたたかく  

心に  染みる  やさしさに 

遷(うつ)ろう  

それは  はじまりも  終わりもない  

物語を  聴くよう  見るよう  

そういう感じが  全編にあって  

僕らは  それを 知らず  愛する  

そこから  それが  

愛と  名づけられる 


ここに いようとは 

この 感興という  奇跡が  

あろうとは  

それは あまりに広く  

あまりに  広がる  

まだ それが  続く  

とどまらない  奔流のような  

あふれ出し  逆巻く  流れ  

その 中心に   いる  

永遠という  言葉の  むなしさが  

わかってしまう  

手のとどかない  しあわせ という  

それが  嘘に  聴こえる  

これほど  

僕は  

わたしは  

ただ   沈黙だけが  

それを  保証するように  思えて  

その  海原に   こぎ出す  

ああ  生きているとは  

なん      と、 

涙を  こらえる  

これしきで  泣くものか と

こらえることが  

嬉しかったり  する  

でも  

それは  海原を  溶かしてしまう  

地球が  すべて  海原になり  

その大きな波が  覆いかぶさる  

その隙間で  サーフィンをするように  

かろうじて 

息を  している  

世界は  海になり  それが  

宇宙へと  昇ってゆくのが  

遠くに  見える  

海面が  大きく  膨れ上がり  

その 勢いが  すべて  

燃え上がる  

その 激しさの  すべてが  

なんと 静かな光景に

見えることだろう  

自由さがあって  どこまでも  

連れて 行かれる  

どこにも  行かずに  

ここにいる  

わたしは  中心であって  

そこには いない  

中心だと  思えば  

この 地球大の 水の竜巻に  

持って 行かれるのを  

知っている  

ここに  なぜか  

自分という 場所は   ない  


すると  

あなたを  必要と  した  

すべてが ある というのは  

なにもないに  等しい  

それを 学ぶ旅が  

始まるのだ  

はじめは  ひとりでは なかった  

そして また  

ひとりになるために  

別れが あり  

新しい 道を  歩き始めた  

彼女の  言葉は  

「あなたは  人間に  なるのよ」 だった  

意味は  わからなかったが  

それは  まだ  

僕の  道しるべで  あり続ける  


どうやって歩き続けたのか、もう思い出せ

ないほど、遠くのことではないのに。

今も、今日の記憶は頼りなく、しあわせに

誘われる。

若い時の妻と、引っ越しをして、ちらかった

部屋々々を片付けていた。そこへ披露宴

に来ていた見知らぬ人たち数人と、親戚が

押しかけてきた。どうも 気にしてくれて

ありがとう。そんな夢だった。

この後に数時間してから、なにかあると

わかった。パソコンの前に座る。

書き始めると、しあわせがヴァーッと来た。


思い出した。あの時、しあわせに感激

して感謝した。感謝して感謝した。それ

でも間に合わなかった。そういう時には

愛はすべてになるらしい。(生きていれば)

