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嫌いな魯山人とうまい皿 [陶磁器]

細胞の劣化と記憶が結びつくのは

自然な現象だと思われるが、どういう

仕組みなのかは、生物学者と認知

機能の専門研究家にまかせたい。

階段を降りながら、甘い醤油の香り

がする。それだけに留まらず、なぜか

昭和の香りも思い出すようだ。

それがどうして昭和の香りなのか、

ただ懐かしい香りなのかわからずに、

そう思うのもすごいと思うが、匂いが

記憶に結びつく力は強いのを、僕ら

は日常の経験で知っている。

どのせいだろうか、いつものように

ぼんやりして考えが徘徊するにまかせ

ていると、急に京都の本が読みたく

なった。それは理由が想像がつく。

陶器がらみで、京焼について知り

たくなったのだろう。

階下にそれを探しに行くと、「京都人

だけが知っている」入江:著、洋泉社

新書。ーがあった。

目次を見ても、特に陶器について章は

組まれていない。京都について知る

だけでもいいか、と読んでいない(例に

よって通読していない)後ろの方から

めくると、文学者が(著名な作家ばかり

だ)、京都に惚れてのめり込んで、京都

に住み、皆京都から逃げて行ったと

書いてある。

京都独自の理解しにくい情意がある

そうで、それらしく書かれたのは、水上

勉の「五番町夕霧桜」と三島由紀夫の

「金閣寺」くらいだと言う。谷崎潤一郎の

「細雪」もいいが、舞台が京都と大阪に

分けたのは、京都の街から逃げた気が

する、と。

そして、魯山人が出てきた。これは

面白かった。魯山人が僕はなんとなく

嫌っていたし、また奈良だったろうか、

忘れたが、訪ねた美術館の前に私設

の陶器展覧室があり、そこに入ると、

魯山人の皿などが並んでいた。見て、

僕はその皿の良さを見抜けた。すぐに、

皿はこうでなくては、と思い、魯山人

の才能にあらためて発見した思い

だった。

「京都人だけが・」の著者がうまく言って

いる、“八割の器”だと。その通りで、

僕もその時に知ったのは、皿の模様と

いい、その意匠が少し物足りないのだ。

それですぐにこれは料理を活かすため

の意匠だと気づいた。僕も、将来は

こういう意匠で皿を焼きたいと思った。

それを思い出した。

そして、魯山人が京都を悪くした理由

が書かれていて、そのフィーリングが

魯山人の顔から染み出しているので、

僕は嫌ったのだと納得させられて

しまった。根拠は自分で尋ねなくて

はいけないだろうが、まずそれほど

変わりないだろう。


京都も1年くらいは飽きずに遊べそう

な街だ。僕は京都には昔から惹かれて

いたのではない。むしろ、なぜ京都

なのか訝(いぶか)っていたが、それ

は修学旅行の所為だ。これもいつか

書いたが、もう一度書くと、中学・

高校の修学旅行がなぜか京都で、

大学も研修旅行が確か京都だった

と思う。初めての家族旅行も両親

の桂離宮見学について行ったが、

自分だけ入れず、その足で奈良に

向かった。

そして、大学での日本文学科レポート

でも川端康成の「古都」を選び、京都に

それを訪ねたが、はんなり?の雰囲気

は楽しめても、他と比べてどうだという

ようなものはなかった。そうとう遅れて

から京都に興味を持ち始め、20年に

至るだろうか。


魯山人の皿は決定的な皿の本質の

ヒントを残した。それはこれからも

皿を見ても変わらないだろう。

その皿に料理を盛り付けてみたく

なる皿がいい皿だと思えるからだ。

彼のことは嫌いだが、皿は好きだ

というのは矛盾だろうか。それは

そうだろうが、そうは思わない。

好き嫌いは理屈を尋ねているの

ではない、意味ではないのだ、

彼は好かないが、皿はいい、そう

感じるのは、そのもので、区別する

必要はない。


韓国ドラマでは人間関係、特に恋愛

感情のもつれなどは、これでもかと、

複雑な展開を持ってきて、その追及

の強さには感心する。それも中国に

2000年も属国としての虐げられた

歴史が横たわっていて、そのために

歪んだ感情が根にある。統一教会の

聖書(会員が読まなければならない、

140万円もする教科書)には日本の

天皇は土下座をして我々に謝罪しな

ければならない、とかの日本への軽蔑

が書かれているという。文鮮明は天皇

の謝罪をもって日本を訪問してもよいと

宣明していたそうだ。

その韓国は過去、統一朝鮮だった。

豊臣秀吉が慶長の役などで攻め入っ

た時に、朝鮮の陶工をさらってくるよう

に命じたという。朝鮮の壺は中国でも

珍重されたように、当時では世界で

トップだっただろう。そこで信長ゆずり

の陶器好きの秀吉も欧州の王様に

違わず、日本の陶器づくりを推進

しようとしたのだろう。陶工を誘拐して

くる辺りフランシスコ・ザビエルにまつ

わる奴隷商人に日本人を数百人?

数千人?も奴隷として連れ去られた

(欧州に日本人奴隷の記録がある)

秀吉の怒りもあったのだろう。

歴史の動きは意義とか意味とか、

表面的な建前があるが、実際の

大きな底流は感情で動いている。

歴史を読み解くと生き物のように感じ

てくるのは、僕らが感情の生き物

だからだろう。



僕の茶碗ができたら、僕もどんな気持

でその磁様を眺めるのだろう。有田焼・

伊万里焼・唐津焼も九州の佐賀で、

連れてこられた朝鮮の陶工がその地

有田で粘土になる白磁の土を発見して

から、始まった。今から400年も昔の

話になる。

うーん、と唸りたい。(笑)


注::

白磁の土を日本に連れてこられた朝鮮

陶工が発見して、日本でも磁器が作ら

れるようになったらしい。その火山層

が瀬戸内海周囲広がっていたので、

瀬戸ものと呼ばれている。陶器は主に

土でガラス性の石が混じる。逆に磁器

は可塑性が低く、主に石で土が混じる、

といった感じ。土から石は長い年月で

圧力から変化し、マグマに解けるが、

火山活動で地表に出されて、再び冷えて

石になる。土は石や砂を除けば食べら

れるそうだ。インディアンは薬代わり

に食べるとか。
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渋谷の戸栗美術館で古伊万里を見る [古伊万里]

