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喧嘩する情熱と虚しさ [熱と冷]

ああ、 よっ!

今夜は 音楽がよく  聴こえる

気持ちよく 聴くのは 

いつから なかったことだろう と

思ってしまうほどに  気持ちいい

皮膚が 勝手に  震え 

その音色を 吸い取って 

いるかのように 

(浅瀬)・・に いるようだ 

海草の群れに  海は 揺れている

その水の  質感 

手応え 抜群だ 

赤い小魚 の 群れが 

逃げ惑う 

そんな 夏が  よみがえる


あの頃の 元気さというのは

まったく 気づくことのない

むなしさという 闇が   支えていた

死ぬには 早すぎる  という

言葉が  好きだった 

冗談ぽくって  よかったと

思ったが  どうすれば よかったか

という 答えのない 世界に  

窒息しそう だったのに 

むなしさは  透明な 見通しを

与えてくれた


それが 希望ではなかったに せよ 

透明な空気を  引き裂くように

僕らは  夏を  走った

走った  がむしゃらに 

なにもすることがないから  

なにかしないでは いられない  

知らなかった  そうだったとは 

それが 自由の苦しみだとは

まだまだ  知ることもなく

なにをしても  むなしさが 

残ったという  

青い 悲しみが  心を 

切り裂いた 



それでよかったとも  わからず

手を  指し伸ばした 

暗い 岬の  その先に

たどり着く  僕らのゴールが 

見えるんじゃないか と

泣きそうな気持で  歯を くいしばり

なにが 起きても  

平気 だった 

すごいギャップも  気にする 

暇は  なかったよ 

ホアッ キャナイ  ドゥ

なにが できるかなんて

考えなかったよ


この世界は  自分のものだ 

それが わかっているのに 

思うように ならない 

だから なにかが 間違えていると 

そうではないのに 

答えが  わからなかった 

どこまでも  自分を  通したかった

それはできない という声を

聴きながら  

どうにかしようと  あがいていた 

それで  正しかった とは  

それしかできない とは

知らなかった  

人は  その弱味を 見せる人間を

好むのを   知らないように


お互いに  もう 何も言うことはない

そういう地点まで  

行けなかった のだろう 

言い訳や  愚痴で  

なにも ならないと  知りながら

言いたいよ  

どうして  僕らは  僕ら自身から

生きてはいけないのか

謝りたくても  

なにに 謝るのか  

ほんとうに  知らない

迷惑を  掛け合うのが  僕らじゃないの?

どうしようも ないのは 


そこまでだよ  おっさん

なんで 近づいて くんの?

なにか  しゃべってみたら?

いい加減に  しないと 

(無言に なる)  

にらみ合うような 恰好のふたりは

おっさんが  踵に 蹴りを入れられて

転ぶ   (注1.)



さして 理由もなさそうな

喧嘩も  あれば 

小さな 諍いで  殴り合い

病院で  手当を  受けながら

お前、強いな  と

仲直りをしている  わけのわからない 

連中もいる  

殴り合った方が  直截な 相手を

感じて 変な連帯感が 

生まれるらしい   (注2.)

僕らは  そういう人間の  

集まりだろう 

わかることなど  ありもしない  

その場で  相手と 良くも悪くも

やりあう しかない 


我慢できる者は  するに越したことはない

自分は そうなのか?

そうじゃないのか?

わからない  その時になって みなくては

これが  一生続いている 

のじゃない?

のじゃない?

完全な答え ナンテ  

10年後に 出すべきものなんじゃない?

だから 

10代は  どうしようもない 

自分は  20代から  育つ

20代が 終わったら  人生 捨てなよ

もう新しい 人生が必要に なっている

30代が 終わったら  人生  捨てなよ

もう 違う人生が 始まるのに  気づけない

40代が 終わったら  人生  捨てちまえよ

残す  寿命の20年だって  30年だって 

まったく

人生やり直すように  できているのに

同じ道を  歩けると  思っている

「あんた 馬鹿?」(エヴァンゲリの

明日香の言葉)

どう あがけばいいのか なんて

誰も 知らない

どうして?

人生の 達人は  いないからさ

人間関係や  仕事のうまさという

社会の達人は  いる 

が  人生は  別物だ 

社会的成功も  職場での信頼も

家庭的な満足も

それは 一部では  なんとも  

なんとも  なんとも  なのだ 



今夜は 音楽がよく  聴こえる

気持ちよく 聴くのは 

いつから なかったことだろう と

思ってしまうほどに  気持ちいい

皮膚が 勝手に  震え 

その音色を 吸い取って 

いるかのように 

今夜は  勝手がいい  


ああ  抱きしめたいよ

この わけのわからない 世界を


血の涙も  あたたかい涙も

流す だろう

僕らは  いつまで 

今のままで  このまま続けばいい と

これからも  

なにも心配が ないように 

願い続けるのだろう 

そして

避けられない 戦いを

戦い続けるのだろう




:::

「まったく理解に苦しむが、」自分

がそういうことを言うのがおかしい

のは承知しているが、この世で

心配することはまるでないことを。

これが真実であっても、そして僕には

そうだと知りつつも  “理解できない“ 。 

また、

僕らが新しい自分が迎える各世代を、

まったく新しく切り開く気概があれば、

気づきを速くすることになり、僕ら

は問題よりも先に進むことができる

はずなのだ。(思考の速さ・文明の武器、

マシンの開発のことではないのは・・。)



:;:注

1.おっさんの無言の接近は、YOUTUBEで

見たが、結末がなく、勝手に加えた。

2.僕の会社の飛び込みセールスNo.1の男が

何人かと飲みに行って、帰りか?土方(土木

作業員)の数人とつまらないことで喧嘩に

なったらしい。

その男から聞いた乱闘の話、昔だ。
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屈人織辺の日記 8.無盡蔵 [日記・思考]

先日、益子に伺いました。益子は濱田

(庄司)でした。まるで彼がすべてで

あるかのような、街並みと素人、若い

作家の群れでした。

それは結果を考えれば、意外と言えば

意外なものでした。益子町の観光案内

の地図を見ても、濱田庄司亭とか、それ

から少し離れた場所に濱田さんの参考

館がありましたから、名前は知ってい

ましたが、益子を訪れたのは、飽くま

でも全国の焼き物を訪ねたい、という

その一環で、濱田さんに注目したもの

ではありませんでした。とは言っても、

柳宗悦から見つけた民芸運動家たちの

ひとりに濱田さんを見つけ、その参考

作品から一番に濱田さんの作品に惹かれ

ましたから、その作品が直にみられる

ことは楽しみでした。

そういう経緯だったので、まさか益子

焼の印象が濱田一色に変わることなど

予想ができなかったわけです。



ところで、この日記を今日始めたのは

濱田庄司が晩年に書いた「無盡蔵」が

届いたので、読み始めたら、これだと

いう感覚が書かれていて、びっくりして

坐ったということです。

以下、引用::

