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ものの謎の答え・解題 [謎]

今年の3月には見えた「もの=器」が

感動ばかりが残って、肝心の見えたと

思ったもの(美とか?)がまったく

見えなくなって、心身が煮詰まり始めて

いたよう。

数日前に「器の雑念三昧」をブログに

載せて、僕は「わからない人間」に

なったと、ギブアップした。思ったこと

を書いたまでだが、思ったことをその

まま書くのには、勇気と訓練が要る。

なに、ただ何度も思い切るだけのこと

だが、・・。

いつか習慣になり、自動で書く。そう

いう時は自覚していない。追い詰めら

れた時は人は意識しているつもりである。

実際は無自覚だ。酔っている人はほんと

に自分は酔っていないと思っている。

悲しみも苦しみも僕らはそういう心に

不適応な感情に悩まされているのであっ

て、それは酔っている体と心のシステム

に合致している。僕らは悲しみに、知ら

ず酔い、また苦しみに知らず酔う。それ

に囚われた状態になり、それを自覚でき

ない。だから、誰にも相談する必要が

ないと感じている。迷惑だとさえ思うか

もしれない。理性が自立して働いていな

いのだが、それに気がつく教育は受けた

こともない。

あ、話だ。

それはテレビを観ていて、急にわかった。

が、自覚ではない。自覚したのはその晩

にぼんやりしていて、自覚が立ってきた

時だろう。

番組は女優が奈良で筆づくりの体験を

するというもので、その筆職人の言葉

だった。お客さんがいい筆だというのが

いい筆で、(何十年も作っていますが)

私らにはいい筆はわからない、作り続け

るしか(ないんでしょうね)という話だ。



職人なのだ。職人は自然の中にいる。

自分がいい筆を決められないのは、当た

り前のことで、お客さんの選ぶものは

千差万別、となれば、なにがいい物かは

わからなくて、当然という・・。

部屋にいてそれを思い出して、浮かべて

いて判然とした。僕はそういう職人と

同じ意識の中で精神的区別を求めて、

わからないものを概念的精神的にわか

ろうとしていた。わかるはずがない。

ー と、わかった。



ものの良さというのは、区別できる、

という気がする。が、事実は微妙だ。

基準は3つあるだろう。

まず一つは、技術力の高さ、精巧に

して端正な出来栄えだ。そういうものを

目指したものはそれがないと、いいもの

と言えない。

次に、気にいるか、気に入らないか、

なんとなく感じることだ。これは好き

嫌いによほど近いが、用途などが考慮

に加味される。

最後に、買う気になるか、ならないか。

これを一番に考える人は多いかもしれ

ない。

これら3点の区別は理由はどうあれ、

微妙にお互いに観点がダブって見えるし、

見分け難い共通点もある。

だから、言ってしまうと、審美眼という

のは客観的に第三者的に評価されたり、

結果としてそうなったのでないと、ほぼ

信用しなくていい、という結果になる。

それはある、が、微妙過ぎるのだ。

だから、日常の買い物などでは、また

展覧会や個展などでは頼りにならないと

見ていい。

僕は見ればわかると思っていたから、

初めは陶器市や陶器フォーラムなどを

見て見て見て回った。やがて、益子市

で濱田(庄司)に出会って(作品、その

前から民芸運動の紹介で、ちらっとは

知っていた)、その著書の「無盡蔵」を

読んで、見ることで食欲が満たされる、

同じ経験を見出して、ついに自分の

試作の陶器にものの在る様子!?を

見て、痺れた。この感動からその意味

を見ようとして、まったく不毛の沙漠

をさ迷うことになってしまったのだった。

ここで終わりなら、昔の紙芝居だが(?)、

美といいものを区別ができなくなった。

終いにはなにがなんだかわからなくなっ

てしまった、ー という次第だ。



思い出したのは大学で習った、能の教科

書とも言える世阿弥の「風姿花伝」だ。

彼はその実(じつ=能芸術の芯)を「花」

と呼んだ。そして、お客さんには花の

わかる人もいればわからない人もいる。

わからない人にも楽しめるように能を

工夫すべきだと、書いてある。それを

思い出した。奈良の筆職人と共通する

のは、いいものはお客さんが決める、と

いうことだ。それで僕は僕の迷いが判然

として、溶けて消えたのだ。

猿頭蓋7-1.jpg

猿の洒落神戸も笑っている::

和を以て貴しとなす、と聖徳太子は言っ

た。(十七条の憲法)

皆で決める形式ではなく、皆で決める

まで決めないのが、ほんとうの民主主義

だ。長崎の離れ島に対馬があるが、近年

まではここでは長老?市役?などが集まっ

て島のことを弐日くらい話し合って決め

たそうだ。(「忘れられた日本人」)

小さなことで二日だから、大事なことは

もっとだから、民主主義は時間がかかる。

しかし、権力を持った政党や政治家が国

の不利益になる法案を押し通してしまう

今の国会よりもマシだろう。芸能界で

大きな話題が持ち上がると、その隙を

ついて重要法案が隠れるように通過させ

てしまう。マスコミも黙っている。

政治家のほうがわかっていることも

あるが、腰の抜けていないあの小泉でも

郵政民営化をプロパガンダ化しなければ

ならないほどだったのだから、腐った根

は深い。

日本ほど民主主義という「和」を精神的

に実行している国民はないのだが、・・。

それは国民の話で、政治の話ではない。

明治以来、政治は日本株式会社に塗り

変えられている。綿々と続く黒歴史は

その気にならなければ、調べもしない、

僕らはそれほど暇ではない、と言い訳

するだろう。

僕らは安倍さんがなぜ死んだのか、知ら

ないままだ。リンカーンやケネディと

綿々と続いたままだ。

あ、話が逸れた。

僕の器の話はどうでもよくなったみた

いだ。少し、現実という死の側に顔を

出してみただけ、だ。



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