断っておくが、只今、家の前で工事中。


9月になったら陶器を見まくるつもり

だったが、早く起きたので、東京に

出かけることにした。

古伊万里1-1.JPG

この美術館、地図グーグルに名前が載って

いなかった。近くの渋谷区立松濤美術館

が目立っていたので、調べたら、こちらは

展覧の切り替え中で休館していた。

松濤の辺りは大きく、瀟洒な建物が多く、

資産家の家が多いのだろう。まったく

住宅地で飲食店の一軒も見当たらない。

その美術館も住宅の一軒のように建って

いて、スマホの案内がないと、迷いそうな

処だ。


出がけに時間は戻るが、玄関前でタテハ

が飛び立つのを見た。珍しい蝶かな、と

思ったら、すぐに近くの植木の葉に止まった

ので、カメラを取り出した。

マダラアゲハ1.JPG

アカボシゴマダラという外来だそうだ。

神奈川県を中心に周辺の県に拡散した

らしい。日本本土のゴマダラチョウは赤い

斑点がなく、そこで区別される。羽化率が

低いとかで、大量に生まれて、急に在来種

を駆逐するような恐れはなさそうだ。

ちゃんと羽を広げたり、閉じたりするが、

カメラを向けると羽を広げて、ポーズを

取っている。


暇な美術館だった。平日でお昼過ぎという

時間帯もあったのだろうが、僕の貸し切り

で、館内に僕ひとりだった。

広くもない展示室が2階に三つあるだけ。

なんの変哲もない、模様も絵もない四角柱

に首のついた壺があって、釉なしらしい、

伊万里のイメージから遠いので、こういう

時代もあったのか、と。

見て回るとすぐ気がつくのは、僕らの

伊万里のイメージは柿右衛門だという

ことだ。その当時は秀吉が朝鮮から

陶工を引っさらって来て、50年も

経った頃で、日本独自の焼き物が

立ち始めて、中国が乱世で焼き物

どころでなかったので、欧州では

代わりに日本の伊万里焼が珍重

されたらしい。

東南アジアからインド、中東へ輸出

され、もう一航路はケープタウンを

回って、オランダからヨーロッパ全土

に拡がり、各国の王様はそれに魅了

されたという。

ドイツ、その頃のアウグスト強王は

特に中国磁器・日本伊万里に夢中

になり、同じものを造れ、ということ

でたった4,5年で後に今も西洋世界で

一位を誇るマイセン陶器が技術的に

完成した。

文化では浮世絵版画、伊万里、昨今

では任天堂ゲームやアニメと、日本

はいろいろと世界を席巻する運命

らしい。


素晴らしい絵付き大皿もあったが、

柿右衛門は僕には飽きるようだ。

それよりも初期の古伊万里に視線

が強く囚われる。素朴な庶民的な

絵柄が、下手なのか、ともかく芸術

のリアルにこだわっていない。

僕の趣味に合うからだろう、古伊万里

は見どころがあった。

古伊万里2-1.JPG

壺の曲線までが、なつかしい。

古伊万里3-1.JPG

ほぼ淡彩で、濃淡だけ。子供の頃に

見ていたような気にさせられる。

古伊万里4-1.JPG

水墨画の例えば、雪舟のリアルさ・軽さは

ないが、童話の夢の話の中を想起させる。

こんな絵を描いてみたいものだ。

帰りに古伊万里の選集の本を買ってきた。

上記の写真はすべてそこから拝借したもの。

戸栗美術館発行。


来るときは京成の神泉駅で降りて、来たが、

帰りは渋谷駅まで歩く。2,3分しか変わら

ないだろう。その駅に近く、路地の間に

廃墟があって、こんなところに、と驚く。

渋谷廃墟1-1.JPG


渋谷廃墟2-1.JPG

夜の遊び場にでもなっているのだろうか。

8月2日投稿の小松美羽展だが、あれから

作品をゆっくり見て、技術面だけでなく、精神

面でも感想を書こうと思っていたが、思わしく

ないので、止めにしたのを断っておく。

少し気になってはいたが、いざ見て見ると、

面白い絵柄というのではなく、やはりどこかに

恐怖があるようだ。対象はオカルト的で

魑魅魍魎の類ではないか、と思う。彼女

とその魍魎との関係性で意見は分かれる

と思うが、少しも楽しそうではないので、

また謎も一面性に感じるので、深入りする

気はない。健全に方向を定めて、続けて

行ってほしい。


商売の楽しさと造形の趣味の楽しさは

全然別物で、僕は初めから分けていた

わけではないが、ただ売れるものを造る

には多少時間がかかると思っていた。

ところが、想像よりも難しくて、面白い

ことが分かり、はるかに時を必要とする

ので、趣味と商売に一線を引いたわけだ。

もし、今売るとしたら、誰かの手を借り

なければ、というのはそういう意味で

自分も加わる’かも’のコラボの作品で

あるだろう。

趣味ではまだまだ素朴にこだわっている。

素朴というよりも、デザイン趣向を除くと、

それは素朴に見えるということだ。それを

目指しているのではないが、わかりやすく

「素朴」という言葉を使ったまでだ。

だから、自然に今日も古伊万里に惹かれ

たのだろう。それは目標ではなく、同類が

ある、眼の前にある、ということ。

造形は常に自由の中にある。誰もその

邪魔はできない。それが邪魔にされて

いると思うのならば、あなたの中にそう

(邪魔だという規範の概念)いう抵抗が

あるからだ。それはあなたが自分に

自由を奪われていることだ。

しかし、説明のためには時に、その

古い概念を使って書かねばならない

ことはある。言葉はそういう時、二重

になるから、別の意味も拾ってやらない

といけなくなる。全体をよく読みこめば、

あまりひどい誤解はしないものだ。

そのためにいい意味でも、悪くも、

常識はある。あなたの心の成熟度が

それを左右する。どこがいいとか、

まだだとかは、実際にない。

どこに居ても、だから、あなたはあなた

なのだ。誰もそれを否定しはしない。

あなた以外は。

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おお、工事中 ガッデム [日記・思考]

不思議だが、今まで書いてこれたのは

何も書けないという前提を認めることで、

そこから何かが生まれて、書き始めた

ようだ。

この最近は少しテーマが引かれて出て

きても、そこからは覚えた理屈や考え方

を、感性やトークではなく、しっかり思考

で構築して、書く方向に寄せる傾向に

なっている。それだけ現実の側に軸足

があるということなのだろうが、心中の

ことであってみれば、大まかな感覚しか

伝わってこない。

(夜の9時から前の道路で工事の準備を

始めたから、予告通りに朝まで工事。

8月中は寝られないだろう。)

ボロディンの第2交響曲をヘッドホンで

普段は聴かない大音量にして聴く。

工事が始まったからだ。どこかへ

寝に行くのもいいが、適当な場所を

選定していなかったので、その気に

なれない。

音楽がうるさいので、中央アジアの

草原にて、に変える。ボロディンでは

一番有名な曲ではないか。

突然、耳の割れそうな音が、・・・・・

テイラースィフトに変更。音量も下げる。

工事の最大音量の作業は一時停止

してる様子。音楽だけで凌げる。

少しは時間が稼げそう。

でもない、麻雀ゲームを始めた。予想

通りに東4局で逆転負けになるので、

PCを再起動させる。ゲームは死なない

ので緊張しないし、真剣にもなれない。


また時間の無駄をしているようだ。

無駄というものは、できるだけ無駄に

なった方が良い。そのあとでなにか

褒美があるのではないが、いいのだ、

そう思える時が来る。もっとも、多くは

忘れてしまってから来るから、気づか

ないうちにそれは過ぎ去る。そうやって

僕らには人生の裏側が造られてゆくが、

それは見えないまま過ぎ去る。そうしない

と僕らはなにかを昇華して、なにかを

清浄にできない、となぜかそう考えて

いる自分を知っている。

確証がなかったり、(ヘッドホンで耳が

痛くなって、位置をズラしたりして)なにか

が心や体を通り過ぎてゆく。それだけで

なく、なにかを残してゆくものにも、あまり

心を砕くことなく、気にしなくなった。

目の前の海にプラゴミが小さく浮いて

いたとて、大洋の壮大さは損なわれない。

それが確かなものだとかではなく、そこ

に感性の対象になるものは、幻想の

嘘っぽさや神秘の気味悪さに触れて

いなければ、なんでもかまわない。

それがある意味、存在して、まだわから

ないものとしてあるものだというのを

認識してかまわない、と思うのだ。

そうしないと、この壮大な世界でなにも

見る(感じる)ことさえできなくなる。

成功するとは、一種大雑把になることで、

なにごとも神経質に気にすることでは、

覚束ない。

そういう面がある。ある程度まで来たら、

あとはえいや!で決めてしまって、うまく

いくのを確信したいなど、思わないことだ。

考えていることと、実行することには

はっきりした境があり、海面が燃えて

いても海中は燃えていないはずだ、と

あとは飛び込んで見ることだ。その

切り替えはやはり、心が行う。脳に

任していたら、いつまで経っても、

燃え盛る炎をただ見続けているだけ

に終わる。

やってみてなんぼ、やってみた結果で

自分を、ものごとを、世界を判断する、

考えを調整する。そして、次の試みに

備える。だから、最後は成功する、

その方向に結びつけているからだ。

この場合は社会的成功という一部の

ことを言っているばかりではない。

僕らの夢や現実も含め、世界問題へ

の解答全般への通過合格の例を

言っている。

(また工事の音が大きくなってきた)


エンドゲームがヘッドホンに流れて

いるが、工事のエンドの歌ではない

ようだ。

(音、、、、デカ過ぎだろ)

ヘッドホンのボリュームを上げるが、

それって半分、逆効果になっている?

さて、この騒音の嵐のなか、何を

すればいい?


おお 工事中  

すべての  雨が  降るよ  

音符の  あられ、  大洪水  

ベイビー  眠っていなよ、なんて

言ってられるか  ボケッ! 

なんて毒づいていると、また小康に。


ガールフレンド

福岡の 神輿の  飾り場所が

川沿いに  あった

ミルクのみ人形  

バラテンダーな 文字が 恰好いい

横文字で  おお  外国的  

なんで 自転車の  尻に  

ついて  追いかけて  来るんだよ

ロング  サンデイ

工事が  静かになって  

若い時の  スィフトの 歌しか

聴こえない  

バンジョの  かきならす  

南米の  陽気な  調子だ ぜ 

プレイドゥ  アゲイン  

カム  アロンng


長いこと  長いこと  

ベッドで

待っていたのに  あなたは 

放屁して  部屋から

逃げてった  

今は  

時々  笑う  


ギターの  伸ばす  ハレイションに 

首も  伸びるよ  

スター  ライト  


そう言えば、今日は市役所に行った。

国からの借金は80万円に上ったが、

収入のない世帯は返却が免除に

なるという手続きをしたが、書類の

不備で(知っていたが、二日くらいの

違いが許されるか、試してみた)