「たびたび床に掛ける副島種臣の「南薫

閣」という書軸を棟方志功君も好きで、

いつも感心してくれるが、いつぞややっと

この書に対する答えができたからといって、

「無盡蔵」と書いた大幅を持ってきてく

れた。なかなかいい出来だ。

ただこれを、いくらでもあるから「無

盡蔵」では困る。私としては、「こと

ごとく蔵するなし」と読みたい。私が

好きなものを持つのは、それが自身の

眼で選んだ心の食べ物なので、もう

食べ尽くして座右に残っている形は、

すでに物の形ではなく、感謝のしるし

としてのお護りだ。そのせいかいつ

出しても愉しい。」::

濱田さんは自然と生きた人です。確か

「窯にまかせて」という著作もあった

と記憶します。最晩年の本でした。

陶芸は土によってその様相を変えます。

それは釉もそうであります。窯に至っ

てはその焼成の様々な条件があり、

それを人がします。そのうち電気窯の

自由なプログラミングが主流になるか

と思いますが、登り窯などの焼きの

結果が見えない、自然任せの窯は

残るでしょう。できるものの面白さ

は自然とのコラボになるので、その

わからなさ、なにが生じるのか、

予想を超えた焼成に魅力を感じる

陶芸作家は今も、そしてたぶん、これ

からも跡を絶たないからです。

粘土にする土の配合の微妙さによっ

ても、また釉の配合によっても、

また焼成の酸化と還元のふたつの

焼成によっても、まったく違う色に

焼けます。絵の具ではないんです。

単に塗る釉によってその色が発する

という単純な仕掛けではない。だから、

それは無尽蔵を予感し、予定する

ものになるのです。

いつまで経っても、陶芸経験百年でも

思い通りのものができない。できる

ようにはなるが、絶対に完璧では

ないのが、もう陶芸を初める頃には

覚悟しなければならない。それが陶芸

の面白味でもあるのです。

僕は秦野の香窯という教室で自分の

試作の小さな花器が粘土の段階で

そこに形を現した時に、その物に

囚われて、感動しました。そこに物

がある、という至極単純なことが

どういうことなのか、その物から

教えられたのです。濱田流に言えば、

負けたということです。

人生にはこういうように負けることが

必要だと教えてくれる人はいません。


すべて、その人が芸という旅の途中で

物と対峙して見出してゆくものです。

僕はどこかで、教室の先生に、また

ブログかメールに、絵画展での感動は

精神的なものだということが、陶器に

感心して、自分の花器に教えられて

わかったと話し、書きました。

東京の美術展などを巡って、次第に

陶器への感動が高められて、物の

世界への突入になりました。

それで益子へ行って、笠間へ行って

精神的なというよりも、肉体的な

満足を覚えて、帰ってきました。

これはなんとなくから、はっきり

したものになって、僕の腹を満たし

ました。そう、満腹感によく似た

ものです。だから、絵画とは違う

ことが比較出来て、よくわかる。

上記で濱田さんがいみじくも書いて

いるように、「自身の眼で選んだ

心の食べ物なので」と言うように、

まったく腹の満足なのです。

いろいろ解釈はあると思いますが、

益子で濱田さんの自宅などの気に

同期したのだとか、読んだものの

潜在記憶が確信の動機になったとか、

けれども、事前に花器の感動が

なければ、そういうことも生じ

なかったでしょう。

濱田さんが「心の食べ物」と言った

のには驚きましたし、それは単に

比喩なのではないことが、はっきり

わかりました。ものの世界という

のは冗談ごとや、比喩のこと、そう

いう架空の話ではなかったという

ことです。

棟方志功がどこかを見ながら、そこ

と話しながら、作品を彫っています

が、話をしている時は、板なんか

見ていない。「そこもうちょっと

見せてください」とか、あれも

不思議な話で、彼にはなにか見え

ていたとしか、今になるとそう思え

ます。

どうしてものの形から、形ではない

無盡蔵と見破った、無限な世界を

感じ取ることができたのか、それを

僕も知ったというのが、7月から

陶芸を始めて、見て、聞いて、試し

て作って、という過程を経て、見出

された、求めてもいなかった世界が

「もの」だったようです。

無盡蔵1.JPG
題字: 棟方志功

無形文化財というものがあります。

濱田さんが人間国宝だとは知らない

ことでしたので、その先入観は

避けることができました。

踊りなどは人間国宝はよく聞くし、

形のない芸術のように言われます

が、その目の前のものや動きを

突破?することに、その無形の

ものに触れるのでは、という気が

します。それがそれぞれであるに

しても、芸は無限だ、書は無尽蔵だ、

陶器は・・・、というのも同じだと

いう気がします。

そういう日本の芸の歴史に浮かぶ、

道を究めたと言われる芸術家たち

は、ほんとうの処は皆本人たちが

言っているように、道は究めがたく、

無限だということを発見した人たち

で、彼らはその入り口に触れてみた

人たちだという気が、今回のこと

が起こってみては、今まで想像上の

(あるんだろうなという)世界でし

たが、日本の系譜の一部がわかった

ような気になりました。


いつでも、これから。

それが芸の道。ほんとうは人生も

辿り方次第で、そういう開け方を

するように歩めるのではないでしょ

うか、とも山の頂上からもっと遠く、

もっと高くの山々を眺めるように 

茫然としながら想いました。
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自分でも神でも他力でもないもの [精神の流れ]

