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ウクライナ、うっくさいな [バカさかげん]

この記事、ウクライナとはなんの関係も

あり得ません。誹謗中傷ともなんの縁も

ありませんセデス2錠? (笑?)

頭痛薬の宣伝でも、もちろん、ない、と

強調すべきか?  まぁ、いい。

ジャスミンの花がこの処、咲き始め、

今日はほぼ満開だ。

じゃすみん1-1.JPG


隣りからはみ出している。これが匂う。

いや、臭い。ウッとなるほど、むせ返り

そうに、くさい。近くで嗅ぐ匂いではない。

うっ、臭いな、 と。

ジャスミン茶はいい香りなのに、現物

はこうもくさいのは、解せない。が、それ

が普通かもしれない。小学校だったか、

明治のチョコレート工場見学の時もそう

だったし、オランダの風車観光に行った

時も、チョコの工場が近くにあって、むせ

そうな匂いが通りにも漂っていた。

現物はきついのだ。適度な距離と、拡散

されて弱められた匂いだから、いい香り

に感じるのだ。そう言えば、化粧品の

香水も似たようなものだ。どこまで

薄めるかも、必要な生産工程のひとつ

なのだろう。

強情さ、意地っ張り、頑固さは人間の

現物のひとつなのだろう、と考えが飛躍

する。本人は気づかなくても、現物は

きつい。

本人が気づかないのは、自分がそうだ

とは認めたくないからだ。だから、そう

指摘されたことがあるのだろうが、その

指摘さえ無視する。

ジャスミンに戻るが、今日気がついた

ことがある。普段は見ていないものだと

思う。それは蕾が細長いのが、赤い

ことだ。蕾のまま、赤から白に変化して、

白い花を咲かせる。

じゃすみん2-2.JPG

なるほど、今まではただなんとなく、咲いて

いるのを見ていただけだ。日常の注意とは

こんなもので、言ってしまえば、僕らは不注意

なのだ。うっ、くさいな、も忘れていたくらいで、

思えば1,2年前もそう思ったのだ。記憶に

さえとどめていない。

昨日もうちのが形がオレンジに似た、

オレンジかなにか?蜜柑を、しなびたので

もう食べなければ、と少し苦労して剥いて

いたが、食べると甘くておいしい。生きの

いい頃より、酸味がうすれ、甘いのだ。

うう、~ん、長生きは甘味が増す?

人間には一般的には適用できない特徴

だろうが、それで島で思い出したことが

ある。

少し、家から登ったところにレモンの木

があって、下にしなびかけたレモンが1個

落ちていた。もうしなびかけているし、いい

だろうと拾ってきた。期待しないで包丁を

入れると、すかさずレモンのいい香りが

した。まだ、生きている、となにかにかけて

食べたが、フレッシュだった。しなびても

馬鹿にできなかった。つい、これスーパー

で買うと、いくらぐらいと金額を思い浮か

べてしまった。ヨーロッパの一般的な主婦

なみだった。欧州ではレストランの会計で

必ず、計算して金額が合っているか確か

めるのが習慣だそうだ。暗算は日本式

の数字のほうがた易いが、日本では

しないだろう、計算違いはそれほど多く

ないからだ。英語やフランス語で計算を

考えるのは、ひと手間らしい。

それと値段をごまかす文化がない。ひと

それぞれで、ごまかす人はいるだろうが、

文化と言えるほど定着していない。

どの国でも定着している文化は、嘘を言う

ことだ。これはあいまいにしていいことが

生活では多いし、プライドが主流の人間

だからこその、社会文化だ。嘘でもちょっと

褒めておくとか、あるある。子供に嘘を

つかなかった親はいないだろう。それは

ほぼ子供のためだし、言ってもわからない

からだ。

では、読者のためにブログで嘘を言っても

いい、という命題は正しいだろうか。

ここで二者択一の考えに陥ると、答えは

迷うだろう。なーに、設問が正しくないのだ。

正しいかどうかを聞かれたら、これは嘘は

正しい行いではない。が、嘘はありかどうか

を聞かれたら、あり、だ。残酷なシーンが

頭にあっても、それをリアルに細かい描写

をするのは社会通念にそぐわない。

そういう見えない常識は、その人もその

社会も縛っている縄だ。で、海外に行くと

驚くことが多い。

僕がオランダに行って、驚いたのは、駅に

改札口はあるが、改札はしていないことだ。

自由に切符も見せずに素通りできる。もう

電車に乗る人のモラルに任せてしまって

いる。時々、列車内で切符拝見の車掌が

回ってくるらしいが、僕は1回も見かけた

ことはない。そういえば、ホームにある

バーガー店で、どうやって英語で注文

しようか、看板メニューを見ながら、迷って

いた自分を思い出して、可笑しい。3回

は看板を見に、うろうろした。(笑)

アムステルダムの駅前は、今は日本と

同じに見えるが、あの頃は緊張していた。

人形のピノキオが初めて人間になって、

どう話したら人間らしいのか、悩んだと

したら、そういう異質な環境を感じて

しまう緊張感があった。


なぜ日本で精神的に煮詰まって、息苦し

くなると、海外へ飛び出したのか、それ

は野生の勘と持ち前の反抗精神だろう。

煮詰まると、人は自然に死にたくなる。

それは衝動に過ぎない。自殺したいの

ではない。自分から解放されたいのだ。

それでさらに緊張を呼ぶ海外へ行って、

不慣れな環境に身を置こうとするのが、

僕の一般的ではない特徴ある行動だ。

信頼できる人がひとりとしていない、

まだ知らない環境へ、というのは死に

相当する場面を求めてのことだ。

死にたいと無意識にも感じると、では

死にましょう、と素直にそれに向かって

行くのが、その行動様式だ。めちゃくちゃ

とかバカと、呼ばれることをするのが、

第一の衝動にして、面白いのだ。

だんだん冒険心として、無理はしない

方向性が出てくるが、基本は冒険好きだ。

死にたい、というのは、自分は絶対死な

ないと思っているから、言うような言葉だ。

その確信を当てにして、それを実際に

確かめて、自分に証明するために、

日本を出るのだ。今までの海外は

すべてそうだった。

その癖、被(こうむ)りそうな危険や事件

や、などなどは避けるつもりで、時期

とか場所・国などは慎重に選んでいた。

東南アジアは宿の予約なしで、陸路、

国境もその場で決めて通過する

つもりだった。慣れ始めた海外ひとり

旅、帰国後に五島列島の離島の家を手に

入れ、次はエジプトだ、とか思って

いたら、コロナ旋風に見舞われ、で

足止めされ、今に至る。

例え、解禁されても、もういろいろな

意味・条件で海外渡航は難しくなって

いる。

家でジャスミンを楽しんでる、わけだ。


大学での20代の頃の日記を読んで

みた。小林(秀雄)との出会いを確認

するためだったが、わからなかった。

だが、その紙面には文学青年だった

絶望好きな自分がいた。これだけ

時間も空間も離れても、そこにいる

のは同じ自分に思えた。ただ、今の

ようにはしあわせではない、嵐の中に

出航する、頭デッカチで傷心な青春を

空費する贅沢な自分だったが、・・・。

リプリー(パトリシア・ハイスミス著)*の

境遇に遊びたいのは、今でもその自分

の影が死なないからだろう。



*「リプリー」はルネ・クレマン監督で

アラン・ドロンの主演で映画「太陽が

いっぱい」は大ヒットした。(原作とは

少し設定が違い、結末も変えて

いる。)

 ・・・・・・ いつの話だ?


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