もう一度住民票を採りに来たのだ。

何でも試してみるので、役所の固さ

も確認できた。そんなのはわかっている、

ちょっとした遊びなのだが、隣の役所は

福祉協議会で、そこで女性の係と話し

たが、少しも嫌がっていないで、三度も

時間を使っていないか、聞いてみたが、

その都度、大丈夫の返答で、関係の

ない話までしてきた。長くもない、15分

か20分だろうと思うが、測ったわけ

ではない。

役所の書類仕事からの息抜きに話した

のだろう、くらいに思えた。ブログを

書いていることまで話したが、深くは

突っ込んで話せないので面白くはなかった。

年取ると話が長くて、と言い訳するのが

最近は増えて、嫌になってきた。親切

なのだろう、基本的に日本人は。


へッドホンを外してみるほど、工事の音が

聴こえない。すると、少し遠くで工事車の

エンジン音がしていた。これくらいが続く

のなら寝られそうだとまで思えた。


ここに 飛び切りの  

シャンペンが  あって  

・・・・・・・・・



尻が揺れる。ドスンッと工事でなにか

やっている。穴をあけて、温泉でも

出たら、ここらあたりは将来温泉街

になるのか、と想像する。近くの

相模健康センターという大銭湯は

だいぶ前に引っ越したか、潰れたか

したが。

温泉街は、ないな。

前の道路が壊されることは、道路の

気脈が破壊されることだと、考える

人はいるだろう。地脈の乱れになる。

工事中は。

その後は?わからない、その方面は

詳しくない。

すべては9月になってからだと、気候

や体調や心識の流れを見て、思って

いたが、この工事も夜は8月いっぱい

だということだから、そんなものか、と。

そういう流れをなんと呼べばいいのか、

名前がないからわからないが、それ

がまだわかるから、僕は終わらない

だろう、まだ。

ズボンのポケットが破れたら、縫えば

いい。


スピニング ラウンド  

Long Moment  

寂しいなら  怒りを ぶつけろ 



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かっぱ橋道具街通りに行く [買物]

忘れていたのは、かっぱ(合羽)橋道具街

だった。昔から、行ってじっくり見て選び

たいと思っていた問屋街だ。

骨董市・見本市よりもふつうに道具として

の陶器を探すのが王道になるだろう。陶器

専門店が並んでいると聞いていたので、

湯呑を決めるために出かけた。8.23

9月に焼成が決まったので、現在完成

している湯呑陶器制作の第1号はまだ

なので、自分の湯呑は探すことにした。

ネットで候補を見ると、田原町駅で降りて

歩いて数分くらいにうまく並んでいた。

浅草本願寺の石碑での看板?が出てきた

が、地図では東本願寺。墓があるらしい。

浅草寺から少し離れる。

和の器「田窯」が初めに来た。

西浅草1-1.JPG

それらしい店構え。

西浅草2-1.JPG

西浅草3-1.JPG

当たり前にきれいな皿が並べられ、積まれて

いる。どれもよくできている。値段も手ごろ。

白い湯呑を見つけ、第1候補が決まった。

次に陶庵やぶきたに行く。

西浅草4-1.JPG

見た目からしてセンスがある店前。

ここでもこれかなというのはあったが、色はなん

だったか、希望したのではない。

もう一軒の陶器専門店で、白くて手ごろなのが

あった。田窯に戻って、2階に昇ると、ちょっと

値段高めの湯呑があった。いいが、コストが

かかる。


そして、今度は世界の食器を並べている店へ

寄ったが、なかった。客は飲食店関係なのか、

なかなか人がにぎわう。

そこで最後に、歩きながら目をつけていた

漆器の専門店に寄ってみた。来年は漆工芸

にも手を出してみるつもりだからだ。あとで

知ったが、縄文時代にも漆は生育に手間が

かかるのに栽培されていて、土器と漆器では

日本が最古らしい。自然に漆に行ったのは、

TVで海外から女性が漆器の留学?に来て

いたことがあり、帰国してから地元でその

魅力を語っていたことからだった。

すべては過去にある。そういうことだ。


その漆器店は交差点の向かいにあり、

「竹むら」といった。

少し早いが、ついでだ。鑑賞だけして

おこうと入ったのだが、ぐい飲みらしき

もあり、品数はないが、雑多に取り扱って

もいるようだ。2階は手打ちそばの道具

があるとか、ついでのついでだ、上がって

みる。狭い店なので、二階も狭い。誰も

いない。誰もいない海、違うか。

トワエモア、(古っ)もっと違う。

奥まで覗き見ると、広い重箱のようなのに、

三段重なって、押しやられているのを

見つけた。売れないものを片付けたのか、

とも思われた。一番上のを引き出そう

として、かなり重い。カチャカチャ音も

する。まま、ええや、と引き出す。雑多な

ものが入っていて、白い茶碗が見えた。

すっと奥に手を伸ばして、それを取って

みると、重さがピッタリくる。手に馴染む

のだ。

そして、眼の前に持ってきて、やや凸凹

の白磁の湯呑で大きさもいい。それで

決まってしまった。気に入れば、他に

考える必要もない。1個だけだが、階下

に持っていき、買うと、なんと290円

だった。田窯で選んだのは最低でも

1190円だったので、なんか市販品

だな、と思ったが、100円ショップで

は買えない白磁のよさがあった。

漆器の老舗なので、陶器には眼が

行かないのだろう。ひょんなことで

(しつこくもあるが)掘り出し物を掴んだ

ようだ。

お茶だけでなく、今はノン・アルでビール

を飲んでいる。

ノンアルと湯呑-1.JPG

ビールの泡で、まるで牛乳だ。


これでまたまた思ったが、先に選んだ湯呑

には小細工並みの芸術性があった。ちょっと

洒落てみたのだろう。しかし、選んだ湯呑は

そういう器用さがなく、どちらといえば素朴。

これでまたまた思ったのだったが、芸術に

価値はないな、と前々から思っていたことを

ほじくり返していた。芸術に値段はない、と

言うとわかりやすいだろう。しかし、それ

を深く紐解くと、価値がないという場所に

行き着く。

理屈が長くなるので、端折るが、価値という

ものの’ほんとう’は無価値なのだ。宇宙に

行くのに空気は価値があり、買って準備する

だろうが、地上にいて空気は買わない。

無価値だからだ。それと同じ理屈になる。

いや、私は芸術に惹かれ、価値を感じる、

お金を出してもいいと思っている、それは

そうだろう。

ここで問題にしているのは、そのことではない。

芸術というものの本質についてのことだ。

例えば、美というものを掴まえて、縛って

逃げないようにして、これが美の価値です、と

いうことができれば別だが、人によって美の

価値は異なる。千人千様の好みがある。ラメ

のキラキラが好きな人も、嫌いな人もいる。

美は現れた時、場合(人)によるという条件

がある。しかも、それは絶対ではない。

絶対でもなく、これという条件も確実では

ない。そんなあいまいであやふやなものに

なる、そんなものに価値はない、常識だ。

絵や美術品を買うのは、その機能以外の

目的では、あなたがそこに価値をつける

ことだ。価値は無から生まれる。だから、

無にあれば、当然無価値なのだ。

時間もお金も僕らが社会生活に必要で

なくなれば、それはそのものでなんでもな

くなり、ただの過去の歴史的遺物になる。

納期や〆切や時間制限のない生活は

今も世界のどこかの部族や地域で営まれ

ている。その時代の人が信用している

必要があり、それが法的にも機能している

から、その時代で価値がある。それだけ。


::
(違う観点から、やはり、価値について書いて

しまった)


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日曜画家と絵の本質 [絵画]

習慣で書くのではないかと、表現が

ありそうな気がして、坐ってみた。

書くというのは、少しおかしなこと

だという、初めての意見を持った。

なにか構えている。気持ちのこと

ではなくて、考えていなければ、

または考えたことがなければ、

書くことができない。

その書く姿勢になると、なにかを

心でジャンプした気がする。

素朴に坐っていても書けないから、

その概念の海へ飛び込むような

具合で、心なしか跳ぶのだ。

頭脳にそういう垣根があって、それ

を跳び越えて書こうという姿勢に、

その態勢になれるのだろうか。

そんな意見を持った。

それをよくスィッチが入ったとか、

比喩で使うのだろうか。その小さな

感覚は無意識に気づいているから、

誰かが言って、皆納得して、心の

スィッチという発想になったのかも

しれない。

このスィッチは何か、となると、心に

潜らないといけなくなる。科学的な

装置が発明されて潜るなら、それは

なにか勘違いな別なことを成し遂げ

ているのかもしれない。

それは前々から気になり、考えた

ことがあって、本のサビ紹介で最後に

書こうと思っていたことだ。

それはレヴィ=ストロースの「悲しき

熱帯」の一解答を出すことでもある。

それは単純にして、考えさせられる不可

思議である。

例えば、苦労しないで得た金銭は、簡単に

浪費されるが、汗して得た金銭は大事に

する。それは自分の意志を超える時がある。

パチンコなどで玉が出た時は、お金に

換金すると、いつの間にか消費して、なく

なっているが、それに懲りると、現金では

なく、商品に替える。すると、形になっ

て残るので、少し、儲かった気になれる。

その応用というのではないのだが、苦労

しないで快楽を手に入れても、それはそれ

だけの話で、ドラッグなどで快楽を手に

入れても、なにも精神的に変わるもの

ではない。しかし、滝に打たれたり、修行

など、また死ぬ気で勉強したりなどすると、

ちょうどちょっときつい山を登り切って

征服したような気になるのと似て、

自分にそれなりの自信が持てる。

そこらあたりは、ぼくはまだ中途半端

ではないかと思う次第だが、小さな

スィッチは入ったのではないかと思う。

その気持ちがその行為や練習・苦行

を終えてからも続かないのは、死との

接点を持って真剣にならざるを得ない、

という経験までは達しなかったから

だろう。

ドラッグなどやらなくても、修行者は

自分で脳内麻薬を浸透させる。それは

ドラッグのように無制限に、つまり

あるったけの中枢神経化学物質を

脳にぶちまけるのではないので、人間

に適した限界内の量に収まる。

ランナーズ・ハイもそうして起こるが、

それは遠泳をしても、他のスポーツ

でも起こるはずだ。それがただ坐った

ままでも瞑想には起こる。だから、それ

は自然な営みで、特別な精神作用とか、

究極を目指した悟りとかではない。

(悟りを究極のものという捉え方は

誤解で、歴史的な過程で積み重ね

られた祭り上げである)