今まで気づかなかったけれども、

書く行為に入る時が、不思議な

断面を見せる、というのを今日は

感じた。

書く前にどうするか、どうなるのか

という先の見えない不安が心地よく

もあったのは、書けることが内面の

プレス(表現の圧力)で無意識にも

感じ取れていたからだ、それは前に

書いた。

それで坐っていて、何もしなければ

坐ったままだというのは、常識で

当然のようにそういう結果になる。

しかし、まっさらなキャンバスに

最初の一点の絵の具を塗る瞬間が、

画家にあるように、僕にもその

キーボードを押す瞬間がある。

それは必ず、書くことを思い出し

たり、そのヒントが浮かんだから、

ということではなかった。

なにかきっかけになる言葉が浮か

んだから、次の瞬間にはキーボード

から打たれた文字列がパソコンの画面

に出るだけのことだった。それから

先のテーマとか、何を書くかなどは

決まっていないし、何の(自)意識

もない。

ともかく書き始める。それだけで

続けられるのが今までで、たぶん、

今日もそうなるだろう。


そんな期待も むなしく 

僕は ひとり  坐っている

それだけで  ただ 退屈でなく

時が  渡ってゆく のだろう

それが 心地よいのではないが 

それが 嫌だというのでもない  

・・・・・・・・・・・・

なにも  なにも  なにも


ついに  バックの ミュージックも

止める 

無音のほうがいい  今夜が そうだ

それでも この場に  いるのだ 

それが 何? と 聴くまでもなく

なにも ・・

ただ  なにも  ・・  

なにも  なのだ  


ここでも 僕は どのように 

落ち着いて いるのだろう 

なにも  なにも  

なにかが 起こったのでも

何も起こらなかった のでもない 

そういう 出来「こと」の 

狭間に 白く うすい紙切れを 

挟んでみる  そっと  

そういう調子で  鎮座して

落ち着いて 

そんな感じ なのだ 


その部屋の 日常空間に

賢さは  必要ない  

ずるさも  選ばなくていい  

引け目を  感じる  

なにものも  ない

なにも   また なにも  


が いずれ

僕らは なにか 言わなくては

ならない 

そして  なにか  言うたびに

こぼれ落ちて しまうもの

それが 何、と言えないもの

言ってしまうと  こぼれるもの

なのだから  

何を間違えて  それを 言おうと

するのか

混乱を 広めたくないので  

言わないが

言わねば 社会は 人は

動かない 


そこで

混乱を 深めて 指摘したくて 

言い方を  工夫するもの 

これは こうだよと

ベタで 言わないために 工夫する

それは したくて していること

とは 違う 

内容が  真に 受け止めるもの  

危機の 緊張を孕むものなら  

人は そうするはずだ  

だが 

人は その人の自分から 

わかったように 話してしまう

概念の、言葉という 鎧を着せて 


歩いて  

忘れてみよう  

なにも  なにも  

なにも かも 


それでいい と 

思うだろうか 

思わなくても いい  

わかったつもりの 自分(主観)の

世界は 広いから

いつか 脱出の  穴に

たどり着くまで  

そこで 人はなんと 言うだろう?

ごきげんよう、 この世という

小島のみなさん、  とか

意気揚々と  入口だと思う

(客観の)穴に入る  かもしれない 


でも その人も 

この世に 戻ってくるだろう  

帰る場所は 

この世にしか  ない  

あちらは 天国でも 地獄でもない

なにも  なにも 

形あるものは  この世にしか

ないから

人間として 生まれ  

人間であることは

どこまでも  人であることで 

自分だけが  人間以外の

ものに  なろうとする


面白いね



::

神とか、如来とか、真実、真理とか、

なにか哲学や科学・宗教染みたものに

憧れを抱く人は概念上の真理を信じ

たいのだろう。

なにかそこに人間以上のものが

(絶対に)あるはずだと、期待し

たいのだろう。突き詰めればそれも

自分への保証や他力本願なの

だろうが、それぞれの事情もある

かもしれない。親がその状態だと、

子供は影響を免れない。それは

心理的なモラハラのようなもので、

思想や主義にかぶれた家庭環境の

空気は悪かっただろう。

そういう信仰上のなにもなくても

平気だ(愛はあるということだろう)

というのはキリストも言っていた

ように思うが、その後で神の国がある

から、と語るのは矛盾している。

また、人の信仰というものは、大抵、

言論で否定できるものではない。

自分でなくなろうとする自分は、

否定された自分を意味するが、それ

は自分が人生でこれだと思うものを

否定することに等しい。19世紀の

ロマンスという退廃の種子を今でも

美しいもののように引きづっている

ように、僕らが皆で引きづり続けた

善とか強さとか、それを修正するべく

一度自分が死んでみるという、それを

自分に対して自分でする人は、まず

いない。

だから、地上で(内面から)他力に

ならないで自立する人は少数派になる

しかない流れなのだ。
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これから: 怒りと技術革新 [心理]