感謝し切れない。感謝は相手への返礼

だが、素晴らしい気持ちをもらったら、

感謝したくなる。だが、その感謝を伝え

るうちに、それよりもまた素晴らしい

気持ちが覆いかぶさってくる。もうそれ

以上は、とビールジョッキにつがれる

生ビールといったところか。

もうビールがジョッキからあふれている。

飲み干すのも間に合わず、ビールは

僕にかまわず、注がれる。注がれ続ける。

それもやさしさと溢れるあたたかさで。

僕らの内のなにものもそれに応えきれ

ない。だから、泣いてしまいたくなる。

はじめは泣いてしまう。これが愛の洗礼

だった。

そして、ストーリーはこれで終わりでは

ない。むしろ、これから始まる。

あまりに多くのことが、書かれていない。

新しさは今の言語で伝えるには不向き

だが、工夫次第でもある。

だから、わからなくてもいい、というのは

書くための最初に考えたことだ。

それはどんなに無常な反応でも受け止める、

という姿勢でもある。それを支えて、支え

続けるのが、それであり、それはその一部

なのだ。その部分のためだけでも、僕は

約束を果たさなくては、と思う。

なぜそう思うのか、とわからなくてもそれ

は僕が考えたり、気にしたりすることでは

ない、となぜか、知っている。教えられた

からだろう。だから僕はひとりではない。

ひとりでもだいじょうぶなのだ。

不安というのは、人間の心のカテゴリー

(範疇・領域)のことで、自分という

時間発生器に従う。自分を知ることが

その場その時で必要で、自分から解放

されれば、不安もその因の恐怖も見て、

取ることができる。そういうことわりだ。

知のコントロールと情のコントロールは

そういう場所にある。

それが死の隣りとか、愛の隣りとか、

またはそれぞれがその中なのか、その

間にまたがるものなのか、その消息を

聴いたことも、見たことも、感じたことも、

まだない。あやふやな感覚に浮いている

のが感じられる、それくらいか。

今は 夢を見ている気分だ。


空を 見ていて  

空を  知らない と思う  

それが 素敵で  

しあわせに  変わる  

人が  何気なく  写真を撮り

犬や猫を  撮る  

そういうことが  理解されなくても

しあわせを  たぐり寄せる 

そういう 無意識な  方法だと

恐らく  知っている  

撮ることではなく  その被写体が 

与えてくれる  ものを  

もっと  知るようになれば

そこに  辿り着けるの  だろうか  

その 道程で  

他の  工夫が 自然に  

用意されて  いるのかもしれない  

いつも  

そう 思う  

しあわせは いらないと 

思うほうが  得である  

それが  近づく  方法でも

あるから  


妻が  夕食後に  

必ず  「おいしかった」 と

満足げに  気持ちよく 言う

僕は  いつも 感心して  

そのしあわせの  おこぼれを

もらう  

ありのまま とは  

それに 似た、 あるいは 

近いことを  いう 


君は 

そこに  

いる  

それは  しあわせ過ぎて  

恐ろしいことでも あり  

問い詰めたい 気にも  

させる  


性(さが)は 

しあわせと ともに 

生まれるのだろうか  


君と   僕は  

僕らは  

何を  したのだろうか?


知りたい  



この 不幸の  源を  

僕の  これまでの  50年

その不幸・むなしさ の比 として  

しあわせは  50倍に

膨れ上がった から  



僕の <死んでも 生きる理由を

見つける> という 狂気が 

とてつもない  しあわせを  

掴んだのは  

間違いないから  



僕の 成功は  

僕の  狂気から  

生まれた 




僕は  それが 狂気だと 

知らなかった だけだ 




新しく  生きることに  

なることも  
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海岸スピードウェイと生理列車の夢 [夢]