小さな悟り現象は日常でいくらでも

見られるもので、それがふつうに

気づきを超えるようなものなのかは、

誰も答えられないだろう。

僕は美術館で絵画を一枚ずつ数分

見続けるというつらい作業をしていて、

1日で2時間を費やした。その三日目

で、急に絵画の色や、色調、形や影、

陰の使い方、タッチ、その表現の仕方

などが一度に見えるという驚きの体験

をした。

3日目ともなると、もう精神的にフラフラ

なのだ。見ているんだか、見ていないん

だか、惰性だった。ただ見ている真似を

しているのでもあった。そこまでが必要

だった。

あとでわかったが、まだ見ている絵を

考えられたり、ここはこうなっている

とか、判断しているようではダメなのだ。

疲れ切って、それでも見る。そうすると、

何が起きるか。子供の眼になるのだ。

子供は汚いものでも、汚いのを知らな

ければ、平気で触ってしまう。判断が

ないから、ただ見ている。

僕らは大人の判断を控えているが、

この子供の眼になることができる。

そのためにほんとうに考えるのもまま

ならないほど、見て見て見て、まだ見て

見ることに倦んで、疲れ切ってしまわ

ないといけない。僕らは、つまり、絵を

見るのではなくて、判断しようとして

いるからだ。

絵を見るのに、第一に必要なのはそこ

にどんな絵があるか、見ることだが、

それができないのだ。見て、判断して、

答えを出すことに子供の頃からの学校

での教えで習慣になって、慣れ切って

しまっているので、絵を見る、という

最初の大事が欠けてしまう。しかも、

絵を判断しようとするか、好きか嫌いか

だけだから、見ることを忘れていると

いう感覚にも気づけない。失っている

のだ。

これは少しズレているが、3D絵画の絵

がある。そのまま見ても、いろいろな色

がダブって印刷されているようにしか

見えないが、焦点距離を変えて、それ

を眺めると、そのズレた焦点に合うと、

絵が立体で見えるものだ。ちょっとした

視点の加減で見えたり、見なくなったり

する。これに似ているが、もっと集中

して見る必要がある。

これは答えが簡単に導けるし、誰でも

できるが、今までの眼の体的習慣を

否定するものだから、一朝一夜では

できない。しかし、やってみるかみない

かのことだけである。

僕は自分の周囲の人にもっと身近な

もので試すように促したりしたが、

我慢できた人はいないようだ。誰

も報告してきた人はいないので、

僕の三日は通常より早かったの

かもしれない。が、比べられる人が

出て来なかったので、わからない。


これで絵が描いた者の主張や思想、

感情などになって、絵の方から僕に

それをぶつけてくる。そういう不思議

な体験をしてからは、判断もできる

ようになった。

ある時、アメリカのアンディ・ウォホール

というマルチタレントの描いた絵の展覧

があって、見に行った。その他のアメリカ

の画家の作品も込みだったが、ウォホール

の作品は手強かった。缶詰の写真の

ような葉書大だろうか、それが縦横に

50枚?もきちんと並べられた、それ

だけだった。丁寧に描かれていたが、

缶詰で全部同じ。変哲がない、缶詰が

きれいに整頓して並んでいるだけだった。

一旦見て、通り過ぎて思った。わから

ないぞ、いや、そんなことがあるものか、

と思った。絵は見えるはずだったから。

少し、焦って、もう一度見直すために

戻って、同じ絵を見続けた。何も来ない。

そして、途方に暮れた。なんもない。

そうして思考を停止した時に、閃いた。

なんでもないんだ、それを主張した

かったのだ。

答えは出れば、あとは楽だった。

ウォホールはある種のリアリズムを

主張したのだ。わかりやすくは、絵画

から芸術性を取り除いたのだ。芸術

なんてどうでもいい、ただ描いてある

だけという作品を描いて見せたのだ。

アメリカらしい、と思った。アメリカ

は芸術よりも、絵画への将来への投資

の方が盛んなのだ。そういう風潮が

いつ生まれたか調べていないが、

ウォホールはそれを皮肉にも芸術的?

に見世物にしてみせたのだろう。

芸術の否定の芸術もあり、だと。



絵画はよく描かれた作品ほど、練れて

自然なフォルムになり、そこに自然な

絵の具の流れになるのを見る。

カタツムリは殻の丸さに従って、絵の具

が丸く流れ、小さく描かれた坐った人物

も体の線に沿って、絵の具が流れる。

なるほど、画家の苦労や工夫とそれが

自然と重なり合うのが、驚く。



これは僕らの主要な特徴のひとつ、見る

ということをテーマにしている。五感すべて

がそういう驚きで語れるのが、ほんとうに

驚きなのだが、皆、それを忘れてしまって

いるので、今では美術論を語るくらいに

特別なことになってしまっている。

そう言えば、僕は絵を理解しようとして

見ることを始めたけれども、同時に

油絵を実際に描き始めて、どう描けば

いいかという、まっさらなキャンバスを前

にする最初の小さな恐怖も味わっている。

やってみないと、何事も絵空事だ。

ここに、この色を塗る、というそれが冒険

だったとは、描いてみなければわから

なかったろう。

発見するのは、自分に絵が描けるとは

思わなかったことだ。描いていると、

うまくいかないので、必ず、途中で破いて

しまいたくなる。そこを我慢して、後で

それは決めればいいから、ともかく

描き切ることだけ考える。

1,2日すると、描いた絵が落ち着きを

見せ始め、今度は絵の方が自分を

主張し始める。その時、絵は画家の

手を離れる。まるで子供のように。

それも小さな、深い嬉しさなのだ。

そこで絵を破いてしまう人もいる。

が、日曜画家なら、破かない。

出来の悪い子ほど、親は可愛いと

いうではないか。(笑)

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土をひと掴みして [生きるわけ]

<土をひと掴みして、見事に死んで

みせましょう。この喜びを誰に?

僕ほどに自分を知って愛した人は

いたのでしょうか。たぶん、或る友人

が言いそうなこと、書いたのは僕

だが>


青春に想いを込めて、書くようになったら

終りだと、思っていた。そうして、思い出す

こともないだろうと、その青春の日々の

希望にしっかり取り巻かれてみると、

ああ、オレは終わったんだな、と気が

ついてしまう。

気がつくのではなく、そう思っていた時は

まだ青春だったのに。現実に目覚める

なんて。なんて、トンマなことをしてるんだ、

とその訳もわからずに、思う。

そうして、僕はここにいることを思うと、

不思議だ。青春はきっかけを与えたが、

僕の原点ではないことが、はっきりする。

なぜなら、そこへ帰れないのだ。そこに

僕は自分の根を残してこなかった。

そうしてひとりであることの寂しさを

噛みしめると、人の親切がいつかの

ようにありがたいのだ。それらが生きる

意味だと思う人たちの気持ちも感じ

られる。それが生き甲斐であり、原点

だと感じて、人と生きようとする。そこに

人は戻ってゆくという前々からのその

道がまだ王道として生きているのが、

わかる。

そうして、それらがわかると、僕はまた

それらが俯瞰の彼方に消えゆく。また

それらから離れる自分を思う。

君に会えなくなる。そのせつなさを選んだ

自分を愛している。それほどに苦しみを

選ぼうという僕の自分はなんなのだろう。

単に不幸になりたいとかではない、この

すべてを手に入れようという、最大の野心

は最高の自己を定義し、そこに僕をはめ

込みたがっているのだろうか?

そんな浅はかで短絡な気もするが、

それだけでは説明できない。その

感覚がある。

それが、たぶん、僕の心を切り裂いた

永遠とか、無限とかの感覚なのだろう。

それに負けたくない、僕の、始めから

勝つことはできないし、永遠に勝つ

ことができないとわかりながら、それに

向かうサガ(性)の野心であり、長い

つきあいで、僕が半身化したせつなさ

ではないのか。

それが可能ではないことがわかって

いるからこそ、できないことにこそ戦い

を挑んでしまう、隠せない性質がある。


考えなくなって、どれくらいだろう?

君を愛したのは、いつの日だったの

だろう? 