織辺日記で魯山人のことをちょっと

書いたので、彼を例に挙げよう。

彼を嫌いだと書いたが、本人も嫌われ

安い自分を承知していて、私が嫌いだ

という人は多い、とおっしゃっている。

それは彼がこだわりが強く、気難しく、

決めた時刻とか少しでも遅れると、

癇癪が落ちるからだ。女中が何人も

辞めたらしい。女房も六人替えた

くらいだから、そのガミガミが顔に

出てしまっている。それで彼の第一

印象が悪くなっているのだ。晩年は

寂しがり屋が表に出て、よく泣いて

いたらしい。自分と折り合えなかった

後悔は少なく、むしろ孤独やものの

あはれに近い心情だったのではないか。


人はこのように社会へ出す顔と内面

では矛盾したような面を抱えるのが

普通である。これはギャップとして

本人に意識され、内面は隠されがち

なので、本音とか言われるが、そう

ではなく、心の自然なバランスである。

両方必要だから、そういう生活になる

ので、無理にかぶせた仮面生活という

ものではない。

僕らは怒ると、怒らなければならなか

ったことを嘆き、涙をこらえ、笑うと

可笑しすぎて涙が出る。どちらも心

が壊れそうなので、涙でそれを中和、

または抑えようとする作用だ。よく

言う、(もめ事は)水に流す、という

やつだ。


僕は短気だが、初対面でそう思う人は

いないらしい。大昔には一度も怒った

ことがない人に(見える)と言われて

恐れ入ったが、短気は克服したが、それ

はなくなったことではない。

およそこの性質は親父譲りで、親父は

短絡で短気だったから、早とちりも

時々あった。僕はまず怒らないから、

一応それで非常時にはまず冷静である。

それは事態に対処しようとするからで、

話している相手が理不尽な攻撃をして

きたり、何度もこちらの要請を無視

すると、昔は突然、切れた。それが

突然であるのは、アドレナリンの性質

で、ゆっくりゆっくりと怒りが高まる

というのは、特異なことで僕は見た

ことがない。

アドレナリンは危険を感じると体が

発生させるもので、危険から逃げる

のに素早く行動を促す。それは思考

するのを避けるので、考えるよりも、

例えば手が出る(人を叩く)、激高

して反論する、危険(毒蛇とか)から

即、離れ走り出す。


それが短い我慢の限界の後に起こった

が、アドレナリンが出た後なので、

当然、考えもできず、後悔すること

になった。たいていは自分も我慢強く

なってきたな、と安心する頃に、それ

は突発した。それが克服できたのは

還暦を越した頃に、無意識を瞑想で

その根元を探り当ててからだった。

対策がわかったので、アドレナリンが

勝手に出る前にその準備行動ができる

ようになった。それは大安心だった。

それまでは半病気のようなもので、

自分ではコントロールできなかった

から。

それでもちょくちょくは激しくは

ないが、出てしまう。このブログでも

対社会面なので、短気が出ることは

ないが、真剣なことについて、こちら

の寛容を見越して(普通なことだが)、

軽い質問を戦争や平和についてされる

と、カチンときた。対面で話してい

れば、そういうことはないだろうが、

戦争の悲惨さは現在でも生中継されて

いる。事情は少し複雑だが、戦争前の

昔のウクライナについては子供ながら

に洒落で「うっ、暗いな(ウックライナ)」

とか言っていたが、それを現在とは

切り離したつもりで別の記事を書いた。

そこへ平和について冗句のような軽い

質問が来たので、アドレナリンがちょ

っと漏れたらしい。きついコメント

返しになってしまった。


もう五年も前だろうか、NHKの

セールスが来て、こちらの話を聞き

流して、一方的に話すので、三度目に

は怒鳴ってやった。というのは違い、

そうではなく気づいたら、怒鳴って

いたのだ。その声の大きさと言った

ら(笑)、近所50m四方に響いた

だろう、というくらいだった。

ちょうど娘が訪ねて来たらしく、

近くで聴いたのだろう、顔がこわば

っていた。それほど厳しい怒鳴り

だったらしい。

そして、その声が出てしまったのに

気づいて一番驚いたのは、自分

だった。自分では気づかずに怒鳴っ

ていたのだ。最後に怒鳴ってしまっ

てすまない、と謝ったくらいだった。

冷静になるのも速い。


文章で見せる顔というのもそういう

具合に、内面を丸出しにできるもの

ではない。それぞれ家庭での顔、会社

での顔、本人の思う内面の顔、勘の

鋭い人の気づくその人の内の顔、趣味

をしている時の無心な顔といったもの

は、それぞれ違い、異なる。

僕は以前は、他人には僕がどう見えて

いるのか、気になったのではなく、

純然として知りたかった。が、社会は

あてになるものひとつなく(説明が

必要だが、しない)、そのいい加減さ、

あてにならなさというのは、一般の

社会人も同じだとわかったら、そこ

から客観的な僕への判断を尋ねること

が、それ自体無理だというのもわか

った。それ以来は、「いいね」の中身

がどうなのかも気にならなくなった。


革新技術が開発されている現在、人間

の生理も改革され、長寿命がより強化

されそうなのであるから、年金などの

生活費は片方で重要であろうけれど、

心の意識改革はより重要になると自覚

される日は近いと思う。

年取って頑固でいることが許されなく

なる日も来るんじゃないか、とそれは

何が問題でそうなるのか。まず、知に

よるいい加減な脳の進み具合が、文明

を発展させ、そのための行き過ぎた

分化・危うい集合技術の脆弱や矛盾を

もたらし、それに文化が追随している

現在の精神バランスの不健康が心身

ともに露出し始めている。それを具体

的に語るとキリがないが、当然、これ

から必要とされる時期ごとに、重要

とされるカテゴリーごとに必要だろう。

そういう全体をテーマにできる大学も

出来ればいいし、また設置・施行され

ればいいのだが・・。

20年近くも言えずにいたから、ここで

言えたような気がする。過去に書いて

はいないと思うが、ままよしである。

それは僕がこれからも書き続ける

テーマであり、その晦渋さを整理する

ものだろうが、それはまた、僕が生き

られる年月を示すとも、言えるのだろう。

長崎の離島の家は手放したので、終の

棲家はそこではなくなった。では、

活火山のあるハワイあたりにしよう

かと、呑気に考え、夢見ている。


(昨年・10.28 投稿の記事)




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滞(とどこお)るブログ(と教育) [教育]

ブログ読者には見えないから関係ない

のだが、ブログの滞りが続いている。

長い文章で一応できているのが2編、

その他書きかけの中途なのが5,6編

か、その投稿時期を待っているか、

逸しているか、または未完成なのだ。

さっと資料を読んで書いてしまえば

いいのだが、それもできない。その

気にならないという怠惰が原因なの

だが、「その時がある」しか信じて

いない自分なので、自分への文句も

忠告も無駄なだけだ。(2022.10.
              26の話)

STUGNATE (文語的:停滞する)

古田織部について書くのだが、これも

読みが足りてないので、つまり、すぐ

に読むつもりがないので、そのまま。

こうやって先延ばしを伸び伸び?書い

てブログ数だけ伸びている現状。

それでその都度変形してはいるが、くり

返しが多い。これはブログのジャーナ

リズムにおもねる格好に。

やれやれ。

スタグネイツ:

知の初歩的欠陥だろう、とそういう面

もあるが、それよりも前提としての

欠陥を注意した方がいいだろう。そう

思われるのは、論理面からしか意識

しない矛盾事項はその矛盾は解けない

ということだ。

若い頃に社会のいい加減さも知らない

真面目な青年だった頃に、所謂、義理と

人情の板挟みに会った。それは就職を

世話してもらった義理と、自分はそこ

を辞めたかったから、その情が強く

拮抗して、内面でぶつかり合ったから

だ。とことん考える性質だったから、

まだ知の欠陥も知らず、24時間三日間

くらい考え通した。そこで頭がオーバー

ヒートしたことは、もう書いた。

ともかく、同じ情の上で矛盾する義理

と私情とを平面的に対比させて考えて

も答えは永遠に出ない。

オーバーヒートは考えないで休めば、

元にもどるが、矛盾論理は固定した

ままだ。知は夢の中では矛盾に答え

を見つけることはできない。

生活で現実の中で尋ねるしかない。

それが理性の出番だ。義理の相手に

尋ねたり、相談したり、または

したくなければしなくていいのだが、

上司の傲慢さを指摘したり、とかで

自然にその方向が見えるようになる。

よくSNSで死にたい投稿があると聞く

が、それを見ず知らずの不特定多数に

見られるSNSに投稿するのは、まだ

理性が育っていない子の話だろう。

自殺相談所とか設けても、頭だけ、

つまり未熟な理知しかない子たちには

誰かに相談するという発想が、まず

ないということを(大人は?)知らな

ければならない。

僕は理性というのは、親からの遺伝が

最初は大きいと考えている。特に情と

知性とを橋渡しする理性を育てるのは、

やはり誰かが必要で、そういう先生・

教師・先輩・近所の物知り爺さんとか

の環境が必要になる。それをきっかけ

にして、自分でも気持ちと頭で考えよう

として、はじめて理性は育つのだろう。

話しがわかる人というのは、そういう

理性的な人のことをいう、と僕は理解

している。

自分でこれは自分の秘密だと思い込ん

でいることを他人に話すのは勇気が

いる。それも最初の瞬間だけなのだが、

まずそこが出発点だろう。そこを突破

できれば勇気も育つので、次からは

もっと大きな勇気も出せるようになる。

教育はその点に配慮して、そこをどう

するかが大事ではないか、と思っている。

誰かに相談しなさい、では、子供は動か

ない。相手はどんな子か、何が好きか、

とかそこいらにヒントがあるはずだ。

教育法というのはない。相手に応じて

それは異なるはずだ。

例を挙げると、また力道山とか、僕で

も古い話なので、蒸し返すのはやめて

おく。

日本の教育はどうだろう?