朝の7時である。こんな時間に起き

ぬけるのもめったにないが、ブログを

書き始めるのも、まずない。

それは夢を見たからだ。久方ぶりに

壮大で爽快な夢で、10年ぶり、

もっとかもしれない。

覚えているのは単純な場面で、海の

上を街道の上を疾走するのだ。

はじめは海水浴場だと思ったのだが、

それはポスターに並んだ5,6人の

モデルの女の子が海にいるからだが、

沖合は海がもんどり返っているかの

ように分厚く盛り上がっていた。が、

そこには高速船やら泳ぐ人が小さく

見えて、海の今にも荒れそうな様相

を除けば、平和な光景だった。

すぐ近くにも眼鏡をかけた半裸の

海水浴客の中年がいたが、その人

はCGで制作したかのように、所々

銀箔や黄銅箔のように輝いていた。

人間ではなく、サーモグラフィー

のようになにか投影された立体映像

だと思えた。近くの女の子もいたが、

この子の顔はモデルの6人組の真ん中

の子と顔が同じで、手抜きの映像

なのでは?と思わせた。

ともかく海岸の水のスピードが凄い。

その女の子たちも同様のはずなの

だが、それらしい様子はなく、

僕だけがもの凄い高速で海の上を

運ばれてゆく。顔を横に向けると、

沖合から遠くの岬・半島が見え、

海は半濁して、波が渦巻いている

ようだ。

体は仰向けなので、眼の前は真っ新

で真っ青な空が雲一点の染みもなく

快晴に拡がっている。さわやか、

爽快に僕は体ごと海の上を走って

いる。ともかく気持ちいい。

そのうちに街路灯の先っぽが並んで

いるのが見えたので、ここは海水

浴場ではなく、今は海岸線の道路の

上に盛り上がった5m以上の分厚い

海水の上を運ばれているのがわかっ

た。もう海水浴客も高速船もいない。

そのうちに盛り上がりのピークに

達して、空しか見えないが、そこの

目の前になにか白い大きな物体が

あった。浮かんでいるが広告塔の

ようなものだろうか。

ダウンし始めると、この海岸道路

に出る曲線で港町の建物が並び、

そこを見ると、ディズニーなどの

企業がここらの土地を買い占めた

といううろ覚えのニュースを思い

出した。それでこの海の高速も

デモンストレイションでやって

いるイベントの一環なのだな、と

妙に納得した。

そのうちに水位は低くなり、反対

側の海に出てしまったが、そこで

は小学生らしい子供たちが泳ぎの

教室なのか、大勢で二列に並んで

海に堤防沿いに入っていく横を

走っていた。もう海水がない

岩場に到着してしまうという時、

そこの海に漁師だろうか、6,7人

が少し遠くの海で立って仕事を

している小さな人影を見た。

岩場を歩くのか、歩かずに漁師の

いる海に入ってしまうのか、わから

ないうちに目覚めてしまった。

しかし、その津波のように海水ごと

破壊的なスピードで運ばれる快感に

興奮して、忘れないうちに書いて

しまおうとなった。

爽快、快適、ジェットコースター

よりよほどリラックスして楽しめる。

めったにない気分のいい夢だった。



::

この記事は「成り果てぬ夢を~」を

書いた10.4の晩に見た夢だ。



昨晩見た夢は気味のいい夢ではない。

僕は医者だった。電車のとある一両に

乗車するが、指示だけをして、すぐに

降りるつもりだ。それはこの車両が

女性車両で乗っているのは、おばさん

ばかりで、けっこう年寄りもいる。

20人も乗っていないかもしれない。

僕が指示している内に電車は動き

出してしまった。それで下半身裸

になった人を見ないように、車両の

隅に移動するが、中の大変な様子

を見て、今までいい加減に済まして

いたのが変に責任を感じていた。

白いレースを筒状にしたようなものを

生理の女性の下半身から1mくらい

伸ばして、なにかを出すつもりらしい。

看護師でもないおばさんたちが、それ

をかいがいしく手伝う。その他の

女性乗客は一斉に黒っぽい幕を窓や

戸口にかけ、カーテンのように引き

下ろして、中が見えないようにする。

こんなことしてたんだ、と医者たる僕

は他人事である。ここらで半分覚醒

するのだが、夢と自分の思考の区別が

つかない中で、女性の下半身から

胎児?子供?のミイラの死骸が出て

来るのを見たような気がした。


夢判断では生理は幸運で、ミイラは

凶だと。どっちなのかわからない。

もともと当てにならないのだ。



::

最近では書いて説明できる普通の夢だ

った。言語野とか感覚野の膜?が重なる

ような漠然とした夢や未来ロボット風

の先端技術の複雑な夢は、自分でも何を

見たのか説明がつかない。時々だが、

そういう夢、よく見る。


陽秋の夢1.png



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我も渋味乞う [詩]