こういう日が来るのは、知っていた。

そして、やせ我慢して過ごして、次の

全体の世界に移れるのも、経験して

知った。それが半無限をループする

ことだった。

それは闇の一部であり、地獄の一面で

あるという、もう一つの人の意見も正しい

気がするよ。

それが僕らの認識の限界であり、陥り

そうになる陥穽か、水たまりか、それを

跳び越えて、僕は自分というわずかな

ものを、捨て続ける。続けてきた。

創造と想像は、こういう世界では紙一重

だと言える。そして、それは単一ではなく、

創造が加味すると現実が出来上がり、

想像が加味すると、僕らは夢に遊ぶのだ。

紙一重の入れ替わりをするが、創造は

想像ではない。想像は創造のエネルギー

は造り出せない。

それはそれを解明するなら行き過ぎた

野心だろうが、子供のように最高の

楽しみを見出しているなら、海浜の砂

でお城を作る子供と変わらないのかも

しれない。

それらが複合して、協力し合い、喜び、

反発し合い、刺激になって、怒り、僕の

生きる気力になっているのだろう。

僕らの心は一筋縄ではいかないから。

僕が自分を愛するのは、そういう自分を

憎めないという意味合いで、直接自分を

愛しているかどうかは、自信がない。

それは僕の優しさなのだろう。それに

包まれることで、優しさが循環して、自分

の一部になり、また僕の人間を形成して

ゆくのだろう。

これがもしかしたら、今まで「僕は終わら

ない」、と言い続けた、書き続けたその

理由なのかもしれない。



ほら、こうして僕は自分を理由づけして、

自分の思う方向に導いてしまう。僕が

悲しみのせつなさに対していても、充実を

感じている生命感が、この太陽感なのだ

ろう。ポエムとかではない。僕には、いつも

陽が当たっているのだ。

これが信念になるほど、僕は自分に刷り

込みをしたのだろうか?なんと能天気な

自分であることか。(だとしたら笑える?)


謎々は、もういいだろう。

散策したい危険で、青い葉の広がる世界

が僕らの前にある。土を一つかみで、何万

の微生物と何億の量子宇宙が、・・。 

今はそれで十分。

                                          8. 7

:::
もう10日前に書いたことが、今になって

こうなるんだな、と納得する。

もう精神の進化的な前線から引退する

とした。認知症とかひどい物忘れの重ね

とか、になったらブログそのものも信頼

できなくなるだろう。

それは注意力と記憶がもう危なくなって

いることだからだ。それに入り始めた

兆候に過ぎないが、新しさに前進する気

は覆せないが、少し後退しようと思う。

もう、引退の予告のようなものだと

知っているので、そう遠くではないだろう。

過去の記事で書き残したことを書いて、

もう終わりにしようと思う。準な認知症に

なるか残りのメモを書き終えることが

どちらが早いかだが、多くのメモが残って

いるのでまとめきれないだろう。

でも、もう前進しないブログはしばらくは

書くだろう。日記だから、その部分は

同じだから。僕はいつも少なくとも

気づくのが早い方なので、実際には

いつのなるかわからない。平均、

個人的なことなら半年くらいは早い。

時代だと、10年から20年くらい早く

気づく。家族間での殺人が起こる

家庭崩壊を大学のレポートで書いた

が、無視された、無理もない。実際

の事件が起こり始める30年も前の

ことだ。

しかし、ソ連崩壊の時には家族旅行

に出かけていて、予兆もなかったし、

肩透かしで、こういうこともあるんだと

思ったくらいだった。未来はいつも

不安定で肩透かしなものらしい。

この記事も気が早いのかもしれない。

                 8 . 18

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益子・笠間の旅行こぼれ話 [旅]

何を書いていいのかわからないのは、

まだいい徴候で、何を書いても

つまらないだろう、と感じるのは

やはり、書かないほうがいい時

だろう。

益子・笠間の旅行から帰ってから

一日が経つが、ちょうど疲れが

出始めてきた。

今回の旅行は陶器を巡る旅だったが、

その点では大いに満足があったので

よかったのだが、その他に書きたい

出来事がいくつかあり、陶器につい

ては画像の処理が90枚以上あるので

少し、報告が遅れるので、その前に

勘違いの多かったことなどを、書い

てみたい。

まず、旅行の前日は僕の自主休日で、

自主の意味はその日のパターンは

3分の1の割合で約束事が破られる

日になっていた。これは長年の経験

則から決めたもので、なぜか決め事

がうまくいかないのだ。

だから、旅行前日の前の日までには

すべて準備を終わらせるのがベスト

だった。そのつもりだった。

ところが、益子の次に笠間に行く日

が月曜だったが、予定の美術館など

全部が月曜日定休だったことが急に

わかった。ダメだ。

そこでうまくいかない5日土曜に、

急遽、一日伸ばして宿も取ることに

した。ダメな日など気にしてはいら

れない、必要な手続きはその日しか

できないのだから。

テレビでCMをよく見るアゴーダで

安い宿を探したら、Wi-Fiつきで

朝食もつくビジネスホテルだろう、

見つかって少し、駅から遠いが

それほど心配することもなかろう、

と予約した。この時期で全国支援

だからか、3582円というのは信じ

られないほど安い。

その時にメールが返信されて、陰性

証明が必要との報せ。また、抗原

検査の予約かよ、と笠間市の薬局を、

(今、だいぶ揺れた。茨城で震度

5強らしいが、ほぼ笠間市に近い。

僕の所為ではないので。笑)

薬局を調べて無料検査予約をした。

話はほぼ移動日の月曜で、その日の

ことだ。

 6日 益子着・陶器市に陶器美術館

  など。民宿、泊。

 7日 笠間への移動日 (この日の

  ことだ)ホテル、泊。

 8日 県立陶芸美術館・魯山人の亭

   帰宅。 

笠間駅に電車が着くと、町内循環バス

の時間に合わないので、軽い気持ちで

歩くことにした。予約時間まで1時間

近くあった。余裕だと。

駅を出て、斜めに道路を進むと、3本の

道路がまっすぐ北へ向かっている。

区画整理か、都市計画でもしたのか、

と思った。2㎞、それ以上か、長い。

ネットで調べた時には薬局はイオン

の中にあると思った。そこでイオン

まで行ったのだが、長かった。5分前

に着いたので、いつもと同じだと思っ

たが、そうではなかった。イオンで

その薬局はない、と言われた。近く

だそうだ。が、スマホはWi-Fiが使え

ない状態なので、地図でナビができ

ない。そのうちに予約時間を15分過ぎ

てしまった。残り、15分。しかたない

ので、電話して、遅れる旨を伝えた。

10分もして薬局を見つけると、間に

合ったと思うが、茨城県民でないと

有料になると言われた。それで思い

出した、そうだ県内住民の無料検査

だった、と。

神奈川県であまりに検索しまくった

ので、そのことを忘れてしまった。

昨日は民宿に泊まったが、陰性証明書

を持っていたが、高速バスでも民宿

でも見せてくれ、とは言われず、いい

加減なものだった。商売第一になる

のだろう。そこでホテルに電話して

確かめると、やはり、5日の証明書が

あるのなら、期限は切れているが、

構わないとのことだった。(だろう)

無駄な予約と薬局探しだった。

それからホテルへ向かうのだが、国道

50号線を人家もなく、人もいない、

車道だけがトラック・車でにぎやかな

孤独な歩道をテクテク歩いた。歩いた

が、着かない。

ホテルなら看板が出ているはずだ。

歩けど歩けど、それらしき何物も

出てこない。歩数計を見ると、昨日の

1万3千歩をすでに越えていた。

膝の激痛の中で島の家まで歩いた長崎

のことを思い出させた。しかし、激痛

はなかったので、かえって疲労が増加

した。

軽いめまいを覚えて、気を引き締め

ないと、倒れるかもしれないと気づい

た。そうしたら、少し先で犬の死骸

らしいのが見えた。やれやれこんな

時に。トラックの新聞輸送をしていた

時に深夜なので撥ねられたタヌキの

死骸を片付けたことがある。他に

猫や犬の死骸も処理していたので、

最近5年ほどはお目にかかっていな

かった。

ところが近づくと、タヌキだった。

夜行性だから、夜間に撥ねられたの

だろう。タヌキはヘッドライトに照ら

されると、見たまま立ち止まってしま

う性質がある。

その当時で月に400頭が犠牲になった

が、現在では高速道路だけで年間1万

8800頭が撥ねられたりして、一般道

も含めると、20万頭、30万頭、という

データがあるという。北海道が多いら

しいが、ここも茨城だ、田舎だ。

今日は勘弁、と通り過ぎたが、やはり

引き返して、タヌキを持ち上げた。

毛並みはいいが、硬直していて、平た

い枕みたいになっていた。重いかと

思ったが、日にちが経っているのか、

乾燥して重くはなかった。

道路わきの草むらに入れると、周囲の

枯れ枝や、枯れ葉、また花もたくさん

添えてかぶせただけで、済ませた。

穴を掘って埋めれば、微生物が骨を

残して処理してくれるのだが、穴を

掘っていたら、暗くなってしまう。

タヌキの埋葬1.JPG
タヌキの埋葬

国道のアップダウンを2回超えたが、

出てきたのは古い寂れたカタカナの

ホテル名の夜は蛍光灯が中で照明する

だろう、という壊れて破損した看板

で、そこを折れた横道の先にはもう

廃墟になったホテル、ラブホテルの

残骸が見えた。

もしかすると通り過ぎたか、電話だけ

入れようとその横道を入りながら、

話し始めると、その先の遠くに予約

したホテルの看板が目に入った。

やっと着いたぞ!