年々、いじめの件数はうなぎのぼりだ。

先生はもう先生ではなく、校長は校長

でなく、教育委員会は教育委員会でなく、

つまり、そこには戦後のGHQによる

政策で教育者に反日の共産主義者を

中枢に据えた影響が、まだまだ現役で

残ってしまっているということだ。

STUGNATE:

日本の教育もスタグネイツしている。

参政党が子供の自発的スクールを

自治体が作れるような政策を掲げて

いるが、どうなんだろう?制度の改正

も必要だが、肝心なのは中身だろう。

子供のスポーツ団体で全国に出るとか、

全国優勝とかで子供を一丸にして、

その一心同体の高揚感、これが教育だ

と勘違いしている熱血ばか先生もいた

ようだが、そこじゃないだろう。それ

は社会人教育の美しい形ではあっても、

子供の個性は守れも育てもしない。

それ自体矛盾は国家と個人の関係の

ようにあるのだから、僕らはその

矛盾をまず踏まえなければならず、

その点をまず教師志望の多くのあなた

たちの内面からしてほしい。

応援したいのはそういう君たちだ。



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無い時間と有る意識 [時間]

時間は流れる運動に感じる経過感と

いう亡霊のようなもので、その意味

では錯覚なので、実際に実在して

いるものではないと、以前書いた。

そこらの事情をもう少し書いて

みたい。


午後、ものごとを漠然と考えていて、

休止すると、壁の時計が眼に入る

ことがある。何気なく見ているから

秒針も目に入る。1秒して、動かない

のがわかる。この時驚いて、見直す

ので2秒ほどして目に力が入る。

これは気を取り直しているので、実際

は意識が眼に働くことを意味する。

すると、突然であるかのように秒針が

動き始め、それからはちゃんと1秒

ごとに動いている。

まず秒針が動かないと驚いたのは、

二つ理由があるようだ。一つは外界

の時間が止まったのではないか、と

いう超自然な現象ではないかと思う

こと。次は、ふつうに時計が止まった、

故障したのではないかと思うことで

僕はこの二つが複合して驚いている。

安心したのは、どちらの生活上の

不具合も避けられたからだ。

時間が止まった世界には未経験上、

不確かなことが多くあり、不安は

大きい。例えば、ふつうに息が

できるのかどうか、とか。

時計が故障したのなら、一体いつ

から止まったのか、そこから今は

そのために不祥事が生じていない

のか、確かめる必要があるが、それ

をしなくて済んだので、安心した

のだ。

この最初の経験では、秒針が動か

なかったのは、単純に眼の錯覚だと

思っていたが、2回、3回とくり

返すと、考えてみるようになった。

秒針を見た時に秒針がふつうに動い

ていたら、1秒だから、僕もすぐに

それを認めて、驚くことはなかった。

だから、1秒以上動かなかったから、

僕は秒針が動いていないのに、急に

気づいたのだ。その瞬間、僕の意識

は実際に時間が止まった世界を想像

してか、息の詰まったような世界を、

くり返すが、一瞬だけ感じた。それ

から驚いたのだ。この順番は間違い

ない。

だから、短い瞬間というものは、僕ら

の意識では1秒くらいは長くもなる、

ということだ。僕はそれを疑えない。


このことは僕らの生活を僕らはどう

意識しているか、を考えると、小さな

問題では済まなくなる。

僕らの生活は行動で実践で活性化さ

れている。思考ばかりでもそれが

単一の分野で将棋とか、プログラ

ミングとか、一定の範疇で集中でき

るものは、将棋やプログラム言語の

狭い範囲で直観で飛躍できるので、

充実して緊張感があるので楽しい。

ダンスでもそうだ。考えながらダンス

はできない。次のステップはこうで

次は、と考えながら踊ることはでき

ない。リズムと体の覚えたステップ

があって、僕らは緊張した充実を

覚えることができる。体にまかせて

踊っている、とも言える。

意識はそれらの指揮者であって、

個々の楽器の演奏家ではない。意識

を感じようとすると現れるのが自意識

であって、本来は意識の中に埋没し

てしまっている。

意識を変えるというのは、ほぼ意識

を新しい考えに沿わせる、という

ことで、意識自体は変化しない。

新しい考えの方針に生活を組み換え、

建設して活性化していくのを意味して

いる。これが僕らが普通に意味して

いる、自分を変える、ということだ。

リアル現実はつらいものが多い。例え

ば公共の職業の警察や消防、病院

などは公共社会生活に欠かせない

ものだが、どれも安易な気持ちや決心

では自分の職業とはしないだろう。

そうすると、安易な生活を夢見る

ことにして、実際には気づかなくても

そうしている。初めはいいが、年を

重ねてもその状態が続くと、僕らは

それが当たり前だと思えてくる。

それが注意力が衰え始める因だとは

思わない。

:地質年代を求める19世紀の学者は、

それがどれくらい古く遡るのか、知ら

なかった。たかだか数百万年くらい

だろうと。20世紀初めに放射年代

測定法が確立され、地球の地質年代

は45億年(現在では46億年)まで

遡るのがわかった:(「サピエンス

異変」より)

関東東北大震災3.11でも津波の高さが

10m以上に想定されていたのに、東電

はそこまでしなかった。それは常識的

にそんな津波が来るとは想像できな

かったからだ。地質年代の学者たちも

数百万年という年代さえ想像できな

かったから、それ以上の年代は空想

だと片付けたのだ。

この想像力のなさは現実への想像が

できていないことによる。自分の

今までの社会経験・書物などの過去

の情報のインプットからくる、自分の

中にまとまった狭義の世界に対して、

これは違うかも。という疑問を持た

ない注意力の欠如からきている。

よく言われる「危機感の欠如」という

ものは、この常識に囚われた僕らの

小さな自分世界から年齢を重ねるたび

に平均でだが、75歳くらいまで年々

自己更新をしてこなかった報いとして

現れる。

無視すればそれで済んでしまうから、

それは晩年に押し寄せる。認知症に

なるのは、不健全な環境と体の怠惰

に対して、ある程度健康な精神の

自己防衛だと言える。あとは年取っ

たら、歳取ったなりに、平和に生きる

のがいい。

それまでは僕らは危機意識を持つこと

で精神を活性化して、その都度目的を

見出し、目的を変更しながら、活動

することで健全な精神を更新すること

ができる。

考えると面倒なのだが、僕らの大きな

意識は僕らが気にする必要はないこと

だ。僕らがそれを表面では感じないに

しても、無意識にでもわかっていれば、

それは人生の方向を作ってくれる。

それも自分が過去のいつかの日に考え

たことだろうが、今の自分に合わせて

いろいろ組み直されたにしても、基本

は自己だから変わらないだろう。

自己が自意識の自分をコントロール

するようなら、人生は time goes by

で進む。

リアル現実に気づくためには、時折、

消防士のように危機に身を置いて

想像したり、実際に飛び込んでみる

必要があるのだろう。それが注意力を

養い、危機感を育てる。考える時間は

本来、ない。準備された計画とその

行動が実行されることが望まれる。



僕は好奇心が深く強く、手を広すぎ

て、途方に暮れることばかり。(笑)


