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屈人織辺の日記 8.無盡蔵 [日記・思考]

先日、益子に伺いました。益子は濱田

(庄司)でした。まるで彼がすべてで

あるかのような、街並みと素人、若い

作家の群れでした。

それは結果を考えれば、意外と言えば

意外なものでした。益子町の観光案内

の地図を見ても、濱田庄司亭とか、それ

から少し離れた場所に濱田さんの参考

館がありましたから、名前は知ってい

ましたが、益子を訪れたのは、飽くま

でも全国の焼き物を訪ねたい、という

その一環で、濱田さんに注目したもの

ではありませんでした。とは言っても、

柳宗悦から見つけた民芸運動家たちの

ひとりに濱田さんを見つけ、その参考

作品から一番に濱田さんの作品に惹かれ

ましたから、その作品が直にみられる

ことは楽しみでした。

そういう経緯だったので、まさか益子

焼の印象が濱田一色に変わることなど

予想ができなかったわけです。



ところで、この日記を今日始めたのは

濱田庄司が晩年に書いた「無盡蔵」が

届いたので、読み始めたら、これだと

いう感覚が書かれていて、びっくりして

坐ったということです。

以下、引用::

「たびたび床に掛ける副島種臣の「南薫

閣」という書軸を棟方志功君も好きで、

いつも感心してくれるが、いつぞややっと

この書に対する答えができたからといって、

「無盡蔵」と書いた大幅を持ってきてく

れた。なかなかいい出来だ。

ただこれを、いくらでもあるから「無

盡蔵」では困る。私としては、「こと

ごとく蔵するなし」と読みたい。私が

好きなものを持つのは、それが自身の

眼で選んだ心の食べ物なので、もう

食べ尽くして座右に残っている形は、

すでに物の形ではなく、感謝のしるし

としてのお護りだ。そのせいかいつ

出しても愉しい。」::

濱田さんは自然と生きた人です。確か

「窯にまかせて」という著作もあった

と記憶します。最晩年の本でした。

陶芸は土によってその様相を変えます。

それは釉もそうであります。窯に至っ

てはその焼成の様々な条件があり、

それを人がします。そのうち電気窯の

自由なプログラミングが主流になるか

と思いますが、登り窯などの焼きの

結果が見えない、自然任せの窯は

残るでしょう。できるものの面白さ

は自然とのコラボになるので、その

わからなさ、なにが生じるのか、

予想を超えた焼成に魅力を感じる

陶芸作家は今も、そしてたぶん、これ

からも跡を絶たないからです。

粘土にする土の配合の微妙さによっ

ても、また釉の配合によっても、

また焼成の酸化と還元のふたつの

焼成によっても、まったく違う色に

焼けます。絵の具ではないんです。

単に塗る釉によってその色が発する

という単純な仕掛けではない。だから、

それは無尽蔵を予感し、予定する

ものになるのです。

いつまで経っても、陶芸経験百年でも

思い通りのものができない。できる

ようにはなるが、絶対に完璧では

ないのが、もう陶芸を初める頃には

覚悟しなければならない。それが陶芸

の面白味でもあるのです。

僕は秦野の香窯という教室で自分の

試作の小さな花器が粘土の段階で

そこに形を現した時に、その物に

囚われて、感動しました。そこに物

がある、という至極単純なことが

どういうことなのか、その物から

教えられたのです。濱田流に言えば、

負けたということです。

人生にはこういうように負けることが

必要だと教えてくれる人はいません。


すべて、その人が芸という旅の途中で

物と対峙して見出してゆくものです。

僕はどこかで、教室の先生に、また

ブログかメールに、絵画展での感動は

精神的なものだということが、陶器に

感心して、自分の花器に教えられて

わかったと話し、書きました。

東京の美術展などを巡って、次第に

陶器への感動が高められて、物の

世界への突入になりました。

それで益子へ行って、笠間へ行って

精神的なというよりも、肉体的な

満足を覚えて、帰ってきました。

これはなんとなくから、はっきり

したものになって、僕の腹を満たし

ました。そう、満腹感によく似た

ものです。だから、絵画とは違う

ことが比較出来て、よくわかる。

上記で濱田さんがいみじくも書いて

いるように、「自身の眼で選んだ

心の食べ物なので」と言うように、

まったく腹の満足なのです。

いろいろ解釈はあると思いますが、

益子で濱田さんの自宅などの気に

同期したのだとか、読んだものの

潜在記憶が確信の動機になったとか、

けれども、事前に花器の感動が

なければ、そういうことも生じ

なかったでしょう。

濱田さんが「心の食べ物」と言った

のには驚きましたし、それは単に

比喩なのではないことが、はっきり

わかりました。ものの世界という

のは冗談ごとや、比喩のこと、そう

いう架空の話ではなかったという

ことです。

棟方志功がどこかを見ながら、そこ

と話しながら、作品を彫っています

が、話をしている時は、板なんか

見ていない。「そこもうちょっと

見せてください」とか、あれも

不思議な話で、彼にはなにか見え

ていたとしか、今になるとそう思え

ます。

どうしてものの形から、形ではない

無盡蔵と見破った、無限な世界を

感じ取ることができたのか、それを

僕も知ったというのが、7月から

陶芸を始めて、見て、聞いて、試し

て作って、という過程を経て、見出

された、求めてもいなかった世界が

「もの」だったようです。

無盡蔵1.JPG
題字: 棟方志功

無形文化財というものがあります。

濱田さんが人間国宝だとは知らない

ことでしたので、その先入観は

避けることができました。

踊りなどは人間国宝はよく聞くし、

形のない芸術のように言われます

が、その目の前のものや動きを

突破?することに、その無形の

ものに触れるのでは、という気が

します。それがそれぞれであるに

しても、芸は無限だ、書は無尽蔵だ、

陶器は・・・、というのも同じだと

いう気がします。

そういう日本の芸の歴史に浮かぶ、

道を究めたと言われる芸術家たち

は、ほんとうの処は皆本人たちが

言っているように、道は究めがたく、

無限だということを発見した人たち

で、彼らはその入り口に触れてみた

人たちだという気が、今回のこと

が起こってみては、今まで想像上の

(あるんだろうなという)世界でし

たが、日本の系譜の一部がわかった

ような気になりました。


いつでも、これから。

それが芸の道。ほんとうは人生も

辿り方次第で、そういう開け方を

するように歩めるのではないでしょ

うか、とも山の頂上からもっと遠く、

もっと高くの山々を眺めるように 

茫然としながら想いました。
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