まだ5分は歩くだろうが、あとは近づく

だけだ。早く風呂入って汗を流し、

ベッドに倒れ込みたい。

その途中でガマの小さな林を見た。これ

だけ多くのガマを見るのはそうないので

カメラに収めた。

ガマ密集1.JPG
ガマの密集する処

ガマはガマ科ガマ属の多年草。ミズ

クサとも、古くはカマとも呼ばれる。

ソーセージのような形で、白い綿の

ような毛をまとう。昭和の頃には

東京でもよく見たが、茨城で見れた

のでなつかしい。

廃墟のラブホテルの隣に、現役だが

中古のラブホテルがあり、それが2軒

並んでいた。いかにも装飾がラブ

ホテルっぽい。その奥に目指すホテル

はあったが、入口を見て驚いた。

やはりラブホテルなのだ。車が入れ

るように広く、玄関のような入口は

奥らしく、見えない。

歩いて入ってゆくと、宿泊目的で

ひとり、しかも車でなく徒歩で来た

のは僕が初めてではないか。そう

だろう、ここまで歩く奴はいない。

ともかく、初体験だ。

ラブホ部屋1.JPG

本格的なラブホではなく、天井に

鏡などもない。ただベッドは振動

するらしく、好奇心で試そうとするが、

アプリをインストールしてどうの

こうので、面倒そうでやめた。

次に予想外だったのが、夕食もつく

ことで、一泊二食付きだった。ビジ

ネスホテルより待遇がいい。電気

ポットもバスローブも当たり前に

ある。

疲れていたので、9時には寝てしま

った。いや、まさかである。ネット

の紹介図にもラブホテルとは名うっ

ていなかったし。



翌日の8日はタクシーで茨城県立陶芸

美術館へ行ったが、帰りに周回バス

を待っていると、同じく待っている

中年の女性に声をかけられ、話になっ

た。眼鏡にマスク、声が大きく、自立

した女性をうかがわせた。北海道の

人で旦那は歯医者だそうだ。辺鄙な

ところで釣りなどするのが好きな人

で、今は稚内だというから日本最北端

だ。前々から北海道に行きたかった

そうだ。奥さんは旭川にいて、週に

何回か通っている、つき合いの多い

人で、また全国に親戚がいて、お墓

参りに寄るらしい。

仕事のことで茨城に来て、プチ旅行

をするのだと言っていた。

地図で見ると北海道の大きさは、感覚

が違い、わからない話から、僕は長崎

の離島のことを持ち出したら、なんと

彼女と旦那も五島列島の僕の隣々島の

福江島に住んでいたそうだ。で、お互い

にその偶然にびっくり。今まで離島に

住んでいた人に会ったことがないと。

それはお互いに同じだった。

ともあれ。そんな偶然に話は弾んだ。

彼女は笠間駅で降りて、僕は春風萬里亭

へ。

僕はよくそういう風に出会う人はいるが、

いつも後で、名前もなにも聞かなかっ

たな、と反省する。聴く必要を感じた

ことがない。

6日の日に歩いたことで腰の痛みを

感じたが、翌日、またその翌日の

帰宅の日と、時間とともに腰は

痛みが弱まっていった。

今日はほとんど痛くない。やはり

腰や膝の痛みは運動不足なのだ、

と自己治癒力を再確認する。

これで陶器旅とは関係のない話は

済んだのではないかと思う。

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帰宅 [帰宅]

帰宅した。

益子の陶器市に6日日曜に出かけ、7日に

笠間市へ移動、火曜日には陶芸美術館も、

魯山人の移動された春風萬里亭も開いて

いるので、今日はそこを2時間半で忙しく

回った。益子もそうだが、笠間の陶芸でも

満足することが多かった。

そのうちに。まだ疲労困憊中。寝るのみ。
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自己の終焉からの伝統と自由 [自由]

最近はこういう想像に陥る。思い起こ

せば、書いてきたことは、ほぼ考えて

きたことだということ。でも、書いている

時には、わからないから、出てくる

メロディを書き留めている気がしている。

そんな想いが形になってくると、僕は

考えがその方向に向かわせられる。

今の、この感じ、何とも言えない幻の

ような感覚はまるで書けてこなかった

のではないか、と。 

考えたことが書けるのは、ごく当たり前

のことのように思えるが、その言葉の

向こう側に期待された見えない正体は

言おうとしたこと、それはどこへ行った

のか?

それに悩まされたことはなかったが、

それは昨日までのことで、今はなんとも

言えない。

僕は結果を書き留めるだけの機械には

なりたくなかったが、だからと言って、

言葉でなにかを書き留める外に、なにか

伝えるのにいい方法はなかっただろうか。

おかしいのは、伝えることがこれほど

わかるようになったのに、その営為が

僕のものになったのに、いざここまで来て

みると、伝えたつもりの「それ」がますます

はっきりした姿で、書かれたこととは別な

姿ではないか、と。彼はどこかの酒場で

僕の指定した場所ではない処で、大酒を

飲んで、笑って、ますますその乱れた姿

を周囲に示しているのではないか、その

ことに僕は手を貸すことに成功しただけ

ではないか、ということだ。

その分離感は、頭では初めから知っていた

と言うだろうが、僕は今、他人の作品の

苦労や努力、そして、今の粘土に対して

いると、物質を通しての形というものが

以前のように、信じられるものではなくて、

幻想スレスレに、心の内側に炎のように

メラメラしてくるのだ。炎はイメージで見え

るが、瞬間瞬間に姿を変化させて、その

変幻自在が魅力だ。僕は画像で切り取る

かのように、姿を定着化させるかのように

語るが、その姿の真は、その変化にある

のではないか。

音楽は音を伝える。言葉は言葉の組み

合わせを伝えるが、音のように、直接

感覚に和音やメロディの効果は構成

できるのではなく、直接の感覚である音

が出せない。

そんな弱気は芸術ではない、と言うの

だろう。それを突破すればいいだけの

ことだ、と。  

僕は手をこまねいているだけなの

だろう。だからと言って、前のように

そこから反発して立ち上がることが、

自分のことだと思えなくなってきて

いる。


その群衆の音が聴こえる。力強い

足音も。彼らの中側からいつもの

要請ビラがチラチラしている。

人間のいない世界から、群衆の中へ

出るのは承知しているが、

( 8. 4 にここで中断している。ここ

から普通に続けられるのは、翌日か、

その翌日くらいで、もう5日以上経って

いる。書いていた時の状況の余韻が

ない) 