 秋深し なにもしないが好きなので

  することは何かと 夜々は暮れゆく


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屈人織辺の日記 7.今更ながら [日記]

<KAGAMUTO ORIBE の日記> 7


僕はこの織部日記を始めるにあたって

織部という名前は織部焼の皿などの

写真で軽く決めたものと思っていま

した。魯山人の皿の影響も少しは入っ

ているでしょう。

(10.19の日記。今は織部は織辺に変更)

でも、最近のことですが、織部焼の由来

を知りました。アマゾンで検索中に古田

織部の名前が出てきて、これが漫画の

「へうげもの」の主人公だったので、

奇(く)しくも戦国武将で、利休の

弟子になった男で、有名な楽茶碗の精神

を受け継ぎ、しかも新しい茶碗の方向を

探った芸術のわかる男でした。

利休は商家の出だったと思いますが、

秀吉の右腕で、国内問題は全部まかされ

たといいますから、武将の話が聞ける

ほどに武士というものが分かっていた。

それは茶の湯が武士の精神によって創始

されたことを物語っていると言っていい

と思います。

領地を褒美に与える代わりに茶器などの

品をそれに匹敵する位置に押し上げた

のは織田信長の女性的な眼ですから、

それが秀吉に受け継がれ、利休を用い

たことで、茶の湯の文化が生まれました。

すべて武士が背後に、前面に関わって

います。日本の精神文化が武士によって

昇華されたのか、堕落したのか、どうも

そういう視点で歴史を見直す必要もある

ような気がします。

陶器と磁器、そして地方やそれぞれの

時代に咲いた芸術の花、その特徴、と

そして、その地方の焼き物によって

絵付けも変われば、窯や焼成方法も

異なるという製法。好奇心が旺盛な

僕としては興味が止まらないので、

たった3か月で、もうたまりません

というくらいに調べたいこと、訪れ

てみたい場所が一気に増えてしまって

誠にたまりません。(笑)


それと、<東京の市・館・社の3件

でわからないものを増やしてくる 

(2)>はつづくで終わりましたが、

つづきません。(3)は靖国神社の

訪問の話の予定でしたが、一つは

準備不足がありましたが、どうも

英霊については、別な角度から話す

ことになりそうなので、そちらに

譲って、(3)は中止ではなく、

無しになって、別な記事に書く

つもりです。



今は秦野の教室に通っていますが、

磁器をやるには別の手法が要るので、

来年からは準備をして、東京の教室

でやるつもりでおります。かなり、

いずれ自主的に制作することを目指し

ます。10年前のアイディアも活かし

たい、と。

試作品ができました。どれも一応の

満足と非常に不満からの恥を感じる

もので、それは同時に起こるのではなく、

わかりやすく言いますと、織部の意識

からは満足に傾き、陽秋の意識からは

出すのも憚られるというぐらいのもの

です。

試作茶碗1.JPG

湯呑:高7,5cm × 幅7cm

小ぶりです。泥臭さがいいです。

試作小皿1.JPG

小皿:縦7.5cm × 幅13.5cm

小魚しか載らない小さな皿で、使い

道がないので、浴室で石鹼置きに

なっています。平板さがいいです。

試作花瓶1.JPG

小花器:縦5.8cm × 幅9.1cm × 高6cm

まったくインク壺ですが、一応

短い一輪刺しという処。絵付けを

してないので未完成ですが、ひどい

ものです。昔はこういう素朴さが

ふつうでした。

ところがこれがまだ粘土の、焼成前

では、魅入られて、ものに感動して

しまった対象です。今見ると、絵付け

しても大したものではない(陽秋:言)

ですね。もう一品、小壺がありました

が、撮影を忘れました。それは艶も

模様も一番見れますが、なにせ小さい。

楊枝入れにしようかという案が浮上

してます。



まだ始まったばかり、と慰めて、

来年の白磁器を夢見ています。
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心の掃除と楽しみ [掃除]