錆びた緑の 銅色が 

心に 光を  照らしているようで  

侘しくも あり  

落ち着きも  与えられる  

思えば 

君への 想いも  

遠く なった  

懐かしむことさえ  

そのように  あらまほしと  

思い出すことも  

なくなったよう だよ  

僕が  どうかしてしまった のでは  

ないけれど  

古き  錆が  光を  

放つのは  やはり  異様で  

そこが どこかの  場所であるなら 

訪ねられるのに と  

思ひ けるかな  宵の月  

遊び心も   湧いてくる  


鎌倉の  大仏も  

大層に 懐かしき  座像で

あるのに  

そこには  その日の  淡々とした  

空気があり  

陽射しが  あった  

見渡しても  どこにも  過去がない  

そこに  大仏が  おわしまし

僕が  単身   いませり  

いつもの 日常で  あることでした

駅前に  人の 流れがありまして  

池に  亀なども  いなくて  

山あいの  道路が  渋滞した  

平日の  光景  

それは 光る景色  というもので  

絵を 見るように  夢のまま  

目の前の  手触りで  

僕と ともに  ありんした  


感傷的で  ありたいと  願う

今宵のような  実在の  感覚で

ありんした  

蟻が 下  

蟻 の 下  

ありがとう した  

夜は  真綿に  くるまれて  

ぐっすり 寝たいと  

深い 眠りが  恋しく  

儚い 感覚を  忘れるように  

なったことだ と  

その 気持ちは  すでに  儚く  

夢の なかの  ようで あり  

流れる 雲に  隠れながら 現れる  

今宵の 月 を 見るよう  


すべては  

わたし  次第  

あなた  次第 と  

言うけれど  

なかなか  

なか なか  の 

道程で  あることよ  

月も  僕を  照らしかねて  

夜の空を  さ迷い  はじめる  

煤のような  雲の糸  

僕は  初めて  夜空を

見上げた気に  なっている  

その  淡々とした  厳粛さよ  

以前は  心(うら)悲しさ であった  

その  幻し  

言葉を  詠むとは  

歌を  謡うことであった  


わたしたちの  時代よ  

だから  

わたしは  今   

ここに  いる  

その 開けた  喜びは  

誰でもの ものであり  

誰かに  とどまる  ものではない  

僕らの  遺産  なのだと  

気がつき  おませり  

ただ  淡々と  

粛々と  

この 時代を   生きよう  

それは  僕らの 未来から  

照らされた  緑の 錆

銅の色 

わたしは  ここに  

いませり  

なんと  (ああ)

熱く  生きていることか 

この 怒り  この 雷(いかづち) 

弱くなろうとする  強い羽  

人を  迎える  あたたかい 羽  

強すぎず  弱すぎず  

羽ばたきが  覆うのは  

列島の  津々浦々 だろうか  


あなたは  ここに  

いませり  

われも  渋み  乞う 

わらじが  ありせば  

履き替えて  ここから  

歩き 出そう   


今となってしまった  

その  未来へ  

いざ  われも・  渋み・

乞う・


遠ざかる声::

(ワレモ  シブミ  コー

Why more  give me  quoy ?

我も  講   )
 

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言霊の妙は意識の妙 [意識]

言葉とはなんだろう?