さして、大した印象を書いているの

ではないので、中断したまま無視して

しまって構わないと思う。。

群衆は現実のことだろうから、現実に

取り組む時期じゃないか、と言って

いるのだろう。確かにそうだ。

頭でやることはグイグイ進むが、現実

は不確定要素が多く生まれるので、

個人的な芸術活動とか以外では、

スタンスを決め、世の中の枠組みを

うまく泳がなくてはならなくなる。

だから、それはそれだ。これまで

さんざんやってきたことだ。それを

変えてゆくというのだったら、面白い

だろうが、その分野では僕はあまり

考えてこなかったので、ヒントを煮詰め

なくてはならない。


受験とは何だったろう?ふと思い出す。

あの頃から、僕は予測するのが好きで、

皆、当てた。高校受験では、僕が引率

して入試会場に出かけたが、翌日新聞

で解答を計算したら、いい成績だった

ので、受かったと思った。印象的だった

のは学校で自信のある人は?と教室で

聞かれて、手を挙げたのは僕ひとり

だったことだ。そして、僕が引率した

その高校で実際に受かった。そして、

僕ひとりだけだった。皆、新聞で計算

して、受かるかどうかの成績だったの

だろう、と考えた。高校も大学も一度

として、その学校を調べたことは

なかった。それでその歴史も、風紀

も、校舎も知らず、知っているのは

偏差値くらいだったが、大学受験では

それも忘れて、一応合格校のそれより

も偏差値の高い大学を受けて、失敗

してしまった。大学受験の理由は

ひとつしかなかった。親には言え

なかったが、4年間のまとまった

考える時間が欲しかった。無の体験

からは一つの要請しかあり得なかった、

と僕は思い込んだ。それは人はなぜ

生きるか、という永遠とさえ思える

命題だ。それをどうしても考え抜き

たかったのだ。それが一生を左右

するとは思いもしないし、まったく

考えもしなかった。

一回落ちた後、その翌年、先生を

2,3人で囲んで志望校の話をして

いて、担任が僕の志望校の名前で

例えを出した。それは四流大学の

代表のつもりだったのだろう。その

大学に去年落ちて、今年は東大を

受けるというのは、絶対あり得ない、

と。それほど僕の志望校は低ランク

だった。一人が僕の志望校だと知って

いたので、気を使って先生の話を止め

ようとしたが、僕がそれを遮った。

いいのだ。選んだのは僕なのだから。

もう落ちることはできないから、早稲田・

慶応・東京を除いた残りの東京六大学

からさらに2ランク落としたのだから。

なぜか、答えは当然な話で、僕の探求

する課題に答えられる学校も教授も

いないことは初めから知っていたからだ。

だから、どんなトップクラスであろうとも

そこのネームヴァリューにも教えにも

期待の微塵もなかった。僕の前に

世界から学校はなかった。自分で考える

他にない、ということだけがわかっていた。

そう考えていたことは、恐ろしくも現実化

して、20年後、自意識下で自己を解体

する経験をさせ、30年後に最終と思わ

れた解答である因果を見せた。

因果は後で思えば、無常という思想を

地図化して目の前に見たことだった。

それは生きているように複雑なひとつ

ひとつの関係を結び、壊しながら、

絡み合い、生成と分解を半無限な方法

でくり返す絵だった。流れ星のように

一瞬で見えて、消えてゆく、それはイメージ

に過ぎない。そういうイメージでしか語れ

ない。

見えたのはそうだが、内容がガツンッと

来ている。だから、世の中はこう、自然は

こう、たぶん、宇宙もこう、と説明できる

内容を伝えてきた。だから、科学はこう

なる、哲学はこうなる、・・・・・・・・、とそれ

は全問正解だったが、人が生きるという

解答を導くヒントになる答えだった。地図

だった。設計図のようなもので、なにが

完成するのかはわからない、そういう風に

解答を導かなければならないと教える、

そういう教条書でもあった。だから、その

内容を語ることは容易ではない。

僕は地球の学問をすべて知っても足りない

と始める前から知っていたが、まったくそこ

から一歩も進んでいない、因果はそれ

だった。答えが分かっても、その場所へ

行くまではそれが実際にどういうもの

なのかはわからない、そういうもの、

確かに地図ではどこでも想像したから

その場所の何かがわかるというもの

ではない。概念的に正解を答えられても、

本当はその答えに突き当たる必要が

ある。それがわかるということだ。

答えを知っただけでは、僕らの大事な

ことはわからないというのが、因果の

最初に示したことだった。

ここまでで今までのことをくり返して

書いてきたが、あと一息が書けない

ようだ。

しかたがない。同じような散歩に

終わったと、昨日と同じに感じる惰性

の中に終わることもある。最近は、

それが増えてもおかしくないのでは

ないか、と思っている。

精神的に一つだった目的が、今は

物質的な目的も増えて、そちらにも

興味が惹かれて、関心が奪われて

いるからだ。工芸というものは伝統

なので、人の関わりが多く、したがって

深くなり、奥が見えない。

やってみてわかり、やればやるほど

奥行に進む、というのは思えば、精神

の謎についても同じことが言える。

趣味のつもりでも、わかれば面白味が

高まり、のんびりが見つめてのめる、

と変化してゆくようだ。

今、にしても自分の造った湯呑の

造形がどうでもよくなり、いろいろな

湯呑を見てみたいという気になり、

今日も骨董市を探していた。

暑いが、午前中にでも見て回りたい、

と。もう「ものぐるほしけれ」の領域で

ある。

物は、確実に、そこにある。それは

一緒にいるととても気分がいい、という

稀有な人を見ていることなのだ。

見ているうちにそうならないものはない。

初めから嫌悪するものは見ないだろう、

なんでもないものでもそうなる、と言える

からだ。

見たい。湯呑が見たい。

簡単な、単純なことだ。好きな人にそこ

で出会いたい。同じこと。

湯呑が僕を待っている、とか考え

始めると、怪しく、危なくなってくる。

そこまでではないし、そうはならない

だろう。でも、それが触れるくらい

には、近くに感じられる。  



僕がその湯呑でお茶を飲んでいる

頃は、湯呑をまったく見なかった。

でも、割ってしまい、なくなると、同じ

湯呑を作ろうと思った。新しいの

ではなくて、同じ形の湯呑だ。

思えばそれがおかしなことだ。湯呑

なら、今までもいくつも替えてきたのに、

なぜ同じ湯飲みと考えたのだろうか。

それで思い出したのは、その湯呑の

由来だった。それは近くの幼稚園の

バザールで買ったものだ。ついでに

買ったものだが、なんと30円だった。

その売り人のおばあちゃんが愛用の

湯呑で上に少し開いた、ビアグラス

のような形だった。その形と色が白で

地味なのが、すこし、嫌だったが、慣れ

たのだろう、気にならなくなった。

そして、なくして、同じものが欲しいと

思った。これは僕からの想いではない

だろう。僕の想像したそのおばあちゃん

という人への想いからだろう。その他に

僕が湯呑にこだわる理由が見つからない。

だから、僕は毎日茶を飲みながら、おばあ

ちゃんの姿を真似て、微細な信号を少し

ずつ湯呑から、受け継いだのだろう。

僕はそのおばあちゃんになっていたのだ。

そのなにかを共有し始めたのだ。

これが歴史というものだ。飛躍ではない。

これが因果というものだ。これも飛躍

ではない。伝統はかくして語られるものだ。

自由なんか、僕らにはわずかしか残され

ていない。ほんとうに新しい人でなければ、

自由を創ることはできない。どこにも自由

なんかない。それはいつでも創作課題

だからだ。

だからこそ、伝統を学ぶ中に、自由が生ま

れる素地が育つ。それが精神的なヒント

であり、因果の魅力かもしれない。



伝統に魅せられて、虜になる人は自由

を知らない。自由ばかりを個人的に

尋ねて古さを見ない人は伝統を知らない。

伝統は奥深く、その中の自由というのも

ある。それは新しい自由ではないが、

標準ではある。自由を標榜しても、

それだけではあちこちに伝統の影を

チラチラさせずには格好がつけられ

ないだろう。そんな中途な今までの

古い自由では、どんな体制・体勢でも

やがて固定化して、追い詰められ、

旧体制になってゆくだろう。



ここは大事な点だ。それらはどう考え

ても、二律歩行のような考え方では

早晩、行き詰ってしまう。そして、僕ら

は行き詰って、早まった行動を起こ

して、地図のないまま、ことがなっても、

ことに破れてしまうのだ。

歴史は同じことを語り続けているが、

評論家も進歩主義と保守主義を分ける

ばかりで、それをさらに細分化した何かを

くっつけて何々進歩主義とか、何々保守

主義とか呼ぶばかりで、弁当箱の蓋

ばかりを取り換えている。中身が

ほんとうに見えていないから。



自由を求めるなら、伝統に引っ張り

込まれないほど、伝統への理解が

必要になる。伝統を守るなら、新しい

自由の必要性を伝統を一旦断ち切って

理解しなければ、また伝統に戻っても、

なにほどのこともできないだろう。

かたくなな精神になるだけだ。

僕らは素敵な弁当箱でおいしい弁当を

食べたい、というのが落とし処ではないか。

どちらにも創作が欠かせない。役目は

違っても、片方が貧しい文化という

のは歪んでいることだろう。その中間

という中途半端もない。  


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僕らが旧人類でなければ新人類もいない [心の進化]