深夜はとくに冷えるようだ。

徒然なるままにの心境がますます

深まるように冷えゆく気がする。

雪が降ったかのように、空気が

シンとしている。

その中には孤独ということが

よく当て嵌まっている気がするが、

残念なことに一般の孤独にはなれ

ない。人との隔絶感、社会との疎遠、

家族との断絶、友人・恋人との些細

なトラブルの遮蔽感、そんなつらさ

をいうのだろうが、それは自分との

不適応によって起こっている。自分

が外の世界に対して起こしている

もので、本人は自分が責められて

いる気がしているが、村八分にし

ても本人が村の掟を破った罰だろ

うに。

僕らは常にお互いに理解し合って

いるが、期待と効果、またその需要

(要望)と供給(褒美)は釣り合っ

ているのではない。期待の割に効果

が得られないのは、期待が強いほど

には的を得ていない営業や誘いである

のだろう。強さも大きさもそれぞれ

の知識や価値観・そのものへの基準が

異なっていて、うまく嚙み合ってい

ない。理解しやすいのは、その点に

ついてのお互いの気持ちの表れであ

って、さすればさらに交渉なり検討

なりが必要になる。

気持ちだけではダメというのは、

気持ちが必要だが、十分ではないと

言っている。細かく言うと、大きな

カテゴリーで何を理解していないか

はお互いに分かるものだ。

そうではなく、その中でなにをどの

程度理解しているか、どの部分の理解

が足りているか足りていないか、それ

を自分と相手との差で見分けること

が必要になる。

そういうことだから、その場の人間

関係というのは半無限大にそれぞれ

の人ごとに異なっている。そこで

お互いに理解不足なのが出発点だ

から、はじめからこれはわかっている

だろうと相手に期待するのは、実は

無理なことに入る。

そこで礼儀を弁えて余計な摩擦を

起こさずに、話し始めるのが第一段階

ということになる。

いつもいい加減な会話で済ませること

ができるから、大切なことを伝えたり、

理解が必要だったりすると、そこも

いい加減に済まそうという癖が出る。

言ったじゃない(私の意味で)、言っ

てることが違うじゃない(あなたの

意味では)というすれ違いも起きる。

そうそう大切なことはないので、

普段通りの習慣でいい加減なお喋り

流に話してしまうのが、誤解の基に

なっている。

だから、大抵の人は手紙を書くのは

嫌がるものだ。時間がかかる。字に

すると意味が決定されやすいから、

いい加減に書けない。メールでも

挨拶や連絡ぐらいで、大切な内容は

手紙と同じで伝えにくいだろう。


僕らには「話せばわかる」という

言葉があるが、それはまず相手が

聞く耳を持っているかが重要だ。

そういういろいろな事情で、お互い

というものは誤解しやすいのが、

現実の現状というものだ。そこで

当たり前に常識での理解を前提に

して相手に期待することが、まず

期待できないことを知ることだろう。

ここで言うと、僕らの常識はあなた

たちの常識ではないし、微妙にも

大きくも食い違っているかもしれない。

私の言葉はあなたの理解している

言葉ではないのが、まず前提に検討

を加えて考えねばならないことだと

思える。


だから、僕にとって人はいつもそこ

にいる。いても理解には程遠い。

挨拶して、差し障りのない会話で

笑えばそれでいい。理解し合えない

ことで、寂しさを感じる必要はない

のだ。テーマが複雑で重要になった

時に慎重さが要るだろう。

その気持ちの分け方ができていれば、

あとは理解の不足をどう埋めるか

だけで、じっと状況を見て、考えず、

何が起きていたかを見て取るだけで

いいだろう。

もう解決の方向に進んでいるのだから、

孤独にはなりようがない。


しかし、孤独感がないにせよ、まだ

嫌なことは残っている。退屈という

やつだ。楽しいことを探すのは、スト

レスからだろう。そのストレスを見つ

けるまでは楽しさに惹かれる。落ち

着かない。食べたり、飲んだり、

トイレに行かなくていいか、などと

余分な用事を作り出そうとする。

いい加減な処で妥協することも多い

が、それは先延ばしにしただけな

ので、いずれ片づけなければならな

い。これは何をしているのか。どん

な意味があるのか。


心の掃除である。そういう小さなごみ

を心に残して増やしても、見えないが

確実にものごとは見えにくくなる、と

僕はそう見ている。フロントガラスを

磨くようなものだ。視界が悪ければ

事故も起きる。理解力も鈍る。

見たくないものもよく見て見切って、

そこを見ないように塞ぐこともない。

車ならわかりやすいが、心は見えない

から掃除は怠りやすい。

自分の内に腐ったもの、臭いものを

見切らないうちは、他人や社会を非難

するのはた易い。それらはわかれば、

自分への非難に変わって、自己嫌悪に

なって戻って来る。

自己嫌悪するほど自分を見切って、

それを正しく認めれば、やがて自分

をも人を好きになるように好きになる。

これはわがままな自分を甘やかして

好きだというのではない。

だから、自分を理解した分だけ、人を

理解できるのだということも、あな

がち間違いではない気がする。



こうして夜長に書いていると、あっ

という間に1時間も2時間も過ぎて

いる。退屈させないために書いて

いるのかもしれないな。

ともかく書いていて、途中で何を

書いてこうなったのかが、わから

なくなる時がある。

ともかく書いてしまって、あとで

読み返してなにを書いたのか、

半ば反芻してみよう。


で、

― また楽しからずや。


室町時代であっても、夜の空気に

「室町時代何年目」とか書いては

いなかっただろう。今夜は、しかし、

そんな室町の夜と同じなのかもしれ

ない。たまには室町の空気を嗅いだ

ほうがいいのではないか。


で、

― また楽しからずや。







         1.30 少し 2.4
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コップ一杯のキャパとは [果ての話]

飛行場へ向かう時はなにか心地よい

興奮があった。希望と夢の海外への

旅行だった。というのが、ふつうの

思う旅行や思惑というものなのかも

しれない。

僕もそうであったら、と思わない

こともない。が、そんな明るい気持ち

で飛行場に向かったことは一度も

なかった。一度も、だ。

平均してだから、いつもではないが、

5年も日本にいると、煮詰まって来て、

外へ出なければ、どうかなりそうだ、

ということが体質・心質にあった。

精神に絡まる神経的なストレスで

同じ場所、同じ生活をしていると

耐え難くなった。体が震えてくるほど

のストレスだった。それで会社勤めも

最大で5年が限度だった。あっけなく

もあっけらかんと辞めてしまう。

明白な神経症の症状だろうが、病気

というには5年は長いし、休息を

設ければ症状は回復した。本人が耐え

がたいだけで、周囲は多少ほどにしか

気づかなかった。程度の軽い自閉症だと

も言えただろう。(神経疾患は名前ばかり

で多様な真因は解明されていない、この

百年)

それでどうして海外へ行くのか?

