SSブログ

平和という欺瞞と平和という祈りたいもの [祈り]

〈戦争の理由と平和という欺瞞〉


僕らはどこへ流れてゆくんだろう、

というフレーズが僕らは好きだ。

川を流れる浮き草のように行く宛て

もない旅、というロマンスには

僕らはわびを感じてきたのだろう。

わび・さびの世界にはあてもなく

彷徨う、僕らの目的を持った生を

裏返しにすると現れる死なのだろう。

人は生きて、そして死んでゆくと

いう無常観というのはほんとうに

仏教から齎(もたら)されたのだ

ろうか。ものごとの因果は人間だけ

に限られるものではない。その

理(ことわり)の大きな主柱は

正しいだろうが、小さなことには

抗う必要がある。洪水で流される

にまかせてしまう必要はない。その

対策をした家や施設を考え、建てる

ことは必要になる。それが大きな

、長い時間の自然の力には勝てない

にしても僕らは僕らの寿命の範囲で

役に立てば、満足できるからだ。

大自然に勝つことはできないが、

小さな抗いを続けることは必要で

十分な生きる理由にもなり得る。

それは常識でわかるつもりだが、

それは一般の想像の範囲という

カテゴリーがあって、僕らは常に

安心したいがために、及ばない想像

には手を着けたがらない。そのため

に自分が知っている範囲から発想が

出てゆかない。想定外とか、危機感

の欠如とか言うが、そう考えること

自体がまとまった自己内の社会生活

の常識であることには考えが及ばない。

うまくいっていればそれ以上になにを

考える必要がある、というのが僕ら

の生活の態度だからだ。この態度を

長年続けてしまうと、自分の範囲と

いうものさえ見えなくなっている。

本人は新しいことを取り入れた気で

いるが、それも形だけでそれを利用

してやっていることは、これまでの

生活の延長に過ぎない。くり返しなの

だが、本人は筆やペンをパソコンに

変えただけで、新しいことになって

いると思っているが、書いていること

は規格内のルーチンワークであること

に気づいていない。

例えば、顧客との挨拶や応対などの

仕事での言い方になり、その延長で

あることに気づけない。これまでに

習慣づいた自分のままであるのに、

自分では気づくことはできないもの

なのだ。他人の指摘があっても、

自分が変わりたいという強い動機が

ないと、僕らは同じことをくり返す

動物なのだ。そういう動機は道端を

探しても、落ちてはいないだろう。



自然な自分であることはそれを取り

戻す方向の心がなければ、そこに

気づくことはないだろう。自然な心は

野生の心だからそれだけでは人との

関係には軋轢が生じてしまう。

教育はその調整を目指して、最初は

技術的なこと・知識を教えていたが、

年貢・税金を取るためには思想も

植え付けなくてはならなかった。

身分制度はそうした特権階級を

制度として正当化するために作られ

たものだが、教育には教育の矛盾が

あり教えてもその思想に抗う者が

現れて、啓蒙運動を起こして制度の

改革を訴える。為政者・権力者は

その矛盾にいつも対応しなければ

ならなかった。現在もその延長で

成功しているので、世界の富の

99%は1%の金融関係者その他の

権力に関わっている者たちが握って

いると言われている。1%といって

もその数は世界で7600万人に及ぶの

で、目立つことは目立つが、目立ち

過ぎてはいないのだろう。

彼らは金銭を金利を中心に有価証券

・為替などの付加価値商品に変え、

お金の価値を目に見えないもの、

美術品などのように自由に高める存在

に変えていった。それに権威をつける

ためにノーベル協会に資金まで出して、

ノーベル経済学賞まで創出するという

芸当までしている。金融制度の経済学的

数学を応用した複雑すぎる体制を通し

て、それの正体がバレないようにして

いる。

国の仕組みが税金を仕事に結びつけて、

人々の生活に密着させて、お金を未来

と生命と同じだけの価値に引き上げる

ことに成功している。そのために大学に

資金援助をして、優秀な学生をお抱えの

企業に就職させて、自分の陣営に取り

込むことで、大きなファミリーの力を

さらに巨大化させた。

国の新聞もマスコミもその会社ごとに

買い込んでいるのだから、世論も選挙

も支配が利いて、国会も与党野党に

ファミリーを配分して、国の意向も

コントロールしている。

これがうまくいっていれば、平和である。

平和はどこかで誰かがコントロールしな

ければ存続するものではない。しかし、

武器売買は主に第2次大戦の戦勝国には

大事な金のなる木で、儲けが大きい。

なので、戦争がなければ軍需産業は

儲からない。だったら、戦争をつくれば

いい、として戦争の火種を撒いて、その

理由をでっちあげる。これが世界の

地域での戦争の成り立ちのひとつで、

そのためにいつも敵を探して創出して

いるのが大国の宿命にさえなっている。


領土を奪うための侵略や国内の反政府勢力

などとの戦闘など、僕らの世界は小さな

戦争を起こして、全体では平和を獲得

しようとする暗黙の道を選んでいる。

それに気づかせないように、映画や娯楽

文化でそれを批判するような映画も制作

させている。少し、バレている方が陰謀論

にすぎないと混乱させ、無視して、また

世間を黙らせやすいからだ。

しかし、彼らがマスコミや新聞をコン

トロールしている以上は彼らの発想は

常に暴力に立脚する発想になる。

世界の民を奴隷にして富を搾取するの

が永遠に変わらない彼らの究極の論理

だからだ。それが社会の勝ち組になる

ということも、世間には知らされていない。

僕らはすでに正しい情報も得られず、

それらは隠蔽されて、逆らうと殺されて

しまうのは太古の昔から変わらないので、

国の中枢の政治家も口を閉ざして、保身

して生き続けようとする。
                                 23.2.6


〈平和という祈りたいもの〉



::融通無碍(ゆうずうむげ)という言葉、

囚われ、こだわりがなく、自由で

のびのびしている、ということ。::