水色の小さな粒のガラス玉。それと、

青白い、ちょっとだけ濁った透明な

ガラス玉が混ざり合いながら、中空を

ゆく。片方は愛で、もう片方は悲しみで、

混ざり行くさまにそれが見える。

どちらも同じで、混ざっても同じに見えて、

それを当たり前のことと見ている。

我に気がついてみると、自分が考えて

いることを夢に見るのと、これは同じ

なんだろうな、と思う。それらが反発し

あわないのが、もうどれが愛だか、悲しみ

だか、わからないのが、そのシンメトリー

というものなのだろう。

これが何を意味するかは、尋ねる人の

興味に拠る。答えはそれぞれだろうが、

そこから反発を見出すことは、かなり

曲解しなければ出てこない答えだろう、

とは思う。

音楽を聴くと、人はメロディに気を取られ

るのだろうけれど、僕もそれを中心と

するが、やはり、全体というバランスを

聴く。音楽というものが、すべて和を警告・

啓発・啓蒙するものに聴こえるの

だが、 ・・・。

昔は、音楽はずいぶん、慰めだったが、

今はそれは伴奏に替わっている。伴奏

は必要な時にあればいいもので、いつも

要るわけではない。

人の愛は本来はコントロールできないが、

愛に飢える人は多く、その人たちは外に

それを求めるために、敵に相談を持ち

掛けていることを知らない。あなたの中に

愛がなければ、外を探してもその代わり

しか見つからない。それが代わりだと、

どうやって知るのだろうか。溺れると

知っても藁を掴むのは、このまま苦しみ

が続くより、まだ溺れたほうがまし、と

思うからだろうか。

愛を求めるのは、誰かにコントロール

されるのを求めるのと一緒だ。

僕はそういう愛を知らない。愛を求め

ないこともあるのだろうけれど、異様に

強い自身の愛情には手をこまねいた

からだ。

例えば、1億円くらいのくじが当たって、

それを少しでも人に話すと、あっという

間に知れ渡る、その早さには驚く。

お金と愛情は違うというが、強い共通点

を持っている。ともかく、お金を集める

には愛を利用するのが、一番手っ取り早い。

新興宗教は、いつでも今でも相変わらず、

その同じ手口を使う。

愛を求めるというのは、生活自体が

異常に激烈な不安に置かされていると

いうことだ。そうなると、いても立っても

いられない。安心を得るためなら、お金

には、1億だろうと、2億だろうと、構わ

なくなる。お金で愛を買おうとしているの

だが、その意味を理解しないし、そのこと

さえ気づかないのかもしれない。

ただ、なにかに依存して、安心を得たい

一心なのだ。

そういう忠告を得られても、一時しのぎで

自分が本当は何に不足していると感じて

いるのかを自覚するまでは、仮初めの

安心しか手に入らない。

その仮初めでも、また偽りでもあるの

だが、ささいな幸運なことが一時期続く

から、自分の入信は正しいと思い込み、

教団から抜けるのは難しくなる。

一文無しでもいいという気にさせられる

から、もうどこへも行く当てがなくなって

しまう。自分で選んだ罠の中で生活を

せざるを得ない。 

親も配偶者も、家族も兄弟も犠牲にする

ほど、行方不明者や自殺者を出すほど

の荒れた生活になれば、社会の中にも

留まれないだろう。

どこまでこの不幸を書いて行くのだろう?

と思っている、僕が。

そして、これは何だろう、と俯瞰しようと

する。悲しみと愛が交じり合っている。

そういうことだったはず。

これはやりきれなさだろうか。

愛を求めるのは、やりきれないことだ。

求められないのが愛であるのなら、それ

なら僕らはどうやって救いを求めたら

いいのか。ここに戻ってくる。

自分を救うのは、最後は自分しかいない。

それがわかるまで、不安は去らない。

まず、そういうものであるなら、そこから

始めるしかない。

自我を強くする方法があればいいのだが、

強くなる状況はあるが、それは望むべくも

ないことだ。ブッダは危険を顧みず、伝統

に従ったが、悟ってからは自らを導いた

方法を禁止した。

孔子は晩年には最高の弟子を早逝で

失ってしまい、生涯はほぼ弟子を連れて

の流浪の生活だった。

ソクラテスは神に召されると信じ、一市民

として政治の罠で毒杯を仰ぎ、牢中で

いさぎよく自死した。

伝記は美しく物語を語るが、それは尊敬と

崇拝の念からだろうが、精神的に解脱した

ような人は現実では夢を裏切られる目に

会っている。僕らだけではなく、彼らも避け

られないのが、この世の悲哀だ。

悟りたい人は悟ればいいだろうが、それは

その人がその選択をしなければならない

事情があった、というのがほとんどだ。

ブッダのように禁欲的で、我慢強く、修行

で考えも飛躍的に進んだだろうが、そう

いう人が、必ずしもいつもブッダの道を

進むわけではない。その人にとって、

それが必要でわかりやすかった道なの

だろう、と思うだけだ。


精神が安定したと見える人は、その人

本人に会ってみれば、なるほどそれで

しあわせで十分な道を心得ているのだ、

と納得できるのかもしれないが、もう

その人たちはいない。はた目には

とても幸福とは思えない生涯を送って

いるというのが、実情だ。

だから、僕らが何に悩み、不安を抱え

るのか、僕にはわからないが、それも

彼らの生活から比較すると、贅沢な

悩みではないか、と思うことすらある。

聖人は悩まなかったかもしれないが、

精神が安定したからといって、現実の

不可思議・不条理・理不尽さに襲われ

なかったということではなかった。

僕らとそれほど変わらない。それ

なのに、僕らだけ大騒ぎをするの

だろうか。

ブッダは自分が死んでも悲しむこと

はない、法を順守して進め、ということ

を言ったが、誰も理解しなかったの

だろう、入滅して弟子どころか、象もトラ

も泣いた(?)そうだから。(伝記)


だから、3000年以上も同じことが

くり返されている。仏典を読んで、理解

したという人も、やはり、性格が違うの

だろう、新しいブッダが現れることは

なかった。つまり、ブッダは人生の全体

を克服したのではなかった。でき

なかった。

僕らはだから、今でもひとりなのだが、

ひとりになりたくないと、救いを求め

続ける。本来的に仏教、キリスト教、

儒教、新興宗教の数多・・・・・などの

教えに拠ろうとしたりしている。誰も

それを否定してやらない。信教の自由

という憲法上の逃げ道がある。問題

はそこではないのに。

役に立たないのなら、権威でもない

だろうに、宗教法人関係の人の

話や議論や相談は無駄なのだが、

話は向こうのほうが論法を心得て、

例えの使い方もうまい。飛び込み営業

だって、相手の反論にどう答えるか

くらいは用意して、練習して各家を訪問

する。話してもどうにもならなくなって

言いくるめられるのは主婦のほうが

よく知っているだろう。


つまり、今は煮詰まっている、ということ。

それは精神的に追及の段階途中の場合

はいいことだ。あと少しでこの緊張は

破れて、新しい道が開かれる可能性

がある。いいことばかりを言う政治家や

宗教団体とは異なるのだから、僕らには

その用意が必要だろう。

それはなんだろう。まず自分という個人

事実を受け止めること。

受け入れずに、それをよく検討すること。

楽になりたいという気持ちが強いと、

見当なんかどうでもよくなる。それでは

また、時代をくり返す、旧人類と同じこと。

旧人類と決められるほど、大転換が

あるのを期待するのも違う気がするし、

・・だが、それはある。


もうこれ以上はない、と思ったその時が

開ける。その矛盾が僕らを踏みとどまら

せる。すべてはそこまでしか道案内は

できない。そこから自己犠牲とやらを

信じた、捕虜の処刑が決まってその人

の身代わりを申し出た神父などは(のちに

聖人に教会から列せられたが) 中途半端

に気づかず、道は開かれないだろう。

もっと大きな、 ・・ それを明かした者

はいないように思う。言葉も、音楽も、

絵画も中途半端だからだ。そして、

それを思わせる疑似的な世界は

数多くある。数多くの錯覚させる神秘

が、 ・・・。



・・ は、人間よ、これらの世界を

楽しみたまえ、苦しみたまえ、と

言っているようだ。僕にはそう聴こ

える。邪魔な声だ。

愛と悲しみが混ざり合う、そういう

世界なのだ、ここは。  7 . 26 




:::

新人類ということからは、ミュー

タントとかのSFじみたおとぎ話が

もてはやされるが、体が変わるの

が最もそれとわかるからだろうが、

その進化人類は希望に終わる

だろう。それはアンドロイドなどの

科学技術がそれに近い形で実現

させつつある。

体を決めるのは自然環境が大変化

して、絶滅の危機が訪れて、それを

回避する人間が、恐らく突然変異した

子供が生まれるのだろうが、そういう

時だ。

僕らは旧人類のまま、変えるべき

なのはそれではないと知っている

はずなのだ。根本的な改革が必要

だという意識が伝播しなければ、何

も起きず、何も変わらないだろう。

そういう記事も情報も仮説も、見た

ことがない。過去に拠った偽書か想像

によるものか不明な仮説を持ってきて、

そこから何を言っても、また批判しても、

それはいつの時代も繰り返されたこと

だ。そのダ・カーポ、ダ・カーポを

続けて、フィーネはどこ行った?

新しいというのは、流行のくり返しの

ことではなく、新旧の違いが如実に

見えるということだ。それを現した

言葉がまだ出現していない。だから、

自分の言葉で語り始めるしかない。

誰かが言った言説ではない。そういう

ルートを辿らなければ、なにかを言う

ことはできない。悟り、とか天とか、神

とか数千年も使い古されて、まだ当時

の意味合いが残っていると思うのなら、

平安の源氏物語の古文など、僕らは

今でもすらすら読んで、当時の意味合い

で理解できるはずだ。それほど平坦な

意味の比較で、それらのことを僕は

言っているつもりだが、 ・・・・。


            追加・推敲 7. 31



:::

旧人類と新人類が分かれるのではない

気がする。そこで二つの人類がどうの

こうのは、これまでしてきた考え方の

まったくの踏襲で、それで新しい時代の

幕が切り落とされたことはない。

何が変わるのだろう?

まったくそうだ。

何が変わるのだろう、その入り口を

見つけようとしている。それはそれを

受け入れる準備が整いつつある、と

いう前代未聞のことに聴こえる。

それは僕らが目の前にしているもの

に現れているのだが、僕らが新しくは

ないので、気づこうにも気づけない。

まったくそうだ。

何が変わるのか?

                  8. 5
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