逆療法というやつで、もっとストレス

のかかる言葉もままならぬ、習慣も

食事も違う他国のストレスに己が身を

晒すことで、活気づけようとしたのだ。

二日酔いで迎え酒を喰らうのとそんなに

変らない。

傷心の旅行とか、愁心の旅行とか、そんな

ロマンなんか砂粒ほどもない。緊張して

カリカリの心境で飛行場に向かうのだ。

バカだね、の一言で済む。実際その

通りでひとりで行くので楽しい会話も

なく、観光地に行っても歴史の実地

見聞のためで、観光気分というものは

味わったことがない。

それは忘我というものを誘うためだった

というのが穿った見方だが、本当のとこ

ろかどうか、怪しい。

忘我というのは、緊張しすぎたためだ

とも思えて、それは帰って来てから、

気持ちや神経に余裕が持ててから、旅行

は役に立ったといつも思えるからだ。


反省して初めて気がつくことがある

ものだ。それは例えば、自分が日本人

であるために、そこでそのように考えた

のだ、ということや、無意識にそう

いう行動に出たということなど。それ

は新しい社会環境との対比がなければ

決して気がつかなかったことのようだ。

それで海外遠征は損をしたと思えた

ことはなかった。(地球上の)世界を

考えるというのは、その国の肌合いに

触れることや異質さを感じ取ることだ。

それを体にある意味、叩き込むことだ。


日本で本など読んでいたって、旅の映像

など見ていたって、まったくわからない

ことだ。観光コースを外れて、その国の

生活をしてみることだ。便利や不便、

おいしいまずいをその国民と一緒の

生活の中で体験してみることだ。


海外に留学した者がホームシックになる

と、ともかく漢字が見たくて、なんでも

いいから日本語の本を「見たくなる」

そうだ。漢字でさえ、心に習慣化し、

染み入ったものらしい。文化もまた、

恐るべきものだ。日本にいて普通のこと

が実はこうだったという言葉にならない

日本経験は逆の気づきだろう。

それはホームシックという言葉ではなく、

僕らの心の烙印のことだ。

僕らはどこまで自由かというのは、そこ

からが出発点になる、そうではないだろ

うか。

これも前に書いたことだが、また書いた。


つまり、自分を慰めるのではなく、自分

をさらに苦しめる要素を加えて、僕は

海外へ行ったのだ。これはもしかする

と、自然な自己防衛だったと思える。

なぜなら、無の体験をしたと書いた。

それは書いたことで何も伝わること

はないだろう、という経験だったから、

僕は知らずに臨戦態勢に入ったの

だろう。


無とか無限とか、そういう人を越え

たものを受け入れることはできない。

まず、人を越えたものの説明をしたい。

人のキャパシティを越えるとは、

通常の経験なら相当の恐怖を味わう

はずだ。ところが、僕は当時のその時、

恐怖に類するものはなにも感じなかっ

た。これも数年して気づいたが、どう

してなのか、どうしてもわからなかっ

たが、人が受け入れるだけの質量を

越えたものだから、僕ら人間では

客観化できない。できないから、それ

を対比してなにかの概念(言葉)にでき

ない。

だから、知を通しての感覚が働かない。

つまり、何も感じないほどだ、という

こと。

これは僕らが恐怖を感じる、というのは

人間の受け入れる範囲内にあること、

その体験は僕らはそれに対して何も

できないことを意味している。つまり、

人間に対してそれは何の意味もない

ことを語っている。

僕は抗えないほどの存在を前に恐怖に

逃げることさえできず、それと闘う

ことに人生を賭けてしまったのだ。

といっても、その強烈さから逃れ

られない以上、前を向く以外の方向

があったとは思えない。攻撃は最大

の防御なのだろう、それで否応なく

僕の追及は始まったのだ。

リアル現実はリアル夢でもある、と

いうのが、その世界だ。


今はもうため息しかないが、無意識

とは僕が相手のいないような存在を

前にして、瞑想しか手段がないことで

心に入り、心を突破することをして、

心を去り、無くして掴もうとして、

それは気味が悪く、死に損なうこと

だった。

その長い長い戦いが、無駄ではないと、

長い長い時間の後に夜明けのように

次第次第に明らかになってゆく。

まだその余波が続いている。

その期間で陶冶された僕の心が想像

外の考え方や感情、感覚の捉え方を

生んで、そこから光を発するからだ。

それは正しくなくても、確実に新しい

見方・感じ方を演じている。直接伝え

られないので、なにかこの世に託した

もので演出の方法を取らざるを得ない

のだ。故意のことも背景から完全に

故意ではないだろう。

だから必然で、人が聞きなれている

習慣化した教訓や声掛けは避けられて

いる。普段聞いているような言い方

では、その感じが残らないからだ。

この世にはその余韻のような直接では

なくても、人は毎日聴いたり、感じた

りしている不可思議なものがある。

それは間欠的で、わずかな刺激なので

すぐ忘れられてしまうが、それが増幅・

増長される経験をしたならば、生き方

も変わってしまう人もいるはずだ。


ブログを始めて1年ほどしてから、

記事が書けるようになってから、

伝える相手は2人か3人だろう、と

思ってきた。それは誤りだった

ようだ。

万人が伝わる要素を備えていると

いうのがわかったからだ。と言っ

ても人によってだから、1%から

99%までそれは多様で、こちら

の予断など許さない。これはそも

そも長い長い話なのだ。


地球から160万キロかな、そこに電波

望遠鏡が打ち上げられた。

そこから映像が、主に多くの銀河が

輝く映像が地球に送られてきた。

地上のハッブル望遠鏡だったかな、

その銀河の映像から現代の原子物理学

で予想されたものを想像していたが、

学者たちは予想外のものを見ること

になった。銀河の数が多いのだ。

その数、数千億個。ビッグバン以来

のコンピュータの計算でもつじつま

が合わない。

これはビッグバン理論で銀河も

衝突して、大きくなり、数も遠く

なるほど少なくなる、という理論から

はかけ離れている。つまり、ビッグバン

理論では説明がつかない。

しかし、映像は送られてきて、ちゃんと

ある!

たった160万キロに望遠鏡の位置を

変えただけで、僕らの先端理論・

常識にもなっているビッグバン理論

は破綻してしまった。

僕には、驚くこともなく、これが

僕らの世界で、まだ何かわかった

というには僕らの知識は脆弱なもの

だということだ。

いつまで、とかではない。これは

追いかけっこのように、リアル現実

と概念の夢とは違う、異なる、全き

別なものという認識が行き渡るまで、

いつまでも続く。

そこまででもなかなかの進歩だが、

そこではまた、その先がある。

わからないことを言ってもしかたない。

僕らは僕らのものを造っているので

あって、なにかをまったく新しく

生みだすことはできないし、それは

僕らが無限に変異することが可能な

要素(人間体)であると、いうこと

であり、またそれらは人間や生物に

特有のもので、どこかにある真実とか、

どこかの永遠とか、どこかにある

存在・実在とかではない。そういう

客観化は僕らにはできないこと、

不可能事なのだ。

人類が続けば、当然ながら、僕らは

人間とは似ても似つかないものに

なり行く。人類が気の遠くなるほど

続けば、の話だから、なにも気にする

ようなことではない。あなたはいない、

その時、確実に。

だから、例えば、AIに自分という意識

が生じるという話を信じないほうが良い。

その時はある個人学者か天才・奇人が

自らの性格性質から膨大なデータを構築

して、AIにインプットして、仮に自分

であるように見せることだろう。そのAI

が反乱とか人類に戦いを挑んだとしても、

それはある特定の人間だった個人を相手

に戦うことになるということに変わりは

ない。そのAIとは戦えない。彼は

マシンでインプットされた「特定の自分」

に従って動くだけだ。学習することは

計算の簡略化・効率化でなにをするかと

いう命令にある。感情や生理感覚の数値

は持てないから、過去のパターンをすべて

覚えることになる。それは発想の飛躍は

できないということだ。人間征服の基礎

プランというプログラムもインプットされ

なければならない。ということで、その

AIは開発者のコピー人格なのだ。僕ら

の敵はいつも僕ら人間なのだ。変わらず、

永遠に。

宇宙はアインシュタインが考えたように

重力だけではバランスが取れていない

だろう。僕らの心のように、様々な要素

があるので、バランスは常に不安定な

のだ。問題はそれが原点だと肝に命じて、

そこからこれまでの歴史のように難題に

当たって、解決できようと、解決でき

なくても、技術だけでなく、あらゆる

ことが変化する(無常)、また新しい

課題が現れる。できることを、自分に

できるだけをする。


そうすることで、生きることは何かを

心に秘めて、自分の生き方を育てて

ゆく。あなたが育てなければ、あなた

の生き方などどこにもないからだ。


また同じことを書いている。もう新し

くはなれないのだろう、キャパは

精一杯使ってしまったのかもしれない。

人を越えたというのは、そういう感覚

のことだ。感じたからと言って、人間を

越えるものではない。

そういう相手だった、 ・・・・・・。

キャパシティ.png

陽秋:画  「コップの夢」


(注):: キャパ、キャパシティのこと。

      収容能力。例えば、定員。



  : :ビッグバン理論はジョージ·ガモフら 

    によって提唱された。
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