 
点  ・

・ ・

・・・

なにか 足りない、ではなく 

全部 足りない、 でもないか 

呼吸が うすい 

酸素の問題では ないよう 

心の 息が  はかない 


美しい  


でも  それは 儚い

なにもの でもない  

珍しい ウロコが

着いている のでもない  


け だるく なった 


そういう時 なのだ  今は

巨大戦艦も  海に 

沈んでしまえば 

ただの  鉄屑 

深海なら  まだしも 

暗い闇の  孤独の中で 

なにか  ふと 

悟る ものが  あるのかも 

しれない 


それぞれの ひとりの  中よ 

それぞれの  孤独の  味よ 

それぞれの 

ひとり  よ 


そこには  儚い 

懐かしの  虚しさ 

大きすぎる  闇の  深さ 

そこに  あるもの


私が  私であるもの 

僕が  僕という 過去で

あるもの  



やさしさの  見守り 

僕が  

愛された  場所 

波うち際 

引き潮と  返す 波 

なにも  実態がなければ 

なにもならない のに 

その ぬくもりで  

ここに  残っている ようだ 



君への 

告白が  

喉まで ・・


言えない ・・


そうしなくても 

お互いに  わかること 

だった ・・

この  胸に 

とどまった  言葉が 

今も  ・・


まるで 

夜の浜辺を  歩いて  

波の音を  

聞いている ようだ 


地球という  大きなものの 

ささやき 

まばたきさえ 

鈴の 音 がする 


君は 

いない  


どこへ行って 

どこまで行って 

逢えない 



その響きが  聴こえる間だけ 

君は  君に なる  

ただ  闇が 広がる 

僕らは  隔たって いるのではない 

離れているの  ではない 


いるから ・・

なのだ 




もう  なにも  及ばない 

君は  高貴さの 中で

足を  洗うようだ 

なにも 届かない  

銀河系が  ひとつ  

水桶に 浮かんだ  水面に

ひとつ  


君の 

影 のよう ・・



迫りくる のではない 

なにかが 

来る 




渋谷 

道玄坂 ・・

なにも  ない  

死 という 愛 

死ではない  想い 

死に 守られた それぞれの 

残照 


まだ 終わらない 

君への  想い 

まだ 

君を  

呼んではいない  

呼んでは いないよ 


死は その中で  大きく 

大きく なった 

愛を 包んだまま 

死は  死ではなかった 



その  闇の 透明感は 

光 指さない  影に 

すぎない 


まだ 


僕を 

引くな 

連れて  行くな 

連れて 行かないで 



鈴の音が  左耳に 

リン リン コロ コロ

通り 過ぎる  ・・ 



走って  

通り ゆく  ・・



どんなに  巨大なものも 

光で 数える  距離でも

測り得ない  もの・

・ではなかった 


星々は 縮めることが できた 

測るのは  一息の 

呼吸 

死と 名づけた  

僕らの  生命の  ふるさと 


そこへ 帰って  

そこへ 還ってゆく の

だった 



僕らは  抱きかかえるほどの 

大きさで 

死に 抱きかかえられ  

生を 営んでいる 

生は  その中に 

あった 



その 中だけに 




地球という 

水桶の 中だけに 

僕らは  いた 



巨大で  膨大で  

それが  筒とは 見えない 

燃える 太陽ほどの 石からは 

はるかに 



いつか 

また 戻って来る 

悠久の  循環の  筒がある 

愛を 包む  死、ではなかった

それ よりも  



大きい  宇宙の 彼方

はるかに  遠く 

はるかに 遠けく 

僕らは

歩いている 

ヒタヒタ  足音が 

聴こえて 

胸に  迫る 



胸に ・・



ああ 


君も  

聴いているだろうか 

この  祈りを 

そうだ 

僕が  初めて  

心に すでに 見出して 

そこからは  

取り出そうとは しなかった、 


そうまでしても 

言いたくなかった 


ありふれた 安物の 言葉では 




生まれたばかりの 

赤子のように  

守りたいもの 


平和  だ った 


子供らが  子供である時に 

大切なもの 

平和への  祈り

決して  

誰の ためでなく

誰とも  共有することは 

できない 

自分だけが  

守れるだろう と 

生き続けて  みた 


海岸に  打ち上げられた 

昆布くらいに 

波に 負けてしまう 

平和の 命 

誰にも  守れない 

理想の  象徴 だった 



夢の 灯(ともしび)

それを 

生きている 証に  したかった 



鈴の音が 

コロコロ  リンリン 

あの 鐘の音が 

聴きたかった 

僕を 呼ぶ 

カラーン と 鳴き止まない 



遠くから  

遠雷の ように 

僕を  呼んでいる 

君を  呼んでいる 



僕らは 

ひとつ だったんだ 

今 

わかったよ 


僕らは

同じ 死ではなかった 死から

生まれた 

そこで 



僕らは 

ひとつ だったんだ、

ひとつ  ・・



点の ように 


点 

点、 ・ ・ 

・ ・ ・ 


・・・・




一瞬の 平和が 

永遠で  ありますように 

僕らが 

まだ 

人間で ありますように





 
これから  先

僕は  遥か 永劫に  

祈らない





これが

最初で  最後 


・・









        22.12.23






nice!(14)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。