言葉について、殊更に疑問を

思ったことはない。だから、

言葉とは何?とか言っても

それは疑問ではなく、発せられた

言葉についての、その示すところ

にある“あるもの”についての

厳粛な感傷だと思う。そして、鑑賞

だとも思う。

僕らはTVがいろいろなエンター

テイメントを映し出してくれるからと、

TVを神棚に飾ったり、素晴らしいと

拝んだりしない。それはTVが機械

だと知っているからだ。ところが、

言葉だと、それが心に影響する

刺激や思考(思想)に恋し、感動で

魂を寄せ得る、と思う。これは死の

ビデオとかと、そう変わらないと思う。

見ると死んでしまう、貞子がやって来る、

とかはない。ところが、自分の心理は

分析しにくい。感動の感情に巻き込ま

れると、その伝えてくれた道具に神秘

を見てしまう、といった短絡な気持ちに

陥るらしい。

僕はどうして、こうも言霊を否定する

ことに躍起になるのか。

ここから始めたほうが、早そうだ。

一度ならず、言霊に、その言葉の

神秘性を否定した記事は書いた。

それがなぜこうも蒸し返して、また

書こうとするのか。昔は、これは自問

自答だった。今も、それは表面で

同じことだが、僕は知らない他人と、

また(矛盾するが)よく知った他人と

同時通訳するように自分と対話する

ので、内面では自問自答ではなく、

明確に対話である。それが自画自賛

のような対話であるなら、僕は騙され

やすいだけだろう。そういう風に裏切ら

れたことがこの対話においては、過去

にないので、ふつうに書いてしまう。

書きながら、自分でもピントこない文

が出てくるが、(時折のことで、全体

に影響するのはまれだ)それは書き

切ってから、あとで読み直して考え

ればいい。

この言霊については、ある作家が

小説家だが、日本史についても

その疑問点から新説を唱え始めて、

定説はおかしなことだらけだ、と

自分の観点からの日本史を書き

始めたのだが、そこに題で言霊が

主なテーマになっているらしい

古代言霊編で、(見たら「万葉集」を

扱っていた)それが、気になっていた。

それからブログで言霊が自然に

あるものとして語られれている記事を

見るにつけ、疑問は膨らんだ。

魂の感じ方が違うのだろうか、とも

思ったが、言葉に入れ込んでいる

だけのような気がしてならない。

僕らは言葉にある種のエネルギーを

込めることは疑いないが、それは

言葉が本来持つものではなくて、

僕らの思考・志向が言葉の示す、

その向こうの実体に向けて放つ意気

のようなものだ。その代表例は祈り

の言葉だろう。

言葉は本来、空想の概念でしかないが、

その対象に執着する事情があると、

愛でも、悲しみでも、神秘でも、UFO

でもかまわないが、それを実体化

しようとする。問題はその思念は

ある程度、実際に実体化することだ。

現実にはならないが、幽霊や豆粒の

光体くらいには実体化する。それだけ

でも言霊論者には十分だろう。

と、これでは否定にならない。そう、

否定が目的ではない。それが祈り

のように信仰に類することなら、まず

議論にならない。信じるか、信じないか、

では水掛け論にしかならない。

これは僕のおせっかいなのだろう。

(前後してしまうが、「万葉集」の言霊

論は納得がいく。そう思えても仕方が

ないくらいに、万葉歌は音楽性が強い。

意味を思わずに、万葉歌を聴くといい。

たぶん、この頃は歌はその通りに、

意味が通るのはもちろんだが、それ

よりも、声で歌われた時の効果が

大事だったのではないか。その間延び

したような感じには、長閑な風情が

感じられるのは、言霊に規定しよう

とする気持ちにも同調しやすい)



言霊云々ではなくて、どうして言霊

が大事になったのか、あなたの歴史、

その時のことを知った方がいい、と

いうことを伝えたい。

言霊という実態をあなたはどうして、

どこで、どのように感じたのか?

それが重要な疑問点だ。誰かの本を

読んで、それに共感してその考えを

受け入れたというのなら、どうして

受け入れる気になったのか、その

著者の言うことになにか近い経験は

なかったのか?そういうきっかけが

なにかなければ、僕らは共感をしない。

感動もない。だから、そこを丹念に

尋ねるのが先だ。


もしも、言霊という実態を感じて、それが

あなたに語りかけたことがあるのなら、

それは言霊ではなく、他の分野で重要な

ことになるだろう。どうしてそれが言霊だ

とわかったのか、姿は見えたのか、言葉

を話すのは別なものの可能性があるの

ではないか、という問いに自分で自分の

心に答えなくてはならない。 7.10


記事は投稿しないで留めておいても

いいが、忘れてしまうと、続きを思い出す

のは望めない。まとまったかどうか、今一

わからないが、4日も経ったので区切り

にしようと思う。(以下だが、読み直しを

しないで書いたので、くり返しも多い)



自意識の内容・性質の大半は言葉にある。

が、意識全体の原点、あるいは源は言葉

にはない。社会生活がおよそ言葉に拠って

いるので、そして自分のための自分ひとり

の時間が持てないほど、その区別がつき

にくくなる。楽しいおしゃべりには時間を

感じないのと同じことだ。ひとりを、僕ら

はそのように通常は避けるから。

知的な思考はそれに功罪はあるが、人や

物事にかなり客観的に臨むので、公平に

見る。感情的な思考は、実は知的感情に

過ぎず、知的な部分的論理を展開しても、

中心は感情なので、気が変われば論は

破綻して、別な論の機構に浮気している

のに気づけない。指摘されると、プライド

に関わるのでイラついたり、怒ったり、

自我のかなり強い人は例えば自分の

負けん気の強さを指摘されたこともないし、

自覚もないのでその指摘は誤りだと

反撃されてしまうことが多い。

感情的思考は主観に中心があるので、

人や物事に対して、公平さに欠ける。

従って、言葉に言霊を感じようという

感傷を持つ人は、言葉に対しては

ある感情が強くなる経験をしている

はずだ。普通その言葉に助けられたり

して、その時の感動が基になっている。

物が動いて、日月が空を回って、経過

を感じて、その実感が時間感覚を生ん

でいるのと同じだ。

インドやアフリカでは時間の感覚の

ない人がいるし、まだ多いだろう。

食べ物が勝手に生えてくる赤道に

近く、雨の降る地方なら食べ物は

収穫時期を考えたことがない。

日本のように収穫時期に台風は

来ないのだ。

南米だったろうか。

稲作でも、穂がたわわになっても

3週間も放っておいたりする。

日本では考えられない。

日本の美しい四季、そして、多雨。

それが高い山岳があることで発生

し、達成できている恩恵がある。言葉

も自然に従って生まれた。自然の

風情に溶け込むように生まれた日本

の言葉に言霊があると思って、それ

が厳密には勘違いに過ぎなくても、

美しい勘違いには違いない。

だから、言霊は自然語ではなくて、

歴史語だと言えるだろう。歴史は

感情で、ロマンだからだ。

知的に言霊は否定されても、歴史

では生き続けるだろう。正しいことが

この世のすべてではないからだ。

ドストエフスキー(ロシア作家)は精神

(言葉)は広すぎる、もう少し縮められ

ないものですかねぇ、とどこかで書いて

いたが ・・・・・。彼はその言葉を心理で

捉えていた。



僕の心には言霊はない。が、万葉集には

ある、と感じざるを得ない。その時代を

生きた人たちはその言葉にそういう音を

込めてしまう生活がある。運命と言っても

いいのだろう。

運命もその意味で、確実ではない。が、

避けることはできない。そのなかで姿・

形をすべてにおいて、変えてゆく。体に

貼りつかない運命はない、そして、変え

られない運命も、またない。言葉が

時代で変遷してきたように。

言葉とは、大雑把な意味で自分自身の

こと、その範囲のことなのだ。あなたが

どんな言霊を演出するか、それはあなた

の生きざまや生活次第だ。



一句:


楽しさも  中くらいかな  夏の雨

               7. 14


追記:2022.10.2

昔のことだが、ロシアだろう、石川啄木の

歌が流行ったそうだ。人気が出たというが、

日本語なので、意味は分からなかったらしい。

どうも理由は胡散臭いが、意味が分からなか

ったのなら、音が美しかったからだろう、

と言われた。危ないが、そうかもしれない

と思わせた。


たはむれに 母を背負ひて そのあまり軽きに 

泣きて三歩あゆまず
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